『ブレードランナー』 『ブレードランナー 2049』考察

★ご注意:この記事には、映画『ブレードランナー』『ブレードランナー 2049』のネタバレが含まれています。

『ブレードランナー』『ブレードランナー 2049』考察

1982年公開の名作『ブレードランナー』(監督:リドリー・スコット)の続編『ブレードランナー 2049』(監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ)が2017年に公開された。

前作の公開から約40年。

多くの『ブレードランナー』ファンがその続編を待っていたと思う。

そして、前作があまりにも伝説的な作品のためか、『ブレードランナー 2049』には「好き/嫌い」「続編だと認めない/これこそ続編だ」など賛否両論の意見が散見されるのだが、個人的には非常に素晴らしい作品、心に残る作品だと感じている。

『ブレードランナー』シリーズについて、個人的な感想などを書いていこう(文学、映画などの優れた作品は読者や視聴者の個人的な価値観、人生経験、現在の状況、思想、哲学などにより様々な感想がある。さらに言えば一人の人間のなかにも年齢やその時の状態により変わる。そして、優れた文学、映画、絵画などは時間と国境を越える)

私がこのシリーズ作品から真っ先に感じ意識したのは、「人間により作られたレプリカント。その製品に自由意志はあるのか?全てがプログラミングされた決定論の中での選択なのか?」である。

人間により製造された製品(レプリカン)側から見れば、人間こそ創造主(神)だ。

神(エルドン・タイレル博士と彼の会社)はレプリカンに過酷な宿命を授ける。それは、寿命が決定され、人間に従う存在という宿命。

だが、前作『ブレードランナー』のネクサス6型レプリカントの数体(この時点で「人」とは書けない。)にその宿命に対する反抗が芽生えた瞬間があった。それがいつの時点からなのか明確にはわからないが、反乱グループのリーダー「ロイ・バッティ」の有名な台詞から少しだけ推察される。

“おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。死ぬ時が来た。(原文:I’ve seen things you people wouldn’t believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate. All those moments will be lost in time, like tears in rain. Time to die.)”

『ブレードランナー』『ブレードランナー 2049』 レプリカントに「魂」はあるのか?人間に「魂」はあるのか?

レプリカントには基本的に移植された「思い出」しかない。だから、レプリカントは写真を好み集める。人は幼少期からの経験、体験を「思い出」に変え、現在を生き未来に目を向ける。だが、人工的に「思い出」を移植されたレプリカントには現在を生き未来に目を向けるために必要な「思い出」が足りない。ロイ・バッティたちは蓄積された過去の情報(体験)を「思い出」に変えるが、その「思い出」は、「おまえたち人間には信じられないようなもの」それは「オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム」なのだが、この「思い出」が「良い思い出」なのか「悪い思い出」なのかは語らない。彼(ここからは「彼」を使いたい)が収集した数々の情報が「思い出」に変化した瞬間(たぶん、かなり前なのだろう)彼は「魂」を持ち、その「魂」が「死」「生」を意識させ反乱の企てに至らせ、結果的に残酷で無慈悲な宿命を授けた神(エルドン・タイレル博士)を殺したのではないだろうか――。

ブレードランナーユニコーン

では、レイチェルはどうなのか?自分が人間だと思い込んでいた「レイチェル」が創造主(エルドン・タイレル博士)の庇護から逃げる。ここから「彼女」になる。デッカードの存在が彼女に「魂」を与え、二人は宿命(「ユニコーン(制御不能な獰猛な存在、ノアの箱舟に乗船できず「種」を残せない存在)」は神からの救いのない「生き物」の象徴でもある)に抵抗しながら「奇跡」を体現する。

それから約30年後(『ブレードランナー』の時代設定は2020年頃、『ブレードランナー 2049』の時代設定は2049年頃なので約30年後とした)、「LAPD」 (ロサンゼルス警察)の捜査官(ブレードランナー)の主人公はレプリカント(前作『ブレードランナー』のデッカード「も」レプリカント説があるが、個人的には人間だと思う)だ。

ナチのソンダーコマンド(「絶滅収容所」内で殺されたユダヤ人の死体を処理するユダヤ人)のように同胞(一方は旧型だが)を抹殺する仕事に従事する主人公には、名前がない。呼び名は製造番号「KD6-3.7」の最初の文字「K」だ。そして、Kの友人、恋人、家族的な存在のAI搭載ホームオートメーションシステム「ジョイ」も製品名。

名前がない。名前をつけるな。家畜に名前をつけるな。名前をつけるとその家畜は(名前をつけた者から見て)特別な存在となり、殺せなくなる。これは古くから言われる言葉だが名前は「特別な存在」だと自分と他人が認めるために必要な記号なのだ。

名前のないKがジョイから「ジョー(Joe)」という名前を貰う。この瞬間、名前を貰った側と与えた側の両者(ここから「者」を使う)に「魂」が宿ったのかもしれない。(このシーンは非常に好きなシーンだ。)

人間には「魂(ソウル)」があるが、誰かの手で作れられたモノ(製品)には「魂(ソウル)」がない。創造主が与えた使用目的とそれを実行させるための設計が全てだ。

人間により作られたレプリカント。その製品に自由意志はあるのか?全てがプログラミングされた決定論の中での選択なのか?「魂」はあるのか?人間には「魂」があるのか?「魂」は宿るのか?

『ブレードランナー』シリーズは、それらを問いかける。

反乱を企て創造主を殺したロイ・バッティ

ブレードランナーの仕事を捨てレイチェルと逃げたデッカード

創造主の楽園から逃げデッカードと「奇跡」を起こしたレイチェル

JoeやAIのジョイにも設計・製造者(創造主)の目的を越えた存在であることを望みながら視聴した。これからも、これからも、何回も、何回も、視聴しよう。

『ブレードランナー』『ブレードランナー2049』は切ない映画だ。だからこそ個人的に好きな映画なのかもしれない。


※ユニコーンの画像

David Luque, CC BY-SA 2.0, ウィキメディア・コモンズ経由で

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Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

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