加茂前ゆきちゃん失踪事件

子供の行方不明事件は、行方がわからない当事者(本人)と残された親族だけの問題ではない。

ある日突然、子供が家庭や学校や地域社会から忽然と消え、友人・親族の知人・学校・地域・社会全体に大きな衝撃を与える。

残された親族の日常が一瞬で崩壊し、出口のない不安が心を支配し、暗闇の世界の全てを覆い尽くす。

残された親族は行方不明の子供の安否を心配するとともに無事の帰宅を祈り続ける。解決の糸口さえ掴めない事案では行方不明となった「理由だけでも」知りたいと願うだろう。

山梨キャンプ場女児失踪事件(2019年9月21日16時頃発生、2022年5月14日、死亡が確認)や千葉県流山市の事案(2022年9月23日昼頃発生、2022年10月6日死亡確認の報道(参考:千葉市川 川で見つかった遺体 行方不明の女児と確認 NHK NEWS WEB 10月06日13時40分配信)など2022年も子供の行方不明事案(事件)が耳目を集めた。

2022年11月の「現在」から約31年前(1991年3月15日)に発生した「加茂前ゆきちゃん失踪(行方不明)事件」。当時8歳の女児が自宅を出たまま所在不明となり約31年の歳月が流れた事件。

生年月日昭和57年5月9日生(当時8歳)
発生日時平成3年3月15日午後2時30分頃
発生場所三重県四日市市内の自宅を出たまま所在不明
着衣特徴水色地に水玉模様の長袖ブラウス
うす茶色スカート
黒色ビニール靴
出典:三県警察本部HP

後日、自宅に送られてきた「ミユキカアイソウ」などと書かれた不気味な怪文書の分析・検証を含め「加茂前ゆきちゃん失踪(行方不明)事件」を考察・検証する。

事件概要

1991(平成3)年3月15日金曜日。

三重県四日市市富田浜町内の会社員A氏(当時50歳)の三女、加茂前ゆきちゃん(以下、ゆきちゃんと記す)が行方不明となる。

ゆきちゃんが通学先の四日市市立T小学校から帰宅したのは14時頃だといわれ、夜勤明けの父親は仮眠中だった。

14時30分頃、母親が自宅に電話するとゆきちゃんがその電話に応対したといわれる。だが、ゆきちゃんの姉が帰宅した15時30分頃、ゆきちゃんの姿は自宅にはなかった。

ゆきちゃんは、母親が自宅に電話した14時30分頃以降から姉が帰宅した15時30分の間に自宅から姿を消したことになり、三重県警の公式ホームページにも「発生日時:平成3年3月15日午後2時30分ころ」とある。

同ホームページに記載された当日のゆきちゃんの着衣は、「水色地に水玉模様の長袖ブラウス、うす茶色スカート、黒色ビニール靴」、日頃から着用していた上着や自転車は自宅に置いたままだったらしく、「ゆきちゃんの自宅には、いつも着ていたジャンパーが残っており、ココアが飲みかけのままで、普段はカギをかけて外出するのに、この日はカギをかけていないことも分かった。(引用:行方不明の加茂前ゆきちゃん、手がかりなく1ヵ月  朝日新聞 1991年4月12日付 朝日新聞 1991年4月12日付)」などの報道が散見される。

国土交通省気象庁のホームページに掲載されている観測地点「津」の1991(平成3)年3月15日のデータ(リンク先は気象庁HP)によれば、同日の6時-18時の天気は「晴」、18時-翌日6時は「晴後曇一時雨」、平均気温は4.4℃、最高気温8.7℃、最低気温0.4℃。野外で長時間過ごすには、上着が必要だと思われる気温である。

事件当日の目撃情報からの考察

ゆきちゃんの行方がわからなくなった1991(平成3)年3月15日14時30分以降、いくつかの真偽不明の目撃情報に関する報道がある。

行方不明の加茂前ゆきちゃん、手がかりなく1ヵ月  四日市市富田浜町、溶接工加茂前芳行さんの3女、富田小学校2年ゆきちゃん(8つ)が、先月15日に行方不明になって、間もなく1カ月になる。四日市北署の対策本部は11日、ゆきちゃんに似た女の子が車に乗るのを見たなど、新たに寄せられた情報を公表したが、依然、はっきりした手がかりはつかめていない。ゆきちゃんの父親芳行さんは、この1カ月、仕事を休んだまま。「電話が鳴るたびに、どきっとする。なにを食べているのか、寒くはないか……。考えだすと眠れなくなる」と話している。対策本部に入った新しい情報では、15日午後3時半ごろ、ゆきちゃんの自宅から東へ約70メートル付近で白いライトバンから男性が降り、5分ほどしてゆきちゃんの自宅の方角から女の子を連れて戻り、10分ほど車内で話したあと、走り去った。女の子の背格好や服装の一部が、当日のゆきちゃんと似ていた。ただ、同じ時間帯に、ゆきちゃんが学校方面に歩いていたという情報もあり、同署は、車の持ち主を捜している。一方、同日午後4時半ごろ、小学校の校庭で、クラブ活動などの9人の児童がジャングルジムで遊んでいるゆきちゃんを目撃しているが、このうち2人が、校庭を横切って南門から十四川堤防道路に出て、東へ歩く女の子を見ていることも分かった。体形がゆきちゃんに似ているという。ゆきちゃんの自宅には、いつも着ていたジャンパーが残っており、ココアが飲みかけのままで、普段はカギをかけて外出するのに、この日はカギをかけていないことも分かった。対策本部は「あわてて出かける何かがあったということも考えられる」と、詳しく検討している。

朝日新聞 1991年4月12日付

上記の報道のうち、16時30分頃の小学校の校庭にあるジャングルジムで遊ぶ「ゆきちゃん」の目撃情報は、9人の児童による証言のため、信憑性の高い目撃情報だと言えそうだ。

警察の公開捜索が始まった1991年3月17日の読売新聞では「ゆきちゃんは十五日午後四時半ごろ、学校の運動場で友達と話しているのを上級生が見たのを最後に行方がわからなくなった(引用:三重・四日市で8歳の少女が行方不明)」と報じられ、事件から4年後の1995年3月17日の中日新聞でも小学校の「校庭で遊んでいるのを数人の児童に目撃された後、行方が分からなくなった(引用:どこへ消えた加茂前ゆきちゃん 四日市で行方不明まる4年 卒業証書渡したいが 今月退職の富田小校長 元気な姿を見せて)」と報道されている。 基本的にマスコミによる事件報道は、警察の記者クラブへの公式会見(通称、レク)または番記者による「夜討ち朝駆け取材」(記者が個人的に親しい捜査員の自宅などに訪問などして非公式を含む捜査情報などを得る手法)を情報源にする。

前述の「ジャングルジムで遊ぶゆきちゃんを9人の児童が目撃した」という報道は、目撃された女児を「ゆきちゃん」と断定する報道だが、「ゆきちゃんに体形の似た女児が、小学校の校庭を横切り、南門から十四川堤防道路に出て、同道路を東へ歩いていった」の目撃情報は「ゆきちゃん」との断定はない。

★地図は三重県四日市市富田浜町付近

ここで着眼したいのは、「ゆきちゃん」は、一人で遊んでいたのか?ゆきちゃんと思しき女児は一人で十四川堤防道路を東に歩いていったのか?の二点だろう。

仮にゆきちゃんが友達など複数の児童と遊んでいた場合は、「友人と遊ぶゆきちゃん」と報道され、当然ながら警察はその友達に事情を聞いているだろう。

「友人と遊ぶゆきちゃん」との報道が確認されない(警察の公式会見“レク”及び番記者の「夜討ち朝駆け取材」から得た「ゆきちゃん関連情報」のなかになかったのだろう)ことから、「ゆきちゃんは一人でジャングルジムにいた」と考えるのが自然である。

ただし、上記の目撃情報は、「ゆきちゃん」に関する一つの情報に過ぎない。思い込みを排除し、様々な視点から捜査、情報提供を考える三重県県警が、ホームページに「平成3年3月15日午後2時30分ころ」「三重県四日市市内の自宅を出たまま所在不明」と記載するのは当然である。

事故か?事件か?

ゆきちゃん失踪当日の目撃情報のなかでも比較的精度の高い情報に分類されうる「ジャングルジムで遊ぶゆきちゃんを9人の児童が目撃した」、「ゆきちゃんに体形の似た女児が、小学校の校庭を横切り、南門から十四川堤防道路に出て、同道路を東へ歩いていった」から考えれば、ゆきちゃんは14時30分から15時30分の間に自宅を出て、通学先のT小学校の校庭で遊び、16時30分過ぎ頃に南門から学校を出て、「十四川堤防道路」を東に歩いたと考えられる。

上記の仮説から、ゆきちゃんは、「十四川堤防道路」を東に向かい(自宅方向か?)、その途中で河川、海などに転落などした可能性が考えられる。

事件当時も「(前略)同署では、同九時五十分に家族からの捜索願を受け、同夜から捜索を始めたが、十六日夜現在、手がかりはつかめていない。同署では、事件、事故両面で捜索しているが、自宅が海に近いため、転落した可能性もあるとして、捜索には海保巡視艇も動員した。ゆきちゃんは身長一メートル二九、体重三十九キロ、丸顔の小太りで長髪。水色の水玉模様のブラウス、茶色スカート、黒色のズック靴姿。(引用:不明の小2女児は海に転落か 読売新聞 1991年3月17日付)」と報道され、1991年3月21日付の中日新聞は、事件、事故の両面を考慮しながら「行方不明になって以来、船やヘリコプターなども動員警察官延べ四百八十四人、同小PTAや地元自治会など延べ七百三十人が捜索にあたった。また約二万七千枚のチラシを配り、最後にゆきちゃんが目撃された自宅から北西約一キロの同市富田一の同小学校を中心に、臨海部から約十キロ入った山間部のダムまで捜索したが見つからなかった(引用:事件に巻き込まれる? 小2女児不明1週間 警察が対策本部 四日市)」と報じている。

ここでの最大の疑問は、ゆきちゃんが、「自宅が海に近いため転落」したとしても、自ら誤って転落したのなら事故となり、誰かに転落させられた(落とされた)のなら事件となる、だが――現在(2022年11月の時点)でもその手がかりはつかめていないようだ。

事件の可能性を考察

ゆきちゃんの自宅や通学先T小学校は三重県の四日市市の北部に位置する。前述のとおり、同地域が伊勢湾の富田漁港などに近い立地のため、ゆきちゃんが何らかの理由により河川、海などに誤って転落した可能性もあるが、第三者(犯人)により、誘拐などされた疑いもある。

1970年代~90年代は、日本の各地で児童誘拐や行方不明事件が多発した時代だった。(参考記事:『64(ロクヨン)』と功明ちゃん誘拐殺人事件

ゆきちゃんが失踪した1990年代の中部・東海地方の岐阜県内でも、ゆきちゃんが失踪した直後の1991年3月、岐阜市内在住の小学4年生女児(9歳)が行方不明となる事件(参考:岐阜の小4女児、行方不明に 3月末に自宅出たまま 朝日新聞 1991年4月6日付)が発生し、1994年には、三重県伊賀市内の女子中学生が被害者となる殺人事件(参考:三重・伊賀町 女子中学生のバラバラ遺体事件 新潟の29歳男を逮捕 NHKニュース1994年9月2日付)、同年5月には岐阜県内の小学2年生女児(7歳)が殺害される(参考:岐阜の小2女児殺害容疑、近所の20歳男性を逮捕 毎日新聞 1994年5月1日付)という痛ましい事件が確認される。

ゆきちゃんに関する目撃情報のなかに「ゆきちゃんの自宅から東へ約70メートル付近で白いライトバンから男性が降りた」、「5分ほどしてゆきちゃんの自宅の方角から女の子を連れて戻り、10分ほど車内で話したあと、走り去った」、「女の子の背格好や服装の一部が、当日のゆきちゃんと似ていた」などがあることから、ゆきちゃんが誰かに連れ去られた可能性もある。また、前述のとおり、ゆきちゃんが河川、海などに転落したと仮定する場合でも第三者が関与し、ゆきちゃんを転落などさせたことも考えられるが――「白いライトバン」の「情報提供のお願い」や「白いライトバン」の所有者を特定した、などの後追い記事などは確認できなかった。

怪文書「ミユキカアイソウ」を分析する

情報の出所は確認できなかったが(TV番組などで放映されたのだろうか?)、ゆきちゃんの失踪から3年後(1994年頃)、A氏宅に「ミユキカアイソウ」から始まる有名な怪文書が郵送されてきたという。

なお、A氏宅には、その後も福岡県在住の霊能力者を名乗る人物からの手紙やゆきちゃん失踪から12年後の2003年頃には、不審な中年男性からの電話があったともいわれている。

3枚の紙に書かれた「ミユキカアイソウ」から始まる怪文書は、平仮名、カタカナ、漢字を組み合わせた約700字の文章である。手紙の宛先であるA氏の氏名を間違え、ゆきちゃんの名前を「みゆき」と間違え、作者が事件の犯人または関係者と推測する「股割レ」にも「股割レ/股ワレ」の二種類の表記がある。これらの間違い(違い)が意図的なものなのか、単なる勘違いなどによるものなのかは不明であるが、作者は「(み)ゆきちゃん」と「(み)ゆきちゃんを探す父母」を「カアイソウ」(かわいそう)と表現し、その悲しみの元凶である犯人または関係者を「股割レ」だと推測し告発している。

さらに、「ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタ ヒラヒラ サシテ ワガ子ヲサガシテ、広いダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル(みゆきちゃんの母親がか弱い羽根をバタバタ、ひらひら、させ、我が子を探している)」と安西冬衛の詩『春』(「てふ」は「蝶」のこと。春になると中国大陸から「韃靼海峡=間宮海峡」を越え日本にわたる蝶。その蝶を思い浮かべながら日本に帰れない自分を重ねた詩)を引用しながら母親の心情などを斟酌している。

「ミユキカアイソウ」から始まる怪文書全文のPDF
怪文書全文 音声読み上げに対応しています

上記のPDFは「ミユキカアイソウ」から始まる怪文書の全文である。「ミユキカアイソウ」から始まる怪文書は、※一般的な怪文書とは異なり、特定の組織や個人を名指し、事件への関与・関係などを断定していない。

※一般的な怪文書の例:「松本サリン事件に関する一考察」「東電OL殺人事件の怪文書『日本の企業、司法、マスコミ、政府に抗議警告します』」などは、特定の団体、人物を名指しで攻撃している。

「ミユキカアイソウ」から始まる怪文書は、「股割レ/股ワレ」が事件に関係していると「オモイマス」、「事件ガ大キイノデ、決シテイソグテバナイトオモウ」とあくまでも作者個人の見解を述べているだけだ。当然ながら「股割レ/股ワレ」は個人名ではない。「股割レ/股ワレ」が、暗号、アナグラム、暗喩、属性・風習・慣習などの記号の類なのだから、「股割レ/股ワレ」が犯人と断定しても良い筈だが、作者は断定していない。

また「確証ヲ掴ムマデ捜査機官に言フナ」「キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト」「事件ガ大キイノデ、決シテイソグテバナイトオモウ。」とも述べている。作者は「股割レ/股ワレ」が犯人だという確証を得ていないが「股割レ/股ワレ」を告発したいと考えたのだろう。

以下は、「株式会社ユーザーローカル」が提供するAIテキストマイニングを使用した「ミユキカアイソウ」から始まる怪文書の3行・5行・10行要約と重要な文のみを抜粋などしたハイライトである。

<3行要約>

ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタヒラヒラサシテワガ子ヲサガシテ、

モウ春、三回迎エタコトニナル

コンナコとヲシタノハトミダノ股割レトオモイマス

<5行要約>

ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタヒラヒラサシテワガ子ヲサガシテ、

モウ春、三回迎エタコトニナル

コンナコとヲシタノハトミダノ股割レトオモイマス

おっカアモカアイソウお父もカアイソウ

事件ガ大キイノデ、決シテイソグテバナイトオモウ。

<10行要約>

ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタヒラヒラサシテワガ子ヲサガシテ、

モウ春、三回迎エタコトニナル

コンナコとヲシタノハトミダノ股割レトオモイマス

おっカアモカアイソウお父もカアイソウ

事件ガ大キイノデ、決シテイソグテバナイトオモウ。

股ワレワダレカ、ソレハ富田デ生レタコトハマチガイナイ

一片の良心ガアル、罪悪ヲカンズルニヂカイナイ

時ニハ駅のタテカンバンニ眼ヲナガスコトモアル、

イま(ゑ)ハーケータショーノチカクデ四ツアシヲアヤツツテイル

広いダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル

ユーザーローカルAIテキストマイニングによる分析

<ハイライト>

コンナコとヲシタノハトミダノ股割レトオモイマス

イま(ゑ)ハーケータショーノチカクデ四ツアシヲアヤツツテイル

感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動イ、タ。

ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ、コンナ平和希求トハチガウ

ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタヒラヒラサシテワガ子ヲサガシテ、

股割レハ平気ナソブリ、時ニハ駅のタテカンバンニ眼ヲナガスコトモアル、

一片の良心ガアル、罪悪ヲカンズルニヂカイナイ

股ワレワダレカ、ソレハ富田デ生レタコトハマチガイナイ

事件ガ大キイノデ、決シテイソグテバナイトオモウ。 ヤツザキニモシテヤリタイ股割レ。、ダ。

ユーザーローカルAIテキストマイニングによる分析

AIテキストマイニングの要約などから、作者が「コンナコとヲシタノハトミダノ股割レトオモイマス」と感想を述べながら、行方不明の子と子を探す両親の悲しみにを想像し、引き合いに出し、「股割レ/股ワレ」を「ヤツザキニモシテヤリタイ」と激しく非難していることがわかる。

だが、「股割レ/股ワレ」の「犯行」動機については、「アサヤン」という人物と思しき「者」からの指示らしいと濁すだけであり、「アサヤン」の犯行動機も示されていない。

作者の「股割レ/股ワレ」に対する非難の矛先は、関与を疑う「加茂前ゆきちゃん失踪(行方不明)」事件だけに留まらない。非難の矛先は「股割レ/股ワレ」の人生、道徳観(貞操感)などにまで及んでいる。そこからは作者の「股割レ/股ワレ」に対する私怨が垣間見える。

では、「股割レ/股ワレ」は誰なのか?個人か?組織か?属性・風習・慣習などを現す記号か?

怪文書の1枚目と2枚目に「股割レ/股ワレ」の経歴と現況(作者が怪文書を作成した当時の現況)に関する以下の記述がある。

「股ワレワ ダレカ、ソレハ富田デ生レタコトハマチガイナイ」
(「富田」は三重県四日市市内の地名だと思われる)
「学こうヲデテ シュンガノオモテノハンタイノ、パーラポウ ニツトめた」
(最終学歴は不明だが、何らかの学校を卒業後、「パーラー某」または「パーラーボウ」に就職した)
「イつノ日か世帯ヲ持チ、ナンネンカシテ 裏口ニ立ツヨウニナッタ」
(時期は不明だが、結婚などした)
「イま(ゑ)ハー ケータショーノチカクデ 四ツアシヲアヤツツテイル」
(現在は、何者か?を操っている。または、何者かを雇っている)
「ヒル間カラ テルホニハイッテ 股を大きくワッテ 家ノ裏口ヲ忘レテ シガミツイタ。
「感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動イタ。」

(アサヤンと不倫などの関係にある。アサヤンの指示に従い「事件」を実行した。ただし、アサヤンの「動機」は書かれていない)
加茂前ゆきちゃん失踪(行方不明)事件の資料

また、3枚目では再度、「股ワレワ ダレカ、ソレハ富田デ生レタコトハマチガイナイ」と富田出身だということを強調し、さらに、「キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト」とA氏に助言していることから、「股割レ/股ワレ」が作者が創り出した架空の人物でないと仮定するなら、事件後もA氏の生活圏(三県県四日市市内など)にいることを示唆している。

「ミユキカアイソウ」から始まる怪文書が「暗号文」などの類であり、その目的がA氏家族に犯人を教えることだと仮定すると、暗号解読の「鍵」となる言葉がある筈だ。

暗号解読の「鍵」は、平仮名、カタカナ、漢字を混ぜた言葉のなかにあるとも推察でき、A氏家族がそれらに気づき暗号文章を解読したのなら、「股割レ/股ワレ」の正体が暴かれ、既に事件は解決などしている可能性が高い。

だが、2022年現在でも事件が解決していない。つまり、「ミユキカアイソウ」から始まる怪文書は、作者が個人的に恨みを持つ「股割レ/股ワレ」なる人物を非難し、同人物を――慎重にだが――加茂前ゆきちゃん失踪(行方不明)事件に関連付け、攻撃(憂さ晴らしなど)するために書かれた文章だと思料され、事件解決には繋がらない「単なる怪文書」だと判断される。

考察のまとめ

ゆきちゃんが忽然と消えた1991(平成3)年3月15日金曜日、(「津の観測地点」)平均気温は4.4℃だった。

ゆきちゃんが16時30分頃まで学校の校庭にいたとするならば肌寒さを感じただろう。ゆきちゃんは上着を自宅に置いたままだったといわれている。

ゆきちゃんは寒さを感じながら「十四川堤防道路」を「一人」で東に向かったのだろうか?向かう理由はあったのか?帰宅しようと思い、その道を歩いたのか?

たしかに、山梨キャンプ場女児失踪事件(2019年9月21日16時頃発生)や千葉県流山市の事案(2022年9月23日昼頃発生)の児童も「現時点」では「一人」で行動したと考えられている(特に「千葉県流山市の事案」は、偶然、付近を走行した車のドライブレコーダーに児童が一人で河川の土手に上る児童の姿が映っていたと報道されている)。

飲みかけのココアを残したまま消えた児童――帰宅を待ちわびる家族の元に奇妙な怪文書や意味不明な電話がかかる。「失踪した理由」「原因」だけでも知りたいと願う家族は奇妙で不思議な手紙や電話に意味を求め、時に希望を感じ、時に絶望を感じ、結局はなにもわからず、心のなかに悲しみが沈殿し――家族の気持ちは察するに余りある。


◆引用・参考文献
千葉市川 川で見つかった遺体 行方不明の女児と確認 NHK NEWS WEB 10月06日13時40分配信
行方不明の加茂前ゆきちゃん、手がかりなく1ヵ月 朝日新聞 1991年4月12日付
三重・四日市で8歳の少女が行方不明 読売新聞 1991年3月17日付
どこへ消えた加茂前ゆきちゃん 四日市で行方不明まる4年 卒業証書渡したいが 今月退職の富田小校長 元気な姿を見せて 中日新聞 1995年3月17日付
不明の小2女児は海に転落か 読売新聞 1991年3月17日付
事件に巻き込まれる? 小2女児不明1週間 警察が対策本部 中日新聞 1991年3月21日付
岐阜の小4女児、行方不明に 3月末に自宅出たまま 朝日新聞 1991年4月6日付
三重・伊賀町 女子中学生のバラバラ遺体事件 新潟の29歳男を逮捕 NHKニュース1994年9月2日付
岐阜の小2女児殺害容疑、近所の20歳男性を逮捕 毎日新聞 1994年5月1日付


★独自考察の未解決行方不明事件(事案)

★独自視点の怪文書考察


Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

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