大阪ニセ夜間金庫事件

知略縦横を働かせ自分よりも大きな組織などを相手に大胆不敵な犯罪を実行する者がいる。

「東の(府中)三億円事件、西の大阪ニセ夜間金庫事件」と並び称される同時代に発生した2つの事件は、時代を超え人々の好奇心を刺激する。

事件発覚直後に「日本版『黄金の七人』」とも報じられた(参考:「偽装夜間金庫」朝日新聞 1973年2月27日付)「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人像を遺留品や時代背景などから考察していこう。

なお、『黄金の七人』は、1965年に製作されたイタリア映画である。同映画は1967年から『漫画アクション』での連載が開始(テレビアニメのシリーズは、1971年から放送開始)された『ルパン三世』(原作、モンキー・パンチ)に大きな影響を与えたといわれるクライム・コメディ映画である。

事件概要

1973(昭和48)年2月25日の日曜日、阪急電鉄「大阪梅田」駅に併設された「阪急三番街」内に所在する「三和銀行阪急梅田北支店(当時の住所:大阪府大阪市北区小深町3-1 阪急三番街)」(「三和銀行」は、現在「三菱UFJ銀行」となる)は、休日のため朝から営業しておらず入口はシャッターで閉ざされていた。

西日本有数の繁華街を有する阪急電鉄「大阪梅田」駅に併設された「阪急三番街」内の店舗などの事業主などは、日曜日の売上を持ち「安心・安全」な銀行の夜間金庫に大切な現金を預け入れる。

同日の21時10分頃、衣料品店M(当時:24歳)の店長Y氏(参考:「銀行の通用口」に偽装夜間金庫 毎日新聞1973年2月27日付)が、当日の売上金30万円を持ち夜間貸金庫前に立った。

Y氏はいつものように銀行が夜間金庫利用者に貸与している金庫開閉の鍵を取り出しただろう。そして、夜間金庫に貼られた一枚のダンボールを目にしただろう。

そこには以下の文字が書かれていた。

「御利用の御客様へ 鍵の接損事故に因り、投入口開閉不能となりましたので、誠に御足労ですが、当銀行専用通用口の仮金庫迄御廻り下さい。 三和銀行」

文章を読み終えたY氏は、「専用通用口」に設置されているという「仮金庫」に歩き出す。

「銀行」の指示に疑いの余地などない。Y氏は何も考えず「指示」に従ったのだろう。そう、Y氏の前にも68人の利用客が「銀行」の「指示」に従っている。

Y氏は69番目のニセ金庫の利用客だったのだ。

だが、Y氏がニセ金庫に現金を入れるとニセ金庫はそれまでに入れられた68店舗分の現金2576万680円とY氏の30万円の重みで破損してしまう。

それは、未解決事件「大阪ニセ夜間金庫事件」が発覚した瞬間だったが、Y氏やY氏の後の客(70番目の利用者など)及び「仮夜間金庫」の破損の連絡を受けた「三和銀行阪急梅田北支店」の警備担当N社の警備員は、この時点では「仮夜間金庫」が偽物だとは気づいていない。

府中三億円事件の現金運搬人と同じように、彼らは完全に犯人に騙されてしまった。警備担当会社は、銀行が設置した「仮金庫」が壊れたと思い込んでいたようだ。警備会社が銀行に経緯を説明し、被害に気づいた銀行が警察に被害届を提出したのは翌日の26日月曜日のことだった。

被害届を受けた大阪府は、警曽根崎署に「三和銀行ニセ金庫事件捜査本部」を設ける。

犯人が設置した「ニセ夜間金庫」の分析が「三和銀行ニセ金庫事件捜査本部」により進められ、遺留品からの犯人の割出作業が始まり、利用客および警備会社N社からの警備報告記録「20時26分異常なし」から犯人が「ニセ夜間金庫」を通用口に設置した時間が推認、断定された。

推認、断定された犯人によるニセ金庫設置時刻は2月25日の日曜日20時37分だった。犯人は多額の現金を奪うため、夜間金庫の利用客(店舗)の閉まる21時台を狙ったのだろう。

社会経験が豊富な知略に長けた犯人だと言わざるを得ない。

残された遺留品

ここからは、犯人の遺留品(ニセ夜間金庫)と犯人のものと思しき遺留物について整理しながら用意周到な犯人像に迫ってみよう。

夜間金庫を利用する銀行利用客を騙すため巧妙なニセ金庫を作り、ニセ金庫に利用客を誘導し、ニセ金庫を本物だと思わせ、金を窃取するという特異な発想と大胆な行動力により実行された「大阪ニセ夜間金庫事件」には、当然ながら多くの遺留品が残されている。

過去報道及び「佐木隆三,著『事件百景―陰の隣人としての犯罪者たち』文藝春秋 ,1985.」から犯人がニセ金庫を作るために用意した物(遺留品)を解説、分析していこう。

なお、ニセ夜間金庫には、23種類の物品が使用されていたといわれているが、上記の報道などから確認された主な遺留品は以下のとおりである。

ニセ金庫製作のために用意された物(遺留品)一覧
ボール紙
合板ベニア2枚
ステンレス鋼板(厚さ0.1ミリ、18.8クローム)
角材
L字型下げ金具
ゴム紐
37本のスポンジテープ
赤色文字で「夜間金庫」と彫られた塩化ビニール製「エッチングプレート」(縦8センチ、横25センチ)
ナショナル・マイティライト
「SANWA4802(4802は昭和48年2月の意味だと思われる)」と刻印されたレシート代わりのプラスチック製の札(85枚)
ラジコン飛行機操作用の針金
犯人特定、犯人像に繋がる遺留物
上下一体の白色作業服Lサイズ(身長165から170センチ用サイズ)
長さ四センチの毛髪1本(作業服の右のポケットに混入)
対照可能指紋17個
ニセ金庫製作のために用意された物(遺留品)と犯人特定、犯人像に繋がる遺留物の一覧 

上記からもわかるが、基本的な素材は2枚の合板ベニアとステンレス鋼板(厚さ0.1ミリ、18.8クローム)である。この粗末な素材で作られた奥行きのない(奥行きは19センチ)のニセ夜間金庫を重厚かつ信用性の高い「銀行」の仮金庫に見せるための創意工夫が随所に施された「作品」は、犯人が職人気質を持つ知能の高い人物であることを証明しているともいえる。

そう、犯人は前述のとおり社会経験が豊富な職人気質を持つ知能の高い人物であることに間違いはなさそうだ。犯人は銀行取引に慣れた人物。日頃の仕事にも妥協を許さない人物。さらには、銀行からの融資を受けたこともある人物――つまり、個人事業主や経営者だと推測される。

時代背景

「大阪ニセ夜間金庫事件」が発生した昭和48年は、戦後日本の大きな転換期だった。

そう、1973(昭和48)年は、1954(昭和29)年から約19年続いた高度経済成長が終わったといわれる年である。

昭和48年2月10日、為替レートが固定相場制から変動相場制に移行する。同年10月から始まった第四次中東戦争の影響による第一次オイルショック。11月にはトイレットペーパー(買い占め)騒動、12月14日には、豊川信用金庫の取り付け騒ぎ(発端は高校生の会話といわれる)が起こる。

人々は高度経済成長という夢の終わりを肌で感じ始めたのだろう。夢の終わりは人々の不安と不満を目覚めさせる。やがて、人々の不安と不満が社会に放たれる。

法務省の「犯罪白書」昭和48年版(昭和47年中の認知事件からの統計と分析)によれば、刑法犯の認知件数は、昭和23年、昭和24年に160万件を超え、その後は、漸減、漸増を繰り返しながら、昭和45年に最高値の約193万件に達し、昭和46年からは、減少方向に向かうが(そもそも、昭和45年が戦後最高だった)、「大阪ニセ夜間金庫事件」が発生した昭和48年は、122万6,504件と戦後5位の高止まりとなっている。

法務省「昭和51年版犯罪白書」に以下の記述がある。

第3章 財産犯の動向 刑法犯を代表する第二の犯罪類型として,窃盗,詐欺,横領,背任等のように,人の財産に対する侵害を内容とするものがあり,これらを一般に「財産犯」と呼んでいる。この種の犯罪の動向は,経済成長,景気の好・不況,失業者の多寡といった経済状態によって直接影響を受けやすいと考えられる。 我が国における財産犯の動向を見ると,一般的には犯罪発生件数が減少する傾向にあるが,昭和49年以降はこの種犯罪が増加している。我が国の経済情勢は,48年末のいわゆる石油ショックを契機として,以後低迷を続けているので,最近における財産犯の増加は,経済の不況と何らかの関連があるのではないかという疑いもある。 そこで,本章では,最近までの我が国における財産犯の推移を統計的に概観するとともに,最近における増加現象の実態を明らかにすることとする。

法務省 昭和51年版 犯罪白書 第1編/第3章

また、「昭和50年警察白書」には、経済不況からの「犯罪の量的質的傾向」への影響の懸念が明記されている。

(前略)一方、深刻な経済不況が、犯罪の量的質的傾向にどのような影響を及ぼすかについても、今後注目しなければならない。一般に、経済の動向は犯罪の情勢に影響を及ぼすものであるが、日本熱学事件のような会社犯罪にみられるように、今後も経済界の不況に伴い、計画倒産等の会社犯罪、大規模な手形詐欺事件、受注をめぐる贈収賄事件等の知能犯罪の増加が予想される。(後略)

「昭和50年『警察白書』第1章 昭和49年治安情勢の概況(3)今後の課題―アー(ア)」

「大阪ニセ夜間金庫事件」は、高度経済成長が終わる時代の転換期に発生した事件だった。経済不況はそれまで真面目に生きてきた個人事業主、中小零細企業のオーナー社長などに大きなダメージを与える。

銀行からの融資の拒否、停止、引き上げ。取引先の不渡り、倒産など資金繰の悪化は個人事業主、中小零細企業のオーナー社長に大きな影響を与え、やがてそれは人間の善悪の判断を鈍らせる。

同一犯の可能性が高い他の事件

警察の捜査から未解決事件「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人が関係すると断定された事件がある。それは、「大阪ニセ夜間金庫事件」が偶然性からの未遂に終わった三か月後の昭和48年5月1日から6日までに発生した「大丸デパート恐喝未遂事件」と「そごうデパート放火事件」である。

「大阪ニセ夜間金庫事件」が偶然性からの失敗となり、約2600万円の現金奪取に失敗した犯人は、企業恐喝により多額の現金を手にしようと企てる。

そう、この時期の犯人は多額の現金(2000万円以上)を必要としていたのかもしれない。大阪ニセ夜間金庫事件で犯人が用意したレシート代りのプラスチック製の札85枚だ。85人の利用客から現金を窃取する計画だったと思われ、一人の客が平均20万円を預け入れた場合、約1700万円を窃取することになる。

1973(昭和48)年5月1日の火曜日、当時、大阪府大阪市南区に所在した「大丸デパート」に一通の手紙と黒い鞄が届く。

その手紙には、「3000万円を用意しろ。隣接する『そごうデパート』で起こる小さな事件が教訓になる」などと書かれ、実際に同月4日金曜日に「そごうデパート」内で商品のマットに火が放たれるという事件が起きる。

さらに犯人は、犯人が送った黒い鞄に現金3000万円を入れ、同月6日の日曜日の正午、女性従業員にそれを持たせ国鉄(現・JR)「大阪」駅の中央口で待て、との指示を出す。

「そごうデパート」の放火事件を知った「大丸デパート」側と警察は、指定された日時場所に指定の鞄を持った女性を立たせる。

そこに、犯人からの指示書とは知らない国鉄の赤帽(駅構内で利用客から荷物などを預かり運搬などする者。当時は旅客者からの手紙などの運搬も行っていた)の年配男性が犯人と思しき男性から運搬を頼まれた手紙を持ち現れる。

警察の尾行を確認するためだと推認される手紙(指示書)には、現金入りの鞄を持ち神戸市内の喫茶店に向かうことなどが記されていた。最終的に犯人からは2回の指示があり(2回目は「大阪」駅から移動指示があった神戸市内の喫茶店に入電された犯人の指示)、現金持人の2回の移動を監視していたと思われる犯人は、警察の追尾を確信し、ついにその姿を見せることなく未解決の闇のなかに消えてしまった。

この「大丸デパート恐喝未遂事件」で使われた盗難車(犯人の最終指示は同車のトランクに鞄を入れろだった)のトランクには巧妙な仕掛けが施され、仕掛けに使われた合板ベニアが「大阪ニセ夜間金庫事件」で使われた合板ベニアと同一のベニア板から切り出されたと大阪府警科学捜査研究所は結論したことにより、「大阪ニセ夜間金庫事件」と「大丸デパート恐喝未遂事件」さらに「そごうデパート放火事件」の3つの事件が同一犯の犯行だと推認された。

目撃された犯人の人相と残された住所

ここからは、「大阪ニセ夜間金庫事件」及び関連事件「大丸デパート恐喝未遂事件」の犯人目撃情報などから犯人像に迫っていこう。

前述3つの事件から約四か月後の1973(昭和48)年9月15日、「大阪ニセ夜間金庫事件」及び関連事件「大丸デパート恐喝未遂事件」モンタージュ写真が公開され、モンタージュ写真の犯人は、「面長で、眉毛は薄く長い、一重瞼、ボサボサの頭髪、耳の大きな職人風の中年男性」などと評されている(参考:佐木隆三,著『事件百景―陰の隣人としての犯罪者たち』P135-137,文藝春秋 ,1985.)。

このモンタージュ写真を大阪府警が作成する際に参考にしたのが、「大阪ニセ夜間金庫事件」で使われた「夜間金庫」と彫られた塩化ビニール製「エッチングプレート」を犯人と思しき人物から作製を依頼(発注)された兵庫県神戸市の某スーパー内キー・コーナーの女性従業員の証言と前述の国鉄(現・JR)「大阪駅」の赤帽の年配男性の証言からだといわれている。

年齢不明の某スーパー内キー・コーナーの女性従業員は、「年齢30-35歳の中年の自営業のおっさん風」の人物と表現し、年配の国鉄の赤帽は「年齢35-40歳の身長175センチくらいがっちりした体格の男」と表現しているらしい。

ニセ金庫に取付られていたエッチングプレートを発注した「年齢30-35歳の中年の自営業のおっさん風」の人物は、1973(昭和48)年1月30日の火曜日、17時から18時頃に同店を訪れ製作依頼を行い、同年2月6日の火曜日18時頃に受取に再来訪したらしい。

同人物が犯人だとするなら同時期の犯人は、火曜日の17時以降、比較的自由になる(仕事などがない)生活だったのかもしれない。

「年齢30-35歳の中年の自営業のおっさん風」の人物がエッチングプレートを発注した際に残した連絡先住所がある。

それは、「兵庫県尼崎市西浪波町2-5」だったが、当然ながらそのような住所は実在しない。だが、人は偽名や偽住所を名乗り記載などする時には、それらの偽名や偽住所を忘れないために自分と関係性の高い氏名、住所(土地鑑のある場所)を使うことが多々ある。

偽名を使いこなす公務員(公務員は犯罪目的で偽名を名乗るわけではない。身分や所属組織を隠し「遊興」などする場合に使う。人間には「遊興」が必要だ。公務員が偽名を使い常識の範囲で遊興するのことは悪いことではない)のなかには、一つの偽名を何十年も使い続ける者もいる。

犯人が「大丸デパート恐喝未遂事件」で指示した2か所の場所は「兵庫県神戸市中央区三ノ宮」と「兵庫県尼崎市」内の近くに盗難車を置ける喫茶店だった。

そう、犯人は兵庫県に土地鑑がある人物だと推察される。

犯人像を考察する

これまでの考察の結果、未解決事件「大阪ニセ夜間金庫」と「大丸デパート恐喝未遂事件」等の犯人は、職人気質だが社会経験豊富な「年齢30-35歳の中年の自営業のおっさん風」または「がっちりした体格の男」の自営業、中小零細企業のオーナー社長であり、この人物は兵庫県に土地鑑を有する人物だと推察される。

高度経済成長が終わりを迎えた1973(昭和48)年、経営難による資金繰りの悪化がこの人物を犯罪へ走らせたのだろうか。

銀行、家族、友人、知人、取引先に頭を下げながら資金繰りのお願いをするが断られ続けた「自営業のおっさん」の困り果てた顔が目に浮かぶ。

では、犯人はこの「自営業のおっさん風」男性だけだろうか?

年配の国鉄の赤帽男性の証言にある「年齢35-40歳の身長175センチくらいがっちりした体格の男」と「自営業のおっさん風」男性は同一人物だろか?それとも犯人(実行犯)は、二人だったのだろうか?

犯人が作った「ニセ夜間金庫」を銀行通用口に設置する作業は一人だと難しい。そう考えるなら、実行犯は二名(30-35歳の男性と35-40歳の男性)となり、「ニセ夜間金庫」に貼られていたダンボール紙の文章に使われた「その儘」「猶」「成可なく」などの言葉から戦前、戦中の教育を受けた人物(同事件は1973年に発生した事件のため、戦前の1930年生まれの人物が関与した場合でも事件当時は43歳である)だと想定するならば、この二人組による犯行の可能性が高いと推察される。

グリコ・森永事件との関係性は?

未解決事件「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人は、その後の社会全体に大きな影響を与えた「グリコ・森永事件」の犯人と同一ではないかとの説が多方面で囁かれている。

知略を使った大胆な犯罪の方法や上場企業への放火、脅迫、恐喝、第三者(「大阪ニセ夜間金庫事件」では国鉄の赤帽。グリコ・森永事件では寝屋川アベック襲撃事件の被害者男性を現金奪取に利用した)を現場に送り込み犯人一味は姿を現さない手口。現金受取場所を頻繁に変え、捜査員を攪乱する手口。細やかかつ巧みな指示で人を動かす手口。

「大阪ニセ夜間金庫事件」では、現金を窃取した後に利用客に示す以下の文章が書かれたダンボール紙まで用意されていた。

本金庫復旧につき仮金庫閉鎖致しました。三和銀行

出典・引用:佐木隆三,著『事件百景―陰の隣人としての犯罪者たち』P126,文藝春秋 ,1985.

「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人は、照合可能な指紋を17点も残している。

また、グリコ・森永事件でも犯人グループの可能性のある指紋が発見されているとの報道が確認される(参考:「森永脅迫テープから指紋 犯人グループの可能性 不審者との照合を急ぐ 朝日新聞1984年10月10日付」、「挑戦状と逃走車から犯人の指紋、掌紋特定 毎日新聞1988年7月29日付」、「グリコ・森永事件の「どくいりきけん」シートから鮮明な指紋検出など 毎日新聞1989年3月18日付など)。

「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人(グループ)とグリコ・森永事件の犯人グループは「別のグループだ」と、大阪府警捜査三課(窃盗犯などを扱う課)元課長のY氏は、1995年1月9日の毎日新聞の紙上で述べているが、同紙には、「(前略)事件は時効が成立しているとはいえ、グループのだれかが仕掛けに指紋を残し、材料購入時に筆跡を残している。指紋も筆跡もコンピューター登録され、現在も新たな事件が起こるたび照合が続いていると聞く。事件から二十二年たっても犯人は警察から追われている(後略)」との記述もある(引用:「『戦後関西再見』記者の50年ニセ夜間金庫事件1973年2月25日」毎日新聞1995年1月9日付)

戦後の混乱期から高度経済成長の坂道を駆け上がった日本社会が不況の時代に突入する1973(昭和48)年2月に起きた「大阪ニセ夜間金庫事件」とバブル景気直前の1984(昭和59)年からのグリコ・森永事件の犯人グループに共通性があるのならば――強い絆で結ばれた「哀愁の共同体」だということかもしれない。

指紋を残しながら未解決に終わった「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人には前科・前歴はないだろう。「大丸デパート恐喝未遂事件」以降には、犯罪などに関係することもなかったのだろう。

つまり、「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人は、グリコ・森永事件の犯人グループ「かいじん21面相」グループではなかったのだろう。

「がっちりした体格の男」と「自営業のおっさん風」――金策に困りながらも家族経営の零細企業で働き続けた二人の姿を想像してしまう。


◆引用文献

読売新聞 昭和48年2月27日付
朝日新聞 昭和48年2月27日付
毎日新聞 昭和48年2月27日付
森永脅迫テープから指紋 犯人グループの可能性 不審者との照合を急ぐ 朝日新聞1984年10月10日付
挑戦状と逃走車から犯人の指紋、掌紋特定 毎日新聞1988年7月29日付
グリコ・森永事件の「どくいりきけん」シートから鮮明な指紋検出など 毎日新聞1989年3月18日付
『戦後関西再見』記者の50年ニセ夜間金庫事件1973年2月25日 毎日新聞1995年1月9日付

佐木隆三『事件百景―陰の隣人としての犯罪者たち』文藝春秋 ,1985.


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◆関西の未解決事件


Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

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