帝銀事件とは何か|犯行手口と未遂事件から読む「詐欺師の犯罪」

帝銀事件モンタージュ

1948年1月、占領下の東京で前代未聞の毒殺強盗事件が起きた。いわゆる帝銀事件である。GHQの名を持ち出し、防疫消毒を口実に銀行員らを従わせた犯人は、青酸化合物とみられる薬物で12人の命を奪い、現金と小切手を持ち去った。

この事件の異様さは、毒物だけにない。犯人は暴力で押さえ込んだのではなく、名刺、腕章、肩書、言葉づかいによって、相手に自分から従わせた。未遂事件までたどると、その手口は失敗を踏まえて磨かれていったように見える。

帝銀事件とは何か

帝銀事件は、1948年1月に発生した毒殺強盗事件である。しかし、この事件の異様さは被害の大きさだけにない。犯人は名刺、肩書、言葉によって権威を装い、相手に疑う前に従わせた。ここではまず、事件の概要と、それが可能だった戦後占領期の時代背景を確認する。

帝銀事件 事件概要

事件現場は旧帝国銀行椎名町支店である。発生は1948年1月26日月曜日の15時過ぎ頃。被害者は12人、奪われたのは現金16万4410円と小切手1万7450円だった。犯人は厚生省技官医学博士や東京都防疫課を思わせる名刺を用い、近隣で集団赤痢が起きたためGHQの指示で来たと名乗って、銀行内の人々に薬物を飲ませた。

帝銀事件の事件概要

事件現場旧帝国銀行椎名町支店
当時の所在地東京都豊島区長崎町1-33
年月日時1948年(昭和23)1月26日(月曜日)15時過ぎ頃
事件概要詳細不明の青酸化合物を使用した強盗殺人など
被害者数死亡者12名など
被害総額現金164,410円、小切手17,450円
「帝銀事件 検証 詐欺師の犯罪」資料 事件の概要

帝銀事件の略地図の東側にある環状(道)路は、「山手通り」であり、後述する帝銀事件の関連事件の事件現場付近にも「山手通り」が通っている。

戦後日本とGHQの時代背景

1945年8月15日の敗戦後、日本はGHQの占領下に置かれた。焼け跡、闇市、貧困、行政機能の混乱がなお濃く残る時期であり、同時に権威の所在が大きく入れ替わっていた時代でもあった。そうした空気の中で、GHQの名と防疫の口実は、人を従わせる強い力を持った。

帝銀事件は、戦後の混乱のただ中で起きた事件である。逮捕・起訴され死刑が確定したのは平沢貞通だったが、冤罪説、複数犯説、GHQ関与説、旧軍関係説など、多くの異論が長く残り続けている。

「帝銀事件」と呼ばれる複数の事件群

帝銀事件を考えるとき、まず押さえるべきなのは、この事件が「帝国銀行椎名町支店」での強盗殺人一件だけで成り立っているわけではない、という点である。裁判で同一犯と認定されたのは、本件、二つの未遂事件、翌1948(昭和23)年1月27日に「安田銀行板橋支店」で起きた小切手換金事件の計四事件だった。さらに、松本清張や和多田進らによって関係性が指摘される二事件もあり、真偽になお不明な点を残しつつも、帝銀事件を考えるうえでの関連事件として無視できない。

つまり帝銀事件は、まず四事件を中核とし、広く見れば六事件から成る事件群として捉えられる。本稿では、そのうち本件と未遂二件を中心に見る。そこで浮かび上がるのは、暴力で押し切る犯人ではなく、設定と演技によって場を支配する犯人像である。

以下の図表の赤枠は、平沢貞通の犯行と認定された四事件を示している。

平沢貞通の犯行と認定された4つの事件 クリックすると大きな画像になります

犯人はどうやって銀行員を従わせたか

帝銀事件を考えるとき、まず見るべきなのは、一人で多数をどう支配したかである。判決などで同一犯とみなされたのは、本件、二つの未遂事件、翌日の小切手換金事件を含む四つの事件だった。さらに関連を指摘される二つの事件もあるが、本稿では本件と未遂二件を中心に見る。そこで浮かび上がるのは、暴力で押し切る犯人ではなく、設定と演技によって場を支配する犯人像である。

未遂事件① 安田銀行荏原支店

1947年10月14日15時30分頃から約1時間にわたり、安田銀行荏原支店で未遂事件が起きた。これは帝銀事件の約三か月前に起きた最初の事件であり、後に平沢貞通が捜査線上に浮かぶきっかけにもなった。というのも、この事件では実在の厚生技官・松井蔚の名刺が使われていたからである。犯人は「厚生省」と毛筆で書かれた白色腕章も着けていたとされる。

安田銀行荏原支店事件で使われた名刺のイメージ図版

帝銀事件 名刺 イメージ

犯人は、茨城の水害地から避難してきた者を起点に赤痢が広がった、GHQのパーカー中尉とジープで来た、銀行の人も現金も帳簿も全部消毒しなければならない、と語った。さらに、警察官には「都のほうから連絡があって厚生省から来た」「警察が知らないということはないでしょう」と述べている。ここでは、実在の名刺と肩書に合う腕章を使い、厚生省の技官になりきることで相手の判断を鈍らせようとしていた。

しかし、この段階ではほころびがあった。厚生省の技官が単身で来る不自然さがあり、しかも犯人は実在しない赤痢発生地を警察官に伝え、近くにGHQがいないことまで確かめられている。この失敗が示すのは、名刺と腕章だけでは足りないということだ。現場に即した設定と、疑われにくい説明が要った。

帝銀事件「安田銀行荏原支店」の未遂事件の要点

  • 犯人は実在の厚生省技官の名刺を使用した。
  • 厚生省の文字のある腕章を使用した。
  • 東京都から連絡を受けGHQのパーカー中尉と一緒ジープで来た。
  • 警察官が赤痢発生場所住所を探したがその住所自体がない。GHQも付近にいないので怪しまれ未遂に終わった。

未遂事件② 三菱銀行中井支店

次の未遂事件は、1948年1月19日15時05分頃から約30分、三菱銀行中井支店で起きた。ここで犯人の語りは一段引き締まる。「私は都の衛生課からきましたが、この近くの井華鉱業落合寮で七名ほどの集団赤痢が発生した」「進駐軍が車で消毒にきている」「大谷という人が今日この銀行に預金に来たはずだ」「今日は現送はありましたか」といった具合である。

重要なのは、前回からの変化である。犯人はもはや、実在の厚生技官になりきるだけではない。厚生省系ではあっても「東京都の衛生課」に属する人物のように装い、集団赤痢の現場に都の担当者が関わる不自然さを薄めている。しかも、口実に使う寮の責任者名を把握し、「現送」という銀行実務の言葉まで使って、役人らしさを強めていた。前の失敗で露呈した弱点を、現場知識と会話の細部で補ったわけである。

以下は「三菱銀行中井支店」での未遂事件で使用された使われた名刺のイメージ図版

帝銀事件 名刺 イメージ

それでも、このときは偶然居合わせた高田馬場支店長が指示に従うことを拒み、犯行は失敗した。この未遂で見えてくるのは、犯人がすでに「何を名乗るか」より、「どう現実味を持たせるか」に重心を移していたことである。肩書や病名だけでは足りない。本番では、その裏付けがさらに補強される。

「三菱銀行中井支店」での未遂事件では、犯人が腕章を使用したかどうかは不明である。ただ、約4日前に「井華鉱業落合寮」に現れた「区の衛生係員を名乗る人物」と同一犯だとすれば、この時点ではまだ腕章の準備が間に合っていなかった可能性がある。

帝銀事件「三菱銀行中井支店」の未遂事件の要点

  • 犯人は東京都防疫課を名乗った。
  • 犯人は事前に口実に使う社名や人名を確認していた。
  • 現送という業界用語を使い、銀行業務を知る役人を演じた。

未遂から本番へ 手口はどう変わったか

二度の未遂を並べると、犯人が何を改めたかが見えてくる。第一に、所属の名乗り方である。厚生省そのものから、東京都の衛生・防疫系へと軸足が移る。第二に、会話の中身である。銀行実務の言葉、具体的な会社名、人名、現場近くの場所が入り、作り話の粒立ちが細かくなっていく。第三に、相手が疑いそうな点への先回りである。前回露見した「そんなことを警察や役所が知らないはずがない」という弱点を、次回は会話の中に最初から織り込んでいた。

法廷の平沢貞道
法廷の平沢貞通

ここで見えるのは、毒物の扱いだけでは説明しきれない周到さである。犯人は、相手がどこで疑い、どこで従うかを読んでいた。

帝国銀行椎名町支店で何が起きたか

1948年1月26日15時過ぎ、帝国銀行椎名町支店で本件が起きた。前回の未遂から一週間後である。この間隔にも意味があったはずだ。犯人には早急に金が必要だったのかもしれないし、未遂二件の手口が報道され、銀行側に共有される前に実行する必要があったのかもしれない。

事件当日に使われた名刺は犯人が持ち去ったとされ、氏名は不明だが、「東京都」の名が記され、「衛生課」あるいは「防疫課」と読めるものだったとされる。腕章も、都の防疫班を思わせるものに変わっていた。

帝国銀行椎名町支店で使われたとされる二種類の名刺イメージ図版

参考 和多田進著 ドキュメント帝銀事件 毒の告発
参考森川哲郎著秘録帝銀事件

本件で使われたとされる二つの名刺には若干の違いが認められるが、「東京都」の名称が使われている点は共通している。一方は「衛生課」、もう一方は「防疫課」である。また、そのうちの一つは、一週間前の「三菱銀行中井支店」未遂事件で使用された「山口二郎」の架空名刺に似ており、犯人もこれに近い名刺を用いた可能性が高い。

なお、名刺に「加藤某」の名前が記載されていたとする当時の報道も見られるが、のちにそれを誤報とする記事も出ている。また、犯人は犯行時、「白地に赤い印の都の防疫班のマーク入り腕章」を着けており、その腕章には達筆な墨字で「防疫消毒員」と記されていたとされる(参考『ドキュメント帝銀事件 毒の告発』)。

『帝銀事件』犯行の流れ

犯人は、長崎二丁目の相田方周辺で集団赤痢が発生し、警察にも届けられ、GHQの中尉にも報告されたと説明した。患者を診た医師が区役所とGHQに連絡したので、即日実施の命令が出た、ジープで飛んできた、いまジープは相田家にいる、とも語っている。

そして、消毒の前に予防薬を飲んでもらう必要があるとして、薬の飲み方を自ら実演しながら指示し、第一薬のあとに「セコンド」の薬を中和剤として飲むよう説明した。

犯人の会話で着目すべき4点

ここで目を引くのは四点ある。第一に、「SECOND」と書かれた第二薬である。英語表記そのものがGHQとの近さを印象づける。第二に、「四名の集団赤痢が発生し警察のほうへも届けられた」という言い回しである。前の未遂で突かれた弱点を、ここでは自分から潰しに来ている。第三に、「患者を診断した医者が、区役所とGHQに連絡した」という説明である。医師、区役所、GHQを一列に並べることで、話全体に公的な連なりを持たせている。第四に、「いまジープは相田家にいます」という一言である。同日、実際にGHQが相田家を訪れていたという事実と重なるため、この言葉は決定的な説得力を持った。

帝銀事件では、毒殺の場面より、その前段にこそ犯人の技量が表れている。どう飲ませるか。そのためにどんな名刺や腕章が要るか。どの言葉なら通るか。犯人はそこを詰めていた。二度の失敗を経て、小道具、会話、演技を磨き、本番へ至った。

占領期の影や実体の見えにくい権威が、人を信じ込ませる力になるという点では、『M資金詐欺――人々を魅了する都市伝説と権威』にも通じる。帝銀事件がGHQと防疫を使ったのに対し、M資金詐欺は「隠された巨額資金」という物語そのものを信用に変えた。

なお、平沢貞通に帰せられた「芸術のためにやる」といった趣旨の動機の言葉については、捜査側の作文ではないかという疑いも残る。むしろ、この事件の流れから見えるのは、最初から大量殺人を目的とした者というより、まず制圧と奪取を成立させることを優先した者の姿である。その結果として、多数の死者が出た可能性も考えておくべきだろう。

帝銀事件 上記の犯人の会話で着目すべき以下の4点

  • 「セコンド(SECOND)」
  • 「4名の集団赤痢が発生し警察のほうへも届けられた」
  • 「患者を診断した医者が、区役所とGHQに連絡した」
  • 「いまジープは相田家にいます」

単独犯か複数犯か

帝銀事件では、単独犯か複数犯かが今も大きな争点である。主な仮説としては、平沢貞通の単独犯、平沢以外の単独犯、平沢を含む複数犯、平沢以外の複数犯などが挙げられる。さらに、目黒区の歯科医師、千葉県野田市の医師、元731部隊関係者、元特務機関の軍属、1954年茨城県の青酸事件の容疑者など、さまざまな名が取り沙汰されてきた。ここでは断定せず、犯人を仮にAとして見る。

Aが未遂から本番へ向けて手口を修正したとみるなら、焦点は「どこから現場情報を得たか」である。だとすれば、本件では「本当に集団赤痢が起き、実際にGHQや区の担当が動いている場所」の情報が必要になる。その入手経路としては、GHQ・東京都・区役所の関係者から得たのか、それともGHQ関係者を尾行したのか、という二つがまず考えられる。元GHQ関係者とされる証言には、防疫監視人の一員として東京で働いていた人物が犯人だという話もあるが、その真偽は不明である。

さらに気になるのは、犯行現場がいずれも山手通りに近いことである。もし複数犯なら、車で移動し、事前に尾行や見張りをしていた可能性がある。当時の新聞記事には、銀行前に車が止まり、二人の男が見張るように立ち、その後もう一人と合流して去ったという目撃談も載っている。もっとも、この目撃談は確認できる限り一紙にとどまり、証言者も「某君」とされる少年と思しき人物である。慎重に扱うべきだが、単独犯説では収まりきらない余地を残す。

真犯人説や冤罪説をさらに追うなら、『帝銀事件の真犯人像を追う考察』として書いた別記事を参考にできる。この話題は枝葉が多く、本稿の中で広げすぎるより、論点を切り分けた方が読みやすい。

また、青酸を用いた類似事件という観点では、『茨城・徳宿村精米業一家殺害事件』も見逃せない。帝銀事件から約六年後、茨城県徳宿村で一家九人が青酸性劇薬物によって殺害され、家屋が放火された。こちらも真相は解明されないままであり、青酸と計画性をめぐる比較対象として読める。

帝銀事件 犯人に関する主な仮説

  • 平沢貞道の単独犯
  • 平沢貞道以外の者(目黒区の歯科医師、千葉県野田市の医師、元731部隊の将校、元特務機関の軍属、昭和29年、茨城県内で発生した青酸を使った殺人事件の容疑者)などの単独犯
  • 平沢貞道を含む複数犯(平沢は振り込め詐欺の出し子のようなイメージ)
  • 平沢以外の複数の者達の犯行(GHQなどの組織的な謀略も含む)

類似事件との接点

帝銀事件の本質を「権威を利用して人を従わせる犯罪」として見るなら、そこから先には政治権力や著名人の名を利用した詐欺の系譜が見えてくる。名刺、書簡、肩書、紹介者、秘書、家族、こうしたものはそれ自体が金を生まない。だが、それらが「本物らしさ」の演出装置になったとき、人は自分で判断を止めてしまう。

その典型の一つが、『田中角栄の名を騙る女性詐欺師』である。権力者の名、私設秘書という立場、偽造書簡や声帯模写によって信用を作る手つきは、帝銀事件における名刺・腕章・肩書の使い方とよく似ている。帝銀事件では防疫とGHQが、こちらでは政治と人脈が、信用の装置になっている。

結び

帝銀事件では、毒物そのものより前に、信用が使われた。帝銀事件では、毒物より前に信用が使われた。犯人は人を殴って従わせたのではなく、制度、肩書、公的機関への信頼を使って、人々に自分から薬を飲ませた。未遂事件を追うと、そのやり方は偶然ではなく、失敗を踏まえて組み直されたものだったことが浮かぶ。帝銀事件の特異性は、毒と詐術が一つの犯行の中で結びついていた点にある。

だからこそ、これは単なる毒殺事件ではなく、「詐欺師の犯罪」として読み直す意味がある。

先に動画で概要を見る(記事の要点YouTube)

本記事は長文のため、まず全体像を把握したい方は、以下の要約動画をご覧ください。

🎥動画『Clairvoyant report channel』『帝銀事件とは何か|犯行手口と未遂事件から読む「詐欺師の犯罪」』


★参考資料
・書籍
『秘録帝銀事件 森川哲郎 2009年 祥伝社』
『ドキュメント帝銀事件 毒の告発  和多田進 2013年 solaru』
『小説帝銀事件 新装版 松本清張 2009年 角川文庫』
『疑惑α―帝銀事件 不思議な歯医者 佐伯省 1996年』
・映像
『帝銀事件 死刑囚 1964年 日活』
・アイキャッチ画像 パブリック・ドメインFile Teigin case.jpg 作成:1948年 警視庁

・新聞記事
朝日新聞「外にも二人――目撃者の話」昭和23年1月28日付
※本文中で触れた名刺記載名の誤報訂正記事を含む


未解決事件と昭和の事件シリーズ

権威や肩書を利用して相手を従わせた詐欺事件の記事

毒物使用の事件


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投稿者プロフィール

Jean-Baptiste Roquentinは、Albert Camusの『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartreの『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場する主人公の名を組み合わせたペンネームです。メディア業界での豊富な経験を基盤に、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルチャーなど多岐にわたる分野を横断的に分析しています。特に、未解決事件や各種事件の考察・分析に注力し、国内外の時事問題や社会動向を独立した視点から批判的かつ客観的に考察しています。情報の精査と検証を重視し、多様な人脈と経験を活かして幅広い情報源をもとに独自の調査・分析を行っています。また、小さな法人を経営しながら、社会的な問題解決を目的とするNPO法人の活動にも関与し、調査・研究・情報発信を通じて公共的な課題に取り組んでいます。本メディア『Clairvoyant Report』では、経験・専門性・権威性・信頼性(E-E-A-T)を重視し、確かな情報と独自の視点で社会の本質を深く掘り下げることを目的としています。

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