
世田谷一家殺害事件
本記事はこれまで検証、考察などした世田谷一家殺害事件の「まとめ記事」である。以下は各頁の主な内容。
警視庁管内の平成三大未解決事件の一つといわれる世田谷一家殺害事件。
世田谷一家殺害事件は、90年代、00年代を生きた人々や社会に、オウム真理教の一連の事件や酒鬼薔薇事件などの凶悪事件と同様の強烈な印象を与え、その後の社会のあり方や人々の意識を大きく変化させと言っても過言ではないだろう。
以下の報道は事件翌日2000年12月31日のNHKの報道である。――事件発生当時――多くの国民が事件の早期解決を漠然とながら感じていたのではないだろうか。あれから20年以上の歳月が流れた。20年は長い年月だ。せめて一刻でも早い事件の全面解決を望む。
子ども2人含む一家4人殺害 物色の跡あり強盗事件として捜査 東京・世田谷
2000.12.31 NHK
きょう東京・世田谷区にある住宅で、小学生と保育園児の子ども二人を含む一家四人が刃物で刺されて殺害されているのが見つかりました。室内には物色したような跡があり、警視庁は四人が昨夜からきょう未明にかけて住宅に侵入した何者かに殺害されたとみて、強盗殺人事件として捜査しています。きょう午前十一時前、世田谷区上祖師谷(カミソシガヤ)にある会社員の宮沢みきお(ミヤザワミキオ)さん(四十四)の住宅で、宮沢さんと妻の泰子(ヤスコ)さん(四十一)、それに長女で小学校二年生のにいなちゃん(八)と長男で保育園児の礼(レイ)ちゃん(六)の四人が死亡しているのが見つかりました。警視庁で調べたところ、四人はいずれも首などを刃物で刺されるなどして死亡していて、二階の台所に血の付いた包丁が二本残されていました。また、二階の部屋のタンスが開けられて書類が散乱するなど、室内を物色したような跡があることから、警視庁は強盗殺人事件として捜査しています。これまでの調べによりますと、四人のうち宮沢さんは、ふだん着でしたが、三人は寝間着とみられるジャージ姿で倒れていて、きのう午後六時ごろ、妻の泰子さんが隣に住んでいる泰子さんの母親と電話で話をしたということです。こうしたことから、警視庁は四人は昨夜からきょう未明にかけて住宅に侵入した何者かに殺害されたとみて、不審な人物が目撃されていないか聞き込み捜査を進めています。
本サイトは過去5回にわたり、世田谷一家殺害事件の犯人の属性、犯人像、侵入経路、犯人の移動手段、犯行までの経緯や犯人の目的、被害者A氏及び家族との関係、なぜ犯人は逮捕されないのか、犯人を逮捕するために必要な手段はなにか、などの考察、検証を記した。
世田谷一家殺害事件の検証の結論(私説)
その、結論は次のとおりだ。
世田谷一家殺害事件の犯人は、日系移民の子孫である。事件当時、犯人は被害者A氏家族に土地鑑のある『奥沢駅』から東、東南方面の東京城南地域で生活していた。
世田谷一家殺害事件の犯人の親族は、被害者A氏及び家族の知人だった。事件当時の犯人はその親族が所有する城南地域の集合住宅に居住などしていた。
動画『未解決事件 仮説!世田谷一家殺害事件』Clairvoyant reportチャンネル
事件発生(2000年12月30日)から20年以上が経過するがこの事件は必ず解決すると思われる。
20年以上の歳月が流れ新たな目撃情報なども減少すると思われるなか、捜査を進展され犯人を逮捕するのに最も有効な武器は、DNA捜査である。
世田谷一家殺害事件の概要の私説のまとめ
これまでの検証からの「世田谷一家殺害事件」の事件概要に関する仮説・私説を以下に記す。
これまでの検証からの「世田谷一家殺害事件」の概要の仮説・私説のまとめ
事件当日の2000(平成12)年12月30日(土曜日) 親族を通じて以前から被害者A氏及びその家族と知り合い関係にあった当時15歳から20代の日系移民の子孫Xは、凶器の「柳葉包丁」を所持し、当時の居所のある東京都城南地域(「奥沢駅」から半径約3キロメートル圏)に所在する親族所有のマンションから外出した。 Xの居所から被害者A氏宅のある「東京都世田谷区上祖師谷3丁目」までは約10キロから13キロ。自転車で小一時間の距離にある。 事件前まで被害者A氏及び家族は犯人Xに悪感情は持っていなかっただろう。犯人Xに殺意の感情が芽生えていたとは想像もしなかっただろう。 被害者A氏はXの訪問を許し玄関から招きいれた。リビングに案内されたXは、上着、マフラー、手袋を外す。パジャマ姿の被害者A氏の妻も顔を出したかもしれない。被害者A氏とXは少し話をしただろう。 この話こそX訪問の目的または口実となる会話だろう。 その話の流れもあり、被害者A氏は席を立ち1階の仕事スペースに向かう。被害者A氏が仕事スペースに降りた後、Xはこれまでの間に芽生えた被害者A氏またはその家族に対する殺意を伴う強い悪感情を「突然」爆発させる。 最初に長男を襲ったXは、冷静を装い被害者A氏の仕事スペースに降りる。ここでもリビングでの会話(X訪問の目的などの会話)の続きがあったかもしれないが、2人は2階にリビングに戻ることとなる。階段を上がる途中、振り返った被害者A氏に包丁を隠し持っていたXが、突然、襲い掛かり――戦後犯罪史に残る凶悪事件が発生した。 その「突然の爆発」が世田谷一家殺害事件の始まりであり、その後の凶行は各報道のとおりである。 「突然の爆発」から始まったこの犯罪史に残る凶悪事件の犯人Xは、その爆発と凶行の興奮のなかにいた。犯人Xは犯行後も被害者A氏宅に数時間は留まっただろう。 興奮が静まったのは、日付が変わった2000(平成12)年12月31日の深夜だろう。犯人Xは捜査の手が自分に及ぶことを避けるため、犯行現場及びその周辺に小さな小細工をしただろう。 その小細工と残忍な犯行手口が現在でも捜査を攪乱している。 犯人Xは日常の生活で自転車を使用していたと思われる。日頃から東京都城南地域の付近にある環状八号線を利用していただろう。 そして、世田谷一家殺害事件の当日も環状八号線を利用しただろう。 その後の犯人Xはどうなったのか?犯人Xは犯行時に自身の手に怪我をしたと推測される。過去の報道から警察は事件直後から警視庁管内及び全国の病院などに「手に怪我をした若い男性」の情報を求めているが、犯人Xの逮捕には至っていない。 このことから、犯人Xの手の怪我は予想より軽傷の可能性も考えられる。 そして、日系移民の子孫である犯人Xは、海外に居住する親族の元に戻った可能性が考えられる。 |
※上記はあくまでも筆者個人の見解です。ご注意ください。
次のページ:犯人像・犯人と被害者A氏及び家族との関係など