帝銀事件モンタージュ

帝銀事件 2つの類似事件と2つの関係事件

帝銀事件の時代背景

1945(昭和20)年8月15日、ポツダム宣言を受諾した日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下に置かれた。その後、1947(昭和22年)4月25日の第23回衆議院議員総選挙で日本社会党が第一党となり、日本社会党委員長率いる片山内閣が発足する。

空襲により焼け野原となった新宿には博徒系ヤクザ関東尾津組が「光は新宿より」のキャッチフレーズを掲げた大規模な闇市(尾津マーケット)が生まれ、闇市には多くの人が毎日のように食料、日用品、仕事などを求め集まっていたのだろう。そのような「戦後のど真ん中」の社会状況のなか、1948(昭和23)年1月26日(月曜日)、12名の死者を出した凶悪な強盗殺人事件「帝銀事件」は発生した。

この凶悪な帝銀事件で逮捕、起訴、死刑が確定したのは著名な画家「平沢大暲(本名:平沢貞通)」である。平沢貞道は無実を主張しながら約39年間を獄中で過ごし95歳で他界したが、帝銀事件にはいまだに冤罪説、複数犯説、GHQ関与説、旧日本軍の特務機関や731部隊の関与説など多くの疑問や謎が有ると指摘されている。なお、昭和23年には、死刑冤罪事件の「免田事件」、拷問的な取り調べによる自白強要が証拠となり一審で死刑判決などを受け、その後、無罪となった「幸浦事件」などの冤罪事件。アプレゲール犯罪といわれた「光クラブ事件」。多数の嬰児を殺した「寿産院事件」や複数の女性とその子を崖から落とし殺害した「おせんころがし殺人事件」などの凶悪事件などが発生している。全てが変わった1945(昭和20)年8月15日から約3年の日本社会は混沌の時代だったのだろう。そのような社会情勢のなか、1948年(昭和23年)1月26日(月)15時過ぎ、厚生省技官医学博士の肩書と東京都の防疫課の名称が印刷された名刺を持ち、近隣で発生した集団赤痢の予防のためGHQの指示により来たと語る一人の男が「帝国銀行椎名町支店」(当時の住所:東京都豊島区長崎1-33)に現れ、子供を含む12名を青酸化合物とみられる薬物で殺害し、現金181,900円、小切手1枚(17,450円)の総額181,900円を奪った強盗殺人事件が発生した。この前代未聞の大事件――いまだに多くの疑問を残す戦後を象徴する事件――を検証してみよう。

終戦・戦後・帝銀事件 Clairvoyant report channel

帝銀事件 一人で多数を制圧した犯人

この前代未聞の凶悪犯罪「帝銀事件」は、本事件 (「帝国銀行椎名町支店」の強盗殺人) と2つの未遂事件と関係性が指摘される2つの事件、さらに本事件(帝銀事件)の翌日(1948(昭和23)年1月27日、14時40分頃)、本事件で詐取した小切手を換金した事件(「安田銀行板橋支店」を舞台とした事件)の合計6つの事件で成り立っている。なお、平沢貞道の犯行と裁判で認定されている事件は本事件 (「帝国銀行椎名町支店」の強盗殺人)とそれ以前の未遂事件2件、本事件の翌日に発生した小切手換金事件の合計4事件であり、松本清張や和多田進(ドキュメント帝銀事件 毒の告発,2013,solaru)などにより関係性が指摘される関連2事件は、その真偽などに不明な点もあるが、本サイトでは「帝銀事件」を考察するうえでのヒントとなる関係性事件として扱いたいと思う。

以下の図の赤枠が平沢貞道の犯行と認定された4つの事件である。なお、同図は(昭和23年1月28日付「帝国銀行員毒殺ニ干スル追加指示」(警視庁文書:参考文献, 「ドキュメント帝銀事件 毒の告発」,P39)および(森川哲郎著「秘録帝銀事件」2009年祥伝社,P372-373)を参考に作成した。

帝銀事件の犯人として逮捕、起訴、死刑判決を受けた平沢貞道は、1947(昭和22)年10月14日の「安田銀行荏原支店」の事件で犯人が現場に残した名刺の主である厚生技官「松井蔚」と過去(1947(昭和22)年4月25日~27日の青函連絡船 景福丸の一等船室内 )、偶然に出会い名刺交換をした。その事実を突き止めた警視庁捜査一課の名刺班は、日本初のモンタージュ写真の犯人に似ているなどの理由と併せ平沢貞道を逮捕した。長期間に渡り勾留され、警察、検察からの厳しい取調べを受けた平沢貞道は犯行を自供するが、裁判では否認に転じる。そう、帝銀事件は4つの事件を同一犯と認定し、その4つの事件を平沢貞道の一人の犯行と認定している事件だ。

ここから、この4つの事件のうち本事件(帝銀事件)の翌日の小切手換金事件を除く3事件(未遂2事件)で使われた小道具と騙しの言葉を検証してみよう。なぜなら、この一連の事件は最少人数の実行犯がその知略と演技により多数の者を支配下に置いた事件――つまり、拳銃などで大人数を制圧する粗暴犯ではない詐欺事件だからだ。

帝銀事件 検証 名刺 腕章 騙すための小道具と言葉

1・昭和22年10月14日 15時30分頃~約1時間に発生した「安田銀行荏原支店」での未遂事件

同事件は「帝銀事件」の約三か月前に発生した一連の「帝銀事件」の最初の事件である。また、この事件では実在する厚生技官「松井蔚」の名刺が犯行に使用され、過去に同人と名刺交換をしていた平沢貞道が本事件(「帝銀事件」)の容疑者に浮上するきっかけとなる事件でもある。

以下は 「安田銀行荏原支店」の未遂事件で使用された名刺のイメージ。

帝銀事件 名刺 イメージ

また、同事件で犯人は「厚生省」と毛筆で書かれた白色腕章をしていたらしい(参考文献,ドキュメント帝銀事件 毒の告発 P43-44)
つぎに、この 昭和22年10月14日、15時30分頃~約1時間に発生した「安田銀行荏原支店」の未遂事件で犯人が同銀行関係者や犯人と直接会話した飯田巡査に語った内容をみてみよう。

「茨城の水害で悪疫が流行したので、現地に派遣され、コタコタに疲れて帰ってきました。ところが、今度は、水害地から子供を連れ小山三丁目のマーケットの裏の渡辺忠吾という家に避難してきた夫婦者が、赤痢にかかり、そこから集団赤痢が発生したのです。その消毒のためGHPのパーカー中尉と一緒にジープで来たのですが調べてみると、今日、午前中、そこの同居人が、この銀行に預金に来ていることが判明しました。そのため、この銀行のオール・メンバー、オール・ルーム、オール・キャッシュ、または、オール・マネーを消毒しなければなりません。金も帳簿もそのままにしておくように」

森川哲郎著「秘録帝銀事件」2009年祥伝社 P50

なお、「オール・メンバー、オール・ルーム、オール・キャッシュまたは、オール・マネー(中略)茨城」という言葉は、調べたかぎり荏原関係者の聴取書には見当たらない」( 引用,ドキュメント帝銀事件 毒の告発 P41)との説もある。

また、事件当日、犯人と直接会話した警察官飯田巡査の昭和23年3月2日の聴取書には以下の内容があるようだ。

「都のほうから連絡があって厚生省からきたのです」 「私は都のほうから電話がかかってきて、さっそくやって来たのです、警察が知らないということはないでしょう」

キュメント帝銀事件 毒の告発 P42

実在の「厚生技官」の名刺を使った昭和22年10月14日の「安田銀行荏原支店」の未遂事件の犯人は、その名刺の肩書に沿った「厚生省の腕章」を小道具として使い、東京都から連絡を受けGHQと一緒に消毒に来た厚生省の技官に擬変し会話をしていることがわかる。

以下は昭和22年10月14日、15時30分頃~約1時間に発生した「安田銀行荏原支店」の未遂事件の要点だが、冷静に考えれば「東京都から連絡を受けた厚生省の技官がGHQと一緒に現場に来て単身で作業をする」という設定に疑問が湧く。このような作業は東京都や区役所の仕事ではないか?なぜ、都や区の職員が同行していないのか?なぜ、厚生省の技官が単身で来たのか?また、犯人は実在しない赤痢発生現場住所を警察官に伝え、付近にGHQがいないことを確認される重大なミスを犯している。この失敗を踏まえ次の事件をみていこう。

帝銀事件「安田銀行荏原支店」の未遂事件の要点

  • 犯人は実在の厚生省技官の名刺を使用した。
  • 厚生省の文字のある腕章を使用した。
  • 東京都から連絡を受けGHQのパーカー中尉と一緒ジープで来た。
  • 警察官が赤痢発生場所住所を探したがその住所自体がない。GHQも付近にいないので怪しまれ未遂に終わった。

2・昭和23年1月19日 15時05分頃~約30分に発生した「三菱銀行中井支店」での未遂事件

同事件は「帝銀事件」の一週間前に発生した事件である。また、この事件の前、昭和23年1月15日頃、この事件で犯人が口実に使う「井華鉱業株式会社 落合寮」に「区の衛生係員を名乗る人物」が現れ、管理人A氏の妻に「便所の消毒に来たといい、腕章もつけず、何も持っていないので、怪しまれて姿を消した事実があり、四日後には約300メートル離れた三菱中井支店に現れたとき、このA氏方の名を使い、毒殺事件を演じたものである。引用:朝日新聞、昭和23年2月6日付」という一連の「帝銀事件」と関連性の高い事件があったようだ。

以下は 「三菱銀行中井支店」での未遂事件で使用された名刺のイメージ。

帝銀事件 名刺 イメージ

この 昭和23年1月19日、15時05分頃~約30分に発生した「三菱銀行中井支店」での未遂事件の際に犯人が腕章を使用したか否かは不明であるが、 約4日前の 「井華鉱業落合寮」に現れた「区の衛生係員を名乗る人物」と同一犯と仮定するなら、昭和23年1月19日時点では、腕章の準備ができなかったのかもしれない。

帝銀事件 検証 変化した騙しの言葉

つぎに、 昭和23年1月19日、15時05分頃~約30分に発生した「三菱銀行中井支店」 の未遂事件で犯人が同銀行関係者に語った内容をみてみよう。

「私は都の衛生課からきましたが、この近くの井華鉱業落合寮で、七名ほどの集団赤痢が発生したのです。進駐軍が車で消毒にきていますが、その責任者の大谷さんという人が、今日、この銀行に預金にきたはずです。それで、人も、現金、帳簿、各室みな消毒しなければなりません。今日は現送はありましたか」

森川哲郎著「秘録帝銀事件」2009年祥伝社 P54

帝銀事件の最初の事件と認定されている昭和22年10月14日の「安田銀行荏原支店」の未遂事件の犯人は、実在の厚生省技官の名刺とその肩書に沿った「厚生省の腕章」を小道具として使い、東京都から連絡を受けGHQと一緒に消毒に来た厚生省の技官に擬変していたが、「三菱銀行中井支店」 の事件の犯人は、厚生省技官だが「東京都の衛生課」に所属(出向など)する架空の人物を名乗っている。これには2つの理由が考えられる。一つは実在の厚生省技官の名刺を「安田銀行荏原支店」の未遂事件現場で使ったため、その名刺に記載されていた正確な肩書などを忘れた。もう一つは、集団赤痢発生現場に厚生省から技官が単身で来る不自然さに気づいた。犯人がどちらを理由(両方かもしれない)で肩書を変えたのかはわからないが、「三菱銀行中井支店」の未遂事件は前回の 「安田銀行荏原支店」の未遂事件から設定や小道具が変化し、事前準備が周到になっている。今回の事件の口実に使うため、区の職員を名乗り事前に事件現場付近の会社寮の責任者の名前を把握し、「現送」という銀行員の業界用語を敢えて選び、出来るだけ役人に擬変しようと務めている。また、前回の事件から約三か月後の犯行にも意味があると思われる。犯人は前回の事件が報道され事件の手口の世間に認識される可能性を考えていたのではないか。前回の事件から約三か月の間、事件に関する報道は見られなかった。つまり、前回の騙しの手口は他の銀行などに共有されていない。だから、GHQ、集団赤痢予防などの設定を根本からは変更はせず、少しだけの変更で「三菱銀行中井支店」の事件を実行するが、偶然に居合わせた同銀行高田馬場支店長が犯人の指示を拒もうとして失敗した。

以下は 昭和23年1月19日、15時05分頃~約30分に発生した「三菱銀行中井支店」 の未遂事件の要点である。

帝銀事件「三菱銀行中井支店」の未遂事件の要点

  • 犯人は東京都防疫課を名乗った。
  • 犯人は事前に口実に使う社名や人名を確認していた。
  • 現送という業界用語を使い、銀行業務を知る役人を演じた。

帝銀事件 検証 実行された大量殺人

3・昭和23年1月26日 15時過ぎに発生した「帝国銀行椎名町支店」での強盗殺人事件

一般的に「帝銀事件」といわれる「帝国銀行椎名町支店」での強盗殺人事件は、前回の「三菱銀行中井支店」未遂事件から一週間後に発生した。この前回の未遂事件から一週間後の実行にも意味があると思われる。 一つは、犯人はこの時期に多額の金を必要とした。もう一つは、これまでの二度の未遂事件が報道などされ、その手口が世間に認識される前に実行、成功させる必要性があった。

以下は 帝銀事件(「帝国銀行椎名町支店」での事件)で使用された名刺のイメージだが、この名刺は犯人が事件現場から持ち去ったといわれているため、そこに書かれていた氏名は不明であり、記載されていた肩書にもいくつかの説があるようだ。今回は2つのパターンを紹介しよう。

参考, 和多田進著 「ドキュメント帝銀事件 毒の告発」
参考,森川哲郎著「秘録帝銀事件」

上記2つの名刺には若干の違いが認められるが、「東京都」の名称が使われている点は共通している。(一方は「衛生課」。もう一方は「防疫課」だ)。また、下の名刺のイメージは、 一週間前の「三菱銀行中井支店」未遂事件で使用された「山口二郎」の架空名刺に似ており、犯人はこの名刺を使用した可能性が高いと推測される。なお、名刺に「加藤某」の名前が記載されていたとの当時の報道も散見されたが、後日、誤報と指摘する記事があったようだ。また、犯人は犯行時、「白地に赤い印の都の防疫班のマーク入り腕章」を付け、その腕章には達筆な墨字で「防疫消毒員」との記載があったらしい(参考:「ドキュメント帝銀事件 毒の告発」 )。

つぎに、「帝銀事件」、 昭和23年1月26日、15時過ぎに発生した「帝国銀行椎名町支店」での強盗殺人事件で犯人が同銀行関係者に語った内容をみてみよう。

「実は長崎二丁目の相田という家の前の井戸を使用している所より4名の集団赤痢が発生し警察のほうへも届けられたが、このことがGHQのホートク中尉に報告され、中尉は、それは大変だ、すぐに行くからお前は一足先に行けと言われてきたが、調べてみるとその家へ同居している人が今日、この銀行へ来たことがわかった。ホートク中尉(あるいはホーネット中尉)は、後より消毒班を指揮してくることになっている。その消毒をする前に予防薬を飲んでもらうことになった」

和多田進著 「ドキュメント帝銀事件 毒の告発 」P30-31

「患者を診断した医者が、区役所とGHQに連絡したものですから、即日にやれという命令が出まして、ジープで飛んできました。いまジープは相田家にいます」

森川哲郎著「秘録帝銀事件」 P18

「これから薬の飲み方を教えます。この薬はGHPから出たもので、大変強いので歯にふれると琺ろう質を損傷しますから、舌をできるだけ歯の前に出して薬を包み、喉の奥に流しこむようにして一気に飲んでください。いま私がやってみますから」「次に、約1分おいて、セコンドの薬の方を中和剤として飲んでもらいます。これは普通の水のようにして飲んでかまいません」

森川哲郎著「秘録帝銀事件」 P20-21

帝銀事件 上記の犯人の会話で着目すべき以下の4点

  • 「セコンド(SECOND)」
  • 「4名の集団赤痢が発生し警察のほうへも届けられた」
  • 「患者を診断した医者が、区役所とGHQに連絡した」
  • 「いまジープは相田家にいます」

犯人はGHQとの関係を強調するため、第二薬の入った約一寸五分(45.45ミリ)の瓶に「SECOND」と英語で書いた紙を貼り、前二回の失敗(未遂)から学んだと思われる言葉――集団赤痢の発生は「警察」や「役所」も把握している――を使い、「ジープは相田家にいます」と言い(同日、実際にGHQが相田家に来ていた)、その小道具と言葉と演技力で完全に「帝国銀行椎名町支店」関係者を騙し、彼ら彼女らを意のままに動かし、青酸化合物を飲ませ制圧し、現金や小切手を奪い、逃走した。

不謹慎な表現だが、犯人は最初の「安田銀行荏原支店」の失敗(未遂事件)や二度目の「三菱銀行中井支店」の失敗(未遂事件)から失敗の原因を学習し、小道具や話術を改良し、前代未聞の大事件――「帝銀事件」――を実行したのだろう。

犯人は多人数を制圧し、金などを奪うための手段として青酸化合物を利用した。その制圧手段である青酸化合物をどのように飲ませるか。どうやって騙して飲ますか。そのために必要な小道具と話術と相手を信じ込ませるキーワードは何か。そのために必要な事前知識とその知識を下敷きとする演技には何が必要か。そう、帝銀事件の犯人は、それらを考え、実行するプロの詐欺師だと思われる。

なお、帝銀事件の犯人とされた平沢貞道は、「戦争のとき、兵隊は大量の殺人行為をやっても勲章をもらっている。オレは芸術のためにやるんだから許されるだろう」というドストエフスキーの『罪と罰』の主人公のような動機を語っているが、これは捜査側(警察、検察)の作文の印象が強い。なぜなら、前述のとおり、帝銀事件はプロの詐欺師の犯行……単純に制圧さえできればいいと思い、殺す覚悟はなかったのかもしれない、と思えるから……

帝銀事件 検証 単独犯か複数犯か

帝銀事件の謎を語るうえで最も注目される点は単独犯か複数犯かだろう。また、単独犯、複数犯の場合でも幾つかの説(仮定)が成り立つようだ。

帝銀事件 犯人に関する主な仮説

  • 平沢貞道の単独犯
  • 平沢貞道以外の者(目黒区の歯科医師、千葉県野田市の医師、元731部隊の将校、元特務機関の軍属、昭和29年、茨城県内で発生した青酸を使った殺人事件の容疑者)などの単独犯
  • 平沢貞道を含む複数犯(平沢は振り込め詐欺の出し子のようなイメージ)
  • 平沢以外の複数の者達の犯行(GHQなどの組織的な謀略も含む)

ここでは、平沢貞道元死刑囚を犯人と断定せず、犯人を仮称Aと表し、A(犯人は男性だと認定されている)は単独犯か?Aには仲間がおり複数犯だったのか?を推理してみよう。着眼点は前述でも記したこのプロの詐欺師は、未遂に終わった事件から、失敗の原因を研究し、小道具や話術を改良した点だろう。直接の所属を「厚生省」から「東京都」 に変え、会話の中に「警察」と「区」を入れ、帝銀事件の現場では、「GHQのジープが相田家に来ている」と、言った犯人。そう、事件当日、「相田家」にGHQの第八軍公衆衛生課アーレン中尉と通訳の日本人1名および豊島区役所の医師と技師の合計4名が来ていた。これは偶然だろうか?この相田家へのアーレン中尉の視察訪問の謎と同中尉などGHQ関係者や都京都の職員の関与の可能性などについては多くの者が考察している。ここでは2つの可能性を考えてみよう。最初の犯行(「安田銀行荏原支店」未遂事件)の失敗の原因は、「赤痢発生場所住所を警察官に伝えたがその住所自体が嘘の住所でり、GHQも付近にいないので警察官に発覚しそうになった」だろう。

この失敗から犯人は、「実際に集団赤痢などが発生した場所」かつ「その場所にGHQ軍属が東京都、区の職員などを連れ視察、消毒などする」などの事前情報の入手を必要とした可能性がある。

この事前情報の入手には二つの手段がある。一つはGHQ、東京都、区役所の関係者からの情報入手。もう一つはGHQ軍属の尾行である。犯人AがGHQ、東京都、区役所の関係者からの事前に情報を入手していた可能性については、 森川哲郎著「秘録帝銀事件」を引用しよう。

平成5年(1993年)、当のアーレンには、ジャーナリストのウィリアム・トリプレットを通じて。インタビューすることができた。トリプレットは、その内容を手紙にしたためた。それによると、「アーレン氏はつぎのように応えました。明らかに帝銀事件の犯人は、東京における公衆衛生局に勤め、働いていました。(中略)我々が得たオリジナルな情報は、その犯人が東京の防疫監視人の一員として、一年以上働いていたことです」

森川哲郎著「秘録帝銀事件」 P461-462

上記のアーレン(元)中尉と思しき人物へのインタビューおよびその内容の真偽はわからない。そもそも、この証言自体がアーレン(元)中尉の推測、推理かもしれない。

最後に一つだけ気になる点を指摘しておこう。前述のとおり、犯人Aが事前情報を入手したとするのならその手段は2つある。その手段の一つである尾行の可能性。そう、一連の帝銀事件の犯行現場は山手通りに近い。この事件が複数犯による事件だと仮定するなら、犯人は逃亡などの移動手段に車を使っていた可能性もある。

外にも二人――目撃者の話 朝日新聞 昭和23年1月28日付 単独犯説が捜査本部で有力視されているが、これを不安定なものとする次のような話もある。すなわち長崎神社近くの某君が見た話。「ちょうど事件が起こったころ、銀行の前に自動車がとまっていて二人の男がみはりのようなかっこうで立っていました。ぼんやりわたしがながめているとその男があっちへ行けとすごい目でニラみつけたのでこんどは社務所(長崎神社)の便所の窓から見ていると、新聞にでているような人相の人が出てきて、三人が一緒になり、待たせてあった自動車に乗っていってしまいました。村田さんがはいだして大騒ぎになったのはそれからまもなくです」

森川哲郎著「秘録帝銀事件」 P321

上記の報道の真偽は不明だが、この目撃者が某君となっていることから子供の目撃証言だと推察される。また、「村田」さんは帝銀事件の被害者の名前である。

犯人は逃亡などの移動手段に車を使い、事前情報の入手のためにGHQ関係者や東京都、区役所の担当職員を車で尾行していた可能性……帝銀事件は永遠の謎である。

★引用・参考文献

・書籍

『秘録帝銀事件 森川哲郎 2009年 祥伝社』

『ドキュメント帝銀事件 毒の告発  和多田進 2013年 solaru』

『小説帝銀事件 新装版 松本清張 2009年 角川文庫』

『疑惑α―帝銀事件 不思議な歯医者 佐伯省 1996年』

・映像

『帝銀事件 死刑囚 1964年 日活』

・アイキャッチ画像 パブリック・ドメインFile Teigin case.jpg 作成:1948年 警視庁

お時間があれば、ぜひ、以下記事もご覧ください。

Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

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