光クラブ事件・裏切りを怖れる「偽悪者」山崎晃嗣を考察する

光クラブ事件

日本(東京)から約7,500キロメートル離れたモスクワに世界初の社会主義国家・ソビエト社会主義共和国連邦が誕生した1922(大正11)年の10月、千葉県木更津市の開業医の四男として男は生を受けた。

祖父の代から医者の家柄だった男の父は、千葉県木更津市の市長もつとめる名士だった。

裕福な名家生まれの男は、父親や母親の期待に応えるかのように第一高等学校(現、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部等)に入学、22歳となる1943(昭和18)年、東京帝国大学法学部(現、東京大学大学院法学政治学研究科・法学部)に進学した。

男の名前は、山崎晃嗣。

山崎晃嗣は、戦後の混乱期のなか、高利の貸金業「光クラブ」を創立し、学生社長として時代の寵児となるが、27歳で自殺した。山崎晃嗣は、徹底したニヒリズムと合理主義を実践し「偽悪」を装った。山崎晃嗣は、三島由紀夫の小説『青の時代』(新潮社,1950.)のモデルになった。

多くの人間に裏切られ、国家に裏切られ、時代に裏切られ、「モラルと正義の実在」を否定するが「モラルと正義の実在」を無視し、完全否定することができなかったモラリスト。

山崎晃嗣は、「女性は道具だ」と言い放ちながらも女性に対する畏怖と純情な心を隠し持っていた。山崎晃嗣は、「人生は芝居だ」と書き残し(参考:『私は偽悪者』山崎晃嗣著, 牧野出版2006.P113)、刹那を生きようとした男だが、死の際に自分の写真を机に飾り永遠の存在になろうとした。

「光クラブ事件」は、一般的にいわれる未解決事件ではない。だが、山崎晃嗣の自死は、人間「山崎晃嗣」が人間と時代と社会に残した多くの課題を未解決にしてしまった。

全てが変わった1945年8月15日の終戦(敗戦)後の無軌道な若者の犯罪(アプレゲール犯罪)の象徴となった「光クラブ事件」を解説しながら自らを「偽悪者」と称した「山崎晃嗣」について考察してみよう。 ※山崎晃嗣は、死後に手記の公開を望んでいたと思われる。山崎晃嗣の手記は、事実婚関係にあった佐藤静子氏の助力などにより『私は偽悪者(青年書房、1950.)』などとして発売された。当然だが、本記事は、山崎晃嗣を事件の容疑者(実際に不起訴または起訴猶予処分だった)だけの存在として扱わない。だからこそ、山崎晃嗣を一人の実在した悩める人間の一人として扱い実名で記す。生きた証(名前)が永遠に語り継がれることを山崎晃嗣は望んでいた、と期待しながら――。

光クラブ事件の概要

1945年8月15日、日本は戦争に敗れ無条件降伏を受諾した。それまでの価値観、社会体制、秩序から意味が消え去り、人々は焼け野原のなか物不足のハイパーインフレの混乱のなかにあった。

「光は新宿から」――新宿の尾津組が作った闇市のキャッチコピーから山崎晃嗣は、「光クラブ」の名称を思いつく。

ハイパーインフレのなか、「光クラブ」は、「遊金利殖月一割五分」の二行広告を新聞に掲載する。

高配当を謳い出資者を集め、出資者から出資された金を現金が必要な生活者、事業主、闇市などの現金商売(見せ金が必要な商売)の者、などに高利で貸付、利ザヤを得る。

広告画像は、『私は偽悪者』(山崎晃嗣著, 牧野出版2006.)P21から引用

簡単に言えば、高利のサラ金(闇金)だが、現役の東大生山崎晃嗣が経営する「光クラブ」は、大胆な広告戦略(新聞広告、都電の車内広告など)により、多くの客(出資者、借入者)を集め、創立後三か月で東京(日本)の一等地銀座に進出し、株式会社に改組する。

銀座進出に伴い、取引相手の質がそれまでの小口の客から大口の客に変わる。政府支払いの遅延があった時代だ、つなぎ融資などを求める大口の客が日本唯一の金融専門の株式会社「株式会社光クラブ」のドアを叩き始める。

だが、GHQ(連合国総司令部)と日本政府はハイパーインフレ抑制、根絶のために動き出す。1948年12月19日 経済安定九原則の指令。1949年2月 経済の自立、安定化、インフレ対策などを目的にドッジ・ライン実施――。

さらに時代は、派手な広告と東大社長などの話題性を放置はしない。メディアが山崎晃嗣を注目し、出る杭は打たれ、鳴いた雉は撃たれてしまう。

「ひかり戦陣訓」の画像は、『私は偽悪者』(山崎晃嗣著, 牧野出版2006.)P62から引用し作成

画像化した「ひかり戦陣訓」にイェーリングの「権利のための闘争」があるの。所謂「ヤミ金」の山崎晃嗣らが自らの行い(業務)に19世紀ドイツ法学者ルドルフ・フォン・イェーリング(外部リンク:Wikipediaルドルフ・フォン・イェーリング)の著書『権利のための闘争』(1872年出版)を引用したことは非常に興味深い。

新聞は、「株式会社光クラブ」が不特定多数から金を集め、銀行法に違反しているのではないか?などと報道を始め、1949年7月4日、物価統制令違反容疑(法定利息は月9分だが、前述のとおり、山崎晃嗣は出資者に月1割5分を謳っていた。つまり、法定利息以上の金利10日1割で貸付)で山崎晃嗣は逮捕(不起訴または起訴猶予)される。

時代の変化や逮捕による信用失墜から取り付け騒ぎが起こる。山崎晃嗣は、1949年11月25日までに300万円の支払いを債権者に約束するが、期限までに300万円の用意が出来ず、前日の11月24日に青酸カリを服毒し自殺する。

山崎晃嗣の略歴と主な出来事

以下は、山崎晃嗣の略歴と彼が生きた時代の主な出来事である。彼の27年間の人生は、激動の日本の時代(戦前、戦中、戦後)と伴にあった。

1922年10月千葉県木更津市の開業医の四男として生まれる。
山﨑家は祖父の代から医者の家系であり、父は市長も務めた(1月生まれとの説もある。
10月生まれは『私は偽悪者(山崎晃嗣著, 牧野出版2006.)』からの引用
その後、第一高等学校(現、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部等)に入学。
1943年8月(22歳)東京帝国大学法学部(現、東京大学大学院法学政治学研究科・法学部)に入学
1943年9月学徒出陣
1945年8月15日(23歳)終戦(敗戦)時は陸軍主計少尉 北部第178部隊(旭川)糧秣委員
1945年12月17日

1946年2月24日
陸軍隠匿物資横領の罪で逮捕。
札幌、旭川の拘禁所に拘留。
裁判は懲役1年6月、執行猶予3年の判決
1946年2月16日1946年2月16日 ハイパーインフレ対策を目的に金融緊急措置令施行。
同月17日、預貯金封鎖、新円切替
1946年3月3日物価統制令公布、即日施行
1946年4月(24歳)東大復学 法学部20科目のうち優17、良3の成績を収める
1949年6月貸金業法取締法が公布
1946年8月(24歳)N大学の元教授が理事長を務め、毎月配当2割を謳い文句にする「中野財務協会」に10万円を騙し取られる
1947年5月3日日本国憲法施行
1948年10月16日(26歳)東京都中野区鍋横マーケット(現、東京都中野区本町4丁目、中央3、4丁目地域の商店街)に「光クラブ」の看板を掲げる
1948年11月12日極東国際軍事裁判の判決言い渡しの終了
1948年12月19日GHQから経済安定九原則(予算の均衡、徴税強化、資金貸出制限、賃金安定、物価統制、貿易改善、物資割当改善、増産、食糧集荷改善)指令
1949年1月26日(27歳)「株式会社光クラブ」に改組。資本金は600万円。
東京都中央区銀座「松屋」裏通りのビルの一室を200万円で契約し、事務所を移転(同所を本店、中野を支店とする。
なお、登記上の本店は北海道旭川市)。
都電に車内広告を掲載し、業績は伸びるが、日本経済新聞など一部の新聞メディアに銀行法違反「疑惑」を指摘される
1949年2月経済の自立、安定化、インフレ対策などを目的にドッジ・ライン実施
1949年7月4日物価統制令違反容疑で逮捕
1949年8月処分保留(山崎晃嗣は、著書『私は偽悪者』117頁で「不起訴」と記述している)により釈放される。
逮捕による信用失墜から経営破綻や大蔵省決定の貸出金利の指示(利子制限)などにより債権者から3000万円の取り付け騒ぎが起こる
1949年9月15日 394名の出資者(債権者)が参加した第一回債権者総会が開かれる。
同年11月25日に300万円の支払いを約束(合意)する
1949年11月24日300万円の用意が出来ず支払い期日の25日を前にして青酸カリの服毒自殺。
辞世の句(遺書)は、「高利貸冷たいものと聞きしかど死体にさわれば……氷カシ」
「貸借法すべて清算借り自殺。晃嗣。午後十一時四九分(23時49分)……」
参考:『戦後欲望史 混乱の四、五〇年代篇』赤塚行雄)」
山崎晃嗣の略歴と主な出来事 参考:『私は偽悪者(山崎晃嗣著, 牧野出版2006)』

遺書にある「11月24日23時49分」の記録(記述)は、日常の全てを記録しようと努めた山崎晃嗣らしさと、最後の瞬間まで自分に課した自分のモラル「合意は守られるべし」を実践した偽悪者山崎晃嗣の自負と意地の表れなのかもしれない。

数量刑法学(人間を信じない人間の到着点)

そもそも、名家出身の山崎晃嗣は、高い教養と戦前、戦中の価値観を持った人間だ。手記『私は偽悪者』には、彼の有名な女性観「女は道具である」の記述があるが、彼の軍隊当時のエピソード(「登別の女」)や事実婚の佐藤静子の「山崎晃嗣」評から、彼は女性に奥手な人間、女性に対して畏怖を持っていることが垣間見える。

現役税務署職員と恋人関係にある女性がそれらを秘し山崎晃嗣の秘書になる。山崎晃嗣は、彼女に好意を抱き、彼女も自分に好意を抱いていると思っていたが、彼女は敵視する税務署職員の恋人だった。山崎晃嗣は、彼女をスパイと断罪する。

山崎晃嗣は、彼女に裏切られたと感じ、彼女と現役税務署職員に復讐を仕掛ける。好意が強ければ強いほど憎しみは増す。いとも容易く自分の支配下におけると思った者に支配される。そう、山崎晃嗣は、彼女から道具(現役税務署職員の恋人の手柄のために)扱いされた自分が許せず、自分を道具扱いした「女性」に復讐したかったのかもしれない。

山崎晃嗣は、多くの人間、社会、時代に裏切られた。学徒動員され、北海道で終戦を迎えた山崎晃嗣は「陸軍隠匿物資横領の罪」で逮捕された。仲間の名前を自供することはなかったが、仲間からの見返りは一切なかった。山崎晃嗣は、自分は義賊だったと自己弁護をするが、上官も物資横領を繰り返していた。地位を利用した上官のほうが悪質だ。

だが、上官は逮捕されない。法は「人」を選ぶ。「人」の属性により運用が変わる。多くの人間に裏切られた山崎晃嗣は、人間のモラルを信用しない。人間の正義を信用しない。人間が運用する法を信用しない。

彼が本気で学問体系化しようとした「数量刑法学」は、人間を信じない人間の到着点だ。犯罪を「刑罰数量表」なる対数表(公定表)により評価し判決を出す。裁判官、検察官、弁護士、被告人の「人間」は、関係ない。A級戦犯だろうが、主計課の上官だろうが、失業者だろうが、金持ちだろうが肩書、身分、属性は関係ない。

犯罪行為自体を数量的に機械的に判断し判決を出す。完全な公平性。「数量刑法学」は、人間を信じない山崎晃嗣の社会に対する一つの答えなのだろう。

逃げ得は許さない、属性(上級国民などと呼ばれることが多い)により不逮捕特権(国会会期中の政治家の権利ではない)があるのではないか?悪い奴らは機械的に平等に逮捕されるべきだ。これらの言説がネットに溢れる。

映画『エリジウム(監督, ニール・ブロムカンプ、主演, マット・デイモン, ジョディ・フォスター,2013.)』で描かれた貧困層に対する超厳罰主義と富裕層の特権により完全分離された社会。AIが機械的に罪の重さを判断する社会。だが、厳罰化と機械による法の運用は、被告に一切の情を認めない恐ろしい法の運用でもある。人間の「良心」「正義」「事情」「背景」を一切認めない社会。それは、見せしめ逮捕、政治的な思惑などの国策捜査も積極的に肯定される社会。

天才「山崎晃嗣」がそれらを懸念しなかったとは思えない。当然、懸念しただろう。だが、懸念よりも他人、社会、時代から受けた裏切りが許せなかったのだろう。そして、他人、社会、時代から受けた裏切りを感じる者は現在も多数いる。

裏切られることを怖れるモラリスト山崎晃嗣

人間の性は、本来傲慢、卑劣、邪悪、矛盾である故、私は人間を根本的に信用しない。

『私は偽悪者』P133

事実婚の佐藤静子から「常に些細なことにも細心の注意と情熱とかけていた」(引用:『私は偽悪者』P4)と評される山崎晃嗣は、実は古き良きモラル(自己犠牲の精神から嘘を言わない。約束を守る。他人を裏切らない等の最低限のモラルまで)を信じていたのだろう。

だからこそ、他人や社会の裏切り、嘘、約束の不履行を許せず、「人間の性は、本来傲慢、卑劣、邪悪、矛盾である故、私は人間を根本的に信用しない」などと「感じて」しまったのだろう。

彼はモラルを無視する無道徳主義者ではない。完全なニヒリストでもない。彼は神の存在を信じたいが神の沈黙に神の裏切りを感じ、神を否定する無神論者と同じだ。完全に神の存在を無視する「(完全)無(視)神論者」ではない。

人間や社会の正義、モラルを信じながら、裏切られ続けたと思い込んだ果ての山﨑晃嗣の合理主義は、高度経済成長、バブル景気崩壊後の失われた時代の社会のなかにも息づいている。

「偽悪者」山崎晃嗣の系譜

(前略)私は社会秩序の規範として、法律は守るが、モラル、正義の実在など否定している。私は合法と非合法のスレスレの線を辿ってゆき、合法の極限、法律によって禁止されていると誤解されているものを、きわめたいうと思っているので、ほとんど強制力のない倫理綱領類似の問題ではなかったが(後略)

『私は偽悪者』P57

人の心の動きや道徳に敏感な人間が、人と道徳に絶望しながら自らを守るために無道徳な人間を演じる。山崎晃嗣をそう定義するなら『罪と罰』のラスコーリニコフに救いと再生があったように山崎晃嗣にも救いと再生があっただろう。彼の自死は非常に残念である。

一方、現在社会には、法をモラルの基準と考える者が増えている。人の心の動きや道徳に、不感症/不干渉気味の人間が増え、法律に触れなければ、何をしても良いなどと考える者が増えていないだろうか?

「強制力のない倫理」に頼るよりも、罰を伴う法に頼り、さらに法は厳罰化され、機械的に判断される。フランス革命後の理性崇拝の祭典とギロチン、合理主義のDNAを持つ社会主義、共産主義国家の非人間的、非人道的な行いを我々は知っている。

「人間の性は、本来傲慢、卑劣、邪悪、矛盾である故、私は人間を根本的に信用しない」と言い放つ山崎晃嗣から人間は何を学ぶのか?戦後の混乱期に起きた「光クラブ事件」から社会は何を学ぶのか?

ネットには、一発逆転、ワンチャン等の言葉が溢れている。法だけ守れば良いなどモラルを無視する傾向は、「山崎晃嗣」の系譜だと言えないだろうか?

人間と社会に課題を投げかけたまま逝ってしまった「山崎晃嗣」と「光クラブ事件」は、永遠の未解決事件となった。


※参考文献
『私は偽悪者』山崎晃嗣著, 牧野出版,2006.
『青の時代』三島由紀夫著,新潮社,1950.

※映像
映画『エリジウム』監督, ニール・ブロムカンプ、主演, マット・デイモン, ジョディ・フォスター,2013.


未解決事件考察と昭和の事件シリーズ


Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

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