映画『トータル・リコール』その独特な世界観に流れる魅力を語る

映画トータル・リコール火星のイメージ

★ご注意:この記事には、映画『トータル・リコール』のネタバレが含まれています。

昔、一般家庭のテレビでは沢山の映画が放映されていた。「ホームアローン」や「ターミネーター」、スタジオジブリが創り上げた数々の作品たち……。ある程度の年齢ならば、決まって放送された特定の映画に対し、懐かしい記憶を思い出す人も少なくないだろう。

今回語っていくのは、昔テレビで盛んに放送され、若干のトラウマを抱く人も少なくない映画『トータル・リコール』だ。かく言う筆者も、今作を恐ろしく感じた子供の1人である。 しかし今作は、現在でもなおファンの多いSF映画でもある。その魅力はどこにあるのだろうか。じっくりと語って行こう。

記憶に植え付けられる怪作『トータル・リコール』

『トータル・リコール』は、1990年に公開されたSF映画作品だ。監督は『ロボコップ』や『ショーガール』などで知られるポール・バーホーベン。主演を務めるのは、誰もが知っているであろうアーノルド・シュワルツェネッガーだ。

ポール・バーホーベンの持ち味は、彼が描写する世界のグロテスクさにある。細かな所は後で述べるとするが、その持ち味は今作でも存分に生かされている。

シュワちゃんことアーノルド・シュワルツェネッガーもまた、今作に良い味を添えている。

その大柄な体格からは想像できないような繊細な演技と共に、大げさかつ素晴らしい迷演技を繰り広げているからだ。 現在では決して作ることができないような映画(事実、2012年に公開されたリメイクは、雰囲気が全く異なる)。今作は正に、そんな作品の1つだと言えるだろう。

映画『トータル・リコール』あらすじ

いつかの未来。火星には多くの人々が移住しているものの、その住環境は劣悪だった。宇宙服なしではコロニーの外に出ることはできず、毎日のように紛争が起こっていた。

ダクラス・クエイドは地球で肉体労働者として働きながら、美しい妻と暮らしている。彼の生活は平穏そのものだが、毎日のように見る火星での悪夢に悩まされてもいた。その夢は、彼を火星へと惹きつけてしまう。

クエイドは妻に反対されるものの、どうしても火星に行きたくてしかたがない。そこで彼が頼ったのは、偽の「記憶」を売ってくれるというリコール社だった。

クエイドは友人が止めるのも聞かず、リコール社を訪れる。そこで火星旅行の記憶を植え付けてもらうつもりだったのだ。しかし、彼は火星旅行記憶の処置中に暴れ出してしまうのだった。

映画『トータル・リコール』を作り上げる、独特のエグさ

鼻の穴から装置を取り出すシーンに、にやにや顔が特徴の、「2週間」しか言わない中年女性(彼女の後のシーンはより衝撃的だ)。絶妙に気持ち悪いミュータントたちに、乳房が3つもある女性。映画『トータル・リコール』で描きだされる世界観は、とてつもなく独特だ。奇声を発しながら自爆する、恐ろしい機械仕掛けのタクシードライバーも例外ではない。

バーホーベン監督の持ち味は、いわゆるグロテスクさにある。一般的にマイナスのイメージを抱くことが多いこの要素だが、監督のファンにとってはスパイスの一種だ。作品にとって無くてはならないもの、もしくは、無いと物足りないもの。

同監督の作品、『ロボコップ』を見たことがあるだろうか。この作品は見る人を選び、苦手な人は徹底的に拒否感を示すだろう。しかし、好きな人にとっては名作の1つだ。

今作もまた、そんな監督の持ち味をいかんなく発揮している。作中の至る所にグロテスクさを散りばめながら、面白いSF映画として成立させているのだ。

とはいえ、今作にはグロテスクさ以外の「何か」が存在している。それはおそらく、「エグさ」と言うべきものだろう。舌の上にいつまでも残る苦味というか、雑味と言うべきか。とにかく、飲み込むときに少し躊躇してしまうあの味のような、そんな感覚だ。

今作に登場するミュータントを考えてみよう。

乳房が3つあるのはまだ良い。しかし、ミュータントたち反乱分子の首領・クワトーはまた別だ。彼は人間の腹部に寄生する形で生きており(ブラックジャックのピノコのようなものか)クエイドを導く重要な役割を担っている。冷静で知的な人物だが、その見た目は限りなく恐ろしい。全体的にヌメヌメとしていて、どことなく血まみれに見えるのだ。

また、また、火星でクエイドをメリーナがいる店に案内したドライバーも、特別な存在感を放っている。彼は一見、普通のひょうきんな人間だ。しかし、ほの暗い一面も持っている。彼はミュータントでありながら仲間を裏切っており、いとも簡単に嘘をつく。そして義手で隠されたその手は、細長く、まるで昆虫のようだ。

ここに描かれているのは、ただのグロテスクさではない。もっと生理的に嫌悪感を抱くものでありながら、深さをも持ち合わせている。目を逸らしたくなるけれども、もっとじっくり見てみたいと思ってしまうのだ。これこそが、今作の「エグさ」成分と言えるだろう。 こうしたエグみは、今作を面白い作品に仕上げている。見たはしから飲み込むことはできないが、徐々に気になり見返してしまう。素直すぎる作品に面白みが少ないように、癖が強い作品もまた珍味となりえるのだ。

「B級」だからこそ良い作品

イマイチ面白くない作品や、どことなく大味な作品を評して「B級」と表現することがある。これは勿論、褒め言葉ではない。それでも時には、B級であることが良い方向に転ぶこともある。今作『トータル・リコール』は、そんな作品の1つだ。

今作は多くの人に、B級作品と評されている。物語の細部や映像表現の一部分に素晴らしさが光るとは言え、全体的に大味であることは否めないからだ。映像の端々も、現代の技術からすると、どうしてもチープさが目立ってしまう。これは今作に非がないとは言え、技術の進歩からするとどうしようもないことだ。また、先に挙げたエグみやグロさも、要因の一つと言えるだろう。

ここで少し考えてみて欲しい。もし今作が、今時のスタイリッシュさを持つ作品だったならどうなるか。そうでなくとも、どこまでも美しい芸術作品のように撮られていたらどうなるのだろうか。

おそらく、全く面白くない作品になってしまうだろう。スタイリッシュなだけでは、このパワフルな世界観は描きだせない。また、芸術的に描いたとすれば、「エグい」どころの話ではないだろう。美しいことは美しいが、とてつもなく気持ちの悪い作品ができるかもしれない(※「我が子を食らうサトゥルヌス」のように)。

美しさと気持ち悪さは、正反対の物事のように思えるかもしれない。しかし、この2つは意外と近い位置にあるのだ。 だからこそ、今作のB級感は素晴らしい。ストーリーなどが多少大味でも、映像がチープであっても、それら全てが今作を絶妙なものに仕上げている。B級感こそが、今作を今に残る名作にしているのかもしれない。

まとめ

アーノルド・シュワルツェネッガーの最盛期の主演作品である『トータル・リコール』について語って来た。タイトルを聞くだけで、あの目玉が飛び出そうになるシーンを思い出した人も多いことだろう。

今作は、2012年にリメイク版が公開されている。リメイク版は迫力ある美しい映像で、見やすい作品に仕上がっていた。しかし、より多くの人に見てもらいたいのは、旧作である1990年版『トータル・リコール』だ。 グロさ・エグさが強い表現に、気が引けてしまう人もいるだろう。それでも、そのハードルを乗り越えてしまえば、その世界観の虜になってしまうはずだ。


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オオノギガリWebライター

投稿者プロフィール

ココナラをメインに活動中のWebライターです。2017年より、クラウドソーシング上でwebライターとして活動しています。文章を読んで、書く。この行為が大好きで、本業にするため日々精進しています。〈得意分野〉映画解説・書評(主に、近現代小説:和洋問わず)・子育て記事・歴史解説記事etc……

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