グリコ・森永事件:『滋賀県から海外へ』

グリコ・森永事件 滋賀県地図

公開日:2021年12月13日 / 最終更新日:2026年3月7日

戦後日本の犯罪史に残る『グリコ・森永事件』(警察庁広域重要指定114号事件)。

この事件に関係するとされる『昭和53年テープ』には、滋賀県の琵琶湖東岸地域を走る『近江鉄道』の走行音が入っていたといわれる。

1984年11月14日、『ハウス食品工業脅迫事件』における現金受取現場は滋賀県であった。さらに、現金受取に失敗した犯人のうち、見張り役とみられる一人は、『栗東町岡集落』で盗んだ自転車に乗り、警察官の職務質問をかわして『草津市』方面の闇へ消えていった。

その後、犯人側から現金受取に関する直接的な指示は出されていない。すなわち、犯人たちの最後の直接行動は、1984年11月14日に滋賀県内で行われた現金受取工作であった。

その後も犯人たちは、食品メーカー、警察、マスコミに脅迫状を一方的に送りつけ続けた。しかし、自らの「姿」を人前に現すことはなかった。

現金受取失敗の三つの局面

犯人たちは、現金受取に三度失敗している。

一度目は、1984年6月2日(土)、元自衛官を脅迫して現金受取人に仕立てた『焼肉大同門摂津店』の現場である。

二度目は、『丸大食品脅迫事件』における1984年6月28日(木)の受渡し指示である。いわゆる『キツネ目の男』が現れた旧国鉄『高槻駅』から『京都駅』間において、「電車内から外の白旗が見えたら現金を投げろ」などの指示が出された。

三度目は、1984年11月14日、滋賀県を舞台とした『ハウス食品工業脅迫事件』の現場である。

当然ながら、犯人たちは現金受取に伴う逮捕リスクを十分に認識していたはずである。そのリスクを測るかのように、事前に数回にわたり受渡しの指示を出している。たとえば、『グリコ脅迫事件』では、1984年4月8日(水)に『喫茶店マミー』(兵庫県西宮市熊野町・江崎社長宅付近)、同年4月24日(火)には『レストラン・ダンヒル』(大阪府豊中市上津島)で、現金受渡しの指示が出されている。

犯人たちは、こうした指示現場の様子を観察することで、企業側が警察に連絡せず裏取引に応じるのか、それとも警察に通報しているのかを見極めようとしたものと思われる。しかし、観察だけでは最終的な判断に至らなかったのであろう。

犯人側が見ようとしたもの

犯人達が繰り返し現金受取の指示を出したのは、単に企業側を振り回すためだけではないだろう。むしろ重要なのは、企業側が警察に通報しているのか否か、そして警察がどのような態勢で動いているのかを、実地で見極める点にあったと考えられる。本章では、その確認作業としての『現場指定』の意味と、そこから移動型受渡しへと作戦が変化していった過程を整理する。

『焼肉大同門摂津店』の意味

企業側は、裏取引に応じず警察に連絡しているかもしれない。逆に、裏取引に応じる決断を固め、警察には連絡していない可能性もある。

それを確定させるために、一度目の『焼肉大同門摂津店』の現場が設定されたのではないかと思われる。すなわち、現場を指定し、そこへ自分たちの替え玉を送り込むことで、警察が「いる」のか「いない」のかを確認する。「いる」場合には替え玉が逮捕され、「いない」場合には現金が手に入る。そのような構図である。

移動型受渡しへの転換

そして、この作戦によって、犯人側は警察の関与を確信した可能性が高い。現金受取の「現場」をあらかじめ指定することは、警察に事前準備、配備、包囲の時間を与えることになる。

以後、犯人側の作戦は、現場固定型から、移動しながら指示を出す方式へと変化していったと考えられる。

地の利と逃走経路

問題は、警察に事前準備や包囲をさせない場所をどう選ぶかである。さらに、現金受取時に警察に追跡される最悪の事態を想定すれば、逃走経路だけでなく、逃走先となる潜伏場所、すなわち民家や会社事務所などのアジトも必要となる。

つまり、犯人が直接警察組織と対峙する局面では、地の利を生かすための土地鑑が不可欠であったと推測される。

脅迫状投函場所から見えるもの

現金受取や逃走工作には、地の利や土地鑑が強く求められる。他方、脅迫状の投函は、それに比べれば生活圏から距離を取って実行しやすい行為である。だからこそ、消印の分布を確認することで、犯人達がどこを「見せる場所」とし、どこを「隠す場所」としていたのか、その空間感覚の一端をうかがうことができる。

本章では、脅迫状の投函場所を都道府県別に整理し、とりわけ滋賀県との関係を検討する。

脅迫状投函場所図

ここで、犯人たちが警察、企業、マスコミに送付した脅迫状の消印の場所と、その頻度を考察してみたい。

なぜなら、脅迫状の投函は、現金受取や逃走とは異なり、必ずしも強い土地鑑を必要としない行為だからである。むしろ投函場所については、自分たちの生活圏、すなわち住居、勤務先、経営先、あるいはアジトから、できるだけ離れた場所を選ぶとも考えられる。

図1 参考文献:『キツネ目 グリコ森永事件全真相 岩瀬達哉 2021年3月 講談社』

上記『図1』は、確認された30通の脅迫状について、消印のある郵便局、ならびに直接置かれた『森永関西販売本部』『大阪城天守閣』『大阪府警茨木署下穂積派出所』の所在地を、都道府県別に整理したグラフである。

この図が示すとおり、投函・設置場所は大阪府が最多であり、滋賀県内からの投函、すなわち滋賀県の消印が付されたものは一通も確認されていない。

最後の脅迫状に現れた『滋賀』という地名

ここで、犯人達が送った最後の脅迫状、いわゆる「犯行終結宣言」とされる文面を見ておきたい。多くの読者にとっては全文に触れる機会が必ずしも多くないと思われるため、ここでは資料的価値を優先し、全文を引用する。以下は、1985年8月11日消印『摂津』の脅迫状(挑戦状)である。

国会ぎいんのみなさんえ あんたらわすれっぽいな わしらの法りつそないなっとるねん はよ死刑いりのつくってや しが県警の山もと死によった しがにはナカマもアジトもあらへんのにあほやな 死ぬんやったらよしのかしかたやで 1年と5か月もなにしとんねん わしらみたいな悪ほっとったらあかんで まねするあほまだぎょおさんおる たたきあげの山もと男らしうに死によったさかいに わしらこおでんやることにした くいもんの会社いびるのもおやめや このあときょおはくするもんにせもんや ゆうしゅうな警察へとどけたらええ 大学でのよしのやしかたがあんじょおしてくれるで わしらも悪や くいもんの会社いびるのやめてもまだなんぼでも やることある

悪党人生おもろいで かい人21面相

犯人達は、この一方的な「犯行終結宣言」のなかで、自死した山本元滋賀県警本部長に触れたうえで、『しがにはナカマもアジトもあらへん』とわざわざ書き込んでいる。

しかし、この記述は、単純な無関係の表明として読んで終わるべきものではないだろう。むしろ、最後の段階であえて滋賀県を名指しし、しかも「仲間もアジトもない」と否定する必要があったという事実それ自体が、犯人達にとって滋賀県が無視できない土地であったことを示しているようにも見える。

犯人達は、警察の捜査が自分達の近くまで迫っていることを、肌で感じていたのかもしれない。

つまり、滋賀県は、犯人達が最後に直接姿を現した土地であるだけでなく、最後の脅迫状において、あえて否定の言葉で触れざるを得なかった土地でもあった。

捜査線上に再浮上した『滋賀県』

事件発生から約10年後の1990年代初頭、捜査当局はあらためて『滋賀県』に注目していたことが報道からうかがえる。

1992年3月17日付『読売新聞』は、1984年5月、兵庫県西宮市の当時の『江崎グリコ』社長宅前でナンバーチェックされた車のなかに、『ハウス食品工業脅迫事件』で遺留された発光電子部品『EL(エレクトロ・ルミネッセンス)』に接触する可能性がある滋賀県内人物の所有車が含まれていた、と報じている。さらに、この人物は、捜査対象となっていた不審グループとも関係を有するとされた。

つづく1993年3月17日付『読売新聞』では、特殊微物の付着可能性がある産業廃棄物処理業者周辺に、現金受渡し現場付近へ出入りしていた不審人物が浮上し、その人物が前記の車の所有者とも交際関係にあったことが報じられている。記事は、『EL』などの特殊微物、人と物の接点、さらに滋賀県南部・東部の地理的集中に捜査本部が注目していたことを伝えている。

重要なのは、ここで情報が単独ではなく交差している点である。『EL』などの遺留微物、産業廃棄物業者、江崎社長宅前で確認された車両、現金受渡し現場周辺への出入り、そして滋賀県南部・東部の土地鑑。これらが別々の断片ではなく、ひとつの地域へ収斂する複数の線として捜査線上に現れていた。

さらに1993年の記事は、1978年8月の脅迫テープ事件、いわゆる『昭和53年テープ』にも言及している。そこでは、テープの背景音が『近江鉄道』の二両連結電車の通過音とされ、加えて、一連の脅迫状のなかに滋賀県東部で使われる方言が含まれていたことも指摘されている。報道によれば、捜査本部は『大津市』から琵琶湖東岸一帯にかけて、犯人グループの拠点があった可能性を視野に入れていた。

当初、『グリコ・森永事件』は、『大阪府』『京都府』『兵庫県』に犯人の痕跡が濃く残る事件として受け止められていたはずである。しかし、約10年後の捜査報道を読むかぎり、警察はむしろ『滋賀県』内に、より具体的な人と物の接点を見出そうとしていたように見える。

滋賀県内の一室で録音された可能性がある『昭和53年テープ』から10年以上を経て、捜査は再び、その起点へ引き戻されつつあったのかもしれない。

では、ここからさらに『グリコ・森永事件』の犯人像に迫ってみたい。

文面に現れる犯人像

まずは、脅迫状(挑戦状)を書いた人物から見ていきたい。この人物は『昭和53年テープ』の男性と同一人物ともいわれるが、真偽は不明である。

ただし、同一人物か否かにかかわらず、脅迫状の文面には、書き手の価値観や自己演出の方向性が色濃く現れている。以下では、長大な文面の全文引用ではなく、要点となる箇所を原文のまま拾いながら、その人物像を考えてみたい。

挑戦状に見える警察観

警察宛ての文面で目立つのは、警察の権威に対する執拗な嘲笑である。たとえば、書き手は警察を『けいさつのあほどもえ』『まづしいけいさつ官たちえ』と呼びかけたうえで、

“うそはドロボーのはじまりや”
“けいさつのうそはごう盗のはじまりやった”

などと書く。

ここでは、法と秩序を担うはずの警察を、「嘘つき」であり、むしろ盗人の側に近い存在として描こうとする意図が明瞭である。これは単なる悪罵ではない。警察権力の正統性を傷つけ、その失墜を国民に印象づけようとする、小規模なプロパガンダの文体である。

警察への嘲笑と奇妙な親近感

さらに、『新春けいさつかるた』と題された文章では、警察上層部を嘲弄しながら、現場の警察官には奇妙な親近感すら示している。

“キーキーとヒステリおこす本部長”
“こらこらとゆうてひやあせ民しゅ警さつ”
“すきなんやわしらけいさつすきなんや”

ここには、警察を単純に敵視するだけではない、ねじれた感情が見える。戦前的な警察権力への嫌悪と、戦後の「民主警察」への嘲笑と、現場警察官への親近感めいた視線が、同時に混在しているのである。

マスコミを利用した世論操作

マスコミ経由の文面では、書き手は世間に向けて支持者を作ろうとしている。宛名も『全国のおかあちゃんえ』『全国のファンのみなさんえ』『かい人21面相フアンクラブのみなさんえ』など、親しみや共感を誘うものに変化する。

ここで重要なのは、書き手が単に脅しているのではなく、自らの像を演出している点である。すなわち、国家権力や大企業に抗する、どこか庶民的で、人情味すらある悪党という役柄である。

『男』『女』『子ども』への価値観

この書き手の価値観が最も露骨に現れるのは、『男』『女』『子ども』に関する語りである。

まず、『男』については、

“わしらほんまもんの男やで”
“ほねのある男すきやで“
“たたきあげの山もと男らしうに死によった”

といった文言がある。

ここでは、『男らしさ』が一種の倫理として持ち上げられている。頭を下げること、筋を通すこと、骨があること、義理を知ること。そうした古典的な男性像が、美徳として置かれている。

一方で、『女』については、

“女はおとなしゅうしとるもんや“
“あほな女性のてき”
“あほなCMで女こどもだましたらあかん”

などの文言が並ぶ。

ここには、露骨に古い性別役割観がある。女性を守る対象として見る視線と、統制すべき存在として見る視線が、未分化のまま同居している。

さらに、『子ども』については、

“こどもはてんしやエンゼルやで”
“こどもなかせたらあかん”

などと述べる。

子どもは無垢であり、泣かせてはならない存在として扱われている。ここでもまた、庇護すべき弱者という観念が前面に出ている。

懐かしい心象風景と挑戦状の男

『グリコ・森永事件』は、1980年代、昭和60年前後の事件である。当時、多くの人々が現代的なジェンダー平等の感覚を持っていなかったのは事実である。しかし、それを踏まえても、この書き手の価値観は、かなり古典的な『男らしさ』『女らしさ』を前提としている。

しかも、その古さは単なる時代性ではない。『義理』『人情』『男のめんつ』『女こどもをだますな』といった言い回しには、家族や共同体の内部にあった感情の秩序がにじんでいる。そこには、近代的・個人主義的な倫理というより、どこか前時代的で、情緒的な共同体の記憶がある。

もちろん、これ自体が世論操作のための『自己演出』である可能性は高い。だが、作り物であったとしても、人はまったく無縁の価値観を長く演じ続けることは難しい。そこには、書き手自身が親しみ、あるいは利用しやすいと感じていた感情の地層が露出しているように思える。

目撃された『キツネ目の男』

つぎに、『キツネ目の男』の人物像に迫ってみたい。『キツネ目の男』は、『グリコ・森永事件』において二度目撃されたとされる。

一度目は、『丸大食品脅迫事件』の1984年6月28日(木)、旧国鉄『高槻駅』から『京都駅』間の車内および駅構内である。二度目は、1984年11月14日、滋賀県を舞台とした『ハウス食品工業脅迫事件』における名神高速道路『大津パーキングエリア』内である。

旧国鉄『高槻駅』から『京都駅』間で目撃された『キツネ目の男』は、身長百七十八センチ前後、眉が薄く、吊り上がった目をした男として記憶されている。元大阪府警特殊犯の証言によれば、その男は量販店で手に入るようなものではない、目立つ色柄の背広を着ており、無表情のまま現金持参人を鋭く見つめていたという。体格はスポーツマンのように引き締まり、対峙した刑事に一人では不安を覚えさせるほどの威圧感を放っていた。

また、同じ証言群からは、この男が尾行の有無を確認するような点検行動を取っていたこともうかがえる。すなわち、単に現場に現れた不審人物ではなく、自ら目立つ服装と挙動を選びつつ、警察の動きを測る役割を担っていた可能性がある。

さらに、『ハウス食品工業脅迫事件』の『大津パーキングエリア』で目撃された男についても、元滋賀県警捜査一課員は、トイレに入って姿を消した直後に反転するなど、尾行確認に慣れた動きをしていたと証言している。そこには、場当たり的ではない、習熟した行動の痕跡がある。

以上を踏まえるなら、『キツネ目の男』は、あえて人目を引く外見をまといながら、警察の関与を探り、必要な確認行動を冷静にこなす役割を担った人物だった可能性が高い。少なくとも、『キツネ目の男』が、大阪府警・滋賀県警の刑事たちに強い威圧感を与え、その行動を「訓練されたもの」と判断させた、きわめて異質な人物であったことは疑いにくい。

役割分担された犯人像と『哀愁の結合体』

世論操作やプロパガンダに長け、懐かしい時代と風景を想起させる脅迫状(挑戦状)を書いた男――『昭和53年テープの男』と同一人物である可能性も指摘される――と、刑事たちでさえその体格や雰囲気に威圧感を覚え、尾行点検など対警察的な「訓練」を受けた人物と評された『キツネ目の男』。まず、この二つの像は区別して考える必要があるだろう。

この二人は、それぞれ異なる技能を持ち、異なる役割を担っていた可能性が高い。そして、その背後には、特異な訓練、あるいは継続的な学習の痕跡が見える。もちろん、それは制度的な訓練に限られない。自ら必要に応じて身につけた知識や技術であった可能性もある。

では、グループの疑似家族のような結束の源は何だったのか。血縁、地縁、出身、属性、経験、体験であろうか。ここで想起されるのが、元『柳川組』二代目組長であり、在日朝鮮人の『谷川康太郎』の言葉として伝えられる、『ヤクザは哀愁の結合体。そこにあるのは、権力、圧力、貧困におびえる姿だけ。』という一節である。

『グリコ・森永事件』の犯人達もまた、社会の周縁に置かれた者たちが、権力や圧力、貧困や疎外への感覚を共有しながら結びついた、疑似家族的かつ運命共同体的な『哀愁の結合体』であった可能性がある。

そして、『グリコ・森永事件』の犯人達には、なお別の大きな特徴がある。当時のアナログ警察無線の傍受、非常に巧みな自動車運転技術、青酸化合物や散弾銃の所持、格闘戦における戦闘力、『江崎家』の住民票を入手するような細やかな作戦立案能力である。加えて、世論操作を意識した可能性もあるが、その文面や行動の端々には、ときおり奇妙なやさしさすらのぞく。

無線を扱う者たち

その特徴の一つとして注目すべきなのが、無線に関する知識と運用能力である。1991年7月9日付『中日新聞』は、警視庁が『不二家』脅迫の直前に交わされたとみられる短波無線の録音を公開し、アマチュア無線愛好家らに情報提供を求めたと報じている。

記事によれば、録音は1984年12月4日午後2時20分頃から約10分間にわたり、関西弁の男が交信している内容を記録したもので、本人は自らを『玉三郎』、交信相手を『21面相』と呼んでいた。録音された交信には、『Rの6』や『ひと、ふた、ひと、ろく』といった無線・通信に関わる専門的な符号めいた表現も含まれており、警視庁は、犯人グループが無線に詳しかった可能性を強めたという。

交信内容を見ると、そこには単なる雑談ではなく、移動先の選定、航空券の手配、警戒の程度、撤収判断といった、きわめて実務的な連絡が含まれている。たとえば、『Rの6へ行った際は日帰りで戻ってくるように』、『フジヤの方ではカネ払わんと言うとんのけ。だったらフジヤはあきらめた方がいいわな』、『やっぱり、おー聞かれとるなー』といった文言からは、相手との連絡だけでなく、交信傍受の危険まで意識した警戒心がうかがえる。

もしこの録音が実際に犯人グループによるものであったなら、『グリコ・森永事件』の犯人達のなかには、少なくとも無線運用や通信秘匿に関する一定の知識を備えた者がいたことになる。脅迫状の文体、現場での点検行動、そして無線による交信。これらを並べてみるなら、犯人グループは単なる怨恨犯や粗雑な恐喝集団ではなかったとみるべきである。

結語――『滋賀県』から海外へ

『グリコ・森永事件』の犯人達は、素人集団ではない。何らかの共同体、あるいは組織に属し、一定の訓練を受けた者達だった可能性が高い。

では、彼らの目的は何だったのか。一般には、『金』『株価操作』『グリコに対する私怨』『江崎家に対する私怨』など、さまざまな説が流布している。だが、どの説も、そう見える部分はありながら、決定的にはそう見えない。

彼らが本気で現金受取を試みたのは、『滋賀県』内を舞台とした『ハウス食品工業脅迫事件』だけではなかったか。裏取引によって確実に金を奪うつもりであったなら、なぜ、あれほど迂遠で危険な方法を選んだのか。株価操作によって利益を得るにしても、そこには別種の痕跡が残るはずである。さらに、『グリコ』や『江崎家』に対する強い私怨が中心であったなら、不謹慎を承知でいえば、江崎社長個人に対して、より直接的で激烈な加害を選ぶことも可能だったはずである。

『甲子』の年、1984年に始まった『グリコ・森永事件』。そこに、いったい何を読み取るべきなのか。

『革命』『農民の反乱』『徳を備えた人』『黄巾族』。これらの語の連なりからは、微かな左翼的気配、あるいは体制への反感を思想化したような匂いが漂う。

もう一度、彼らの脅迫状(挑戦状)を見てみよう。

森永ゆるしたろ スーパーもデパートも森永せい品うったれや ぜんでらこもっておまえすこしはこん生でけたやろ おまえも勝久もこれにこりてあこぎな商売したらあかんで

あほなCMやってスーパーでうってもスーパーあてにならへん だかしやたいせつにせなあかん あほなCMで女こどもだましたらあかん かい人21面相

長期間にわたる準備、その準備に要した費用、犯行の実行に伴う費用と危険を考えれば、誰もがこの事件を金銭奪取目的の事件だと思うだろう。だが、犯人達は、実際には本気で現金受取を考えていなかった可能性もある。

『裏取引はない』『株価操作による利益も確認されない』とすれば、彼ら彼女らは何を得たのか。自分達の思想や価値観を企業に押しつけ、企業や警察、世間を振り回すこと、それ自体が目的だったのだろうか。

そして、彼らはどこへ消えたのか。『哀愁の結合体』であったかもしれない彼(女)らの脅迫状(挑戦状)には、次のような文言がある。

日本はむしあつうなってきたひとしごとしたら ヨオロッパえいくつもりやチュウリヒロンドンパリ のどこかにおる かい人21面相

(1984年6月25日 マスコミ4社への挑戦状)

前稿でも触れたが、犯人の可能性がある四人組――男性三名、女性一名――は、『滋賀県大津市』内のマンションから、1984年11月14日の『ハウス食品工業脅迫事件』直前に転出していたとされる。

そして最後に、『甲子』の年、1984年に起きたもう一つの出来事を記しておきたい。在日朝鮮人帰国運動の最後の帰国船となった第187次帰国船の出発は、1984年7月であった。犯人達がその直前、1984年6月25日の挑戦状で『ヨオロッパ』を口にしていたことは、偶然の一致として片づけるには、なお意味深である。

『滋賀県』から始まったかもしれない一連の線は、最後にふたたび『滋賀県』へ戻り、そして、そこから海外へ伸びていた可能性がある。

本稿で見てきたのは、あくまで断片にすぎない。だが、その断片をつなぐとき、『グリコ・森永事件』は、国内の企業脅迫事件という枠だけでは収まりきらない、もう一つの輪郭を見せ始めるのである。

だが、その断片をつなぐとき、『グリコ・森永事件』は、国内の企業脅迫事件という枠を超え、戦前・戦中・戦後の日本史のなかで語られずに残された領域へと通じる事件として、別の貌を見せ始めるのである。


読売新聞1992年3月17日付
読売新聞1993年3月17日付
中日新聞1991年7月9日付
朝日新聞1993年12月21日付


◆グリコ・森永事件考察シリーズの原点(2021年の記事)

◆未解決事件シリーズ


Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste Roquentinは、Albert Camusの『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartreの『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場する主人公の名を組み合わせたペンネームです。メディア業界での豊富な経験を基盤に、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルチャーなど多岐にわたる分野を横断的に分析しています。特に、未解決事件や各種事件の考察・分析に注力し、国内外の時事問題や社会動向を独立した視点から批判的かつ客観的に考察しています。情報の精査と検証を重視し、多様な人脈と経験を活かして幅広い情報源をもとに独自の調査・分析を行っています。また、小さな法人を経営しながら、社会的な問題解決を目的とするNPO法人の活動にも関与し、調査・研究・情報発信を通じて公共的な課題に取り組んでいます。本メディア『Clairvoyant Report』では、経験・専門性・権威性・信頼性(E-E-A-T)を重視し、確かな情報と独自の視点で社会の本質を深く掘り下げることを目的としています。

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