突然、一人の男性が消えた。父親は探し続けた。時は流れたが男性は未だに発見されていない。
男性が消えた理由もわからない――。
概要
2003年10月6日(月曜日)の朝、大阪府の職員(行政職・デザイン技師)である高見到(たかみ いたる)さん(当時43歳・以下到さん)は、職場である大阪府産業デザインセンターに出勤しなかった。
事前の休暇申請や当日の連絡はなく、無断欠勤であった。
失踪の経緯
その日の午後には、職場の上司(当時60歳)が、到さんが一人で暮らしをしている自宅マンションのある兵庫県尼崎市の交番を訪れ、到さんの自室に入り、様子を確かめたい旨の相談をしている。交番から連絡を受けた尼崎北警察署は、都内に住む到さんの弟Hさん宅に電話し、到さん宅への進入許可を求めた。
電話に出たHさんの妻の了解を得た警察署員は、到さんの上司と共に、尼崎市南塚口町にある、到さんの自宅マンションを訪れたが、室内に人影はなく、荒らされた様子もなかった。(このスピード感からすると、恐らくは管理人がマスターキーを保管していたものと思われる)
到さんのマンションは「定期借地権つき住宅」である。マンションの土地や区分所有権は購入者のものにはならないが、建物の所有権は購入者のものになる為、分譲マンションより安価に購入できる。
また、室内の設計の自由度が高く、建築士と相談の上、購入者の好みに合わせた内装や、設備を組み込んだ部屋作りが可能であり、このコンセプトを気に入った到さんはローンを組んで一室を購入、1999年8月のマンション地鎮祭にも参列している。
そして、到さんは室内に防音工事を施してもらい、50万円近い価値のある高級なスピーカーを設置、他にも総額数百万円といわれる、真空管アンプ等の高価なオーディオ機器や、収集した希少なレコード(モノラルLPであるという)に囲まれて暮らしていた。
失踪数ヶ月前にも担当の建築士に「スピーカーを天井に吊りたい」という要望を話している。建築士は到さんについて、「充実した生活を送る独身貴族」という印象を持っていたという。
しかし、そのオーディオ機器も年々数を減らしていたとも言われており、見た目通りの「独身貴族」であったかどうかは定かではない。
翌日7日になっても、到さんが職場に現れず本人からの連絡もなかった為、その旨の相談を再度受けた尼崎北署の署員は、到さん家族と職場の上司とで直接話すように促した。
Hさんから事情を聞いた到さんの父親A さん(静岡県在住)は新幹線で尼崎市を訪れ、その日のうちに到さんの上司と落ち合うと、二人はマンションの室内に踏み入れた。
後のAさんの回想によると、室内は、「近所にビールでも買いに行ったような」様子であったという。
テーブルの上には新聞と雑誌が置かれ、到さんは視力0.2程度と、裸眼では日常生活に支障を来すほどであった為、仕事等で外出する際はコンタクトレンズを装用していたが、そのコンタクトレンズは通勤用カバンの中に格納されたまま室内に置かれ、代わりに自宅用の眼鏡がなくなっていた。
他に持ち出されたと思しき物は(恐らく自宅の鍵の他には)、財布、私用の手帳、通勤定期程度で、免許証や健康保険証、銀行のキャッシュカードや通帳、印鑑等の貴重品も室内に残されたままだった。
到さんは携帯電話、PHSの類は利用していなかった。固定電話は設置されていたが、失踪から数ヶ月が経過し、識者から助言を受け、リダイヤルボタンを押して、固定電話の最後の通話先を調べるよう勧められた時には、Aさんが固定電話を使用してしまった後であり、その番号は判明しなかった。
交友関係を当たった結果、到さんが仕事への悩みを口にしていた事、大学在籍時や、公務員になる前の会社員時代にも、失踪騒ぎを起こした事があった事が明らかになっている。
また、理由は不明ながら、一度マンション自室前で警察が駆けつける程のトラブルを起こした事もあったという。
失踪後の10月8日、オーディオ趣味仲間の一人が、到さんから電話で連絡を受けていたという証言も出た。
直接通話した訳ではなく、その時彼は外出中であり留守番電話にメッセージが吹き込まれていた為、翌日夜、メールで用件を問い合わせたが返信は無かったという。
元々、彼らは電話連絡を取り合う事がほとんど無い仲で、連絡は専らメールで行っていたと言う。
メッセージの内容は公表されていないが、後述の理由から、到さんは私用のパソコンや携帯電話は持っておらず、メールは職場でのみ受け取っていた為、失踪後は内容を確認する事ができなかったと思われる上、その後再度の電話がかかってくる事も無く、失踪後の足取りを探る手がかりとはならなかった。
キャッシュカードと通帳に気づいたAさんが銀行に問い合わせると、無断欠勤が始まった前日である10月5日(日曜日)午後15時24分、到さん本人が、自宅の最寄り駅である阪急塚口駅前に所在する「りそな銀行塚口支店」のATMで21万円を引き出していたことが判明した。
その21万円は室内からは見つかっておらず、使い途も分かっていない。
また、その11分前の15時13分には、近所のスーパーで蕎麦二つ(二人分?)、小松菜、プチトマト等食料品の買い物をしていた事が、恐らくは室内から発見されたレシートから判明している。
服装は長袖シャツ・ジーンズ・スニーカーという普段着で、右手に財布と黒いシステム手帳(これが、到さんが失踪時持ち出した私用の手帳かどうかは不明)を所持している姿が防犯カメラ映像に残されている。
映像で到さんは買い物袋等を持っていなかった為、買い物の支払いを終えた後10分程度で自宅に戻り、銀行ATMでお金を引き出し、また自宅に戻ったという事になるが、到さんがこの慌ただしい行動に及んだ理由は判明していない(そもそも自宅・銀行・スーパーの位置関係的に実現自体が物理的に困難であり、同伴者がいた可能性や、レジや監視カメラの内部時計が正確でなかった可能性、情報自体が誤っている可能性も捨てきれない)。
この時の映像が到さんの確実な最後の目撃情報であり、キャッシュカードが自宅で発見されている以上は、更にもう一度は帰宅したと思われるが、それ以降の消息は2023年11月現在に至るまで一切不明である。
失踪発覚後
到さんの上司の勧めもあり、Aさんは7日のうちに尼崎北署に家出人捜索願(当時・現在は行方不明者届)を提出する。
しかし、到さんが43歳の成人男性であること、部屋に荒れた様子は無く事件性が認められない事、前日に本人がまとまった金額を銀行から引き出している事もあり、警察は自発的失踪として積極的な捜索や室内の検証をすることはなく、父親であるAさんが、到さんの捜索に奔走する事となった。
Aさんはマンションのドアに針金で細工をし、侵入者があれば分かるように取り計らった後、一旦静岡へと帰った。
一週間ほど経ってAさんが再度到さんのマンションを訪れると、仕掛けは落ちており、室内からは到さんのパソコンが消え、残されていた手帳からは数ページが破り取られてなくなっていたという。手帳のページの件については、何故気づくことができたのかという点を含め、詳細は分かっていない。
失踪から二ヶ月後、到さんは大阪府から長期の無断欠勤を理由として、分限免職の処分を受けている。
恐らく大阪府としても、府の規定を機械的に当てはめただけなのであろうが、到さんは10月下旬には父親をマンションに招く約束をしており、12月に東京で行われる予定であった母親の13回忌には「必ず参列する」と話していた為、到さんの失踪が自発的なものであるとは思えなかったAさんは「もっと調べてから判断してほしい」「見捨てられたような気がした」と、後日(2008年)神戸新聞によるインタビュー記事で当時の心境を語っている。
父親Aさんによる調査
Aさんは自ら情報収集をする他、TV朝日系の公開捜査番組「奇跡の扉 TVのチカラ」への出演、行方不明者捜索支援を行うNPO団体や「北朝鮮による拉致の可能性を否定できない失踪者」として、特定失踪者問題調査会への相談、情報公開等も行ったが、結局、確実な消息を得る事はできなかった。
到さんの自宅から発見された遺留品には50本を超えるビデオテープがあり、その中には「四国八十八ヵ所霊場巡り(いわゆるお遍路さん)」と思われる白い装束を身につけた人々の足(下肢)のみ」が録画されたものがあった事が知られている。
Aさんは、到さんの幼少時、「足の裏博士」として知られる運動生理学者・平沢弥一郎氏の著書「足のうらをはかる」をプレゼントした事があると話していた為、到さんが人間の足について興味を持ち続け、研究を続けていたのではないかと考える者も多い。
また、白い装束の現物も到さんの部屋に残されていた。部屋からは、内容に「お遍路さん」を含む紀行文集も見つかった等、TV番組内では、到さんが四国へと旅立ったのではないかとの匂わせがされた為、400件を超える四国での目撃情報が寄せられた。
Aさんは、仮に到さんが「お遍路さん」に出たとして、なぜ装束が自宅に残されているのだろうと疑問を呈している。
また、到さんが独身の公務員であったことからか、TV番組では、失踪の原因は女性関係のもつれではないかという方向での調査も行われた。生放送の番組でありながら、新聞のTV欄には「44歳デザイナー(到さん)」という単語と共に「結婚サギ女」等、番組の展開を予期させるキーワードが並んでいる。
Aさんが知る限り、到さんに女性関係の話はなく、到さん自身も親しい友人に向かって「一生結婚するつもりはない」と、あくまでも冗談風にではあるが、何度となく口にしていたという。
しかし、独立した成人男性の恋愛ともなると、必ずしも家族や友人に話せる事ばかりでもないであろう。また、到さん自身、無口で物静かな人物であり、人間関係は狭く深くというタイプであったという。
父親Aさんを始め、無断欠勤初日の午後に早々と警察沙汰にし、マンションの部屋に入ろうとする上司の態度に不審感を抱く者も多い。
到さんは本来、大阪府商工労働部所属であり、大阪府・大阪市・大阪商工会議所が共同で設立した組織(一般財団法人)である大阪デザインセンターには出向という形で配属されたと考えられ、そこで自ら、大阪市立大学の教授と共に前年から企画していた新規プロジェクトを立ち上げる直前であったという。
一説には、センターへの異動日は10月1日であり、勤務開始からわずか数日だったという情報もある。「出向先の古参職員と、新規プロジェクトを提げて出向してきた中堅公務員との軋轢」という構図を描く事も可能であるかもしれない。
前述のTV番組内で鑑定を依頼された降霊術師は、到さんが殺人の被害者となっており、もはやこの世にはいないと霊視した。
しかし、これらのいかなる見方についても、未だ裏付けとなる客観的な証拠は提示されていない。
父親Aさんの苦悩
2009年12月25日、AさんはNPO法人日本行方不明者捜索・地域安全支援協会に手記を寄せている。
そこでAさんは、行方不明者の家族を支えてくれるような組織の設立を要望すると共に、
到さんの失踪の理由についてはある程度見当がついたが、行方については全く判明しておらず死亡の可能性も考えられる事。
長男(到さん)を知る人々は誰もが「彼は真面目で優秀」と評価してくれ悪い話は全く聞かないが、(自発的に失踪せざるを得ないような・筆者注)長男の落ち度や、死亡の事実が判明してくれれば、この事態にも諦めがつき少しは穏やかに暮らせるのではないかと思っている事。
失踪から六年間の心労や、要した弁護士等の費用、失踪までの到さんの資産整理、マンションの維持や各種保険の継続(恐らく国民年金や健康保険の支払い・筆者注)等、親としてはまず長男の生存を前提として日々を過ごしている為、その負担は金銭的にも精神的にも筆舌に尽くし難い事。
行方不明や自殺の問題について、政府の機関はもっと真剣に取り組んで欲しい事を訴えている。
2015年11月、高齢だったAさんは、到さんとの再会が叶う事なく、その前年発症した脳卒中により入所していた介護施設で息を引き取った。
現在、到さんの件についての連絡先は、特定失踪者問題調査会が引き受けているという。
手がかりとその検討
ここからは、大阪府職員失踪事件(高見到さん行方不明事件)の手がかりとその検討を記していこう。
高見到さんについて
到さんは1959年10月11日東京生まれで、失踪時43歳。身長は約170cm、体重は60kg程の中肉中背で、視力は0.2程度で眼鏡やコンタクトレンズが欠かせない。虫歯は一本も無いという。趣味はオーディオ機器やレコードの収集、旅行であるという。
九州芸術工科大学(2003年に九州大学と統合)を卒業し同大学院に進学した。専攻は人間工学で、人体の機能に興味を持っていた事は間違いないが、彼の名前で検索できる文献は学生時代には身体機能の生理学的研究、恐らくデザイナーとして活動を始めた2000年頃以降は、人間工学を応用した製品デザインに関するものであり、「足」に関する研究に取り組んでいるものは見つからず、むしろ興味があったのは「聴力」であるように思われる。
卒業後の進路も「釣り具製造会社」とやはり「足」とは関連が薄そうで、1993年には公務員試験(大阪府上級職)に合格、転職している。
平沢弥一郎氏の著書『足のうらをはかる』での研究手法は、主に墨汁や特殊な粉末、平沢氏が自ら開発した装置で採取した足形を用いて、体重のかかり方や左右のバランスから、人体の直立能力を見るものだが、到さんの部屋からそのような足形が発見されたという情報は無く、家族や周辺の人物から到さんに「足形を提供した」という証言も出ていない。
仮にビデオテープの中身が全て足(もしくは足の裏)についてのものであるという話が事実であったとしても、当時の撮影機器の解像度で記録できる情報量については限られており、恐らくは平沢氏が1970年代に用いた手法(足形採取)ほどの情報すら得られないと考えられる。
もちろん到さんに「足を撮影された」という者も現れていない。
従って、到さんが人の足について興味を幼少時からずっと持っていたとしても、せいぜい懐かしい思い出の範囲に留まるもので、事業としての経済的価値、少なくとも何者かが非合法な手段に訴えて、研究者の身柄ごと確保するほどの成果が得られているとは考えにくいし、本業が維持できなくなり遁走してしまうほどの情熱を傾けていたようにも思われない。
室内の遺留品について①ビデオテープ
<概要>の項で述べたとおり、到さんのマンションからは50本を超えるビデオテープが見つかっている。
「お遍路さん」の足が録画されたテープはその中1本であり、残りの49本超のビデオテープの内容については明かされていないのだが、平沢氏の著書『足のうらをはかる』についてのエピソードとの混同からか、「50本を超えるビデオテープの全てが、人の足(または足裏)を写したものばかりであった」という誤ったものである可能性が高い情報が流布している。
結局のところ他のビデオテープの内容については不明のままなのであるが、少なくともAさんやTV番組のスタッフは、その全てに目を通したと考えられ、中身についてのコメントが無い事を考慮すると、例えばデザインの資料、会議や学会での様子等、到さんの職場との兼ね合いで公表できないような内容であるとか、趣味の旅行等で撮影された、ごくプライベートな映像であって、手がかりとして、あるいは番組の進行にとって有用なものではなかったのだろう。
室内の遺留品について①白装束
到さんの部屋に残された白装束であるが、後に、この装束は「お遍路さん」のものではなく、法華系の宗教団体である「R会(仮名)」で着用される衣装であることが分かっている。
神戸新聞の記者は、2008年6月23日の記事で、四国での大量の目撃情報は故意ではないにしろ、TV番組によって誘導された結果に過ぎない可能性を指摘している。
当の「R会」は、装束は確かに自分たちの教団のものであり、(所持している到さんが)会員である事は間違いないと思うが、末端の会員(恐らく、単発の説法や修行等に、都度会費を支払って参加するタイプの信徒を指している)については名簿を作成しておらず、到さんの名前は名簿には登録されていない旨を回答しているという。
法華系の聖地といえば身延山(山梨県)であるが、その地での到さんの目撃情報については確認できておらず、やはり部屋に装束が残されている点からも、失踪との関係性は薄いものと思われる。
また、教団との関連は不明ながら、到さんは一時期流行し、詐欺や強引な勧誘、精神異常を引き起こしかねない集団洗脳的な手法から社会問題にもなった「自分を変える」ことを目的とした自己啓発セミナーへと熱心に通っていた事も分かっている。
Aさんは一度その事に気づいて到さんに苦言を呈した事があり、未だ参加を継続していた事に驚いているが、セミナーでの人間関係からも失踪先についての手がかりは見つからなかった。
しかし、到さんが自分を変えたいと考えていた事は確かであり、その葛藤が失踪に繋がる可能性は否定できない。
周辺の人物の挙動について①上司
到さんの失踪に関して表に出ている人物は限られており、そのAさんが疑いの目を向けていることからも、職場の上司の挙動について不審点を指摘する者も多い。
到さんと、この上司は出会って数日であり、関係も親しいものであったとは考えにくいとされるが、2000年10月31日に、日本デザイン学会で発表された論文『ヒューマンデザインテクノロジーの概念及び方法(1)』で、既に到さんの所属は「大阪府立産業デザイン研究センター」となっており、上司の所属する「大阪デザインセンター」との間に、何らかの協力関係が既に存在していたとも考えられる。
この論文の著者は、和歌山大学の研究者1名を含む4名の共同名義となっており、到さんを除く残り2名のどちらかがこの上司である可能性もある。
後に上司は、無断欠勤初日でマンションの部屋に踏み込んだ理由について、到さんが痛風の持病を抱えており、これまで無断欠勤も無かった為、部屋で倒れているのではないかと心配したからだと説明している。
この上司と、到さんとの付き合いは、それなりに古いものであった可能性も高い。
また、上司は到さんの失踪から数ヶ月後、Aさんに「拝み屋」である修験者の女性を紹介しているという。
その女性が「到さんはもうこの世にいない」と霊視した為、Aさんは彼らが到さんの捜索を諦めさせようとしているのではないかと、更にその上司への疑いを深めてしまう事になるのだが、到さんはその時すでに分限免職処分を受けており、上司はもはや無関係な立場になっているにも関わらず、ある意味では部下の父親を気遣っていると言えなくもない行動を取っている。
この上司が「拝み屋」の発言をコントロールできる立場であり、到さんの捜索を諦めさせようというのならば、「訳ありの女性と自発的失踪を遂げて、穏やかに暮らしている」とでも言わせた方が良かったのではないだろうか。
一連の挙動からは、この上司について、少々他人との距離感が行き違いのある誤解されやすい研究者肌の人物像が浮かんでくるのだが、果たしてどうであろうか……。
周辺の人物の挙動について②仕事仲間
Aさんが到さんの自宅マンションに仕掛けた針金から判明した侵入者について、Aさんは職場の人間にも疑いの目を向けた。
到さんの私物のパソコンが部屋から持ち出されており、後日そのパソコンが、到さんの仕事仲間である人物が所属する、大阪府とも取引関係がある某NPO団体の事務所から発見されたからである。
Aさんが、パソコンに詳しい知人に頼んでハードディスクを調べてもらったところ、失踪前後に送受信されたメールだけが削除されていたという情報もある。
件の某NPO団体所属の知人によると、パソコンについては、確かに到さんの私物であるが、当時職場でパソコンが不足していた為、失踪前に到さんが知人に貸与してくれたものであるという。これは某NPO団体の事務長も把握している事実であり、データ削除については「他人に貸すのだから、個人のデータは消去するのが普通でしょう」と、知人はAさんの勘違いである事を指摘している。
パソコンの件が、Aさんの記憶違いであるのか、それとも知人らが虚偽を述べているのかという判断は、今となっては困難である。
そもそも失踪後、本当に到さんの部屋に侵入者があったのかという事実についてさえ、結局のところは不明と言わざるを得ない。
ちなみに、自分のパソコンを貸与した後、到さんは私用のメールにも職場のパソコンを使用していたようで、その内容も趣味のオーディオ機器についてのものが大半であり、失踪を匂わせるようなものは残されていなかった。
パソコンやメールの公私混同ぶりは、2023年の常識から鑑みると隔世の感を否めないが、当時はたとえ公務員であっても、少なくともセキュリティを管轄するような部署でもなければ、特に咎められるような行いではなかったと思われる。
2003年頃は、インターネットというものが世の中に定着し始めたばかりの時期でもあった。
父親Aさんの手記について
2009年、Aさんは、到さんの失踪の理由についてはある程度見当がついたと手記において述べている。
この発言の根拠が、捜索の手詰まりから、無理やり自分を納得させようとした結果でないのであれば、到さんの失踪についての協力者が名乗り出て、当時の到さんが置かれた状況や、失踪の理由を手紙等で密かに伝達したとも考えられる。
失踪当日、到さんはスーパーで蕎麦を二つ購入し、その買い物袋を同伴する何者かに預けた可能性がある。また、到さんがその直後にATMで引き出した21万円という金額は、長期の失踪を敢行するにしては心許ない金額であり、協力者が必須であるとも言える。
しかし、同時にAさんは「(到さんには)落ち度が見つからない」と述べており、自らが音頭を取った新規プロジェクトが開始する直前の、無断欠勤からの長期失踪と「落ち度が見つからない」を両立する状況がどのようなものか想像するのは困難である。
敢えて想像するとすれば、失踪には身辺に理不尽な危険(ストーカーや暴力的な組織)が迫っている等緊急避難的な要素があり、その後、失踪後半年程度で全国規模の公開捜査番組に到さんの姿を晒してしまった為に、家族の元への帰還が困難になってしまったという事であるのかもしれない。
真相考察
到さんは、そうとは知らず非合法な組織への借金を抱えてしまい、身を隠す必要があった可能性が高い。高額なオーディオ機器や室内の工事に収入のほとんどを注ぎ込んでいた到さんは、生活の維持の為に借金をする必要に迫られたのだろう。
大阪府の公務員(上級職)とはいえ、マンションのローンを抱えており、オーディオ機器類や自己啓発セミナー、趣味の旅行や宗教関係での出費も嵩んでいた彼には、安全な借金ができる余地はほとんど無く、いわゆる闇金融に手を出してしまったのではないか。
真面目で物静かな到さんがマンションで起こした警察騒ぎも、借金の取り立てに関わるものであった可能性が高い。2003年当時は闇金問題が未だ表面化しておらず、対策や救済措置も存在しなかった為、理不尽な取り立てや利息から逃れる為、夜逃げや自殺に追い込まれる者も続出していたという。
到さんは口座に残されたありったけの金額である21万円を引き出し、前金として、夜逃げを手伝ってくれる協力者に渡したのかもしれない。協力者はオーディオ機器を処分して現金を調達するよう要請したかもしれず、10月8日にオーディオ仲間にかけられた電話もその一環であった可能性がある。
闇金融が違法な借金の証拠を残すはずもなく、Aさんは到さんの失踪の理由を計りかね、警察、TV局、行方不明捜索支援のNPO等の組織に到さんの捜索への協力を依頼したが、不幸中の幸いと言うべきか、その事によって到さんの失踪事件が全国的な知名度を得た事が、闇金からの、到さんへの追跡や、家族への魔の手をも鈍らせたのだろう。
Aさんは、到さんを捜索すると言って営業をかけてきた探偵からの申し出を断っているという。その中には、探偵を装って、到さんから取り立てる代わりに、Aさんから金銭を得ようとする、闇金の関係者が存在したかもしれない。
2005年には、闇金からの貸付を公序良俗に反しており無効であるとする福岡高裁での判決が確定している。現在、闇金への借金は事実上返済の必要は無くなっているが、到さんの消息は杳として知れない。
その頃には到さんの身の上に何らかの、家族の元への帰還を妨げる事態が起きていた可能性が高い。
尤も、失踪が借金とは全く別の理由であっても、たとえ健康で、なんとか生活ができていたとしても、帰還をためらう心の内は、想像に難くはないのであるが……。
◆参考文献・資料
・神戸新聞 社会面「足元の迷宮」第6部 家族にできること−特定失踪者を追う2008年6月16日−25日(全10回) 神戸新聞社
・平沢弥一郎『足のうらをはかる』ポプラ社1970年.
・特定失踪者問題調査会失踪者リスト 高見到さんのページ
・特定失踪者問題調査会HP <特定失踪者データ>
・特定失踪者問題調査会代表 荒木和博さんのブログ2016年1月18日
・特定非営利法人 日本行方不明者捜索・地域安全支援協会HP 高見到さんの父Aさんの手記
・静岡県警HP 拉致の可能性を排除できない事案に係る方々 髙見到さん
・TV朝日系「奇跡の扉 TVのチカラ」HP S0S−066 大阪・消えた公務員…44歳独身デザイナー初回放送2004年5月3日 (ウェイバックマシンによるアーカイブ)
・CiCii Research NII学術情報ナビゲータ
◆男性の行方不明・失踪事件(事案)考察シリーズ