夫はだれだった:「山森将智家」と二人の妻『嘘を愛する女』の実話

記事『夫はだれだった・山森将智家』イメージ画像

1991年5月19日、50歳の男性が東京都内の病院で病死した。男性は末期ガンだった。男性の名前は「山森将智家」の筈だった。

けれども男性の名前は「山森将智家」ではなかった。名前どころか、戸籍記載事項から勤務先まで全てが嘘(ウソ)だった。

真実を欲する妻を取材した「夫はだれだった」というタイトル記事が朝日新聞に掲載されたのは、同年の11月のことだった。

「夫はだれだった」の見出しと記事内容は、読み手の心を刺激したのだろう。後年、同記事をモチーフにした小説『嘘を愛する女』(岡部えつ,徳間文庫,2017年)が発表され、翌年(2018年)には映画化されている。 この奇妙な事件の顛末と自分以外の自分になるという選択をした人間たちや、それが可能だった余白のあった時代について考察していこう。

「夫はだれだった」新聞記事

親しい者やペットの死は残された者に大きな悲しみと動揺を与える。だが、残された者は、その悲しみが癒される間もなく行政手続きを行わなければならない。なぜなら、死亡届は死亡を知った日から7日以内に提出と定められているからだ。

日本国民は、自分が自分であることを国家(役所)に証明させるため、人生の節目、節目に、出生届、結婚・離婚届、死亡届等を提出し、それらの情報を戸籍(戸籍の附票には住所歴が記載される)に記載させる。

賛否両論はあるが、戸籍はある人物の人生と身分関係(国籍、相続・財産分与等に必要な婚姻・親子関係)を証明する(第三者に対抗・証明できる)便利なシステムでもある。

それは、自分が自分であることを他人に証明する最も有効な手段だ。

残された53歳の妻も悲しみを抱えらながら病死した夫(夫が偽名のため事実婚だと思われる)の死亡届を提出しようとしたのだろう。 そして、この誰もが経験する愛する者の死という出来事のなかで、この特異な事件は始まった。当時の報道を見てみよう。

夫はだれだった 5月病死、戸籍も勤務先も「ウソ」 
東京都世田谷区の病院で今年5月、中年の男性が病死した。その男性と5年間連れ添っていた女性(53)が、夫は本当はだれだったのか、今も調べ続けている。男性は「山森将智家(やまもり・まさちか)、京都生まれで職業は医師」と自称していた。本人の言う生年月日からは、亡くなったとき50歳。ところが、死亡届を出そうとしたところ、本籍地には「山森」の名前も親類も探し当たらない。持っていた身分証明書や戸籍抄本のコピーは、いずれも偽物とわかった。調べれば調べるほど、「山森」氏の過去は霧の中に消える。なぜ、自分を消そうとしたのか、それもわからない。 男性が死亡したのは5月19日。がんが全身に転移していた。世田谷区役所は、内縁の妻のA子さんから事情を聴き、「山森」氏として埋葬を許可。A子さんの手で納骨された。 さまざまな遺品がある。 (1)「昭和15年京都市左京区で出生」とある、戸籍抄本コピー(2)昭和40年東大医学部卒業の証明書コピー(3)顔写真をはった浜松医科大学職員の身分証明書(4)ドイツ語の書き込みがある医学書やノート。簡単な診療器具のカバン(5)男性によく似た軍服姿の父と母の写真(6)原稿用紙700枚に及ぶ書きかけの小説。(1)(2)(3)はどれも該当者がなかった。 A子さんと男性は、86年暮れに知り合った。離婚裁判を抱えていたA子さんは、相談に乗ってもらうようになる。男性は「過去」について雄弁だった。両親を亡くし祖母に育てられたが、今は身寄りがないこと。心臓外科医で週末だけ研究室で実験していること……。 出会った翌年夏、世田谷区内の月7万円のアパートで、2人で暮らし始めた。生活費にはA子さんの離婚慰謝料があてられた。男性はふだんは家で読書をし、土曜日に「浜松へ行く」と言って出かけ、月曜まで帰らない。
 若いころ結核を患い、内臓を悪くしたという。具合は悪くなる一方なのに、病院へ行くことは拒んだ。健康保険などない。昨年秋、ほとんど寝たきりになる。 A子さんも、このころから疑い始めた。 今年5月初め、寝たきりのはずなのに、男性が家を空けたことがあった。あわてて浜松医科大に駆けつけたが、そんな人物は在籍していないという。 A子さんは詰問した。「あなたは一体だれなんですか」。死ぬ間際にこう言い残した。「死ぬしかなかった。本当は生きていたかったんだ」 A子さんは「決して彼にだまされたとは思わない。でも、2人で過ごした5年間のためにも、突きとめたいのです」という。 半年間、いろんな場所や人を尋ね歩いた。警察にも相談したが、手がかりは、まだ見つかっていない。

朝日新聞1991年11月4日付

5年間一緒に暮らした男性の正体がわからなくなった妻は、当然ながら激しく動揺しただろう。SNS等ない時代だ。新聞読者からの夫に関する情報提供に望みを掛けたのだろうことは容易に推察できる。

以下は、報道にある「山森将智家」の経歴のまとめである。

1名前:山森将智家
2生年:1940(昭和15)年
3出生地:京都府左京区
4経歴:1965(昭和40)年東京大学医学部卒
5勤務先:浜松医科大学職員
61986(昭和61)年暮れ女性と知り合う
71991(平成3)年5月19日 都内病院で死亡
報道にある「山森将智家」の経歴

報道された遺された所持品は、「戸籍抄本コピー」、「東大医学部卒業の証明書コピー」、「浜松医科大学職員の身分証明書」、「ドイツ語の書き込みがある医学書やノート」、「簡単な診療器具のカバン」、「男性によく似た軍服姿の父と母の写真」、「原稿用紙700枚に及ぶ書きかけの小説」である。

戸籍抄本の謎

「山森将智家」の遺品のうち、最も気になる遺品は、「戸籍抄本のコピー」だろう。

戸籍抄本(抄本は戸籍謄本に記載されている「ある個人」の箇所だけを謄写したもの)には、筆頭者(未婚の場合は基本的に親が筆頭者である。結婚歴がある場合は本人または婚姻相手が筆頭者となる。さらに離婚の場合は本人が筆頭者である)及び本籍地、両親の氏名、(例えば、父○○××、母○○▲▲の長男として、東京都渋谷区内で出生等の記載があり、結婚した場合は、結婚相手の氏名と新たな本籍地が記載される)等の記載事項が明記されている。

戸籍法が改正されたのは、1994(平成6)年だ。それ以前は、現在のように電算化された形式ではないため、「山森将智家」の「戸籍抄本」は、手書きで縦書きに書かれたものだろう。

一般的に考えらえる戸籍抄本の利用場面は、パスポート申請であるが、遺品にパスポートは無い。また、そもそも「山森将智家」の戸籍抄本は、本人が偽造したものと判断できるため、偽造戸籍抄本を使いパスポート申請すること自体が非常に難しいだろう。 このことから、「山森将智家」の「戸籍抄本」は、公的機関への提示目的として偽造されたものではなくもっと私的なこと――つまり、自分が「だれ」なのかを相対する特定個人(例えば妻)に証明する――に使う目的があったと推察される。

過去を隠した者たち

前述のとおり、「山森将智家」の「戸籍抄本」は、私的な使用目的のため偽造されたと推察されるが、他人の戸籍を手に入れ、元々の戸籍の人物に偽変した者達もいる。

次の章では、それらの者達の具体例を少しだけ紹介しよう。

疎外と逃亡

「山森将智家」に関する報道がなされた1990年代を中心に他人の戸籍を入手し、他人として生活していた者達の報道を確認したところ、以下の3つの事件に関する報道があった。

  1. 1994年12月31日、福岡県警外事課と同県警八幡東署の合同捜査本部に書類送検(外国人登録法違反等の容疑)された福岡県福岡市中央区在住の在日韓国人72歳の元福岡市職員男性の事件(参考:他人の名で市職員20年在日韓国人が日本人に「死亡」抄本で発覚、読売新聞1995年1月1日付など)。
  2. 1995年5月28日、岡山県警勝英署に逮捕された60歳の韓国籍男性は、25年に渡り他人名で生活していたといわれる(参考:戸籍買い取り、他人名で25年 借金苦で蒸発の男逮捕、朝日新聞1995年6月29日付)。
  3. 1995年7月15日頃、詐欺罪で起訴され保釈中に逃亡した65歳の会社役員が収監された事件。同男性は詐欺の罪により1983年11月に起訴され、同年12月に保釈されたが、収監されるまでの約11年間、第三者から買った夫婦の戸籍を使い他府県で生活していた。また、同男性は逃亡中に戸籍売買で手に入れた他人の名前を使い健康器具販売会社を経営していたといわれる(参考:詐欺罪の会社役員 夫婦で逃亡“天の網”戸籍買い11年間他人の顔,毎日新聞1995年7月15日付)。

上記3つの事件のうち、1、2は在日韓国人が日本人の戸籍を手に入れ、日本人として長期間生活していた事件である。さらに、1の事件の72歳男性は、1963(昭和38)年に福岡市職員に採用されて以来、1984年の定年まで同市役所で働き、定年後も市の嘱託職員だった。

同男性は日本人の戸籍を使った理由について「就職(市の職員になるため)に有利だと思った」等と述べていたらしい(40年間、他人になりすます 元福岡市職員の男性摘発 「就職に有利」と住民登録、産経新聞1995年1月6日付)。

どうやら、1945(昭和20)年8月15日の終戦(敗戦)により、日本社会から疎外された在日韓国人と自らの借金や犯罪により社会から逃亡を企てた夫婦がいたようだ。彼(女)らは、他人の戸籍を盗み見し、他人から戸籍を買い取り――自分の人生を再始動させようとしたのだろう。

偽造戸籍抄本を所持していた「山森将智家」は、社会から疎外されたのだろうか?社会から逃亡したのだろうか?さらに調査を進めてみよう。 なお、長期間にわたり逃亡していた元オウム真理教信者は、役所で他人が申請書類に書き込む氏名、住所などを「横目」で盗み見し、他人に「なった」といわれている。

他国の工作員

1987年11月29日に発生した大韓航空機爆破事件や1970年代頃から80年代頃に頻発した北朝鮮による日本人拉致事件(問題)には、日本人の戸籍を盗む等(所謂、「背乗り」)し日本人に偽変した北朝鮮工作員の関与が捜査当局等により認定されている。

日本国内での工作活動、スパイ活動、国内外の破壊活動や日本人等の拉致事件を実行するため、北朝鮮の工作員は、1960年代から日本各地で実在する日本人の戸籍を入手し、実在する日本人として生活し、入手した戸籍を使い日本国政府発行のパスポートを手に入れた。

つまり、実在人物の戸籍を使い「だれ」かに偽変することは、彼(女)らの犯罪実行のための常套手口の一つなのだ。

では、「山森将智家」は、どうだろうか?

ここでの着眼点は、「山森将智家」の「戸籍抄本」が、偽造戸籍だということだろう。そう、「山森将智家」の「戸籍抄本」は、社会からの疎外や社会からの逃亡、他国の工作員等が使った実在の人物の(本物の)戸籍ではないということだろう。

つまり、「山森将智家」は、社会からの疎外や社会からの逃亡を理由にする人物ではなく、他国の工作員でもないと言えるだろう。

クヒオ大佐と結婚詐欺師

近年、所謂「ロマンス詐欺」と呼ばれる詐欺被害が社会問題になっている。彼(女)ら詐欺師は、被害者となる女性に、軍人、要人等の職業・役職を名乗り、荒唐無稽な話を補強するための小道具を用いて被害者の恋愛感情を巧みに操る。

1970年代から90年代――奇想天外な人物設定と荒唐無稽な話で結婚詐欺を繰り返したTという男性がいる。彼は、サー(Sir)・ジョナ・エリザベス・クヒオ(米軍)大佐を名乗り数名の女性から金銭を騙し取った。(名前のジョナは、小説『かもめのジョナサン』からの創作。エリザベスは英国王室出身を名乗るため。クヒオはハワイのカメハメハ大王の末裔を意味する)

彼は、「米軍特殊部隊が所有している特殊な戸籍」(引用:吉田和正『結婚詐欺師クヒオ大佐』(P90)幻冬舎2009.)や軍服、戦闘機の写真、戦場からと称する電話等で女性を騙し、様々な理由の延べ金銭を詐取した。(ただし、被害者女性のなかには、真相を知った後も被害を訴えない者がいた)

「山森将智家」は、どうだろうか?偽造した戸籍抄本のコピー(自作の戸籍抄本をわざとコピーし劣化させ、本物との紙質の違いや印字の違いの言い訳にしたのだろう)や「顔写真付きの浜松医科大学職員の身分証明書」、「ドイツ語の書き込みがある医学書やノート」、「簡単な診療器具のカバン」を所持していた。これらの遺品は、「山森将智家」になりきるための小道具だといえるだろう。

では、「山森将智家」は、結婚詐欺師だったのか?結論から言えば、彼は結婚詐欺師ではないだろう。彼は女性を騙し多額の金銭を詐取していない。彼が女性から得た金銭的利益は、生活費と家賃代(女性の部屋に転がり込んだため)だと思料されるため、多額の金銭を詐取するロマンス詐欺やクヒオ大佐とは目的が違うと推察される。

寛容の時代

1990年代頃まで日本社会には余白があった。何らかの理由により社会から逃げ出す人間、社会からの疎外に耐え切れず新たな自分を演じる人間を受け入れる寛容さがあった。

所謂、「訳ありの者」と呼ばれる身分証明書を持たない者でも生活できる場があった。スポーツ新聞や週刊誌の求人欄には「訳ありの人間」を対象とする求人があった。だが、社会が浄化され漂白されるに従い、「訳ありの人間」が住める場所が消え、それまでの人間関係からの逃避や人生の再起動の機会を奪ってしまったのかもしれない。

「山森将智家」は、寛容な時代のなか、新たな人物となり、新たな人生を掴もうとしたのかもしれない。

次の章では、「山森将智家」の正体に迫る当時の報道を紹介しよう。

山森将智家とは「だれ」だったのか?

「山森将智家」の遺品には、「男性によく似た軍服姿の父と母の写真」と「原稿用紙700枚に及ぶ書きかけの小説」がある。

「男性によく似た軍服姿の父と母の写真」は、「山森将智家」の両親が日本人(日韓併合後の朝鮮人軍人の可能性もあるが)であることを想像させる。やはり、「山森将智家」は、民族的な出自により社会からの疎外を受け「山森将智家」を名乗ったのではないのだろう。

「原稿用紙700枚に及ぶ書きかけの小説」のタイトルや内容わからないが、小説・映画『嘘を愛する女』では「山森将智家」の正体を探る大きな手掛かりとして描かれている。

ここからは、「山森将智家」の正体に関する報道を紹介しよう。

捜し続けるもう一人の妻がいた 「夫はだれ」その「医師・山森」
 今年5月にがんで死んだ男性の自称していた本籍や勤務先がすべてウソと判明し、5年間連れ添ったA子さん(53)=東京都世田谷区=が「夫はだれだったの」と身元を捜していたが、19日までに、この男性は神奈川県に住むB子さん(50)と24年前に結婚した電気設備業者だったことが、関係者の証言などで判明した。男性は結婚後、5年ほどして行方がわからなくなったといい、A子さんと暮らし始めるまでの15年間は依然、空白のままだ。 今月4日付本紙で男性のことが紹介された後、寄せられた情報でB子さんの存在がわかった。 男性は、「1940年に京都市左京区で生まれ、職業は浜松医科大の医師」と称してニセの戸籍抄本コピーや大学の身分証明書などを持っていたが、B子さんによると、戸籍では1927年8月生まれで、死んだ時は63歳だった。京都市生まれであること、大学医学部に入学したことは自称と同じだが、大学は卒業していないという。A子さんに名乗っていた「山森将智家(やまもり・まさちか)」は偽名だったが、仕事などで使ったことがあった。 男性は、東京の電気設備会社に勤務していた時にB子さんと知り合い、67年11月に結婚、入籍。本籍地は神奈川県内に置いていた。男性の両親や兄弟とは絶縁状態で、結婚後も行き来はなかったが、A子さんに「父親の写真」として残したのと同じ写真が、B子さんの手元にもあった。 男性は72年ごろに退職し、東京で電気設備関係の会社を設立した。しかし、受注がうまくいかず、営業の仕事で地方へ出張しているうちに連絡が途絶えた。B子さんは、離婚や失跡宣告の手続きをしないまま、夫を捜し続けていた。 一方、男性は86年末にA子さんと知り合い、世田谷区内のアパートで暮らし始めた。週末になると「浜松へ行く」といって出かける生活。昨年秋から体調が悪化し、今年5月、救急車で病院へ運ばれ、「死ぬしかなかった。本当は生きていたかったんだ」と言い残して死んだ。

朝日新聞1991年11月20日付

「山森将智家」の正体は、1972(昭和47)年頃に神奈川県内から失踪した、1927(昭和2)年生まれ63歳の男性だった。

もう一人の妻

上記の報道から「山森将智家」には、法律婚(入籍した)の女性がいたことがわかる。1967(昭和42)年に結婚と報道されているため、結婚による同居期間は約5年間だ。もう一人の妻は1941(昭和16)年生まれだと推測されるため、26歳で結婚し、31歳の頃に夫が失踪したことになる。

彼女の夫が「山森将智家」になった正確な時期はわからないが、もう一人の妻は31歳から約20年も夫の帰りを待っていたのかもしれない。 約20年間、離婚もせず、失踪宣告も受けず夫を待ち続けたもう一人の妻が新聞報道で夫の死を知る。さらに、夫は別人として生きていた。

もう一人の妻が受けた衝撃は察するに余りある。

未解明な山森将智家の人生

「山森将智家」になる前の彼は、1927(昭和2)年に京都府京都市左京区で生まれた。終戦の頃(昭和20年頃)に大学の医学部に入学したことから考えれば、彼は富裕層・エリート層の生まれだったのかもしれない。

彼が大学を辞めた理由はわからないが、突然、畑違いの電気設備関係の職についた。この時期、彼の人生に大きな変化があったのだろう。医学部中退のインテリと彼が過ごした政治の季節――。失踪以前から偽名を使っていたことや新たな生活を手にした後も土日は外泊していたことを考え合わせれば――想像は無限に広がる。

事業を始めた彼は、資金繰りに困り社会から逃亡したのかもしれない。けれども、妻が長期間に渡り離婚しなかったことから考えれば、彼は大きな借金を抱えていたとは思えない。

失踪の理由は金銭面の問題だけではなかったのかもしれない。彼が完全に「山森将智家」となったのは、朝日新聞に「夫はだれだった」の情報提供を求めた女性と出会った1986(昭和51)年以降だろう。 彼は同女性と暮らすため、偽造戸籍や「東大医学部卒業の証明書コピー」、「浜松医科大学職員の身分証明書」、「ドイツ語の書き込みがある医学書やノート」、「簡単な診療器具のカバン」を用意したのかもしれない。その動機が女性への愛だったのか、自分の利益のためだったのかは――第三者の我々には永遠にわからないが――。


◆参考文献
夫はだれだった5月病死、戸籍も勤務先も「ウソ」、朝日新聞1991年11月4日付
捜し続けるもう一人の妻がいた 「夫はだれ」その「医師・山森」、朝日新聞1991年11月20日付
他人の名で市職員20年 在日韓国人が日本人に「死亡」抄本で発覚、読売新聞1995年1月1日付
40年間、他人になりすます元福岡市職員の男性摘発 「就職に有利」と住民登録、産経新聞1995年1月6日付
別人なりすまし40年・福岡県警外事課など・72歳の男性を摘発・元市職員、北海道新聞1995年1月6日付
戸籍買い取り、他人名で25年借金苦で蒸発の男逮捕、朝日新聞1995年6月29日付
詐欺罪の会社役員夫婦で逃亡“天の網”戸籍買い11年間他人の顔、毎日新聞1995年7月19日付
岡部えつ『嘘を愛する女』徳間文庫,2017年.
吉田和正『結婚詐欺師クヒオ大佐』幻冬舎2009.

◆映像
『嘘を愛する女』監督:中江和仁、出演:長澤まさみ、高橋一生、吉田鋼太郎、2018年.外部リンク:東宝MOVIEチャンネル『嘘を愛する女』予告


◆平成の(未解決)事件

◆関連記事


Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

この著者の最新の記事

関連記事

おすすめ記事

  1. 記事『広島市中区地下道16歳少女刺殺事件』アイキャッチ画像
    広島市中区地下道で発生した16歳少女の刺殺事件は、2000年1月20日に起こった。広島市中…
  2. 記事『グリコ・森永事件脅迫状の深層心理:義賊か、義賊か、悪党か』アイキャッチ画像
    1984年、日本社会はグリコ・森永事件と呼ばれる前代未聞の事件に直面した。本事件(警察庁広…
  3. 記事『映画『イーグル・アイ』 デジタル監視システムからAI倫理までを考察』アイキャッチ画像
    スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮する映画『イーグル・アイ』は、2008年に公開された…
  4. 記事「映画『ウーナ』作品解説:子供の頃に受けた傷が影響するもの」アイキャッチ画像
    本作は見ているのが辛くなる作品である。過去の記憶に捉われ、どうしようもない閉塞感を味わう女性の姿だ。…
  5. 記事『グリコ・森永事件とかいじん21面相の思想背景』アイキャッチ画像
    本記事は、1984年に発生したグリコ・森永事件の犯人組織「かいじん21面相」の思想的背景を…

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク

ページ上部へ戻る