映画『フォレスト・ガンプ』考察:人間は運命とともに風に乗ってたださまよう

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風に弄ばれ揺れ落ちながら、1枚の鳥の羽がバス停のベンチに座るガンプの汚れた白いナイキのスニーカーに優雅に舞い降りた。ガンプはその羽を優しく拾い上げ、子どもの頃からの愛読書であり、後に自分の子どもに贈る絵本に慎重に挟み込んだ。

風に舞う鳥の羽と彼の汚れたスニーカーが、彼の人生と旅を象徴するかのように、微風と共に物語は進んでいく。彼の人生が紡がれ、初恋の女性ジェニー、戦友のババ、そして彼の母親――愛する者の死を経験した彼の人生は、アメリカの歴史と共に進み、風に揺れながらも、羽ばたいていく。

1994年公開(日本公開は1995年)の映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』について、時代の語り部ガンプ、ガンプを取り巻く人々、ギフテッドと正義、変わるアメリカ等をテーマに記していこう。

概略

第67回アカデミー作品賞、監督賞、主演男優賞などを受賞した映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』は、1950年代から1980年代にかけてのアメリカの歴史をガンプの視点で描いた作品である。

IQ75の軽度知的障碍のあるガンプだが、利他的な愛に溢れる無欲な生き様が時代の矛盾と変化を映し出す。

本作は、人種差別、ベトナム戦争、大統領の犯罪、暴力と暗殺、ガンプの無意味な行動に意味を与えるメディア、カリスマ化する大衆、利己的で強欲な米国資本主義と正反対の心を持つガンプの「与える正義」、バス停のベンチに座り、偶然隣り居合わせた多様な米国人に自分の人生を語り始める時代の語り部ガンプの人生と変化するアメリカの姿を描いている。

出典:シネマトゥデイ

映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』の背景

約2時間20分の上映時間で描かれる映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』のうち約2時間はバス停のベンチでバスを待つガンプが隣に座り去って行く多種多様な人々に自身の人生を回想しながら語る場面で描かれる。

本作はバスとバス停が大きな意味を持つ。この意味を探るため、まずはガンプの背景を考えてみよう。

主人公のフォレスト・ガンプ(Forrest Gump)は、第二次世界大戦末期の1944年、アメリカ合衆国アラバマ州に生まれる。

ガンプの故郷である米国南東部に位置するアラバマ州は、アメリカ独立戦争後の1819年にアメリカ合衆国の22番目の州となる。大規模な綿花プランテーションを産業基盤にする同州は奴隷制を支持し、1861年から1865年まで続いた南北戦争ではアメリカ連合(南軍)に加わる。

広い敷地を有するガンプの生家は、彼の先祖が大規模プランテーションの農場主だったことを連想させる。また、彼の家には代々仕える黒人女性給仕もいる。

南北戦争後のアラバマ州はジム・クロウ法の下で人種差別が深刻化する。同州は白人至上主義K・K・K(外部リンク:Wikipediaクー・クラックス・クラン)の活動が盛んな地域だった。

主人公フォレスト・ガンプの名前は、南軍側の英雄でK・K・Kの創立者の一人ネイサン・ベッドフォード・フォレスト(1821年7月13日-1877年10月29日)にちなみ母親が名づけた。

母親が息子に「フォレスト」の名前を付けた理由は、「人間は愚かな行動をすると戒めるため」だと語っている。彼女は、知能指数が75のガンプに対して、「馬鹿なことをする者が馬鹿なのだ」だと教える。

この言葉はフォレストの心にいつまでも刻まれつづける。知能指数で「人間の愚かさ」は測れない。フォレストは知能指数の低いが暗愚の者ではない。母親や陸軍時代の上司小隊長のダン・テイラー中尉はフォレストを馬鹿にする者を許さない。フォレスト自身も自分を馬鹿にする者に言う。――馬鹿をする者が馬鹿なのだ――。

人種差別が残る同州は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が指導する1960年代の公民権運動の中心的な舞台になる。

1955年12月1日のモンゴメリー・バス・ボイコット事件(公共施設の人種隔離政策反対運動)や1963年のアラバマ大学(フォレストが通う大学)での黒人学生入学拒否事件(知事ジョージ・ウォレスとジョン・F・ケネディ大統領が激しく対立し州兵が動員された)、1965年3月7日のセルマ橋事件(血の日曜日事件)が代表的な事件だろう。

時代の変化:バス停とバス

ガンプが人生を回想するバス停は、初恋の女性ジェニーの当時の住まいジョージア州オーガスタにあるバス停である。

そこに座るのは偶然に居合わせた2人の米国人――汚れたスニーカーを履いた語り部ガンプと真っ白なスニーカーを履いた黒人女性――だ。語り部ガンプと聞き手の黒人女性のスニーカーの対比が、この場面を特に印象的に彩っている。

それぞれの足元が物語るように、異なる背景や経験を持つ人間が同じ場所で出会う瞬間が――映画の中で心に残る瞬間となる。

女性が読んでいる雑誌『people』の表紙ナンシー・レーガンから推測するとこの場面の時代は1981年だろう。

1955年12月1日のモンゴメリー・バス・ボイコット事件から約25年後のこのバス停の場面は、時代の変化と公民権運動の成果を象徴するものと見ることができるだろう。

バス停で出会う2人、語り部ガンプと黒人女性が、異なる背景や経験を持ちながらも平等な座席で共に過ごす。この場面が公民権運動がもたらした進歩を示しているかのようだ。

この対比は、過去から現在への進歩や変化を感じさせ、本作が歴史的な出来事の再確認と教訓と深いメッセージを伝える作品だということを表している。

また、ガンプの人生には3台のバスが特別な役割を果たす。まず1台目は、学校のバス。そこでガンプを受け入れてくれたジェニーと出会う。

2台目は、陸軍のバス。このバスでガンプは、後に永遠の親友となるババ(ベンジェミン・ブルー)との運命的な出会いを経験する。

そして3台目は、ガンプの子どもが乗り込むバス。彼はこのバスを見送りながら、未来と旅立ちを感じる。

ジェニーとババに共通するのはガンプを受け入れてくれたことだろう。他の者がガンプに意地悪をするなか、ガンプと異なる背景を持つ父親から虐待されている白人少女と元奴隷の一族である黒人青年はガンプを自然な振る舞いで受け入れ、心の支えとなる。

この描写は、本作が人種や社会的背景にとらわれず、異なる個々の人間関係がお互いを支え合い、共感し合える可能性を示している。ガンプの純真で包括的な愛と受け入れの姿勢が、人々をつなぎとめ、違いを乗り越えるアメリカの底力を表現していると言えるだろう。

フォレスト・ガンプを取り巻く人々

映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』の魅力は、ガンプを取り巻く様々な人々の背景や人物像にある。以下に、いくつかのキーパーソンとその特徴を挙げてみよう。

ジェニー・カラン

背景: 複雑な家庭環境で成長し、ガンプの初恋の相手であり親友であり妻。

彼女は、ガンプと同じアラバマ州に生まれながらも、父親(母親は5歳の時に他界)からの虐待や貧困(父親が虐待で逮捕された後の引き取り先はトレーラーハウスに住む親類)に苦しむ複雑な家庭環境で成長する。父親が娘を所有物のように扱う非情な状況に対する彼女の憎しみは強く、その影響から逃れるように、彼女は60年代のカウンターカルチャーに身を投じていく。この時代は性の解放、ピル、麻薬、音楽、反戦運動、ヒッピームーブメントなどが興隆し、社会の変革と新しい価値観が広まった時代だった。

彼女が60年代の激しい変革に没頭したことは、独自のアイデンティティを見つけ、父親からの束縛から解放される手段であった可能性があるだろう。しかし、同時に彼女が選ぶ男性(UCLAの反戦委員長)には暴力的な傾向が伺える。

子どもの頃、「逃げられるように、鳥になれるように」神に祈った彼女は、カウンターカルチャーの中に自由や創造性や幸福を見出そうと放浪するが、最後は生まれ故郷のアラバマでガンプと伴に「幸福」を見出す。青い鳥はアラバマにいたのだ。

魅力:ジェニーの人生は苦難に満ちているが、彼女の存在や彼女の言葉がガンプの人生に深い影響を与える。

彼女の「勇気など見せずに走って」という言葉は、ガンプの心に深く刻まれる。彼女は彼の人生において導き手となり、精神的な支えを提供する魅力的な女性だといえる。

ジェニーが支配的な父親を嫌いながらも、支配的な男性を選ぶ姿勢や、ガンプに「愛がなにかわかってないのに」と問い詰めながらも、実際には「愛」を知らずに彷徨い、時折、思い出したかのようにガンプの前に現れる様子は、彼女の複雑で矛盾した感情を浮き彫りにしている。

このようなジェニーの行動や言動は、過去の家庭環境の影響が彼女の人間関係に及ぼす深刻な影響を示唆しているといえるだろう。

彼女が愛と安定を求める中で、時には自己破壊的な選択をする姿勢が、彼女の複雑な心理状態を反映している。

一方で、ガンプとの関係が彼女にとって特別であることも伺え、愛に対する理解が深まる契機となっている。 ジェニーのキャラクターは、喜びと悲しみ、愛と痛みを抱えながらも、彼女の人生において成長し変化していく様子を描き出している。

ババ(ベンジェミン・ブルー)

背景:ガンプの戦友であり、戦場を伴にする信頼できる黒人の友人。

彼はアラバマ州の入り江地帯、具体的には「バイユー・ラ・バトル」に生まれる。彼の家族は先祖代々、白人家庭の料理人として生計を立てており、そのため彼はエビ料理について多くの蘊蓄を持っている。

彼は過酷な戦場でもエビの話を続け、その会話が除隊後のガンプの人生に大きな影響を与える様子は、物語の中で特筆すべき場面の一つである。

このような対話がガンプに与える影響は、おそらく単なる会話以上のものだろう。戦場の厳しさや緊張感の中でさえ、エビの話は軽やかな雰囲気をもたらし、ガンプにとって心の支えとなった可能性がある。

この関係は、戦場での厳しい現実から逃れ、希望と友情の要素を本作に注入するものとして描かれているともいえるだろう。

魅力: エビの話題が戦場で取り上げられるという異色の場面は、彼のキャラクターが持つユニークで楽観的な側面を浮かび上がらせ彼の魅力となっている。

ババとガンプを双子のような関係性で描くことは、戦場という極限状態が人種の壁を打ち壊す遠因になったことを示唆する可能性がある。

戦場では、個々の兵士が生きるために協力し、人種や出身地に関係なく団結する必要が生まれる。

このような状況が、異なるバックグラウンドを持つババとガンプが深い友情を築く契機となったとも考えられる。

ババが死に際に発する「うちに帰りたい」という言葉が、彼の幼さを残す姿とともに、ベトナム戦争の悲劇を表現している可能性がある。

この言葉は、若者であるババが戦争の残酷さや現実と直面し、自らの生を取り戻したいという切なる願望を反映しているように思われる。

ベトナム戦争は若者たちにとって過酷な体験や心の傷を残した戦争であり、多くの若者が戦場での経験や精神的な負担に苦しんだ。 ババが「うちに帰りたい」と願うことで、戦争がもたらす苦痛や混乱、帰らぬ仲間たちへの哀悼が物語に表現され、戦争の悲劇的な側面が浮き彫りにされている。

小隊長のダン・テイラー中尉

背景:陸軍の上官で、退役後のガンプの人生に大きな影響を与える。

ガンプが語るところによれば、「先祖はアメリカが戦った全ての戦争に参加した」とされる小隊長のダン・テイラー中尉は、名誉を重んじる人物として登場する。彼は名誉の死を望みアメリカの歴史の一部になることを望んでいるようでもある。

この描写は、彼の家族がアメリカの建国の理念(規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、市民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。アメリカ合衆国憲法修正第2条)とアメリカの歴史的な戦争に奉仕し、その伝統を重んじてきたことを示唆している。

ダン・テイラー中尉のキャラクターは、「戦争への奉仕と名誉の尊重」を表すアメリカ人の正義の一面を象徴していると言える。彼の姿勢は、軍人としての誇りと責任感、そして同時に国家や戦友への忠誠心を示唆している。

ガンプを馬鹿と罵り、侮辱する者を許さない彼の態度は、彼のキャラクターにおいて個人の尊厳や名誉を尊重する価値観を反映している。

戦争中、兵士たちは困難な状況やストレスにさらされることがある。その中で自分や仲間の尊厳や誇りを保つことは重要である。

ダン・テイラー中尉がこれらを重要視することで、彼のキャラクターが持つ強い信念やアメリカの保守的な価値観を浮き彫りにしている。

魅力:戦場で死ぬ名誉を得ることが出来なかった彼はどう生きればいいのか?

敵からの攻撃で彼の率いる部隊は大きな打撃を受けるが、ガンプの活躍により彼や仲間は救出される。足に大きな怪我を負い障碍者となった彼は、「人間には持って生まれた運命がある」とガンプと神を責める。

ダン・テイラー中尉が自分の運命を名誉の死だと考え、障碍者として生きることに耐えられないと感じる場面は、彼のキャラクターにおいて深い葛藤と苦悩が表れている。

戦争において障碍を負った兵士が抱える心理的な重荷や社会的なプレッシャーは非常に深刻であり、その苦しみを表現するものと考えられる。

先祖代々、アメリカのために戦った一族出身の彼の視点から見た名誉とは、障碍者としての生き方よりも、勇敢に戦って死ぬことに価値を見出している可能性があり、帰還兵の心の傷を描写しているともいえる。

名誉の戦死を得られなかった彼の葛藤や喪失感は、彼の生き方に大きな影響を与える。彼は酒に溺れる自堕落な生活に身を置くことで、内面的な葛藤や心の痛みから逃れようとしているようだ。

しかし、物語が進む中で、ガンプと共にエビ漁を始め、新たな人生への一歩を踏み出していく様子が描かれる。彼の車椅子には「AMERICA OUR KIND OF PLACE」という皮肉の効いたスッテカーが貼られている。

ハリケーン・カルメンの惨事のなか、彼は意地悪な神を挑発し、神と戦い、神と神が与えた運命と和解する。

ガンプとの友情や新たな運命との和解が、過去の傷を癒し、生きる希望を見いだす手段となり、彼は徐々に立ち直り、再び意味ある生活を見出していく過程が描かれていると考えられる。そして、彼は義足で立ち、東洋人女性と結婚する。

ダン・テイラーのキャラクターは、困難な状況にある人間の心の葛藤や再生のプロセスを感情豊かに描写し、物語全体に深い感動と教訓をもたらしている。

ガンプの母親(ミセス・ガンプ)

背景:ガンプを愛情深く育てた芯の強い女性として描かれる。

ガンプの母親は、代々受け継いだ広大な土地にある家屋を宿泊所「GUMP HOUSE」とし生計を立てるシングルマザーである。

彼女が知能指数75のガンプを「普通」の子のように育てることは、彼女の母親としての愛情や理解、そしてガンプに対する肯定的なアプローチを示している。

知能指数が平均よりも低いとされるガンプに対しても、母親は彼を一般的な子どもと同じように接し、成長をサポートし、時には文字通り自分の身体を使うこともある。

ガンプの母親が「普通とはなにか?」と入学を拒否する小学校教師に問う場面や「馬鹿をする者が馬鹿だ」、「自分の運命は自分で決める神の贈り物を生かして自分で見つけなさい」とガンプに語る場面は彼女の人間性の全てを表しているといえるだろう。

彼女のガンプに対する教育が彼の純粋で優れた性格を形成した一因であることは間違いないだろう。母親の理解と愛情が、子どもの可能性を開花させ、社会で幸福な生活を送る基盤となることを強調しているともいえる。

魅力:彼女のキャラクターは、ガンプの純真で前向きな性格の源泉であり、彼の信じる力強さを根付かせている。

母親の愛は彼女がガンプに読み聞かせた絵本と共にガンプの子へも受け継がれるだろう。

母親がガンプに無償の愛とチャンスを与えた姿勢が、彼の人格形成に大きな影響を与え、その影響が次の世代にも継承されることが期待される。

彼女の魅力は、母親の愛が子どもや社会に良い影響を与えることを示唆する点だろう。

彼女の無償の愛は、時代の流れを超えて感動的で示唆に富んだテーマとして描かれている。

ギフテッドと正義

知能指数75のガンプは強靭な脚力を持っている。この2つの能力と才能は天からの贈り物である。

彼の集中力と脚力は彼に歴史的人物との出会いと大きな財産をもたらす。ガンプは運命を受け入れ運命に逆らわない人間だが、一旦受け入れた運命を持ち前の集中力と真面目さで積極的に追及する。彼は運命に弄ばれながら運命を受け入れ最後までやり通す人間なのだ。

彼は天からの才能で得た金や地位や名誉に関心がない。彼は教会や漁師共済病院に寄付し、勲章をジェニーに渡し、ババの母親にエビ漁で得た多額の金を渡す。

彼はその奇遇な人生のなかで一般通念上の悪人と出会うこともあったが、彼は決して彼らと戦うことはしない。彼は悪人と戦い英雄的な善を成す人間ではない。彼の善は神から与えられた才能を活用し、善い行いをすることなのだ。

ガンプは与えられた才能を生かし、その特異な能力を通じて他者に感動や喜びを提供する。

敵を打ち破り、戦うアメリカの正義も一つの価値観であるが、ガンプのように神から与えられた才能を活かし善い行いをする。これもアメリカ社会の善の一つである。ガンプの生き方は、敵を倒すアメリカの正義とは違う、もう一つのアメリカの正義を表しているといえるだろう。

消えたマーティン・ルーサー・キング

ガンプがアラバマ大学を卒業した1960年代頃は、ベトナム戦争やカウンターカルチャーがアメリカ社会を大きく揺るがす時代だった。

本作は、この時代のアメリカ現代史を取り巻く様々な出来事をガンプとジェニーという二つの対照的なキャラクターを通じて描いている。

1950年代から1980年代までを舞台にした本作は、ベトナム戦争という歴史的な出来事に参加する若者ガンプとカウンターカルチャーの中で自らのアイデンティティを模索し、激動の時代の中で個々の解放や自己表現を追求するジェニーが描かれている。

ガンプとジェニーの相反する人生は、その時代の複雑な潮流や価値観を反映するが、2人の愛と友情が変わることはない。

この激動のアメリカ現代史を描く本作に登場することのない人物と物語がある。それは公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キングと彼の死である。

公民権運動に多大な影響を与えた偉人であるマーティン・ルーサー・キングの登場がない本作は一部の観客からは偏った映画と見なされる向きもある。

確かに彼の存在はアメリカ社会における巨大な変革をもたらした点で不可欠であり、その影響は物語に深い意味を与える可能性が多分にある。

一方で、物語が他の視点(ガンプの従軍やジェニーの反戦運動など)に焦点を当てることで、公民権運動における複数の視点や体験を描き出し、異なる物語を紡いでいるかもしれないとも考えることができる。

これにより、観客は特定の視点から物語を見つめ、その中で独自の洞察を得ることが期待されているともいえよう。

撃たれた者たち

銃社会アメリカの歴史は、要人暗殺の歴史でもあった。特に1950年から80年代頃の政治的対立が過激さを増し、その時代は暴力と暗殺の影が濃密に漂っていた。

本作でもウォレス(アラバマ州)知事、ジョン F. ケネディ大統領、ロバート・ケネディ上院議員、フォード大統領、ジョン・レノン、レーガン大統領など、左右両陣営の重要な指導者たちの狙撃が描かれている。

これらの出来事はアメリカ社会に深い傷跡を残し、その後の歴史にも大きな影響を与えた。

時代の激動と共に進行した政治的な緊張と社会的な変革は、銃による暴力や暗殺と結びついて、アメリカの歴史に特有のドラマを刻んでいる。

本作に登場する大統領

本作に登場するガンプの歴代大統領との対面の場面は、彼が思想的に「空」な人物であることを象徴している。

ガンプは単純で純粋な心を持ち、政治的な思想や複雑な社会問題に無縁な存在として描かれている。

彼が歴代の大統領たちと対面することで、彼の人物像は政治的な立場や思想に左右されず、純粋な善と良心の象徴として浮き彫りにされているようだ。

民主党のジョン・F・ケネディ35代大統領の会場では、黒人の給仕が行われ、ドクタ・ーペッパーを飲み過ぎたガンプが入ったトイレにマリリン・モンローの写真が飾られ、民主党 リンドン・ジョンソン36代大統領には下着を脱いで尻を見せる。

一方で、共和党のリチャード・ニクソン37代大統領のウォーターゲート事件(1972年6月17日)では、ガンプは目撃者として登場し、さらには(意図せず)第一通報者となる。

彼が無邪気に、かつ真剣に歴史的な瞬間に参加する姿勢は、善意と純真さが時の流れに対抗する力を持っていることを示唆しているともいえるだろう。

フォレスト・ガンプと変わるアメリカ

1950年代から80年代、特に60年代から70年代は、世界的な政治的対立の時代だった。

冷戦の影響やベトナム戦争などの熱い戦争の影響から、アメリカは伝統的な価値観とカウンターカルチャーの対立の最前線に立たされ、アメリカは少しずつ変化した。

キリスト教原理主義、ベビーブーマー、白人至上主義、共産主義との闘い、反戦運動、家父長制、リベラルフェミニズム、性の解放、家族からの解放、みずがめ座の時代、学生運動、公民権運動、革命など、様々なキーワードが時代を特徴づけている。

これらの複雑な要素が交錯する中、アメリカ社会は大きな変革と挑戦の時期を迎え、政治的な緊張、社会的な変革、文化の多様性が同時に共存し、個々の人々の生活にも大きな影響を与えている。

これからも、時代は風に揺れる鳥の羽のように人々をゆらゆらとさせるだろう。未知の出来事や変革が起こり、新たな挑戦や機会が生まれる中で、人々はその時代に適応し、成長していくだろう。

風のように変化する時代の中で、新たな物語が生まれ、人々の歩みを続け、新しい時代の語り部/新たなガンプの物語が始まるだろう。


◆独自視点のアメリカを描いた映画 考察


Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

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