
『弘賢随筆』『岡田家文書』『北槎聞略』を手掛かりとした文化史的考察
本文要約(クリックで開く)
享和三年(一八〇三)、常陸国の浜に奇妙な舟が漂着したと伝えられる。船中には言葉の通じない女性が一人。ガラスを備えた丸い船体、抱えられた箱、青い玉を配した衣服、肉を練ったような食物、そして舟中に多数書かれた異国の記号。これらの描写は江戸後期の諸史料に残されている。『弘賢随筆』と新たに公開された『岡田家文書』を比較し、四記号の文字説・標章説、船体の材質と造船技術、女性の服飾や食文化を考察する。さらに、漂着譚に先立つロシア見聞記『北槎聞略』や先行する漂着説話との照合から、江戸時代の異国認識と伝承の変遷を追う。
一八〇三年の常陸国に漂着したと伝えられる「うつろ舟」には、異国の女性、奇妙な船体、読めない四記号、見慣れない食品や装身具が登場する。幕末以前の日本人がこれらをどのように見聞きし、何を異国の徴候として書き留めたのか。国立公文書館の『弘賢随筆』、新たに紹介された『岡田家文書』、さらに漂着伝承に先行するロシア見聞記『北槎聞略』を対照し、史料の伝来と同時代の物質文化の両面から、長く読み継がれた奇談の細部を考察する。
- 序章 問題の所在と資料の扱い
- 検証の単位と史料の階梯
- 第一章 史料の所在、成立、記録主体
- 第二章 享和三年の記事をどこまで遡及できるか
- 第三章 記述の異同――婦人、箱、食料、異国文字
- 第四章 四記号の筆画と回転方向
- 第五章 文字説、合字説、標章説、呪術的図形説
- 第六章 反復記載の意味と、船内における表示の機能
- 第七章 舟の寸法、形態、素材、接合技術
- 第八章 完整な小舟と難破船残骸――二つの物体像
- 第九章 婦人像の頭部装身と異国風俗
- 第十章 「ねり玉」「コハゼ」から読む衣服の仕立て
- 第十一章 『北槎聞略』図版との直接比較
- 二 前開き衣服の形態比較
- 第十二章 食物、水、敷物、箱の組合せ
- 第十三章 欧州・ロシア・東北アジアの文化接触
- 第十四章 先行漂着譚と、文人による考証の変容
- 第十五章 仮説の競合と検証の優先順位
- 終章 史料が指し示す境界
- 付録A 原文と写本の重要語句
- 付録B 四記号の形態計測項目
- 付録C 主要年代対照
- 付録D 国立公文書館所蔵『弘賢随筆』第55冊、件名「うつろ舟の蛮女」現代語訳(要約)
- 参考文献・資料所在
序章 問題の所在と資料の扱い
享和三年(一八〇三)二月、常陸国の沖に奇妙な舟が漂い、浜の人々が曳き寄せると、船中に見慣れない女性がいたという記事は、江戸後期に数々の筆写・考証を生んだ。球状の船体、硝子障子、チャンで塗り固められた継ぎ目、鉄製の補強、赤みを帯びた頭髪、白い垂下物、青い玉を縦に配した衣服、抱き締められた箱、肉を加工したような食物。そして舟に書かれていたとされる四種の不明な図形。これらは一篇の異国漂着譚として伝わるが、描写ごとの由来を検討すると、異なる年代に形成された知識の交錯が浮上する。〔注1〕
国立公文書館所蔵『弘賢随筆』の画像からは、二つの問いが生じる。舟内に数多く見られたという四記号は、発音され、読まれるための「文字」だったのか。女性の衣服と持ち物に表れた特徴は、十八世紀末から十九世紀初頭のどの文化圏に対応するのか。考察は記号の方位と反復、青い玉とコハゼの関係、肉状の携行食を経て、同時代のロシア見聞記『北槎聞略』へと展開した。
記録の成立時期、情報の伝達経路、図版の彩色、既存の異国資料との関係、写本間の依存関係は、それぞれの描写が形成された事情に関わる。史料に残された記述と、他地域の器物・服飾を参照した後世の解釈とでは、史料的位相が異なる。「異国」の範囲も現代の国境とは重ならず、当時の流通圏、服飾の伝播、交易を通じた文化の混交に連なる。一枚の挿絵には、こうした複数の時間が折り重なっている。
検証の単位と史料の階梯
享和三年の漂着譚は、同時代に遡る複数の記録に残されている。ある写本には舟内の四記号が描かれ、別の資料には衣服の留め具を指す「コハゼ」の語が記される。記載事項を照合すれば、伝本に共通する要素と、個々の史料に固有の描写を分別できる。成立年代や伝来を加味すると、漂着譚が書き継がれる過程の変容も捉えられる。
比較資料は三群に大別される。第一は国立公文書館の原画像と『北槎聞略』の図巻。第二は久喜市立郷土資料館による『岡田家文書』の翻字・現代語訳および国立公文書館の解説。第三は博物館の収蔵品解説、海事考古学論文、歴史的な記号の使用例である。後二群は史料読解を補う典拠として用いる。〔注2〕
第一章 史料の所在、成立、記録主体
うつろ舟に関する叙述は、編纂物、家文書、外国船関係記録に分散して伝存する。書誌上の帰属、成立時期、筆録主体の相違は、共通する文言や図像の伝来と密接に関わる。
一 『弘賢随筆』の書誌と記事の層
国立公文書館デジタルアーカイブは、当該記事を「うつろ舟の蛮女」、請求番号「特095-0004」、冊次0055、件名番号0721として公開する。『弘賢随筆』は屋代弘賢のもとに集まった奇事異聞や考証を編纂した雑稿として紹介される一方、当該件名のメタデータには「著者:滝沢興継」とある。編纂上の帰属と個別記事の著者表示は区別され、末尾の考証と挿絵の作者についても同一とは記されていない。〔注3〕
『弘賢随筆』の当該四見開きには、先行記事の末尾、漂着譚の本文、女性と舟の彩色画、後続する論評が収められる。本文では浜人の行為に関する伝聞、老人の推量、異国知識に基づく考証が交錯する。女性の箱に男の首が入っているという話は老人の推測として登場し、箱を開封したという記事ではない。
文末には、描写の粗略さを惜しみ、詳細を知る人物に尋ねたいとの意向が記される。筆者は現地で実見した者として語っておらず、その文章には浜辺から伝わった情報と文人の考証が併存する。

二 『沿海紀聞』の位置
国立公文書館が2026年9月に原本を特別展示した『沿海紀聞』は、斎藤月岑編と伝えられる外国船来航・漂着記事の集成である。同館の解説によれば、舟は球体に近く、女性の顔貌は日本画的に描かれる。『弘賢随筆』との図像差は、彩色と人物表現の書写上の変化を考える材料となる。〔注4〕
『沿海紀聞』と『弘賢随筆』に共通する図柄は、底本、成立時期、模写の系譜と照合される。同一図像を伝える写本の数は、独立した目撃者の人数とは一致しない。
三 岡田家文書の伝来と年代推定
久喜市に伝えられた『岡田家文書』は、江戸時代に中里村の名主を務めた岡田家に由来する約四千九百点の古文書群であり、2025年3月に久喜市へ寄贈された。同市立郷土資料館は2026年10月10日から特別展「時空を超える栗橋の岡田家文書」を開催し、「小笠原越中守知行流来候空舩之図」を初公開した。公開翻字と現代語訳により、享和三年二月二十二日、常陸国の海浜、女性の年齢・顔色・歯・箱、敷物、食物、容器、船内の不明文字、衣服の白色とコハゼ状部材などの記載を確認できる。〔注5〕
同館は、筆跡、紙質、紙幅、虫損の状態を家文書内の他史料と対照し、享和期前後の作成と推定している。漂着の日付として記された享和三年二月二十二日と、文書自体の成立年代は異なる時間指標である。
岡田家文書は、漂着譚の地域的伝播を辿る新たな手掛かりとなった。久喜市立郷土資料館が提唱する、常陸の海岸から利根川舟運を経て栗橋宿へ至る情報伝達経路では、地名の一致と具体的な伝達過程の復元が峻別される。〔注6〕
第二章 享和三年の記事をどこまで遡及できるか
漂着の日付、浜の呼称、領主名には伝本ごとに異同がある。その差異には、出来事の記憶と書写過程の変化が刻まれている。
一 日付・地名・領主名
『弘賢随筆』と『岡田家文書』は、享和三年二月二十二日を漂着の日とする。一方、『新古雑記』には「亥三月二十六日」とする記述が紹介されている。日付の不一致は、各伝本が継承した情報の相違として検討される。〔注7〕
漂着地「はらやどり」は常陸国の舎利浜に比定されている。久喜市立郷土資料館は現在の神栖市波崎・舎利浜地区との関係を挙げ、伊能忠敬の測量図に残る地名とも対照する。伝承には現実の地理に結び付く情報が含まれるが、地名の一致だけで漂着の経緯は定まらない。
文書中の「小笠原越中守」と、舎利浜周辺の実際の知行者とされる人物との不一致も看過できない。地名、領主名、日付の異同は、転写上の変化を伴うと同時に、伝承の流通経路を探る材料となる。
二 出来事と語りの時間差
文政八年(一八二五)に『兎園小説』へ収録された時点で、享和三年から二十年以上を経ている。その間に江戸文人の異国知識や先行する漂着譚が介在した。『弘賢随筆』に記された外国の王女説、密通した男の首、ロシア属国の女性という類推は、伝聞が考証へ転じた過程に置かれる。
『岡田家文書』には生首の逸話が現れない。簡略な記録における省筆か、後続する伝本での物語化かという相違は、箱をめぐる伝承の変容に関わる。
第三章 記述の異同――婦人、箱、食料、異国文字
『岡田家文書』と『弘賢随筆』を比較すると、衣服の彩色と頭部の描写に差がある。前者では衣服を白色、生地を不明とし、「コハゼやうのもの」に言及する。後者の婦人像は青系の長衣をまとい、前面に青い玉が並ぶ。また、『弘賢随筆』は白く垂れる頭部の部材を髪・獣毛・糸などに比するが、早期の『岡田家文書』には同様の細密な記載がない。
両史料に共通するのは、留め具状の部材、箱、食物、舟の窓と塗料、船中に多数あったとされる不明記号である。衣色や頭部装身の異同に対し、これらの事項は漂着譚の継承部分として位置付けられる。
項目 | 『岡田家文書』の記載 | 『弘賢随筆』の記載 | 相違点 |
|---|---|---|---|
日付 | 享和3年2月22日、昼ごろ | 享和3年2月22日、正午ごろ | 共通する日時の系譜を持つ |
衣服 | 白い。生地不明。コハゼ状のもの | 青い衣装。青い「ねり玉」 | 色彩と部材の呼称が変化 |
頭部 | 赤黒い眉。白色の付け髪への明記なし | 赤い眉・髪、白く長く垂れるもの | 細密描写の採否が異なる |
箱 | 2尺四方ほど。大事に保持 | 2尺四方ほど。手放さず | 持ち物という核は類似 |
食物 | 食物らしいもの、肉類らしいもの | 菓子状のもの、肉を練ったようなもの | 後者に加工状態の形容 |
船材 | 窓障子、チャン。下面の材質不明 | ガラス障子、チャン、底部鉄板 | 金属の記載に差 |
文字 | 如此之文字 多書付有り | 如此蛮字、船中に多く | 多く存在したとの記録は共通 |
表1 主要記述の異同。『岡田家文書』欄は久喜市立郷土資料館の2026年公開翻字・現代語訳に拠る。
第四章 四記号の筆画と回転方向
四記号は原本で縦に配されるが、それが目撃時の正立方向を再現するとは限らない。回転図は、筆画の接続と記号の並びを方位別に対照するための資料となる。
一 原本の方位は現物の方位ではない
原図の縦並びを正立とする根拠は伝わらない。船内の天井、内壁、器物、貨幣など、記号の記載面や観察方向によって視認上の上下左右は変化する。九十度刻みの回転図では、原図と異なる方位での造形を対照できる。
四記号を九十度ずつ回転させると、中央の二つの円と線の組み合わせは、人体、器具、天体記号、合字など、異なる図形との近似を生む。回転によって比較対象は変化するが、記号そのものの筆画や相互の配置は変わらない。

二 両端の図形が共有する造形上の規則
原本の第一記号と第四記号は、多角形状の輪郭と円形要素を共有する。円の数や線の接続点は異なり、単純な鏡像関係にはない。内側の二記号は、円と直線、または直線同士の交差を中心に構成される。両端と中央とで異なる造形上の役割を担う配列とも考えられる。
解釈は二つに分かれる。四記号をひとまとまりの紋章・合字とみる説と、共通する意匠語彙を用いた独立符号の列とみる説である。原図には四記号全体を接続する外枠や線がなく、両説は別個の図案理解として競合する。比較対象には紋章学、商業史、器物識別の事例が含まれる。
第五章 文字説、合字説、標章説、呪術的図形説
史料の「蛮字」という呼称に即して文字説を検討したのち、合字、商人印、製作者印、保護符号の使用例と四記号の筆画・配置を照らし合わせる。
一 文字であるとする解釈
「蛮字」「文字」という呼称は、記録者が図形を文字状のものとして認識したことを伝える。西洋やアジアの商標、貨幣銘、船印、紋章も、江戸期の観察者には異国の文字に映り得た。文字体系への帰属を唱える場合には、同時代の字体と四記号との対応、配列および読み順を一貫して呈示することが求められる。
錬金術記号には、二つの円を縦に配し、中央を横棒でつなぐ近似図形がある。しかし共通するのは筆画の一部であり、四記号全体が同一の記号体系に属する根拠は挙がっていない。その物質名を船中の各所へ記す用途上の理由も説明されず、錬金術記号説は説得力を後退させる。
二 モノグラムと交易標章
『新古雑記』には、この四記号を「コンパニヤの合字」に関係づけた記述が存在すると鹿角崇彦氏が紹介している。コンパニヤは当時の西洋商業組織を想起させる語であり、複数のアルファベットを合成した符号を会社や商家の識別標として用いる習慣と接続する。オランダ東インド会社のVOC商標は著名な例だが、うつろ舟の記号がVOCであるとする直接の形態一致は得られていない。〔注8〕
『新古雑記』に記された合字解釈は、四記号の受容史において注目に値する。交易組織や所属を識別する符号として、四記号を捉えた考証が記録されている。商人印は箱、積荷、財産、帳簿などにも付され、船中に多数あったという記録と用途上の接点を持つ。
三 所有印、製作者印、呪術的な印
船舶材への刻印例には、リスボンで発掘された十七世紀末から十八世紀初頭のBoa Vista 1がある。海事考古学の報告では、船体外装用の板七枚に同一の刻線印が見つかり、所有者または船大工の印と解釈されている。刻印は板の内面に位置する点で、うつろ舟伝承の船内表示とは異なる。〔注9〕
呪術的な記号の例には、イングランドの建造物に残るApotropaic Marksがある。出入口、窓、暖炉の付近に円や交差線、文字の組合せが刻まれ、場所を守る効験が期待されたと解される。船の図形との同一性ではなく、反復された非言語的な印の用途を考える比較事例である。〔注10〕
候補 | 同時代的な類例 | 四記号に照らした利点 | 残る問題 |
|---|---|---|---|
未知の文字 | 多様な西洋・アジアの書記体系 | 史料の「蛮字」表現と合う | 四つを一貫して読める体系未発見 |
商人印・会社合字 | 交易組織のモノグラム、箱の焼き印 | 反復と所属表示の説明に適す | 既知商標との図形一致未発見 |
製作者・所有者印 | Boa Vista 1の複数刻印 | 船内の多数表示を説明する類例 | 位置と印の形が不一致 |
呪術印 | 欧州建造物の魔除けの刻み印 | 反復配置と非言語的作用に適す | 宗教的背景を示す研究が無い |
貨幣銘文の誤認 | ロシア銅貨の反復する銘文 | 同じ字を多数見る事態が生じる | 「書付有り」と記した本文と齟齬 |
表2 四記号の競合解釈。
第六章 反復記載の意味と、船内における表示の機能
『岡田家文書』は「舟中ニ如此之文字多書付有り」と記し、『弘賢随筆』も同趣旨の注記を残す。伝わるのは文字状の図形が多数あったという情報であり、一字が反復したのか、四記号が一組で連続したのか、別種の図形を含むのかは明記されない。
積荷の識別、梱包材の焼き印、製作工程の符号、護符、紋章、帯状の装飾は、いずれも図形を繰り返す用途を持つ。また、複数の板材や箱、桶に個別の印が付されていれば、それらの集合が「舟中に多数」と表現された場合も考えられる。
記号が刻まれていた対象は、内壁、窓枠、船底の外装板、容器、衣類、貨幣などに分かれる。表示位置の違いは、商標・護符・貨幣銘文という解釈を左右するが、伝本に付着面の詳細は記されない。
久喜市立郷土資料館は、パーヴェル一世治世期のロシア一デンガ銅貨にある文字・数字・横線と四記号の類似を指摘する。貨幣に同一の刻印が多数存在することは反復の一つの説明となる。しかし、舟内に貨幣が散在したとの記録はない。貨幣説には、図形の近似だけでなく、目撃者がそれらを「書付」と表現した事情の説明が残る。〔注11〕
第七章 舟の寸法、形態、素材、接合技術
船体の寸法と外形に加え、硝子障子、チャン、金属張りという具体的な部材が伝えられる。素材と加工法の記載は、当時の船舶技術との対照を可能にする。
一 寸法と外形の問題
『弘賢随筆』の舟は香合のように丸く、長さ三間余と記される。三間は約五・五メートルに当たり、一人の女性と箱、敷物、飲料水、食物を収容し得る寸法となる。図には窓と側面の濃色の帯がある一方、推進装置、舵、帆柱、櫂は描かれない。外洋航行に必要な浮力、復原性、操縦性に関する記事も見られない。
独立した小舟とみるなら、河川・沿岸の籠船や円形舟、救命艇などが比較対象となる。損壊した船体の一部と解する場合には、破材や容器類が舟に似た一塊として認識された経緯が問題となる。いずれの物体像についても出帆地や航路の記録は残されていない。
二 硝子障子、チャン、金属張り
ガラスをはめた窓に防水用の塗料を施すことは、光を通す開口部を海水や雨から守るという機能から理解できる。久喜市立郷土資料館は「チャン」について、松脂と乾性油を混ぜた瀝青質の防水材料と説明する。〔注12〕
『弘賢随筆』は船底に鉄板が筋状に張られていたと記すが、『岡田家文書』では底部の材質が木かどうかも判然としない。欧州の木造船には船底を金属板や木板で被覆して防汚・防虫・損傷防止を図った例がある。金属の種類、被覆位置、施工目的には相違があり、舟の国籍を特定する共通仕様とはならない。

第八章 完整な小舟と難破船残骸――二つの物体像
漂着物が完成した舟であったとする解釈に対し、船材、窓枠、器物、船首像などの破損品が、後の叙述で一つの「うつろ舟」へ統合されたとする説がある。久喜市立郷土資料館はロシア難破船の残骸、船首像、貨幣を組み合わせた仮説を提示している。〔注13〕
残骸説では、丸い船体の航海機能を復元する問題が後景に退く一方、破材がまとまって漂着し、その内部に婦人と箱を認めたという叙述の成立過程が問われる。船首像説にとっては、木像が生身の女性として語られるようになった経緯が中心的な論点となる。
リーフデ号に関係する十七世紀の木像は、日本で異国の宗教的な像として扱われた。この例は、漂着した外国の造形物が日本で別の信仰上の意味を与えられた事例に属する。
第九章 婦人像の頭部装身と異国風俗
『弘賢随筆』の人物図には、赤褐色の頭髪と、背中へ延びる白色の帯状物が描き分けられる。白色部分には、付け髪、織物、ベール、帽子の後垂れ、白粉を帯びた髪束などが対応候補として挙がる。本文はその材質を獣毛や撚糸に比し、当時の観察者には未知のものとして扱っている。
ロシア国立美術館が所蔵する十八世紀末から十九世紀初頭の女性祝祭服には、ココシニク、ベール、サラファン、シュガイを組み合わせた例がある。頭部を覆い背面へ垂らすファータは、『弘賢随筆』に描かれた白色物の比較対象となる。ただし同図では赤褐色の髪が露出しており、写本間の頭部描写にも差がある。〔注14〕
『弘賢随筆』の考証部分には、ロシア女性の髪型に関する文献を引き、白粉による頭髪の着色と結び付ける記述がある。異国風俗の知識を介して婦人像を理解しようとする、江戸期の考証の一例である。

第十章 「ねり玉」「コハゼ」から読む衣服の仕立て
青い「ねり玉」と「コハゼ」の記載は、衣服前面の部材を装飾と留め具の双方から検討する契機となる。両語の相違は、描画と筆録の伝来にも関わる。
一 球状の装飾か、留め具か
衣服前面の青い部材は、胸のあたりに二個、腹部に二個という配置で描かれる。『弘賢随筆』の図注は「ねり玉 青し」と記し、『岡田家文書』には「コハゼやうのもの」とある。別系統の稲生家文書に関する紹介では「此コハセねり物にて青し」という説明が伝わる。コハゼは衣服を留めるための鉤状の部品を連想させ、青い玉を単なる装身具とみるより、前身頃を合わせる仕組みの一部と考える根拠になる。〔注15〕
丸く描かれた部材が固定用のボタンか紐付きの飾り留めかは、図像から判別できない。箱を抱えた腕で前身頃の一部が隠れ、合わせ目の全貌も不明である。留め具の形態を比定する手掛かりは、個数、配列、左右の合わせ方、襟との連続性に求められる。
ロシア国立美術館によれば、サラファンには前開きで上部までボタンを留める型がある。十八世紀末から十九世紀初頭の祝祭服には、外衣シュガイ、下衣サラファン、頭飾りを重ねた一式も伝わる。長衣と前面の留め具は同じ服飾文化内で対照できるが、同館の祝祭服と婦人像では衣色、袖丈、装飾に差がある。〔注16〕
二 清朝・北東アジアとの比較
清朝の女性衣装にも球状の部材を紐や輪と組み合わせた留め具がある。前合わせの方向、襟元から脇への位置の変化には地域差と時代差が認められる。『弘賢随筆』の衣装は前身頃の中央に縦線が描かれ、脇へ流れる満洲系の典型例とは異なる。ただし、この所見は図像に現れた線の位置に基づく。
「練り玉」の材質は、練り物の珠、ガラス様の人工石、陶製の部材などが候補となる。青色の彩色は材質を確定せず、十八世紀の実物衣服や交易珠との照合には、前合わせの仕立てと取り付け方が関わる。
観察項目 | 原資料にある情報 | ロシア服飾の比較要素 | 判別に要る追加材料 |
|---|---|---|---|
前面の四つの青い玉 | 胸に二個、腹部に二個 | 前開きボタン、装飾的留め具 | 前立て・裏側の縫製が分かる図 |
長袖 | 肩から手首へ続くゆったりした袖 | シュガイ等の袖付き上衣 | 袖口の仕立ての拡大比較 |
長い下衣 | 縦ひだ、裾に赤色の一部 | サラファン類の裾とひだ | 前後図・側面図 |
白い頭部装身 | 赤褐色の髪の後方に長い白帯 | ファータ、ココシニクと併用する布 | 別写本での頭部の同一箇所 |
表3 衣服の描写と比較上の判別点。
第十一章 『北槎聞略』図版との直接比較
漂着伝承より前に成立した『北槎聞略』には、ロシアの器物と服飾を写した図巻がある。同時代の衣服の姿と、日本側の異国図像の形成という二つの観点から婦人像と対照される。
一 1794年、日本側に存在したロシア服飾の図像
『北槎聞略』は、天明二年(一七八二)に遭難してロシアへ渡り、寛政四年(一七九二)に帰国した大黒屋光太夫の見聞を桂川甫周がまとめ、寛政六年(一七九四)に幕府へ献上した記録である。国立公文書館所蔵本の請求番号は185-0579で、本文十二冊、地図・図巻を含む。1993年に重要文化財に指定され、公式解説は「器材・装身具等」図巻の原図長1378センチ、紙高29センチ、「服装等」図巻の原図長1603センチ、紙高29センチと記す。〔注17〕
「服装等」(冊次0024)は47,706×960ピクセルの横長画像で、履物、帽子、手袋、頭部装身、上衣、外套、胴衣、ズボンなどが連続する。男性用とみられる上衣や軍装風の胴衣も含み、単一地域の女性服を集めた図巻ではない。前面に留め具を列状に配した衣服、裾広がりの外套、襟や袖の描写が、婦人像との形態的な対照点となる。〔注18〕

二 前開き衣服の形態比較
図巻の中程には、胸元から腰までボタンを並べた青系の上衣と、前合わせを強調した緑色の外套が描かれる。婦人像の青い玉も、衣服前面に連続して付された部材である。両者の共通点はその配置にあり、婦人像からは衣服の裏面、裁断線、背面まで復元できない。
『北槎聞略』の服飾図巻は、ロシア系の衣服を着た漂着者の記録を比較する資料となるとともに、江戸の絵師が異国女性を描く際に参照し得た先行図像でもある。両者の近似を解釈する鍵は、服装の細部が各写本に現れた時期とその伝来にある。


三 「器材・装身具等」と色彩描写
「器材・装身具等」(冊次0023)には、耳飾り、指輪、鏡、器械類の彩色図が収められる。日本側が一七九〇年代にロシア由来の器物や装身具を、輪郭、材質、色彩とともに記録した資料である。「青いねり玉」に相当する品名や用途は、これらの図との間で一致していない。
図巻には外来器物の形と名称を対照した記録があり、異国の品を既知の日本語で形容した観察のあり方がうかがえる。うつろ舟記事の「コハゼやうのもの」「肉類躰なるもの」という語法も、そのような比喩的把握に属する。

第十二章 食物、水、敷物、箱の組合せ
婦人が抱えた箱と、舟中の食物、水、敷物、器物は、漂流者の携行品とも漂着物の一群とも解されてきた。数量、材質、加工状態をめぐる記述には、生活文化と保存技術に関わる手掛かりがある。
一 「肉を練りたる如きもの」という形容
『弘賢随筆』は食物の一つを「肉を練りたる如きもの」と形容する。乾燥、燻製、塩蔵、脂肪との混和などの製法や、原料となった獣種、色、量、容器については記されない。伝えられるのは、肉を細かく加工して練り固めたように見えたという外観である。
北米のペミカンは、乾燥肉を砕いて脂肪と混ぜ、場合によって果実を加えた保存食で、十八世紀の毛皮交易における携行食として知られる。その製法と用途は肉状食品の比較対象となるが、うつろ舟の出帆地を北米とする根拠にはならない。〔注19〕
東アジアの干肉、北方地域の加工肉、欧州の航海用食品にも、保存性を高めるための加工技術がある。史料中の「肉類」は、見慣れない食物を分類する観察者の言葉であり、その実体や舟中での用途は記載から判明しない。
二 水・敷物・茶碗の意味
二枚の柔らかい敷物、水、石か焼物か不明な茶碗状の器、菓子状の食品、肉製品が舟中にあったと記される。これらは乗り手の生活用具としても、複数の漂着物としても理解し得る。
伝本間では水の分量に「二升」「二斗」の異同がある。飲料水の消費量から漂流期間を算出する場合には、どの異本を採るかに加え、乗員数、容器容量、補給状況が関わる。
三 抱えられた箱――所有物か象徴物か
二尺四方ほどの箱を婦人が手放さず、他人を近づけなかったという話は複数の伝本に現れる。その中に男の首があるという説明は浜の老人の推測であり、先行漂着譚の類型とも符合する。箱の開封を伝える記事はない。
容器史上の比較候補には、貴重品箱、持参金箱、聖物容器、鏡匣、薬品箱、食品容器などがある。ロシアのスンドゥークを想定する場合は、角金具、錠、持ち手、箱材が判別点となるが、『弘賢随筆』に残る情報は主に形と寸法である。
第十三章 欧州・ロシア・東北アジアの文化接触
十八世紀末から十九世紀初頭の北太平洋は、ロシア帝国の東方進出とシベリア・アリューシャン列島の毛皮交易によって、衣服、珠、食料、船材が移動する文化接触の場でもあった。欧州の造船技術、ロシア系の服飾、北方の加工食品には、交易を媒介とした分布の重なりがある。他方、享和三年の漂着譚と特定の航路を結ぶ記録は伝わらない。
ロシア国立美術館の女性祝祭服には、ココシニク、ファータ、シュガイ、サラファン、前面の装飾ボタンが組み合わされる。『弘賢随筆』の白い頭部装身、長袖、丸玉、長衣とは複数の項目で照合できる。清朝・北東アジアにも球状の留め具や長衣が存在し、比較は一地域の服飾に限定されない。〔注20〕
『北槎聞略』の成立は、漂着譚より前に日本側がロシアの服飾情報を得ていたことを裏付ける。婦人像の異国的な特徴は、現実に漂着者が身に着けた衣服に由来する場合と、筆写者が参照した既存の図像に由来する場合とに分けて考察される。この区別は、女性の出身地と絵図の形成史を混同しないための要点となる。
比較対象 | 頭部装身 | 衣服の留め具 | 食品/船材 |
|---|---|---|---|
ロシア・東欧 | ベール、頭部布の同時代実物 | 前開き衣装の列状ボタン | 欧州造船技術に接続 |
清朝・北東アジア | 対応は一義的でない | 球状留め具と長衣が存在 | 加工肉・水上交通の文化 |
北太平洋交易圏 | 頭部装身は地域・民族に差 | ガラス珠などの流通 | 保存食や海上交通の交錯 |
西欧商業圏 | 粉髪、帽子、ベール等 | ボタン・装飾の使用 | 商標、船材、航海用品 |
表4 文化圏比較。
第十四章 先行漂着譚と、文人による考証の変容
享和三年の漂着譚に登場する婦人、箱、舟、生首の組合せは、先行する日本の漂着譚にも認められる。個々の要素が受け継がれる過程で、異国の物件に関する叙述が改められた。
一 漂着譚に先在する要素
国立公文書館は、元禄十一年(一六九八)、三河国吉田浦へ「ウツホ舟」が着岸したとする『改正甘露草』の記事を紹介する。婦人が一人で乗り、言葉が通じず、舳先には男の首があって長崎へ送ったという話である。久喜市立郷土資料館の補足資料には、1699年の熱田湊、1796年の加賀方面、伊予日振島などの先行譚も掲げられる。異国の女性、通じない言語、箱や首、漂流という組合せは享和三年以前から伝えられていた。〔注21〕
こうした先行譚には、異国の漂着者を既知の説話に沿って理解する語り方が認められる。箱の中身が男の首だとする推量も、その類型と結び付いている。既存の物語は、後続する出来事の叙述に用いられる表現の蓄積を成していた。
二 書き写す行為が変えたもの
漂着物の図像では、原物の寸法や彩色が絵師の描画習慣を介して再現される。『弘賢随筆』の婦人は箱を胸に抱き、青い玉の付いた衣服を着る。一方、『沿海紀聞』の女性の顔貌は日本画的と説明される。人物表現の異同には、聞き書き、模写、彩色の各段階が反映している。
婦人像の成立を遡るには、最初の描画の時期と作者、その模写者、注釈の加筆者を分別することになる。白い垂下物や船底の金属張りの描写がどの伝本から現れたかは、服飾・技術比較の年代的な前提を左右する。
第十五章 仮説の競合と検証の優先順位
四記号の用途を説明する標章説、婦人像の形態的近似を扱うロシア服飾説、船体の形状を解釈する難破船残骸説は、対象とする事項が異なる。それぞれの仮説に対応する資料を列挙すると、検証の対象と不足する情報が明確になる。
問題 | 現在の直接資料 | 主要な仮説 | 最も有効な次の照合 |
|---|---|---|---|
四記号の機能 | 「多数書付」の記述と四図形 | 所属標章/合字/文字/護符/貨幣 | 別写本で付着位置と配列を比較 |
婦人の頭部 | 白い垂下物と赤褐色の髪 | ベール/付け髪/白粉 | 早期文書の図に遡る |
衣服前面 | 青いねり玉、コハゼ状部材 | ロシア前開き服/北東アジアの留め具 | 『北槎聞略』の注記翻刻と実物寸法 |
肉状食品 | 食物・肉類という呼称 | 保存食/加工肉/誤認 | 容器・形状の記載がある写本探索 |
船の実体 | 窓、チャン、丸い形、金属記述の異同 | 完結した舟/漂着した破材 | 初期図の寸法と技術描写を照合 |
情報の来歴 | 舎利浜、岡田家、江戸文人 | 現地伝達/先行譚の改作/双方の混合 | 制作年と書写関係の系譜化 |
表5 論点別の検証表。
研究上の優先順位
岡田家文書、稲生家文書、沿海紀聞、弘賢随筆などの各写本に描かれた四記号については、円の数、線の接続点、両端の輪郭、方位、付着位置を揃えて対照することが課題となる。転写過程で変化した筆画を辿ることで、図形間の系譜をより細かく判別できる。
『北槎聞略』「服装等」では、衣服ごとの注記を翻刻し、名称の音写、用途、性別、材質、前合わせを照合する作業が残る。男性服と女性服の識別も、図像の近似を評価する際の基礎となる。
食物と箱については、材質、容器、加工法を記した異本の探索が続く。先行漂着譚から借用された形容と、見慣れない器物を実見した者の記録とを分別する資料が求められる。
終章 史料が指し示す境界
享和三年の漂着譚に描かれた四記号には、文字としての読みと、所有・所属・交易・祈願・製作に関わる識別印としての機能という二つの解釈がある。両端の図形が共有する意匠と「多数書付」という記録は、標章説にとっての主要な論拠となる。
婦人の服装にも、青い「ねり玉」とコハゼ状の留め具、白い頭部装身、長袖と裾広がりの衣服という要素が残る。ロシア国立美術館の収蔵品との形態的な類似に加え、享和三年以前の『北槎聞略』にロシア服飾の図巻が存在する事実は、目撃情報と既存の異国知識が婦人像に与えた影響を考える材料となる。
硝子障子、チャン、船底の金属、箱、肉状の食品は、造船技術や広域の交易文化と結び付ける。しかし史料に記された素材の異同や描写の変遷から、出帆地や航路を一つに定めることはできない。
うつろ舟の記録は、一八〇三年とされる漂着の日付だけでなく、その出来事が地名と図像を伴い、文人の考証と結び付き、後世に書き継がれた過程を伝える。四記号の機能と青い留め具の由来という問いは、江戸期の異国認識と伝承の形成を考えるうえで、なお中心に位置する。
付録A 原文と写本の重要語句
資料 | 語句または解説(現代表記) | 研究上の用途 |
|---|---|---|
『弘賢随筆』図注 | 「如此蛮字 船中に多く有し」 | 文字の反復についての直接資料 |
『弘賢随筆』図注 | 「ねり玉 青し」 | 衣服の丸い青色部材の名称 |
『岡田家文書』翻字 | 「舟中ニ如此之文字 多書付有り」 | 多数の文字状記号があったという伝聞 |
『岡田家文書』翻字 | 「着類白ク地不知」「コハゼやうのもの」 | 衣色と留め具の記述 |
『岡田家文書』翻字 | 「喰物思き物 又肉類躰なるもの」 | 食品の分類と観察語 |
『新古雑記』の紹介 | 「コンパニヤの合字」とする考証 | 早期の標章的な読みの存在 |
表6 語句の対照。『新古雑記』については鹿角崇彦氏の紹介に拠り、現物の逐字校訂を行ったものではない。
付録B 四記号の形態計測項目
四記号の形態を対照する指標は、多角形状輪郭の角数と開口方向、円の個数と径、線の接触点、直交線の比率、記号間隔、墨の濃淡、筆順、転写時に消えた筆画、字の向きである。回転と鏡像反転は別の操作として区別される。
錬金術記号、モノグラム、商人印、貨幣銘文、宗教的保護印の比較には、筆画の近似だけでなく、同時代における用途と書写による変容も関わる。
付録C 主要年代対照
漂着とされた年月、先行譚、『北槎聞略』の成立、江戸文人による採録の時期を対照する。各記録の成立と記事が指す年代との関係を掲げる。
時期 | 対象 | 位置づけ |
|---|---|---|
1698年 | 『改正甘露草』に記された三河の「ウツホ舟」 | 先行する漂着譚の一例 |
1782年 | 大黒屋光太夫らが海難に遭遇 | 『北槎聞略』成立の背景 |
1792年 | 光太夫がロシア使節に伴われて帰国 | 幕府側のロシア見聞の契機 |
1794年 | 桂川甫周『北槎聞略』成立 | 事件以前のロシア器物・服飾図像 |
1803年 | 享和三年、常陸国の漂着とされる年月 | 諸写本の記事が指す事象 |
1825年 | 『兎園小説』に異聞が収録 | 文人による語りと考証の段階 |
2025年3月 | 岡田家文書が久喜市へ寄贈 | 史料の現代的な保存過程 |
2026年9月 | 国立公文書館で原本特別展示 | 『弘賢随筆』『沿海紀聞』再検討の契機 |
2026年10月 | 久喜市が岡田家文書を原本公開 | 早期文書の比較資料が増加 |
表7 主な年代。事件を記した記事の年月と、文書自体の成立時点を区別した。〔注22〕
付録D 国立公文書館所蔵『弘賢随筆』第55冊、件名「うつろ舟の蛮女」現代語訳(要約)
『弘賢随筆』所収記事の現代語訳を掲げる。浜人の行動、老人の推量、筆者の考証の順序は原叙述に従う。
一 常陸国に漂着した奇妙な舟
享和3年(1803年)2月22日の正午ごろ、当時、寄合席であった小笠原越中守(四千石)の領地、常陸国の「はらやどり」という浜で、沖合に舟のようなものが遠くに見えた。
浜の人々は何艘もの小舟を漕ぎ出し、ついにその物体を浜辺へ引き寄せた。
よく見ると、その舟は香合(香を入れる丸い容器)のような形で、全体が丸く、長さは三間余り(約5.5メートル)あった。
上部にはガラスの障子が設けられ、チャン(松脂)を塗って隙間をふさいでいた。底には鉄板が幾筋にもわたって張り付けられていた。これは海中の岩にぶつかっても壊れないようにするためだろう。
上部からは内部が透けて見え、隠れている部分がなかった。
人々が集まって中をのぞくと、そこには見慣れない姿をした一人の女性が乗っていた。
その姿は次の図のとおりである。
二 舟と女性の姿
図には、奇妙な舟と、その中に乗っていた女性が描かれている。
舟の図には、次の説明が付されている。
– 舟の中には、このような異国の文字が多数書かれていた。
– 上部はガラス障子で、外側にはチャンが塗られていた。
– 下部には鉄が張られていた。
– 舟の長さは三間余りであった。
女性の図には、次の説明がある。
– 白い付け髪のようなものがあるが、その材質は判別できない。
– 抱えている箱は二尺ほど四方(約60センチ四方)である。
– 衣服の青い飾りは「ねり玉」と記されている。
三 女性の容姿と持ち物
その女性は眉と髪の毛が赤く、顔は桃色をしていた。
頭には付け髪のようなものがあり、それは白く長く、背中にまで垂れ下がっていた。
それが動物の毛なのか、糸をより合わせたものなのか、誰にもわからなかった。
互いに言葉が通じないため、どこの国から来た者なのか尋ねることもできなかった。
この異国の女性は、二尺四方の箱を持っていた。
よほど大切なものと思われ、片時も手放そうとせず、ほかの人を近づけようともしなかった。
そこで、舟の中に何があるのか、いろいろと調べてみると、次のようなものが見つかった。
水が二升ほど、小さな瓶に入っていた。また、敷物が二枚、菓子のようなもの、それに肉を練り固めたような食べ物があった。
なお、水については異なる写本があり、一方には「二升」が「二斗」、「小瓶」が「小船」と記されている。どちらが正しいのかはわからない。
四 浜の老人による推測
浜の人々が集まり、この女性をどう扱うべきか相談している間、女性はその様子を穏やかに眺め、微笑んでいるばかりだった。
すると、土地の老人が次のような話をした。
「この女性は、異国の王の娘ではないだろうか。
ほかの家へ嫁いだものの、ひそかに関係を持った男がいて、そのことが発覚したため、男は処刑されたのだろう。しかし、女性は王の娘であるため、さすがに殺すには忍びず、うつろ舟に乗せて海へ流し、生死を天に任せたのではないか。そう考えると、あの箱の中に入っているのは、処刑された男の首ではないだろうか。昔にも、このような異国の女性がうつろ舟に乗せられ、近くの浜辺に漂着したことがあった。その舟の中には、まな板のようなものに載せられた、生々しい人間の首があったと伝えられている。その言い伝えと合わせて考えれば、今回の箱の中にも同じようなものが入っているのだろう。だからこそ、女性は箱を大切にし、片時も手放さないのではないか」
老人はそのように語ったという。
五 女性を再び海へ流す
この件を役所へ報告すれば、諸々の費用が相当な額になるだろう。
以前にも、このようなものをそのまま海へ流した前例があるという。
そこで、人々は女性を再び元の舟に乗せ、沖まで引き出して、そのまま押し流してしまったということである。
もし思いやりのある人々であったなら、ここまでのことはしなかっただろう。
これもまた、その異国の女性の不幸というべきであろう。
六 舟に書かれた文字と女性の出身地
また、その舟の内部には、図に描かれたような異国の文字が多数書かれていたという。
後になって考えてみると、近ごろ浦賀沖に停泊したイギリス船にも、これと同じような文字があった。
そうであれば、この女性はイギリス、あるいはベンガラ(ベンガル地方)、もしくはアメリカなど、異国の王の娘だったのだろうか。しかし、それもまたわからない。
当時、珍しい出来事を好む人々が書き写し、伝えた内容は以上のとおりである。
絵も説明も粗略で、詳しいことが記されていないのは残念である。
この出来事について、よく知っている者がいるならば、ぜひ尋ねてみたいものである。
本文の欄外に記された考察(現代語訳)
本文とは別に、女性の容姿について、ロシア関係の文献を参照した考察が書き込まれている。
考えてみると、『魯西亜国見録』の人物に関する記述には、女性の衣服について、袖が筒状で、腰から上を細く仕立てているとある。
また、髪には白い粉を振りかけ、結い上げているとも記されている。
このことから考えると、今回の異国の女性の頭髪が白かったのも、白い粉を塗っていたためかもしれない。
そうであれば、ロシアの属国の女性だったのだろうか。
なお、さらに調べる必要がある。
現代語訳に関する注記
本文を読むうえで、特に区別しておきたい点を以下に記す。
第一に、箱の中に人間の首が入っていたという記述は、箱を開けて確認した結果ではない。 土地の老人が、過去の言い伝えを根拠として語った推測である。本文にも箱の内部を調べたとの記述は無い。
第二に、女性の出身地について二つの考察がある。
欄外ではロシアの属国、本文末尾ではイギリス、ベンガラ、アメリカが挙げられている。ただし、いずれも服装や文字から推測したものであり、出身地が判明したという記録ではない。
第三に、この記録の筆者は事件の直接の目撃者として記述していない。 最後に、当時の好事家が書き写して伝えた話であることを明記し、絵と説明の不十分さを残念がっている。
つまり、『弘賢随筆』には、1803年の漂着を伝える話だけでなく、後年にその話がどのように受け止められ、考察されたかという情報が含まれている。
また、今回の原文末尾は「ベンガラ」と読めるため、現代語訳でもこれを残した。
国立公文書館の解説では、この資料を含む『弘賢随筆』は、屋代弘賢のもとに集まった奇事異聞や考証などの雑稿を編纂したものと説明されている。
注
注1 国立公文書館「令和8年度『うつろ舟』原本特別展示」には、『沿海紀聞』『弘賢随筆』の紹介と展示経緯が記される。国立公文書館デジタルアーカイブの個別件名には『弘賢随筆』第55冊、特095-0004-0721とある。
注2 「史料に書かれたこと」と「史料に書かれた事実が実際に発生したこと」は異なる水準の命題である。写本の数は独立した目撃証言の数を意味しない。
注3 『弘賢随筆』の全体説明は屋代弘賢の雑稿集成とする一方、国立公文書館デジタルアーカイブの件名メタデータには著者として滝沢興継の名がある。筆者同定は本稿では行わない。
注4 国立公文書館「うつろ舟原本特別展示」『沿海紀聞』の説明(2026年9月)。全40冊、外務省旧蔵と紹介される。
注5 久喜市立郷土資料館『第16回特別展図録補足資料』1–2頁所載の写真、翻字、現代語訳を基礎とする。詳細な公式URLは参考文献[3]に記載。
注6 同補足資料、13–15頁。舎利浜から舟運・街道を介した伝達路は、同館が提示した仮説であって、伝達過程が逐一文書で確認されたものではない。
注7 鹿角崇彦「新たな『虚舟事件』古画を発見!」(2023年1月11日)は『新古雑記』での「亥三月二十六日」表記を紹介する。
注8 鹿角崇彦「新たな『虚舟事件』古画を発見!」『webムー』2023年1月11日。『新古雑記』の当該記述は鹿角氏の紹介に拠る。同書の成立時期および書込みの筆者は確定しておらず、VOC印との同定も含まない。
注9 Lopes, Gonçalo C. and Francisco Petrucci-Fonseca, “Sheathing and Pay Techniques in the Boa Vista 1 Ship (Lisbon, Portugal),” Journal of Maritime Archaeology 18 (2023): 47–64。七枚の外装板の内側に同一の刻印があると記す。
注10 Historic England “Public Asked to Help Hunt for Witches Marks”(2016年)およびNational Trust “Warding off evil with witch marks”。建造物に記された保護符号の用途についての参照。
注11 久喜市立郷土資料館『第16回特別展図録補足資料』14–15頁。ロシア1デンガ銅貨の文字との類似を例示するのは資料館による仮説である。
注12 同補足資料1–2頁。「チャン」について松脂と乾性油を混ぜた防水材と説明する。
注13 同補足資料14–15頁は、ロシア帆船の破損、流木や船首像の漂着、貨幣銘文の誤認を組み合わせた一仮説を提示する。
注14 State Russian Museum, “Female Festive Costume. Sarafan. Late 18th–Early 19th Century,” および “Maiden’s Festive Costume” の所蔵解説。
注15 久喜市立郷土資料館『第16回特別展図録補足資料』および鹿角崇彦の2026年紹介記事で示された稲生家文書の記載。逐字の異同は原本比較が必要である。
注16 State Russian Museum, “Maiden’s Festive Costume”(コストロマ地方ガーリチ、18世紀後半)。前開きのサラファン、ボタン、ベールを含む服飾一式を紹介する。
注17 国立公文書館「北槎聞略」(デジタルアーカイブ請求番号185-0579)および「北槎聞略」特集解説。共有された巻二と服装等図巻を実見した。
注18 『北槎聞略』「服装等」共有画像は47,706×960pxの一連画像である。今回の拡大図は画像の一部を抽出したもので、図中の文字を校訂していない。
注19 Dictionary of Canadianisms on Historical Principles, “pemmican”;McGill University, “History—The voyageurs”。十八世紀以降の保存肉に関する史料・解説を参照した。
注20 ロシア服との対照は、前合わせ、頭部装身、長衣などの図像的近似を評価したものである。写本による変形と、既存のロシア図像を参照した可能性を併記する。
注21 国立公文書館デジタル展示「漂流ものがたり」には、元禄十一年の『改正甘露草』の「ウツホ舟」の紹介がある。久喜市立郷土資料館資料にはほかの先行漂着譚が整理される。
注22 付録Cの史料年は、公開機関の書誌・解説に基づく。『岡田家文書』そのものの制作時期は筆跡・紙質等による推定であり、記事に記された1803年との同一視は避けた。
参考文献・資料所在
本文、図版、年表の出典を国立機関・自治体の資料、海外の収蔵機関、専門論文、使用画像に分けて列挙する。所在情報は原資料を再確認できるよう、書誌事項と公開URLを併記した。
[1] 国立公文書館デジタルアーカイブ『弘賢随筆』所収「うつろ舟の蛮女」、特095-0004-0721、冊次0055。https://www.digital.archives.go.jp/item/1271371
[2] 国立公文書館「令和8年度『うつろ舟』原本特別展示」(2026年9月9日–23日)。https://www.archives.go.jp/exhibition/jousetsu_08_09.html
[3] 久喜市立郷土資料館『第16回特別展 時空を超える栗橋の岡田家文書 図録補足資料 特別章「空舩」原本初公開』(2026年10月10日、同館編集・発行)。https://www.city.kuki.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/012/037/tokubetsusho.pdf
[4] 久喜市「第16回特別展 時空を超える栗橋の岡田家文書~『うつろ舟』アリマス~」(展示概要・岡田家文書現代語訳)。https://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/rekishi_bunkazai/kyodo/1002303/1013118.html
[5] 久喜市「第168回 栗橋の古文書で謎の『うつろ舟』発見!」(2026年10月7日更新)。https://www.city.kuki.lg.jp/miryoku/rekishi_bunkazai/rekishi_dayori/1011909.html
[6] 国立公文書館デジタル展示「漂流ものがたり」資料編。https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hyoryu/data.html
[7] 国立公文書館「漂流ものがたり」うつろ舟の女・うつろ舟の「蛮女」。https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hyoryu/contents/12.html
[8] 国立公文書館デジタルアーカイブ『北槎聞略』、請求番号185-0579、桂川甫周。https://www.digital.archives.go.jp/file/2550299
[9] 国立公文書館「北槎聞略」図巻解説(『器材・装身具等』『服装等』)。https://www.digital.archives.go.jp/pickup/71/79
[10] 国立公文書館デジタルアーカイブ『沿海紀聞』、国立公文書館の2026年特別展示案内に書誌と概要がある。
[B 同時代の海外文化・器物に関する収蔵機関資料]
[11] State Russian Museum, “Female Festive Costume. Sarafan. Late 18th–Early 19th Century.” https://rmgallery.rusmuseumvrm.ru/en/5959
[12] State Russian Museum, “Maiden’s Festive Costume,” Galich, Kostroma Gubernia, late eighteenth century. https://rusmuseumvrm.ru/data/collections/folk_art/tk-548_549_tk-1682_v-2859_v-6943_tk-1218/index.php?lang=en
[13] State Russian Museum, “Female Festive Costume,” eighteenth century. https://rusmuseumvrm.ru/data/collections/folk_art/v-2823_tk-557/index.php?lang=en
[14] State Russian Museum, “Female Festive Costume,” late eighteenth–early nineteenth century. https://rusmuseumvrm.ru/data/collections/folk_art/tk-534_tk-1186_v-6759/index.php?lang=en
[15] Historic England, “Public Asked to Help Hunt for Witches Marks.” https://tnaqa.mirrorweb.com/ukgwa/20260803061713mp_/https%3A/historicengland.org.uk/whats-new/news/help-hunt-for-witches-marks/
[16] National Trust, “Warding off evil with witch marks.” https://www.nationaltrust.org.uk/discover/history/warding-off-evil-with-witch-marks
[17] University of British Columbia, Dictionary of Canadianisms on Historical Principles, “pemmican.” https://dchp.arts.ubc.ca/entries/pemmican
[18] McGill University, North West Company research pages, “History—The voyageurs.” https://digital.library.mcgill.ca/nwc/history/08.htm
[C 論文・記事]
[19] Gonçalo C. Lopes and Francisco Petrucci-Fonseca, “Sheathing and Pay Techniques in the Boa Vista 1 Ship (Lisbon, Portugal),” Journal of Maritime Archaeology 18 (2023): 47–64. https://doi.org/10.1007/s11457-023-09351-w
[20] 鹿角崇彦「新たな『虚舟事件』古画を発見! コンパニヤの合字と地名・舎利に新情報」『webムー』2023年1月11日。https://web-mu.jp/history/7326/
[21] 久喜市立郷土資料館『第16回特別展図録補足資料』(前掲[3])所収「主要参考文献及び主要参考サイト」。新古雑記、稲生家文書、伴家文書ほかの探索起点として利用。
[D 調査に使用した原画像・加工図]
[22] 『弘賢随筆』「うつろ舟の蛮女」四見開きの高解像度JPEG(国立公文書館デジタル画像)。図1–3、5、6に使用。
[23] 同四記号の方向変更図(原図を90度刻みで回転)。図4、11に使用。
[24] 『北槎聞略』「服装等」(国立公文書館185-0579、冊次0024)一連画像のZIP。図7–9に使用。
[25] 『北槎聞略』巻二(国立公文書館185-0579、冊次0002)全53画像のZIP。本文の文脈を確認するために用いた。巻二の逐字翻刻は本文には収録していない。
[26] 『北槎聞略』「器材・装身具等」(国立公文書館185-0579、冊次0023)全巻画像から作成した接触図。図10に使用。

















