石井舞ちゃん行方不明事件

事件概要

1991年7月25日早朝4時半、福島県船引町の建設会社で専務を勤めるIさん(37歳)は、自宅に併設されている事務所でその日の仕事の準備を始めていた。その時、夜間は施錠されているはずの2階玄関が無施錠である事を不思議に思ったという。

一時間程経ち、書類仕事を終えて居間へ戻ると、前々日からI家に宿泊している長女、舞ちゃん(7歳)の友人(正確には舞ちゃんの母親であるY子さん(27歳)の友人の娘(小学2年と同4年))二人が、慌てた様子でIさんに告げた。

福島民報1991年7月27日付から引用

「舞ちゃんがいない!」

前日はいつもと変わらない、夏休みの1日だった。午前中、舞ちゃんは友人たちと庭のビニールプールで遊び、夕方にはIさん宅の住み込み従業員Kさん(22歳)の部屋でT Vゲームを楽しんだ。夜は女の子三人だけの寝室で就寝し、25日朝は皆で公園のラジオ体操に参加する予定だった。

Iさんは家族を起こして舞ちゃんの行方の心当たりを尋ね、また家の中、家の周辺を皆で必死に捜したが舞ちゃんの姿はどこにもなく、その日の午前6時5分、警察に通報した。

身代金要求等の連絡はなく、27日からは公開捜査に切り替えられている。 警察の捜査では、外からの侵入の痕跡が見つからない事、警察犬は家の前の道路で動かなくなり、車での連れ去りが濃厚である事、大人用Tシャツと下着だけで眠りについた舞ちゃんの他の衣類や靴がなくなっていない事、寝具に乱れがない事から、寝室に侵入した何者かが、ダブルベッドの上で川の字になって眠っていた女の子三人の中から、真ん中にいた舞ちゃんを選び、起こさずに抱き上げて連れ去った可能性が高いという事が分かった。

最も疑われたのは住み込み従業員であるKさんであった。

Kさんは24日夜外出していた。その際、一階玄関の施錠をしなかった。合鍵を預けられるような信用が無かった可能性が高いが、家人に行き先を告げて施錠を促すようなことも無かった。夜間外出は半年前、Iさんの会社で働き始めてから初めてのことだった。元暴走族で補導歴があり、シンナー嗜癖が抜けておらずIさんから叱責されていたという。家庭の事情でIさんが預かっていた姪(17歳)の恋人であり、その姪の願いで住み込み従業員としての職を得ていたが、Iさんとの仲は良好とは言えず、24日は恋人との旅行が計画されていた所へ、急遽Iさんにより仕事の予定を入れられ旅行は中止となっており、これが誘拐の動機になりうると考えられたからであった。

近藤昭二,著『消えた子供たちを捜して!<公開捜査>:続発した行方不明事件の謎』二見書房.2000年6月.P63から引用

また、I家は玄関が1階と2階に一つずつある二世帯住宅であり(内部は繋がっている)、7L D K+車庫・事務所併設という広さや構造の複雑さから、初見の侵入者が目標の部屋へ到達することは困難と思われた。

そして、普段、舞ちゃんは両親や弟たち二人と共に、24日眠りについた部屋とは違う隣の寝室で眠っており、23日夜から女の子三人だけが、もう一つの寝室を使っていることを知る者はごく限られていた。

つまり舞ちゃんの失踪は、I家の内情をよく知る者の関与が強く疑われる状況にあったのである。

しかし、完全ではないもののKさんには24日夜のアリバイ証言者が現れ、二週間の事情聴取から解放されている。その後、KさんはIさんの会社を辞め、県内にある実家へ戻っていった。時期は不明だが、Iさんの姪とも破局しているようだ。 勿論、家族の関与も疑われ、特に舞ちゃんの最終目撃者となった母親のY子さんへの取り調べは厳しいものとなったが、やはり疑い以上のものにはなっていない。

IさんはKさんへの疑念を打ち消すことは到底できず、会社の業務を縮小してまでもKさんを追ったという。探偵を雇ったとも、自ら尾行して行動を探り、時には直接問い糺したともいうが、関与の証拠や自白を得ることはできなかった。

I家やKさんはT Vの公開捜査番組に出演し、雑誌記者のインタビューにも応え、安全なはずの自宅から就寝中に姿を消すという、舞ちゃんの失踪の特異さについては全国的に周知なものとなったが、解決に導くような情報が寄せられる事はなく、2003年、失踪宣告審判が確定している。

福島県警は、2022年現在もホームページ上で舞ちゃんについての情報提供を呼びかけている。(リンク先は情報提供を呼び掛ける福島県警HPです)

手がかりとその検討

舞ちゃん宅の状況

I家の住人は、舞ちゃんの祖父・祖母(Iさんの両親)、Iさんの姪、Kさんの四人が1階の部屋で生活し、舞ちゃん、両親、弟二人の五人が2階で生活していた。2階の居間兼食堂と台所は共有で、1階のメンバーも2階の構造は把握していたとみて良いだろう。

2階は事件から六年前に増築されていた。2階に設置された建設会社事務所を訪れるには、1階玄関を入った所にある居住区の内階段とは別に造られた外階段を上がる必要がある。2階の居住区からも、2階玄関から一度出る必要があり、他の部屋からはやや孤立している。また、事務所という性質上恐らく固く施錠されていたであろう。

言い換えれば、1階玄関さえ開いていれば、事務所以外全ての部屋へ侵入できる状態にあったと言える。恐らく洗面所(トイレ)は各階に一つずつ、バスルームは1階に一つある。

舞ちゃんが消えた!1991年7月24日夜の状況

Iさんの姪は24日昼頃、実家のある福島県郡山市へ出発した。Kさんが行けなくなった旅行に一人で行ったのか、そもそも旅行というのが共に郡山の実家を訪れる事であったのか、それとも旅行をキャンセルした代わりに実家に宿泊したのかは不明だが、当夜はI家に居なかった。Kさんは夕方までにIさんから言い付けられた仕事を終え、概要で述べた通り夕方は舞ちゃん達とT Vゲームに興じている。

祖父・祖母は21時20分頃、タクシーを呼び、行きつけのカラオケスナックへ出掛けていった。その際一階玄関を確かに施錠したと証言している。

翌朝も早いIさんはその頃既に晩酌を終えて、21時には舞ちゃんの弟二人を連れて寝室に入っていた。

舞ちゃん達三人は、21時半頃寝室へ入った。母親Y子さんは22時半頃、三人が眠っているのを確認し寝具を掛け直した。これが舞ちゃんの最後の目撃情報となっている。

Y子さんはその後2階洗面所を使い、1階の玄関の開閉音と共に、Kさんが外出するのを見ている。コンビニにでも出かけたのかと特に気にする事なく、2階玄関を施錠し(その日は友人の子供達二人を預かっている事もあり、戸締りは普段よりも意識していたというが、1階玄関の施錠については舞ちゃん祖父母の担当だったのか、恐らく気を回していない)。

Y子さんが1階のバスルームで入浴してしばらくすると(恐らく23時ごろ)、再び1階の玄関の開閉音と、内階段をトントンと2階へ上がる足音が聞こえてきたという。少々警戒心が薄いような気がするのだが、大所帯で多少の物音には慣らされてしまっていたのかもしれない。Y子さんはやはり気にせず、それからすぐ(足音から5分後という)2階へ上がり、居間を消灯してIさん達のいる寝室に入った。その後一時間程度は寝つかれずにいたというが、下りていく足音などは聞いていないようである。この時2階へ上がっていった足音の主が、2階玄関の鍵を内側から開けた可能性が高い。

二つの寝室のドアは開けたままだった。子供たちがトイレ等に起きる際、ドアの開閉音がしないようにするためなのだろうが、結果的には連れ去りの際の物音やドアノブの指紋等の証拠が残りにくいという役割も果たしてしまった。

舞ちゃんは怖がりであり、夜間トイレに起きる時は親を起こして付いてきてもらっていたようで、その移動をスムーズにするためという期間限定の試みであった可能性もあるが、子供は無頓着にドアを開閉しがちなものであり、毎晩開けっ放し出会った可能性がより高い。

関係者のアリバイ

舞ちゃんの祖父・祖母が帰宅したのは翌25日の午前2時頃。施錠したはずの1階玄関が開いていることとKさんがいない事に気づき、2階で寝ているIさんを起こしてその事を告げているが、Iさんは半覚醒状態で聞いていたのだろう。明日聞くからと答えてそのまま眠ってしまっている。祖父・祖母のアリバイが無いのはこの後Iさん起床までの二時間程度となる。

Kさんが帰宅したのは25日朝6時半。夜は用事があり外出し、終電を逃してしまった為タクシーで郡山へ向かい、仕事まで部屋で仮眠をとるべく、郡山からの始発電車で戻ってきたという。

用事というのは「親友が精神に異常をきたした」という知らせが入り、詳しく事情を聞くために、別の友人と郡山で会う約束をしたが、その友人はうっかり眠ってしまい約束の時間に現れなかったというもので、Kさんは仕方なく郡山のデパート(郡山駅付近にあるU百貨店か)前ベンチで夜を明かしたという。

友人はそんな約束はしていないと言っているものの、恐らく通話記録が調べられている事、23時頃にKさんを乗せたタクシーの運転手と、デパート前で声をかけたというポン引きからのアリバイ証言が出ている事、I家と郡山との距離、Iさんの起床時間を勘案すると、単独で舞ちゃんを連れ去り、隠匿する事が可能な程の時間は無いように思えるが、2階玄関の鍵を開ける、舞ちゃんを寝室から連れ出して協力者に手渡すといった犯行の一部を担うのであれば十分な時間がある。

尚、Kさんは自分の車を所有しており、I家の敷地に停めていたが、バッテリー上がりを起こしておりエンジンがかからない状態で放置していた。自然回復するものでもないと思うのだが、24日夜はエンジン始動を試みる等逡巡している間に終電を逃してしまったのだという。

自宅で子供たちと眠っていた舞ちゃんの両親には当然ながらアリバイと言えるようなものは無い。もっと言ってしまえばY子さんによる24日夜の(舞ちゃんの最終目撃を含む)証言さえ、信用性を担保する何らかの傍証や証言がある訳ではない。

石井舞ちゃん行方不明事件の史料(資料)の考察

石井舞ちゃん行方不明事件には「噂」を含めた様々証言、考察がある。それらの証言などを確認・考察していこう。以下は考察にあたって参考にした情報源(ソース)である。

『消えた子供たちを捜して!<公開捜査>:続発した行方不明事件の謎(近藤昭二著,二見書房,2000年6月.)』は、日本では起きないだろうと言われていた幼児誘拐・長期監禁事件である、新潟女児監禁事件の2000年1月の発覚を受け、若年者の未解決失踪事件を今一度思い出してもらい、情報を募るべく編まれた文庫本。福島民報との乖離もほぼなく、客観性が高い。犯人探し等はしておらずノイズが少ない印象を受ける。

『ドキュメント児童失踪(河合香織著,新潮社『新潮45』,2003年11月号.)』は、主にIさん一家とKさんの戦いに主眼を置いており、商業雑誌らしい印象を受ける。「Kさんが舞ちゃんに、夜の12時に遊びに行こうと誘っていた」という当日同じ部屋で眠った女の子から後日Y子さんが引き出した発言や「ホテルに行って一緒にシンナーをやった時、(Kさんが)“今皆が探している所に舞ちゃんはいない”と言った。怖くなって別れた」 という、Iさんの姪からY子さんが引き出した発言等、この事件を象徴する情報は、この同書を出典としている。

同書は、Kさんの反論にもかなりの文字数を割いてはいるのだが、「そんな事言っているの?」「あの後Iさんの姪とホテルには行っていない」「Iさんは(自分一人で追跡調査をしたような事を言っているがそうではなく)探偵を雇っていた」 会社をたたんでKさんの追跡に注力したとされるIさんではあるが、実際にはIさんの建設会社は稼働状態にあり、公共工事の入札等も行っているという。

Iさんは専務であり、社長は恐らくIさんの父親であるわけで、実際の工事は下請けに回す等するのであれば、稼働できたとしてもおかしくはないし、自分の仕事は畳んだのだと言われれば、それはその通りなのではあるが――。

「旅行の予定を入れていて自分は居ないはずだったのに前夜仕事を言いつけられた。とてもこんな事前計画の必要な犯行はできない」等の、ほぼ防戦一方の発言が多い。それでも、「会社の先輩も言っていたけれど、2階の居間は床が軋み音を出すので、気づかれずに横断して寝室までは行けない」という発言は、家族以外にもI家の構造を知る者がいる事を示唆しており無視できない。軋み音の件は、25日夜2時に祖父母が2階に上がっても、起こされるまで誰も目を覚さなかった訳で、たとえ事実であっても説得力には乏しい。

その他いくつかI家やKさんが出演したT V公開捜査番組のうち、2022年現在インターネット上に上げられている映像が一つある。

フジテレビ系『あの事件を追え!超ミステリー事件簿』『金曜エンタテイメント』1997年放送がそれで、特筆すべき点としては、同室で眠っていた女の子が「夜中に優しい声が聞こえた」とY子さんに後日話したという情報の初出は恐らくこの放送である事が挙げられる。

この番組以外の映像はネット上に上がっておらず、本事件を語る上で、現在当然の知識として語られている、TVの公開捜査番組でKが発言したという、「時が来たら、全てを話します」という発言は現在確認する事ができない。

なお、「時が来たら、全てを話します」というK氏の発言の出所は、テレビ朝日系『奇跡の扉 TVのチカラ』であるとされる事が多いが、『奇跡の扉 TVのチカラ』の放送開始は2002年であり、時期的にそれ以降の番組に、既に三十路であり、勤め人として2児の父となっているKが出演して、件の爆弾発言を投下する理由も利益も思い浮かばず、真偽は不明である。

また、参考程度の情報ではあるが、2015年に立てられたインターネット掲示板上の舞ちゃん事件のスレッドでは「時が来たら、全てを話します」発言についての言及は初期には皆無であり、2017年辺りから時々その発言が書き込まれ始めるが、ソースが不明であるとして、毎回ほぼ一蹴されている。しかし、その放送を見たという発言も現れている。

「時が来たら、全てを話します」は、マンデラ・エフェクトか?

集団的に虚偽記憶が保持される例として有名なものが、2013年まで生きた南アフリカの指導者ネルソン・マンデラ氏が、1980年代に獄中死した記憶を持っている者が多数現れたという現象であり、同氏の名を冠してマンデラ・エフェクトと呼ばれている。

その記憶は事実と反しているにも関わらず、追悼式や夫人による追悼演説の様子を含む具体的なもので、その具体性を他者と共有できるものでもあった。実際には1980年代に獄中死した、別の思想家のニュースが人々の記憶に干渉したものとされているが、それだけでは説明のつかない部分も多く「パラレルワールドの記憶が干渉」「我々を取り巻く仮想現実の綻び」と言った俗説が今も一定の説得力を持っている。

K氏の「時が来たら、全てを話します」に関連しそうな事件や発言としては、同じ幼女誘拐犯であるM元死刑囚が書いた被害者両親あての手紙の署名「今田勇子」は、有識者が「今だから言う」の意味ではないか?という推理を述べた件などが思い浮かぶが、やはりこれだけで説明できるものでもない。

実際には、ごく最近誰かの脳内で起きた虚偽記憶が、まとめサイトやS N S等で拡散し、TV番組で見たKさんの声や姿を記憶していた読者の中で合成、再生されたものではないか?1982年8月に発生した「松山ホステス殺害事件」の容疑者F元受刑者が留守番電話に『時効になったら全部話してあげる』の言葉を残したと記憶する者もいる。F元受刑者の音声が脳内で脳内で再構築され『時効になったら全部話してあげる』という言葉が再生されるという。だが、インターネット上にあった録音を確認するが、F元受刑者は、『時効になったら全部話してあげる』とは言っていなかった。

K氏の「時が来たら、全てを話します」の真偽は不明だが、誰かの記憶違いなどが拡散され他の人と共有された可能性も考えられそうだ。

真相考察

犯行が可能な者には動機がなく、動機がある者には犯行が単独では不可能で、共犯者は影も形も見えない。犯行で利益が見込める者や、利益を得た者も見当たらない。

「不可能であることを消して、最後に残ったものがいかに奇妙なことであっても、それが真実である」という格言に従うのであれば、外部犯の可能性を持ち出さざるを得ない。

思えばI邸は豪邸と言って良い建物であり、価値のあるものが邸宅内に置かれていると常日頃からマークされていたとしても不思議ではない。実際に事務所内には金庫などが置かれており、ある程度の現金が常備されていただろう。しかし、流石に固く施錠されており隙がない。もしかしたら、内部からはもう少し楽に侵入できるのではないか?

窃盗犯は侵入できる入り口がないか、忍び込む隙ができる時間帯はないか等のアタリをつけ始めた。22時半の終電以降は、駅から徒歩2分のI家周辺も人通りは乏しくなる。24日夜には、ボンネットを開けたままの不審な白い車があったとの目撃証言が寄せられている。この車は25日朝には消えていたという。

そんな窃盗犯の目に、戸締りもせずに1階玄関を出るKさんの姿が目にとまった。そういえば、少し前にタクシーで誰かが出かけて行った。この家にはいつもより人が少ないはずだ。侵入者は2階を目指す。勿論事務所荒らしが本来の目的である。この時間帯はY子さんが入浴しており、1階も2階も消灯はされておらず初見の家でも迷いにくかった。他の家族は寝静まる頃であった。逃走時の便を考え、2階玄関の鍵を開けておく。

2階の居住スペースは事務所に繋がっていない。落胆した侵入者は他の部屋に金目のものが無いか探り始めた。かろうじて風呂上がりのY子さんの目を逃れた後、彼女が入っていかなかった方の部屋を覗くと、そこには熟睡する三人の女の子がいた。

「身代金誘拐」侵入者の脳裏をそんな言葉が掠めた。

1984年江崎グリコ社長誘拐事件発生。被害者は無事自宅に戻ったが、裏交渉で犯人が身代金を得たという噂が根強く残り、犯人も逮捕されていない。その余韻は1991年になっても残っていたであろう。

子供の誘拐ならもっと楽ではないか?死刑になった奴もいるけど、そいつは子供を殺したからだ。自分は殺さない。一番運び出しやすい姿勢の子供を選んだ。それは舞ちゃんだった。彼(女)には、この家に他の家の子供が眠っているという発想はなかった。子供の扱いには慣れていた。しかし、様子を見ているうちに事件は公開捜査となり、脅迫状を出すタイミングや身代金を受け取るまでの勝ち筋が見えなくなってしまった――。

舞ちゃんの母親Y子さんは近藤昭二氏のインタビューに応えて「舞がいなくなったとき、みんな夢中で家の中を探し回り、その過程で犯人の残した証拠を消してしまったのかもしれない」と悔やんでいる。

また、警察の捜査で、家からは住人以外の足跡や指紋が出なかったという現場検証の結果が発表されているが、仮にも自営業を営む家で、そのような事があるのだろうかと思う。全てがメールや電話、F A Xだけで完結するような時代でも業種でもない。広い家の中で、失われた、もしくは見落とされてしまった手がかりがあるのではないか。

舞ちゃんはどこに行ってしまったのか?

誰を犯人として担ぎ出しても、結局その謎が解けない。見逃された誘拐犯が居たのだとすれば、尚更謎は深まり糸口さえ消えてしまう。

「Kさんさえ、本当のことを話してくれたら……」

きっと全てが解決する。そんな大衆の願いが、「時が来たら、全てを話します」という虚偽記憶の根源なのかもしれない。

石井舞ちゃんが行方不明事件――事件(事案)の「真相を知る誰か」が時が来たら、全てを話す」ことを――これからも――多くの者が願っている。


★引用・参考文献
福島民報1991年7月27日付(画像化引用)
近藤昭二,著『消えた子供たちを捜して!<公開捜査>:続発した行方不明事件の謎』二見書房.2000年6月.P63(画像化引用)
河合香織,著「ドキュメント児童失踪」新潮社『新潮45』.2003年11月号.
『福島民報』1991年7月-8月の記事


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Tokume-WriterWebライター

投稿者プロフィール

兼業webライターです。ミニレッキス&ビセイインコと暮らすフルタイム事務員。得意分野は未解決事件、歴史、オカルト等。クラウドワークスID 4559565 DMでもご依頼可能です。

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