「美貌の女サギ師」:戦後の混乱期に現れた詐欺師と「性的資本」の罠

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「性的資本(エロティック・キャピタル)」とは、性的魅力を社会的に活用して利益を得る力のことを指す。この概念は洋の東西や時代を問わず、日常的に見られる光景の一つである。

この「性的資本」を悪用し、金銭を奪い、時には社会的名誉や命さえも奪う者がいる。奪う側と奪われる側の性別が無関係である点も見逃せない。

本記事では、戦後の混乱期に発生したとされる「女性詐欺師」の事件を紹介する。

事件の発端:容姿端麗な女性を求む

秘書募集、年齢二一才ヨリ三十才マデ、容姿端麗ナ方

Y産業株式會社(Yはイニシャル)勤務地 丸ノ内ビルヂング

終戦から数年後のある日――日本を代表するオフィスビル「丸ノ内ビルヂング」(1923年竣工、現在の「丸の内ビルディング」)に入居する工業関係のY産業株式会社が、M役員の秘書募集広告を新聞に掲載した。

すると、翌日の面接日には、多くの「容姿端麗」の女性が秘書の職を求め集まったといわれ、「容姿端麗」な女性を一目見ようと、面接室の前には若い社員や課長級以上の古参社員が詰めかけた。面接会場は、真剣な求職者たちの緊張感と、彼女たちを見ようとする社員たちの好奇心が交錯する、独特の空気に包まれていたという。

その中でも、ひときわ男性たちの視線を引き付ける女性がいた。控室の隅に座るその女性Yは、空を思わせる鮮やかな青色の上下の服を身にまとい、静かに視線を落として文庫本を読んでいたという。

面接の結果は、彼女の服のように、澄み渡る空のごとく明白だった。彼女の翌日からの出社が即座に決まった。一方、秘書を求めていた役員Mの機嫌は上々だった。社内や業界団体内で筋金入りの女性好きとして知られるM役員は、これまで採用した秘書が長続きしないことで有名だった。しかし、今回採用したYの容姿が社長秘書を遥かに凌ぐ美しさだったことで、満足げな様子を隠そうとはしなかった。そして、Mは珍しく翌朝10時に出社した。それは、採用したYに対する期待と関心を隠さない、わかりやすい行動だった。

それぞれの思惑:二人だけの歓迎会

Mが役員室に入ると、テーブルは丁寧に拭かれ、灰皿の中の吸い殻もきれいに片付けられていた。Mは役員室内を見渡しながら席に着いた。そのとき、Yが朝の挨拶をしながら静かに室内に入ってきた。

Yが着ていた羊毛の上着が、Mの目を引いた。Yの姿と仕草は、Mだけでなく室内全体を爽やかな空気で包み込むようだった。その後、Mは午前中の事務的な打ち合わせを終え、Yを伴って京橋の小さな料亭へ食事に向かう。社外に出る際、社員たちの羨ましそうな視線が背中に注がれるのを感じ、Mが密かに満足感を味わったことは想像に難くない。その視線が、自分の秘書として隣にいるYに向けられていることを確信しながら、得意げな気持ちを抑えきれなかった。

料亭に到着すると、YはMの隣に腰を下ろした。YはMにお酌をしながら、顔をほんのり赤らめていた。酒の席という特別な空気が、出会ったばかりの二人、そして今日から始まった上司と部下の関係を急速に近づけたのだろう。Mは、ふとYの太ももに手を置いたが、Yがそれを拒む素振りは見せなかった。

二人だけの歓迎会は、Mにさらなる行動を起こすきっかけを与えたようだった。その場の流れの中で、Mは翌日の土曜日からの出張を理由に、静岡県伊東市内の温泉へ行こうとYを誘った。Yは、その誘いを断ることなく静かに頷いた。

誘惑と罠:温泉での一夜

翌日の土曜日の午後、二人は出張を名目に伊東市内へ向かい、そのまま旅館に入った。夕食の席では酒が進み、和やかな雰囲気が漂っていた。Mは前日以上に好意を示したが、Yはその好意を拒むことなく、静かに受け入れているようだった。

「容姿端麗」なYの姿は、紅潮した顔とわずかに火照った身体が印象的だった。その姿を目にしたMの支配欲は徐々に満たされていった。そして、その支配欲は次第に歓喜へと変わり、満足げな表情を浮かべながらMは眠りについたとされる。

翌朝、Mは自然と目を覚まし、手元の葉巻に火を点けた。葉巻から立ち上る煙と香りの中で、昨夜の出来事を反芻しながら布団に目をやる。そこにYの姿はなかったが、温泉にでも行ったのだろうと考え、葉巻をさらに深く燻らせた。

30分、1時間……MはYの帰りを待ったが、Yは一向に部屋に戻ってこなかった。不安を感じたMは、念のため旅館の従業員を呼び、Yの行方を尋ねた。すると、「お連れ様は、早朝に東京の本社へ書類を提出すると言って出発されました」という、Mの想像を超えた返答が返ってきた。

Mは驚き、咄嗟に自分の財布の中身を確認した。そこには、前夜まで入っていた現金15万円と小切手帳の姿がなかった。「やられた!」。Mは失った現金、小切手帳、そして優越感と支配欲を取り戻すべきか、それともこのまま静かに事を収めるべきかで逡巡した。しかし、公にすれば自分の行動が非難の的になるのは明らかだった。悔しさを胸に飲み込んだMは、葉巻の煙に紛れるように深く息をついた。旅館の一室には、静寂とともにMの虚しい表情だけが残った。

事件の結末:消えた願望

それからしばらくして、MはYの正体を知ることとなる。ある新聞に「美貌の女サギ師捕らわる」の見出しとともに、Yに関する記事が掲載されていたのだ。YはM以外にも複数の会社の重役たちから現金や小切手を窃取等していた。その手口は、Mに対して行われたものと同じだった。

Mは深い落胆に襲われた。その原因は、常習的な詐欺師に騙されたことへの屈辱だろうか。それとも、相手を見抜けなかった自分の未熟さに対する自己嫌悪だろうか。いや、もしかしたら、自分は特別な存在だと一瞬でも信じ込んだことへの羞恥心だったのかもしれない。

そして、もう一人の主人公であるYはその後どうなったのだろうか。時代は戦後の復興期を経て、高度経済成長の時代へと突入する。しかし、Yが武器としてきた「性的資本」は、年齢とともに目減りしていく運命にあっただろう。Yのその後について調べてみたが、「Yの行方は、誰も知らない」という結末に行き着いた。

MとYの間で起きたこの事件は、記録の隙間に消えた幻なのかもしれない。あるいは、Mが抱いた一瞬の優越感と支配欲が作り出した虚像だったのか――。真実がどこにあるのかは、今となっては誰にもわからない。


★参考資料
風俗新聞1948年11月号


◆関連記事:都市伝説・消えるパートナー

◆戦後の事件


Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

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