王子様に憧れ、人間になることを望んだ人魚姫。美しい歌声で船乗りの心を捉えてしまうローレライ。人魚が登場する物語は、どうしようもなく魅力的だ。そしてその伝説は、世界中に散らばっている。
世界に残る人魚伝説を読んでいると、その背景に流れるものが気になってくる。 そこで、この記事では世界の人魚伝説を集めてみた。そしてささやかではあるが、それぞれの比較や背景を探っていきたいと思う。
人魚を食べた八百比丘尼
まずは、日本の人魚伝説を見ていこう。日本に残る人魚の逸話の中で最も有名なものは、八百比丘尼(やおびくに・はっぴゃくびくに)にまつわる伝説だ。創作物の題材として用いられることも多々あり、漫画などで知った人も多いのではないだろうか。
八百比丘尼の伝説は日本の各地に残っている。大まかな筋は変わらないものの、ここでは特に有名な福井県小浜市のものを取り上げていきたい。
八百比丘尼の伝説とは、こんな内容だ。
「昔、小浜に住む長者が知人の催す宴会に誘われた。その宴会では人魚の肉が供されており、長者はその肉を、土産として持って帰ることにした。
長者には16歳になる娘がいた。この娘は父親が持って帰って来た肉をそうとは知らずに、こっそり食べてしまう。それから長い年月が経つが、娘は年を取らない。人魚の肉が、不老不死を娘にもたらしたからだ。長い生と親しい人の別れに嫌気がさした娘は、出家をして全国行脚の旅に出た。
やがて、再度小浜に帰ってきたかつての娘は、重病に苦しむ殿様に残りの寿命を譲ることにする。この時、娘は800歳になっていた。そして、空印寺にある洞窟で入定したのである」
空印寺とその洞窟は実在している。もし、この伝説に興味があるならば、一度訪れてみてはいかがだろうか(なかなか不気味な洞窟である)。
上記の「愛知県春日井市の円福寺周辺に伝わる「八百比丘尼」伝説の説明」をクリックすると大きな画像になります。
不老不死の妙薬と、それがもたらす悲しみ
八百比丘尼の伝説は、世界的に見ると少し異質だ。人魚がただ「食べ物」として登場するからだ。さらには、その人魚がもたらした不老不死は、八百比丘尼にとって不幸の素となっている。
世界に伝わる人魚の多くは、人を魅了したり襲ったりするものだ。人魚が人間を食べることはあっても、人間が人魚を食べることは限りなく少ない。
また、人魚の肉が八百比丘尼にもたらした不老不死。八百比丘尼本人はこれを喜んではいない。愛する人々が、皆自分より先に亡くなってしまうからだ。ただ一人生き残るのは寂しいものだろう。
しかし、世界には不老不死を追い求める考え方がある。西洋の錬金術師たちは賢者の石を追い求めたし、秦の始皇帝は不老不死の薬として水銀を飲み、反対に寿命を縮めた。中国の方士である徐福が始皇帝に取り入る口実は「不老不死の妙薬」を提供することだった。そもそも道教の目的は不老長生だ。
日本ではどうだろう。他国と比べると、不老不死を求める精神は薄いように感じる(無いとは言えないが)。八百比丘尼の伝説は言うまでもないが、浦島太郎にもそんなニュアンスが含まれている。地上に戻った浦島太郎は長い年月が経っていることを知り、とうとう鶴になって飛び立ってしまうのだ。古事記のニニギノミコトの逸話でも、自ら長生を手放す様が描かれている。 八百比丘尼の伝説の裏には、日本独特の死生観が隠れているのかもしれない。そう考えると、「人魚伝説」というよりも、もっと根本的な部分を表していると思っても良いだろう。
アイルランドの妖精・メロウ
メロウはアイルランドに伝わる、ある意味で、典型的な人魚だ。彼らは男女の性別を持ち、男性は醜いが女性は美しい。女性のメロウは、度々人間の漁師と恋に落ちる。彼女たちにとって、醜い男性のメロウより、美しい容姿を持つ人間の男性の方が魅力的だからだ。
メロウが登場する伝説は意外と少ない。今に残る伝説の中から、イエイツが収集した物語を紹介しよう。
「昔、アイルランドのクレアという場所にジャックという男が住んでいた。彼の一族は漁師として生計を立てており、ずっと同じ、小さな入り江で暮らしていた。
ジャックには一つの望みがあった。それは、父や祖父がそうしていたように、メロウと仲良くなることだ。メロウは人と親しくなることができる。そして、彼らと仲良くなれば、何か良いことがあると考えられていたからだ。
ジャックの望みは叶った。彼の祖父や祖母と知り合いだったメロウのクーマラと友達になることができたのだ。
しかしジャックは、クーマラの隠し持っている籠の中に、海で亡くなった人の魂が閉じ込められていることに気が付く。それを何とかして解放してあげたいジャックは、クーマラを酔い潰し、その間に籠から魂を出すことにした。
その後も、ジャックとクーマラの交流は続いた。しかし数年後、クーマラはジャックの前に姿を現さなくなった。もしかすると、命を落としたのかもしれない」
比較的人間と近しい存在
メロウは、比較的人間と近い距離にある人魚たちだ。先に挙げた伝説のように人間と交友を深めることもあれば、人間と子を成すこともある。そうして生まれた子供は、全身が鱗で覆われているという。
ジャックとクーマラの伝説からは、アイルランドの人々が向ける、妖精に対しての親しみを込めた感情を感じ取ることができる(一応付け足すが、メロウは妖精の一種だ)。アイルランドに住む人々は、妖精と深い関係を持つ。彼らは妖精を恐れながらも愛したのだ。
メロウを含む妖精は、決して悪い存在ではない。クーマラは死者の魂をコレクションしていたが、そこには悪気などない。人間とは倫理観が異なるのだ。だからこそ、メロウは悪魔や悪鬼として退けられる存在ではない。
怪物として描かれるギリシャの人魚などに比べれば、メロウの描かれ方は静かで良心的だ。それは、アイルランド人の妖精観から来るものかもしれない。
しかし注意は必要だ。メロウを見ると海に大風が吹くという伝説がある。この伝説により「神(旧神)」と「良い隣人」という2つの側面を、メロウから感じ取ることができるだろう。 アイルランドの海を見てみたい。そこには、美しい女性メロウか、気さくで酒好きな男性メロウがいるかもしれない。
半人半魚の男神・グラウコス
次に紹介するのは、素晴らしい伝説と物語の宝庫であるギリシャ神話からだ。ギリシャ神話には、いくつかの人魚伝説が存在する。有名なセイレーンもまた、ギリシャ神話の英雄・オデッセウスと出会った怪物だ。もっとも、セイレーンは元々人魚の姿はしていなかった。そのため、この項では語らないでおこう。
セイレーンの代わりに解説していくのは、水にまつわる神であるグラウコスだ。この神は上半身が男性で下半身が魚の、まさに人魚といった見た目をしている。また、グラウコスは人間から神になった存在でもある。
以下に、グラウコスの物語の概略を書いていこう。
「グラウコスは、若い男性の漁師だった。ある日、彼は河の中にある島で、地上であるにも関わらず、魚が元気に跳ね回る様を見た。そんな様子を見るにつけ、不思議とグラウコスは水が恋しくなって仕方がない。とうとう彼は、自ら河に飛び込んだ。
河の神はグラウコスを受け入れた。そして神々は、海の支配者に相談し、グラウコスを神の一員に入れることにした。グラウコスの人間らしい部分や感情は、全て洗い流されたのである。
目が覚めたグラウコスは、新しい自分の姿を見た。肩幅は広く、髪は青くたなびいており、下半身は魚の尾のようになっていた。神々は、彼の姿を褒めた。
こうして彼は、神の一柱となったのである」
愛した人化け物に
ギリシャ神話には、恋や愛にまつわる物語が多数ある。男神・グラウコスの物語もまた、愛にまつわるものだ。
スキュラという怪物をご存じだろうか。スキュラはギリシャ神話を代表する恐ろしい怪物であり、人を食う化け物である。先に挙げたオデッセウスもまた、このスキュラに悩まされた。一説には、スキュラの姿もまた、人魚めいたものであるという。
このスキュラは、元々美しいニンフ(妖精のようなもの)だった。そして、それに恋したのがグラウコスである。しかし、スキュラはグラウコスの愛をはねつけた。そして、グラウコスを愛し、スキュラに嫉妬した魔女・キルケーにより、怪物の姿にされてしまうのである。
スキュラは、人魚の姿をしたグラウコスの姿に恐れをなしている。ギリシャ神話では、人魚とそれに類するものが恐ろしい存在として描かれることが多い。これは、ギリシャとアイルランドの違いを端的に表しているのかもしれない。
そもそも、ギリシャの神々はどうしようもなく人間的だ。浮気もするし嫉妬もする。嫉妬のあまり、夫の愛人を殺すこともある。
スキュラとグラウコスの愛が成就していたら、その後はどうなったのだろうか。
まとめ
世界各地に伝わる人魚伝説をご紹介してきた。ここにまとめたのはごく一部。本当に細かく調べれば、人魚やそれに類する物語は山の様にある。そして、その一つ一つがとても魅力的だ。人間には、人魚に惹かれる性質があるらしい。
人魚は創作物の題材としても、よく使われている。「リトル・マーメイド」や「崖の上のポニョ」などを見たことのある人も多いだろう。 こうした物語を観賞するときに、是非、この記事をお供にしてもらいたい。その隠れた裏側を見る助けになるかもしれないからだ。
★画像:パブリックドメイン
解説: 愛知県春日井市の円福寺周辺に伝わる「八百比丘尼」伝説の説明。
日付:2009年3月17日, 14:27:41
原典:投稿者自身による著作物
作者:KKPCW
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