
要約(クリックで開く)
誰もいない空間に漂う不安と懐かしさ。インターネット都市伝説「The Backrooms」は、そうしたリミナルスペースの感覚から広がってきた。映画『バックルームズ』は、その世界を長編ホラーとして描き、探索の不穏さに怪物の恐怖を重ねる。原典を愛する筆者は、異世界の成り立ちに記憶やトラウマが関わる可能性を読み取り、キャプテン・クラークと『宝島』のジョン・シルバーの共通点にも着目する。一方、物語が怪物ホラーへ傾くにつれ、空間そのものがもたらす恐怖はどう変わったのか。映画の魅力と原典ファンとしての違和感をたどる。
人気のない、夕日で照らされた公園に奇妙に心動かされた経験はないだろうか。良く知っているはずなのに、ほんの少し不気味なあの感じ。心がザワザワして、落ち着かなくなる感覚。この感覚を理解できる人は、本質的にリミナルスペースに心惹かれる人だ。
リミナルスペースとは、ほんの少し不穏で不気味な無人の空間を指すネットミームである。そして、リミナルスペースという概念から発生したのが、「The Backrooms」というインターネット都市伝説だ。 この都市伝説を元にした映画が公開された。そしてさっそく、大のThe Backrooms好きである筆者も鑑賞してきた。この記事では、映画『バックルームズ』と原典を絡めながら考察していきたい。
本記事における表記
| 対象 | 本記事での表記 |
|---|---|
| 映画版 | 『バックルームズ』 |
| 原典(インターネット都市伝説) | The Backrooms |
| 異世界として | バックルーム |
映画『バックルームズ』の作品概要
映画『バックルームズ(原題:Backrooms)』は2026年公開のホラー映画である。メガホンを取ったのは、本作が初の長編映画作品となるケイン・パーソンズ。彼は元々YouTuberとして活動しており、The Backroomsに関する動画も多数投稿している。16歳で投稿した「The Backrooms(Found Footage)」は、非常にThe Backroomsらしさを感じられる良作のため、ぜひ視聴してみてほしい。
本作は原典であるThe Backroomsや、前身にあたる『The Backrooms(Found Footage)』の特徴や雰囲気を引き継ぎながらも、それ単独で成立する新しい作品となっている。前提条件を知らなくても楽しめるため、新機軸のホラー映画を見たい人におすすめだ。
あらすじ
家具店の経営者であるクラークは破綻した生活を送っていた。家具店の経営はうまくいかず、妻とも離婚。飲酒の問題を抱え、家ではなく家具店のベッドに寝泊まりしていた。カウンセリングも受けてはいるが、効果を発揮しているとは言い難い。そのうえ、カウンセラーのメアリーもまた、過去のトラウマを抱えた1人だった。
また、クラークは店の電気代の高さと照明のちらつきにも悩まされていた。その原因を探るうち、地下室の壁の向こう側から光が漏れていることに気づく。その壁に近づいた彼は、壁の向こうに不思議な空間が広がっていることを知った。
その空間は黄色い色調の部屋で、迷路の様にどこまでも続いている様に思える。椅子やタンスなどの家具もあるが、どれもどこかおかしい。
最初は恐る恐る探索していたクラークだったが、やがてその空間にのめり込むようになっていく。
「The Backrooms」とは何なのか
本作を見るうえでは「The Backrooms」を知っておく必要はない。とはいえ、原典を知っておくことで増える楽しみもある。
ここでは、原典であるThe Backroomsについて簡単に解説していこう。
先にも少し触れたが、The Backroomsとはインターネット上で語られる新しい形の都市伝説だ。2019年頃にアメリカの匿名掲示板4chanに投稿された1枚の写真と、それに添えられた短い文章を始まりとしている
写真には、無機質でやや不気味な黄色い壁紙の部屋が映っている。文章には、部屋にハム音(蛍光灯のブーン……という音)が鳴り響いていること、部屋が無限に続きそうであること、何か恐ろしい存在の気配がすること、などが語られている。また、現実から「ノークリップ」してしまった場合にそこに行くとされている。ノークリップとはいわゆる「壁抜け」で、「外れ落ちる」と表現されることもある。ゲームでの壁抜けバグのような現象で異世界へと行ってしまった、と想像すると分かりやすい。
この画像と文章は瞬く間に人々の心を掴み、それ専用のサイトが立ちあげられた。多くの人がThe Backroomsに関する画像と物語を作り上げ、それを「階層/レベル」とした。そして、その世界は今もなお広がり続けている。
つまりThe Backroomsは、「SCP財団」と同じ形式の参加型都市伝説である。誰もが自由に階層と、それに付随する物語を作り上げることができる。
様々な人がThe Backroomsの概念に惹かれ、その世界を広げていった結果、ファン内で意見の相違が生まれた。すなわち、「怪物あり派」と「怪物NG派」である。
「怪物あり派」は、恐ろしい怪物の姿やその生態をはっきりと描写するのが特徴だ。怪物の登場によってパニックホラーに近い楽しみ方ができる。ゲーム化や映像化しやすいのも魅力の一つだ。反対に「怪物NG派」は、より大本のリミナルスペースの概念に忠実で、空間そのものに対する恐怖感を重要視している。海外のThe Backroomsには様々なコミュニティがあるが、それぞれ住み分けがなされているようだ。
日本のコミュニティには、「Fandom版」と「Wikidot版 」 の2種類が挙げられる。どちらも特色ある運営がなされているため、読み比べてみるとおもしろいだろう。また、どちらのサイトも怪物を強く押し出しているわけではない(NGではない)。
話を進める前に、筆者はかなり強めの「怪物NG派」であることを伝えておきたい。
映画版でのバックルームの成り立ちと、キャプテン・クラークという存在について
映画『バックルームズ』と、その原典であるThe Backroomsには大きな違いがある。その違いは、バックルームという異世界の成り立ちにある。成り立ちとは、「その世界が作られた経緯や理由」を指す。
原典では、基本的にバックルームの成り立ちは不明とされている。いくつかの支持されている説はあるものの、ファンダム文化から発展してきた、いわゆる公式設定がない物語群であるだけに、ファンそれぞれ考え方は違うはずだ。
対して映画版では、若干の成り立ちに関する描写が垣間見える。明確な成り立ちこそ説明されていないが、人々の記憶やトラウマ、無意識下の思いなどとの関係性が匂わされているのだ。
だからこそ、バックルーム内で登場する家具や怪物はどこかおかしい。家具の置き場所やサイズ感に始まり、顔が折り重なったような女性型の存在、そして、恐ろしい怪物であるキャプテン・クラーク。キャプテン・クラークは元々主人公が演じる店の宣伝キャラクターであり、彼の負の一面が怪物化したものと考えられるが、非常に巨大で、体のバランスが崩れている。
キャプテン・クラークの元ネタは、小説『宝島』の悪役ジョン・シルバーではないだろうか。片足が義足であり、肩にオウムを載せているという箇所が共通している。また、彼自体が「のっぽのジョン」と呼ばれるほど、大柄な人物でもある。
ジョン・シルバーは『宝島』を象徴する悪役だ。いとも簡単に人を裏切り、殺人を犯す恐ろしい存在であると同時に、主人公のジム少年の身近な大人/保護者として、また、荒くれものの海賊たちのまとめ役として、高いカリスマ性も持っている。英米では『宝島』はメジャーな作品であるため、クラークが読んでいた可能性は高い。つまり、クラークが思い描く(ある意味)理想の姿として、ジョン・シルバーがあったのではないだろうか。
クラークはジョン・シルバーを想起して演じ続けるうち、頭の中に歪んだシルバー像を作り上げたのではないだろうか。そして繰り返し考え演じ続けたことにより、怪物としてのキャプテン・クラークができあがった。その存在は、産みの親である本人自身も制御できないほど巨大なものになってしまった。
こう考えるのは行き過ぎだろうか――。
原典ファンが見た映画『バックルームズ』
先にも述べた通り、筆者は原典となるThe Backroomsの大ファンだ。サイトをのぞいてはついつい読み込んでしまうし、大好きなレベル/階層がある。Youtube上にお気に入りのバックルームに関する動画がある。もちろん、好きな映像クリエイターもいる。
だからこそ、筆者は映画『バックルームズ』が公開されてすぐ、映画館へ足を運んだ。その結果、ほんの少しの肩透かしを食らうことになった。
誤解がないように言っておくが、本作は決して駄作な訳ではない。意欲にあふれ、映像も素晴らしい。バックルームという異世界の不安さや不穏さの表現も素晴らしかった。
では筆者が肩透かしを食らった原因は何なのか。それは、先述した「怪物あり派」と「怪物NG派」の違いによるところが大きい。
筆者はかなり強めの「怪物なし派」で、The Backroomsのリミナル性を愛している。リミナル性を簡単に言えば、人気のない夕方の遊園地や、深夜の駅のホームで感じる、不安感やノスタルジックさが交じり合った空気感のことだ。シュルレアリズムの絵画を見たとき、不思議な感覚に陥ったことはないだろうか。リミナル性とは、正にそんな感覚を表す言葉だ。
リミナル性を愛する人にとって、怪物はノイズとなりえる。少なくとも、怪物そのものの存在は否定しないが、怪物がメインとなるのはあまり好ましくない。
本作は物語が進む中で、探索ホラーから怪物ホラーへと構造が変わる作品だ。最初はクラークがバックルームを探索する中で、その世界の不気味さや不可解さを丹念に描いていく。精神的な問題を抱えるクラークの人物像と相まって、不穏さがどんどん増していく。
しかし物語中盤で謎の怪物(キャプテン・クラークかどうかは不明)が登場したあたりから、本作は怪物ホラーへと変貌する。空間そのものの不気味さに恐怖を感じるのではなく、「そこに巣くう何か」が恐ろしくなるのだ。ここに至った段階で、リミナル性は薄れてしまう。
物語の後半は、キャプテン・クラークの独壇場だ。視点はメアリーに交代し、彼女はキャプテン・クラークから必死で逃げ惑うことになる。
クラークが謎の怪物から逃げるとき、メアリーがキャプテン・クラークから逃げるとき、彼らはバックルーム内のあちこちに足を踏み入れる。その中では、原典で人気の高いレベル/階層と思しき風景を見ることができる。しかし、怪物の主張が強く、シーンはどんどん移り変わってしまう。
そもそも、The Backroomsの映画化の難易度は高い。明確なストーリーは存在せず、特定の主人公もいない。その上、Youtube上の動画と違い尺も長い。怪物などを登場させなければ、起伏に乏しい作品になりかねない。
筆者はこの点を考えず、リミナル性を期待して本作を鑑賞してしまった。だからこそ、本作のおもしろさを体験しきることができなかった。これは筆者の落ち度である。
今度本作を視聴するときは、ぜひワンシーンワンシーンをじっくり見たいと思う。家具が積み重ねられた映画序盤のシーンや、カメラがバックルームの中を下へ下へと降りていくシーンなど、リミナル的で素晴らしい場面がいくつもあったからだ。その上で、本作に登場する怪物全般に対して考察を深めたいと思っている。
まとめ
映画『バックルームズ』について、原典であるThe Backroomsをからめながら考察してきた。
本作は非常に好評で、原典ファンのみならず、予備知識を持たない人も楽しんでいるようだ。The Backroomsを愛する1人として、この状態はとても嬉しい。今後、この世界がさらに盛り上がってくれれば、さらに楽しみも増えるだろう。
それと同時に、ほんの少しの不安感も抱いている。The Backroomsの最大の魅力であるリミナル性は、今後も保たれるのだろうか。あの静かで、心の奥が落ち着かなくなる不思議な感覚が薄れていくのは悲しいことだ。
怪物ホラーとしてのThe Backroomsの映像化は悪いものではない。けれども、もし次の機会があるならば、リミナル性を重視した映画も制作してほしい(難しいことは理解している)。原典と同じく、どちらの楽しみ方もできる時代がくればよいな、と考えている。


















