
三億円事件の謎
ここからは、三億円事件の謎を「遺留品」「犯行の曜日」「犯行の時間帯」などから考察していこう。なぜなら、「多摩農業協同組合」への脅迫事件、第四現場付近(東京都小金井市本町4-8付近公団駐車場)から発見された複数の盗難車両、そして、犯罪史に残る未解決事件「三億円事件」が同一犯による犯行と仮定した場合、「遺留品」「犯行の曜日」「犯行の時間帯」からその犯人像や生活状況を推察できると考えられるからだ。
画像は「三億円事件の犯人の関与が考えられる事件の犯行日時などを表した図」三億円事件の犯人の関与が考えられる事件の犯行日時などを表した図である。
なお、青色の箇所は三億円事件の犯人が関与したと「思われる」事件であり、オレンジ色の箇所は3億円事件に直接関係する事件および犯人と思しき人物の目撃情報である。
遺留品と窃盗現場の2つの足跡の謎
前述のとおり、第四現場付近(東京都小金井市本町4-8付近公団駐車場)から発見された複数の盗難車両の窃盗事件および盗難車両などを隠すために使用したボディーカバーなどの遺留品は、東京都下の広範囲の地域から盗まれた物だ。このことから、三億円事件の犯人がこれらの窃盗事件に関係していると仮定するなら、共犯者の存在が浮かび上がる。そして、その共犯者の唯一の手掛かりとなる「物証」は、1968年11月30日(土曜日)の夜間から12月1日(日曜日)の間に行われた追跡・監視用のトヨタ・カローラ1966年型2ドア(多摩5め3863)の盗難現場(飲食店の敷地内)に残された「小さな足跡」だけである。
三億円事件で使用された追跡・監視用のトヨタ・カローラ1966年型2ドア(多摩5め3863)は、1968年11月30日(土曜日)の夜間から12月1日(日曜日)の間に東京都日野市東平山の飲食店(料亭)敷地内ガレージから盗みだされた。盗難された車の持ち主である飲食店の女将の調書には、「エンジンの音は聞かなった」(参考:『雨の追憶 図説 三億円事件』 P,48-49むらきけい著,2005,文芸社)とあるらしい。このことから、車を盗み出した犯人(達)は、車を敷地内から敷地外まで「押して運び」敷地外でエンジンを始動させた可能性が考えられる。そして、その現場には大小異なる2つの足跡があったともいわれる。
上記調書の内容の真偽は不明だが、上記から三億円事件で使用された追跡・監視用のトヨタ・カローラ1966年型2ドア(多摩5め3863)の窃盗には、二人の人物が関係した可能性が考えられる(2つの足跡の主が同時に現場に居たと仮定した場合だが)
なお、追跡・監視用のカローラを乗り捨て、エンジンをかけたまま駐輪していた偽装白バイに乗り換えた第三現場(東京都府中市栄町2-22付近の空き地)から発見された三億円事件の犯人のものと思われる足跡は、25.5cm~26cmといわれている。三億円事件の実行犯の足跡(25.5cm~26cm)を東京都日野市東平山の飲食店(料亭)敷地に残された小さい方の足跡と考えるなら、大きな足跡は27cm以上の足跡になる。三億円事件の実行犯の足跡(25.5cm~26cm)を大きな方の足跡と考えるなら、小さな足跡は24cm以下と考えられこの足跡の主は女性の可能性もある。
犯行の曜日から謎を推察
前述の「三億円事件の犯人の関与が考えられる事件の犯行日時などを表した図」と「三億円事件の犯人が関与した可能性が考えられる車両窃盗事件一覧」で示したとおり、「多摩農業協同組合」脅迫事件と旧「日本信託銀行国分寺支店」への脅迫は、所謂「五十日」と呼ばれる5日、10日、25日に集中し、三億円事件の実行日は冬のボーナス支給日の10日である。所謂「五十日」は、金融機関と取引がある企業などの給与支払い日、各種支払日が集中する日だ。つまり、金融機関の扱い業務が増え、取り扱い現金量が増える日だ。多額の現金を奪いたい犯人が所謂「五十日」を狙い脅迫、奪取計画を立てたのは容易に想像できる。着眼点はやはり、車などの窃盗を行った曜日と三億円事件前に偽装白バイが目撃された曜日だろう。
車両窃盗は水曜日を中心とした火曜日から木曜日に集中しており、一般的に休日の前日と考えられる土曜日、休日と考えられる日曜日の犯行は「小さな足跡」が残された1968年11月30日(土曜日)の夜間から12月1日(日曜日)朝の間に行われた追跡・監視用のトヨタ・カローラ1966年型2ドア(多摩5め3863)の盗難現場(飲食店の敷地内)だけだ。
「車両窃盗は水曜日を中心とした火曜日から木曜日に集中している」――これは何を意味するのか?犯人が社会人であり、職業を持っている人物と仮定した場合――「水曜日を中心とした」は犯人の業種、職種を推理するための参考になるかもしれない。
犯行の時間帯から謎を推察
当然のことながら車両窃盗事件は目撃者の少ない夜間に行われることが多い。三億円事件の犯人も目撃者の少ない夜間から翌日の朝までの間に車両(二台のトヨタ・カローラや偽装白バイ用のバイク)などを盗み出している。
そして、三億円事件が発生した1968年12月10以前の偽装白バイの目撃情報は、午前8時から午後4時頃(11月28日木曜日、11月29日金曜日の目撃情報)、12月1日未明の「京王線高幡不動駅」近くでの駐輪目撃情報、三億円事件前日の12月9日などの目撃情報である。
事件現場に2つの足跡があったといわれる追跡・監視用のカローラが盗まれたのは11月30日夜間から12月1日の朝までの間である。このことから、12月1日未明の「高幡不動駅」近くに駐輪されていた偽装白バイク(この時点では白色塗装の偽装がなされておらずバイクの色は青だった)の目撃情報は、窃盗現場(東京都日野市東平山)に向かう前の犯人の居所、立ち寄り先または窃盗事件後に立ち寄った共犯者宅、犯人の関係先、犯人の自宅付近などの可能性が考えられ、非常に重要な目撃情報だといえる。
上記、12月9日21時前後の偽装白バイが目撃された場所は「北多摩郡村山町(武蔵村山市)」の旧青梅街道付近といわている。この目撃情報が正しいとするなら、犯人はそれから約12時間後に前代未聞の三億円事件を遂行することとなる。三億円事件の犯行現場から直線距離で10キロ以上も離れた「北多摩郡村山町(武蔵村山市)」で犯人は何をしていたのか?共犯者の自宅に向おうとしていたのか?勤務先などから自宅に戻る途中だったのか?「北多摩郡村山町(武蔵村山市)」で目撃された偽装白バイと思われるバイクに三億円事件の犯人が乗っていたとしたのならば――「北多摩郡村山町(武蔵村山市)」およびそこから北方面にある埼玉県南部には――なにがあったのだろう。
事件当日の経緯とまとめ
ここでは、三億円事件の犯行当日(1968年12月10日)の犯人の動きを考察してみよう。前代未聞の大事件の「実行犯」は、一人だと推認される。共犯者がいたのなら、その共犯者は関連するといわれる複数の車両窃盗事件と三億円奪取後の第四現場からの犯人逃走の手助けをしたのだろう。
犯行の経緯
三億円事件を単独犯の犯行と考えていた昭和の名刑事「平塚八兵衛」の事件当日の犯人の動向の仮説を取り上げるまでもなく、1968年12月10日の犯人は非常に忙しい。
旧「日本信託銀行国分寺支店」の監視、張り込みから始まり、三億円を運搬する車両の尾行と監視。監視の途中に第三現場で追跡・監視用のカローラから偽装白バイに乗り換え、三億円を奪取した第一現場に急ぎ、旧「日本信託銀行国分寺支店」の4人を騙し現金運搬車を奪い、逃走用カローラを駐車していた第三現場で3億円の入った3個のジェラルミンケースを逃走用カローラに乗せ換え、そのカローラで第四現場に向かう。第四現場では3個のジェラルミンケースから三億円を取り出し、車種不明の逃走用車両に乗せ換え永遠の謎の中に消えた。また、偽装白バイ1台、逃走用カローラ一台を事前に所定の場所(第二、第三現場)に配置する作業も必要だ。これらを雨のなか一人で行うのは大変な作業である。だが、犯人はそれらを一人で行ったのだろう。複数での実行には仲間同士の情報伝達が必須になる。携帯電話などがない時代だ。時間も限られている。9時過ぎには現金運搬の車は動きだす。失敗は許されない。だからこそ、一人で実行したのかもしれない。共犯者が「足の小さな人物」=女性だとした場合、女性を連れてのこの一連の作業はリスクになる可能性がある。犯人はそう考え、第四現場からの逃走だけを共犯者に任せたのかもしれない。
検問を突破した白色ライトバンと事件との関係性
前述のとおり、三億円事件の発生を認識した警察は、東京、山梨、埼玉、神奈川、千葉に緊急配備指令を発令し、主要道路を中心に都内900か所余での検問職質を実施している。(参考:首都圏に空前の大捜査網 毎日新聞1968年12月10日夕刊)
三億円事件発生から約2時間後の午前11時10分頃、都内の「高円寺陸橋」付近で警察の検問を突破した白色のライトバンがいたといわれる(参考:不審な車、検問突破 環状7号 朝日新聞1968年12月10日夕刊)。また、このライトバンの後部座席には、ジェラルミンケースがあったとの情報も散見されるため、このライトバンを犯人の関係車両とする説も散見されるが――三億円事件で奪われた3個のジェラルミンケースは、第四現場に駐車されていた逃走用カローラから発見されている。
上記のライトバンが犯人に関係すると考えた場合、犯人は事件後に第三現場(東京都国分寺市西元町3-26付近)から第四現場(東京都小金井市本町4-8付近団地内)に向い、ジェラルミンケースから現金を抜き取らず、ジェラルミンケースごと最終的な逃走用車両(ここで想定されるのは前述の白のライトバン)に乗せ、検問が想定される青梅街道などの幹線道路を使い新宿方面などの東京都心部に向い、さらに検問が解除された後(東京都内の検問解除は事件当日の15時44分頃、その他の隣接県は13時頃の解除だったといわれている)、第四現場に戻り三億円事件で使用した逃走用カローラにジェラルミンケースを乗せたことになる。
上記の行動は非常にリクスのある行動であり無駄な行動でもある。綿密な計画を立てる思考能力と判断能力を持つと推察される三億円事件の犯人らしからぬ動きともいえ――この白色のライトバンは――三億円事件とは無関係と考えられる。
三億円事件の犯人像を考察
三億円事件の犯人に関するこれまでの推論は以下のとおりである。
- 犯人は警察官の息子少年Sではない
- 犯人の年齢層は小説などの創作物で描かれることの多い10代後半から20代ではない
- 犯人は粗暴犯でない。知能犯である
- 犯人に共犯者がいたのなら、その共犯者は小柄な人物=女性の可能性がある
- その共犯者は当時、東京都下に住んでいた。犯人はその共犯者の住居などに出入りし犯行にも利用した
- 三億円奪取の犯人は、現在の「武蔵村山市」およびその北側の埼玉県南部に関係する
ここからは、三億円事件との関係性が指摘さている「多摩農業協同組合」の脅迫文から犯人像を考察を続けていこう。
脅迫文の内容からの考察
三億円事件と「多摩農業協同組合」脅迫事件の関係性に着目した警察は、作家や大学教授などの識者・専門家十数名に「脅迫状」の分析、鑑定、考察を依頼している。そして、彼ら識者・専門家などは脅迫状作成者の属性を高校卒業程度の知識を有する几帳面で集団活動を好まない内向的だが自己顕示欲の旺盛な年齢20代から30代までの人物ではないかと推理している。
また、脅迫状で使われた「わかち書き」という特殊な表現方法や強調箇所へ使用する特殊な記号(●―●―●:特別注意を意味する)や助詞の「ワ」の使用、濁点の表記方法からカナ文字タイプ経験者ではないかとの見立てをしたようだ。
ここでは、「多摩農業協同組合」脅迫事件に使われた脅迫状の一人称と二人称に着眼しよう。
「多摩農業協同組合」脅迫事件に使われた5通の脅迫状の一人称は、脅迫状により異なり「ぼく」「オレタチ」「我々」「ワレラ」「おれ」が使われていた。二人称も脅迫状により異なり「オヌシ」「オマエ」「アナタ」が使われている。この定まらない一人称と二人称はなにを意味するのか?脅迫文を書く際の犯人の感情に左右されているのか?それとも複数の人間により書かれたのか?だが、当時の警察鑑定では、ほぼ同一の人物による文章だとの結論されている。では、なぜ、一人の人物が一人称と二人称を変えながら文章を作ったのか?一つの可能性として、文章を作る人間と書く人間の二人による共作の可能性を指摘しよう。一人が文書を声に出し書き手に伝える。文章を考える人間と文章を書く人間の属性――つまり、性別が違う場合を想定することは――無謀な推理だろうか?
一連の脅迫状には間違いを訂正した箇所が数箇所確認できる。その訂正方法は、元の文字を塗りつぶす方法だ。聞き取りの間違いからの訂正――そう考えることはできないだろうか?
さらに5回目の脅迫状(最後の脅迫状)には、以下の言葉がある。
男ラシク アナタノ ハラデ カイケツセヨ。
多摩農業協同組合への5回目の脅迫状
三億円事件と並ぶ未解決事件の代名詞的事件「グリコ・森永事件」(参考:グリコ・森永事件 検証-5『滋賀県から海外へ』)の犯人怪人21面相からの脅迫状(挑戦状)にも「男らしさ」や「男」に関する記述があるが――怪人21面相の脅迫状(挑戦状)から受ける印象とは違い「多摩農業協同組合」脅迫事件の脅迫状からは――女性が男性に向い――「男らしさを鼓舞しろ」――そう感じてしまう。なぜなら、怪人21面相は「男らしい男を認める」ためにこの言葉を使っているが――「多摩農業協同組合」脅迫事件の脅迫状は、女性が「男らしくない」と感じた男性に向い「発破をかける」意味で使っているからだろうか。
犯人居所を考察 東京近県の可能性
三億円事件と関係性が指摘される「多摩農業協同組合」脅迫事件および第四現場付近で発見された複数の車両窃盗事件が同一犯の仕業だとするなら、犯人は東京都下(多摩地域)に土地鑑がある人物だと容易に想像ができる。犯人は同地域で生まれ育ったかもしれない。犯人は事件当時、同地域に住んでいたかもしれない。犯人の職場または仕事の関係先などが同地域にあったかもしれない――そう、犯人と同地域にある(あった)だろう様々な関係性を想像することができる。
そして、本サイトでは、犯人と同地域の関係性を次のように考える。三億円事件の舞台であり、複数の車両の盗難事件の現場でもある東京都下の地域には、三億円奪取の犯人(男性)の共犯者――小さな足跡の持ち主が――住んでいたのではないか?三億円事件では事前に盗まれたバイクを含む複数の車両が使われている。それらの車の登録番号(ナンバー)は、多摩ナンバーだ。他府県や他の地域のナンバーでは金融機関の監視や現金輸送車の尾行の際に目立ってしまう。多摩地域を現場にする犯罪では多摩ナンバーの車両が必要だ。そして、事件後の警察の緊急配備をすり抜けるには多摩ナンバー以外の車が役に立つ。
前述のとおり、12月9日21時前後、「北多摩郡村山町(武蔵村山市)」の旧青梅街道付近で、1968年12月10日に発生した三億円事件の犯人が使用した偽装白バイと同一バイクの可能性がある(偽装)白バイの目撃情報がある。犯人は1967年~68年の12月10日まで東京都に隣接する埼玉県北部に住んでいたのではないか?そして、窃盗事件、脅迫事件、三億円事件などの犯罪を行う際には――小さな足跡の持ち主の住む多摩地域で――想像は無限に広がる。
事件後の犯人を考察
これまでの検証と考察により、本サイトは三億円事件の犯人像を以下のとおり推論する。
- 犯人は単独犯ではない
- 犯人の年齢は30歳前後の男女2人組である
- 主犯の男性の居所は東京都以外(埼玉県南部など)にあった
- 共犯の女性の居所は東京都下(日野市内など)にあった
雨の1968年12月10日(火曜日)から50年以上の歳月が流れた。三億円事件当時の犯人の年齢が30歳前後だと仮定するなら、犯人は1940(昭和15)年前後の生まれとなり、現在(2022年4月17日現在)80歳を超えている。
政治の時代ともいわれる1960年代を生きた男女のその後はどうなったのだろうか?密告などによる裏切りがあれば三億円事件は解決した。そのことから考えられるのは、どちらかは三億円事件後に他界した。二人とも三億円事件の直後に他界した。
または――この二人は家族となり永遠の「愛」と「秘密」を守る誓いを立てそれに従い――たまに二人は若かったころを思い出し――
三億円事件は誰もが認める犯罪史に残る未解決事件だ。
三億円事件は小説、映画、ドラマで描かれた。三億円事件は社会全体に影響を与えた。小説や映画やドラマのなかで描かれる犯人。これからも三億円事件は描かれ続け、多くの作品に影響を与え、多くの表現者と受け手の感性を刺激するだろう。
三億円事件の犯人は恋人関係にあった男女二人組である。そして、この妄想は膨らみ続ける。
★参考・引用文献
『雨の追憶 図説 三億円事件』むらきけい著,2005,文芸社
『宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査一課元刑事の23年』原雄一,著2018年 講談社
不審な車、検問突破 環状7号(朝日新聞1968年12月10日夕刊)
複数の計画犯行か (毎日新聞1968年12月10日夕刊)
驚くべき綿密な計画(1968年12月11日朝日新聞)
ぼくの小説まねた 三億円強奪を推理する 複数だと大藪さん驚く(毎日新聞1968年12月11日)
首都圏に空前の大捜査網(毎日新聞1968年12月10日夕刊)
★映像
『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(Catch Me If You Can)』2002年公開 監督 スティーヴン・スピルバーグ、主演 レオナルド・ディカプリオ、トム・ハンクス
『悪魔のようなあいつ』1975年 TBS 原作:阿久悠 主演 沢田研二
『実録犯罪史シリーズ 新説・三億円事件』1991年 フジTV 原作:大下英治 主演 織田裕二
『モンタージュ 三億円事件奇譚』 2016年6月25日、26日 フジTV 原作:渡辺潤 主演 福士蒼汰
『実録三億円事件 時効成立』1975年公開 監督 石井輝男、出演 小川真由美、岡田裕介
『史上最高3億円強奪さる』株式会社中日映画社
Clairvoyant report 独自視点の未解決事件 考察シリーズ
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