グリコ森永事件大阪府警察捜査本部昭和63年10月テレフォンカード

アイキャッチ画像は、キツネ目の男と脅迫(挑戦状に使用された和文タイプライターと「ハウス食品工業恐喝未遂事件(1984年11月14日)」の現場遺留品(犯人が使用した盗難ライトバン内に残されていた「カークリーナー」「サファリハット(モスグリーン地に灰色が混じる男性用Lサイズ)」「カジュアルバック(布製紺色・肩紐つき、ローヤル・インペリアルのロゴ入り)」が描かれた大阪府警察捜査本部のテレフォンカード

グリコ・森永事件

本記事はこれまで検証、考察などしたグリコ・森永事件の「まとめ記事」である。以下は各頁の主な内容。

グリコ・森永事件は本邦の犯罪史と人々の記憶に残る未解決事件の一つである。

怪人21面相を名乗る犯人グループはマスコミを利用しながら警察の捜査を攪乱し――時にあざ笑い――全ての消費者を人質にしながら食品製造会社を約1年6月にわたり脅しつづけた。

2000(平成12)年2月13日、怪人21面相を名乗る犯人グループが関与すると認定される全ての事件の公訴時効が成立した。

時効から約22年の歳月が流れたが――犯人(怪人21面相グループ)はどのようなグループなのか?脅迫電話で使われた子供(男児2名または3名及び女児1名と推認されている)は誰なのか?この子供達のその後の人生は?怪人21面相と裏取引をした企業はあったのか?怪人21面相の犯行目的はなんだったのか?等々――誤解を恐れずに言えば未だに多くの者の「好奇心」を刺激する特異な事件だ。

本サイトは過去の報道などからグリコ・森永事件を考察、検証を行い、犯人グループの行動が滋賀県から始まり滋賀県で終わったこと、大正11(1922)年に創業された江崎グリコ株式会社が怪人21面相の最初の犯行と認定される(昭和59)1984年3月18日(日曜日)21時頃に発生した社長誘拐事件の7-8年前から脅迫を受けていたことなどを記した。

江崎グリコ株式会社は、昭和51(1976年)年頃から黄巾族を名乗る者(達)に脅され、昭和53(1978)年には『昭和53年テープの男』に脅迫されている。

想定される怪人21面相の構成員

1昭和53年テープの男(脅迫状の筆者と同一人物か?)
2キツネ目の男(パンチパーマの男及び江崎グリコ社長宅の襲撃や拉致、淀川河川敷の男女襲撃の実行部隊の3人のうちの一人と同一人物か?)
3江崎グリコ社長宅の襲撃や拉致、淀川河川敷の男女3襲撃の実行部隊の1人(仮称A)
4江崎グリコ社長宅の襲撃や拉致、淀川河川敷の男女3襲撃の実行部隊の1人(仮称B)
5当時40歳前後の女性
6脅迫テープの中学生くらいの女児
7脅迫テープの男児2名~3名
グリコ・森永事件資料<想定される犯人グループの構成員>

黄巾族(賊)は「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子」を掲げ184年の「黄巾の乱」を実行した一団だが、グリコ・森永事件が実行された1984(昭和59)年も「甲子」の年である。

以下は「昭和53年テープの男」と黄巾族(賊)に関する過去の報道である。

51年にも「黄巾賊」など名乗りグリコ脅迫 21面相と同一 警察庁広域指定一一四号「グリコ・森永事件」で、江崎勝久・江崎グリコ社長誘拐事件が起きる八年前の昭和五十一年春「黄巾賊(こうきんぞく)」や「カルロス軍団」と名乗るグループから数回、同社役員宅に現金一億円を要求する脅迫状や脅迫電話があったことが十一日、わかった。大阪、兵庫府県警など合同捜査本部は手口が似ているなどから、このグループが「かい人21面相」と同一グループと断定した。調べでは、脅迫状は五十一年三月ごろ、大阪府豊中市の同社役員宅に届いた。差出人は「黄巾賊」で「われわれは現代の革命家だ。後漢(中国)末期の一八四年、乱世建て直しのため民衆が黄色の頭巾をかぶって立ち上がった『黄巾の乱』のグループにちなんで名付けた」とし、現代の世相を憂えた上で一億円を要求。受け入れない場合は江崎副社長(当時)を誘拐、チョコレートに青酸を混入してばらまくなどと脅迫する内容。その後一カ月余り、同役員宅に数回「黄巾賊」を名乗った男の声で同様の脅迫電話がかかったが、何も起きなかったという。さらに翌四月ごろ、今度は「カルロス軍団」と名乗るグループから同じ役員宅に脅迫状が届いたが、犯人側から接触はなく、事件も公表されなかった。合同捜査本部は1)二グループの脅迫内容がほぼ同じで、五十三年の脅迫テープとも酷似し、江崎社長ら致(五十九年三月)、グリコ本社などの放火(同四月)、青酸菓子ばらまき(同十月)と続いた一一四号事件の流れと一致2)脅迫状が一一四号事件や五十三年テープの時と同じ役員宅に届き、同社の人事、経営状態なども熟知--などの点を重視。犯人グループが五十一年から五十三年にかけ同社を脅迫したが失敗、計画を練り直したうえで六年後、江崎社長誘拐以降の一連の犯行に及んだと判断した。

毎日新聞社1989年9月11日付

グリコ事件 53年の脅迫テープ郵送 “21面相”犯行と断定 グリコ・森永事件の発端となった江崎勝久・江崎グリコ社長誘拐より六年前の五十三年、同社に一億七千五百万円を要求する脅迫テープが送られていたが、捜査当局はその内容などを検討した結果、この脅迫も「かい人21面相」グループによるものと断定した。これにより、テープ犯を割り出すことが「21面相」に直結するとして、声の主の集中捜査をはじめた。 脅迫テープは、五十三年八月一日、大阪府豊中市の藤沢和巳取締役宅に郵送された。調べでは、六十歳前後の男が五十六分間にわたって吹き込み、同社に一億七千五百万円の裏取引を迫っていた。 捜査当局は(1)テープ犯が、当時の大久保武夫社長(現会長)を狙わず、ナンバー2の江崎副社長を標的にしている(2)数多い役員の中から、現金運搬役に二度とも吉村保人取締役を選んでいる--ことから「テープ犯」と「21面相」は同一と結論づけた。テープの声の主は、言葉遣いから大阪・船場地区に育ったとみられ、演説に慣れた様子。身の上話を交えながら、くどい調子でしゃべり、二十二年に復員して、ある団体をつくり、会長をつとめている、と自己紹介してから要求を切り出している。それによると、「面倒を見ている三人の過激派が、グリコから三億円奪おうとしていた。作戦は、会社幹部の誘拐、放火、青酸混入キャラメルのばらまきなどを予定していた。作戦が行われたら大変なことになるので、私がグリコと話をつける、ということで三人を納得させた。三億円はふっかけすぎと思うので、一億七千五百万円に下げた。金を払う方が会社のためだ」という内容。 脅迫テープ事件は、大阪府警が極秘捜査、昨年八月、時効が完成したが、捜査当局は、両事件の共通点の詳細な分析を進めていた。

読売新聞社1986年11月12日

上記の2つの報道(「昭和53年の脅迫テープ」と黄巾族(賊)に関する過去の報道)からもわかるとおり、警察は過去2つのグリコへの脅迫事件がグリコ・森永事件に関係していると考えていたようだ。

3人の過激派の面倒を見ていると語る粘着的かつ完全主義者的で自己顕示欲の強い「くどい調子」のテープの男。1984年3月18日21時頃、兵庫県のグリコ社長に侵入し、社長を拉致したのは3人組の覆面の男たちだ。1984年6月2日の寝屋川河川敷アベック襲撃事件の現場実行犯も3人組の男たちだったのは偶然の一致だろうか――。

この過去の2つの脅迫には、過激派、革命、団体などの言葉並び、ある種の思想性や過激派など左翼思想、革命思想を中心にした集団とその集団を知る団体の代表を名乗る者が登場する。

これらの推察されることは以下のとおりだ。

1・グリコ・森永事件の主犯または集団構成員の全員に左翼的思想との親和性がある。

2・主犯は左翼的思想と親和性が高いマイノリティ集団の一員をほのめかしている。

3・グリコ・森永事件の主犯または集団構成員は捜査を攪乱するため左翼集団、左翼的な価値観を「わざと」全面に押し出しただけである。

未解決事件のため上記1-3の仮説の検証は永遠にできないが、本事件の犯人集団が思想的な集団にしろ、思想的な集団を装った集団にしろ――犯行の手口や行動から推察し――高度な訓練を受けた集団であることに間違いはなさそうだ。

(詳細過去記事はリンクカードをクリックしてください)

『昭和22年に復員した男』

<strong>琵琶湖<strong> <strong>怪人21面相の関係先の可能性<strong>

方言やアクセントから奈良県出身または奈良県在住ともいわれる『昭和53年テープの男』は、「私は昭和22年に復員してからある会をつくりまして、会長を務めておるものでございます」と自己紹介を交えながら、高野山の宿坊で過激派(新左翼)から聞いた3億円恐喝を阻止(仲裁)するとの名目で江崎グリコ株式会社に1億7500万円を要求していた。

昭和53(1978)年は、戦前、戦中、戦後の混乱の残り香の漂う時代。金拝主義と高度経済成長の矛盾のなか、新左翼の過激派、右翼、北朝鮮スパイが暗躍する時代だった。 グリコを脅迫する者はその時代に生きていた。

彼(女)らは、車を盗み、偽造ナンバーを使い、警察無線を傍受しながら武器を集め非合法活動を行っていた。敵対組織などを監視や尾行し、他人の戸籍を入手し、その他人になりすまし、住民票やパスポート、運転免許などの身分証明書を入手する。警察や敵対組織からの尾行、監視などに備え、日常の「点検作業(相手側からの行動確認、監視などの点検)」は手慣れている。そう、これらの特徴はグリコ・森永事件の犯人グループ(怪人21面相)と共通する。

『準備と計画』

怪人21面相を名乗るグループは、事前に江崎グリコ株式会社社長の世帯全員分と思料される住民票を入手し、事前に脅迫文章の作成に使用する日本パンライター社製の小型和文用「パンライターP45型またはM45型」を偽名と思しき氏名(山下と名乗った)と偽と思しき連絡先(都内の電話番号だが詳細は不明)を使用し東京都内で購入し、事件前年の昭和58(1983)年には、警察のアナログ無線の傍受や仲間内での意思疎通に使用した無線機及び江崎社長の肉声を録音する際に使用したカセットテープを東京の秋葉原で購入などした(盗んだ可能性もある)

金と時間をかけ事件を計画、準備していたと思われる怪人21面相グループ。

グリコ・森永事件は、金に困った者達の突発的な犯行だとは想像し難い。

『目撃された怪人21面相』

<strong>大津サービスエリア<strong> <strong>入口<strong>

目撃などされた怪人21面相グループのなかでキツネ目の男やビデオの男(この二人を同一人物とする説もある)は有名だが、事件に関係のある可能性が考えられる40歳前後の女性も目撃されていた。

また昭和59(1984)年11月14日のハウス食品工業脅迫事件の現金受け渡し場所では、ライトバンの男と見張り役と思しき眼鏡を使用した男性が目撃され、その眼鏡の男は盗難自転車に乗っていた。

『甲子の年・昭和59(1984)年』

怪人21面相グループとの関係性が考えられる『昭和53年テープ』は、滋賀県の琵琶湖東岸地域を走る近江鉄道沿線で録音されたといわれている。

犯人グループが姿を見せた最後の事件現場、昭和59(1984)年11月14日ハウス食品工業脅迫の現金受取現場は「滋賀県」内だった。

上記の現金受渡指示の後、犯人達の直接的な行動はなかった。

その後も怪人21面相グループの企業恐喝(脅迫)は続くが、犯人グループによる直接的な動きはない。つまり、怪人21面相グループの直接的な行動は滋賀県から始まり滋賀県で終わったともいえる。

報道によれば、警察は1987(昭和62)年に他界した北朝鮮工作員の非合法活動の黒幕的存在と思しき兵庫県芦屋市在住の貿易会社社長をグリコ・森永事件の重要人物とマークしていたという。また、同社長の周辺には、北朝鮮系の雑誌に寄稿したことのある考古学者がおり、同考古学者も北朝鮮の工作員といわれていたらしいが、1996(平成8)年頃、病死または北朝鮮に帰国したなどといわれている。(参考:「グリコ・森永事件『北』工作員グループの犯行 捜査関係者が確信 産経新聞 1997年7月4日付」)

同社長は、1984(59)年9月頃、金正成(1948年9月9日-1994年7月8日、北朝鮮の初代最高指導者)から北朝鮮国内の「雲山」金鉱山開発のための合弁事業の提案(要請)を受けたといわれる。同社長は、出資者を募り多額の資金を調達したが、同金山開発の計画は暗礁に乗り上げ、資金の出資者からの追求などを避けるため「金塊」を必要としていたとの報道がある(参考:「グリコ・森永事件 金山開発投資は故金日成からの指令 産経新聞 1997年7月4日付」など)

犯罪史――いや現代史に記録される怪人21面相グループによる一連の犯行は「甲子の年」――昭和59(1984)年――から始まった。 そして、昭和59(1984)年にはもう一つの歴史的な出来事があった。在日朝鮮人帰国運動の帰国船の最後の出航は1984年(昭和59年)7月だった。


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Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

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