飯塚事件とは何か|事件経緯・主要争点・冤罪可能性・再審制度の論点

飯塚事件とは何か|事件経緯主要争点冤罪可能性再審制度の論点

飯塚事件は、凄惨な女児殺害事件であると同時に、日本の刑事司法が抱える危うさを露出させた事件でもある。

本稿では、事件の経緯と主要争点を整理し、有罪認定の前提と冤罪の可能性、再審制度の問題をあわせて検討する。

飯塚事件考察:冤罪の可能性と司法の課題

1992年2月20日、福岡県飯塚市で小学校一年生の女児二名が登校途中に姿を消し、のちに遺体で発見された。いわゆる「飯塚事件」である。

この事件が長く論争の対象であり続けてきたのは、犯行の残虐性だけによるものではない。逮捕・起訴されたK元死刑囚が一貫して無実を訴えるなか、物的証拠に乏しいまま有罪が確定し、再審請求準備中の2008年に死刑が執行されたからである。

その後も、白い車の目撃情報、略取現場とされた三叉路証言、繊維鑑定、証拠開示の問題など、判決を支えた前提には繰り返し疑問が投げかけられてきた。

本稿では、事件の経緯と主要争点を一つずつ確認しながら、「飯塚事件」とは何であったのか、そしてこの事件が日本の刑事司法に何を突きつけているのかを総合的に整理する。

なお、白いワンボックスカーの目撃証言や、略取現場とされた三叉路証言の再検討については、別記事「飯塚事件の新証言検証|白い車目撃証言と三叉路証言が突きつける疑問」で詳しく扱っている。

事件の経緯

1・以下の図表は、裁判で認定された誘拐から遺体発見までの流れ

時間場所内容
2月20日7:40 AMB子さん宅付近A子さんとB子さんは、K子さんと一緒に登校開始。K子さんは先に学校へ向かい、A子さんとB子さんは二人きりに。
8:10 AMB子さん宅付近A子さんとB子さんがしゃがみこんでいるところを知人男性に目撃される。
8:22 AM平原バス停付近A子さんとB子さんが無表情でとぼとぼ歩いているところを知人女性に目撃される。
8:30 AME村方三叉路付近
通学路
農協職員の女性D氏にA子さんとB子さんが目撃される。
8:45 AM通学路A子さんの母が病院への送迎中に同じ通学路を通るが、A子さんたちを見かけない。
8:50 AM通学路図書館司書補助員の女性が通学路を逆行してB子さんたちを探すが、見つからない。
11:00 AM八丁苑キャンプ場事務所の手前約200メートル付近福岡県甘木市森林組合に勤務する男性が、八丁苑キャンプ場事務所の手前約200メートル付近の反対車線の道路上に停車していた紺色ワンボックスタイプに乗車していた40代男性を目撃する。22日、同所と思しき山中から被害女児2名の衣類などが発見される。
2月21日12:10 PM八丁峠
第5カーブ付近
通行人がA子さんとB子さんの遺体を発見。遺体は「秋月荘」の旧所在地近くで見つかる。

2024年2月15日、福岡地方裁判所において、飯塚事件の第2次再審請求に関連した3者(裁判所、検察、弁護団)協議が行われた。協議は非公開で実施され、その後、弁護団は記者会見を開催した。

同会見では、被害女児2名を最終目撃したとされる女性が、事件当日ではなく別の日に女児たちを目撃したとする新証拠が明らかにされた。また、女性は、警察による誘導で以前の証言をしたとも述べている。

この新たな証言は第2次請求審で尋問され、検察側はその信憑性に疑念を示しているこの点が再審可否の争点となっており、裁判所は判断を4月以降に下すこととしており、本事件の大きな注目点になるだろう。

2・K元死刑囚側が主張した当日のK氏の動向

1992年2月20日7時55分頃、K氏は妻を乗せて自宅から出発した。その後、妻を勤務先である消防署で降ろし、福岡県山田市内にある実母宅に米を届けるために向かった。さらに、10時20分頃から12時30分頃には某パチンコ店で遊戯をしており、13時頃に自宅に戻った。なお、某パチンコ店でのK氏のアリバイは確認されていないようである。

時間帯行動内容場所備考
7:55頃妻を乗せて自宅から出発自宅
~妻を消防署で降ろす消防署
8:30
~10:20
一旦帰宅の供述もある
実母宅に米を届ける
福岡県山田市内の実母宅
10:20~
12:30
パチンコ店で遊戯某パチンコ店アリバイ未確認
13:00頃自宅に戻る自宅

3・補足情報

1. B子さんの自宅から学校までの距離は約1420メートルで、子供の足で20分から25分の距離である。

2. 元死刑囚K氏(54歳)が運転していた車両はマツダ・ステーションワゴン・ウエストコーストである。

3. その車の登録番号は「筑豊55つ6112」である。

4. この車は1983年7月に北九州市在住の男性によって新車として購入され、約6年間使用された。

5. 1989年7月、前述の男性はこの車を北九州三菱自動車に下取りに出し、その後飯塚市内の中古車販売業者がこの車を購入し、ボディの傷を修理した上で展示・販売された。

6. 1989年9月末、K元死刑囚はこの車を購入した。所有者は妻である。K元死刑囚はこの車をほぼ3年間使用した。

7. 警察がこの車を押収したのは、K元死刑囚が売却した後である。

8. 1992年8月16日、西日本新聞は朝刊の一面に「飯塚の2女児殺害 重要参考人浮かぶ DNA鑑定で判明 県警 現場の体毛と一致」という見出しでスクープ記事を発表した。

9. 1992年9月26日、K元死刑囚はこの車を下取りに出し、新たな車を購入した。

10. 被害者女児の一人の顔には硬い物体で殴られたと思われる傷があった。

11. もう一人の女児には頭部にも同様の傷があり、多量の出血があったことが伺える。

12. 両者の衣服は乱れており、靴を履いていなかった。

13.被害女児2人の死因は、頸部を圧迫されたことによる窒息、具体的には扼頸(手による圧迫)によるものであり、他殺である。 上記の3に関して、元死刑囚が使用していた車の登録番号の4桁一部を、E村方三叉路付近でその車らしきものを目撃したと証言した人物が覚えていた。ただし、警察による数字の誘導があったとの指摘も残っている。

4・以下の図表は、捜査開始から逮捕、起訴、裁判、死刑執行までの流れ

1992年
2月21日
4月22日
福岡県飯塚市で行方不明の女児2名の遺体発見
科警研が被害者の身体に付着した第三者の血痕のDNA鑑定を実施
1994年
9月23日
10月14日
11月6日
K氏を死体遺棄容疑で逮捕
K氏を殺人罪容疑で再逮捕、同日、死体遺棄容疑で起訴
K氏を殺人容疑、略取誘拐容疑で追起訴
1999年
9月29日
福岡地裁、死刑判決
2001年
10月10日
福岡高裁、控訴を棄却
2006年
9月8日
最高裁、上告を棄却(一審死刑判決確定)
2008年
10月24日
10月28日
森英介法務大臣(麻生政権、麻生派)、死刑執行命令
死刑執行
2009年
10月28日
K氏の妻、福岡地裁に再審請求(第一次再審請求)
2014年
3月31日
4月3日
福岡地裁、再審請求棄却
弁護団、福岡高裁に即時抗告
2018年
2月6日
2月13日
福岡高裁、即時抗告を棄却
弁護団、最高裁に特別抗告
2021年
4月21日
最高裁、5裁判官全員一致の意見で抗告を棄却
2021年
7月9日
K氏の妻、福岡地裁に再審請求(第二次再審請求)
電気工事業の72歳男性の新証言
2024年
2月15日
確定判決で被害女児2名を最後に目撃した女性が、2人の女児を目撃したのは事件に巻き込まれた20日ではなかったと証言を覆す。同女性は以前の証言は警察から誘導されとも語る。

1999年9月29日の福岡地方裁判所(裁判長裁判官・陶山博生)の判決文(死体遺棄、略取誘拐、殺人被告事件)によれば、「本件において被告人と犯行との結び付き証明する直接証明はせず、情況証拠によって証明することのできる個々の情況事実は、そのどれを検討してみても、単独では被告人を犯人と断定することができないのである。

しかしながら、情況証拠によって証明された個々の情況事実は、これらをすべて照合して総合評価する必要がある。」と述べながら、元死刑囚K氏は、午前8時30分から午前9時頃には、福岡県飯塚市内またはその近郊でA子さんの頚部を手で締め付け窒息させて殺害した。

同時刻、彼は同様にB子さんの頚部も締め付け、窒息させて殺害し、午前11時頃、被告人は福岡県甘木市(現、朝倉市)大字野鳥の国道322号線沿い、八丁峠第5カーブ付近の山中にて、A子の死体とB子の死体をそれぞれ投げ捨てて遺棄したと認定された。

飯塚事件の冤罪の可能性を考察する

警察は、事件の発生後、約15万人の捜査員を動員したとされる本件で、元死刑囚のK氏は自らの無実を訴え続けている。誘拐された場所や手段、殺害現場についての直接的な目撃証言は存在せず、K氏の犯人性に関する他の目撃証言や証拠も、推定や仮説に基づく事実認定が行われている。

5・以下の図表は、一審判決の認定事項

No.証拠・事情確定判決での位置づけ
1犯行車両の特徴 犯行に用いられたと疑われる車両の特徴が、被告人の所有する マツダ製・後輪ダブルタイヤの紺色ワゴンタイプ と一致する。
2土地勘 犯人は失踪場所および遺留品発見場所の 土地勘を持つ者と推測 され、被告人はこれに該当する。
3繊維片 被害児童の着衣から発見された繊維片が、被告人車両の座席シートの繊維と 一致する可能性が高い とされた。
4車内の血痕・尿痕 被告人車両の座席から血痕と尿痕が検出された。これらについて、 被告人が車両を管理していた期間に付着したもの と認められた。
5血痕・尿痕の説明 被告人は、自身の車に付着した血痕や尿痕の原因について 合理的な説明を提供できない とされた。
6被害児童の失禁・出血 被害児童の身体には失禁と出血があり、これらは 犯人車内で生じたと考えられる とされた。
7血液型・DNA型 犯人由来とされた血液について、 血液型はB型、MCT118型DNAは16-26型 とされ、被告人の型と一致するとされた。
8身体状況 被告人が犯人であるとするならば、 被告人が糖尿病による亀頭包皮炎を患っていたことにより、被害児童の膣に接触した際に血液が混在したことを説明できるとされた。
9犯行機会 被告人の供述によれば、被害児童の失踪時間帯・場所は、被告人の帰宅ルートと重なる 可能性があり、犯行の機会があった とされた。

また、K氏のDNA型の鑑定結果や彼の車から見つかったとされる被害者のDNA鑑定結果の正確性についても疑問が提起され、繊維鑑定についても被害者の着衣から発見された繊維片がマツダ以外の自動車メーカーが製造した自動車の中にも存在する可能性を完全に排除できないため、「被害児童の着衣に付着していた繊維片がマツダ・ステーションワゴン・ウエストコーストから脱落した繊維片であるとまで断定することはできないといわざるを得ないのである」と述べている。

ぼやけたパズルのピースが集まると、ある凶悪犯の顔が徐々に形をなすが、ピース自体が不明瞭であるために、結果として現れる顔もまた曖昧である。時に元死刑囚の顔に似通って見えるが、違った角度からはまるで別の顔にも見える。

飯塚事件考察:7歳女児行方不明事件と冤罪の可能性

1988年12月4日、飯塚事件の被害者と同じ小学校に通う当時1年生の女児Iさんが、弟と共にK氏宅を訪れた後、行方不明になる事件が発生していた。この女児を最後に目撃した人物がK氏であり、彼はIさんの捜索活動にも町内会長として参加していた。

警察は、IさんがK氏の自宅を訪れた後に行方が分からなくなったことや、K氏が最後にIさんを目撃した人物であるという事実を基に、K氏がIさんの失踪事件に関与している可能性を検討し、捜査を開始した。しかし、Iさんの現在の所在や安否に関する具体的な情報をつかむには至らなかった。K氏は、1992年に飯塚事件が起こる以前から警察から疑惑の目で見られる存在だった。

I氏が飯塚事件の被疑者として逮捕された後、警察は彼に対してポリグラフテストを実施し、Iさんに関する質問を行った。このテストでK氏が反応を示したとされるIさんの自宅がある集合住宅から西方向に1キロメートル離れた山の麓での捜索を1994年11月11日の午前10時から開始した。

この捜索には地域の消防団も参加し、メディアの注目を集めながら行われた。その後、捜索開始から約25分で、行方不明の女児が着用していたと見られるジャンパーとトレーナーが発見され、女児の母親によって娘のものであると確認された。警察は、数キロメートルにわたる同市明星寺南谷の雑木林からわずか25分で女児の着衣を発見したことを、ある程度の捜査情報に基づいた効果的な捜索として述べているが、具体的な情報源には触れていない。

この捜索で発見された行方不明女児の衣類は、色褪せが少ないため、約6年前の事件発生時に捨てられたものではなく、比較的最近に捨てられた可能性が高いと考えられている。また、近隣住民の証言によると、約2年前にはその発見場所には何もなかったとのことであり、これが1992年の年末以降に捨てられた可能性を示唆している。

飯塚事件発生後、K氏は警察による厳しい監視下にあり、尾行や張り込みが常に行われていた。1993年9月29日午前8時10分頃、福岡県警捜査一課の巡査長と飯塚署の巡査長がK氏宅からゴミ袋を拾うというやや強引な手法で行われた捜査は、K氏に対する警察の厳しい監視体制を示している

これに対してK氏が反応し、刈り込みバサミで警察官を襲ったとされるが、この行為もK氏が異常なほどのストレスと圧力下にあったことを物語っている。K氏はその後、傷害と暴力行為の疑いで緊急逮捕され、10日間の勾留の後、罰金10万円の略式命令を受けた。これは、捜査機関がK氏を犯人と断定するために不適切な手段を用いた可能性があることを示唆している。

このような状況は、冤罪の可能性が存在することを強く示している。K氏に対する警察の行動が、適正な法的手続きを逸脱していたのではないかという疑念を抱かせるものであり、事件の真相解明に向けてさらなる慎重な検討が求められる状況である。

1995年2月9日から19日にかけて行われた再捜索で、人骨と思われる骨片3点が発見されたが、福岡県警が非公式に依頼した九州大学法医学教室の鑑定結果は、それらが人骨であると断定するには至らなかった。結果として、福岡県飯塚市で起きた7歳女児の行方不明事件は解決されずに未解決のままとなった。

この事件が犯罪によるものか事故によるものかも明らかにならず、女児の行方も依然として不明である。この状況の中でK氏の死刑が執行されたことは、疑問を残す結果となった。 K氏は長期間にわたって福岡県飯塚市で発生した7歳女児行方不明事件の容疑者であったと考えられている。飯塚事件の発生に伴い、K氏への疑念はさらに強まった。しかし、K氏の死刑が執行されたことにより、彼に対する捜査は完全に終了した。もしK氏が7歳女児行方不明事件の犯人であれば、死刑の執行を遅らせるため、あるいは罪の意識から自白する可能性もあったであろう。

同地域で頻発していた類似事件:白い車の男

福岡県飯塚市秋月地区において、白い車を運転する男性が児童を狙った不審な行動を繰り返しているとの目撃情報が寄せられていた。

同様の情報は飯塚市潤野地区においても報告されており、同地区で過去に発生した福岡県飯塚市7歳女児行方不明事件の前後にも、白い車に関する拉致未遂の事案が複数確認され、甘木署が地域内のパトロールを強化する状況だった。

これらの報告を踏まえ、県警捜査一課と飯塚署、甘木署の捜査本部は、県警捜査一課と飯塚、甘木署の捜査本部は、両地区に精通する同一人物が行動していたとみて、この白い車の男を探し出すことを急いでいたといわれる。

男が目撃された秋月地区の地元住民と捜査本部によると、1991年11月頃、秋月小学校の近くで通学中の女児が、白い車を運転する男から「学校に送ってやろう」と誘われたという。

その他、女児たちが30-40歳の男から不審な声かけを受ける事件が連続して発生していたが、幸い女児たちは逃げて無事であった。

さらに潤野小学校においても、1992年2月6日に児童から変質者に関する報告があり、教職員が一時期パトロールを行ったが、以降は類似の事件が報告されなかったため、警察への通報は行われなかった。

しかし、1992年2月20日に発生した「飯塚事件」後、改めて児童から聞き取りを実施したところ、十数件の新たな同様の情報が提供されたといわれる。

時期地域車両情報備考
1988年12月4日潤野小校区福岡県飯塚市7歳女児行方不明事件
1989年甘木市内(遺体遺棄場所近隣)白い車連れ去り未遂
1991年秋潤野小校区内及び隣接校区内
甘木市秋月地区(遺体遺棄場所隣接地域)
白い車変質者・連れ去り未遂
1992年2月6日潤野小校区内変質者/不審者
1992年2月10日潤野小校区内飯塚事件
1992年3月7日、10日潤野小校区内白い車連れ去り未遂
飯塚事件資料:同地域で頻発していた類似事件(白い車)

飯塚事件から約1ヶ月後の1992年3月7日、同月10日、潤野小学校の隣の校区の児童が白色の車の男性から声をかけられる事件が発生した。男は児童に道を尋ねなら車に誘い込もうとしたと報道されている。これらの周辺事案は、本事件との関係性を断定する材料ではないが、「白い車」という特徴が事件当時から地域の不審者情報や連れ去り未遂報道に現れていたことは、第二次再審で争われた「女児が乗った白い車」の目撃証言を考えるうえで無視できない背景である。

曜日と天候から見えるもの

潤野小学校区とその周辺で確認されている事案について、日付が特定できるものを曜日と当日の気象条件を加えると、いくつかの特徴が見えてくる。

日付曜日学校との関係天候・気象条件事案
1988年12月4日日休日曇。降水量1.0mm。最高12.2℃、最低4.1℃。福岡県飯塚市7歳女児行方不明事件
1992年2月6日木通常の登校日と考えられる晴れ時々曇。降水量0mm。最高12.5℃、最低3.1℃。潤野小学校区の不審者情報
1992年2月20日木登校日曇。降水量0mm。最高8.0℃、最低1.1℃。午前8時2.0℃、9時3.6℃。飯塚事件
1992年3月7日土当時は原則として授業日未明に雨。降水量2.5mm。最高10.8℃、最低1.2℃。白い車による連れ去り未遂
1992年3月10日火通常の登校日と考えられる朝に霧、午後は薄曇。降水量0.5mm。最高16.6℃、最低6.4℃。白い車による連れ去り未遂

1988年12月4日の福岡県飯塚市7歳女児行方不明事件は日曜日だった。これに対し、1992年2月6日の不審者情報は木曜日、飯塚事件が発生した2月20日も木曜日、3月7日の連れ去り未遂は土曜日、3月10日は火曜日である。現在とは異なり、1992年3月の土曜日は原則として授業日だったため、1992年に確認されたこれらの事案はいずれも、児童が登下校などで学校周辺を移動する日と仮定できる。

天候は、2月6日は晴れ時々曇、2月20日は曇、3月7日は未明に雨、3月10日は朝に霧が出たものの、その後は薄曇だった。飯塚事件当日の2月20日は降水量0ミリで、午前8時の気温は2.0度、9時は3.6度。事件が起きたとされる午前8時30分頃から8時50分頃は日の出からすでに1時間半ほど経過しており、雨や強風によって視界や人の動きが大きく制限される状況ではなく、明確な共通性はない。

むしろ気になるのは、1992年2月6日から20日までの時間的な並びである。読売新聞1992年3月2日付『福岡の2女児殺し埋もれていた変質情報 事件後に証言続々』には、2月6日に潤野小学校区で不審者が確認された後、学校側が約10日間にわたり教職員によるパトロールを行ったとの記述がある。これが正しければ、警戒活動が終了したとみられる時期から数日後の2月20日に、二人の女児が登校途中に行方不明になったことになる。

つまり、2月6日の不審者情報→約10日間の警戒→そして2月20日の飯塚事件という一つの仮説が浮かぶ。もちろん、この仮説の順序だけで不審情報と警戒と飯塚事件の関連を示すことはできないが、1992年の類似事案を単に「白い車」「不審者」という特徴だけを抽出するよりも、児童が学校周辺を移動する曜日と時間帯、さらに地域の警戒が強まった時期と解除された時期を同じ地図に置くことで、別の輪郭が微かに現れる。

さらに仮説を進めるならば、焦点は、犯人が特定の日や悪天候を選んでいたのかという点より、学校と児童の生活時間を把握できる人物だったのか、地域の警戒状況を認識していたのかという点に移る。

飯塚事件の謎を考察

飯塚事件では、2名の女児が被害者となったこと、誘拐の手口、殺害場所が謎として残っている。これらは未解決事件の核心部分であり、それぞれが捜査において解明されるべき重要な要素である。

なぜなら、事件の背後にある動機や手口、犯行場所の特定は、犯人を特定し、事件の真相に迫り、正義を実現するために不可欠だからだ。

被害者2名の謎

過去のわいせつ目的の児童誘拐及び殺害事件で、同時に2人の児童が被害に遭うケースは非常に稀である。男女2人の児童が誘拐され殺害された2015年8月の「寝屋川市中1男女殺害事件」が確認できるが、それ以外の事件は確認できない。

2人の女児を短時間(D山D子の証言とV田V子の証言が正しいと仮定するなら、犯行時間午前8時30分頃から8時33分頃の約3分間である)で誘拐することは非常に難しいと考えられる。2人が一緒にいる場合、一方が危険を察知して逃げたり、助けを求めたり、もう一方を助けようとする可能性が高く、単独犯が短時間で2人を制圧して車両に連れ込むのは困難だろう。

2人を同時に誘拐することは、計画や実行が複雑であり、犯人が2人を同時にコントロールする必要があるため、犯行はより難しくなる。また、犯行が目撃されるリスクを考慮すると、短時間での実行が重要であるが、2人を同時に連れ去るには時間がかかり、その結果、目撃される可能性が高まる。

さらに、2人の子供を同時に制圧するには、犯人が強い威圧感を与え、即座に従わせる必要があるが、それを短時間で行うのは難しい。特に、子どもたちが抵抗した場合、状況はさらに複雑になる。

また、2人が同時に動いていると、目撃者の注意を引きやすく、周囲の人々に異常を感知されるリスクが高まる。これらの要素を考えると、犯人が短時間で2人の女児を誘拐するには、特別な状況が必要だったと考えられる。

特に、犯行現場が住宅街である場合、その難易度はさらに高まる。住宅街では、周囲に家があり、通行人や住民がいるため、目撃されるリスクが非常に大きい。特に平日の朝、通勤や通学で多くの人が行き交う時間帯ではリスクがさらに増す。このような環境下で2人の子供を同時に短時間で制圧し、車両に連れ込むのは非常に困難だと考えられる。

また、犯行に使用する車両に2人を迅速に乗せる必要があるが、住宅街では人目を避けるのが難しく、移動中に目撃される可能性が高まるため、単独犯が2人を同時に車に乗せ、目撃されずに実行するのは極めて難しい。

このような状況では、複数犯が関与している可能性が高い。複数犯であれば、一人が子供たちを制圧し、もう一人が車両を準備するなど、犯罪の役割分担を行い、短時間で犯行を完了できる。

また、犯人が被害者と面識があり、信頼されていた場合、子供たちが抵抗せずに従った可能性も考えられる。この場合、単独犯でも短時間での誘拐が可能になるが、それでも住宅街で目撃されずに行うのは難しい。

以上を踏まえると、住宅街という環境や2人の子供を同時に短時間で誘拐するという状況を考慮すると、単独犯が成功させるのは非常に困難である。複数犯による計画的な犯行や、犯人が被害者と面識があり信頼されていた場合でなければ、このような状況下での犯行は成立しにくい。

この点は、事件の捜査において犯人像を特定する上で重要な手がかりとなるため、複数犯の可能性や被害者との関係性に焦点を当てた捜査が必要だと思われるが、元死刑囚K氏と被害者女児2名の事前の関係性を示す証拠は提示されていない。

また、飯塚事件が複数犯の犯行だと推測できる証拠なども認められない。

想定できる2人の児童を同時に誘拐する条件と手口は、①「2人の児童の知人・顔見知り」、②「2人の児童の家族の知人を装う」③「警察官、学校関係者など信用性と権威のある職業に偽装」、等があるが、K氏がどのような手口で2人の児童を誘拐したかは、裁判で明らかにされていない。

殺害場所の謎

地図は、誘拐場所と認定された「三叉路」から車で5分、10分、15分で到着できると予想できる範囲である。クリック拡大可能。

飯塚事件資料:誘拐場所と認定された三叉路付近から車5分・10分・15分の推測移動圏拡大図
飯塚事件資料誘拐場所と認定された三叉路付近から車5分10分15分の推測移動圏拡大図

当然ながら1992年当時と現在(2024年)では、道路事情、道路状況、通行量などに違いがあると思われるため、あくまでも参考情報での扱いとなるが、15分で到着できる範囲に東は嘉麻市、南は桂川町、西は篠栗町の近辺まで行ける範囲が含まれる。

K氏の裁判(地裁判決)では、被害者の2人が1992年2月20日の午前8時30分から8時50分の間に、福岡県飯塚市潤野の三叉路で誘拐され、その後8時30分から9時の間に殺害されたと認定されているが、殺害場所については明らかになっていない。

前述のとおり、K氏が誘拐に使用した手段が不明なため、K氏と被害者女児2名が遭遇してから誘拐されるまでの所要時間も不明であるが、①「2人の児童の知人・顔見知り」、②「2人の児童の家族の知人を装う」、③「警察官、学校関係者など信用性と権威のある職業に偽装」といった状況で接触から誘拐までの所要時間は長くなると推察される。

地図は、誘拐場所と認定された「三叉路」から車で5分、10分、15分で到着できると予想できる範囲である。1992年当時の道路事情、道路状況、通行量等を考慮する必要があるため、参考情報としての扱いに留まるが、15分で到達可能な範囲には飯塚市内及び東は嘉麻市、南は桂川町、西は篠栗町の近辺まで広がっている。

この範囲内にK氏の自宅も位置しているが、殺害時間帯におけるK氏宅近辺の聞き込み捜査に関する資料は公表されていないため、K氏が自宅にいたか、自宅で2名の女児を殺害したかについて(K氏は不在だったと供述している)は不明である。

では、K氏が殺害などしたと仮定するならば、地図の範囲内のどこかに秘密のアジト的な場所を持っていたのだろうか。

もしK氏を犯人と仮定しない場合、真犯人Xが地図の範囲内にある自宅で2人の女児を誘拐し殺害したと推測することも可能である。

K氏が犯人だとするならば、警察は地図の範囲内にある駐車場や廃屋なども捜査したのだろうか。この点は非常に気になる。

三叉路の証言の疑問点

D山D子の証言では、午前8時30分頃にE村方三叉路で2人の女児を目撃したとされているが、その後3分以内に同じ場所をV田が通過した際には女児は目撃されていない。この短時間で女児が姿を消すのは不自然である。

X田X男の証言では、E村方三叉路付近で車を移動させた際、ボンゴ車がかなりの速度で走り去ったとされているが、そのボンゴ車(K元死刑囚の車と思料される)がどの方向から来たのか(誘拐現場の可能性が高いE村方三叉路北方の道路から来たのか、それとも東方の道路から来たのか)は不明であり、他の証言と一致しているかも確認が必要である。

弁護人は、D山が目撃した作業員風の男性が犯人である可能性を指摘したが、これはX田X男と誤認されており、犯人である可能性はないとされた。しかし、D山が目撃した車両の数や種類に関する証言(彼女の証言には、三叉路付近で駐車していた乗用車1台、ワゴン車1台、種類不明の車両1台、そして時間不明に県道大日寺潤野線に出る手前で離合した40代の男性が運転するワゴン車1台の合計4台が登場する)には矛盾があり、D山の記憶違いとされている。このように、被害女児2人を最後に目撃したD山の証言には疑問が残るのは重要な点である。

また、2人の被害者女児が短時間で姿を消すのは不自然とされているが、その点についての合理的な説明は不足している。全体として、複数の証言に基づいて誘拐の状況が推測されているが、いくつかの証言には矛盾や不自然な点が見られる。

特に、犯人使用の車両の目撃に関しては、目撃された車が犯人のものである可能性が高いとされるものの、他の可能性が完全には排除されていない。

被害児童の遺留品発見現場付近の証言の疑問点

K元死刑囚の車にはサイドウインドーに水色のフィルムが貼られていたことが確認されているが、T田が目撃した車両の運転席側後輪車軸部分が黒かったとの証言と、検証時にその部分が黒くなかったという点で矛盾が生じている。

この矛盾については、K氏が車を手放す直前に丹念に掃除をしたために汚れが取り除かれた可能性があるとされているが、この説明がどれほど合理的であるかには疑問が残る。

また、T田が目撃した男の年齢や風体が被告人の実際の年齢や外見と矛盾しており、特に年齢の差や頭髪の状態(禿げ具合)について証言と実際の被告人の状態が一致していない点が指摘されている。

原審の判決文では、T田の人物識別に関する供述は一瞬の目撃であり正確性に欠けるとされており、このことが証言の信頼性を損なう可能性があると考えられる。さらに、目撃証言の信頼性についても問題があり、T田が目撃した車両と被告人の車両が同一であると断定するには証拠が十分ではなく、特に他の車両も同様の特徴を持っていた可能性があるため、目撃された車両が被告人のものであると断定するのは無理がある。

そもそも、T田の証言が一瞬の目撃に基づくものであり、その信頼性については慎重に検討する必要があるだろう。

K元死刑囚の居住地と犯行現場の関係についても疑問が残る。被告人が事件現場付近に土地勘を持っていたことが強調されているが、これだけでは被告人が犯人であると断定するには不十分であり、捜査の結果、他の人物が犯人である可能性も排除されていない。

結論として、この事実認定には車両の特徴、犯人像、目撃証言の信頼性において矛盾や疑問が存在し、これらの矛盾はK元死刑囚が犯人であると断定する上で重大な問題となり得る。

特に目撃証言の信頼性や車両の特定に関する証拠の一貫性が弱い点は、再審請求や冤罪の可能性を主張する上で重要な要素となるだろう。

尿痕、結婚、繊維片の謎

原審判決文によると、K氏の使用していた車両から血痕と尿痕が検出されており、原審は「被告人の車に被害児童2名が乗せられたことと矛盾しない」と認定している。この認定から、2人の女児は車内で殺害された可能性も考えられるが、車が駐車された場所は不明である。

また被害女児の着衣の微物鑑定もK氏の車のシートとの比較は行われているが、犯行現場の特定に繋がる可能性のある他の微物の付着の有無、鑑定の有無に関する情報は公開されていない。

被害女児に付着していた繊維がK氏使用の『マツダウェストコースト』の繊維と「極めて類似し、ほぼ一致するものと認めることができる」という指摘は、犯行に使われた車が『マツダウェストコースト』であると断定するものではない。

この指摘は、昭和57年3月26日から昭和58年9月28日までに製造された『マツダウェストコースト』の座席シートを対象に、女児に付着した繊維を鑑定した結果、類似性の可能性が高いことを示唆しているに過ぎない。

たとえば、東レ製のナイロン6ステープルであると推定されているものの、他の製造元や他の車両に使用されている可能性を完全に排除することはできず、この点から、犯行に使用された車両が被告人の車であると断定する根拠としては不十分である。

また、似た特徴を持つ他の車両が存在する可能性も指摘されており、特に、マツダ以外の車両や他の自動車メーカーの車両で同様の材料や染料が使用されている可能性が完全には排除されていない。このため、被告人の車両を唯一の犯行車両として特定するには不十分な要素があると言える。

古い車は部品を取り替えて使用されることがあり、約10年前の廃車同然の『マツダウェストコースト』から座席を部品取りし、マツダ社以外の他の車種や他のメーカーの車に使用されることも可能である。

また、弁護側が主張するように、マツダ以外の自動車メーカーが製造した車に被害者女児に付着した繊維が使われていた可能性を否定できない。

女児の着衣の繊維片から染料の「ラナシンブラックBLR200」と「イソランイエローK-RLS200」が検出され、配合比がK氏使用車『マツダウェストコースト』の座席に酷似しているが、着衣の繊維片には「ラナシンブラックBLR200」が含まれていない可能性を指摘することも可能だ(参考:飯塚事件弁護団『死刑執行された冤罪・飯塚事件』現代人文社 ,2022.)。

上記のとおり、繊維の一致について、被告人の車のシートからのものであるとされているが、完全に一致するかどうかは曖昧である。

このため、被告人の車両を唯一の犯行車両として特定するには不十分な要素があると言える。さらに、ラマンスペクトルや二酸化チタンの含有量の一致性が重要な証拠とされているが、これらの分析においても100%の一致が確認されたわけではなく、特に、ラマンスペクトルでの一致や二酸化チタンの含有量における微妙な違いがあるため、これが決定的な証拠とされるには疑問が残る。

いくつかの分析手法、特にラマン分光法や二酸化チタン含有量の分析に基づいて証拠の一致が議論されているが、これらの手法には限界があり、結果に多少の誤差が含まれる可能性があるため、証拠の信頼性についても慎重に考慮すべきである。

結論として、この事実認定に基づく限り、被告人の車両が犯行に使用された車両であると断定するには、いくつかの重要な矛盾や不確定要素が存在する。

特に、繊維の一致性や他の車両との区別の問題については、より詳細で確実な証拠が必要とされるため、現時点での証拠だけでは、被告人が唯一の犯人であるとするには合理的な疑いが残ると言えそうだ。

被害者から採取された犯人の血液の謎

被害者から検出された被害女児以外の血液は、事件当時の犯人があり出血していた可能性を示唆している。

原審では、犯人は指または爪で女児を傷つけた旨の認定がなされているため、犯人の血液は犯人の指付近から出血していた可能性が高いと思われる。

では、犯人は手指に怪我をしていたのだろうか。K氏が真犯人だとするならば、亀頭包皮炎により出血した陰部を「手」で触りその手の「指」で女児に加害を与えたのだろうか。

仮にそうだとするならば、自身の「掌」(指先だけで自身の陰部に触れた場合は違う)に血がついた状態で女児に被害を加えたと考えるのが自然であり、そう仮定するならば女児の下半身、上半身、衣類などにも元死刑囚の「血」が付着していたと考えることができる。

しかし、そのような証拠は認められない(検察が開示していないだけかもしれないので証拠が無いとは言えない。これは証拠開示の問題の議論に繋がる)。

そうすると、(真)犯人は被害者女児に危害を加えた「指だけ」に怪我をしていたのでは?と考えられる。そして、その怪我は治りかけだったのでは?治りかけだったが激しく動かしたため出血したのでは?と考えることも可能である。 これらから、元死刑囚が亀頭包皮炎を患い出血し、その血が被害者女児に付着したとの思い込みは危険な思い込みだといえそうだ。

そもそも、被害女児の膣内や周辺から採取された血液が犯人に由来すると認定されているが、陰茎の挿入については言及されていない一方で、指や爪で損傷が与えられたと認定されている。この場合、犯人の血痕が膣内にあることを説明するために陰茎からの出血を持ち出すのは、論理的に不整合である。

指や爪で損傷があったという事実認定があるならば、その際に犯人の手指から出血した可能性が高いと考えるのが自然である。それにもかかわらず、陰茎からの出血に話が移るのは、被告人の亀頭包皮炎の存在を強調するための無理な推論と受け取れる。

このような論理展開は、証拠の評価や犯人特定のプロセスにおいて大きな問題を引き起こし得る。事実認定が一貫していないため、この部分の結論には疑問が残る。

遺体発見翌日の不審な電話

被害女児の遺体が発見された翌日、1992年2月22日(土曜日)15時頃、一人の被害女児の家に中年男性と思しき人物から不審な電話があった。この電話の主は押し殺した低い声で、「一晩中一緒だった」と示唆する発言をしたと報じられている(参考:読売新聞1992年2月25日付)。

この声の主が真犯人かどうかは不明であるが、この発言は注目に値する。

この電話は遺体発見の翌日にかかってきたが、その時点での殺害時間は不明である。もし電話の主が真犯人である場合、この発言は捜査を混乱させる意図があるのかもしれない。また、遺体遺棄が事件発生の翌日、1992年2月21日に行われた可能性も考えられる。 それ以降、このような不審な電話がかかってくることはなかったとされている。

早すぎる死刑執行

K氏の死刑は、最高裁での死刑確定から2年1ヶ月後の2008年10月28日に執行された。一般的には再審請求中に死刑を執行することはないが、再審請求が行われる可能性が十分に予想される中での執行は、早すぎると指摘され、刑の執行には何らかの意図があるのではないかとの憶測を呼んでいる。

この2年1ヶ月後の執行について、同時期の他の死刑確定から執行までの期間と比較して、早いとは言えないとする意見もある。しかし、他の死刑判決事件では犯人性に争いがないケースが多く、無実を主張し、情況証拠のみで判決が下された本件とは根本的に異なる。

K氏の刑が執行された2008年には、合計15人に対して死刑が執行された。この中でK氏を含む6人は、刑の確定から3年未満で執行されている。

執行された事件には、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」、「SMクラブ下克上殺人事件」、「神戸市夫婦強盗殺人事件」(いとこの男性とその妻を殺害し現金を奪った事件)、「市貝町牧場夫婦強盗殺人放火事件」(以前の勤務先の経営者夫妻を殺害し現金を奪い、放火した事件)、及び「いわき市母娘強盗殺人事件」(資産家の家に侵入し、資産家の妻と娘を殺害し現金を奪った事件)が含まれる。

飯塚事件考察:疑わしきは被告人の利益に

そもそも刑事事件においては、通称「白鳥決定」(外部リンク:Wikipedia白鳥事件)といわれる『疑わしきは被告人の利益に』という法則が存在する。これは『疑わしきは罪なし』とも呼ばれ、刑事裁判において被告人に不利な証拠が十分でない場合、その疑いを被告人の利益に解釈すべきとする法原則である。

この原則は多くの法体系において受け入れられており、被告人(国民)の権利を保護するために不可欠であり、裁判における証拠が被告人に対して明確な有罪を証明できない場合、裁判官は被告人に無罪の判決を下すべきであると考える。

『疑わしきは被告人の利益に』という法原則は、具体的に近代法制において形成され、合理的な疑いの余地がある場合には被告人を無罪とするという形で刑事訴訟法の重要なルールとして確立されている。

この原則は、個人の自由と権利を保護する基本的な枠組みの一部と見なされ、公正な裁判を保証し、冤罪を防ぐための法的な盾として機能している。ナチズムの経験を含む歴史的な背景から、多くの国々で死刑制度の見直しが進み、法原則の重要性が再認識されている。

また、『10人の真犯人を逃すとも1人の無辜(むこ)を罰するなかれ』という言葉は、刑事司法における基本的な原則を示している。この原則は、冤罪を避けるためにいくつかの犯罪が未解決に終わるリスクを受け入れることが望ましいとする考え方に基づいている。

この言葉ので、最も有名なのはイギリスの法学者ウィリアム・ブラックストーン(1723年7月10日-1780年2月14日)によるものである。ブラックストーンは1760年代に『イギリス法釈義』(Commentaries on the Laws of England)を著し、「むしろ10人の悪人が逃げることを許すよりも、1人の善人を誤って罰することなかれ」と記述している。これは、法の適用において極めて慎重であるべきであるという姿勢を強調しており、後の法哲学や刑事政策に大きな影響を与えている。

この原則は現代の法制度においても重要であり、特に冤罪の防止と人権の尊重の観点から刑事裁判において重要な役割を果たしている。

飯塚事件に見る冤罪の構造的要因

日本の司法制度には、長期勾留や弁護士同席のない取調べ、状況証拠だけで有罪判決を下すといった特徴がある。これらの制度は、冤罪のリスクを高める可能性があり、特に長期にわたる勾留は、被疑者に心理的圧力をかけ、誤った自白を引き出す一因となり得る。また、取調べの透明性が確保されていないことも問題であり、改善が求められている。

この問題は、カルロス・ゴーン元日産自動車会長の事件においても顕著に見られた。ゴーン氏は2018年に金融商品取引法違反の疑いで逮捕され、その後、複数回にわたって再逮捕されるという長期勾留を経験した。

彼のケースでは、弁護士の同席なしに行われた厳しい取調べが行われ、公平な法的手続きが欠けていると国際社会からも指摘された。ゴーン氏の場合、彼が主張する不当な扱いが、日本の司法制度における構造的な課題を浮き彫りにする一例となっている。

日本の取調べ手法と勾留システムは、冤罪を生むリスクを抱えながらも、改革の動きは鈍い。ゴーン事件は、このような制度的弱点がどのように個人の権利を侵害する可能性があるかを国際社会に示した重要な事例である。これを教訓に、取調べの全面的な録音録画の義務化や、勾留期間の厳格な制限、弁護士の立会いを常時保証する制度の導入が、より一層強く求められている状況である。

日本の刑事裁判では、直接的な証拠が不足している場合でも、間接的または状況証拠のみで有罪判決が下されることがある。これは、証拠が完全には連鎖していないにも関わらず、複数の状況証拠が合わせて被告人の有罪を強く示唆すると判断された場合に見られる。

また、再審制度では、新証拠がないと再審開始が認められないため、一度有罪判決が確定すると、その判決を覆すことが極めて困難である。これが冤罪を疑われるケースでの救済を困難にしている。

飯塚事件の取り調べ過程は非公開であり、その内容の全貌が明らかになっていない。この非透明性は、適正な手続きが欠如していることを示しており、冤罪を生み出す構造的要因として機能している可能性がある。

裁判所がこれらの情況証拠をどのように評価するかについては、より厳格な基準が求められるだろう。

飯塚事件考察:冤罪防止のための取り組み

再審に関する手続きの改正などを議論する超党派の議員連盟が設立された。この連盟は、刑事訴訟法の再審制度に関する規定の見直しを目的としており、再審請求が長期化する問題に対処し、冤罪被害者の迅速な救済を図ることが目標である。

再審制度は、裁判のやり直しを可能にするものであるが、現行法では70年以上改正されておらず、その手続きが具体的に定められていないため、審理の長期化が冤罪を晴らす妨げとなっている。

1966年に静岡県で発生した一家四人殺害事件で死刑が確定した袴田巌氏は、再審開始が決定するまでに40年以上を要した。この事例は、再審手続きの問題点を浮き彫りにしている。この問題に対応するため、超党派の議員たちが集まり、法改正に向けて議論を進めることになった。議員連盟の設立総会は11日に国会内で開催され、元文部科学大臣の柴山昌彦氏が会長に就任した。

柴山会長は、「無実の罪で刑に処された人々の苦労は言葉に尽くせない。人権侵害や家族の苦労を考慮し、再審のプロセスを確実に改正する必要がある」と述べた。この議員連盟には、与野党から134人の国会議員が参加を表明しており、捜査機関が持つ証拠の活用や手続きの明確化、透明化を検討していく方針である。

この超党派連盟は、「冤罪被害者のための再審法改正を早期に実現する議員連盟」と名付けられ、麻生太郎副総裁、公明党の山口那津男代表、立憲民主党の泉健太代表、日本維新の会の馬場伸幸代表など、各党の党首クラスが呼びかけ人として名を連ねている。彼らは、再審制度の改正を通じて、冤罪による人権侵害を減少させ、日本の司法制度の信頼性を高めることを目指している。

これらの問題は、特に重大な刑事事件において被告人の権利を保護する上で重要な課題である。冤罪のリスクを減少させるためには、これらの制度的な弱点を改善する必要があり、具体的には、取調べの全面的な録画義務化、弁護士の同席強化、証拠の開示と再審のハードルの低下などが考えられる。

また、アメリカの『イノセンスプロジェクト』の活動も参考になるだろう。

アメリカの『イノセンスプロジェクト(Innocence Project)』は、冤罪が疑われる受刑者の再審支援を行う非営利団体である。このプロジェクトは1992年にバリー・シェック(チェック)とピーター・ノイフェルド(ニューフェルド)によって設立され、ニューヨーク市に本拠を置いている。主にDNA鑑定を利用して、冤罪で服役しているとされる多くの人々の無実を証明し、彼らの釈放を支援している。

再審支援では、冤罪の可能性があると考えられる収監者のケースを見直し、新たな科学的証拠、特にDNA証拠を用いて無罪を証明するための法的支援を行っている。

法改正提案では、冤罪の原因となるシステムの問題点を指摘し、それを改善するための法律の改正や新規制の導入を推進している。これには、取調べの録画義務化や目撃者同定の手法改善などが含まれる。

結論

飯塚事件から学べる教訓は多い。特に、日本の司法制度における透明性の不足とその改善の必要性が強調されている。

冤罪を未然に防ぐためには、司法制度全体の見直しとともに、社会全体の意識改革が必要である。

人間は完全無誤ではないが、事実認定と法の適正な適用に努め、真実と正義の追求を怠ってはならない。

追記

2024年6月5日、福岡地裁の鈴嶋晋一裁判長は、弁護側の新証拠を「信用できない」と判断し、再審請求審を棄却する決定を出した。弁護側は福岡高裁に即時抗告する方針と伝えられている。

弁護側の新証拠のうち、誘拐場所と認定された「三叉路」での女児目撃証言に関する新証言(女児を見たのは別の日)は、捜査側からの供述誘導の可能性と認定された誘拐場所、時間を覆す可能性を秘めた非常に重要な証拠である。

司法の正義には被害者のための正義と社会正義の2つの正義があるだろう。この2つは両立する。冤罪はこの2つの正義に反する。(追記:2024年6月6日)

飯塚事件の最新動向:証拠リスト開示と裁判所の判断

2025年1月30日、福岡高等裁判所は、飯塚事件の第二次再審請求に関連し、弁護団が開示を求めている証拠リストについて、裁判官のみが確認する「インカメラ審理」を通じて検察に提示するよう勧告した。これに対し、福岡高等検察庁は勧告を受諾し、2025年2月13日までに証拠リストを裁判所に提出する予定である。

本件の中心的争点は、事件当時の目撃証言者であるD山D子氏の「三叉路目撃証言」の変遷を裏付ける記録の有無である。

具体的には、

•同氏の員面調書および検面調書が作成される以前のD氏の証言の変遷がわかる「警察官の捜査メモ」や「捜査ノート」が証拠リストに含まれているか否かが、再審請求審理の帰趨を決定づける可能性がある。

証拠リスト開示の法的意義

検察はこれまで、「D子氏の証言に関する捜査メモ等の記録は存在しない」と一貫して主張してきた。

しかし、

1.リストにこれらの記録が含まれている場合

•検察が過去に虚偽の説明を行っていたことが明るみに出る。

•証言の変遷を示す記録が存在すれば、弁護団にとって極めて有利な新証拠となり得る。

2.リストにこれらの記録が含まれていない場合

•一般的な捜査実務において、目撃証言に関する捜査メモやノートが存在しないことは極めて異例である。

•したがって、検察が不利な証拠を意図的に隠蔽あるいは破棄した可能性が浮上し、証拠開示義務違反の問題が問われることになる。

この点に関し、福岡高裁が証拠リストの開示を求めたことは、検察の主張に対する一定の疑義を抱いている可能性があると同時に、弁護側の主張と公平に比較しようとする司法の姿勢を示していると考えられる。

今後の展望

証拠リストの提出後、福岡高裁はその内容を精査し、

•弁護団にリストの一部または全部を開示するか否か

•再審開始の判断材料としてどのように評価するか

を慎重に検討することとなる。もし裁判所が弁護団にリストを開示する場合、新たな証拠が判明し、再審開始の可能性が大幅に高まる。一方、開示が認められない場合であっても、弁護団はさらなる開示請求を行い、検察の証拠管理の在り方について厳しく追及する可能性がある。

この証拠リストの開示問題は、飯塚事件における冤罪の可能性を巡る司法判断の転換点となることが予測される。福岡高裁が今後下す判断は、日本の刑事司法における証拠開示のあり方そのものに大きな影響を及ぼす可能性があり、慎重に注視する必要がある。

福岡高裁、証拠リストの開示勧告を見送り—再審請求への影響は?

福岡高等裁判所は2025年2月27日、『飯塚事件』の第二次再審請求に関連し、弁護団が開示を求めていた証拠リストについて、検察に対し開示を勧告しない意向を示した。福岡高裁はこれまで、裁判官のみが証拠リストの内容を確認する「インカメラ審理」を実施し、検察にリストを提示させていたが、今回の決定により、弁護団が求める証拠の開示が一層困難になる可能性が高まった。

本件の中心的争点は、事件の起点となった三叉路での目撃証言の任意性に関わる証拠の存否である。特に、当時の目撃証言者である『D山D子』氏の供述の変遷を示す「初期の捜査記録」が証拠リストに含まれているか否かは、再審請求の行方を左右する極めて重要な要素である。弁護団は、『D子』氏の員面調書や検面調書が作成される前の「警察官の捜査メモ」や「捜査ノート」などが未開示のままであることを問題視しており、これらの記録が検察側の証拠リストに含まれているかを確認するため、開示を求めていた。

福岡高裁が証拠リストの開示を勧告しない意向を示したことは、今回の再審請求の行方に重大な影響を及ぼす。本件において争点となるのは、事件の起点となる三叉路での目撃証言の任意性であり、特に証言者『D山』氏に対する「初期の調書」や「上申書」「捜査ノート」「捜査メモ」類の存否は、事件の構図そのものを左右し得る要素である。この証言が警察による誘導や圧力のもとで形成されたものであれば、供述の信用性は大きく揺らぎ、事件全体の証拠構造を再検証する契機となる。

そもそも目撃証言は捜査の出発点であり、これが歪められたものであれば、以降の証拠の解釈や有罪認定の根拠自体が不安定なものとなる。捜査の初期段階で『D山』氏がどのような供述を行い、それが後にどのように変遷したのかを検証するためには、当時の「捜査ノート」類の開示が不可欠である。「供述調書」と「捜査ノート」の乖離が見られれば、捜査過程における恣意的な誘導の可能性を示唆することができるだろう。また、初期供述とその後の証言が著しく異なる場合、その変遷が証言者自身の記憶の変化によるものなのか、それとも捜査当局の働きかけによるものなのかを精査する必要がある。

しかし、福岡高裁はインカメラ審理の結果を踏まえ、検察に対して証拠リストを弁護団に開示するよう勧告しないと判断した。さらに、弁護団が求めていた「関係者の証言に関連する初期の捜査資料」についても、裁判所はリストの精査を行った結果、「該当するものはない」と説明している。これに対し、弁護団の『徳田靖之』弁護士は会見で、「具体的な検討過程を説明してもらわなければ納得できない」と述べ、裁判所の判断に疑問を呈した。

福岡高裁がインカメラ審理を実施した上で証拠リストの開示を勧告しないと判断したことは、検察の主張に一定の信憑性を認めたと解釈できる。しかし、同時に、弁護側の主張と公平に比較しようとする司法の姿勢がどの程度反映されたのかは依然として不透明である。

2025年2月27日以降の展望

証拠リストの開示が見送られたことで、弁護団の今後の戦略が焦点となる。まず考えられるのは、福岡高裁に対し、開示勧告を見送った理由を詳細に説明するよう求めることである。インカメラ審理の具体的な検討過程が不透明である以上、司法の透明性を確保する観点から、検察の証拠管理の適正性を問い直し、改めて開示の必要性を主張することが重要となる。

また、弁護団は未開示証拠の存否をより具体的に特定し、追加の証拠開示請求を行う可能性がある。特に、目撃証言に関する「初期の捜査記録」が存在するかを再調査し、関連する捜査報告書や供述録取書の開示を改めて求めることで、証拠の全容を明らかにすることを試みるだろう。そのためには、公判記録・捜査関係者の証言・捜査慣例との比較・インカメラ審理の矛盾追及といった多角的なアプローチを組み合わせることが鍵となる。特に、過去の冤罪事件で証拠開示が争点となった事例を参照しながら、検察の説明の不備を追及することで、未開示証拠の開示を実現する可能性がある。

さらに、仮に福岡高裁が即時抗告を棄却した場合、弁護団は最高裁への特別抗告を検討することになる。その際には、証拠開示が十分に行われていないことが適正手続の保障に反すると主張し、憲法上の問題として争う戦略が考えられる。これにより、単なる個別事件としてではなく、刑事司法全体に関わる問題として議論を喚起することが可能となる。

その後、福岡高裁は2026年2月16日に即時抗告を棄却し、弁護団は2月24日、最高裁に特別抗告した。

加えて、弁護団は世論喚起を通じて司法改革への訴えを強めることも想定される。近年、冤罪事件に対する社会的関心が高まりつつあり、本件の証拠開示の不透明性が問題視される可能性は高い。過去に再審無罪となった『足利事件』や『東住吉事件』と比較し、刑事司法の透明性向上を求めることで、世論を味方につける戦略も有効である。こうした法的・社会的アプローチを組み合わせることで、弁護団は再審開始に向けた新たな突破口を模索することになるだろう。

飯塚事件、第三次再審請求へ――DNA型「不一致」の新証拠

第二次再審請求について、福岡高裁は2026年2月16日、福岡地裁の判断を支持して即時抗告を棄却した。弁護団は同月24日、これを不服として最高裁に特別抗告している。

その審理が続くなか、同年9月24日、弁護団が新たなDNA型鑑定を証拠として、福岡地裁に第三次再審請求を申し立てる方針であることが報じられた。

今回の新証拠は、事件当時に行われたMCT118型DNA鑑定の残存ネガフィルムを再検証したものである。弁護側は、被害女児に付着した血液などから検出された犯人由来とみられるDNA型と、久間氏のDNA型は一致していなかったと主張している。

第一次再審との違い

第一次再審では、犯行資料と久間氏資料は別々の機会に電気泳動されたものとして扱われた。

5・以下の図表は、事件発生からDNA鑑定・逮捕、再審までの流れ

時期出来事
1988年12月4日飯塚市で別の小学1年女児が行方不明。後の報道では、失踪前に久間氏宅へ立ち寄ったことなどから、警察が久間氏との関連を捜査したとされる。
1992年2月20日飯塚市で小学1年女児2人が登校中に行方不明。
1992年2月21日甘木市(現・朝倉市)の山中で女児2人の遺体が発見される。
1992年3月2日遺留品発見現場付近の車両目撃者に警察官が最初に接触したとされる。後に開示された同日付捜査報告書には「後輪ダブルタイヤ」の記載はなかった。
1992年3月4日目撃供述に「後輪ダブルタイヤ」など、車両特徴を具体化した内容が記録される。
1992年3月7日3月9日の供述調書を作成する警察官が、その2日前に久間氏所有車両を確認していたことが後の再審資料で判明。
1992年3月9日遺留品発見現場付近の目撃者の供述調書が作成され、「車体にラインは入っていなかったと思う」などの特徴が記載される。
1992年3月20日久間氏が重要参考人として取調べを受け、ポリグラフ検査を実施。DNA型鑑定のための毛髪と指紋を任意提供。
1992年8月16日西日本新聞が「重要参考人浮かぶ DNA鑑定で判明」と報道。犯人由来とされたDNA型と久間氏のDNA型がほぼ一致するとの情報を基にしたスクープとされる。
1992年9月26日久間氏がマツダ・ボンゴ(ウエストコースト)を新車購入先に下取り(売却)。捜査機関は同日、同車を押収した。
1994年9月23日久間氏を死体遺棄容疑で逮捕。その後、略取誘拐・殺人等で起訴。
1994年11月11日1988年女児不明事件で、飯塚市明星寺の山林から失踪女児のものと確認されたジャンパーとトレーナーが発見されたと当時報道。
1999年9月29日福岡地裁が死刑判決。
2001年10月10日福岡高裁が控訴棄却。
2006年9月8日最高裁が上告棄却。
2006年10月8日死刑判決が確定。
2008年10月28日死刑執行。
2009年10月28日第一次再審請求。DNA鑑定・目撃供述の信用性が主要争点。
2014年3月31日福岡地裁が第一次再審請求棄却。DNA「一致」を単純に有罪根拠とできない状況を認めつつ、他の情況証拠で有罪認定を維持。
2021年4月21日最高裁が第一次再審の特別抗告を棄却。
2021年7月9日第二次再審請求。新たな目撃証言・従前目撃者の供述変更を中心に争う。
2024年6月5日福岡地裁が第二次再審請求を棄却。
2026年2月16日福岡高裁が第二次再審請求の即時抗告を棄却。
2026年2月24日弁護団が福岡高裁決定を不服として最高裁に特別抗告。
2026年9月24日犯人由来とみられるDNA型と久間氏の型が一致していなかったことを示す新鑑定を新証拠として、第三次再審請求を行う方針が報道される。

弁護側は当時から、ネガフィルムに久間氏や被害者とは異なる「X-Yバンド」が存在し、それが犯人由来のDNA型を示す可能性を主張していた。しかし裁判所は、異なるゲルで電気泳動された資料について、二枚の泳動写真上のバンド位置を直接比較する方法は適切ではないとして、この主張を採用しなかった。

その結果、第一次再審では、従来のDNA型「一致」をそのまま有罪認定の根拠とすることはできないとされながらも、「不一致」とまでは認定されなかった。

切断されたネガと「同一ゲル」

第三次再審で新たに問題となるのが、DNA型鑑定に使用されたネガフィルムの切断部分である。

報道によれば、弁護側はネガフィルムを改めて解析し、切断された端部に残る配列などから、犯人由来とみられるDNA型と久間氏のDNA型が一致していないと判断したとしている。

本調査で注目したのは、これまで別々の電気泳動資料として扱われてきた二つのネガが、もともと一枚の同一ゲルを撮影したものであった可能性である。

もし二つの資料が同一ゲル上で電気泳動されたものであることが確認されれば、第一次再審で前提となった「別々の電気泳動だから写真上のバンド位置を直接比較できない」という問題は変わる。

第三次再審で問われるのは、第一次再審で残された「一致とも不一致とも確定できない」という地点から、犯人由来とみられるDNA型と久間氏のDNA型は「不一致だった」と判断できるかどうかである。

不一致が認定されれば、DNA証拠は単に有罪認定から外れるだけではなく、久間氏を犯人から排除する方向の証拠となる。

第二次再審が、目撃供述から犯人車両を特定した過程を問い直すものであったのに対し、第三次再審は、犯人由来とされた生体資料と久間氏を結び付けたDNA鑑定そのものを改めて問うことになる。

論点第一次再審第三次再審で問われる点
電気泳動の前提 犯行資料と久間氏資料は、別々の機会に電気泳動されたものとして扱われた。 切断された二つのネガは、もともと同一ゲルを撮影したものではないか。同一ゲルであれば、両資料は同じ電気泳動で同時に泳動された可能性が生じる。
バンド位置の比較 裁判所は、異なるゲルで電気泳動された資料について、二枚の泳動写真上のバンド位置を直接比較する方法は適切ではないとした。 同一ゲル・同時泳動であれば、同一条件下でバンド位置を直接比較できることになる。
X-Yバンド 弁護側は、久間氏や被害者とは異なる「X-Yバンド」が、犯人由来のDNA型を示す可能性を主張した。 犯人由来とみられるDNA型と久間氏のDNA型について、同じゲル上での位置関係を改めて比較できるかが問題となる。
第一次再審の到達点 従来のDNA型「一致」をそのまま有罪認定の根拠とすることはできないとされた一方、「不一致」とまでは認定されなかった。 第一次再審で残された「一致とも不一致とも確定できない」という地点から、犯人由来とみられるDNA型と久間氏のDNA型は不一致だったと判断できるかが問われる。
DNA証拠の意味 DNA型鑑定の証拠価値が問題となったが、久間氏を犯人から排除する証拠とは認定されなかった。 不一致が認定されれば、DNA証拠は単に有罪認定から外れるだけでなく、久間氏を犯人から排除する方向の証拠となる。

仮に二つのネガが同一ゲルを撮影した一続きのフィルムであったなら、次に残るのは、なぜそのネガが切断され、別個の資料として扱われる状態になったのかという問題である。弁護側は現時点で切断の目的までは主張していない。しかし、切断された二つのネガが、第一次再審では「別々の電気泳動」による資料として扱われたのであれば、切断そのものの意味は小さくない。 弁護側が切断の目的まで踏み込んでいない理由は明らかではない。ただ、第三次再審で必要なのは、切断の意図そのものを立証することではなく、二つのネガが同一ゲルを撮影したものであり、犯人由来とされるDNA型と久間氏のDNA型を直接比較できることを示すことである。切断の目的を争点化しなくても、第一次再審の前提を問い直すことはできる。

先に動画で概要を見る(記事の要点YouTube)

本記事は長文のため、まず全体像を把握したい方は、以下の要約動画をご覧ください。

🎥動画『Clairvoyant report channel』『飯塚事件│有罪認定は揺らがないのか』


◆参考資料
『福岡の2女児殺害不審な白い車の男91年秋から度々目撃』読売新聞1992年2月25日付
『福岡の2女児殺し埋もれていた変質情報事件後に証言続々』読売新聞1992年3月2日付
『観光シーズンに不安、飯塚の女児殺害で甘木市秋月地区』西日本新聞1992年3月4日付
『小1、白い車の男に誘われる逃げて無事飯塚で2度』朝日新聞1992年3月12日付
『事件後も白い車、2女児殺害の飯塚市内で相次ぎ声掛ける』西日本新聞1992年3月12日付
『愛子ちゃん事件発見の骨3点、人と断定できず』読売新聞1995年3月8日付

木寺一孝『正義の行方』講談社2024

NHKニュース2025年1月30日 21時02分配信
NHKニュース2025年2月27日 21時00分配信

飯塚事件弁護団『死刑執行された冤罪・飯塚事件』現代人文社 ,2022.

FBS福岡放送ニュース「【飯塚事件】死刑判決の証拠の一つ『DNA型鑑定に不正の疑い』3回目の再審請求へ」2026年9月24日
第三次再審、新たなDNA鑑定、ネガの切断痕跡、同時泳動、不一致との主張。弁護団側が「同時泳動」を明確に主張。 ライブドアニュース
FBS福岡放送ニュース

共同通信「飯塚事件、第3次再審請求へ 犯人DNA型と不一致主張」2026年9月24日
本田克也名誉教授によるネガフィルム再検証、切り取り痕跡、犯人由来DNA型と久間氏DNA型が一致しないとの判断について。 熊日電子版|熊本日日新聞社
熊本日日新聞掲載記事

大阪弁護士会「『飯塚事件』の再審請求棄却決定に関する会長声明」2024年7月12日
第一次再審における本田鑑定、ネガフィルムの切除、X-Yバンドなど、今回追加した「第一次再審との違い」の背景確認に使用。 大阪弁協会
大阪弁護士会 会長声明

読売新聞「福岡の2女児殺し 埋もれていた変質情報 事件後に証言続々」1992年3月2日付
1992年2月6日の不審者情報と、その後約10日間にわたって潤野小学校側がパトロールを行ったとの記述に使用。

文部科学省『平成6年度教育白書』第1部第2章
1992年9月から第2土曜日を休業日とする月1回の学校週5日制が始まったことの確認に使用。 文部科学省
文部科学省「学校週5日制」

気象庁「過去の気象データ検索」飯塚観測所
「曜日と天候から見えるもの」で、1988年12月4日、1992年2月6日、2月20日、3月7日、3月10日の天候・降水量・気温を確認するために使用。
1988年12月4日
1992年2月6日
1992年2月20日
1992年3月7日
1992年3月10日


◆微量DNA検体の費消と再鑑定不能という論点を含む失踪事件


Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste Roquentinは、Albert Camusの『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartreの『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場する主人公の名を組み合わせたペンネームです。メディア業界での豊富な経験を基盤に、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルチャーなど多岐にわたる分野を横断的に分析しています。特に、未解決事件や各種事件の考察・分析に注力し、国内外の時事問題や社会動向を独立した視点から批判的かつ客観的に考察しています。情報の精査と検証を重視し、多様な人脈と経験を活かして幅広い情報源をもとに独自の調査・分析を行っています。また、小さな法人を経営しながら、社会的な問題解決を目的とするNPO法人の活動にも関与し、調査・研究・情報発信を通じて公共的な課題に取り組んでいます。本メディア『Clairvoyant Report』では、経験・専門性・権威性・信頼性(E-E-A-T)を重視し、確かな情報と独自の視点で社会の本質を深く掘り下げることを目的としています。

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