ある日突然、人が消えることがある。古来より、日本ではこうした事象を神隠しと呼び、原因を神や妖怪といった神秘的な存在に求めた。現代でも神隠しの概念は廃れておらず、状況が不可解な行方不明事件があれば、「神隠し事件」と銘打たれることもある。
今回はそんな神隠しという事象について、今に残る伝承や創作物から、より細かな姿を探っていきたいと思う。
因みに、神隠しは日本のものと思われがちだが、海外にも似た伝承が残っている。この記事では、日本に留まらず海外にも目を向けていきたい。
神隠しとは
そもそも神隠しとは何なのか。基礎的な所からおさらいしていこう。
神隠しとは、人がこつぜんと姿を消す事象のことを指す。後にも触れるが、深い山や森などで起こることが多く、女性や子供があいやすいとされている。
現代は科学技術の発展した世界だ。不可解なことが起これば、科学的思考で考え、解決しようとする。しかし、昔は今と全く違った。理解しきれない、説明できないことが起こると、「人ならざるもの」に答えを求めたのである。妖怪の発祥にはこうしたものが多く、「鳴家(やなり)」などがその代表格だろう。
人々は山の神や山に住む化け物(鬼や山姥)、さらには天狗といった存在を神隠しの原因として考えた。そして、彼らにさらわれた人間を取り返すのは容易ではない。山や森は神や妖怪の世界であり、人間の世界とは全く異なる場所だからだ。
山や海を異界、もしくは、死後の世界として捉える文化は多い。神隠しにあうとは、そうした世界に足を踏み入れることに他ならないのである。
伝承から見る神隠し
ここから先は、日本と世界の各地に残る神隠しやそれに連なる伝承をご紹介していこう。
遠野物語
民俗学に興味がない人でも、柳田国男や彼が編纂した『遠野物語』は聞いたことがあるだろう。この『遠野物語』」にも、神隠しにまつわる伝承がいくつか載っている。そのうちの2つを、わかりやすい形で下記に書いていく。
①上郷村(現・岩手県上郷町あたり)で、1人の女性が栗拾いのため山に入り、そのまま帰ってこなかった。家人は女性が死んだと思い、彼女の枕を形代として葬式を行った。
そのまま2、3年が過ぎた頃、1人の猟師が山の中に入り、その女性と出会った。彼女は山に入った際、恐ろしい人にさらわれ逃げることができなかったのだという。
女性が言うに、その人は普通の人のように見えるけれども、非常に背が高く、目の色も少し違う。女性との間に何人か子が生まれたものの、自分に似ていなければ、殺したり食べたりするのだという。また、そうした人は1人ではないようで、家に4、5人集まることもあるのだとか。
女性の話を聞いていた猟師だったが、こうしている間にも帰ってくるかもしれないと言われ、恐ろしくなって帰ってしまった。
②夕暮れ時(黄昏時)に女性や子供が家の外に出ていると神隠しにあうというのは、どの地方でも言われていることだ。松崎村(現・岩手県松崎町)の寒戸という所で、若い女性が梨の木の下に草履を脱いだまま行方不明になった。
それから約30年後のこと。女性の生家に親戚知人が集まっていると、年老いその女性が姿を現した。帰ってきた理由を尋ねてみると、みんなに会いたかったからだという。その後、女性は再びどこかへ去っていった。
女性が帰って来た日は強風の日だった。そのため現在でも、風が強い日は「サムトの婆が帰ってきそうな日」というのだそうだ。
1つ目の話は、山に住む謎の人に女性がさらわれた話だ。特徴を見てみると、人を喰う以外の化け物的要素は少なく、体格のよさや目の色から外国人を彷彿とさせる。
神隠しの原因が天狗だとする話があるが、天狗のルーツを外国人に求める話も少なくない。こうした部分の類似性が見られる話の1つである。
2つ目の話はもう少し分かりにくい。怪異的なものはあまり感じず、どちらかというと、本人の意思で家を出ていったかのように思える。昔の日本が女性1人で生きていけるかというと、そう甘くはないだろう。何にしても、詳細が語られていないため、30年間に何があったのかは想像するしかない。
先の話にあったように、神隠しは女性や子供、特に精神的・知的に問題がある場合にあいやすいとされる。突発的に家を飛び出しやすいという現実的な側面もあるだろうが、心に隙が多い場合、不思議な存在に付け込まれやすいとも考えられるだろう。
チェンジリング
神隠しに似た伝承の1つに、ヨーロッパの「チェンジリング」がある。チェンジリングとは、取り替え子のことだ。
ヨーロッパに伝わる伝承によると、妖精は時折、人間の赤ん坊をさらっていくとされる。
その際、妖精は人間の赤ん坊の代わりに魔法をかけた木の棒や、人間とは似ても似つかない、しわくちゃの妖精(の子)を置いていく。
木の棒は最初赤ん坊に見えるが、その魔法はすぐに効果が切れてしまう。
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なぜ妖精が子供をさらうのか。その本当の理由は彼らにしか分からないだろうが、「かわいがりたい」という願望が根本にあるとされている。美しい容姿、特に金髪の子供は妖精の好みのようで、さらわれやすいとされている。
木の棒ではなく妖精と子供が取り替えられた場合、いくつかの見分け方が今に伝わっている。「木の実の殻でビールを醸す」・「妖精の丘を燃やすと脅す」・「卵の殻を煮て、火かき棒を真っ赤に焼く」などがその一例だ。 チェンジリングはヨーロッパ各地に伝わっている。
昔は、それだけ子供の行方不明事件が多かったのだろう。日本と同じく、子供は異界との距離が近いのだろうか。
ハデスとペルセポネ
ギリシャ神話のハデスとペルセポネの話もまた、神隠しに近い性質を持つ物語だ。ただし、ペルセポネの母・デメテルの目線から見た場合ではあるが。その内容を、大まかに以下で書いていく。
「ある日、冥界を治めるハデスは、エロスとその母・アフロディテの策略により、デメテルの娘・ペルセポネに強い恋心を抱くことになる。ハデスはいてもたってもいられず、ペルセポネをさらい、冥界に連れていってしまった。
やっとの思いで娘の居所を知ったデメテルは、ゼウス(ハデスの弟でもある)に娘を取り戻すための相談を持ち掛ける。ゼウスはそれを聞き、「冥界の食べ物を口にしていない場合」のみ、ペルセポネが地上に戻ることを受け入れた。
しかし、ペルセポネは冥界のザクロの果汁をすすってしまっていた。その結果、彼女は1年の半分を地上で、もう半分は冥界で暮らすことになったのである。
これは神話であるため、日本に残る神隠し譚とは少し違うと考えるかもしれない。しかし、ペルセポネは抗うことのできない力によって、冥界へと連れていかれた。
冥界は地底にある。ペルセポネの母は強い力を持つ豊穣伸だが、地底にその力は届かない。冥界は、地上とは全く異なる場所なのである。
生命の育まれる場所から、死者の世界へ。ヨモツヘグイ(あの世のものを食べるとこの世に帰ってこられなくなる、というルール)の観点から語られることの多い物語だが、神隠しと共通の要素があることが分かるだろう。
創作物から見る神隠し
ここからは、マンガやアニメといった創作物から、神隠しの姿を紐解いていきたいと思う。
千と千尋の神隠し
神隠しにまつわる代表的な作品と言えば、スタジオジブリの「千と千尋の神隠し」だろう。本作には神隠しの要素、さらに、先に挙げたヨモツヘグイの概念が取り入れられている。
神隠しを語る上で欠かせない要素とは、すなわち「境界」である。神隠しが起こりやすいとされる山は、あの世とこの世の境目とされる。さらに、黄昏時は「逢魔が時」とも言われ、あの世とこの世が交じり合う、常ならぬ時間である。
本作では、境界がいくつも描かれている。道祖神のような不思議な像、この世と不思議な世界を繋ぐトンネルに、その間に流れる大河。そして何より、夕暮れ時。千尋とその両親は、これら全てを超えてしまい、異世界へと取り込まれることになったのである。
さらには、千尋本人とその両親のヨモツヘグイにより、彼らはこの世へと帰ることが難しくなった。千尋は消えないために丸薬を飲み、その両親は欲望に負けて神々に提供する食べ物を貪った。
その土地の食べ物を食べるのは、その世界の理を体の中に取り込むということだ。神隠しが世界の境界で起こるのであれば、ヨモツヘグイは見過ごせない要素の1つだろう。
諸星大二郎「闇の鶯」
筆者が個人的に大好きな漫画家が、怪奇系の物語を得意とする諸星大二郎だ。彼が書いた「闇の鶯」という作品にも、神隠しを見ることができる。
「闇の鶯」は、山姥の元を訪れることになった若い男性を描く物語だ。ただし、山姥は昔話のような恐ろしい存在ではなく、地母神としての一面を持つ、恐ろしいながらも懐の深い存在として描かれている。
主人公の男性は、山の中をさまよううちに山姥(美女)の屋敷に辿り着き、そこでしばらくの間過ごすことになる。その屋敷には入ってはいけない部屋があり、それぞれが外の世界(おそらく時間軸がずれている)へと繋がっている。つまり、屋敷はこの世のものではないのだ。
その屋敷で暮らす間、主人公はこの世とは違う世界にいることになる。この世(分かりやすく言えば会社など)には姿を出さず、異界で浦島太郎のような生活を送るのだ。浦島太郎もまた、神隠し譚と言えないでもない。
山姥もまた、神隠しの原因に挙げられることが多い存在だ。本作は、民俗学の観点からも非常に興味深い作品だと言えるだろう。
まとめ
神隠しという事象について、伝承や創作物から語ってきた。それぞれに関係がないと思っていた伝承同士にも、意外な共通点があることが分かったことと思う。
神隠しとは、人の恐怖心だけでなく、好奇心もあおるものだ。神隠しにあった先で、その人はどんなことを体験したのだろう。どんな物事を目にしてきたのだろう。考えれば考えるほど、怖いと同時にワクワクしてくる。
この記事で取り上げただけでなく、世界中の様々な伝承を調べれば、神隠しに似たものはもっと見つかることだろう。正直、ここで書いて来たことだけでは調べたりないし書き足りない。
もっともっと調べて、色々な神隠し譚を知ることで、これまで見られなかった側面が見られるのではないか。そういった観点から、筆者は「神隠し」というキーワードを調べ続けたいと思っている。
※参考文献
著:柳田国男,編:大塚英志『神隠し・隠れ里 柳田国男傑作選』角川ソフィア文庫2014.
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