映画『MOTHER マザー』と2014年の埼玉県川口市祖父母殺害事件

映画『MOTHER マザー』と2014年の埼玉県川口市祖父母殺害事件

★ご注意:この記事には、映画『MOTHER マザー』のネタバレが含まれています。

映画『MOTHER マザー』 実母などからの児童虐待の被害者が加害者になった埼玉県川口市祖父母殺害事件

2022年1月27日、二年前(2020年)6月に発生した母親による保護責任者遺棄事件に関する以下の報道があった。

【速報】“旅行に出て育児放棄”3歳長女を8日放置し死なせた罪 母親が初公判で起訴内容認める 
3歳の長女を自宅アパートに置き去りにして旅行に出ている間に衰弱死させたとして保護責任者遺棄致死などの罪に問われている母親の梯 沙希被告(26)の初公判が東京地裁で行われ、梯被告は起訴内容を認めました。梯被告は、おととし6月、鹿児島に8日間の旅行に出た際、長女の稀華ちゃん(3歳)を東京・大田区の自宅アパートに鍵をかけて放置し、脱水と飢餓で死なせた罪などに問われています。梯被告は事件の3年ほど前に離婚してから稀華ちゃんと2人暮らしで、鹿児島への旅行は知人男性に会うためだったということです。稀華ちゃんは病院で死亡が確認されましたが数日間、食べ物を食べておらず胃の中は空だったということです。梯被告は逮捕後の警視庁の取り調べに対し「子供の面倒をみるのが大変でリラックスをしたくて旅行に行った」と供述していました。

TBS ニュース 2022年1月27日(木) 10:23配信

蒸し暑い6月のアパートの一室に8日間も置き去りにされ、飽食の時代の現代にありながら脱水と飢餓で生まれてからわずか3年の時間しか生きられなかったこの幼児の苦痛は想像を絶する。この3歳児は完全に母親や周囲の大人の被害者だ。

その後、2022年2月9日、上記事件の被告(母親)に対して懲役8年(求刑11年)が言い渡された。

3歳放置死 母懲役8年判決 東京都大田区のマンションに当時3歳だった梯稀華(かけはし・のあ)ちゃんを置き去りにして死なせたとして、保護責任者遺棄致死などの罪に問われた母親の梯沙希被告(26)の裁判員裁判で、東京地裁は9日、懲役8年(求刑・懲役11年)の実刑判決を言い渡した。平出喜一裁判長は「かけがえのない幼い命が奪われた犯行で、一人衰弱していった被害児のつらさと苦しみは言葉にしがたい」と述べた。判決によると、梯被告は2020年6月5~13日、交際相手のいる鹿児島県を旅行し、自宅に置き去りにした長女の稀華ちゃんを脱水と飢えで死亡させた。決は、被告が事件前から稀華ちゃんを自宅に置いて外出することを繰り返し、その慣れなどから同県への旅行を決めたと指摘。「悪質かつ身勝手な犯行だ」と非難した。一方で、被告自身が過去に壮絶な虐待を受けており、そうした成育歴が事件に影響を与えたとも認定。「被害児を置き去りにした判断は軽率だが、憎しみや積極的な害意による犯行ではない」と述べた。

読売新聞 2022年2月10日付

被告人自身も壮絶な虐待を受けたと認定された上記判決から親から子への虐待の連鎖や虐待問題の根深さが改めて浮き彫りになったともいえる。

そして、幼少期からネグレクト、心理的虐待、身体的虐待、性的虐待などを受け育ち、小学校5年から中学2年まで義務教育も受けられず、実母、義父、妹とラブホテルや路上で寝泊まりし、17歳の時に実母に心理的に追い詰められ祖父母を殺し金などを盗んだ罪で逮捕、起訴され有罪判決を受けた一人の加害者少年がいる。裁判で懲役15年の刑が確定したこの事件の加害者少年は刑法のうえでは加害者だが、同時に彼は母親や大人の被害者だ。

映画『MOTHER マザー』と「埼玉県川口市祖父母殺害事件」

2020年に公開された映画『MOTHER マザー』(監督,大森立嗣 主演,長澤まさみ,奥平大兼)は、母親との共依存や母親に対する愛情や母親から「見捨てられる不安」(引用:誰もボクをみてない なぜ、17歳の少年は祖父母を殺害したのか,山寺香著,2017年6月30日,ポプラ社,P131)などの複雑な心理状態なか、貧困、ホームレス状態、学校に行かせて貰えないなどの過酷な生活を強いられた少年が起こした実際の事件「埼玉県川口市祖父母殺害事件」をモチーフにした作品だ。

映画『MOTHER マザー』実際の事件報道

以下は映画『MOTHER』のモチーフ「川口市祖父母殺害事件」を伝える当時(2014年)の報道である。

祖父母殺害 容疑少年 「金ほしかった」 暗証番号 母が教える? 川口市西川口のアパートで無職小沢正明さん(73)と妻千枝子さん(77)が殺害された事件。孫の少年(17)が県警に強盗殺人容疑で再逮捕され、少年は、県警の調べに対し「金がほしかった。遺体を見て怖くなり、(空き箱で)隠した」などと供述した。県警は金銭をめぐるトラブルが事件につながった可能性があるとみて殺害理由について調べている。 川口署捜査本部の発表によると、少年は小沢さん夫婦の次女である母親(41)と妹の3人暮らし。母親は無職で、少年が解体工の仕事をして暮らしていたという。事件当日の3月26日、夫婦を殺害して奪ったキャッシュカードで現金約2万円を下ろしたとして、4月29日に窃盗容疑で逮捕された。県警は母親が暗証番号を知っていて少年に教えたとして、母親も同容疑で逮捕。母親は5月20日に窃盗罪でさいたま地検に起訴された。少年は処分保留となった。千枝子さんが通っていた同市の接骨院の男性経営者(49)は、千枝子さんから「孫に金をせびられて困る」と言われたという。男性は「千枝子さんは気の優しい人だった。腰が悪かったので襲われても抵抗できなかったのでは」と肩を落とした。事件前、一家は草加市のアパートで暮らしていた。大家の男性(67)の元には少年が「母親と義理の父親がけんかをしている」と相談に来たことがあったという。男性は「家庭環境が複雑だったのかもしれない」と話した。 事件後から逮捕まで住んでいた東京都葛飾区のアパートの住人の女性(83)によると、少年は作業着姿で毎朝6時頃出勤していた。女性は「少年は家の手伝いもしており優しそうだったのに」と驚いた様子だった。

読売新聞 2014年5月21日付 

この事件は数万円の現金を奪うために祖父と祖母を殺害した17歳の凶悪犯罪だが、その後の報道などから事件の詳細や事件に至る経緯などがわかるにつれ、祖父母2人殺害の重大な結果に至った17歳の少年(孫)の生い立ち、悲惨な生育環境に注目が集まった。

映画『MOTHER マザー』と『誰もボクをみてない なぜ、17歳の少年は祖父母を殺害したのか,山寺香著,2017年6月30日,ポプラ社』で描かれた母と子

以下の文中に登場する名前は映画『Mother 』マザー』で使われている名前であり実際の氏名とは異なる。

映画『MOTHER マザー』のなかで長澤まさみが演じる母親「三隅秋子」はパチンコ、酒、ゲームセンター、ラブホテルの宿泊代、タバコ、ホストクラブでの飲食などで金を浪費するが働くことはしない。それらの浪費で使われる金の出所は、秋子の両親(後に殺害される被害者2名)や秋子の妹(実際の事件では姉)、桜庭のおばさんと呼ぶ親戚から無心した金と元夫からの周平の養育費や生活保護費だ。

秋子はその無心のために子である「周平」を使うが、度重なる秋子の嘘と言い訳と秋子から嘘を言わされ秋子の代わりに金の無心に訪れる周平に対して彼ら彼女らの我慢は限界を越え絶縁宣言をされてしまう(なお、元夫からの養育費は支払われている)。働くことが嫌いで刹那的で勝手気ままな母親の秋子は男性関係にも躊躇がない。

映画では役所の福祉関係者、元ホストの川田遼(後に生まれる周平の妹の父親らしく周平達と同居の期間がある)、ラブホテルの経営者の息子、かなり高齢の老人のような男性、周平の仕事先の社長と関係を結ぶ。また、周平がいる部屋のなかでも気にすることなく平然と男女の行為をする。そして、実際の事件では秋子や川田遼から性的虐待を受けていたともいわれている。

なお、作中、川田遼以外の男性との関係は金銭目的や寂しさの解消のためのようにも描かれているが、実際の事件の川田遼も働かないが浪費を繰り返す秋子のために日雇いで得た金を持ってくる役目を負わされていた節がある。(参考:「誰もボクをみてない なぜ、17歳の少年は祖父母を殺害したのか,山寺香著,2017年6月30日,ポプラ社」)

秋子は男性に金を運ぶ道具の役目を与えていたのかもしれない。また、時には「女性」を武器に使い相手を自分の思い通りに動かす。では、子の周平に与えた役目はなんだろうか。「なめるようにして育ててきた」「子どもは私の分身」「私が生んだ子なんだからどう育てようが親の勝手だ」などと言い放つ秋子は、その身勝手な価値観や生活態度などの影響から親族など多くの人間と対立する。

その対立の場面で利用され対立の「間」に立たされ、時には秋子から、時には対立者(川田遼など)から暴言を浴びせられ殴られ蹴られる役目が周平の役目の一つだ。そして、家事や育児など他人のために働くことが嫌いな秋子の代わりに妹の面倒を見るヤングケアラーの役目。もう一つは秋子の周囲にいた男性達の役目。

つまり、川田が去った後の周平には、自立、自律が苦手で浪費癖のある秋子のために仕事をし金を持ってくる役目が与えられる。なお、「なめるようにして育ててきた」は、動物の母親が子を舐めると同じような意味かもしれない……

映画『MOTHER マザー』と川口市祖父母殺害事件の母親

自分の子(周平)が自分の両親(周平の祖父母)を殺した川口市祖父母殺害事件の秋子という人物はどのような人物なのか。殺された両親(祖祖父母)の子としての秋子とは?殺人犯になってしまった子(周平)の母親としての秋子とは?映画『MOTHER』と『誰もボクをみてない なぜ、17歳の少年は祖父母を殺害したのか』から見てみよう。

映画『MOTHER マザー』のなかの秋子は父、母、妹の4人家族の長女として描かれ、父と母は戸建てと思しき住居に居住していた設定だが、実際の事件の秋子は13歳差の異父姉と父、母の4人家族だったらしい。また、この事件の被害者となる秋子の父母はアパート暮らしである。

秋子は中学卒業後、定時制高校に進学するが中退、その後は夜の飲食店などでバイトするが長続きはしなかったようだ。また秋子には3回の結婚歴と4回の出産歴があるといわれ、周平は2回目の結婚の際の子らしい。一度目の結婚で2人の子を出産するが離婚後、夫側がその2人の子を引き取っているともいわれる。(参考:「誰もボクをみてない なぜ、17歳の少年は祖父母を殺害したのか,山寺香著,2017年6月30日,ポプラ社」P18)

秋子はこの最初の結婚の破綻の後に2人の子供と会っていないようだ。会っていない、または会えない、などが周平への執着の原因の一つではないかと思うのは考え過ぎだろうか……

秋子は「働く」ことが嫌い。または苦手だ。特に家事や育児などの無賃労働の「働く」は他人のために奉仕する意味を含むが秋子はそれを得意としない。賃金を得るための労働も得意ではない。いや、最初からする気がない。

秋子は刹那的で自己中心的で無責任な人間だが、コミュニケーション能力に問題はない。嘘や作り話で金を得る詐欺師的なコミュニケーション能力の高さを持ち合わせているともいえ魅力的な人物にも映る。このコミュニケーション能力の高さと周平の母親から「見捨てられる不安」(周平には数日間、秋子から置き去りにされた過去がある。置き去りの理由は出会ったばかりの川田遼と名古屋に遊びに行くためだった)を利用し周平を心理的に支配していたともいえそうだ。

また、秋子は社会全般や親族(周平に殺害された秋子の両親や姉妹)や周平に対し「受動的攻撃行動」を行っていたのかもしれない。

埼玉県川口市祖父母殺害事件と映画『MOTHER マザー』は、現代社会にある多くの問題に触れている。

実母、実父、義母、義父や親の交際相手から子どもへのネグレクト、心理的虐待、身体的虐待、性的虐待、支配、共依存、居所不明児童の問題(住民を異動せず転居などする)、強い親権への行政や司法の介入の問題、行政の運用や手続きの問題、周囲の大人の気づきの問題や行動の問題等々――

2014年に発生した「埼玉県川口市祖父母殺害事件」付近の統計によれば、平成26(2014)年度に児童相談所が把握した主たる虐待者は実母が52.4%と最も多く、次いで実父が34.5%となっており(出所:資料 平成26年度 厚生労働省児童虐待の状況等)、その後も虐待認知件数は増え続けている。

身体的虐待殴る、蹴る、叩く、投げ落とす、激しく揺さぶる、やけどを負わせる、溺れさせる、首を絞める、縄などにより一室に拘束する など
性的虐待子どもへの性的行為、性的行為を見せる、性器を触る又は触らせる、ポルノグラフィの被写体にする など
ネグレクト家に閉じ込める、食事を与えない、ひどく不潔にする、自動車の中に放置する、重い病気になっても病院に連れて行かない など
心理的虐待心理的虐待 言葉による脅し、無視、きょうだい間での差別的扱い、子どもの目の前で家族に対して暴力をふるう(ドメスティック・バイオレンス:DV)、きょうだいに虐待行為を行う など
児童虐待の定義(厚生労働省HPから
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なお、上記統計のなかで実母以外の母から子への虐待件数が少ない理由には、離婚後親権者(本邦は単独親権かつ親権者と監護権者が同一のケースが多い)に父親の割合が少ないからだと考えられる。

「誰もボクをみてない なぜ、17歳の少年は祖父母を殺害したのか,山寺香著,2017年6月30日,ポプラ社」のなかで「理化学研究所 脳科学 総合 研究 センター 黒田公美 医学博士」は、「子どもに万引きや児童 ポルノなどの犯罪をさせて金を稼がせたり、子どもの奨学金を親が使い込んだりするなどの行為も、虐待として認識されるべきです。」と述べ、それらを「経済的虐待」と定義し、秋子のような大人(虐待の加害者)については、「最近、認知症や、頭部外傷などによる高次脳機能障害、また軽度知的障害などの場合に、金銭管理能力の問題が取り上げられるようになってきました。 しかし障害と認められ ていなくても、 計画的に家計を管理することができず、消費者金融やクレジットカードなどで借金を重ねてしまう世帯に、教育プログラムを提供して消費行動を改善する試み がアメリカなどでは行われています。」と加害者に対する支援の必要性も語っている。(P186-188)

近年の虐待事件の裁判

最後に近年の虐待(ネグレクト)事件の判決を紹介しよう。この事件は2020年9月3日、香川県高松市で6歳と3歳の2人の姉妹を車内に残し熱中症で死亡させた保護責任者遺棄致死罪の事件である。事件直後、被疑者(母親)は「連日のように居酒屋やバーを飲み歩いていた」などの報道も散見された事件である。

判決文は以下のPDFから閲覧できます。音声読み上げに対応しています

令和2(わ)331 保護責任者遺棄致死令和3年2月19日  高松地方裁判所

その後、同事件は被告側、検察側の双方が控訴せず懲役6年が確定した。

親とはなんだろうか。大人とはなんだろうか。周平が働く会社の社長が秋子に怒鳴るシーンを思い浮かべる。「親だったら子供のために働けよ!飯作ってハタチになるまで面倒みろよ!それが親だろう!」――だが、昼まで寝ている秋子の耳に――それらの言葉は届かなかったのだろう。


★引用・参考文献
誰もボクをみてない なぜ、17歳の少年は祖父母を殺害したのか,山寺香著,2017年6月30日,ポプラ社
祖父母殺害 容疑少年「金ほしかった」 暗証番号 母が教える?読売新聞 2014年5月21日付
映画『MOTHER マザー 公式facebook

厚生労働省「平成26年度 児童相談所における児童虐待相談対応件数の内訳」

厚生労働省「人口動態調査 人口動態統計 確定数(離婚親権を行う子をもつ夫妻の親権者(夫-妻)別にみた年次別離婚件数及び百分率


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投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

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