世田谷一家殺害事件

警視庁管内の平成三大未解決事件の一つといわれる世田谷一家殺害事件。

事件発生から2022年までに述べ29万人の捜査員を投入したといわれている。

世田谷一家殺害事件は、90年代、00年代を生きた人々や社会に、オウム真理教の一連の事件や酒鬼薔薇事件などの凶悪事件と同様の強烈な印象を与え、その後の社会のあり方や人々の意識を大きく変化させと言っても過言ではないだろう。

世田谷一家殺害事件 考察

世田谷一家殺害事件について考察していこう。

本気記事内のリンクカードは、本事件に関する各項目の考察詳細を記した記事である。各項目の詳細については、リンクカードから各記事をご覧下さい。

各記事には、世田谷一家殺害事件の犯人の属性、犯人像、侵入経路、犯人の移動手段、犯行までの経緯や犯人の目的、被害者A氏及び家族との関係、なぜ犯人は逮捕されないのか、犯人を逮捕するために必要な手段はなにか、などの考察、検証を記した。

事件概要

世田谷一家殺害事件は、2000年12月30日深夜から翌31日未明にかけて東京都世田谷区上祖師谷三丁目で発生した一家4人が自宅で殺された未解決の殺人事件であり、警視庁等は「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件」と呼んでいる。

事件の被害者は、44歳の父親A氏、A氏の妻41歳、8歳の長女、6歳の長男である。何者かに殺害された4人の遺体が発見されたのは、2000年12月31日10時40分頃。被害者A氏の自宅に隣接する母親の実母によって発見された。

殺害時の状況は、最初に長男D君が絞殺され、次に被害者A氏が刺殺、さらにA氏の妻B氏、長女Cさんの順に殺害されたといわれることが多いが、絞殺されたD君の布団とか犯人Xの血痕が見つかっていたとの報道(『長男の布団に犯人の血液世田谷一家殺害15年』読売新聞 2015年12月29日付)があるため、殺害状況の再検討も必要だと思われる。

世田谷一家殺害事件は、犯人が現場に多くの個人を特定可能な遺留品を残したにもかかわらず、未解決のままである。犯人は犯行時に右手を負傷し、A型の血液型と男性であることが判明している。喫煙者や薬物常用者ではなく、犯行後には時間現場に留まり、パソコンを使用したり冷凍庫のアイスクリームを食べたりするなどの特異な行動が報告されている。

現場に残された犯人Xの血痕等から採取されたDNA分析から、犯人Xの父系はアジア系、母系は地中海系(欧州系)である可能性が示されている。また、遺留品の洋服、ヒップバック等から事件当時のXの身長は約170cmで、やせ型と推定され、事件当時の年齢は15歳から30歳とされている。警視庁は「アジア系含む日本国外の人」または「混血の日本人」である可能性を含めて現在まで捜査を進めている。

この事件は、犯人の特定に至っていないにもかかわらず、犯行の残忍さや犯人の特異な行動、多くの遺留品が残されたにもかかわらず未解決であることから注目されている。毎年年末になると、警視庁による情報公開(記者クラブへのレクチャー含む)が行われ、マスコミが話題に取り上げることが多い事件である。

被害者A氏宅の周辺の住民の多くは、隣接する都立公園の拡張に伴い他所へ転居していた。

また、家屋の所有権は保存されたままだが、親族複数名で所有していたA氏の土地も2000年3月に東京都に所有権が移転している。 ただし、A氏宅に接続するA氏妻の母親と姉家族は既に転居先を決めていたといわれ、A氏家族も世田谷区立祖師谷小学校の付近に転居先を探していたといわれる。

以下の報道は事件翌日2000年12月31日のNHKの報道である。――事件発生当時――多くの国民が事件の早期解決を漠然とながら感じていたのではないだろうか。あれから20年以上の歳月が流れた。20年は長い年月だ。せめて一刻でも早い事件の全面解決を望む。

子ども2人含む一家4人殺害 物色の跡あり強盗事件として捜査 東京・世田谷
きょう東京・世田谷区にある住宅で、小学生と保育園児の子ども二人を含む一家四人が刃物で刺されて殺害されているのが見つかりました。室内には物色したような跡があり、警視庁は四人が昨夜からきょう未明にかけて住宅に侵入した何者かに殺害されたとみて、強盗殺人事件として捜査しています。きょう午前十一時前、世田谷区上祖師谷(カミソシガヤ)にある会社員の宮沢みきお(ミヤザワミキオ)さん(四十四)の住宅で、宮沢さんと妻の泰子(ヤスコ)さん(四十一)、それに長女で小学校二年生のにいなちゃん(八)と長男で保育園児の礼(レイ)ちゃん(六)の四人が死亡しているのが見つかりました。警視庁で調べたところ、四人はいずれも首などを刃物で刺されるなどして死亡していて、二階の台所に血の付いた包丁が二本残されていました。また、二階の部屋のタンスが開けられて書類が散乱するなど、室内を物色したような跡があることから、警視庁は強盗殺人事件として捜査しています。これまでの調べによりますと、四人のうち宮沢さんは、ふだん着でしたが、三人は寝間着とみられるジャージ姿で倒れていて、きのう午後六時ごろ、妻の泰子さんが隣に住んでいる泰子さんの母親と電話で話をしたということです。こうしたことから、警視庁は四人は昨夜からきょう未明にかけて住宅に侵入した何者かに殺害されたとみて、不審な人物が目撃されていないか聞き込み捜査を進めています。

2000.12.31 NHK

考察に際して

世田谷一家殺害事件の考察に際し、同事件の情報をA・警察公表の情報、B・メディア報道、C・ネット情報の三種類に分類することから始めた。勿論、情報の確度はA・警察公表の情報、B・メディア報道、C・ネット情報の順とする。

また、同事件の背景、動機、犯人像等を考察する書籍、各種報道、ネット情報等を精査したところ、「背景、動機」は主に1・「怨恨説」、2・「不特定を狙った犯罪説」の2つの説があることがわかる。

さらに、「背景・動機」の上記2つの説にも個人的な「怨恨」、単独犯による「不特定を狙った犯罪説」と複数の人物が関与する組織的な「怨恨」、複数犯による「不特定を狙った犯罪説」に分かれる。

1・怨恨・物盗り2・不特定を狙った犯罪説
①個人的な怨恨・物盗り②不特定を狙った犯罪説
③組織的な怨恨・物盗り④複数犯による不特定を狙った犯罪説
図1・犯人Xの動機と背景(単独犯、複数犯)の分類

犯人XのA氏宅侵入経路にも2つの説がある。それは、3・「玄関からの訪問を含む侵入」と4・「中二階の風呂場の窓から文字通りの侵入」の2つである。

3・玄関からの訪問を含む侵入4・中二階の風呂場の窓からの侵入
①知人等顔見知りの訪問②知人等顔見知りの侵入
③知人等顔見知りの侵入、流しの侵入盗④流しの侵入盗
図2・犯人XのA氏宅侵入経路の分類

2つの図表からわかるとおり、「背景・動機」と「侵入経路」には様々な組み合わせが考えらえる(例:「(図1)1-①と(図2)4-②」、「(図1)2-②と(図1)2-③」等)。

本記事筆者は、「(図1)1-①と(図2)3-①」A氏に個人的な恨みを持つ犯人Xが玄関から「訪問」したと推察する。その理由は、以下のとおりである。

A・実行犯は一人(サポート役はいない)
B・実行犯が犯行後もA氏宅に残る(サポート役はいない)
C・中二階風呂場の窓に衣類の繊維痕がない
D・A氏宅2階リビングの椅子に上着等が掛けられている
E・殺害時に手袋を外している
F・遺留品に侵入のための道具がない(常習的侵入盗ではない)
G・A氏宅にあった現金20万円や貴重品は盗まれていない

侵入経路の考察に意味は無い

侵入経路の考察は犯人Xと被害者A氏家族の関係性の有無を推測するための重要部分であるが、知人関係だとしてもXが窓から侵入する可能性もあり、流しの犯罪だとしても玄関から侵入する可能性もある。

そう、侵入経路は犯人Xと被害者A氏家族の関係性の有無を推測するには不完全な前提である。

重要な事は犯人Xと被害者A氏家族の関係性の有無である。そして、犯人Xと被害者A氏家族の関係性の有無を判断する有力な報道がある。以下は主な報道の見出しである。

1・『スリッパに犯人DNA型 事件前、被害者と接触か 世田谷一家殺害11年』産経新聞 2011年12月29日付

2・『忘れない:「未解決」を歩く東京・世田谷一家殺害特殊染料、謎の接点』2009年12月27日毎日新聞

上記の報道は、犯人Xが事前に被害者A氏宅を訪れていた可能性を示唆する記事である。これらの記事は複数の報道機関が、2つの方向(スリッパに犯人のDNAが検出され、車庫から犯人Xに関連する染料が発見された)から犯人Xと被害者A氏及び家族の事前関係性を示している。

犯人Xが事前に被害者A氏宅を訪問していたのなら、Xと被害者A氏及び家族に関係性があったと推察できる。

つまり、侵入経路の考察に意味は無い。

各種犯人像の分類

書籍、各種報道、ネット情報等には、さまざまな犯人像の推理・推測がある。それらの推理・推測で指摘される犯人像は、主に生得性の人種と所属先(軍、犯罪集団、所属団体)にわけられる。

生得性に関する推理・推測所属(先)に関する推理・推測
韓国系、北朝鮮系の男性
中国系の男性
フィリピン系の男性
日系人(日本人と欧州系の混血)男性
日・中混成等の犯罪集団
元軍人
某宗教団体関係者
A氏妻の塾の関係者
犯人Xに関する主な分類

その他、以下の推理・推察も確認できる。図表は、犯人像と疑問点をまとめたものである。

犯人説疑問点
地上げ屋説2000年3月、A氏と親族複数名で所有していた土地は東京都に所有権が移転している。家屋も取壊し予定だったと推認される。そもそも、同人が犯行に関与しているなら前述分類の(図1)1-③(組織的)な犯行となるため可能性は低いと判断。
フィリピン人説犯人XのDNA情報から、母系は地中海、アドリア海沿岸(現在のボスニア、クロアチア等)にルーツを持ち、父系はアジア系。メスティーソ等は、カトリック(スペイン人)白人男性と現地女性の混血が多いため母系がアドリア海沿岸ルーツに疑問が残る。
アオキノブオ著名なジャーナリストS氏により否定されたといわれる。また、調査会社口座への振り込みから身元が割れる可能性が高い。(アオキノブオが自分等の口座を使い振込すれば口座の名義、連絡先がわかる。また現金振込の場合でも連絡先電話番号等が振込に利用した銀行に残る)。そもそも、同人が犯行に関与しているなら前述分類の(図1)1-③(組織的)な犯行となるため可能性は低いと判断。
焼肉店のアルバイトH警察はHの氏名を告げ聞き込みを行っているためHの氏名を把握している。氏名がわかれば実家等の連絡先を把握している可能性が高いと判断される。実家等がわかれば親族等にDNAの提供依頼は可能である。つまり、犯人XとH親族のDNAの比較は可能である。
日光駅の男性同男性に関する他の目撃情報、他の情報(同男性と駅員の会話等)がない。
犯人像と疑問点

なお、被害者A氏宅近所の自殺少年説、動物虐待事件犯人説に関しては裏が取れない情報に分類(動物虐待事件については、「世田谷一家殺害事件」発生後、大田区内で発生した動物虐待の犯人が逮捕されたが、世田谷一家殺害事件とは無関係との報道が複数散見される)。

「スケーター説」は可能性のある仮説(ただし単独犯)とし判断を留保した。

世田谷一家殺害事件の検証の結論(私説) 

本記事筆者の結論は次のとおりだ。

世田谷一家殺害事件の犯人は、日系移民の子孫である。事件当時、犯人は被害者A氏家族に土地鑑のある『奥沢駅』から東、東南方面の東京城南地域で生活していた。

世田谷一家殺害事件の犯人の親族は、被害者A氏及び家族の知人だった。事件当時の犯人はその親族が所有する城南地域の集合住宅に居住などしていた。

動画『未解決事件 仮説!世田谷一家殺害事件』Clairvoyant reportチャンネル

事件発生(2000年12月30日)から20年以上が経過するがこの事件は必ず解決すると思われる。

20年以上の歳月が流れ新たな目撃情報なども減少すると思われるなか、捜査を進展され犯人を逮捕するのに最も有効な武器は、DNA捜査である。

世田谷一家殺害事件の概要の私説のまとめ

これまでの検証からの「世田谷一家殺害事件」の事件概要に関する仮説・私説を以下に記す。

これまでの検証からの「世田谷一家殺害事件」の概要の仮説・私説のまとめ

事件当日の2000(平成12)年12月30日(土曜日)

親族を通じて以前から被害者A氏及びその家族と知り合い関係にあった当時15歳から20代の日系移民の子孫Xは、凶器の「柳刃包丁」を所持し、当時の居所のある東京都城南地域(「奥沢駅」から半径約3キロメートル圏)に所在する親族所有のマンションから外出した。

Xの居所から被害者A氏宅のある「東京都世田谷区上祖師谷3丁目」までは約10キロから13キロ。自転車で小一時間の距離にある。

事件前まで被害者A氏及び家族は犯人Xに悪感情は持っていなかっただろう。犯人Xに殺意の感情が芽生えていたとは想像もしなかっただろう。

被害者A氏はXの訪問を許し玄関から招きいれた。リビングに案内されたXは、上着、マフラー、手袋を外す。パジャマ姿の被害者A氏の妻も顔を出したかもしれない。被害者A氏とXは少し話をしただろう。
 
この話こそX訪問の目的または口実となる会話だろう。
 
その話の流れもあり、被害者A氏は席を立ち1階の仕事スペースに向かう。被害者A氏が仕事スペースに降りた後、Xはこれまでの間に芽生えた被害者A氏またはその家族に対する殺意を伴う強い悪感情を「突然」爆発させる。
 
最初に長男を襲ったXは、冷静を装い被害者A氏の仕事スペースに降りる。ここでもリビングでの会話(X訪問の目的などの会話)の続きがあったかもしれないが、2人は2階にリビングに戻ることとなる。階段を上がる途中、振り返った被害者A氏に包丁を隠し持っていたXが、突然、襲い掛かり――戦後犯罪史に残る凶悪事件が発生した。

その「突然の爆発」が世田谷一家殺害事件の始まりであり、その後の凶行は各報道のとおりである。

「突然の爆発」から始まったこの犯罪史に残る凶悪事件の犯人Xは、その爆発と凶行の興奮のなかにいた。犯人Xは犯行後も被害者A氏宅に数時間は留まっただろう。

興奮が静まったのは、日付が変わった2000(平成12)年12月31日の深夜だろう。犯人Xは捜査の手が自分に及ぶことを避けるため、犯行現場及びその周辺に小さな小細工をしただろう。

その小細工と残忍な犯行手口が現在でも捜査を攪乱している。

犯人Xは日常の生活で自転車を使用していたと思われる。日頃から東京都城南地域の付近にある環状八号線を利用していただろう。

そして、世田谷一家殺害事件の当日も環状八号線を利用しただろう。

その後の犯人Xはどうなったのか?犯人Xは犯行時に自身の手に怪我をしたと推測される。過去の報道から警察は事件直後から警視庁管内及び全国の病院などに「手に怪我をした若い男性」の情報を求めているが、犯人Xの逮捕には至っていない。

このことから、犯人Xの手の怪我は予想より軽傷の可能性も考えられる。

そして、日系移民の子孫である犯人Xは、海外に居住する親族の元に戻った可能性が考えられる。
推測される「世田谷一家殺害事件」の概要

※上記はあくまでも筆者個人の見解ですご注意ください。

犯人像

<strong>被害者家族の元生活圏<strong> <strong>奥沢駅<strong>

このことから、事件当時の世田谷一家殺害事件の犯人は学生、浪人生、無職を含む収入の少ない不安定な就労状況だった可能性が推測され、事件当時の世田谷一家殺害事件の犯人が15歳~20代の男性と仮定すると、学生、浪人生、無職を含む収入の少ない不安定な就労状況だった可能性が想定される。

以上のことから推理される事件当時の犯人の住居は、①「世田谷一家殺害事件の犯人の住居が賃貸の場合、親など世帯主と同居の可能性がある」②「親族所有の不動産に親族と同居していた」③「親族所有の不動産に何らかの理由で単身暮らしだった」が考えられるが、その場所は不動産価値の高い城南地域である。このことから当時の犯人の居所の持ち主、賃借人である親族は、不動産などの資産を持ち安定した収入を得ている成功者だと考えられる。

犯人と被害者A氏及び家族との関係

犯人または犯人の親族など関係者は、東急電鉄目黒線『奥沢駅』を中心とした3キロ圏内の場所に所在する集合住宅に関係し、事件当時はその集合住宅で生活などしていたと思われる。

この年齢差(最大29歳、最小15歳)から、犯人と被害者Aは直接的な友人知人の関係を低くする。被害者A氏と犯人は犯人の親族(両親、祖父母、伯父叔父、伯母叔母)を介して知り合った。被害者A氏とその犯人の親族(両親、祖父母、伯父叔父、伯母叔母)は、事件から約10年前の1990年以前からの知り合いなどの可能性が考えられる。

また、被害者A氏は高学歴の人物だ。被害者A氏の妻は以前は化粧品販売の仕事に就き学習塾の経営(親族と共同経営の可能性もある)していた。

これらのことから被害者A氏家族の直接的な知人・友人関係と思われる犯人の親族は、高学歴、(所得、資産、高い地位など保有する)成功者、化粧品販売及び美容関係の会社などの経営者の可能性も考えられる。

犯人のDNA

<strong>犯人が日常的に使っていたと推測される環状八号線<strong>

世田谷一家殺害事件の犯人は「A型の血液」「父方は日本を含む東アジア系、母方は南欧系にそれぞれ多い特徴がある」との分析結果(2005年~2006年頃)とされ、父系はハプログループO2a2b1* (O-M134*)らしい。

日本よりも中国や韓国などの他のアジアの国々のほうが高分布頻度だといわれるハプログループ O2a2b1* (O-M134*) だが、日本では九州から四国、西日本地域で分布頻度が高いといわれる。

独立行政法人国際協力機構(JACA)の資料などによれば、日系移民は※1明治元年(1868年)から同8年頃のハワイ移民686人から始まる。その後、1939年頃にピークに達する。

日本の九州、四国など西日本からの移民の子孫には、父系はハプログループO2a2b1* (O-M134*)、母系南欧系のDNAを持つ者がいるだろう。

詳細過去記事はリンクカードをクリックしてください

事件当時の犯人の居住地域及び移動手段

被害者A氏家族は、1989年頃まで東京都世田谷区の東急電鉄の某駅の近隣に住んでいた。被害者A氏は妻の親族が経営東急電鉄目黒線『奥沢駅』前付近で学習塾を営み、A氏の妻も同学習塾に関係したともいわれている。(詳細過去記事はリンクカードをクリックしてください)

犯人または犯人の親族など関係者は、東急電鉄目黒線『奥沢駅』を中心とした3キロ圏内の場所に所在する集合住宅に関係し、事件当時はその集合住宅で生活などをしていたと思われる。

事件当日の犯人は、ヒップバックに凶器の柳刃包丁を忍ばせ、『奥沢駅』から3キロ圏内に所在する住居(親族の所有などの集合住宅)から視自転車を使い被害者A氏宅に向かったのだろう。それは、片道約1時間の道程である。犯人の当時の生活圏(『奥沢駅』から3キロ圏)から犯人は日常的に環状八号線を利用していたと推認される。そして、事件当日もいつものように環状八号線を使い被害者A氏宅に向かったのだろう。

なお、東京の城南地域にはインターナショナルスクールも多い。犯人はそれらのインターナショナルスクールに関係する人物だとも推測され、事件以前、事件当時及び事件後、海外と日本を行き来する生活をしていた(いる)とも考えられ、事件後は日本から出国した可能性が考えられる。

犯行の経緯や目的

<strong>祖師谷公園犯行現場付近<strong>

犯人は事前に凶器を準備し被害者A宅を訪れているが、訪問の目的や理由が殺人、快楽殺人、強盗、侵入盗だとするならば「侵入するための道具」「抵抗された際の道具」などの準備が足りない。

警察は徹底的に被害者A氏及びその家族、親族などのバックグラウンドを捜査しているだろう。本サイトが指摘する犯人の属性は被害者A氏等の職歴、経歴に直接的な関係のない趣味、嗜好、思想信条などに関係し犯人の要求もそれらに関係する事柄だと推察される

なぜ未解決事件なのか?

犯人Xの所持品と思われる現場遺留品にヒップバック(黒または黒褐色の1.5ミリ~2.5センチ短い髪が入っていた)とマフラーがある。この2つの遺留品がXの「物」だと仮定(※,Xが盗んだ物だとの仮定も成り立つため断定はできない)するならば、ヒップバックの販売時期から推測し、やはり犯人Xは被害者A氏夫婦との年齢差の層が大きい人物となる。

また、事件当時の犯人Xが城南地域に所在する親族所有の不動産に居住していたのなら経済的に恵まれた家庭の子供が通学する中学・高校等に関係していたことも想定され、城南地域から通学圏の都内または神奈川県地域のインターナショナルスクール(犯人が日系人子孫の帰国子女だと仮定すると英語など日本語以外の言語も日常的に使いこなす人物の可能性が推測される)に関係すると推察される。

事件後、日系人の子孫の犯人Xは、既に出国している可能性が高い。Xは米国籍の可能性もある。

また、犯人が未成年者を含む比較的若い人物だとするならば、出国を手助けした者もいる(いた)かもしれない。 そして、異常で残虐な事件の犯人に自立と自律が困難なほどの精神疾患があるならば、現在も犯人の生活を支援している者(親族や政治思想、信条などの価値観を共有するグループなど)がいる可能性も考えられるだろう。

世田谷一家殺害事件の遺留品の一つ「エアテックジャケット」(販売先:ユニクロ、通販等可能)は、2000年10月の発売だといわれる。当然だがXが同商品を購入したのは、2000年10月から事件のあった2000年12月30日までとなる。

ここで着眼したいのは、エアテックジャケットのポケットに微量と思しき神奈川県三浦半島由来の砂が入っていたという報道だろう。Xは2000年10月から事件のあった2000年12月30日までの間に神奈川県三浦半島に居たのだろう(Xは東京城南地域に居住と推察されるため、同地域での居住の可能性は無いと思われる。Xは何らかの理由で同地域に立ち寄ったと推察できる)。

また、遺留品のうちラグランシャツ、クラッシャーハット、ボア付き手袋、エアテックジャケットの4点から黒色ハンカチ、靴(スラセンジャー)の6点は神奈川県厚木市内で同時期に購入することが出来たと思われる。なお、靴は中古品と仮定する。

これらのことから、Xは事件前の2000年10月から12月の間、神奈川県厚木市及び三浦半島に立ち寄ったと思われ、Xの居所(東京都の城南地域)からの移動手段は、親族等が所有し運転する車だと推察できる。X達は東名高速道路、第三京浜道路を使ったのだろう。

Xの親族等の周囲の者はXの凶行に感づいていると思われるが、彼(女)等は沈黙している。

犯人Xが逮捕されない理由は、上記2点だと推察される。

事件は必ず進展する

DNAは究極の人物特定情報だ。また、DNAは親子関係など血縁関係も明らかにできる。警察はこのDNAの特性の一つである「血縁関係の情報」により、未解決事件の解決の端緒をつかもうとしている。だが、 当然、DNA情報の悪用の懸念もある。

DNAを利用する捜査とプライバシー保護の議論。冤罪証明のためのDNAアクセス権及び適切なDNA証拠の保存・保管義務の法制化の議論。未解決事件の解決のため最新の技術を活用する議論。この二つの問題を比較考量しながらの深い議論。

犯人は事件後に日本から出国した可能性が考えられるが、犯人が日系人の子孫と推測するならば犯人の親族(血族)は日本にいるだろう。

DNAの捜査利用の議論を深めれば、世田谷一家殺害事件は急展開するだろう。

なぜなら、犯人は自身のDNA情報を遺しているのだから。


★引用文献
子ども2人含む一家4人殺害 物色の跡あり強盗事件として捜査 東京・世田谷 2000年12月31日付 NHK


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Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

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