
要約(クリックで開きます)
映画『MOTHER マザー』を、モチーフとなった川口市祖父母殺害事件と関連づけて考察する。少年を祖父母殺害へ追い込んだ母親像、虐待、共依存、支配、貧困、ヤングケアラー、経済的虐待の問題を整理し、事件と映画が照らし出す現代社会の構造を検討する。
公開日:2022年1月29日 最終更新日:2026年3月9日
2022年、東京都大田区で3歳の娘を自宅に8日間放置し死亡させた母親に対し、実刑判決が言い渡された。判決は犯行の悪質性を指摘するとともに、被告人自身が虐待を受けて育った成育歴にも触れている(TBSニュース、2022年1月27日配信、読売新聞、2022年2月10日付)。
この事案が示すのは、虐待が親から子へと連鎖する現実である。
そして、幼少期から複合的虐待を受け、教育機会も奪われた末、17歳で祖父母を殺害し有罪判決を受けた少年がいる。彼は刑法上の加害者である。しかしその形成過程に着目するならば、彼もまた母親と周囲の大人たちの被害者であった。
本稿の目的は、映画『MOTHER マザー』と埼玉県川口市祖父母殺害事件を重ね合わせながら、加害へ至った少年の背後にあった母子関係、虐待、依存、収奪の実相を明らかにすることにある。あわせて、そこに現れている虐待の連鎖、ヤングケアラー、経済的虐待、親権と行政介入の限界といった現代的問題の所在も確認したい。
映画『MOTHER マザー』と埼玉県川口市祖父母殺害事件
2020年公開の映画『MOTHER マザー』(監督・大森立嗣、主演・長澤まさみ、奥平大兼)は、母親との共依存、母親への愛着、さらに母親から「見捨てられる不安」――山寺香『誰もボクをみてない なぜ、17歳の少年は祖父母を殺害したのか』(ポプラ社、2017年、131頁)にそう記された感情――のなかで、貧困、ホームレス状態、就学機会の剥奪などの苛酷な生活を強いられた少年が起こした実際の事件、すなわち「埼玉県川口市祖父母殺害事件」をモチーフにした作品である。
以下は、映画『MOTHER マザー』のモチーフとなった「川口市祖父母殺害事件」について、当時の報道内容を要約したものである。
報道によれば、2014年3月、埼玉県川口市西川口のアパートで、73歳の祖父と77歳の祖母が殺害され、同年5月、孫である17歳の少年が強盗殺人容疑で再逮捕された。少年は捜査に対し、金が欲しかった旨を述べたとされ、殺害後、祖父母のキャッシュカードを用いて現金を引き出していたという。また、母親も暗証番号を少年に伝えたとして窃盗容疑で逮捕・起訴された。報道では、祖母が周囲に対し、孫から金をせびられて困っていると漏らしていたこと、一家の家庭環境が複雑であったこと、少年が事件後も作業着姿で働きに出ていたことなども伝えられている(読売新聞、2014年5月21日付)。
本件は、数万円の現金を得るために祖父母を殺害した17歳少年による重大犯罪である。だが、その後の報道や資料を追うと、この事件は単なる凶悪犯罪としては片づけられなくなる。祖父母二人の命を奪うという重大な結果に至った少年の生育歴、そしてそこに横たわる悲惨な生活環境と家族関係こそが、この事件を理解するうえで避けて通れない論点として浮かび上がるのである。
映画『MOTHER マザー』概要:描かれた母と子
以下の文中に登場する人物名は、映画『MOTHER マザー』で用いられている名称であり、実際の事件関係者の氏名とは異なる。
本章では、その点を踏まえたうえで、映画『MOTHER マザー』に描かれた母子関係、生活実態、周囲の人間関係を整理する。母親・三隅秋子が周囲にどのような役割を割り当て、子である周平がそのなかで何を引き受けさせられていたのかを見ていく。
浪費と無為によって成り立つ生活
映画『MOTHER マザー』において、長澤まさみが演じる母親・三隅秋子は、パチンコ、飲酒、ゲームセンター、ラブホテルの宿泊、たばこ、ホストクラブでの飲食などに金を費やす一方、自ら安定して働こうとはしない。
その金の出所は、秋子の両親――のちに殺害される被害者二人――、秋子の妹(実際の事件では姉)、さらに「桜庭のおばさん」と呼ばれる親族から無心した金、元夫から支払われる周平の養育費、そして生活保護費である。秋子の生活は、複数の他者から切り分けられた金によって支えられている。
親族との断絶と周平の利用
秋子は、その無心の過程でも子である周平を使う。自ら前面に出るだけでなく、周平を金の無心の場に立たせ、母親の代わりに頭を下げさせるのである。だが、秋子の度重なる虚言と言い逃れ、さらに周平を通じた執拗な無心によって、周囲の忍耐は限界に達していく。
やがて親族たちは秋子との関係を断ち、絶縁を言い渡すに至る。なお、元夫からの養育費は支払われていたとされる。
刹那的な母親と男性関係
働くことを嫌い、刹那的かつ身勝手に生きる秋子は、男性関係にも躊躇がない。映画では、役所の福祉関係者、元ホストの川田遼――のちに生まれる周平の妹の父親であり、一時は周平たちと同居する――、ラブホテル経営者の息子、かなり高齢の男性、そして周平の勤務先の社長など、複数の男性と関係を結ぶ姿が描かれる。
しかも秋子は、周平が同じ部屋にいても意に介さず、平然と性的行為に及ぶ。母と子の境界、私的領域と子どもの生活空間の境界は、この時点ですでに崩れている。さらに、実際の事件に関しては、秋子や川田遼から周平が性的虐待を受けていたともいわれている。
周平に与えられた役目
秋子は作中で、「なめるようにして育ててきた」「子どもは私の分身」「私が生んだ子なんだからどう育てようが親の勝手だ」と言い放つ。そこには、子どもを独立した人格としてではなく、自分の所有物、あるいは自己の延長として扱う発想が露骨に示されている。
秋子の身勝手な価値観と生活態度は、親族をはじめ多くの人間との対立を生む。そして周平は、その対立のただなかに立たされる。秋子と相手方の「あいだ」に置かれ、あるときは秋子から、またあるときは対立相手から暴言を浴びせられ、殴られ、蹴られる。さらに、家事や育児を担わない秋子に代わり、妹の世話も引き受けさせられる。
「なめるようにして育ててきた」という言葉
秋子が口にする「なめるようにして育ててきた」という言葉は、一見すると深い愛情の表現のようにも響く。
だが、その実態は、子どもを自己の延長として囲い込み、自他の境界を曖昧にし、手元に縛りつけておく感覚に近いのではないか。そこにあるのは、子どもを守り育てる倫理というより、子どもを自分の内部に取り込み、手放さないという欲望である。
映画『MOTHER マザー』と川口市祖父母殺害事件の母親
自分の子である周平が、自分の両親――すなわち周平にとっての祖父母――を殺害した川口市祖父母殺害事件において、秋子とはいかなる人物であったのか。被害者となった両親の娘としての秋子とは何者であり、また、殺人犯となった子の母親としての秋子とはどのような存在であったのか。
本章では、映画『MOTHER マザー』と、山寺香『誰もボクをみてない なぜ、17歳の少年は祖父母を殺害したのか』を手がかりに、その輪郭を見ていく。
映画と実際の事件における家族構成
映画『MOTHER マザー』における秋子は、父、母、妹の四人家族の長女として描かれており、父母は戸建て住宅と思しき住居で暮らしている設定である。
これに対し、実際の事件における秋子は、13歳年上の異父姉、父、母との四人家族であったとされる。また、本件の被害者となる秋子の父母は、アパートで生活していたという。
学歴、結婚歴、出産歴
秋子は中学卒業後に定時制高校へ進学したが、中退した。その後、夜の飲食店などで働いたものの、仕事は長続きしなかったようである。また、秋子には三度の結婚歴と四度の出産歴があったとされ、周平は二度目の結婚の際に生まれた子であるらしい。さらに、一度目の結婚で生まれた二人の子については、離婚後に夫側が引き取ったともいわれる(山寺香『誰もボクをみてない なぜ、17歳の少年は祖父母を殺害したのか』ポプラ社、2017年、18頁)。
この最初の結婚の破綻以後、秋子はその二人の子どもと会っていないようである。会わなかったのか、会えなかったのかは定かではない。だが、その喪失ないし断絶の経験が、のちの周平に対する執着の一因となった可能性はある。
「働く」ことへの不適応
秋子は、「働く」ことに根本的な不適応を抱えていたようにみえる。ここでいう「働く」とは、賃金を得るための労働だけではない。家事や育児のような無償の営みも含まれる。
とりわけ後者には、他者のために継続的に自分を差し出すという性質があるが、秋子はその種の営みを担うことができない。賃労働にも定着できず、家事や育児の責任も果たさない。不得手というより、そもそも引き受ける意思自体が希薄であったとみるべきであろう。
コミュニケーション能力と支配
秋子は、刹那的で自己中心的、かつ無責任な人物である。しかしその一方で、対人関係の場面において極端に不器用な人間でもない。むしろ彼女は、嘘や作り話を交えながら相手を動かし、金を引き出すことのできる、詐欺師的ともいえる対人能力を備えていた。そうした資質は、ときに彼女を魅力的な人物にすら見せる。
そして、その能力は周平の支配にも用いられた可能性が高い。周平には、母親から見捨てられることへの強い不安があったとされる。実際、彼には秋子から数日間置き去りにされた過去がある。
その理由は、出会ったばかりの川田遼と名古屋へ遊びに行くためであったという。この経験が、周平の内部に「見捨てられる不安」を深く刻み込んだことは想像に難くない。秋子は、その不安を梃子として周平を心理的に拘束していたのではないか。
周囲を傷つける後退のかたち
さらに秋子は、社会一般に対してだけでなく、親族――周平に殺害された秋子の両親や姉妹――、さらには周平自身に対しても、正面から怒りをぶつけるだけではなく、働かない、育てない、約束を守らない、負担を他者へ押しつけるというかたちで他人を傷つけていたようにみえる。
露骨な暴力だけでなく、引き受けるべき役割を果たさず、後ろへ退くことで周囲に損傷を与える。その反復そのものが、持続的な加害として作用していたのである。
秋子という存在の核心
秋子を単純に「悪い母親」と呼ぶだけでは、この人物の本質には届かない。彼女は怠惰で身勝手な人物であっただけではなく、周囲の人間を自らの生活維持のために配置し直し、それぞれに役割を負わせることに長けた人物でもあった。
両親には金の供給源としての役目があり、男性たちには生活費を運ぶ役目があり、そして周平には、見捨てられ不安を抱えたまま母親の生活を支える役目が割り振られていた。
その意味で秋子とは、単なる加害の中心人物というだけではない。周囲の人間を少しずつ侵食し、境界を壊し、役目をねじ曲げ、最後には子どもをも自らの延命装置へと変えていく存在であった。映画『MOTHER マザー』と実際の事件がともに示しているのは、そのような母親像の異様さである。
埼玉県川口市祖父母殺害事件と映画『MOTHER マザー』が照らし出すもの
埼玉県川口市祖父母殺害事件と映画『MOTHER マザー』は、単なる一家庭の悲劇ではない。本章では、この事件と映画がどのような現実を示しているのかを確認する。
虐待が重なり合う家庭
この事件と映画が触れているのは、単一の問題ではない。実母、実父、義母、義父、あるいは親の交際相手から子どもへ向けられるネグレクト、心理的虐待、身体的虐待、性的虐待、支配、共依存といった問題が、一つの家庭のなかで折り重なっている。
さらに、住民票を異動させないまま転居を繰り返すことで生じる居所不明児童の問題、親権が強固であるがゆえに行政や司法の介入が難しくなる問題、行政手続の限界、そして周囲の大人が異変に気づきながら動けない問題も、この事件の周辺には横たわっている。
川口市祖父母殺害事件と『MOTHER マザー』が示しているのは、子どもが家庭の中で孤立し、見えなくされ、使われ、追い詰められていく過程である。
統計が示す現実
2014年に発生した川口市祖父母殺害事件の時期に近い統計をみると、平成26(2014)年度に児童相談所が把握した虐待事案における主たる加害者は、実母が52.4%で最も多く、次いで実父が34.5%であった(厚生労働省「平成26年度 児童虐待の状況等」)。児童虐待というと父親や継父による暴力が強く印象づけられがちであるが、統計上は実母が最大の割合を占めている。
もっとも、この数値は単純に「母親の方が加害的である」ことを示しているわけではない。日本では離婚後の親権が単独親権であり、親権者と監護者が同一である場合が多く、その親権者が母親である比率が高いという事情が背景にある。
虐待統計は、加害者個人の属性だけでなく、誰が子どもを日常的に監護しているのかという制度上の条件とも結びついている。
暴力や放置だけではない虐待
厚生労働省は、児童虐待を身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、心理的虐待の四類型に分けている。だが、川口市祖父母殺害事件と『MOTHER マザー』が示しているのは、それらが別々に現れるのではなく、一つの家庭のなかで重なり合い、子どもの生活全体を侵食していく現実である。
さらに重要なのは、虐待を暴力や放置だけに限定して理解してはならないという点である。山寺香『誰もボクをみてない なぜ、17歳の少年は祖父母を殺害したのか』のなかで、理化学研究所脳科学総合研究センターの黒田公美は、子どもに万引きや児童ポルノ等の犯罪をさせて金を得る行為や、子どもの奨学金を親が使い込む行為についても、虐待として認識されるべきだと述べている。そして、これを「経済的虐待」と位置づける。
この視点に立てば、子どもを生活維持や金銭獲得の手段として用いる行為もまた、明確に虐待である。子どもを情緒的に縛りつけ、生活費を運ぶ役目や家事・育児の代行まで担わせることは、子どもをじわじわと追い詰めていく行為にほかならない。
| 身体的虐待 | 殴る、蹴る、叩く、投げ落とす、激しく揺さぶる、やけどを負わせる、溺れさせる、首を絞める、縄などにより一室に拘束する など |
| 性的虐待 | 子どもへの性的行為、性的行為を見せる、性器を触る又は触らせる、ポルノグラフィの被写体にする など |
| ネグレクト | 家に閉じ込める、食事を与えない、ひどく不潔にする、自動車の中に放置する、重い病気になっても病院に連れて行かない など |
| 心理的虐待 | 心理的虐待 言葉による脅し、無視、きょうだい間での差別的扱い、子どもの目の前で家族に対して暴力をふるう(ドメスティック・バイオレンス:DV)、きょうだいに虐待行為を行う など |
加害者への介入という論点
そのうえで黒田は、秋子のような加害者について、単に道徳的非難の対象としてのみ捉えるのではなく、支援の必要性にも言及している。
近年では、認知症、頭部外傷による高次脳機能障害、軽度知的障害などに関連して金銭管理能力の問題が論じられているが、そうした診断の有無にかかわらず、計画的に家計を管理できず、消費者金融やクレジットカードによって借金を重ねる世帯に対し、教育プログラムを提供し、消費行動の改善を図る試みがアメリカなどで行われているという(山寺香『誰もボクをみてない なぜ、17歳の少年は祖父母を殺害したのか』ポプラ社、2017年、186―188頁)。
ここで重要なのは、加害者を免責することではない。加害者側にも、金銭管理能力の欠如、衝動性、依存、自他の境界のあいまいさ、生活維持能力の脆さがあり、それを放置したままでは被害児童を救えないという現実である。
知らないままで済ませてはならない現実
被害児童の保護は、もちろん最優先である。だが、それだけでは連鎖は断ち切れない。加害者側への介入と支援を欠いたままでは、同種の家庭は繰り返し再生産される。
問題は、単に一人の「悪い母親」の存在ではない。子どもを搾取し、放置し、支配し、生活の維持装置として用いることを許してしまう家庭内の力学、制度の空白、行政の限界、周囲の無力、そして加害者自身の崩れた生活能力までを含めた、ひとつの現実である。
それは、我々の知らない場所にあるのかもしれない。しかし、知らないままで済ませてよい現実ではない。
結語:近年の虐待事件の裁判
最後に、近年の虐待事案、より厳密にはネグレクト事案に関する裁判例を確認しておきたい。ここで取り上げるのは、2020年9月3日、香川県高松市において、6歳と3歳の姉妹を車内に残置し、熱中症により死亡させた保護責任者遺棄致死事件である。事件直後には、被疑者である母親が連日のように居酒屋やバーを飲み歩いていたとする報道もみられた。
判決文は、以下のPDFにおいて閲覧可能であり、音声読み上げにも対応している。
判決文は、以下のPDFにおいて閲覧可能であり、音声読み上げにも対応している。
令和2(わ)331 保護責任者遺棄致死令和3年2月19日 高松地方裁判所
その後、本件については、被告人側および検察側の双方が控訴せず、懲役6年の判決が確定した。
ここで改めて問われるべきは、親とは何か、大人とは何か、という点である。映画『MOTHER マザー』において、周平の勤務先の社長が秋子に対し、「親だったら子供のために働けよ。飯を作って、二十歳になるまで面倒をみろよ。それが親だろう」と怒声を浴びせる場面がある。この台詞は、親であることの最低限の責務を、きわめて粗削りな形で言い当てている。子どもを生んだという事実だけで親になるのではない。子どもの生存と生活を継続的に支える責任を引き受けることによって、はじめて親であることの実質が生まれるのである。
しかし、秋子のような人物にとって、その言葉は外から与えられる規範としては存在していても、自分の内側にまでは届かなかったのかもしれない。そこにあるのは、親であることの倫理と、実際の生活との深い隔たりである。
そして問われるべきは、その隔たりを放置したまま、最後に子どもだけへ罪を引き受けさせてよいのか、という点である。周平のような少年、少女にその負担を背負わせないためには、虐待とネグレクトの連鎖をどこで断ち切るのかが、改めて問われなければならない。
■ 視聴・入手情報
本作の視聴方法および流通状況については、下記より確認されたい。
▶外部リンク Amazon『映画MOTHER マザー(2020年)』
◆参考資料
山寺香『誰もボクをみてない なぜ、17歳の少年は祖父母を殺害したのか』ポプラ社、2017年6月30日
「祖父母殺害 容疑少年『金ほしかった』 暗証番号 母が教える?」『読売新聞』2014年5月21日付
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厚生労働省「平成26年度 児童相談所における児童虐待相談対応件数の内訳」
厚生労働省「人口動態調査 人口動態統計 確定数(離婚し、親権を行う子をもつ夫妻の親権者別にみた年次別離婚件数及び百分率)」
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