★ご注意:この記事には、映画『帰ってきたヒトラー』のネタバレが含まれています。
映画『帰ってきたヒトラー』概要
2016年、日本公開の映画『帰ってきたヒトラー』は、2012年に発表されたハンガリー難民の子、ティムール・ヴェルメシュ著『帰ってきたヒトラー』(日本語版は、森内薫訳. 2014年1月.河出書房新社)を基にしたダーヴィト・ヴネント監督のドイツ映画である。
映画『帰ってきたヒトラー』は、第二次世界大戦後ドイツの最重要問題かつ禁忌だと思われているアドルフ・ヒトラーを現代(難民問題を抱える2010年代のドイツ)に蘇らせ、復活したヒトラーにお笑い芸人的な立場を与え、蘇ったヒトラーに現代ドイツ各地を巡らせ、市井の人々や実在する政治家、政党関係者などとアドリブで会話させたといわれるドキュメンタリー的手法も秀逸だ。
ドキュメンタリー的手法を用いた映画『帰ってきたヒトラー』の視聴者は、市井の人々の会話などから現代ドイツや欧州、米国などが抱える問題点を再確認し、どこまでがフィクションでどこからがノンフィクションなのか?と、考えずにはいられないだろう。
映画『帰ってきたヒトラー』あらすじ
2014年10月(復活したヒトラーがキオスクで手にした新聞の年月)のある日――ベルリンの元総統地下壕付近で「貧困層の子どもとサッカーをテーマ」にする番組撮影をしていたファビアン・ザヴァツキは、偶然に煙とともに立ち上がるヒトラーらしき人物を撮影する。
一方、ザヴァツキが所属する民間TV会社「my tv」では、次期局長人事が行われ、2人の副局長、女性のフランツィスカ・クレマイヤーと男性のクリストフ・ゼンゼンブリンクのなかから、女性のフランツィスカ・クレマイヤーが新局長に選ばれる。
後にヒトラーから小物扱いされるクリストフ・ゼンゼンブリンクは、憂さを晴らすかのようにフリー社員のザヴァツキに解雇を言い渡す。失意の中、自宅に戻り撮影した映像を確認するザヴァツキ。そこにはヒトラーに似た人物が映りこんでいる。ザヴァツキは、テレビ局への復帰を目指し、ヒトラーそっくりの「芸風」を持つヒトラー(本人)に現代ドイツを闊歩させる企画を練り2人はザヴァツキの母親の車に乗り撮影の旅を開始する。
出典:ギャガ公式チャンネル
ベルリン、ハンブルグ、ドイツ北部のズュルト、ドレスデン、ミュンヘン――撮影当初は、闊歩する目的だった企画が変化を遂げ、現代に蘇ったヒトラーが国民と政治的な会話をする企画となり、ヒトラー自身が現代ドイツ国民の政治への不満、生活への不満などを聞いて歩くようになる。
国民はヒトラーを前にしながら賃金の悩み、移民問題、難民問題、外国人嫌悪、外国人排斥、民主主義の問題、選挙への不信、政治家への不信、環境問題、愛国心などを語り、問題解決のために「収容所が必要だ」「移民を追い出せ」などという者もいる。勿論、現代に現れたヒトラーにドイツのためにならいなど言い放ち嫌悪を剝き出しにする者も少なからずいるが――。
ドイツに民主主義が根付いていないと直感するヒトラー。それは1930年代と同じだ。ヒトラーは、犬種の違う犬の交配を例えに人種論を語る。それこそ1930年代と同じだ。現代ドイツ人とヒトラーの会話からヒトラーが1930年代と同じく人間の裡にある人種差別の匂いを嗅ぎ、彼ら彼女らにキーワードを与えナチズムの種を撒いているようにも見える。
ヒトラーは、時代錯誤の制服と勲章(第一次世界大戦で授与された戦傷章、一級鉄十字章)を身に纏い、オペラ歌手パウル・デフリーントから指導を受けた独特の発声とジェスチャーと沈黙を使いTVやSNSで「ヒトラーのコスプレ芸人」的な立ち位置の人気を得るが――やがて人々は、「ヒトラーのコスプレ芸人」の主張、価値観、人間力などに魅了されていく――そこには、1930年代のアドルフ・ヒトラー人気に通じるものがあるようだ。
戦い続けろという神の真意で2014年に蘇ったと考えるヒトラーは、人類の偉大な発明コンピューターとインターネットを使い新たな帝国を築き始める。当初はヒトラーの時代を知らない若い世代(SNSを頻繁に利用するZ世代など)に消費される新たな、一風変わったYouTubeスターのような扱いを受けるが、やがて、民間TV会社「my tv」の女性副局長フランツィスカ・クレマイヤー達もヒトラーのカリスマ性と話題性に魅了される。
人気の政治的コメディ番組『クラス・アルター』の生放送に出演したヒトラーは、得意の沈黙の力と効果を利用し――聴衆の意識を支配した瞬間――演説を始める。
TVから垂れ流される低俗な番組への批判、子供の貧困、老人の貧困、失業、過去最低の出生率、こんな国では誰も子どもなど生まない等々。
私はテレビと戦う。我々が奈落を知り、克服すようになるまで。20時45分より、反撃放送を行う。
映画『帰ってきたヒトラー』字幕版
ヒトラーは一夜にしてドイツ全土のスターになる。ヒトラーが主演したTV番組の視聴率は非常に高い。国民はヒトラーに魅了され「好き/嫌い」に関わらず注目される存在となり、映画撮影の企画が進み――だが、ヒトラーはヒトラーだった。彼は物真似芸人ではなかった。反民主主義と人種差別主義思想のヒトラーだった。
ヒトラーの魅力と思想を笑えるか?
ヒトラーは強者を賛美する人間だ。ナチズムはニーチェの「超人思想」を都合よく誤読しながら、強者を賛美する。
犬の死体に怯えるザヴァツキを腰抜け、堕落者と叱咤し、独身のザヴァツキに「攻撃あるのみだ!」と助言もする。(ナチは鋼鉄の意思という言葉を好む)。
勇気に欠け、軟弱で優柔不断なザヴァツキにヒトラーは年長の友人のように兄のように父親のように振る舞う。時に悪戯もする。映画『帰ってきたヒトラー』は、人間臭いヒトラーが「意図的」に描かれている。そう、1930年代のヒトラーは、国民の理解者、救世主、アイドル、国民を守る父親、国民に慕われる兄貴、女性から愛される存在でもあったのだ。
第二次大戦後に創られた多くの映画、小説のなかのヒトラーは悪魔的な人間だ。我々はホロコーストや戦禍により焼け野原となった戦後の欧州や戦争で死んだ多くのドイツ人、近隣諸国の国民を知っている。人類史上を代表する「悪」、「悪魔的な存在」だけのヒトラーならば、1930年代のドイツ国民は彼を支持しなかっただろう。
採食主義者で酒、煙草を嗜まず、贅沢を嫌い、軍服やナチ制服に第一次大戦で授与された勲章だけを付け、禁欲的な独身(事実婚のエヴァ・アンナ・パウラ・ブラウンの存在は隠されていた。なお、ヒトラーとエヴァは1945年4月29日正式に結婚。4月30日、2人は自殺する)を演じたヒトラー。
ヒトラー専属の写真家ハインリヒ・ホフマンが撮影した当時のヒトラーの写真やプロパガンダ用に創られた映像には、英雄的カリスマ性が強く演出されたヒトラーが残っている。
だが、エヴァ・ブラウンが撮影したといわれるベルクホーフ山荘(オーバーザルツベルク)で愛犬と戯れるヒトラーの映像が残っている。子どもたちや国民に笑顔を見せるヒトラーの映像が残っている。
「悪」が悪魔の姿をして現れるのなら「悪」を遠ざけることは簡単だ。サイコパスの連続殺人鬼が魅力的な人間であるのと同じように世界中に「不幸」をばら撒く人間も魅力的な一面を存分に見せる。ドイツ民族のために全身全霊を捧げるドイツ民族の英雄のようにも映る。
映画『帰ってきたヒトラー』のなかのヒトラーは、人間的な魅力を持つ、頑固だがカリスマ性を持つリーダー(総統)のようでもある。
ヒトラーの過激な発言は、SNSやYouTubeで若い世代から人気を得る。ヒトラーの過激な発言に戸惑いながらも彼を不満の代弁者、難民排斥など現代タブーの代弁者と見なす言説が現れる。
そう、ヒトラーを無条件に笑えない現状、ヒトラーの言説を完全否定することが出来ないドイツ国民の不満が「ヒトラー」(記号化のヒトラー)を通じて可視化され始める。 我々が「ヒトラー」を笑い続けるために必要なことはなにか?映画『帰ってきたヒトラー』は、元貴族、元軍人などによるクーデター計画の発覚により逮捕者が出た2022年12月現在も問われ続けている。
2022年12月のドイツクーデター計画(未遂)事件の衝撃
現地時間2022年12月7日、ドイツ連邦検察がクーデター計画の容疑で71歳の元貴族、極右政党関係者、Qアノン信奉者、元軍人など計21人を逮捕したとの報道がなされた(参考:ドイツ、クーデター計画容疑で25人逮捕 議事堂襲撃を画策と BBC NEWS JAPAN 2022年12月7日配信)。
上記の報道から思い出されるのは、アドルフ・ヒトラーの「ミュンヘン一揆」とヒトラーが現代(2010年代のドイツ)に蘇り騒動を起こすコメディ映画『帰ってきたヒトラー』(2016年日本公開)だ。
ディープステート(闇の政府)絡みの陰謀論を信じる者たちとユダヤ陰謀論を信じたアドルフ・ヒトラー(ヒトラーなど当時のドイツ人は、帝政ロシアの秘密警察が書いたといわれる歴史的な偽書『シオン賢者の議定書』を信じていた)。アドルフ・ヒトラーの時代から約100年の歳月が流れたが人は「信じたいもの」や「信じるもの」を「信じ」世界を眺めてしまうのだろう。
先ずはヒトラー内閣成立からヒトラー(ナチ党)独裁までの簡単な流れを記そう。
アドルフ・ヒトラー(1889年4月20日-1945年4月30日)率いるナチ党は、1932年7月の選挙で第一党となる。1933年1月30日には、パウル・フォン・ヒンデンブルク大統領(ユンカー/ドイツ東部の地主・貴族階級出身の元陸軍元帥)がヒトラーを首相に任命、ヒトラー内閣が誕生する。
同年2月27日、「国会議事堂放火事件」が発生し、左派政党(ドイツ共産、ドイツ社会民主党)党員が逮捕・弾圧される。
1933年3月23、悪名高い「全権委任法」(ヒトラー政府はヴァイマル憲法を無視した立法権を得る)が公布され、ヴァイマル共和政/ワイマール共和制(ドイツ共和国)の民主主義は解体される。
戦後のドイツは、上記の1920年代後半から30年代、そして、1945年5月まで続いたナチ政権を教訓とし、「戦う民主主義」を掲げたが――ヒトラーとナチ一派は、選挙による政権奪取の前、「ミュンヘン一揆(1923年11月8日-9日)」と呼ばれるクーデター未遂事件(ナチ突撃隊などによる武装蜂起)を起こした(1924年5月の裁判によりヒトラーは5年の禁固刑を受けるが同年12月に仮釈放される)――民主主義は非常に脆い制度だともいえる。
コメディ映画としての映画『帰ってきたヒトラー』の魅力
映画『帰ってきたヒトラー』は、コメディ映画としても素晴らしい作品である。ヒトラーをパロディ化した映画には、チャップリンの有名な『独裁者』(1940.)があるが、前述のとおり、ヒトラーを「悪」の象徴とするシリアスな映画が多い。
だが、「悪」を笑い飛ばす映画も「悪」の恐ろしさを視聴者に感じさせる。
コメディ映画『帰ってきたヒトラー』には、人間ヒトラーの最後をリアルに描いたと評判の高い『ヒトラー〜最期の12日間』(日本公開2005.)のパロディシーンがある。策略により地位を得た「小物」のクリストフ・ゼンゼンブリンクが視聴率低迷に悩み声を荒げるシーンは、クリストフ・ゼンゼンブリンクに敗戦間際のヒトラーを被せた見事な演出だと感じる。
映画『帰ってきたヒトラー』の魅力からは「逃げられない」。
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