家族の知らない空白の時間:失踪から13年、遺体で見つかった女性

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序章: 謎めいた白骨遺体

白骨化した遺体の一部が発見されたのは、鹿児島県吉野町に在る薩摩藩島津家別邸「仙巌園」付近の山林だった。

人為的に埋められたと思しき白骨化遺体を発見したのは、同園の関係者男性だった。

同男性から通報を受けた警察が遺体の身元特定、死体遺棄事件(殺人事件も視野に入るだろう)の捜査を開始したのは、2019年8月13日、旧盆の午後だった。

事件概要

身元不明の一部白骨化した遺体が発見されてから10日以上が経った2019年8月26日、鹿児島県警は、同遺体の性別、着衣、死亡時期等を発表する。

遺体は、死後1年未満の30-40代女性と見られ、特徴は身長150cm位、「HIPHOP」等の文字のある黒色系の長袖Lサイズトレーナー、黄色系の半袖Tシャツ、黒色系のズボン(ジャージと思われる)を着用し、着衣に人為的に切られた等の痕跡はなかった。

事件が大きく動いたのは、上記の警察発表から約一か月後の2019年9月25日だった。鹿児島県警中央署が遺体の身元判明を公表した。

警察は寄せられた情報や県内等の行方不明者情報を中心に身元判明捜査を行ったのだろう。

そう、発見された死後1年未満の30-40代女性と見られる一部白骨化した遺体は、2006年4月上旬(5日-7日頃だと推認される)に鹿児島県志布志市の自宅から失踪した当時17歳の女子高校生Nさんだと断定された。

Nさんは遺体で発見された2019年8月から約13年前の2006年4月上旬(5日-7日頃)の夜間、自宅から失踪したという。

また、失踪の翌日は彼女が通っていた県立高校の新学期の始業式だった(2006年の鹿児島県立高校の始業式が特定できなかったため、本記事ではNさんの失踪日を5日-7日頃とした)。

当然だが、家族は突然、始業式の前日夜に失踪したNさんの身を案じただろう。犯罪に巻き込まれた可能性、自傷(他傷)等を考慮し「特異家出人」として鹿児島県警に届出を提出し警察はこれを受理した。

2006年4月5-7日頃自宅から失踪
時期不明家族に「元気でいる」等のメールが複数回くる
2016年5月頃 知人男性名義のアパートで死亡(他殺の疑いなし)
2016年5月頃男性が「仙巌園」付近の山林に遺体を埋める
2019年8月13日 一部白骨化した遺体が発見される
2019年9月25日遺体の身元判明
2020年1月8日 Nさんの家族が弁護士を通じ声明発表
2020年5月8日時効成立のため遺体を埋めた30代男性は不起訴(殺人等の他の罪での逮捕等報道はない)
Nさん失踪、死体遺棄事件の経緯

報道によれば、失踪後、Nさんが家族に複数回メールを送ったとされている。メールの内容は「元気でいる」というものだが、Nさん自身がメールを送ったとは断定できない。Nさんの携帯電話等を使い第三者がNさんを装いメール送信した可能性も考えられる。

多くの謎を残しながら失踪から13年後、遺体で見つかったNさん事件は、2020年5月8日、Nさんの遺体を埋めた30代男性(以下、A氏)の時効成立による不起訴(死体遺棄の疑い)で終わる。

Nさんは2016年5月頃、A氏が借りていた鹿児島県内のアパートで死亡した。死因は公表されていない。部屋の賃借人だったA氏は、家出人(Nさん)を匿っていたことの発覚を怖れ、遺体を「仙巌園」付近の山林に埋めたという。

Nさんは失踪した2006年から2016年までの約10年間、A氏の援助等を受け家族の知らない生活を続けていたのだろう。

2020年1月8日、Nさん家族の弁護人が発表した家族の声明には、(遺体がNさんだと知らされてたとき)「13年間の空白が一瞬で埋まった」と語っている(参考・引用『死体遺棄家族コメント』朝日新聞2020年1月10日付)。

家族の知らない空白の時間――家族の知らない失踪の理由。

「知らない」「わからない」は人を不安にさせ人を抜け出せない迷路に迷い込ませる。

第一章: 空白の時間

Nさんの失踪後の生活については公表されていない。NさんとA氏は「知人」と報道されている。

また、2人が同年代(Nさんが生きていれば、A氏が不起訴となった2020年5月の時点で30歳-31歳位)、NさんはA氏が借りたアパートに暮らし、A氏が食料等を運んでいたということから、両者の間に良好な関係があった可能性が高いと推察できる。

2人の間に仕事等の利害関係やA氏が家出人のNさんを利用していた等の不均衡な関係性はなかった可能性が高いと思われる。

A氏が借りたアパートでNさんはどのような生活をしていたのだろうか?A氏が食料を運んでいたといわれるため、A氏の居宅は別にあったのだろう。

われわれは、始業式前日の夜に自宅から失踪したNさんの失踪の理由や失踪後10年間の生活を知る術を持たない。

それは、「13年間の空白が一瞬で埋まった」と語る家族だけが知れば良いことだから。

第二章: 失踪者と家族の再会―母親の誕生日

失踪の動機は多岐にわたり複合的だ。日常生活のなかで失踪者の心に沈殿した感情や思い等が人に失踪を決断させるのだろう。

2007年4月16日付読売新聞に『高校卒業後、家出した男性50年ぶり家族と再会警察官の温情が結ぶ』という記事がある。

約50年前に家出した鹿児島県出身の68歳の男性が家族(弟・妹)と再会したという記事だ。

男性は高校卒業後に失踪し、日雇い労働で僅かばかりの収入を得ていたといわれる。警察が静岡県内の某駅内で男性に職務質問(午前2時40分頃)したとき、彼の所持金は数千円だったいう。

約50年間も行方がわからない男性に家族は失踪届(法律上の死亡)を提出したのだろう。彼には住所も戸籍も無かったといわれる。

ただし、家族は諦めていなかった。家族は約50年間、男性の捜索願を取り下げることはなかった。

男性は警察から捜索願が出ている旨を告げられ、家族に連絡するようにと説得されたが、――いまさら会いに行けない――と、語ったらしい。

当然だが、警察に事件性の無い成人の行方不明者を拘束等する権限はない。警察が出来ることは事件性の無い成人行方不明者への説得だけだ。

そこで、職務質問した警察官は機転を利かせ、自分の名刺の裏に男性家族の連絡先を記し男性に渡したという。

それから約10日後、家族のもとに男性から電話が入ったという。それは、奇しくも男性が知る筈もないであろう数年前に他界した母親の誕生日だったという。

家族と疎遠になっていた男性は敢えて母親の誕生日を選び、家族に連絡を入れたのかもしれない。 男性には家族との再会のきっかけが必要だったのかもしれない。

第三章: 絆と居場所に追いつめられた失踪者

現在の社会は、「絆」を尊び、人々は「居場所」を求めている。2023年5月31日、「孤独・孤立対策推進法」(リンク先:内閣官房「孤独・孤立対策推進法」概要PDF)が成立し、孤独・孤立対策担当大臣が設けられた。

しかし、「絆」と「居場所」が人を追いつめるとこもある。1984年8月4日、東京都新宿区歌舞伎町のラブホテル内で殺害された31歳の女性は家出人だった。

彼女には、施設に預けた8歳の男児がいた。また、彼女には過去に二度の子殺しという暗い過去があった。

佐賀県で生まれた彼女は、母親の再婚とともに関西地方に転居するが、継父との折り合い等が悪く家出を繰り返し施設で暮らすことになったという。

中学卒業後は都内のアパートに移り住み男性と同居を始め――やがて、2人の間に女児が誕生した。

3畳一間の狭い部屋と産まれたばかりの女児――孤独で居場所のなかった彼女がつくった初めての絆と居場所だろう。しかし、彼女は21歳の時に生後まもない女児を殺害してしまう。殺害の動機は生活苦だったらしい。

検察は彼女に懲役2年6月を求刑したが、裁判官は執行猶予の判決を下す。

前述の事件から約2年後、彼女は別の男性と結婚し2人の男児を産む。彼女と夫と男児2人は埼玉県内に新居を定めてたらしい。

だが、再び彼女は大きな過ちを犯してしまう。泣き止まないという理由から生後5か月の次男を床に投げつけてしまった。

彼女は傷害致死の罪で3年の実刑判決を受け栃木刑務所に収監された。前述の執行猶予も加算されたため、収監期間は5年以上だと思われる。

事件後、施設に預けられた長男(夫は仕事の都合で養育できなかった)が面会のため刑務所に訪れたのは、小学1年生のときだった。成長した息子を見た彼女は、長男のいる施設に手紙を送る。手紙には、「必ず引き取りに行きます」と書かれていたという。

仮釈放で刑務所を出た彼女は、更正施設で暮らし始めたらしいが、1982年12月31日、突然、更正施設から姿を消してしまう。

息子のいる施設への彼女からの最後の連絡は、1983年1月8日だったという。彼女は施設の者に「いま、新宿にいます。なかなか仕事が見つかりません。長男を引き取る方法を教えて下さい」と語ったといわれる(参考・引用『新宿殺人被害者重い過去わが子殺し、肉親と連絡絶つ』毎日新聞1984年8月18日付』)。

更生施設から消えた彼女は新宿で新たな男性と「絆」と「居場所」を見つけようとしたが、それも失敗に終わる。男性と喧嘩の後に家を飛び出した彼女は新宿駅で声をかけて来た29歳の男性に――。

中学生まで彼女には「絆」と「居場所」が無かった。その後、彼女は自ら「絆」と「居場所」をつくるが、追いつめられるかのように何度も何度も「絆」と「居場所」を捨ててしまう。

遺体となった彼女は身分を証明するものを持っていなかった。施設に預けている息子の写真も持っていなかった。 彼女は二度と息子に会えなくなった。

結論: 希望の光

これまで紹介した3つの事件は、数年間にわたり家族の知らない場所で生活していた失踪者の事例である。

たしかに、長期にわたる失踪は、「第一章」「第三章」のように事件・事故等に巻き込まれるケースもある。

過去の報道には、暴力団の資金源にされた未成年失踪者や家出後に窃盗等を繰り返し逮捕された失踪者カップル等の事例も散見される。

この3つの事件は、自ら(と思われる)それぞれの理由を抱え、「絆」と「居場所」から失踪したのだろう。

第二章の男性の物語には続きがある。男性は既に両親が他界したことを聞き涙ぐんだという。

男性の弟は「もう死んでいると思っていた。再会できて夢のようだ」と話し、「男性は長兄がいる鹿児島県の実家に戻ったという」(参考・引用『生き別れ:50年ぶり、弟と再会果たす鹿児島出身男性』毎日新聞2007年4月1日付)。

約50年の月日を越え再会した男性と家族の物語は、失踪者と家族の希望の光となるだろう。


◆参考資料
『駆け落ち』北海道新聞1988年10月8日付
『駆け落ち高校生が盗み行脚』読売新聞1989年9月21日付
『熊本・水俣で巡査が女性と駆け落ち、免職組長には逃亡手引き?』毎日新聞1993年1月25日付
『新宿殺人被害者重い過去わが子殺し、肉親と連絡絶つ』朝日新聞1984年8月18日付
『母さんに会いたかった』朝日新聞1985年9月25日付
『生き別れ:50年ぶり、弟と再会果たす鹿児島出身男性』毎日新聞2007年4月1日付
『高校卒業後、家出した男性50年ぶり家族と再会警察官の温情が結ぶ』読売新聞2007年4月16日付
『遺体の着衣公表、情報提供求める鹿児島の死体遺棄事件』朝日新聞2019年8月27日付
『白骨遺体は13年間不明の女性死後1年程度足取りを捜査』読売新聞2019年9月26日付
『山林に一部白骨化遺体』読売新聞2019年8月20日付
『鹿児島山中に遺体遺棄容疑書類送検無職の男、時効成立』読売新聞2020年4月23日付
『容疑者の捜査を終結時効成立』西日本新聞2020年4月23日付
『鹿児島死体遺棄不起訴』読売新聞2020年5月9日付
『白骨遺体当時17歳女性鹿児島06年に行方不明今年8月発見』読売新聞2019年9月25日付
『白骨遺体13年間不明の女性鹿児島当時17歳死後1年程度』読売新聞2019年9月26日付
『死体遺棄、遺族コメント』朝日新聞2020年1月10日付


行方不明・失踪事件(事案)考察シリーズ

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Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

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