「チェーンメール(不幸の手紙)」や「カーネル・サンダースの呪い」という言葉を聞いたことがあるだろう。もしかすると、その渦中に巻き込まれた人もいるかもしれない。
これらは現代的ではあるにせよ、確固たる「呪い」の一種である。
人間の長い歴史の中で、いくつもの呪いが生まれてきた。そしてその中には、今でも信じられ、密かに恐れられているものがある。 今回は、世界に伝わる有名な呪いの幾つかを紹介した上で、呪いと宗教との関係性を紹介していきたいと思う。
「呪い」とは何なのか
呪いには幾つかの言い方がある。「呪詛」や「まじない」などがその代表格だ。イメージ的には、呪詛は呪いの中でも強いもの。そして、「まじない」は少しばかり良いものだ。では、そもそも呪いとは何なのだろうか。
呪いという言葉が表す事象を端的に表現すると、「人が持つマイナスの気持ちを、人ならざるものの力を使って相手(集団の可能性もある)に伝えること」となる。
人形など人間ではないものが呪うこともあるとされるが、そもそも、呪いと人形は縁が深い。人形には魂が宿ると言われ、呪術で用いられる形代も、いわば人形の一種である。
また、呪いは言葉、さらに言えば「言霊」と強い関係を持っている。
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呪いという漢字を考えてみよう。口という漢字が含まれており、呪いと言葉が深い関係性を持つことが分かるはずだ。神仏に祈るための言葉・呪文である「祝詞(のりと)」は、呪いと語源が同じであると考えられている。
言葉と呪いの関係は、チェーンメールを例に挙げると分かりやすい。
チェーンメールとは、「不幸の手紙」の現代版だ。「このメールを〇名に回さなければ不幸になる」が常套句で、筆者もさんざん巻き込まれた覚えがある。
チェーンメールこそ、正に言葉による呪いの1つだ。「不幸になる」と言われると、どうしたって焦ってしまう。信じるものかと無視をしても、何だか気持ち悪くなってしまうのだ。
そして言葉には「言霊」があると言われている。言霊は言葉そのものに霊力があるとする考え方だ。わかりやすく言えば、「私は不幸だ」と言い続けていれば、自ら不幸を引き寄せてしまうのである。
人にマイナスの感情をまき散らし、少なくとも幸せにはしないチェーンメール。これが、「呪い」の本質をついていることは間違いないだろう。
そして、呪いが言葉で行われるものである限り、人が持つ名前すらも呪いになりかねない。せめて、良い人生を願う「まじない」であって欲しいものだ。
今も知られる世界の呪い
ここから、世界に伝わる呪いをご紹介していこう。 呪いを紹介するという記事の性質上、呪いの方法について説明する部分がある。
人を呪わば穴二つ。
絶対に真似をしないようにお願いしたい。
イザナミノミコトの呪い:日本
イザナミノミコトは、男神・イザナギノミコトと共に日本の国土を産みだした(国生み神話)偉大な女神だ。しかし彼女は、イザナギと現世の人々を呪った人物でもある。これは、日本神話に残る呪いの物語だ。
イザナミノミコトは夫神と多くの神を産んだのち、末子である火の神・カグツチを産んだことで大火傷を負い、死んでしまう。イザナギは妻を恋しく思って黄泉の国まで彼女を追うが、そこには変わり果てた姿をしたイザナミの死体があった。
イザナミは自分の姿を見られたことに怒り、現世に帰ろうとするイザナギを追いかける。しかし、イザナギは様々な方法を用い、イザナミから逃げ切ることができた。
現世と黄泉の境・黄泉平坂をふさぐ大岩を挟み、かつての夫婦神は言い合う。イザナミはイザナギを憎み、「1日に1000人の人を殺す」と呪いの言葉を吐く。イザナギは、「1日に1500人の子供を産ませる」と答える。 これ以来、人間は1日に1500人生まれ、1000人死ぬことになったのである。
丑の刻参り:日本
「丑の刻参り」は、おそらく日本で一番メジャーな呪いの1つだ。現代でも、丑の刻参りに使われた藁人形が見つかっている。筆者は、実際に木に打ち付けられた藁人形を見たことがある。
丑の刻参りは、おおむね以下の手順で行われる。
丑の刻参りに必要なものは、藁人形・五寸釘・白装束・五徳(コンロで鍋を乗せているもの)・3本のろうそく・鏡である。
まず呪者は白装束を着て顔を白く塗り、火の着いたロウソクを立てた五徳を頭に乗せなくてはならない。そして、丑の刻(午前1時~3時)に神社を詣で、ご神木に五寸釘で藁人形を打ち付けるのである。これは7晩続けられ、絶対に人に見られてはならない。呪いが成就すれば、呪われた人は死にいたる。
この呪いの発祥は、京都にある貴船神社であるとされている。貴船神社には「丑の年丑の月丑の日丑の刻」に詣でれば願いが叶うという伝説があるためだ。
現在、貴船神社は夜に入ることができない。また、本来の丑の刻参りは、かなりの長距離を歩かなくてはならないようだ。夜でも明るい現代に、人に見られず歩くのは難しい。呪いに失敗すると障りがあるとされるため、実践は避けた方が無難だろう。
蟲毒:中国
「蟲毒」という言葉は、漫画などで見知った人が多いことだろう。この呪いは、中国に古来より伝わる動物を使った呪いの1つだ。
蟲毒の方法は分かりやすい。1つの壺に何匹もの毒虫(ムカデや蛇など)を入れ、最後の1匹になるまで共食いをさせる。そして、最後の1匹になった毒虫の毒を食べ物に混ぜれば、対象者を殺すことができる、というものだ。
この呪いの特徴は、共食いという恐ろしい行為を経た生き物を、呪いの道具として用いるという点である。「毒殺」という現実的な要素を持つ呪いではあるものの、その因果はより深い。犬をわざと苦しめて殺す「犬神」に近いジャンルでもある。
実際の所、古代中国は呪いの宝庫だ。そして、古代中国は血で血を洗う歴史を持つ国でもある。蟲毒のような恐ろしい呪いが生まれても仕方がないのかもしれない。
邪視(イービルアイ):ヨーロッパ
「目は口ほどにものを言う」という諺があるが、「邪視」はまさに、そんな呪いだ。
邪視は世界各地に残る伝承の1つである。ここでは、一応の括りとしてヨーロッパの呪いとしてご紹介していきたい。
邪視とは、人々に呪いをかける力を持つ目のことである。特にお金持ちが呪われる可能性が高いと言われており、その目に見られることで呪いを受け、ゆっくり死んでいくことになる。魔女や青い目の人が、この力を持つと言われていた。
多くの呪いが意図的であることに比べ、邪視は、本人が認識していない場合があるとされている。好もうと好むまいと、見ただけで人を死に至らしめる。これは、そんな恐ろしい呪いなのだ。
ちなみに、この呪いの力の源泉は「嫉妬」にあると言われている。人々は嫉妬し、嫉妬されるのを恐れていたのだ。丑の刻参りも、元々は嫉妬にかられた女性が行う呪いだとされている。それほどまでに、嫉妬の力は強いのである。 邪視については、対処法が各地に伝わっている。もし嫉妬が怖い人がいるのであれば、試してみるとよいだろう。
呪いと宗教の関係性
それなりの数の人が同じコミュニティで生活していれば、呪いは生まれるだろう。それぞれが違う個人である以上、妬みや嫉み、意見の食い違いがあるからだ。
そして同じく、それなりの人々が共に暮らしている以上、宗教も生まれることだろう。自分たちでは解決できない問題が起こったとき、人間には寄る辺が必要だからだ。
だからこそ、呪いと宗教は縁が深い。様々な土着宗教で呪いの方法が語られており、また、呪いを避ける方法も考えられている。また時には、宗教の根本に関わる人物が呪いを与えることすらある。その代表格こそイエス・キリストだ。イエス・キリストは、見かけで人をだましてしまうイチジクの木を呪い、枯らしてしまったのである。
イエス・キリストの例は少し特殊かもしれないが、呪いと祝詞が同じ語源であるように、宗教と呪いも表裏一体だ。人々は神に偉大性や救いを求めると同時に、計り知れない力を持った存在を利用して、自身の敵に害を与えたいと考えるものなのだ。 宗教と呪い。それは、原始、人の心に根差している存在なのである。
まとめ
人を呪えば、それが自分に返ってくる。人を呪わば穴二つ。人間は昔からの呪いを恐れ、呪いという行為を戒めてきた。しかし、呪いは人々の間からなくなることがない。それは、人間の基本的な部分に、妬みや嫉みといった心が潜んでいるからだ。
この記事でご紹介してきた呪いの多くは、現代でも薄れていない。だからこそ五寸釘や藁人形が見つかるのだし、漫画などのメディアに取り上げられるのだ。
呪いは意外と身近にある。巻き込まれないように、そして、当事者にならないように、注意しよう。
◆画像引用
鳥山石燕『今昔画図続百鬼』1779.
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