天皇陛下御在位六十年記念硬貨(金貨)大量偽造事件

天皇陛下御在位六十年記念硬貨 金貨大量偽造事件

2001(平成13)年3月期――日銀は総額68億円の特別損失を計上した。

68億円の損失処理は、1990(平成2)年1月31日に発覚した「天皇陛下御在位六十年記念硬貨(金貨)大量偽造事件」の被害総額である。

海外から持ち込まれた(※1)10万3000枚(※2,103億円)の「偽造」金貨は世界でも類を見ない被害を日本経済、日本社会、日本国の威信に与えた。

※1)押収された偽造金貨は10万7900枚(107億9000万円)との説もある。 ※2)同金貨は10万円の臨時補助通貨のため使われている純金20グラムの市場価格(時価)との差額(68億円)が実際の被害額である。

天皇陛下御在位六十年記念硬貨発行の背景と狙い

1985(昭和60)年9月22日、プラザ合意(日本の対米貿易黒字削減が目的)が発表された。

同年11月、第三次中曽根内閣は、円高不況の懸念からの財源確保と対米貿易黒字削減を目的に全世界の年間産出量の20パーセントにあたる金(ゴールド)223トンを米国から購入し、天皇陛下御在位六十年記念硬貨(金貨10万円、銀貨1万円、白銅貨500円)製造することを発表する。

出典:独立行政法人造幣局

大蔵省は、フォーナイン(99.99%)の金(ゴールド)20グラムを使う(※3)10万円金貨3500万枚の発行により得られるだろう2000億円の収益を翌年の一般会計に計上する予定だった。

※3)1986(昭和61)年3月18日「第104回国会衆議院本会議 昭和61年度特別会計に関する報告書」には、額面3種類の天皇陛下御在位六十年記念貨幣7千万枚、額面金額1兆1250億円とある(外部リンク:第104回国会衆議院本会議第11号昭和61年3月8日PDF)が実際に発行された金貨は1100万枚(6600億円)だといわれる。

米国から購入した20グラム約4万円の金を10万円の価値で発行(販売)する。天皇陛下御在位六十年記念硬貨(10万円金貨)1枚で6万円の収益を得られる計算になる。

天皇陛下御在位六十年記念硬貨の発行は、財源確保と対米貿易黒字削減、そして米国レーガン大統領への「特別」な配慮の3つを同時に行える最良の一手だと考えられた。

しかし、この最良の一手は、海外から持ち込まれた10万3000枚の「偽造」金貨により打ち砕かれてしまった。

天皇陛下御在位六十年記念硬貨大量偽造事件 概要

1990(平成2)年1月29日、東京都中央区に所在した「富士銀行日本橋支店(現在:みずほ銀行)」に1000枚(総額10億円)の天皇陛下御在位六十年記念金貨が持ち込まれた。

金貨を持ち込んだのは1967(昭和42)年創業の老舗のコイン販売・輸入業者T社だった。

イギリス人コイン商Pから1000枚の天皇陛下御在位六十年記念金貨を購入したT社の金貨購入は、販売ではなく為替の差益を得ることが目的だったのだろう。T社は当座預金へ入金する予定だったという。

「富士銀行日本橋支店」は、一度に大量の金貨が持ち込まれことと持ち込まれた金貨のプラスター・パック(金貨を入れるパッケージ)の色に一抹の不安を感じ警視庁に通報したといわれている。 これが前代未聞の10万3000枚、重量2トン以上、被害金額68億円の偽造金貨(通貨)発覚の発端である。

偽造硬貨の特徴

銀行から通報を受けた警視庁の動きは速い。1990(平成2)年1月31日、持ち込まれた金貨を偽造と断定、警視庁3課と中央署は通貨偽造事件として捜査を開始する。

警視庁と大蔵省造幣局の鑑定の結果、偽造金貨と断定された全ての金貨には2本の凸型線状痕があり、彫りが浅く、表面の輝きが鈍いといわれる。また前述のとおりプラスター・パックが本物よりも紫色がかっているともいわれるが、金貨の刻印・デザイン(表面:水と鳩、裏面:菊花紋章、日本画家平山郁夫デザイン)、ミリング(外周のギザギザ)、使われた金の質(フォーナイン)と量(20グラム)は本物と同じだった。

真貨か偽造かの真贋判断が2本の凸型線状痕と彫りの浅さ、表面の輝き、プラスター・パックの色だけだとすると誰もが心許なく感じるだろう。偽造金貨にある2本の凸型線状痕や彫りの浅さ、表面の輝き、プラスター・パックの色の劣化(違い)は大量製造の過程で偶然にできただけではないか?そもそも、国家の威信をかけた天皇陛下御在位六十年記念金貨を偽造すること自体が難しいのではないか?

1990(平成2)年4月3日、第118回国会衆議院予算委員会で上旧社会党和田静夫氏が金貨発行元の大蔵省幹部に前述の疑問に繋がる質問を行っている。

和田(静)委員:そこで、私は、どうしてこの大量の偽造金貨が約二年間にわたって銀行の窓口でも日銀でも発見できなかったのかが問題なんですね。日銀よりも前に富士銀行の一人の女子行員が訴え出てだんだん明るみに出てきたということを聞いているわけでありますが、発行時点では、特別な細工がしてあると当時の榊原大蔵省理財局国庫課長は日本貨幣商協同組合の二十四人の方々を前に説明しているわけです。特別な細工はしたけれども、日銀にはこれを教えなかった。教えなかったから日銀はわからなかったと言ってしまえばそれまでなのですが、大蔵大臣、この辺のことはおわかりですか。
大須政府委員:ただいま問題の偽造の対象となった六十年御在位記念金貨でございますが、これにつきましては、特に純正、画一を期して表裏の模様を鮮明かつ精緻に圧印するとか貨幣の周辺には精巧なぎざを施す等、偽造防止の観点から種々の工夫を施しているところでございまして、これを一見して判別することが困難な程度に偽造するということは難しいというふうに思っているわけでございます。 それから、ただいまのポイントについて日本銀行に知らせなかったのかという点でございますけれども、これは確かに私どもこれから反省を要する点でございますけれども、要するに、造幣局の専門家が見ればただいまの問題のにせ金貨、これは比較的はっきりと判別できるものでございますが、金融機関の窓口においてそれを、ただ本物と見比べた場合は別でございますけれども、にせ通貨だけが大量に入ってきたときになかなかそれを見分ける手段が不十分であったかという点は、今後の反省材料として教訓とさせていただきたいと思っております。

第118回国会衆議院予算委員会

天皇陛下御在位六十年記念硬貨の発行元の大蔵省幹部の答弁によれば造幣局の専門家以外(※4)が「真贋判断することは難しい」となり、一般国民が「本物/偽物」の判断ができない通貨が流通したことになる。

※4)大蔵省幹部は国会で「識別用の特殊な細工は、造幣局だけが持つ機械でなければ判別できない」と答弁している。 天皇陛下御在位六十年記念硬貨は最初から偽造される危険性のある通貨だったといえるだろう。

事件の規模と解明された流れ・未解明の流れ

前述のとおり、天皇陛下御在位六十年記念硬貨大量偽造事件の発覚は1990(平成2)年1月31日だが、海外から日本への偽造金貨の持ち込みは、2年前の1988(昭和63)年3月頃から行われていた。

国内に持ち込まれた偽造金貨10万3000枚は、国内の3社のコイン販売・輸入業者から民間銀行を経由し日銀に還流している。

過去のメディア報道(以下、メ)、国会議事録(以下、議)から確認できる(未確定情報を含む)偽造金貨の流れは、以下のとおりである。

1988(昭和63)年春頃、スイス在住のイタリア人コイン商Fがアラブの王子の代理人を名乗る2名の欧州人と2人のアラブ人(計4人)から16万枚の天皇陛下御在位六十年記念硬貨取引を持ち掛けられる(メ)。

Fはアラブの王子代理人を名乗る者から受け取った金貨のサンプル170枚(全部か一部かは不明)をUBS(スイス・ユニオン銀行)に鑑定依頼し、USBは日本の銀行から正規品であるとの回答を得る(メ)。

金貨はドバイの空港からスイスに空輸される(メ)。

金貨発送元は中南米パナマ共和国のE・J社であり代金はUBS(スイス・ユニオン銀行)の同社口座に入金された。F氏が金貨を購入した法人はドバイの2つの法人C社とE社である。ただし、この2つの法人は休眠会社とペーパーカンパニーであり営業実態はない(メ)。

1988(昭和63)年3月頃、日本のコイン商D社がUBS(スイス・ユニオン銀行)のS氏から金貨取引を持ち掛けられ、国内への持ち込みが始まる。このS氏とD社との取引により6万1000枚の金貨が国内に持ち込まれるが、これらは税関手続を経た正式な輸入である(メ)。

当初、S氏はUBSの肩書で(スイスのコイン商H氏が仲介した説がある)F氏から金貨を購入し、日本のD社へ金貨を輸出していたが、途中からS氏とF氏の取引は個人間の取引になったようだ(メ)。なお、途中からS氏がUBSの肩書を外しF氏と個人間の取引にした理由は不明である。

上記のS氏と国内D社との取引以外に、英国コイン商P氏と国内2社(T社とR社)との間に4万2000枚、D社と合わせた3社で70回以上の金貨輸入があった(議)。

合計10万3000枚、70回以上(総額103億円)の金貨輸入は全て正規の税関手続を経ている。

パナマ共和国、アラブの王子、ドバイ、スイスの超一流銀行などが登場する前代未聞の事件には陰謀論的な噂の類が存在する。以下は、天皇陛下御在位六十年記念硬貨大量偽造事件の未解明の噂と流れだ。

1・天皇陛下御在位六十年記念硬貨発行前の1986(昭和61)年秋頃、東京都内の複数のコイン業者に欧州のコイン商を名乗る者からまとまった数の金貨の持ち込み(売却)などの相談があった(メ)。このことから1986(昭和61)年秋頃、既に海外では天皇陛下御在位六十年記念硬貨「らしき」物が出回っていた可能性がある。

2・大蔵省造幣局は、米国から金(223トン)を輸入したが、この金は既にコイン型に加工された金だった。造幣局はコイン型の金を使い金貨を造った。しかし、製造過程で傷などがついた品質不良金貨はそのままの状態で米国に戻された(メ)。この不良品質の金貨がスイス経由で日本に還流した。

3・日本政府は3万枚の「正規品」の天皇陛下御在位六十年記念硬貨を海外に放出した。この正規品と前述の品質不良金貨が、イラン・イラン戦争時の日本タンカーのペルシャ湾での安全航行の見返りに渡された(メ)。

4・国内での販売前にペルシャ湾の安全航行の見返りにアラブ某国に渡された不良品質の金貨が既に出回っていた。この金貨が「1986(昭和61)年秋頃、東京都内の複数のコイン業者に欧州のコイン商を名乗る者からまとまった数の金貨の持ち込み(売却)相談された金貨だ(メ)。

5・偽造金貨だと断定された10万3000枚の金貨は、米国に戻された製造過程で傷などがついた品質不良金貨だ。英王立造幣局に25年間勤務したという冶金学の権威、アーネスト・ニューマン氏の鑑定の結果、UBSに保管されていた金貨9個は本物と断定された(メ)。この2つの情報から大蔵省造幣局及び警視庁の鑑定により偽造金貨だと断定された10万3000枚はそもそも偽造金貨ではなく日本の造幣局で造られた金貨だ。

6・偽造金貨流通にパナマの会社が関係している。米ソ冷戦当時の中南米はCIAの工作活動が活発に行われた地域であり(例:ピッグス湾事件,1961年)、工作活動にCIAが実質的オーナーとなる多数のペーパーカンパニーが関係している。レーガン政権下でもイラン・コントラ事件(1986年発覚)などアラブ地域、中南米地域で工作活動をしていた。米国に戻された製造過程で傷などがついた品質不良金貨がパナマを経由し、アラブ某国に持ち込まれ、さらにスイス経由で日本に還流し、換金された(マネーロンダリング)。

天皇陛下御在位六十年記念硬貨大量偽造事件は、フォーナイン(99.99%)の金20グラムを使い偽造された金貨である。スイス在住のイタリア人コイン商Fの話によれば16万枚の同金貨が海外にあるといわれる。フォーナイン(99.99%)の純金3トン以上を使い偽造金貨を造る。 一般常識では測れない偽硬貨事件の深淵を覗き込むと、そこには「背景に国際的謀略がある」という噂がこちらを見ている。

偽造の手口と技術及び偽造工場

繰り返しになるが、偽造金貨の製造には2トンから3トン(時価40億円から60億円以上)のフォーナイン(99.99%)が必要となる。犯人(組織)に潤沢な資金と偽造のための設備、工場があったと容易に想像できる。

本事件の謎の一つに犯人組織が潤沢な資金を有するとはいえ、国家の威信をかけ造られた国内最高額10万円金貨を偽造できるのか?があるだろう。前述のとおり大蔵省は真貨には偽造防止策を施しているというがその内容は公表されていない。

国内の貴金属加工業者に取材した報道によれば、1・ロウで真貨の両面の型を作成。2・同型を特殊な機械にかけ、硬度の高い合金製の母型を作成。3・圧延した金を丸く打ち抜いて母型でプレスする。4・メダル製造と同じ工程で偽造金貨ができる(参考:『地金原価4万円→額面10万円、「差益」を狙う記念金貨偽造事件』朝日新聞1990年2月3日付)とあるが、ミリング(側面のギザギザ)に関する話はない。

そもそも、昭和天皇在位60年を記念する金貨がメダル製造と同等の工程で造れるのならば臨時補助通貨10万円(10万円として使える)として流通させた日本政府の責任は重大だ。

では、莫大な資金が投入された偽造金貨を「誰が」「何処で」製造したのか?この問いに対する答えには以下の2つの説がある。

1・ドバイ周辺の偽造グループ説:スイス捜査当局の話によれば、1970年代のレバノンに20余りの西欧州各国の模造金貨製造グループがあったが、レバノン内戦の煽りで国外に逃げた。このうち5-6のグループがドバイに拠点を移し活動している(メ)。

2・サウジアラビア王室関係=スイス・キアッソ市内の民間工場説:偽造金貨の取引拠点となったスイス・キアッソ市には、サウジアラビア王室関係者がオーナーの噂のある民間貨幣製造工場がある。同工場は同国内唯一の高度な技術を持っており同工場=サウジアラビア王室関係者が事件に関与した(メ)。ただし、偽造金貨はドバイからスイスに持ち込まれたといわれるためスイス国内の民間工場で造られたとの説は噂の類と推察される。

日本の警察は、純金2トンから3トン(時価40億円から60億円以上)を使った偽造金貨を「誰が」「何処で」造ったのか?を解明することができなかった。 本事件が未解決事件となった原因はここにある。

海外専門家の分析と裁判

1990(平成2)年3月7日、スイス在住のイタリア人コイン商Fから金貨を購入し、合計4万2000枚の金貨を国内2社(T社とR社)と取引した英国コイン商P氏が、元英王立造幣局アーネスト・ニューマン氏による鑑定の結果を発表した。

その内容はUBSに保管されていた金貨9個は本物と断定されたというものだった。アーネスト・ニューマン氏は、英国の国際偽造貨幣予防協会(INAFB)にも関係する権威者だ。ニューマン氏は、UBSで保管されていた金貨8枚と米国で購入した蔵省造幣局作製輸出用金貨セット3枚組みの1枚を比較鑑定したらしい。

ニューマン氏の鑑定によれば、UBSの8枚は純度がフォーナインの金貨であり、大きさと重量も本物の金貨と同一であることからUBSに保管されていた金貨は真貨だと断定したといわれる。

しかし、上記の報道を受けた日本の警察はUBSに保管されていた金貨は真貨だったのだろうなどと反論するが、そもそも、UBSに保管されていた金貨はイタリア人コイン商Fが持ち込んだ金貨だ。当然ながらFは真貨と偽金貨の2種類をUBSに持ち込んだのか?ドバイからスイスに空輸された金貨には真貨と偽造金貨があったのか?等の疑問が浮かぶ。

P氏は日本の警察に証拠品として押収した偽造金貨の再鑑定をニューマン氏に依頼するよう求めたが警察はそれを拒否している。大蔵省と警視庁科学捜査研究所が偽造金貨鑑定の詳細を公表せず、押収した偽造金貨の海外での鑑定も拒否する。

P氏はその後の1992(平成4)年5月19日、押収された金貨は本物であり押収は不当だと国と東京都(警視庁)を相手取り、押収品3200枚の金貨の還付(返還)の準抗告と3億2000万円損害賠償請求を提訴したが、同年6月8日、東京地方裁判所はP氏の還付(返還)金貨の準抗告を棄却した。

棄却の理由は、警視庁科学捜査研究所と大蔵省造幣局の鑑定に「信用性を疑う点は全くない」、「押収された金貨は、すべて偽造であることが明らか。偽造事件の国際捜査が進行中で、押収継続の必要性がある」だった(引用:『10万円金貨の還付準抗告英人申し立てに「偽造明白」と棄却』読売新聞1992年6月8日付)。

警察、大蔵省、裁判所により偽造金貨と認定された全ての押収品(金貨)が返還されたのは、同事件が時効となった1997年のことである。押収品の偽造金貨は、表裏を圧延した金塊(時価約2万6000円)となり所有者に変換された。

国家が真幣と認めない天皇陛下御在位六十年記念硬貨(金貨)は、国家が与えた10万円の価値を失い――本来の価値(2万6000円)に戻った。

国民の反応と不安の広がり

警察、大蔵省などが、国内に大量の偽造金貨が出回っていると認定し刑事事件化したことから天皇陛下御在位六十年記念硬貨(金貨)の人気は大きく下がりその売上に影響を与えた。

日銀が見抜けないほどの精巧な偽造金貨が流通しているとするならば額面(10万円)の半分以下の価値しかない「金貨」を掴まされる可能性がある。10万円を支払い半分以下の価値しかない20グラムの金塊を好んで購入する者は少ないだろう。

また、鑑定不能を理由に一部の百貨店では天皇陛下御在位六十年記念硬貨(金貨)での利用が断られ、全国銀行協会連合会は銀行など加盟金融機関に金貨の換金、預金があった場合は金貨を預り金として受け取り鑑定の結果、本物と断定された後に預かり日からの利息をつける対応策を要請する。

政府が取った措置と対応策

国家は偽造金貨を警戒する国民の不安と混乱を抑制するためいくつかの措置と対応策を講じる。

国税局は、国民が金貨で納税を希望した場合、明らかに偽造とわかるものを除いて金貨での納税に応じる対応を取り、大蔵省は金の量を30グラムに増やした新たな天皇陛下御在位六十年記念硬貨(金貨)を発行する。

たしかに、金の量を10グラム増やせば、偽造のためのコストが増える。犯罪組織が新たな偽造金貨の製造を諦める可能性があるとも思えるが、それでも約4万円(額面の10万円から金30グラムの価格を差引いた額)の利益が得られる。

潤沢な資金を有すると思われる犯人(組織)が30グラム金貨を偽造しないという保証はないが、問題の20グラム偽造金貨が日本の造幣局で造られた金貨の一部だとするならば効果は絶大だろう。

新たな30グラム金貨発行の意図を考えると20グラム偽造金貨の出所に辿り着くのかもしれない。その出所は米ソ冷戦、中東情勢など複雑な国際社会の闇の中にあるのかもしれない。

類似の事件

1993(平成5)年6月17日、「天皇陛下御在位六十年記念硬貨(10万円金貨と1万円銀貨)」を偽造し、同偽造硬貨を東京都内の質店で使用した疑いで北海道札幌市内のT(26歳)容疑者が逮捕された。

T容疑者が造ったと思われる偽造10万円金貨と偽造1万円銀貨は、鉛に金または銀のメッキを表面だけ施したものであり、裏面は鉛のままだったといわれる。

また、警視庁はT容疑者の自宅から硬貨偽造に使用したと思われる鋳型、電熱器、塗料などを押収したという。

海外から持ち込まれた偽造金貨と比べるとT容疑者の偽造硬貨は比べ物にならない程の雑で粗悪である。 単独犯と思われる粗悪な偽造硬貨事件と天皇陛下御在位六十年記念硬貨(金貨)大量偽造事件で押収された10万3000枚の偽造金貨を比べれば、海外から持ち込まれた偽造金貨の闇の深さを感じざるを得ない。

天皇陛下御在位六十年記念硬貨(金貨)大量偽造事件の闇

天皇陛下御在位六十年記念硬貨(金貨)大量偽造事件は未解決事件となった。

そもそも、日本国が偽造金貨と断定した偽造金貨が偽造だったのかもわからない。わかるのは、真貨と同じ量の金が使われ、同じ大きさ、同じ重さで製造された「偽造」天皇陛下60年記念金貨が海外から持ち込まれ日銀が総額68億円の特別損失を計上したことだ。

海外から持ち込まれた金貨は偽造だったのか?それとも造幣局が造り海外に「贈られた」金貨だったのだろうか? 一つだけわかることは、偽造にせよ、造幣局製にせよ、この奇妙な事件は米ソ冷戦、中東情勢、政治の裏側の深い闇から生まれたということだろう。


◆参考資料・文献
『大蔵省天皇陛下在位60年記念金貨発行収益2千億円を一般会計へ』NHK1985年11月28日付
『純金?昭和天皇在位60年記念硬貨大量に偽造』朝日新聞1990年1月31日付
『ニセ10万円金貨、1千枚全てが偽造裏面に共通の小さな傷』北海道新聞1990年2月1日付
『地金原価4万円→額面10万円、「差益」を狙う記念金貨偽造事件』朝日新聞1990年2月3日付
『同じ英業者の仲介で以前もニセ金貨の輸入』朝日新聞1990年2月3日付
『金貨偽造事件パナマの貿易会社も関与、4万8千枚が経由か』北海道新聞1990年2月14日付
『金貨偽造事件偽造グループドバイ周辺に存在か』NHK1990年2月15日付
『十万円金貨偽造事件銀行口座・ドバイの偽造団解明へ』NHK1990年2月16日付
『ニセ金貨ドバイ・二つの商事会社のうち一社は“幽霊会社”』読売新聞1990年2月16日付
『偽造10万円金貨「ニセ金貨の出所はアラブの王子」聴取でジャカローニ氏』読売新聞1990年2月15日付
『アラブ王族代理人の1人は資産家金貨偽造事件でジャ氏』毎日新聞1990年2月18日付
『偽造金貨、売り主はサウジの王子。16万枚の換金を希望スイスのコイン商が証言』北海道新聞1990年2月16日付
『日本政府がサウジに、本物を贈ったの情報偽造金貨でコイン商』北海道新聞1990年2月20日付
『ジャカローニ氏と謎の4人レマン湖畔で商談偽造金貨事件』毎日新聞1990年3月3日付
『偽金貨仲介の欧州人2人は死亡、不明スイスから警視庁に連絡』毎日新聞1990年3月5日付
『仲介アラブ人が判明、組織に最も近い人物金貨偽造』北海道新聞1990年3月6日付
『偽10万円金貨次々表だけメッキ、刻印都内の質店などに持ち込み』読売新聞1993年6月15日付
『天皇金貨すべて本物英専門家が鑑定分析、輸出コイン商が見解』北海道新聞1990年3月8日付
『ニセ金貨事件、判別「隠し技」教えず発行元・大蔵省、日銀に』朝日新聞1990年4月4日付
『昭和天皇在位60年記念金貨偽造事件伊のコイン商への仲介スペインの男か』読売新聞1990年7月31日付
『偽10万円金貨海外に本物説国際捜査、警視庁に逆風』読売新聞1990年4月21日付
『輸入の昭和天皇記念10万円「金貨」の押収分はすべて偽造』読売新聞1990年5月11日付
『偽造金貨10万枚、所有者に返還へ警視庁』毎日新聞1990年12月18日付
『偽造10万円金貨つぶして返還へ2万6000円の価値しか警視庁』毎日新聞1997年9月30日付
『ニセ「在位60年」金貨事件偽造元はイタリア人警視庁が捜査員をスイス派遣』読売新聞1991年12月13日付
『偽金貨、捜査中に返還多額の負担を考慮し10万枚を業者などに』朝日新聞1992年5月31日付
『10万円金貨の還付準抗告英人申し立てに「偽造明白」と棄却東京地裁』読売新聞1992年6月8日付
『記念金貨偽造容疑で手配の男を逮捕』朝日新聞1993年6月18日付
『偽造金貨の容疑者逮捕「造った」と自供』毎日新聞1993年6月18日付
『偽造金貨の返還始まる警視庁』熊本日日新聞1997年10月28日付
『昭和天皇在位60年記念金貨偽造“被害”68億円日銀が特別損失を計上』読売新聞2001年6月1日付

加治将一『陰謀の天皇金貨(ヒロヒト・コイン): 史上最大・100億円偽造事件-暴かれた真相 Kindle版』2020.


◆偽造紙幣・偽造硬貨事件

◆スイスを舞台にした事件

◆金塊(金)が関係する事件


Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

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