
2011年10月、北九州市の市立医療センターで、生後4日の女児が病室から連れ去られた。
犯人は24歳の女性。「赤ちゃんがほしかった」という動機のもと、女児をバッグに入れて自宅へ運び、約3時間半後に保護された。未成年者略取罪で起訴され、懲役2年の実刑判決が確定している。
生まれたばかりの子どもが、病院などから消える。極めて異常に映る出来事である。
しかし1970年代以降の報道をたどると、新生児や乳児の連れ去りは断続的に発生してきた。件数は多くない。だが例外とも言い難い。
1993年の鳥取事件では、誘拐後に偽造された出生届が受理され、制度の盲点が露呈した。
新生児誘拐とは何か。衝動の犯罪か。それとも、「子を持つ」という社会的承認と、それを記録する制度とのあいだに生じる亀裂の表出なのか。本記事では2011年事件を軸に、主要事例を整理し、この犯罪が繰り返されてきた構造を検証する。
2011年 北九州市新生児連れ去り事件
2011年の北九州市新生児連れ去り事件は、発生から判決までの経過が詳細に記録された事例である。
動機、犯行態様、司法判断が明確であり、現代における新生児誘拐の一つの典型を示している。本章では評価を加えず、まず事実経過を確認する。
事件発生
2011年10月6日午後4時15分ごろ、北九州市小倉北区内に所在する公的医療機関の8階病室で、生後4日の女児(Aちゃん)が連れ去られた。
母親(Bさん・35歳)が数分間トイレに立った隙に、ベッドに寝かされていたAちゃんの姿が消えた。院内では面会者が受付で氏名を記入し名札を受け取る仕組みがとられていたが、当時、病棟への立ち入りを完全に遮断する構造にはなっていなかった。
院内の防犯カメラには、ショルダーバッグを肩に掛けて病院を出る女性の姿が映っていた。Aちゃんは院内では白い肌着姿であったが、保護時には別の衣服を着用していた。
保護と逮捕
同日午後7時35分ごろ、同区内のマンションから「子どもを発見している」との110番通報があった。通報したのは、被疑者と同居していた男性であった。Aちゃんは約3時間半後、無事保護された。怪我はなかった。
翌7日、福岡県警は自称保険外交員の女性C(24歳)を未成年者略取の疑いで逮捕した。
逮捕当初、Cは「病院近くで段ボールに入っている赤ちゃんを見つけた」と供述し、連れ去りを否認していた。しかしその後、「赤ちゃんがほしかった」などと容疑を認める供述に転じた。
報道によれば、Cは4歳の実子と同居しており、内縁関係の男性との間に子どもはいなかったという。
犯行の態様
検察側の冒頭陳述によれば、CはAちゃんを縦27センチ、横50センチ、奥行28センチの手提げバッグに入れて病院を出たとされる。
Cはその後、自宅近くの量販店で粉ミルクや肌着を購入し、保育園に預けていた実子を迎えに行くなど、日常行動を続けていた。Aちゃんは保護時、茶色のTシャツと黒色のパンツを着用していた。
犯行は短時間で実行され、発覚まで約3時間半であった。
覚醒剤使用による再逮捕
2011年10月31日、Cは覚醒剤取締法違反(使用)の疑いで再逮捕された。尿検査で陽性反応が確認されたと報じられている。
もっとも、報道によれば、Cは新生児連れ去りについては一貫して認める供述をしており、捜査当局は覚醒剤使用と本件連れ去りとの直接的関連性は低いとみていた。
その後の裁判においても、本件の動機は「赤ちゃんがほしかった」という供述を基礎に認定されている。
起訴と判決
Cは未成年者略取罪で起訴された。2011年12月5日、福岡地裁小倉支部で開かれた初公判で、Cは起訴内容を認めた。
検察側は「他人の子どもでもよいから自分の子どもにしたいと考えた」と動機を指摘した。
2012年1月30日、福岡地裁小倉支部はCに懲役2年(求刑3年)の実刑判決を言い渡した。判決では、両親に多大な精神的苦痛を与え、社会に与えた不安や衝撃が大きいと指摘した。
動機については、「赤ちゃんがほしい」という欲求に基づく犯行と認定され、薬物使用が本件犯行に直接影響したとの評価は示されていない。
本件の位置づけ
本件は、以下の特徴を持っている。
- 病院の病室からの連れ去り
- 動機が「子どもがほしかった」という供述であること
- 出生や戸籍偽装には至らなかったこと
- 発生から保護、判決までが短期間で確定していること
動機と手口は、過去の事例とどのような連続性を持つのか。次章では、1970年代以降の主要事例を年表で整理する。
1975年〜2011年:主要新生児・乳児連れ去り事件
新生児や乳児を対象とした連れ去り事件は件数としては多くない。しかし、1970年代以降、断続的に発生している。以下は主要報道に基づく代表事例である(年齢は当時)。
1975年〜2011年 主要事例年表
- 1975年8月(東京都足立区):産院から生後間もない女児が連れ去られる。半年後、埼玉県の女性を逮捕。流産を夫に打ち明けられず、出生届を提出して育てていたことが判明。
- 1976年10月(東京都世田谷区):病院から生後1週間の男児が連れ去られ、身代金500万円を要求する電話があった。男児は無事保護され、元貸しおむつ業者を逮捕。身代金目的の事例。
- 1987年12月(山梨県勝沼町):医院新生児室から生後1時間の男児が連れ去られる。31日未明、主婦(44歳)を逮捕。男児は無事保護。
- 1989年12月(兵庫県龍野市):生後3か月の男児が喫茶店で母親の前から連れ去られる。翌未明、女性(38歳)が赤ちゃんを連れて自首。動機は子ども欲しさ。
- 1993年4月(奈良県大和高田市):宅配業者を装った男性が民家に侵入し、生後1週間の男児を連れ去る。約1時間後、近くの堤防でビニール袋に入れられているところを発見。無事保護。逮捕報道は確認できない。
- 1993年4月(鳥取県鳥取市):産婦人科医院で生後4日の男児が消火器を噴射した男に連れ去られる。36日後、兵庫県の夫婦を逮捕。偽造した出生届を提出していたことが発覚。懲役3年確定。
- 2006年1月6日(宮城県仙台市):市内の病院から新生児が連れ去られ、身代金を要求する電話があった事例。被害児は無事保護され、犯人は逮捕された。新生児を対象とした身代金目的型の事件。
- 2011年10月(福岡県北九州市):市立医療センター病室から生後4日の女児が連れ去られる。約3時間半後に保護。女性(24歳)に懲役2年の実刑判決。
過去の事例から読み取れること
1970年代以降の主要事例を通観すると、新生児・乳児の連れ去りは過去、断続的に発生していることが分かる。
多くの事例で動機として挙げられているのは、「子どもがほしかった」という欲求であり、妊娠や出産を装うための犯行も含まれる。身代金目的の事例は存在するものの、例外的である。
さらに、発生から数時間、あるいは数十日以内に被害児が保護され、犯人が逮捕に至るケースが多いことも特徴である。一方で、1993年の鳥取事件では偽造された出生届が受理されるなど、制度運用の盲点が露呈した。
件数は決して多くない。しかし、単発の例外とも言い難い。新生児誘拐は、時代を越えて反復してきた犯罪である。
繰り返される動機の類型
1970年代以降の主要事例を整理すると、新生児・乳児の連れ去りには一定の動機パターンが確認できる。個別事情は異なるが、供述や判決理由からは、いくつかの類型が浮かび上がる。
①「子どもがほしかった」型
最も多く見られるのは、「子どもがほしかった」という動機である。
2011年の北九州市事件では、Cが「赤ちゃんがほしかった」と供述している。1987年の山梨県勝沼町事件、1989年の兵庫県龍野市事件、1993年の鳥取事件でも、動機の中心には「子どもを持ちたい」という欲求があった。
多くの事例で、犯人は赤ちゃんを傷つける意図はなく、連れ帰った後は衣類やミルクを用意している。短期間で保護される事例が多い背景には、この点もあるとみられる。
② 妊娠・出産の偽装型
1975年の足立区事件や1993年の鳥取事件では、妊娠や出産を周囲に装うための犯行が確認されている。
鳥取事件では、偽造した出生届が提出され、戸籍上の登録まで行われていた。この類型では、「子どもがほしい」という欲求に加え、周囲に対する体面維持や関係維持が動機に含まれている。
③ 関係維持・承認維持型
1984年の群馬県桐生市事件では、内縁関係の男性を引き留めるために「子どもができた」とする目的があったと報じられている。
ここでは、新生児は単なる対象ではなく、関係を維持するための象徴として扱われている。
④ 身代金目的型
1976年の東京・世田谷区の病院事件や、2006年の宮城県仙台市事件のように、新生児を対象とした身代金目的型も存在する。
ただし、新生児に限らず、幼児・児童を対象とした身代金目的誘拐は、1970年代以降、発生件数自体が減少傾向にある。さらに、身代金要求があった事件の多くは短期間で犯人が検挙され、目的を達成した明確な成功例は確認されていない。
身代金目的型は社会に強い衝撃を与える。しかし統計的に見れば、持続可能な犯罪モデルとはなっていない。
金銭を目的とする誘拐は、本来、合理的計算に基づく犯罪である。だが新生児連れ去りの多くは、計算よりも欲望や欠落が先行する行為である。そこに、この犯罪の反復性と、同時に成功例の乏しさが共存している。
類型から見える共通点
これらの類型を通じて確認できるのは、動機の中心が「赤ちゃんそのもの」よりも、「子どもを持つ自分」に向いている点である。
つまり、新生児は、以下の意味を帯びる存在として扱われる。
- 母親であることの証明
- 配偶者や家族への承認
- 社会的な位置づけ
このように、新生児誘拐は、単なる暴力犯罪というよりも、承認や関係をめぐる歪みが具体化した行為として現れる傾向がある。
制度の盲点 ――なぜ繰り返されるのか
新生児連れ去りは、突発的な狂気の産物として語られがちである。だが、年表を並べると、そこには断続的な反復が見える。動機は類似し、手口も大きくは変わらない。
もし単なる異常者の問題であるなら、これほど時代を超えて繰り返されるだろうか。
病院という信頼の空間、出生届という申告制度、そして「母になること」をめぐる社会的圧力。これらが交差する地点に、小さな裂け目が生じてきたのではないか。
制度は善意を前提に設計されている。しかし、その善意の前提こそが、時に突破口となる。
新生児連れ去りを理解するためには、犯人個人の心理だけでなく、制度と社会の構造を見なければならない。
制度は秩序を守る。しかし、すべての欠落を想定してはいない。想定されなかった欲望が、静かに制度の隙間を通過するとき、事件は発生する。
① 病院の管理体制という“信頼”の空間
1970年代から1990年代にかけて発生した多くの事件では、新生児室の入退室管理は現在ほど厳格ではなかった。面会者の確認は形式的に行われるにとどまり、名札やIDの徹底確認も十分とは言えなかった。宅配業者や見舞客を装えば、院内に侵入できる余地があったのである。
病院は「最も安全であるべき場所」である。同時に、それは社会的信頼に依存する空間でもある。
信頼は安全を前提として成立する。しかし、その信頼そのものが突破口になる場合がある。新生児連れ去りの多くは、高度な犯罪技術によって実行されたのではない。利用されたのは、「疑われない空気」であった。
利用されたのは技術ではない。人が疑うことをためらう、その心理の構造である。
② 出生届と“制度の時間差”
1975年の東京都足立区事件では、犯人が出生届を提出し、約半年間、実子として育てていた事例がある。
これは重大な点を示している。出生届は医師の出生証明書に基づき提出される。しかし当時、自治体は実際にその医療機関で出産があったかどうかを照合していなかった。形式的要件が整えば受理される構造であった。
1993年の鳥取事件でも、夫婦は実在の産婦人科名を用いて出生証明書を偽造し、誘拐した新生児にAと名付けて住民登録を行っていた。出生届は受理されていたが、事件発覚後、戸籍訂正の手続きが取られ、その名は抹消されることになった。
制度は「善意の申告」を前提としている。制度が動く時間と、犯罪が動く時間には差がある。その時間差が、一時的な偽装を可能にしていた。
③ 戦後社会と「母になること」の圧力
高度経済成長期から平成初期にかけて、「出産」や「母であること」は、女性の社会的役割として強く規定されていた。家庭を持ち、子を産み育てることが、人生の正統な軌道であるかのように共有されていた時代である。
そのなかで、流産や不妊は、いま以上に語られにくい問題だった。夫に流産を打ち明けられない。内縁関係を維持するために妊娠を装う。「近く出産する」と嘘をつく――。過去の事例には、そうした心理的な追い詰められ方が繰り返し現れる。
新生児誘拐は明確な犯罪である。しかし同時に、それは個人の異常性だけで説明できる現象でもない。家族規範とジェンダー役割が強固だった社会構造の圧力が、極端な形で噴出した側面もある。
逸脱とは、規範が弱いときに生じるのではない。規範が過剰に内面化されたときにも生じる。
④ 現代は改善されたのか
現在では、新生児室の入退室管理は厳格化され、防犯カメラの設置や電子タグによる管理体制も整備されている。出生届についても、医療機関との照合や確認手続きは以前より厳密になった。
制度は確かに強化された。しかし、それでも2011年の事件は起きた。
制度は穴を塞ぐ。だが欲望は制度の外から現れる。社会的圧力や孤立、規範の内面化といった構造が変わらない限り、形式の強化だけで再発を完全に防ぐことはできない。
結論――制度の外に残る問い
本記事著者自身、昭和30年代生まれの男性から、幼少期に「別の場所で生まれ、別の両親がいたような曖昧な記憶がある」という話を聞いたことがある。念のため戸籍を確認したところ、出生届が生後4年後に提出されていたという。
法務省に照会すると、出生届原本の保存期間は80年であるが、開示は困難であり、仮に閲覧できたとしても、その4年間の空白の理由までは把握できないだろうとの回答だった。出生地として記載されていた医療機関にも問い合わせたが、記録はすでに破棄されていたという。
そこに犯罪の証拠はない。しかし、制度はその4年間の空白と記憶の矛盾を説明できなかった。
新生児誘拐事件では、多くの場合、赤ちゃんは無事に保護される。犯人は逮捕され、刑は確定する。事件は終わる。
だが、名前、戸籍、出生の記録は、その人の一生に関わる。
1975年の足立区事件、1993年の鳥取事件では、出生届が偽装され、戸籍が一時的に書き換えられた。制度は訂正されたが、そこに残った時間の痕跡は消えない。
近年、「出自を知る権利」が議論されている。新生児取り違え事件、精子バンクの匿名提供、匿名出産――いずれも、生物学的事実と社会的記録がずれる問題である。
人は単に生まれるだけでは、社会的な存在にはならない。記録され、名付けられ、関係づけられることで、社会の中に位置づけられる。
しかし、その記録が揺らいだとき、問いが残る。
――私は誰なのか――
制度は秩序を与える。しかし、すべての問いに答えるわけではない。
新生児誘拐は特異な事件ではない。件数は多くないが、時代を越えて断続的に発生してきた。
制度は強化され続けている。それでもなお、欲望と孤立と規範の圧力は消えない。
逸脱は、規範が弱いときに生じるのではない。規範が過剰に内面化されたときにも生じる。
そして、記録されなかった時間は、やがて存在の問いへと変わる。
◆主な参考資料
・日本経済新聞ほか各紙「新生児連れ去り、24歳女を逮捕」に関する報道(2011年10月7日~2012年1月31日)
・読売新聞1993年6月5日
・読売新聞1993年4月30日
・毎日新聞1993年4月30日
・毎日新聞2006年1月9日
・出自を知る権利に関する各種報道
◆子どもの行方不明事件(事案)考察








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