飯塚事件の新証言と再審請求——“白い車”の目撃情報が示す新たな可能性

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1992年発生の『飯塚事件』は、証拠の不確実性や捜査の偏向が指摘され、情況証拠を積み重ねた有罪認定が行われた。現在も再審請求が続いている。

本再審請求では、『白いワンボックス車』の目撃証言と、原審が略取現場とした『三叉路』の新証言が焦点となる。新証言によれば、事件当日の午前9時40分から10時40分にかけ、飯塚市内で2名の女児を乗せた『白いワンボックス車』が目撃された。これが事実なら、『犯行時間』『犯行現場』『死亡推定時刻』の認定に矛盾が生じる。

また、『三叉路』の新証言により、略取場所および時刻に対する重大な疑義が浮上した。

本記事では、新証言の再評価の必要性、目撃証言の信憑性、捜査の適正性を検証する。『白い車』と『三叉路の証言』は何を示すのか。捜査に見落としはなかったのか。再審請求がもたらす新たな視点を考察する。

目次
  1. 飯塚事件の新証言と略取現場の矛盾——1992年2月20日に目撃された“白い車”とは?
  2. D山氏の証言の変遷——捜査当局による誘導の可能性
  3. 飯塚事件の新証言——目撃証言が覆す“犯行時間”と“略取現場”の認定
    1. 飯塚事件の白いワンボックスカー——捜査の盲点と新証言の信憑性
    2. 飯塚事件の略取現場——三叉路の目撃証言と移動経路の再検証
    3. 三叉路での目撃証言——原審の認定と新証言の食い違い
    4. 真犯人の移動経路の仮説——“八木山バイパス”へのルート
  4. 飯塚事件の捜査の偏向と新証言——『Nシステム』と未解明の捜査記録
    1. 飯塚事件の捜査の偏向——“紺色のボンゴ”が先に特定されていた可能性
    2. Nシステムの捜査活用——監視カメラの記録は確認されたのか
    3. 捜査の偏りと証拠開示の必要性——“白い軽自動車”の捜査は十分だったのか
    4. Nシステムと未解明の捜査記録——排除された証拠と捜査の盲点
  5. 『飯塚事件』新証言と目撃情報に浮かぶ“白い車”の正体
    1. K氏の目撃証言——“白いワンボックスカー”は何を示すのか
    2. 午後の目撃証言——14時30分と16時に確認された“白い車”
    3. K氏の証言と16時の白い車——目撃情報の関連性と未解明の点
  6. 飯塚事件の繊維・染料鑑定に潜む問題点
    1. 繊維の付着経緯は証拠として有効か?
    2. 犯行車両は本当に元死刑囚の車だったのか?
    3. 他の車両との比較は十分だったのか?
    4. 繊維鑑定の信頼性——比較対象の不足と偏りの可能性
  7. 新証言と繊維付着の関連性——事件の新たな可能性を探る
    1. 繊維付着が示す被害女児の車内での体勢
    2. スカート前面の繊維付着が示す不可解な状況
    3. 事件当時の被害女児の車内での状況
    4. 死後、または意識喪失後の運搬の可能性
    5. 目撃証言の信憑性と警察の捜査対応
  8. 新証言の信憑性と今後の展開——再審請求の行方
  9. 飯塚事件の再審請求——新証言が示す“女児の不自然な姿勢”とその意味

飯塚事件の新証言と略取現場の矛盾——1992年2月20日に目撃された“白い車”とは?

第二次再審請求における新証言は、1992年2月20日(木曜日)、事件当日の午前9時40分から10時40分頃にかけての目撃情報である。

福岡県飯塚市潤野の三叉路から八木山バイパス穂波西ICの距離と所要時間出典GoogleMap
福岡県飯塚市潤野の三叉路から八木山バイパス穂波西ICの距離と所要時間出典GoogleMap

証人K氏(事件当時43歳前後)は、事件の発生地点とされる『福岡県飯塚市潤野の三叉路』から西方向へ約5キロメートル、車で約10分(GoogleMapで計測)の距離に位置する『八木山バイパス穂波西IC』付近を走行中、後部座席に小学生の女子児童2名を乗せた『白いワンボックスタイプの軽自動車』を目撃したと証言している。

D山氏の証言の変遷——捜査当局による誘導の可能性

第二次再審請求は、K氏の新証言に加え、捜査段階で略取の場所および時間帯を認定する根拠となったD山氏の証言が、捜査機関による誘導によるものだったとする主張の二本柱で構成される。D山氏は、事件当日の午前8時30分から8時33分の間に『福岡県飯塚市潤野の三叉路』付近で2人の女児を目撃したと証言したが、後にこの証言は捜査当局の誘導や強要の影響を受けたものであると主張した。

再審請求に際し提出されたK氏およびD山氏の新証言は、原審が採用した事件当日の目撃情報の信憑性、目撃時間および位置関係の整合性、さらに当時の捜査状況の検証を要請するものである。これにより、事件の経過および被害女児の移動経路についても再評価の必要性が生じる。

飯塚事件の新証言——目撃証言が覆す“犯行時間”と“略取現場”の認定

K氏とD山氏の新証言は、事件の発生地点および時間帯に関する従来の認定に誤謬があった可能性を示唆し、真犯人の存在について新たな視点を提供するものである。

K証人の目撃証言によれば、特定の時間帯に『白いワンボックスタイプの軽自動車』を運転する男性が、被害女児を乗せていた可能性が示されている。この証言は、原審が認定した死亡推定時刻および遺棄時刻の再検討を迫るとともに、元死刑囚とは異なる真犯人の存在を示唆するものである。

飯塚事件の白いワンボックスカー——捜査の盲点と新証言の信憑性

『白いワンボックスタイプの軽自動車』およびその運転者について、当時の捜査で十分な検討が行われたか、その結果がどのようであったかは不明である。本証言の再検証を通じて、事件の発生プロセスや被害女児の移動経路、さらには真犯人の可能性に関する新たな解釈が求められる。

したがって、これら二つの証言が示す事実関係の検証は、事件の再評価において極めて重要な意味を持つ。

飯塚事件の略取現場——三叉路の目撃証言と移動経路の再検証

原審において認定された略取地点および逃走経路は、証人X田および証人W田の目撃証言に基づく。両証人は『三叉路』南側に車両を停車させ、その位置から周囲の状況を目撃した。裁判所は、この証言をもとに、2人の被害女児が『三叉路』入口北側付近で略取され、その後、犯人と被害女児を乗せた車両が南側へ走行したと推認した。ただし、『元死刑囚』が所有・運転していた『マツダ・ステーションワゴン・ウエストコースト』が『三叉路』北側から来たとする決定的な証言は確認されていない。

その前提のもと、犯人は略取後、被害女児の通学先小学校付近、『元死刑囚』の自宅、そして遺体遺棄現場である『八丁峠』方面へ向かったとされる。

三叉路での目撃証言——原審の認定と新証言の食い違い

D山氏の新証言によれば、「8時30分頃に三叉路で女児2名を目撃したのは別の日だったが、警察の誘導・強要により事件当日の目撃証言として改変された」とされる。これが事実であれば、事件当日における『三叉路』での目撃証言自体が成立しなくなる。

この場合、事件当日の最も遅い確定した目撃証言は、8時22分頃にA田の知人Z田氏が『平原バス停』付近で女児を目撃したという証言となる。したがって、原審のD山氏の証言の信憑性が否定される場合、略取現場は『三叉路』北側付近ではなく、『平原バス停』から南へ移動した場合は『三叉路』までの362メートルの区間内に限定される。また、2人が『平原バス停』から別の方向へ移動した可能性も排除できない。

真犯人の移動経路の仮説——“八木山バイパス”へのルート

仮に真犯人が『三叉路』の北方面から略取現場に進入し、犯行後に北方面へ逃走したとすれば、『三叉路』南側に停車していた証人X田および証人W田の証言にある通過車両『紺色ボンゴ』は、事件とは無関係である可能性が高い。

両証人が目撃したのは、元死刑囚の車両に似た車両の通過に過ぎず、略取との直接的な関連は確認されていない。

真犯人が略取後、K氏の新証言にある福岡方面(『八木山バイパス穂波西IC』)へ向かったと仮定した場合、その経路は『三叉路』を南下するルートではなく、以下の経路を辿った可能性が考えられる。

・『三叉路』から北上し、『福岡県飯塚市潤野1183』付近交差点を右折。
・『福岡県飯塚市潤野1057-1』付近のT字路を右折し、南へ進行。
・県道100号線の信号機付き交差点を横断し、さらに南へ向かう。
・県道60号『飯塚大野城線』を西方向へ走行し、約10分から15分で証人K氏の目撃地点(八木山バイパス穂波西IC付近)に到達。

この経路を辿った場合、裁判所が想定した『略取後に南下し、八丁峠方面へ向かった』との仮説とは異なり、犯人は北上・西進した可能性が高まる。その後、県道60号線を経由し、福岡市方面へ向かったと推測される。

飯塚事件の捜査の偏向と新証言——『Nシステム』と未解明の捜査記録

D山氏およびK氏の新証言が正しければ、略取の場所や時間帯、さらには事件の発生経緯そのものを再検討する必要がある。また、『白いワンボックスタイプの軽自動車』に関する捜査記録の開示も求められる。

飯塚事件の捜査の偏向——“紺色のボンゴ”が先に特定されていた可能性

K氏によれば、事件翌日に警察へ通報し、2月26日または27日に警察官の訪問を受けた。その際、K氏が軽自動車の特徴を説明すると、警察官は『紺色のボンゴ(ワンボックスカー)ではないのか』と問い返したという。

『紺色のボンゴ』は、犯行車両とされた元死刑囚の所有車である。八丁峠の目撃証人T氏が、元死刑囚の車と一致する特徴の車両を目撃したと証言したのは3月2日である。したがって、警察はT氏の証言が公になる以前から、すでに元死刑囚を主要な捜査対象としていた可能性が高い。

Nシステムの捜査活用——監視カメラの記録は確認されたのか

K氏は警察に対し、『八木山バイパス』に設置された監視カメラの映像確認を求めたが、その後、警察から報告はなかった。この監視カメラは『Nシステム』(ナンバープレート自動読取装置)である可能性が高い。

『Nシステム』は1987年に導入され、事件当時、一部の主要道路に設置されていたが、『八木山バイパス』にも設置されていたかは確認されていない。 通常、警察の事情聴取は2人1組で行われる。

しかし、K氏の証言によれば、当日訪れた警察官は1名のみだった。この点から、K氏の証言が正式な捜査記録として扱われず、意図的に重要性が低減された可能性がある。

捜査の偏りと証拠開示の必要性——“白い軽自動車”の捜査は十分だったのか

警察は事件発生当初から元死刑囚を重要容疑者と見なし、『白いワンボックスタイプの軽自動車』の捜査を十分に行わなかった可能性がある。また、『Nシステム』の設置状況すら不明な現状は、再審請求における重要な争点となる。

仮に警察が早い段階で元死刑囚を捜査対象と定め、その後の証拠や証言を彼の関与を前提に解釈していたとすれば、本事件の捜査には偏向があったといえる。したがって、新証言や物的証拠の再検証に加え、捜査記録の全面的な開示が不可欠である。

また、『紺色のボンゴ』以外の車両の関与についても、客観的証拠の有無を徹底的に精査する必要がある。『Nシステム』が設置されていた場合、その記録が捜査に活用されたのか、あるいは検証が行われなかったのかを確認しなければならない。一方、当時『Nシステム』が設置されていなかった場合、『八木山バイパス』を通過した車両の特定が困難であり、証言の重要性が増す一方で、捜査の行き詰まりを招いた可能性がある。

Nシステムと未解明の捜査記録——排除された証拠と捜査の盲点

『八木山バイパス』には『オービス』(速度取締装置)が設置されていた可能性が高いが、目撃された『白いワンボックスタイプの軽自動車』は低速走行していたとされるため、『オービス』には反応しなかった可能性がある。また、真犯人とされる運転手が『オービス』を意識して速度を抑えた、あるいはナンバープレートを隠していた可能性も考えられる。

本事件の捜査がどのような証拠に基づいて進められ、どの情報が排除されたのかを明らかにするためには、捜査記録の全面的な開示が不可欠である。特に、『Nシステム』や『オービス』の設置状況と記録の有無、『白いワンボックスタイプの軽自動車』の捜査方針、元死刑囚所有車以外の車両の関与の検討度、さらに目撃証言の収集・解釈の過程や排除された証言について、徹底的な精査が求められる。

これらの検証を通じて、物的証拠の収集と活用の過程、証言の取り扱い、捜査方針の決定経緯を明確にし、本事件の捜査の適正性を検証するとともに、再審請求の判断材料としなければならない。それはまた、真犯人の可能性を再考する契機ともなるだろう。

『飯塚事件』新証言と目撃情報に浮かぶ“白い車”の正体

原審は、被害女児2名の胃内容物の鑑定結果をもとに、死亡推定時刻を1992年2月20日午前8時30分から9時頃と認定した。これにより、犯人は同日午前8時30分から8時33分の間に『福岡県飯塚市潤野の三叉路』付近で女児2名を略取し、直後に頚部を手で圧迫して殺害したと推定された。さらに、約2時間半後の午前11時頃、『八丁峠』の『八丁苑』キャンプ場事務所手前約200メートル付近に遺留品を遺棄したと考えられている。

一方、胃内容物鑑定を担当したN教授が作成した『死体検案書』には、被害女児の推定死亡時刻が同日18時から21時頃と記載されていた。しかし、解剖に基づく死亡推定時刻(午前8時30分から9時頃)のほうが科学的精度で優位とされ、裁判ではこの鑑定結果が採用された。その結果、午前11時頃に『八丁峠』で目撃された『マツダ・ステーションワゴン・ウエストコースト』が遺留品の遺棄に関与したと認定された。

ただし、胃内容物による死亡推定時刻は、遺体の状態や環境要因の影響を受けやすく、あくまで補助的な指標に過ぎない。

K氏の目撃証言——“白いワンボックスカー”は何を示すのか

第二次再審請求において、新たに提出されたK氏の証言は、事件当日の午前9時40分から10時40分にかけての目撃情報である。K氏(事件当時43歳前後)は、福岡県飯塚市潤野の三叉路から西方向へ約5キロメートル、車で約10分の距離にある『八木山バイパス穂波西IC』付近で、後部座席に小学生の女子児童2名を乗せた『白いワンボックスタイプの軽自動車』を目撃したと証言している。

この証言が事実であれば、原審が認定した死亡推定時刻(午前8時30分から9時頃)や、犯行が即座に行われたとする前提を再検討する必要がある。さらに、K氏の証言が示す車両が、被害女児の移動に関与した可能性があることから、事件の発生経緯そのものを見直すべき重要な証言となる。

しかし、当時の捜査でこの『白いワンボックスタイプの軽自動車』がどの程度調査されたのかは不明であり、K氏の証言を裏付ける客観的な証拠が存在するのかも不透明である。この点を踏まえれば、捜査記録の開示および追加検証が不可欠であるといえる。

午後の目撃証言——14時30分と16時に確認された“白い車”

事件当日、午後には別の目撃証言が寄せられている。特に、14時30分と16時の目撃情報は、K氏の証言と関連がある可能性がある。

まず、14時30分頃、福岡県『市川津』の国道201号交差点で、『白い乗用車』の後部座席に黄色の服を着用し、赤いランドセルを持った女児が座っていたとの目撃情報がある。しかし、この女児が被害女児A田と一致するとの証言はなく、挙動にも不審な点は確認されていない。そのため、この目撃情報は事件との関連性が低いと判断されている。

一方、16時頃には、福岡県『穂波町』(現・飯塚市穂波町)の町道交差点付近で、『小型の白色ハッチバック車』の目撃情報がある。車両の後部座席には、床に跪き、座席に手をついた不自然な体勢の女児がいた。この女児は、B山の顔の特徴と類似し、目を見開き、怯えた表情を浮かべていたとされる。この証言を提供したのは、近くで缶飲料を飲んでいた39歳の自営業男性であり、彼は福岡県警捜査一課および飯塚署、甘木署の合同捜査本部に情報を提供した。

男性は、この車両を約1メートルの距離から真横で目撃したものの、約10秒後には車両が『国道200号線』方向へ走行してしまい、運転者の特徴や車両の登録番号までは確認できなかったという。この目撃情報は、16時の時点で被害女児がまだ生存していた可能性を示唆するものでもあり、事件の発生時間を再検討するうえで重要な要素となる。

K氏の証言と16時の白い車——目撃情報の関連性と未解明の点

K氏の新証言と16時頃の目撃情報は、ともに『穂波』地域での目撃証言であり、車両の形状には違いがあるものの、共通点が多い。いずれも『小型の白色の車』であり、後部座席に女児がいたこと、さらにその女児の異常な状態が確認されている点も一致している。

一方で、車両の形状や女児の具体的な体勢には相違があり、同一車両とは断定できない。しかし、異なる車両であっても、同じ女児が乗せられていた可能性は十分に考えられる。

したがって、K氏の証言と16時の目撃情報には関連性がある可能性が高いが、完全に一致するとは言い難い。ただし、真犯人が複数の車両を所有していた可能性や、飯塚市西部地域(穂波地域)から福岡市内にかけて土地勘を有していた可能性も推察される。

なお、1992年3月時点の『都道府県別・車種別自動車保有台数(軽自動車を含む)』によれば、福岡県の保有車両数は全国9位であり、全国的に見ても自動車の普及率が高い地域であった。また、同年の福岡県の人口は4,852,000人(全国10位)であり、同県内の車両保有率が比較的高かったことが示されている。

飯塚事件の繊維・染料鑑定に潜む問題点

『飯塚事件』の繊維鑑定には、いくつかの疑問点が存在する。捜査段階および公判において、繊維鑑定は被告人の関与を示す情況証拠の一つとされたが、その鑑定結果の信頼性や手法には検討すべき点がある。

特に、繊維の付着状況や同一性の判断基準、鑑定精度、他の可能性の排除といった観点から、慎重な再検討が求められる。さらに、当時の鑑定技術の限界や、証拠品の取り扱いが適切であったかについても、再評価する必要がある。

繊維の付着経緯は証拠として有効か?

原審判決文によれば、被害女児の衣類から『元死刑囚の車の助手席シートの繊維と類似するもの』が検出されたとされる。しかし、遺体発見から繊維採取までの過程で、警察関係者、遺族、鑑識担当者など、第三者が遺体や衣類に接触する機会が複数回存在していた。

具体的には、甘木警察署での検視・身元確認時に遺族が遺体に触れ、遺体搬送時には死体カバーに包まれた状態で移送されている。さらに、実況見分や遺留品の処理の際には、警察官が衣類を個別にビニール袋に入れる作業を行っている。これらの過程において、外部環境からの繊維付着の可能性が排除されていないため、検出された繊維が本当に元死刑囚の車両由来のものであるのかは不明である。

このような状況を踏まえると、本件の繊維鑑定の結論は、繊維の付着経緯が特定されない限り、決定的証拠としての信頼性に疑問が残る。捜査段階で、繊維の移動経路や二次付着の可能性を十分に検証した形跡はなく、この点の再検証が不可欠である。

犯行車両は本当に元死刑囚の車だったのか?

被害女児の衣類に付着していた繊維は『マツダ・ステーションワゴン・ウエストコースト』由来と裁判で認定されたが、その鑑定結果には不確定な要素が多い。

問題となった黄茶色の繊維は、東レ製の『ナイロン6ステープル』である可能性が高いとされたが、東レ自身は「自社製と断定はできない」としている。また、『ナイロン6』を使用した座席シートはマツダ車に限らず、他メーカーの車両にも採用されていた可能性がある。原審では、国内の『ナイロン6』製造メーカーが複数存在する中で、特定の二酸化チタン含有量を根拠に東レ製とされた。しかし、欧米製のナイロン6に関するデータは不明であり、国内外の他の車両との比較が十分に行われたとは言えない。

また、被害女児の衣類からは、黄茶色の繊維に加え、合計113本のナイロン6繊維が検出されている。これらの繊維は2~10ミリメートルの不均一な長さで付着しており、裁判では「被害女児がマツダ・ステーションワゴン・ウエストコーストに乗せられた際に付着した」と認定された。しかし、この結論が十分に検証されたものかは疑問が残る。意図的に切断された痕跡はなく、繊維は自然に脱落したものである可能性が高いが、これらの繊維が本当に元死刑囚の車両由来と断定できるのか、慎重な検討が必要である。

他の車両との比較は十分だったのか?

『デルタ工業株式会社』の調査によれば、平成4年2月20日以前に製造された座席シートのうち、『東レ製ナイロン6』を原糸とし、『イソランイエローK-RLS200』と『ラナシンブラックBRL200』を使用したものが複数確認されている。その中には、布番号『S-TYR8182X』のシートがあり、色調が『マツダ・ステーションワゴン・ウエストコースト』と一致していた。

原審では、「このような染料の組み合わせや配合比が『マツダ・ステーションワゴン・ウエストコースト』以外の車両と一致することは通常ありえない」との専門家証言が引用された。しかし、これは「可能性が低い」というものであり、「不可能」と断定されたわけではない。さらに、同じ成分を含む他の車両がどの程度存在したのかについて、十分な調査が行われた形跡はない。

加えて、原審は「被害女児の着衣に付着した繊維が『マツダ・ステーションワゴン・ウエストコースト』由来であると断定することはできない」とも述べている。つまり、本件の繊維が別の車両由来である可能性は排除できず、犯行車両が『マツダ車』であったとする認定には慎重な検討が必要である。

繊維鑑定の信頼性——比較対象の不足と偏りの可能性

捜査機関が比較対象とした車両の範囲や、繊維の供給元についてどの程度の調査を行ったのかは不明である。もし元死刑囚の車両との比較のみが行われ、K氏の新証言や16時の目撃証言にある『白いワンボックスタイプの軽自動車』『小型の白色ハッチバック車』、W田W男の『三叉路』目撃証言にある『色不明のダイハツ・ミラ』『トヨタ・カリーナ・ワゴン(紺色)』『形式、色不明のアウディ(Audi)』など、他の車両や繊維製品との照合が十分でなかったとすれば、繊維鑑定は偏った前提のもとで行われた可能性がある。

このような状況では、鑑定結果の信頼性に疑問が生じるとともに、元死刑囚の車両が犯行に使用されたことを前提とした捜査が行われた可能性も考えられる。

本件の繊維鑑定は、元死刑囚の有罪認定の根拠の一つとして挙げられた。しかし、繊維の付着経緯が特定されていないこと、比較対象が限定されていること、同一性の決定基準が不明確であること、元死刑囚の車両以外の可能性が排除されていないことなど、疑問が残る。

この点を踏まえると、本件の繊維鑑定の結果は決定的証拠とは言い難く、犯行車両の特定や元死刑囚の有罪認定に直結させるには合理的な疑問が残る。特に、本件の有罪判決が繊維鑑定を主要な証拠の一つとして成立しているのであれば、再審請求においてその証拠価値を厳密に検証する必要がある。

新証言と繊維付着の関連性——事件の新たな可能性を探る

被害女児A田とB山の遺体は、2月21日に発見された。A田は、黄色のフード付きジャンパー、赤色の上衣、長袖シャツ、半袖肌シャツを着用していたが、スカート、下着、靴下を脱がされていた。一方、B山は、白色のフード付きジャンパー、茶色のトレーナー、長袖シャツ、半袖肌シャツ、チェック模様入りのベージュ色スカートを着用していた。

このスカートは、B山の母親が犯行前日の2月19日に飯塚市内の店舗で新品を購入し、被害当日の朝に包装を開いて初めて着用したものであった。B山もまた、下着と靴下を脱がされていた。

繊維付着が示す被害女児の車内での体勢

『飯塚事件』において、B山のスカート前面に付着した繊維の状況には、単なる着座では説明が困難な点が多く存在する。この点について、新たに提出されたK氏の目撃証言および『16時の目撃情報』との整合性を踏まえ、繊維付着のメカニズムと事件当時の状況を再評価する必要がある。被害女児のスカートから検出された繊維片は座席シート由来とされたが、その付着状況には不可解な点がある。

一般的に、スカートを着用した状態で座席に腰かけた場合、座面や背もたれと接触するのはスカートの背面や裾部分であり、前面にまで顕著に繊維が付着する状況は考えにくい。しかし、鑑定結果ではスカートの前面からも座席由来とされる繊維が検出されたとされている。

スカート前面の繊維付着が示す不可解な状況

B山のスカート前面から座席由来とされる繊維が検出された点は、単なる着座では説明がつかない。通常、座席に腰掛ける際に繊維が付着するのはスカートの背面や裾部分であり、前面にまで及ぶことは考えにくい。この事実は、スカート前面が何らかの体勢で直接シートに押し付けられた可能性を示唆する。

たとえば、被害女児が座席に座っていたのではなく、うつ伏せや横たわった状態で車内にいた場合、スカート前面への繊維付着がより自然に説明できる。本事件では二人の女児が犠牲となったが、それぞれの繊維付着の状況には共通点と相違が見られる。

A田はスカートを脱がされた状態で発見され、そのスカートは遺体とは別の場所に遺棄されていた。犯人が暴行の際にスカートを邪魔と判断し、脱がせた可能性が高い。しかし、スカートの前面・後面の両方に座席シート由来の繊維が付着していたことから、車内で何らかの操作が行われた過程で繊維が付着した可能性が考えられるだろう。

一方、B山はスカートを着用したまま発見されたが、その前面にも繊維が検出されている。このことは、単なる着座ではなく、うつ伏せや横向きの体勢で座席に接触していたことを示唆する。 脱がされたスカートと着用されたスカートの両方から、前面に座席由来の繊維が検出された。

これは、通常の座り方では生じにくい状況である。特にB山のスカート前面に付着していた繊維の由来を検証することで、被害女児が車内でどのような体勢にあったのか、さらなる手がかりが得られる可能性がある。

事件当時の被害女児の車内での状況

B山のスカート前面に繊維が付着していたという事実は、単なる着座ではなく、車内で横たえられていた可能性を示している。仮に、うつ伏せや横向き、あるいは仰向けの状態で足元が狭く、寝返りが制限されていた場合、スカートの前面が座面や背もたれと直接接触する時間的余地が生じる。この状況は、スカート前面への繊維付着を合理的に説明し得る。

さらに、K氏の新証言によれば、事件当日の16時頃、福岡県穂波町(現・飯塚市穂波町)の町道交差点付近で『小型の白色ハッチバック車』が目撃されている。その車両の後部座席には、床に跪き、座席に手をついた不自然な体勢のB山に似た女児がいたという。この目撃情報が事実であれば、被害女児は犯行当日、車内で支配的な状況下に置かれ、通常の姿勢ではなかったことが推測される。

このように、繊維付着の状況と目撃証言を照らし合わせると、被害女児は殺害前に車内でうつ伏せ、横向き、あるいは仰向けの状態で長時間拘束されていた可能性が高い。その過程でスカート前面に繊維が付着したと考えられる。

死後、または意識喪失後の運搬の可能性

スカート前面への繊維付着は、生前だけでなく、死後または意識喪失後の運搬時にも生じる可能性がある。仮に被害女児が意識を失った後、遺体を運搬する目的で車内にうつ伏せ、あるいは横たえられた状態で放置された場合、スカート前面が座面や背もたれと接触し、繊維が付着したと考えられる。特に、死後硬直や車内スペースの制約を考慮すると、後部座席に折り曲げられた状態で置かれていた可能性がある。

一方、K氏の新証言によれば、事件当日の16時頃、恐怖におびえた女児の姿が目撃されており、少なくとも一部の時間帯では生存していたことが示唆される。仮にこれらの証言が正確であるならば、被害女児のうちいずれか一方、あるいは両名ともが犯人の支配下にあり、拘束されていた可能性が高い。もし、一方の女児がすでに意識を失っていたとすれば、もう一方の女児が恐怖を示していた状況と整合し、目撃された『横たわっていた』女児は、すでに意識を失っていた可能性も考えられる。

このように、生前の拘束、あるいは死後または意識喪失後の運搬のいずれの状況においても、スカート前面への繊維付着は説明可能であり、新証言はこの点を補強する要素となる。

目撃証言の信憑性と警察の捜査対応

警察がこれらの目撃証言をどのように扱い、どの程度の捜査を行ったのか、その経緯が不透明であれば、証言の信憑性を適切に評価することは困難である。特に、『16時頃の目撃情報』に登場する『小型の白色ハッチバック車』について、警察がどの範囲で車両の特定・捜査を行ったのか、また目撃証言に基づく捜査結果がどのような結論に至ったのかを明らかにする必要がある。

さらに、警察が目撃情報をどのように評価し、それを事件の捜査方針にどの程度反映させたのかも検証されるべきである。仮に警察が十分な捜査を行っていなかった場合、目撃証言の扱い方そのものが、再審請求における『新証拠』としての意味を持つ可能性がある。

したがって、『飯塚事件』の真相究明のためには、警察の捜査状況の開示が不可欠であり、それに基づいて目撃証言の信憑性を慎重に検討する必要がある。目撃証言と客観的証拠(車両の動き、防犯カメラ、当時の警察の捜査記録など)の整合性が確認されることで、新証言の価値がより明確になる可能性がある。仮に新証言が事実と合致し、警察が十分な捜査を行っていなかった場合、それは再審請求の大きな争点となり得るだろう。

新証言の信憑性と今後の展開——再審請求の行方

新証言が実体験に基づく正確なものであると認められた場合、繊維付着のメカニズムに対する説明力は格段に増す。しかし、刑事訴訟においては、目撃証言の時間的・空間的な正確性、証人の記憶保持の過程、長期間経過後に詳細を供述することの妥当性について慎重な検証が求められる。また、当該証言に登場する『軽のワンボックス車』や『小型の白色クーペ』の車種、ナンバー、カラーリングの特定は、証言の信憑性を評価する上で不可欠である。

さらに、被害女児の遺留品に付着していた繊維のうち、『だいだい色(オレンジ)』『焦げ茶色(ブラウン)』『薄黄茶色(ノウベージュ・タンベージュ)』『黄茶色(セピア)』に染色された『ナイロン6』が、目撃された『白い車』のシートに使用されていたかどうかも確認する必要がある。仮にこれらの要素が一致しない場合、目撃証言の信憑性のみならず、捜査機関が特定した車両の妥当性も再検討の対象となる。

また、目撃証言が事件当日の何時頃、どの地点で行われたのかという時系列上の整合性の検証も不可欠である。証言内容が事件の流れと整合するかを確認するため、当時の捜査資料や新たな証拠と照合し、客観的事実との矛盾がないかを慎重に分析する必要がある。

これらの検証結果が証言と一致し、目撃情報の信憑性が高まった場合、捜査機関の当時の対応や、目撃証言がどのように扱われたのかが改めて問われることとなる。特に、捜査段階でこの情報が十分に精査されていなかった場合、その扱いの適正性は再審請求における重要な論点となる可能性がある。

単なる着座ではなく、後部座席で『横たわる』という特異な状況を示す証言は、スカート前面への繊維付着の仮説を補強し得る。また、従来の証拠と組み合わせることで、『なぜスカート前面に座席シートの繊維が付着したのか』という根本的な疑問への具体的な回答が導かれる可能性が高まる。この点の解明が進めば、事件の真相に迫る手がかりとなるだけでなく、新たな証拠や真犯人の可能性を示唆する要素ともなり得る。

飯塚事件の再審請求——新証言が示す“女児の不自然な姿勢”とその意味

新証言が示唆するのは、従来認定されてきた犯行時間、略取現場及び遺棄時間に重大な誤りがある可能性である。特に『白い車』の存在を示す新証言がそれを裏付けている。

第二次再審請求で新たに浮上した『後部座席で横たわる女児の目撃証言』は、スカート前面に付着した繊維や女児の不自然な姿勢を合理的に説明し、真犯人の存在を推認させる重要な手がかりとなり得る。また、この証言は、もう一人の女児が見せた恐怖の表情とも整合的である。

ただし、この証言が事件の実態をどの程度正確に反映しているかについては、警察による捜査状況の開示を踏まえた慎重な審理が必要である。

その先に待つ真相がいかなるものであれ、本事件が長年抱えてきた謎に一歩でも迫るためには、冷静かつ綿密な検証が求められる。


◆参考資料
テレビ西日本「飯塚事件から31年新たな目撃証言『白い車に女児2人』2度目の再審請求申し立て」2023年6月15日配信
読売新聞1992年2月27日付
西日本新聞1992年2月27日付


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Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste Roquentinは、Albert Camusの『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartreの『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場する主人公の名を組み合わせたペンネームです。メディア業界での豊富な経験を基盤に、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルチャーなど多岐にわたる分野を横断的に分析しています。特に、未解決事件や各種事件の考察・分析に注力し、国内外の時事問題や社会動向を独立した視点から批判的かつ客観的に考察しています。情報の精査と検証を重視し、多様な人脈と経験を活かして幅広い情報源をもとに独自の調査・分析を行っています。また、小さな法人を経営しながら、社会的な問題解決を目的とするNPO法人の活動にも関与し、調査・研究・情報発信を通じて公共的な課題に取り組んでいます。本メディア『Clairvoyant Report』では、経験・専門性・権威性・信頼性(E-E-A-T)を重視し、確かな情報と独自の視点で社会の本質を深く掘り下げることを目的としています。

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