室蘭市女子高生失踪事件(千田麻未さん行方不明事件)

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室蘭市女子高生失踪事件(千田麻未さん行方不明事件)概要

2001年3月6日(火曜日)――暦の上では既に春であり、関東地方ではお花見の予定を立て始める時期でもある。

しかし、その日、北海道の地方都市である室蘭市は依然ほぼ終日、肌寒い氷点下の気温であり日差しも乏しかった。日陰には所々雪も残っている。それでも世間は着実に「春」に向かって時を進めており、その日は公立高校の入学試験のため休校日であった。

道内有数の進学校である、道立室蘭栄高校の一年生である千田麻未さん(ちだ あさみさん・以下麻未さん・当時16歳)はその日の午前11時頃、電話でアルバイトの予定を入れた。

それは通常のシフトの予定ではなく、「コーヒーの淹れ方についての研修」の予定であり、家族にもその旨を告げ、昼過ぎには室蘭市郊外の住宅地である白鳥台の自宅を出た。約束の時間は電話を受けた女性店員によると「午後1時過ぎ」であったという。

麻未さんは道南バスの通学定期券を所持しており、通学や大型スーパー、デパート等の遊び場のある室蘭市中心部への移動にはバスを利用していた。目的地へのバスによる所要時間は40〜50分程度であり、昼過ぎに家を出たというのも「午後1時」を意識した出発時間であるように思われる。

麻未さんが当時(2001年1月から)アルバイトをしていた店はパン屋「L」(仮名)の支店であり、麻未さんの自宅からバスで20分程度の場所にある「白鳥台ショッピングセンターHack」内にテナントとして入居していた。これまで麻未さんは、帰宅時間が遅くならないよう週に一度、日曜日の日中のシフトに入っていたが、収入を増やしたいと考えたのであろう。

学校帰りに通いやすい繁華街にある「L」本店での勤務を希望したという。本店には飲食スペースが設けられ、客には「L」のオーナーであるO氏こだわりの自家焙煎コーヒーが提供されており、麻未さんが本店でのアルバイトを許可されるための条件が「コーヒーの淹れ方についての研修を受けること」であったらしい。

しかし、約束の時間であるはずの午後1時頃(カメラ内部の時計で午後1時4分と26分)、麻未さんの姿は室蘭栄高校付近にある室蘭市東町の大型スーパー「室蘭サティ」(現・イオン室蘭店)の化粧品売り場にある防犯カメラに捉えられていた。

「室蘭サティ」方面のバスは、研修の行われる「L」本店へ向かうには乗り換えが必要な上(麻未さんの住む白鳥台から「L」本店付近まで一本で行けるバス路線も存在した)、遠回りになる経路のバスであり、約束の時間である午後1時には間に合わない事がほぼ確実なものとなるにも関わらず、麻未さんがこの寄り道を選んだ理由について、明確な答えは見つかっていない。

当時の防犯カメラ映像は画質が粗く顔貌での判別は不可能であったため、体格や服装から家族が確認したものであり、カメラ内部の時計も恐らくは現在ほど信頼の置けるものではないが、午後1時半頃には「室蘭サティ」北側の歩道のバス停付近で、車道越しに挨拶を交わしたという同級生からの目撃情報による裏付けもあり、この時間帯に麻未さんが「室蘭サティ」に居た事は間違いないものとみなされている。

そして、この同級生二人の証言は2023年4月現在、麻美さんの確実な最終目撃情報となっている。

(最終目撃地点付近のgoogleストリートビュー。今も麻未さんの情報を求めるポスターが掲示されている。麻未さんは午後1時35分前後、この「東町2丁目バス停」から市内循環バスに乗り込み、「L」本店最寄りの「東通りバス停」へ向かった可能性が高い。

麻未さんはP H S(携帯電話の一種)を所持しており、その通話記録が調べられている。その時間と通話内容は、午後1時42分「今、下(地元住民の間で、「L」本店周辺一帯を意味するという)に着いた」「これからバイト先に向かう」。同46分「今は話せないから後でかけ直す」であり、どちらも身の危険が迫っているような雰囲気では無かったが、1時46分の通話の際は背後から音がせず、静かな所に居るようだったと通話相手は話している。

最後の通話相手は当初「友人」である女性とされたが、後に「交際相手」と自称する(麻未さんの家族、友人達は彼女に交際相手が居る事を把握していない者が大半であったという)男子学生である事が判明している。また、麻未さんは午後から親友と会う約束があったとされているが、実際にはこの男子学生との約束であったようである。しかし、彼が夕方4時頃に麻未さんのP H Sにかけて連絡を取ろうとした際には、既に通話が出来ない状態になっていたという。

P H Sの電波を受信したアンテナの所在地は「L」本店の最寄りである「東通りバス停」付近であった。このバス停は「L」まで徒歩30秒程度、直線約20メートルの距離であり、遮蔽物もなく視線が通る。しかし、その時間帯に当該バス停で乗客を降ろしたバスの運転手や乗客、通行人、「L」本店の従業員らからは、店の前の通りが1時間に600台の交通量がある道道107号室蘭環状線であり、周囲はデパートや銀行等が立ち並ぶ繁華街であるにも関わらず、麻未さんの目撃証言や、何らかの言い争い、暴力沙汰といったトラブルの目撃証言はあがっておらず、午後1時40分頃「東通りバス停」でバスを降りた乗客12人の中に、通学定期を使用して降りた乗客が一人だけ居たという状況証拠があるのみである。

(「L」本店が当時入店していたビルと「東通りバス停」のgoogleストリートビュー。バス停の位置は2001年当時より10メートル程度ビルに近づいているようだ)

それでも、麻未さんと通話相手との関係の真偽、通話内容及び、バスに乗っていたか否かはともかく、P H S電波の受信記録が容易には揺るがし難いこともまた事実であり、麻未さんが午後1時42〜45分頃、「東通りバス停」付近に居た事はほぼ確実であると考えられている。

即ち、麻未さんはバス停付近から歩いて30秒程度の「L」本店まで辿り着くことが出来なかった可能性が高いということになる(実際にはアンテナのカバーエリア半径100m〜500mの範囲で誤差が発生する可能性がある)。

その後、麻未さんが姿を見せる事が無かった事は勿論、家族や知人に対して何らかの消息がもたらされる事はなく、室蘭警察署は3月17日までに捜査対策室を設置、公開捜査に踏み切った。

麻未さんは進学校である室蘭栄高校においても成績優秀であり、無断欠席、外泊等の非行も無く、明るく素直な人柄や美しい容姿も手伝って周囲からの人望が厚かった。家庭や友人関係でのトラブルも見当たらず、着替えの衣類やまとまったお金が家から持ち出される等、家出を思わせるような形跡も見つからなかった事から、連れ去りである可能性が高いものと考えられた。

そして、繁華街の中で事を荒立てる事無く、しかも研修の為にアルバイト先の店を訪れる途中であった麻未さんを説き伏せて穏便に車内や室内等に誘導することが可能な人物として浮上したのが、「L」のオーナーであるO氏であった。

O氏は当日午後1時には「L」本店におり、午後1時過ぎの研修の件も把握していたが、午後1時半頃にはそれ以上待つことも、麻未さんの自宅やP H Sに電話をかけて事情や所在を確認するような事も無く店を出てしまった。研修以外の用事も入っていた事をO氏は10年後、T V局によるインタビューで明かしているが、用事の中身については「忘れてしまった」と述べている。

O氏は経営者であり、接客や製造は店員に任せていたようで、この時間に帰宅してしまうのは特に珍しいことでは無かったという。彼が個人経営店舗のワンマンオーナーである事を考慮すると「自分の都合で店を移りたいと我儘を言った癖に、自分で言い出した時間も守らない様な、いい加減な人間に、こちらから連絡してやる義理はない」と、その時は腹に据えかねた所もあったのかもしれないが、麻未さんの失踪から日数が経過する毎にその立場は悪化の一途を辿っていく。

まず、上述の様に麻未さんを自然に連れ去り得る既知で唯一の人物であることが明らかになった上、当日「L」本店を出てから15時までのアリバイがはっきりせず、15時以降も「体調を崩したので、自宅で母親の前でコタツで眠っていた」という弱いアリバイしか用意する事が出来なかった。

O氏は同じ10年後のインタビューで、麻未さん失踪翌日の3月7日朝には室蘭署員の訪問を受け、任意で事情聴取及び自宅の捜索を受けている事を明らかにしているが、言ってしまえば3月6日午後1時30分から捜査員の訪問があった翌日7日の朝までの行動が不明瞭であるということにもなり、母親の目を欺く、あるいは共犯に引き込む事が出来れば、何らかの犯罪行為を実行し、痕跡を消すのには十分な時間が(共犯とすると人手も)ある。

また、「L」本店の入居するビルはO氏が取締役を務める有限会社Oが所有しており、二階と三階にあった空き部屋をO氏が自由に使用出来た可能性が高い事も彼への疑惑を深める一因となっている。

加えて、新聞記者をして「聞くに堪えないデマや無責任な噂話」、捜査関係者をして「市民の情報提供にしても麻未さん失踪とO氏を結びつけた話ばかりで、証拠もないのに、ここまで犯人扱いされるのは気の毒なほどだ」と言わしめるほどの悪評を喧伝され、それらは現在に至るまで払拭出来ているとは言えない。

「O氏の自宅から遺体が発見された」「O氏が自殺した」「O氏がすでに死亡している」という明らかなデマもあったが、悪評としてよく知られているのはO氏の女性に対する態度についての噂である。

「30代半ばを過ぎてもまだ独身で得体が知れない」「たまにスカートを履いて出勤すると、舐め回す様に見てくる」「自分の店の30代既婚女性と不倫している」「最近胸が大きくなったね、といやらしく言われた」「目が大きくて髪の長い細身の女性(麻未さんも該当する)を贔屓にする」――と、いった内容が麻未さん失踪から約1ヶ月の時点で著名な週刊誌によって全国規模で流布されており、これらの発言が事実であったとしても、そうでなかったとしても効果的な反論は非常に困難であっただろう。

麻未さん失踪から10年を経た後のT V局による取材に対しても、地域住民のO氏に対する評価は厳しく、「全財産を手放して自己破産した」「麻未さんに対する好意を隠そうともしていなかったと聞いている」「店で働いている女子学生をジーッと見つめて気持ち悪がられていたらしい」等、明らかに伝聞や噂に過ぎない事柄を、まるで確定事項であるかのようにレポーターに語っている。(少なくとも、有限会社Oが破産及びO氏自身が自己破産に至ったという事実は公的な記録から確認することができない)

O氏は麻未さんの失踪後一年程経った頃、パン屋「L」の全ての店鋪を閉店し、同じ室蘭市内(パン屋「L」本店のあったビルからバスで40分程度の室蘭市高砂町)に「L」(仮名)というパン屋と同名の飲食店を開業、(2010年のT V局による取材時には既に開業済。店先には「グルメコーヒー」のP O Pが見える)長らく営業を続けていたが、(S N Sには2020年10月20日で二十四周年である旨の投稿があり、恐らくパン屋「L」時代と合算した年数である)コロナ禍を乗り越えたと思われた矢先の2023年2月10日を以て閉店した。

既に麻未さんの失踪から二十回を超える春が訪れたが、依然として有力な目撃情報は寄せられておらず、未だ遺留品はおろか髪の毛の一本さえ発見されていない。 毎年、麻未さんが姿を消した時期が近づくと、室蘭署はその日彼女が居た室蘭サティ(現・イオン室蘭店)や、目的地であった「L」本店跡最寄りの東通りバス停付近でチラシを配布し、麻未さん失踪についての情報提供を呼びかけており、2023年3月6日にも「決して諦めない」とT V局の取材に対し答えている。

手がかりとその検討

以下の章では、千田麻未さんとO氏の情報を整理しながら、室蘭市女子高生失踪事件(千田麻未さん行方不明事件)の手がかりとその検討について述べていこう。

千田麻未さんについて

家庭環境

麻未さんの父親はエネルギー系企業N 社の社員であり、自宅のある白鳥台の団地は会社の社宅であった。

会社の意向によるものかは不明であるが、家族のメディア露出は確認できず、自宅に訪れたマスコミに対し母親がインターホン越しに「警察にお任せしている」と対応する映像が残るのみである。転勤族では無いようで、麻未さんは遅くとも中学生の頃から室蘭市に居住し、失踪から10年後にも家族は同じ団地に居住し麻未さんの帰りを待っていた。

正統派美少女

彼女の美貌は中学時代から評判であり、「ファンクラブ」が存在したという。(恐らく麻未さんに憧れる、特に接点のない男子生徒が彼女を愛でる、または声かけをする大義名分を得る為に、同時多発的にファンを自称し、時に徒党を組むような集団であり、実質「追っかけ」に近いものであろう)。

朝日新聞2001年4月13日の記事では、「かわいい子は皆ヤンキーになってしまうのに、「(当時は女子高生のファッションが「不良」から「ギャル」へと移行する過渡期であり、ここで言うヤンキーとは所謂不良の事ではなく、単純に茶髪、金髪の事を指していると思われる)彼女は黒髪で正統派の貴重な存在だった」という知人の発言が掲載されている。

実際の麻未さんは両耳にピアスの穴を開けており、意識して「正統派」スタイルを採用していた訳では無いようである。アルバイトとの兼ね合いで、染めたくても染められなかったというだけの話であるかもしれない。時代的に、アルバイトであって接客ではなくとも、染髪はあまり歓迎されない傾向がまだ存在した。

また、明るく元気、かつ几帳面な性格でもあったといわれ、失踪当日、自分で時間を指定しておきながら、それに間に合うように行動していない点は、この事件の大きな謎の一つとして数えられることが多い。「研修」のスケジュールを知りうる人物により、失踪に至る道のりの何処かで寄り道へ誘導され、そこで待ち構えていた誘拐犯の思惑通りに連れ去られたのではないかというものである。

しかし、彼女が白鳥台の自宅を出た時点(昼過ぎ・恐らく12時過ぎ)で、午後1時に「L」本店に到着できるかどうかは既に微妙である。移動手段は路線バスであり道程は10キロメートルを超える為、10分程度の遅れは見込んでおかなくてはならない。

本当に几帳面な人間であれば、一本前のバスを選び、目的地に早く着いてしまった場合に初めて暇潰しを考えるという行動パターンになりそうである。「L」本店周辺は繁華街でありデパートやペットショップ等も存在し、時間を潰せる施設には不自由しなかったであろう。勿論、この事を以て彼女がいい加減な人間であったと言うつもりはなく、「午後1時過ぎ」に対する学生と社会人(あるいは労働者と使用者)間での解釈の違いが発生していたのではないかという事なのである。

午前11時頃「L」本店に予約を入れた時、ランチタイムの迫る飲食店の忙しい空気を電話越しに読み取った麻未さんは「午後1時過ぎ」という時間を指定したものの「遅い時間の方がお客は少なく、研修で皆の邪魔をせずに済むのではないか」と考える。そして、午後1時台後半の時間に着くよう室蘭サティへの寄り道で到着時間を調整する。

しかし、オーナーO氏ら「L」本店の面々は「午後1時過ぎ」と言ったからには相手を午後1時から待たせている。従って大幅に午後1時を過ぎることがあってはならないと考える。そして、午後1時30分には怒って席を立ってしまう。

とはいえ、麻未さんはアルバイトとして社会に出て2ヶ月程度の16歳であり、社会との価値観のすり合わせはまだこれからである。アルバイトを増やす為新しい仕事を覚えようとしていた事も含め、自分の頭で考えて行動するタイプであり、周囲の顔色を見て過剰に迎合し、ストレスを溜めるような性格では無さそうである。

少なくとも、約束を反故にしてナンパ等で遊びに誘い出されてしまうような人物であるようには思われない。

学業、進路

学業面では、進学校在籍かつ成績優秀ではあるものの、本人の志望は「看護師」であり、必ずしも大学進学を希望してはいなかったようである。

その理由は身内(弟あるいは祖母)が要介護者であるところから来ていると言う噂もあるが定かではない。その事で、大学進学を勧める両親との間に諍いがあったともいわれるが、これもまた噂の範疇を出るものではない。

進路については遅かれ早かれ決断を迫られる事になるのであろうが、失踪時点では学業成績とアルバイトを両立しており、家庭内不和が家出したくなる程に蔓延していたとは考えにくい。

対人関係

対人関係については、高校入学後、女子からの嫉妬が酷くて馴染めない、高校はつまらないと言う愚痴を麻未さんから聞いたと言う中学同級生からの発言が週刊誌で取り上げられている。

これも真偽不明ではあるが、入学したての時期は、環境の変化に起因して不安や不満が表出しがちであり、それでも無断欠席やプチ家出といった行動は確認されておらず、バイト先を変えようという積極的な行動を起こしている所からは、多少ならずストレスがあったとしても、自力で解消、発散できるレベルのものに留まっていた事が伺える。

アルバイト先でも「明るく、接客態度も良かった」と、「L」白鳥台支店の店長I氏からの発言が残っている。

交際相手

交際相手の男子学生については、本人が取材等で発言した言葉というものが全く見つからず、年齢(情報の秘匿度から考えて、未成年である可能性が高い)、在籍する学校、その人となりや失踪当日、その後の動きについても全くの詳細不明であるが、当日麻未さんが身に付けていた銀色の指輪が彼からの贈り物であったとすると、交際開始から少なくとも数ヶ月は経過していたものと思われる。

顔は出さずとも、一時的にとはいえ警察から疑われる可能性を承知で、交際相手であることを明かしている姿勢からは真摯なものを感じるのだが、どうであろうか。O氏があまりにも疑わしかったせいもあるのだろうが、彼への嫌疑や悪評は噂レベルでも出ていないようである。

また、未成年と思しき学生である以上、車両の運転や確保が困難であろう事、年齢、経済力による行動制限がかかる事を考えると、麻未さんの家出や失踪に関与することは難しいのではないかと思われる。

O氏について

「L」以前の経歴

O氏は歯科医の父親を持ち、本人も当初歯科医を志したものの挫折し、飲食の道に進んだとされる事が多い。この話の根拠は、室蘭市知利別町にはかつて「O歯科医院」が存在し、その廃業後、跡地の建物にO氏が取締役を務める「有限会社O」が2001年時点で入居していたという状況証拠によるものであるらしい。

しかし、「有限会社O」の法人登記によると、設立は1983年、当初から飲食業であったようで、1989年11月、O氏が23歳前後で取締役に就任している。

同年の7月には、O氏の親族(恐らく母親)が自宅の土地(「O歯科医院」の土地ではない)を相続によって取得しており、その頃O氏の父親が死去し、取締役の地位をO氏に、自宅の土地をO氏の母親に引き継いだ可能性が高い。

また、「O歯科医院」は1989年を過ぎて1993年になっても知利別町の同じ建物に入居したままであり、院長死去後、跡継ぎがなく看板だけが残されていたという線もゼロではないが、依然診療を継続していたものと考えるべきで、歯科医院のO氏とパン屋「L」オーナーのO氏が親戚関係にある可能性は高いものの、オーナーO氏の家業は元々飲食業であり、O氏の手腕から見ても、O氏も父親の下か、自分の興味のあるジャンルの飲食店で若い頃から修行を積み、父親の死を契機に開業、店舗経営に乗り出したと考えるのが自然なのではないだろうか。

「L」オーナーとして

冒頭の【事件概要】で述べたとおり散々な悪名を負わされたO氏であるが、客観的に見て経営者として致命的な落ち度があるかと言われれば、そんな事は無いように思う。

2001年は不景気の時期であり、両親から受け継いだ土地や財産、恐らくはノウハウもあったとは言え、薄利多売で知られるパンの小売店+飲食スペース付き小売店の2店舗を、オーナーとして自分の指図が無くても営業できるよう育て上げた手腕は平凡なものではない。

失踪事件後、悪評を流布されてパン屋が閉店に追い込まれた後も、再起して飲食店経営を再び軌道に乗せた所からも、その才覚のほどが窺えよう。

異性に対する態度にしても、不倫は流石に別として(これも噂の域を出ないのではあるが)、実際にセクハラ的な言動を行なっていたとしても、週刊誌で描写された程度の言動であれば、所謂昭和の気風が未だ残っていた平成前期としては決して珍しいものではなかった様に思われる。個人がワンマン経営する店舗であれば尚更の事である。

O氏本人は、事件から10年後にT V局からの取材を受けた際、インタビューに応じて「母親の目の前で寝ていたというアリバイを(家族の証言だからと)警察は信じてくれなかった」「自分には麻未さんを拉致してもどうこうするという目的が無い。そんなに女に困っていたわけではないし、女好きではないし、変態でもないし」「麻未さんは生きているとしか思いたくない」と答えている。尤も、この発言から分かる事は、本当に当日のアリバイを用意出来なかったのだなという事、即ち仮にO氏が麻未さんの失踪に関与していたとしても、計画性は全く無かったのであろうという事位なのではあるが――。

警察の動向

警察によってO氏の身辺がどれほど捜査されたのかという点については諸説がある。失踪翌日から三日間、任意で自宅や店舗、車両の捜索、事情聴取を受け(あくまで任意であり、逮捕や勾留はされておらず、拘束時間もせいぜい一日3時間程度である)、行動が一定期間、24時間体制で監視されていたというのはO氏の10年後インタビューによる発言からも事実であるようだ。

しかし、「O氏が「L」本店を畳んで去り、その跡地のビルが取り壊された後、警察が重機を入れて基礎から掘り起こした」という、有名ライターによる記名記事として雑誌に掲載された話はどうやら虚偽のようである。

元々抵当権が設定されていた、有限会社O所有になる、「L」本店が入居するビルとその土地、及び、やはり抵当権が設定されていた、O氏の(恐らく)母親所有となる、O氏自宅とその土地が差し押さえられ、失踪事件の翌年である2002年、競売にかけられたのは登記情報から事実であるが、有限会社Oは2023年4月現在も存続しており、O氏が自己破産した形跡も無く、ビルは取り壊されず2023年4月現在も不動産管理会社によって運営されている。

O氏が母親と住んでいた自宅においては、競売による所有権移転後、家屋が取り壊され、整地されて駐車場になったのは事実であり、O氏自宅解体の件を知り、もしかして何かが出るのではないかと捜査員が駆けつけ、付近で見守っていた(しかし、何も発見できなかった)というのが真相に近いのでは無いだろうか。

また、「元刑事の探偵」のブログや、北海道内で活動する探偵社の運営によるブログ記事によって発信されたという(2023年4月現在は閉鎖または記事削除)、「L本店の入居するビルの空き室を捜査員が調べている際に小包が届き、開封してみると女子高生監禁モノのA Vばかりであった」という話や、「L本店のビルの空き室について、警察が当初捜査を失念していた」という話もデマである可能性が高い。

まず前者は、O氏が逮捕勾留された事実が存在しない以上、小包を開封する権限も警察には無い筈だからである。

また、後者は2001年3月6日午後1時46分以降、店の近くで麻未さんに遭遇したO氏が件の空き部屋に彼女を言葉巧みに誘導し一時監禁していたが、警察が怠慢により捜査をしなかった為に、後日証拠が隠滅されてしまったのだという趣旨の話なのであるが、これも、翌日から三日間に渡って任意とは言え店舗の捜索が行われ、O氏の事情聴取もされている以上、ビルの住人やテナントにも全室に(と言っても部屋数は1階の店舗部分を入れても全部で七室に過ぎない)捜査員が訪れている可能性が高く、そのうち二室が見逃される可能性は非常に低いものと言わざるを得ないからである。

また、この二つの話には「足利事件」「江東マンション神隠し事件」を彷彿とさせる所があり、これらの実話から着想して創作したのではないかという疑いが拭えない。

ストーカー

失踪事件から10年後、T V局から受けたインタビュー内では、あたかも新事実であるかの如く報じられていた「麻未さんが、主に自宅付近で何者かによるストーカー被害に悩まされており、相談を受けていた」とO氏が語った件であるが、実はこの話は、週刊新潮2001年4月12号において既出であった。

このO氏の発言に対し、「L」白鳥台支店の店長(恐らくI氏)は、「直属の上司である自分は、麻未さんからそんな話を聞いたことがない」と雑誌記者にコメントしている。

確かに、店舗の視察に短時間訪れるだけのオーナーと、仕事上で相談する機会も多いと思われる店長のどちらに、個人的な悩みを相談しやすいかと言えば店長であろう。

尤も、麻未さんは1月から週一のアルバイトを始めたばかりであり、10日にも満たない勤務日数では、業務を共にする同年代のアルバイト店員ならまだしも、オーナーどころか店長とさえ、仕事以外の相談が出来るほどの仲になるのは困難と思われる。

O氏が自分への嫌疑を逸らしたい一心で、前年の2000年に制定された「ストーカー規制法」を念頭に置き、恐らく採用面接時等に耳にした、「最近P H Sにいたずら電話がかかってくるので知らない番号からの電話には出ない」「危険なので夜間の勤務は避けたい」等の麻未さんの発言から考え出したものと見て良いのではないだろうか。

少なくとも、相談相手としてO氏よりも優先されるであろう家族から事情を聞いたはずの警察からの情報には、ストーカーやつきまとい行為についての言及は確認できない。

真相考察

この事件が推理小説であれば、O氏のようにあまりにも怪し過ぎる人物は、最終的に犯人にするとしても、一捻りして奥行きを付けなくては読んでいて面白い展開にはならない。

また、これは現実世界の事件である為、事件の捜査段階で必要な情報が収集できなかった可能性が常につきまとい、重要な登場人物を舞台に登場させる機会が、永遠に失われてしまう事態も起こり得る。

しかし、2001年当時において、この失踪事件の解決に向けて必要であった情報はただ一つ、午後1時42分〜45分のわずかな間に「L」本店前で麻未さんが会い、会話した人物を特定できる目撃情報のみであったように思われる。そして、その人物は麻未さんを駐車場に駐車した車の中など、繁華街の喧騒から数分で遮断できるプライベートな場所に、ほんの一言二言で誘導する事が可能な立場にある人物以外には考えにくい。

「L」本店が入居するビルの一階には駐車場が併設されており、「L」オーナー所有の車両や社用の車両を駐車するスペースも確保されていたものと思われる。駐車場は大きな通りには面しておらず半ば室内であり、人目を避ける事が可能である。麻未さんは恐らくその車内で待つように言われ、容易く誘導された。約束の時間に遅れたとは思ってもいない彼女は、多少訝しんだかもしれないが、店内が混み合っている等「コーヒーの淹れ方研修」の準備がまだ整っていないのであろうと解釈し、素直に従った。

P H Sでいつでも外部と連絡が取れるという安心感もあったのかもしれないが、彼女は年長者からの敵意を察知し、上手く立ち回るには恐らく若過ぎた。その時交際相手からかかってきた電話への対応が平静であったのはその為であろう。

程なくして車に乗り込んできたその人物は、遅刻の件、給料を貰って働く事についての心構え等について麻未さんを叱責し始めた。当初は正当な理由に基づく「指導」であったのかもしれないが、麻未さんの反応は期待した通りのものではなく、彼は思わず激昂、密室での口論はやがて取り返しのつかない事態へと収束するに至った――。

O氏の当該時間帯のアリバイについての釈明は、用事があった(忘れてしまった)、具合が悪くて自宅のコタツで眠っていた等の要領を得ないものである。しかし、下手に用事の中身や場所等を明かしてしまえば裏を取られ、矛盾点を突かれる等して追い詰められる原因ともなり得る。彼の証言は当人が意図的にそうしたにせよ、そうでないにせよ、実質黙秘に等しいものとして機能し、事件は実質的に迷宮入りしてしまった。

麻未さんの失踪から年数が経ち、どうやら目撃情報が出ないと分かるまで、彼の生活は心の休まる暇がなかったに違いない。事件から10年後、彼がインタビューに応じたのはもしかすると一種の勝利宣言であったのかもしれない。

事件から20年以上経ち、仮に「L」本店付近での麻未さんの目撃情報が出たとしても、既に犯人を特定できるほどの証拠が残っている可能性は低く、もはや自首以外の解決方法を見出す事は難しくなっている。

尤も、この考察が全くの的外れであって、麻未さんが何らかの理由で自発的な失踪を果たし、何処か遠い地で、今も元気で自由な暮らしを謳歌しているのであればそれが最良なのではあるが、伝え聞く彼女の人物像から考えるならばその想像は困難である。とはいえ我々には、もはやその奇跡のような望みに賭けて、祈りを捧げる他に無いのだろう。


◆参考資料
・不明「ニュース映像」2001年放送
・T V朝日系「奇跡の扉 T Vのチカラ」2003年3月1日放送
・T V朝日系「スーパーJチャンネル失踪事件」2011年2月3日放送
・北海道テレビ放送「H T Bニュース」2023年3月6日放送
・「ゼンリン住宅地図 室蘭/室蘭東部版」株式会社ゼンリン
1980年度,1990〜1993年度,2002年度
・「週刊新潮」新潮社2001年4月12日号
・「週刊現代」講談社2001年4月14日号
・「週刊文春」文芸春秋社2001年4月19日号
・「朝日新聞」2001年3月18日、23日、4月5日、13日、25日、5月5日、9月5日、2002年3月5日、2021年10月16日
・「読売新聞」2001年3月18日、4月6日、2002年3月6日、2006年2月27日、2023年3月7日
北海道警察ホームページ


◆独自視点の行方不明・失踪事件(事案)・平成の事件考察シリーズ


Tokume-WriterWebライター

投稿者プロフィール

兼業webライターです。ミニレッキス&ビセイインコと暮らすフルタイム事務員。得意分野は未解決事件、歴史、オカルト等。クラウドワークスID 4559565 DMでもご依頼可能です。

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