『時計じかけのオレンジ』徹底解説と徹底考察

時計じかけのオレンジ

『時計じかけのオレンジ』概要

★ご注意:この記事には、映画『時計じかけのオレンジ』のネタバレが含まれています。また、一部過激な表現が含まれていますが、小説・映画『時計じかけのオレンジ』の世界観やテーマを解説、考察するうえで必要だと判断しました。ご了承ください。

2022年の現在から60年前の1962年、英国の作家アンソニー・バージェス(1917年2月25日-1993年11月22日)は、一冊の衝撃的な小説『時計じかけのオレンジ(A Clockwork Orange)』を発表した。

この小説の舞台は、近未来の社会主義的(完全雇用の追求、高福祉提供、労働者が消費者となる社会)な英国だ。主人公アレックス(アレキサンダー・デ・ラージ)が15歳当時の過去を振り返り、過去を独白する形で物語が進む。

高等教育を受けていない不良少年アレックスの独白という形式のこの小説は、言語学者でもあるアンソニー・バージェスが作り出した、(ロシア語の影響を受けた)「ナッドサット」と呼ばれるスラングを使い、意図的に文法などを無視した――緻密に計算された名作でもある。

そして、2022年から51年前の1971年、鬼才、完全主義者と呼ばれるスタンリー・キューブリック(1928年7月26日-1999年3月7日)の映画『時計じかけのオレンジ(A Clockwork Orange)』が公開された。

この、映画『時計じかけのオレンジ(A Clockwork Orange)』は、1960年代の社会と1960年代以降の社会に大きな影響を与えたベビーブーマー世代(「怒れる若者」)の価値観、生き方、行動様式、文化などから着想を得たとも思われるアンソニー・バージェスの小説を見事な映像美と音楽で表現した衝撃の名作だ。――主人公アレックスとそのドルーグ(仲間、族、一派、チーム)の暴力、国家の暴力、アレックスを政治利用する大人達の暴力。ドラッグと音楽の高揚感。性の解放と寛容と自由の時代。それらの時代への批判。人間性とはなにか?自由とはなにか?個人主義と公益を優先する全体主義社会。教会のモラルと保守層のモラル――

主演は英国の名門演劇学校「ロンドン・アカデミー・オブ・ミュージック・アンド・ドラマティック・アート(ロンドン音楽演劇芸術アカデミー)」出身のマルコム・マクダウェル(Malcolm McDowell)、監督は勿論スタンリー・キューブリックである。なお、余談ではあるが、映画『時計じかけのオレンジ』作品中レコード店のカウンターには、同監督の代表作品『2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)』のポスターが貼られている。

今回は、名作(小説版、映画版)『時計じかけのオレンジ(A Clockwork Orange)』を独自視点で解説などしていこう。

『時計じかけのオレンジ』あらすじ 

小説・映画『時計じかけのオレンジ』が発売、公開された1960年代から70年代初め頃からの「近未来」の英国で本能と欲望のままに生きる15歳の主人公アレックスとその仲間(ドルーグ)。

彼らはドラッグ入りの牛乳を飲み、夜の英国を徘徊しながら殺人、強盗などの重犯罪を繰り返す。

小説・映画『時計じかけのオレンジ』は衣食住が保証された近未来世界のアンチモラルな少年と彼らの欲望、衝動を科学の力で抑え込もうとする政府の思惑などを描いた傑作である。

『時計じかけのオレンジ』の舞台

小説・映画『時計じかけのオレンジ』は、近未来の英国を舞台にしている。この近未来が「いつ」の時代なのかは明確ではないが、アレックスとそのドルーグ(仲間、族、一派、チーム)に理由もなく襲われ暴行されるホームレス老人の言葉に「月へ行く人間と地球を回る人間」があるため、宇宙開発の初期段階の未来(小説・映画『時計じかけのオレンジ』が作られた1960-70年代から見た近未来)の時代だと思われる。

無法がはびこるきたねえ世界だ 若者が年寄りをイビる世界だ。老人が暮らせる世界はもう残っちゃいない。月へ行く人間と地球を回る人間。だけど地上の法と秩序にゃみなが無関心だ

時計じかけのオレンジ (字幕版)

また、犯罪、触法行為の前歴のある非行少年アレックスの担当更正委員P・Rデルトイドに以下の言葉がある。

何が問題だ?我々も研究はしている。1世紀近く続けているがなかなか、畜生、成果があがらない。申し分ない家と親があり、頭も悪くないのに悪魔が体をはい回るのか

時計じかけのオレンジ (字幕版)

小説・映画『時計じかけのオレンジ』の舞台は、2022年の現在を含む宇宙開発の初期及び少年犯罪などが問題化した1950年代から1世紀(100年)後の社会だと推測される。それは、2022年の現在を含む2050年頃の世界――つまり、2022年現在または我々の世界の平行世界かもしれない―― この2022年現在から非常に近い未来を描いた小説・映画『時計じかけのオレンジ』の舞台(社会)についてさらに分析、解説していこう。

なお、主人公アレックスが逮捕された連行された警察署には、1月のカレンダーがあるが、何年のカレンダーなのかは不明だ。さらに、アレックスが「ルドヴィコ療法」を受け釈放されたことを伝える新聞「デイリー・ミラー」などに年月日の記載は確認されない。

『時計じかけのオレンジ』の舞台「政治体制」

次は、小説・映画『時計じかけのオレンジ』の舞台の政治体制について考察してみよう。

小説・映画『時計じかけのオレンジ』は、完全な独裁社会ではない。この時代には選挙がある。

アレックスに「ルドヴィコ療法」を施し、「治安の回復を公約にする党」から出馬している新任の内務大臣は、「ルドヴィコ療法」に対する国民の世論を気にかけている。ただし、この小説・映画『時計じかけのオレンジ』で描かれる時代は、政治の分岐点、全体主義の萌芽の時代であることに間違いはない。

前述の内務大臣は、一般的な刑事事件犯罪(殺人、強盗等)よりも、今後、増加する「政治犯」を問題視している。今後、刑務所などの矯正施設には、「政治犯」の投獄が増えるが、刑務所などの収容人数には物理的な制約がある。それらの問題を解決するための手段となるのが、「ルドヴィコ療法」だと考えている。一般の刑事犯に「ルドヴィコ療法」を施し、人間の欲望や自由意思を壊し、人間を機械化しながら犯罪を矯正する。

治安の回復や体感治安の悪化を理由に非人道的な「治療」が国民に施される。最初は一般の刑事犯が対象かもしれない。だが、やがてそれは、政敵や政府から社会の敵認定される国民などにも広がり――全体主義は完成する。

また、この全体主義の萌芽は、以前、アレックスとドルーグの超暴力により結果的に妻を失い、自身の心身にも大きな傷を受けた反体制派の作家も感じている。なお、余談であるが、この作家が書いていた小説のタイトルこそ『時計じかけのオレンジ』である。

では、小説・映画『時計じかけのオレンジ』で描かれている社会は、具体的にどのような政治体制と社会なのか。

主人公のアレックスは、「キングスレー通りとウィルソンズウェイの間にある市営団地ブロック18A 10-8号室」に住んでいる(いた)(引用:アンソニー・バージェス(著)乾信一郎 (訳)「時計じかけのオレンジ 完全版」早川書房2008年P50-51)

主人公アレックスの母親は工場に勤務している。詳細は不明だが、勿論、父親も職に就いているだろう。完全雇用の政策が実施され、住居が確保された第二次世界大戦後の英国の社会保障政策「揺りかごから墓場まで(from the cradle to the grave)」に代表される「大きな政府」を受け継いだ社会といえそうだ。

また、主人公アレックスなどの若者が使うスラングは、ロシア語から影響を受けた「ナッドサット」だ。小説・映画『時計じかけのオレンジ』が発表、公開された60年代-70年代のロシアには、世界初の社会主義国家「ソビエト社会主義共和国連邦」があった。文化や言葉は強い国、優位な国の文化から影響を受ける。そのことから考えるなら、小説・映画『時計じかけのオレンジ』の舞台の世界では、社会主義ロシアが非常に強い国家として君臨しているともいえそうだ。

だが、英国社会の底流にある「階級」は、依然として残っている社会だともいえる。主人公アレックスは、前述のとおり、労働階級の少年だ。アレックスとドルーグに襲撃される作家や大金持ちの良家を自任する「ヘルス・ファーム」の所有者ミス・ウェザースは、共に郊外の戸建て住宅に住んでいる。

アレックスとドルーグは盗んだ最新のスポーツカー「デュランゴ95」に乗り、超暴力の対象となる彼(女)らインテリ、上流階級が住む郊外に向かう。その途中、現れる車は――ナチ・ドイツのヒトラーがデザインしたといわれるナチ政権時代のドイツ国民車「フォルクスワーゲン・ビートル」だ。この、「フォルクスワーゲン・ビートル」は、ナチ(国家社会主義=国民社会主義とも訳される)政権が掲げた誰もが車を購入できる大衆車として造られた。小説・映画『時計じかけのオレンジ』舞台となる社会でも誰もが車を購入できる豊かな、そして、誰もが消費者となった社会なのかもしれない。 ここでアレックスの言葉を引用しよう。

昼間は老いぼれの中産階級のものだ

アンソニー・バージェス(著)乾信一郎 (訳)「時計じかけのオレンジ 完全版」早川書房2008年P66

小説・映画『時計じかけのオレンジ』の舞台にも、英国の伝統的な階級(意識)は残っているようだ。

小説・映画『時計じかけのオレンジ』の舞台のもう一つの特徴は、主人公アレックスが住む市営団地とその周辺に象徴される。団地の周辺や団地内のエレベーターホールなどには、大きな廃棄物や大量の生活ゴミが放置されている。団地のエレベーターは壊れたまま放置され機能せず、エレベーターホールに描かれた古代ギリシア風労働者男性の絵画には下品な落書きが描かれたままになっている。この小説・映画『時計じかけのオレンジ』の世界には修理、修繕されていない公共物が溢れている。高福祉社会と思われる小説・映画『時計じかけのオレンジ』の舞台は、人々から公共心が失われ、政府の関心は公共物の修理、修繕よりも政敵との政治闘争に向いているようだ。さらに、もう一つの視点でいれば、この小説・映画『時計じかけのオレンジ』の舞台の財政は、かなり逼迫した状況に陥っているとも推察できそうだ。

『時計じかけのオレンジ』の舞台「文化(カルチャー)」

前述のとおり、小説・映画『時計じかけのオレンジ』で描かれる時代は、政治の分岐点、全体主義の萌芽の時代だといえるが、文化の面では依然として「自由奔放の時代」、多くの者が階級に関係なく消費者となり自己実現する時代。文化に自己を投影する時代。文化から自己を確認する時代のようだ。

自由奔放な社会の空気は、退廃的な表現までも包括し、その自由かつ退廃的な社会は表現やのドラッグの影響を受けた文化を作りだす。それは、既存のモラルや教会(キリスト教)の影響から解放され、大衆が文化の作り手、受け手となった時代だともいえる。そして、これらの動きは主人公アレックスのような下層階級の若者が中心となるカウンターカルチャーから始まったのかもしれないが、「ヘルス・ファーム」の所有者ミス・ウェザースのような上流階級にも影響を与えている。

アレックスとドルーグがドラッグ入りミルクを飲む「コロヴァ・ミルク・バー」のテーブルやインテリアは、裸の女性をモチーフにしいている。映画の冒頭には、そのテーブルに足を投げ出す主人公アレックスの姿がある。では、「ヘルス・ファーム」の所有者ミス・ウェザースの家のインテリアや飾れている芸術品はどうだろか?ミス・ウェザースが収集するインテリアや芸術品は男性器などをモチーフにした表現物が多い。小説・映画『時計仕掛けのオレンジ』の舞台となる時代はリベラルなフェミニズムから影響を受けた社会かもしれない。

健康に留意しながら猫を多頭飼いする孤独な高齢者女性ミス・ウェザースは、ピノキオのような鼻の仮面を被ったアレックスが振り下ろすその芸術により――女性をモノ化しながら「イン・アウト・イン・アウト」の対象とする主人公アレックスと男性器をモチーフにした芸術品を大切にするミス・ウェザースの対比――小説・映画『時計じかけのオレンジ』の舞台にある自由奔放(退廃的)な文化と二つの価値観の対比が興味深い。

『時計じかけのオレンジ』の舞台「人口構成と管理される欲望と自由」

小説・映画『時計じかけのオレンジ』の舞台の人口構成の詳細はわからないが、未成年者の犯罪が問題視され歴代政府は「1世紀近く」その対策に追われている。ここから推測される人口構成は、若年層の多い社会だ。

ここでアレックスとそのドルーグに理由もなく襲われ暴行されるホームレス老人の言葉をもう一つ引用しよう。

無法がはびこるきたねえ世界だ 若者が年寄りをイビる世界だ。老人が暮らせる世界はもう残っちゃいない

時計じかけのオレンジ (字幕版)

若年層の多い社会は、それまでの習慣、慣習、モラル、宗教の教え、価値観に懐疑的である。また、彼(女)らは、新たな価値観や新たな行動規範を生み出し、その価値観、行動規範がそれまでの社会を揺さぶる。

社会に大きな影響を与えるボリュームのある若年層は、それまでのタブーを軽々と越え、それまでの正義と悪、それまでの醜悪、それまでの社会を飲み込んでしまう。

政治の分岐点、全体主義の萌芽の時代と自由奔放な主人公アレックス。

小説・映画『時計じかけのオレンジ』の読者、視聴者のなかには、自分の欲望のままに暴れ回る主人公アレックスにピカレスク的な印象さえ持ってしまう者も多いだろう。そして、釈放後の意気消沈な主人公アレックスを応援したい衝動に駆られてしまうだろう。それこそ、小説・映画『時計じかけのオレンジ』の名作たる所以である。

全体主義は個人の欲望、自由を公益のためを理由に統制する社会だ。「1世紀近く」少年犯罪と治安の悪化に悩む政府(統治)側の更正委員P・Rディルドの問いに主人公アレックスは独り言で語る。

彼らが何がいったい不良の『原因』かなんて考えこんでるのは、おれにいわせりゃ、まったくのお笑いだ。『善良』の原因さえよくわかっていないくせに、その反対のことがわかるわけないだろ?人々が善良だということが、その人々が善良を好むということだとすると、おれは絶対その楽しみを妨害しようなどとは思わないし、また、同じことが反対側の場合にもいえる。そして。おれはその反対側を支持しているのだ。その上、不良は自己のことであり、個であり、君でありおれであり、われわれ孤独なるものであって、その自己なるものはボックルつまり神により作られたものであって、その神の大きな誇りで、また、ラドシー(よろこび)でもあるのだ。だが、非自己は不良ではあり得ない、ということは、彼ら政府とか裁判官とか学校とかは自己を認めることができないから、不良を認めることができない。そして、兄弟よ、これらの大きな機構と戦ってきた勇敢な小さな自己たちの話が、わららの現代史ではないか?兄弟よ、おれはこのことでは、ほんとに本気なんだ。だが、しかし、おれのやってることは、やってることが好きだからやってるんだ

アンソニー・バージェス(著)乾信一郎 (訳)「時計じかけのオレンジ 完全版」早川書房2008年P62

「ルドヴィコ療法」は、人間の欲望、衝動、自由意思など心の中、魂を壊し、「犯罪性反射神経を抹殺」し、人間をプログラミングされた機械にする。

本来、人間の心の中や魂は自由な筈だ。その自由からの行動が規制されるべき対象の筈だ。どのような性的妄想を抱こうと、どのような政治思想を持とうと、異教の神を信じようと、本来は自由な筈だ。マルキ・ド・サド(1740年6月2日-1814年12月2日)をバスティーユ牢獄に閉じ込め彼から身体の自由を奪っても――彼の頭のなかは縛れない。誰も彼の頭のなかに手錠や足枷はつけられなかった筈だ。

その人間の内心、魂を「ルドヴィコ療法」は制約、統制する。主人公アレックスがその頭に暴力や性的な事柄を思い浮かべた瞬間――彼の身体は激しい苦痛の餌食になる。

小説・映画『時計じかけのオレンジ』には、人間から魂を奪い、人間を従順な機械にするともいえる「ルドヴィコ療法」に異を唱える人物が三人登場する。

これら三人の思想、価値観、立場は、「保守系の刑務所所長」、「神父」、「アレックスに暴行された『時計じかけのオレンジ』の作者=反体制作家」とそれぞれに違う。

「保守系の刑務所所長」は、「(犯罪者に対し)国家だって殴り返して当然だろ」と言い放ち、刑務所内で歌われる囚人用讃美歌258番の歌詞は「我はさまよう小羊。囲いを愛しはしなかった。羊飼いの声を愛しはしなかった。管理されるが嫌だった」だ。同所長は犯罪者を嫌悪し、罰と管理で犯罪者を懲らしめようとする。

もう一人の反対者「神父」は、(当然だが)キリスト教の教義から異を唱えている。彼は言う。「真底人間を善良にできるか。善は心より発するもの。善は選択され得る。選ぶことの出来ぬものは人間とはいえない」「選ぶ能力!本人に選ぶ能力がないじゃないか。私欲と肉体的苦痛への恐怖が彼を醜悪な自己卑下に駆り立ててるんだ。そこには誠意のかけらもない。非行は防げても道徳的選択能力を奪われた生き物に過ぎない」と――道徳的選択の選択肢を聖書の中から選ばせるキリスト教が「ルドヴィコ療法」を批判する――非常に興味深いともいえる。

最後の一人「アレックスに暴行された『時計じかけのオレンジ』の作者=反体制作家」は、全体主義に傾斜する時代の流れを敏感に感じているインテリ層の人物だ。だが、彼はアレックスが妻を凌辱し、自身の心身にも大きな傷を与えた犯人であるこを知ってしまう。彼は政府を糾弾するため、アレックスを利用し――そう、彼は単なる理想主義のインテリではない。アレックスなど「モダンエイジ」の被害者だけの存在ではない。彼は目的のために手段を正当化する政治闘争の人間としても描かれている。

『時計じかけのオレンジ』の舞台と60年代のイギリス社会

アンソニー・バージェスが小説『時計じかけのオレンジ』を発表した1962年の英国は、保守党のハロルド・マクミラン(在任期間:1957年1月10日-1963年10月19日)の首相在任期間だった。

世界は米ソ冷戦による核爆弾の脅威に晒され、人類は「世界の終わり」を日常的に意識する時代に突入した。また、大量の――ベビーブーマー世代が社会の至る所に影響を与え始めた時代でもある。

人口の多いベビーブーマー世代は、それまでの既存の文化、慣習、モラル、階級からの規制、制約を超え、社会には寛容な空気が漂い始める。大麻、LSD、経口ピルと東洋の神秘主義の時代――男性は長髪となり、女性のスカートは短くなる。既存の価値が絶対の価値ではないこと、つまり、自由で寛容な社会が始まった時代である。

だが、社会は振り子のように左右に動く。右に大きく振れれば、左への揺り戻しも大きくなる。社会が自由と寛容な時代に振れれば、その反動が始まる。

1960年代は自由と寛容の時代に対する規制の始まりの時代でもあった。それは、政治的な左右の両側からの逆襲であり、宗教からの逆襲であり、既存の道徳からの逆襲であり、「治安を回復する」という大義からの逆襲だったのだろう。

なお、「平成 元年版 犯罪白書 第4編/第2章/第4節/2」によれば、1960年代までの英国の殺人罪、性的暴行罪など重大事件の認知件数、発生率などは日本のそれらよりも低かった(「暴力的犯罪が一般的に少ないほか,殺人,傷害致死,強盗殺人のような悪質かつ重大な犯罪のきわめて少ないことがイギリスの犯罪現象の大きな特色」「イギリスにおける犯罪は,最近数的には増加しているものの,全体としてみれば比較的良好な状態にあるといえよう」引用:昭和37年版 犯罪白書 第一編/第二章/五/1 )が、70年代前半頃には日本よりも多くなる。
これには本邦の犯罪件数の減少なども関係するが、1987(昭和62)年の殺人罪の発生率をみると日本が1.3、英国は5.5だった(なお、米国は8.3)。

60年代以降のイギリスでは重大犯罪が増加したといえるだろう。そして、その萌芽は既に60年代から始まったとも推察される。

  1. 資料:「平成 元年版 犯罪白書 殺人事犯の認知件数・発生率及び検挙率(1960年~1987年)」
  2. 資料:「平成 元年版 犯罪白書 殺人事犯の発生率(1946年~1987年)」

小説『時計じかけのオレンジ』は、そのような時代のなかで近未来の仮想の英国を舞台にする小説として登場したのだろう。

では、小説・映画『時計じかけのオレンジ』が発表された60年代初頭から70年代初頭の日本はどうだったのだろう?日本でも米英仏などと同じようにベビーブーマー世代(団塊の世代)が新たな価値を創造し始めた。そして、その自由で寛容な風潮は80年代に絶頂を迎えるまで続く。だが、米英などの社会と同様に日本にも揺り戻しの時代がやってくる。「行き過ぎた自由を規制する」「他人を不快にする表現は規制するべきだ」「体感治安は悪くなっている」などを理由に左右の政治陣営が主に道徳的規範などを理由に非寛容な主張を行い、法やルールを作り、その法やルールを厳格に運用する時代が始まる。

そう、小説・映画『時計じかけのオレンジ』の時代が世界中で始まっているのかもしれない。

『時計じかけのオレンジ』小説版の最後(第21章)

小説『時計じかけのオレンジ』と映画『時計じかけのオレンジ』の最後は大きく違う。小説『時計じかけのオレンジ』では、映画『時計じかけのオレンジ』の有名なラストシーンの後の主人公アレックスが描かれている。

「ルドヴィコ療法」の影響から解放された主人公アレックスは17-18歳になっていた。アレックスは新たなドルーグと行動を共にしながら――完全に以前の「彼」に戻ったのだが――以前の「彼」とは何かが違う。

詳細は割愛するが――彼は大人になったのだ。

アレックスからの最後のメッセージを紹介しよう。

でもみなさん、おおわが兄弟よ、たまには汝のかわいいアレックスのことを思い出してもらいたいな。アーメン。そしてくそくらえだ

アンソニー・バージェス(著)乾信一郎 (訳)「時計じかけのオレンジ 完全版」早川書房2008年P310

小説・映画『時計じかけのオレンジ』――現代のわれわれが受け継いだこの偉大な遺産を――われわれは、次代に継承することができるのか。

それこそが、この偉大な傑作小説・映画『時計じかけのオレンジ』のテーマの一つである。


★参考文献
小関隆(著)『イギリス1960年代 ビートルズからサッチャーへ』中公新書2021年(リンク先はAmazonです)

★アイキャッチ画像
解説:English: Colonial Theater advertisement for the film A Clockwork Orange (1971) – 11 Jul. 1972 Morning Call, Allentown PA. At the time of this ad, the film was rated X in the Unite States.
日付:1972年
原典:Allentown PA Morning Call スキャナで取り込み
作者:Warner Bros.

動画を再生すると主人公アレックスが口ずさんだ”Singin’in the Rain”『雨に唄えば』の音楽が流れます。なお、この動画はSinginInTheRain1929-GusArnheim.oggの音源を利用して作成。


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Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

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