2011年9月12日(月曜日)、人口2万8千人程の大分県日出町で、35歳の主婦・光永マチ子さん(以降マチ子さん)が忽然と姿を消した。
その日、マチ子さんは朝から体調を崩していたといい、そのために10歳の長男と7歳の長女の朝の支度をさせるのが遅れ、小学校まで車で二人を送って行くことになったという。小学校までは、車で10分程度の距離であった。
大分県日出町主婦失踪事件 概要
その道のりは、子供の足では一時間近くかかってもおかしくない距離のため、送り迎えは毎日の日課であった事も考えられる。
マチ子さんの自宅は田畑や雑木林に囲まれ、隣家とは150m以上離れている。
スーパー、コンビニも徒歩圏内には存在せず、従って車は足代わりに必須であり、彼女もちょっとした外出にも車を使い、運転にも慣れていたものと思われる。
光永家の外観は、一見して農家のような造りで、夫婦二人だけで管理するには広すぎるように思えるものの、夫のTさん(39歳)以外に同居の家族が居たのか、農業を営む一家だったのかといった情報は公表されていない。
子供たちの朝の支度を手伝う者が他に居なかった所から判断して、既に朝8時前の段階で、マチ子さんと子供たち以外の家族は家に居なかったと考えられる。
大分県日出町・失踪地点周辺のGoogleストリートビュー 2014年1月撮影
子供たちを無事、小学校に送り届けて帰宅し、一息ついていたであろう午前9時45分頃、その小学校からマチ子さんの元に連絡があった。
それは、「娘さんの歯が欠けてしまったので、迎えに来て欲しい」というものだった。
後に父親であるTさんが聞いたところでは、7歳の長女が学校で同級生とふざけあっていた際、突発的にそのような事態になってしまったという事であった。
午前10時過ぎ、マチ子さんは車で長女を迎えに行き、同じ日出町の川崎地区にあるN歯科医院へと向かった。
朝からの体調不良は持ち直していなかったようで、学校や歯科医院でもマチ子さんは、
「めまいがする」
と、しんどそうに話していたという。
幸い長女の負傷や、精神的なショックは軽かったようで、彼女は昼から学校に戻ることになった。歯科医院から車で3分程の場所にあるスーパー「マルショク川崎店」(当時)の防犯カメラには、母娘が買い物をする姿が記録されていた。
二人はスーパーで、ペットボトル入りのお茶や、一家が招待されていた親戚の結婚式で、長女が身につける為の安価なアクセサリーを購入した。
午前11時半頃、二人はペットボトルのお茶を一緒に飲んだ後、小学校へ向かった。長女が学校に戻ったのは4時限目の授業が始まる少し前であったという。別れる際、マチ子さんは、
「体がきついので家で寝ている、学校が終わったら連絡して」と言っていたとも、
「気分が悪いので病院に行く」と言っていたともいわれている。
この長女の証言が、2023年11月現在、マチ子さんの最終目撃情報である。
自宅の冷蔵庫からは、飲みかけのペットボトル入りのお茶が見つかり、マチ子さんは、一度は帰宅したものと考えられている。
放課後、長女が学校から電話をした際、マチ子さんは電話に出なかった。長女は、困っている所を見かねたのか、子供を迎えに来ていた友達の親が一緒に車に乗せ、自宅まで送り届けたのだという。
家にはマチ子さんが普段使っていた車があり、外出の際は必ず施錠していたという玄関も鍵がかかっていなかったが、室内にマチ子さんの姿は無かった。帰宅した長女は家中を捜したが、母親の姿を見つける事ができなかった。
その後、長女は家から父親Tさんと祖母に電話をかけ、マチ子さんがいない事を知らせた。時間は午後3時頃になっており、恐らくマチ子さんが一旦車で帰宅したと思われる午前11時45分頃から、それまでの約3時間の間に、彼女の身の上に何かが起きたものと考えられた。
室内に争ったような形跡はなく、マチ子さんの携帯電話は寝室で見つかった。その寝室の窓は開いており、玄関の施錠がされていなかった点と併せて、彼女らしくない不用心さであると夫のTさんは指摘している。
また、周辺はどこへ行くにも車がなければ不便な地域であり、自分の意志で外出したとすると、車以外の手段を用いるとは考えにくいともいう。
何より、マチ子さんは夫から見て「子供たちばかりを見て暮らしている普通の主婦」であり、自らも「いい加減子離れしないといけない」と評する程、自他共に認める子煩悩であった。
マチ子さんは母親と早くに死別しており、子供たちに淋しい思いをさせたくないという意識も強かったという。
しかし、マチ子さんは失踪の3日前にも友人たちとカラオケに興じる等、密室でのワンオペ育児に行き詰まりを感じていたという風ではなく、その際も普段と違う様子は見られなかった。
その日、長女を迎えにいく約束をしていた事は言うまでもなく、9月25日の自分の誕生日を家族と祝う事や、先述の親戚の結婚式、子供たちの運動会等、楽しみにしている行事が近々にいくつも予定されており、体調不良もある中で敢えてその日に、自ら姿を消す理由を見出すことは困難であり、周囲は自発的失踪ではなく連れ去りを疑った。
しかし、捜索願を受理した警察の動きは鈍いものであった。成人女性の失踪であり、失踪時の状況も、必ずしも事件性を確信できるものでは無かった事が理由の一つであっただろうが、この頃、日出町の警察は難解な事件を他に抱えていた。 一つは、2011年6月27日に日出町川崎で発覚した86歳と84歳の老夫婦が殺害された事件。この事件の現場となった被害者らの自宅は、マチ子さんが失踪直前に長女を診せた歯科医院の向かいにあった。
大分県日出町・N歯科医院周辺のGoogleストリートビュー 2013年12月撮影
玄関や勝手口は全て施錠、雨戸も閉されたほぼ密室の状況で、凶器だけが見つからないという不可解な事件であり、3ヶ月近く経過した9月の時点でも未解決であった。
もう一つの事件は、マチ子さんの失踪翌日である2011年9月13日に発生した、2歳女児の行方不明事件である。この事件が起きたとされたのは、マチ子さんがやはり失踪直前、長女と共に立ち寄ったスーパー「マルショク川崎店」である。
眠る2歳女児を、車の後部座席に設置したチャイルドシートに残して、スーパーで母親が買い物をしていた5分程度の僅かな時間に、車内から女児が姿を消したという、やはり不可解な事件であった。
恐らく女児の事件で動員された警察犬が、失踪から数日後のマチ子さんの自宅周辺にも導入されたという情報もあるが、マチ子さんの匂いは玄関を出てすぐに見失われたとされ、第三者の車に乗り込んだか、乗せられたかという状況を示唆するものとなっている。
(大分県日出町・「マルショク川崎店」周辺のGoogleストリートビュー 2014年1月撮影・2023年11月現在では店舗の名称が変わっている)
9月末には、ようやくマチ子さんの自宅に捜査一課の捜査員が訪れ、二日間にわたる現場検証が行われた事が、2011年10月14日発行の『週刊朝日』で報じられている。
全国規模のメディアで、マチ子さんの失踪が取り上げられたのは、インターネットニュース記事(日テレNEWS24・2011年9月29日の記事『2歳児不明の町で…35歳女性も行方不明』)を除けばこの記事が最初であると思われるが、その後、警察によって彼女の本格的な捜索がされる事は無かった。
恐らくは自宅やその周辺から、侵入跡や血痕等、犯罪を匂わせる証拠を発見する事ができなかったものと考えられる。
小さな町の、更に限られた区域で立て続けに発生した3つの事件は、様々な憶測を呼んだ。
特に、女児行方不明の件と、その前日に失踪したマチ子さんの件は、母親どうしがほぼ同年齢という事もあり、関連があるかと思われたが、光永さん一家と行方不明女児の一家の面識はなく、生活圏が重なっていたという事以外には何の接点も見つかっていない。
後に、マチ子さん失踪事件を除く二つの事件は、一応の解決をみた。
老夫婦殺害事件は、老老介護の行く末を悲観した夫が妻を殺害した無理心中(殺人事件)として、2013年になって容疑者死亡のまま大分地検に書類送検、後に不起訴処分となった。
凶器である包丁は、夫が妻と自らを刺した後、洗って台所の元の場所に収納していた為、捜査員も長い間、それが凶器である事に気づかなかったのだという。
女児行方不明事件は、発生から約5ヶ月後、スーパーで娘がいなくなったと訴えた母親自身が、自宅で死亡していた女児(遺体発見時に状態が悪かった為、死因は判明しなかったが、事故による窒息である可能性が高いといわれている)を雑木林に遺棄し、行方不明になったと偽っていた事が明らかになり、2012年2月5日に死体遺棄容疑で逮捕されている。(その後執行猶予付き判決)
しかし、その事がマチ子さんの行方についての手がかりをもたらす事は無く、上記二事件に、正確な死因や、凶器の見逃し等、断定的に説明ができない点がいくつか残された事とも相まって、何らかの真実が見逃され、それ故にマチ子さんの失踪が解決しないままなのではないかという疑念を抱く余地も残される事になった。
尤も、大胆な仮定抜きで三事件を関連づけるのは難しく、そこからマチ子さんの行方を導き出すのは更に困難であり、失踪から12年を経た2023年11月現在も、有力な目撃情報の一つとして挙がってはいない。
手がかりとその検討
ここからは、謎の多い大分県日出町主婦失踪事件の真相を探るため手がかりの整理と検討を行いたいと思う。
光永マチ子さんについて
マチ子さんは大分出身ではあるものの、日出町の生まれではないようで、Tさんとの結婚の際にこの土地に移住したようである。
身長152cm程、体重47kg程と小柄で痩せ型、肩くらいまでの天然パーマの黒髪を、後ろに一つで束ねている事が多い。声は高めで年齢より若い印象であったという。
当日の服装は黒のTシャツと薄い茶色の七分丈パンツ、履き物は家から無くなっていた、大きな白い花のついたビーチサンダルであると考えられている。手荒れしやすい為、結婚指輪はつけていない事が多かった。
持ち出されたモノトーンの肩掛けカバンには家と車の鍵、財布と保険証、銀行等のカード類が入っていたとみられているが、失踪後、保険証やカードが使用された形跡はないという。
その他に家から持ち出されていたのはマチ子さんの枕と、長女が使用していた女児向けアニメキャラがプリントされた大きめのバスタオルであった。これらは家から持ち出された事が一度もない物であったという。
マチ子さんが持ち出したのだとすると、後部座席で遠慮なく横になれる程の親しい間柄の人物が、マチ子さんを車に乗せて連れ出したと考えられる。
一方で、着替えや化粧品等、他所での宿泊を計画していたとすれば持ち出すであろう物品には持ち出した形跡が無かった。 慎重な性格で、外出時に施錠を忘れた事は無かったという。
失踪時、寝室の窓が開け放たれていた事、玄関の鍵が施錠されていなかった事から、それらは彼女の手によるものではないのではないか(即ち侵入者があったのではないか)とみる向きもあるが、守るべき子供たちがいない時間帯で、体調がすぐれない状態では気を回す余裕も意識もなかったとしても無理はないように思える。
警察による捜査(捜索)
警察による捜査が全く行われていない印象のあるこの事件であるが、報道によれば二日間にわたる現場検証が行われ、事件性が乏しい事を補強したようである。
尤も、それはマチ子さんの失踪から半月を経た9月末の事であり、できる限り現場保存に努めていたとしても、足跡や指紋等はかなりの部分が消え去っていたものと思われる。
同時に固定電話や携帯電話の利用履歴等もある程度は調査されている可能性もある。電話を使った呼び出し等が行われた可能性は低いと見るべきかもしれない。
寝室に携帯電話が残されていた件については、長女から放課後に電話がかかってくる事が確定していたにも関わらず、マチ子さんが持ち出さなかった理由が焦点となる。
家を出た時間がまだ早い時間で、その時点では確実に午後2時くらいには帰宅できる心算であったか、彼女を連れ出した人物が言葉巧みに(例えば、病院では携帯電話を使ってはいけないから等)置いていくよう誘導したのかもしれない。
3つの事件
老夫婦殺害事件と2歳女児行方不明事件とマチ子さんの失踪との接点は無いとみるのが現在は主流のようである。
確かに、3件全てが未解決事件であった頃はともかく、マチ子さんの事件以外が解決した今となっては人的な繋がりがあるわけでもなく、動機も核家族の中で完結したものであった事が明確になっており、マチ子さんが介在する余地は無いように思われる。
老夫婦が亡くなっていた自宅が、マチ子さんが訪れたことがあるN歯科医院の向かいにある、というのは概ね事実であり、その為「見てはいけないもの(真犯人)を見てしまったマチ子さんが口封じのために……」という説が立てられる事があるが、向かいとは言っても歯科医院の駐車場と老夫婦宅との距離は直線距離で100m程あり、事件のまさにその時に居合わせたとしても、悲鳴が聞こえるか、現場を後にする犯人と互いに視認できるかといえばかなり厳しいものがある。
また、口封じにしては、3ヶ月近く目撃者を泳がせておくのも不自然である。3ヶ月も警察から疑いを向けられずに済んだのであれば、余計な事はしない方が得策なのではないだろうか。
真相考察
マチ子さんは、「病院に行こう」という理由で誘い出され、車に乗せられたと考えられる。誘い出した相手は、その日彼女が体調を崩したと知っている人物――失踪当日、学校か歯科医院、スーパーで出会った者の中に居るものと思われる。
日頃からマチ子さんに内心で敵意を抱いていたその人物は、彼女が具合悪そうにしている姿を目にして、絶好の機会が巡ってきたと考えた。
小柄なマチ子さんが、更に弱っているところを狙った所からみて、また、マチ子さんが枕とバスタオルを持ち出し、車内で横になろうとしていた事からも、相手はある程度以上に親しい関係にある女性である可能性が高い。
午後になっても体調が戻らなかったら病院に連れて行ってあげると約束をし、車で光永家を訪れたその人物は、病院はあまり混んでいなかった、長女の学校終わりまでには帰れる、心配なら鍵を開けておけば良い等と説き伏せ、携帯電話を自宅に残していく事に同意させた。
その後、マチ子さんを乗せた車が向かった場所は勿論、病院などではなかった……。
地域柄、連れ去り犯が一人暮らしであり、今も自宅で成人女性であるマチ子さんを監禁しているとは少々考えにくいものの、農村でも少子化は進行していると思われ、犯人が自由に使える離れや空き家を所有しており、そこでマチ子さんが、今も囚われている可能性もゼロではない。
失踪事件は初動が肝心であり、捜索開始が遅れるに連れて、発見できる可能性が減少していくと言われている。警察が捜索を開始したのはマチ子さんの失踪から半月後の事であった。
たとえ女児行方不明に関与した疑いからのものであっても、失踪翌日にマチ子さん宅で本格的な捜査がされていれば、後の展開は全く違ったものになっていたのではないか…… そのように思えてならない。
家族による捜索活動
マチ子さんの夫Tさんや友人たちは、ブログやSNS、行方不明者捜索のNPO等を使い情報を公開し、目撃情報を求めた。しかし、確度の高い情報が寄せられる事は無く、書き込まれるのはTさんやマチ子さんへの根拠もない中傷やデマばかりであったという。
Tさんは数年後、マチ子さんの運転免許証の更新手続きがされなかった事を確認すると、SNSやブログ内の書き込みや記事の殆どを削除。行方不明者捜索支援のNPO法人への情報公開も取り下げた。
その為か、一時は失踪事件が解決したのではないかという噂も流れていた。
某掲示板には、2021年3月、地元民を名乗る人物が「マチ子さんが戻ってきて、暫く自宅に住んでいたが、既に引っ越した。失踪の理由は家族の問題だったらしい」という趣旨の書き込みをしている。
しかし、2018年には、既にTさんを申立人としたマチ子さんの失踪宣告審判の申し立てがされており、翌年4月に確定している事。その後審判の取消しがされていない事から判断して、マチ子さんの行方が判明したというのもまた、デマのようである。
2023年11月現在、Tさんや関係者のブログでは、捜索ポスターや失踪の事実等、僅かな情報を閲覧することができる。社会的には一旦捜索に区切りをつけたとしても、残された人々の心から失踪者の姿が消える事はないし、帰りを待ちたいという願いが尽きる事も無いのだろう。
いつの日か、その思いが灯火となり、マチ子さんを家路に導いてくれる事を祈るばかりである。
◆参考資料
・『週刊朝日』「大分の小さな町で相次ぐ殺人、そして謎の失踪」朝日新聞社 2011年10月14日発行
・朝日新聞 2011年6月30日、2012年5月29日、30日、6月13日、27日、 2013年4月24日
・読売新聞 2012年2月6日、2013年4月24日
・『ゼンリン住宅地図』 大分県速見郡日出町 2009年4月、2011年4月 株式会社ゼンリン
・ブログ「外部リンク『【行方不明】光永マチ子さんを探しています』」※https化されていません。
・日テレNEWS24「2歳児不明の町で…35歳女性も行方不明」2011年9月29日の記事(ウェイバックマシンによるアーカイブで閲覧)
◆独自視点の行方不明・失踪事件(事案)考察シリーズ