北九州「猿田彦」遺体放置事件|1987年蘇生祈とう事件と2006年3遺体発見

北九州猿田彦遺体放置事件|1987年蘇生祈とう事件と2006年3遺体発見アイキャッチ画像

2006年11月30日、北九州モノレール小倉線「平和通駅」から東へ直線距離で約1キロメートル。北九州市小倉北区砂津2丁目のマンション――。

二階にある一室の前で、虫が動いていた。最初に異変を見つけたのは、人間ではなかったのかもしれない。玄関の前に集まる小さなものを見て、管理組合の主婦が110番した。

警察官が来たとき、部屋は閉じていた。玄関も窓も、内側の沈黙を守るように施錠されていた。呼びかけても返事はない。鍵が開けられ、扉の向こうから出てきたのは、生活の匂いではなかった。

台所兼居間の布団に、一人の女性が横たわっていた。死後およそ一カ月。餓死とみられた。別々の部屋の布団の中には、白骨化した男女の遺体があった。荒らされた形跡はない。争いの音も、逃げ出した跡も、そこには見えなかった。

かつて、その部屋からは読経と太鼓の音が聞こえていたという。室内には、「猿田彦」の名に関わるものが残されていた。そして、約19年前、同じ小倉北区の別の部屋でも、その名は死者のそばにあった。

関係者一覧

本事件には複数の関係者がいるため、一覧を以下に示す。

表記年齢人物事件上の位置
M56歳祈とう師1987年の蘇生祈とう事件の中心人物。「猿田彦の神の娘」「大日如来が宿っている」などと称していた。
Y57歳Mの内縁の夫砂津1丁目のマンション一室の関係者。信者が集まる場所とされた部屋に関わる。
T74歳直方市の女性信者死亡後、蘇生を信じて遺体が長く安置された。Oの母。
O65歳Tの娘1987年に母Tの遺体放置に関係して書類送検され、不起訴となった。2006年に三人の遺体が見つかった部屋の所有者とされた。
N65歳山口県下関市側の女性信者腎不全で通院していたが、Mの言葉により通院をやめ、死亡後に小倉へ運ばれた。
A35歳乳児Jの母長男Jを「神の子」としてM側に預けた信者。
乳児J0歳Aの長男1987年1月生まれ。M側に預けられた後、同年2月ごろ死亡し、死亡後も祈とうの対象となった。
D80歳2006年の部屋に同居していたとされる女性2006年の部屋に同居していたとみられ、「神のお告げで動いている」と話していたとされる。

事件概要

本章では、1987年の事件と2006年の事件について、概要を整理する。

1987年、福岡県北九州市小倉北区砂津1丁目に所在するマンションで、蘇生祈とうをめぐる遺体放置事件が発覚した。祈とう師Mの周辺では複数の死者が確認され、直方市の女性信者Tは死亡後も部屋に安置されていた。この部屋は、信者が集まる場所でもあった。

腎不全で通院していた山口県の女性信者Nは、Mの言葉で通院をやめ、その後死亡して小倉へ運ばれた。Aの長男である乳児Jも「神の子」とされ、母Aから離された後に死亡した。

日本語の情報グラフィック。1987年と2006年の出来事を比較する事件の概要を示す年表形式の図解。中心に“母娘”を挟んだ構図。

2006年、福岡県北九州市小倉北区砂津2丁目の別マンション2階の一室から、三人の遺体が見つかった。室内には「猿田彦」に関するものが残り、かつて読経や太鼓の音が聞こえていたという。その部屋の所有者とされたOは、1987年に死亡したTの娘だった。

1987年蘇生祈とう事件|部屋に残された三人の死者

1987年5月――。2006年の事件現場となるマンションから北東へ直線距離で約300メートル、10階建てマンションの2階の一室に、死者が横たわっていた。

福岡県北九州市小倉北区緑が丘の祈とう師Mを中心とする信仰グループは、死者を蘇生させると信じ、遺体に祈とうを続けていた。Mは「猿田彦の神の娘」「大日如来が宿っている」などと称していた。

事件現場となった砂津1丁目のマンションの一室は、内縁の夫Yの関係先であり、信者が集まる場所だった。

死者は三人いた。直方市の女性信者T、山口県下関市の女性信者N、そしてAの長男である乳児Jである。

Tは死亡後、蘇生を信じて長く安置された。Nは腎不全で通院していたが、Mから動いたり薬を飲んだりしてはいけないと言われ、通院をやめていた。その後、Nは死亡し、砂津1丁目のマンションへ運ばれた。

乳児Jは「神の子」としてM側に預けられ、母Aには会わせられず、死亡後も祈とうが続けられた。

信仰により、病人は医療から離れ、乳児は母から離れ、死者は葬送から離れていった。医療、親子関係、死亡届、火葬、葬送へ向かう流れは、祈とう師Mの言葉と信者たちの信仰の内側で止められていた。

 2006年3遺体発見事件|別の部屋に現れたO

2006年に発覚した事件現場の部屋の所有者とされたのが、Oである。Oは、1987年に遺体で見つかったTの娘だった。

Oは、母Tの遺体放置に関係し、死体遺棄容疑などで書類送検され、不起訴になった人物でもある。母の死、遺体の安置、書類送検、不起訴という一連の出来事の中にいたOが、十九年後、三人の遺体が見つかった部屋の所有者として再び現れる。

独自に確認した不動産登記上でも、2006年の現場となった福岡県北九州市小倉北区砂津2丁目のマンション二階の一室は、Oが所有していた部屋と確認できる。その後、Oは死亡者として扱われ、2000年代後半にはOの死亡を前提とした名義変更が行われている。

Oには、母Tが住んでいたとみられる福岡県直方市頓野にも不動産上の足跡がある。1990年代には親族から同所の不動産を相続し、その後、所有権は別の人物へ移っている。

1987年の事件の中心にいたのは祈とう師Mだった。だが、母Tの遺体が残された部屋と、十九年後に三人の遺体が見つかった部屋の間には、Oがいる。

時系列

本記事で扱う二つの事件の時系列を以下に示す。

1985–2006年の2つの事件を時系列で示す表。日付・出来事・関係者が並ぶ。

祈とう師Mと猿田彦

1987年の事件の中心にいた祈とう師Mは、自らを「猿田彦の神の娘」「大日如来が宿っている」などと称していた。

猿田彦は、古事記などでは、ニニギノミコトの天孫降臨に際して道案内をした神とされる。道を示す神であり、死者の蘇生を司る神ではない。したがって、この事件で「猿田彦」の名が死者蘇生の信仰に結びついていることは、Mらによる独自の解釈とみられる。

猿田彦の名は、死者を葬るための祈りではなく、死者が戻ることを待つ祈りの中に置かれた。

十九年後、2006年の部屋にも「猿田彦」に関するものが残されていた。道案内の神の名は、ここでは死者を外へ送る場面ではなく、死者を部屋に縛りつける信仰の中に現れていた。

死者を死者として扱わない信仰

人が亡くなれば、死亡の確認があり、儀式が行われ、家族や社会がその死を受け止める手続きへ進む。ところが、この信仰の中では、死者は終わった存在ではなく、祈とうによって戻ってくる存在として扱われた。死者の身体は、生活空間の中に置き続けられた。

乳児Jの死は、この事件の中で特に重い。Jは「神の子」とされ、M側に預けられた。母Aには会わせられなかった。乳児は、自分で信仰を選ぶことはできない。誰かの言葉によって「神の子」とされ、母から離される。その時点で、親子の関係は断たれ、乳児Jは社会の通常の扱いからも引き離された。

さらに、Jは死亡後も祈とうの対象となった。母は、生きている子に会えなかっただけでなく、死んだ子を死者として受け止める時間からも離された。

1987年の部屋では、死者は死の手続きから遠ざけられ、病人は医療から離れ、乳児は母のもとへ戻らなかった。2006年の部屋でも、三人の遺体は長く室内に残されていた。一人は死後約一カ月、ほか二人は白骨化またはミイラ化していた。

二つの部屋で繰り返されているのは、病人、乳児、死者が外部世界から切り離され、祈りと生活のそばに置かれていたという事実である。

結語|未解明の点と生き続けたかもしれない信仰

2006年の部屋は閉じられていた。玄関も窓も施錠され、荒らされた形跡はなかった。読経や太鼓の音は外に聞こえていたが、部屋の中で三人がどのような時間を過ごしていたのかは、外側からはわからない。

二つの事件の真相には、いまも未解明の点が残る。2006年の部屋で三人がどのように死に至ったのか。Oがその部屋でどの位置にいたのか。1987年の信仰が、十九年後の部屋にどれほど残っていたのか。

信仰は、1987年の摘発で完全に消えたわけではなかったのかもしれない。

死者を蘇生させるという言葉は、Mの部屋を離れた後も、人間関係の中に残り、別の生活空間へ移っていた可能性がある。砂津の二つの部屋は、十九年の時間を隔てて、その問いを残している。

そしてその後も、死者のそばで、その死を認めない言葉が残された事件が起きている。

2023年8月、福岡県北九州市小倉北区南丘2丁目の市営住宅の一室で、白骨化した女性の遺体が見つかった。翌月、同室に住む母Kが、死体遺棄容疑で小倉北警察署に逮捕された。

Kは、遺体について長女、当時46歳であるとしながら、「死体が家にあったことは知らない」「娘は生きている」などと供述したとされる。

死者を死者として受け入れない言葉は、信仰の中だけに現れるとは限らない。家族の中に、集団の中に、閉じた部屋の中に残ることがある。2023年の市営住宅の一室にも、「娘は生きている」という言葉があった。


◆参考資料一覧

  • 中日新聞「祈とうで生き返らなかった 遺体と同居と同じ宗教信者“死後の旅”4日間」1987年5月21日付
  • 朝日新聞「女性祈とう師、信者の子奪い死なす 北九州」1987年5月22日付
  • 中日新聞「今度は乳児の死体 北九州の宗教集団 殺人事件の可能性も」1987年5月22日付
  • 北海道新聞「ミイラ、白骨 男女の3遺体 北九州のマンション」2006年12月2日付
  • 毎日新聞「北九州・3遺体:『蘇生信仰』に関連?」2006年12月2日付
  • 読売新聞「北九州3遺体 87年に母の遺体放置 部屋所有者、蘇生祈とう師に傾倒」2006年12月3日付
  • 読売新聞「死体遺棄容疑で母逮捕 福岡」2023年9月30日付
  • 福岡県北九州市小倉北区砂津1丁目所在建物の登記資料
  • 福岡県北九州市小倉北区砂津2丁目所在建物の登記資料
  • 福岡県直方市頓野所在不動産の登記資料

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Jean-Baptiste Roquentinは、Albert Camusの『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartreの『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場する主人公の名を組み合わせたペンネームです。メディア業界での豊富な経験を基盤に、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルチャーなど多岐にわたる分野を横断的に分析しています。特に、未解決事件や各種事件の考察・分析に注力し、国内外の時事問題や社会動向を独立した視点から批判的かつ客観的に考察しています。情報の精査と検証を重視し、多様な人脈と経験を活かして幅広い情報源をもとに独自の調査・分析を行っています。また、小さな法人を経営しながら、社会的な問題解決を目的とするNPO法人の活動にも関与し、調査・研究・情報発信を通じて公共的な課題に取り組んでいます。本メディア『Clairvoyant Report』では、経験・専門性・権威性・信頼性(E-E-A-T)を重視し、確かな情報と独自の視点で社会の本質を深く掘り下げることを目的としています。

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