1996年4月に栃木県芳賀郡市貝町で発見された男性遺体は、その特異な状況と長期間にわたる身元不明という事実から、多くの謎を抱えた未解決事件である。
この事件を解明するためには、さまざまな仮説や思考実験が必要であり、その一つとして、被害者が北朝鮮工作員を含む外国人であった可能性を考察することは有意義であろう。
この仮説を検討することで、被害者の身元が長期間不明である理由の新たな可能性が浮かび上がるかもしれない。 ただし、これはあくまで一つの仮説に過ぎず、他の可能性と併せて慎重に検討されるべきであることを強調しておきたい。
1・事件概要
1996年4月21日(日曜日)13時25分頃、栃木県芳賀郡市貝町多田羅の竹藪で、一体の男性遺体が発見された。遺体は布団袋にくるまれ、スーツ姿で遺棄されていた。発見者は部活動帰りの5人の中学生たちで、彼らが異臭に気付き袋をつついたところ、手が飛び出してきたという。警察はただちに殺人・死体遺棄事件と断定し、栃木県警茂木署に捜査本部を設置して捜査を開始した。
司法解剖の結果、遺体は紺色のダブルのブレザーと灰色のワイシャツ、ズボンを着用しており、年齢は40歳から50歳代、身長182センチ、体重58キログラム、血液型はO型、頭髪は黒色の直毛であることが判明した。また、死後1か月以上が経過しており、腐敗が進行していたため、死因の特定には至らなかったが、腰には打撲痕があり、前歯が折れており、多数の未治療の虫歯と歯槽膿漏が確認された。
警察は、ズボンのタグに「山本」「トナリ」と読める手書きの文字が記されていたことから、クリーニング店を通じて身元を特定しようと試みた。捜査の結果、千葉県内の2つのクリーニング店がこのタグに見覚えがあると名乗り出たが、被害者に関する有力な手掛かりは得られなかった。
また、警察は遺棄現場付近での聞き込み捜査や、県内および近隣県の行方不明者の捜索を進めたと考えられるが、遺体が発見された場所は民家の近くでありながら、あえて目に付きやすい場所に遺棄されていたことから、犯人が土地勘のない人物であると推測され、この事件の特異性を際立たせている。
しかしながら、捜査は進展しなかった。2020年までに延べ8万人以上の捜査員が動員されたが、被害者の身元は依然として不明であり、事件は未解決のままである。なぜ、被害者の身元が未だに判明しないのか。その背景には、クリーニングタグ「山本」「トナリ」の情報の限界や、目撃情報の少なさが影響している可能性が考えられる。
この事件の特異性は、犯人と遺棄現場の土地勘にとどまらない。遺体の着衣から被害者が裕福であった可能性が示唆される一方で、腕時計と靴に関する情報はなく、さらに虫歯や歯槽膿漏が未治療のまま放置されていたという不自然さがある。
また、指紋採取の報道もない。指紋採取の報道がない理由としては、遺体が発見された際にすでに腐乱が進行しており、指紋が消失していた可能性が考えられる。腐敗が進行すると、皮膚が変質し、指紋の採取が困難になることがあるため、指紋による身元特定ができなかった可能性がある。指紋採取ができないことは、身元特定の捜査に大きな影響を与え、他の特定手段に依存せざるを得ない状況を生じさせる。
さらに、遺体のズボンとブレザーはそれぞれ東日本の52店と73店で販売され、遺体が入れられていた布団袋は全国126店舗で販売されていたことが確認されたが、特定に至る情報は得られなかった。なお、この3つの遺留品が販売されていた都道府県は「岩手県」、「宮城県」、「新潟県」、「茨城県」、「神奈川県」の5県である。
この事件は、単なる殺人・遺体遺棄事件ではなく、被害者の素性や社会的背景に関する謎を含んでおり、今なお解決に向けた新たな情報提供が求められている。
2・被害者特定への手がかり
被害者の特定に繋がる手がかりとして、遺留品の服、歯の状態、そして遺体遺棄現場に注目することが重要である。
最後に、遺体が遺棄された現場の特徴にも注目すべきである。遺体は民家の近くの竹藪に布団袋にくるまれて遺棄されていたが、あえて目に付きやすい場所が選ばれたことから、犯人が土地勘のない人物であった可能性が示唆されている。
犯人が何故このような場所を選んだのか、また遺棄の過程で何を意図していたのかを探ることで、被害者と犯人の関係や、犯行に至るまでの経緯が浮かび上がるかもしれない。
これらの視点を基に、被害者特定への糸口を探ることが、事件の解決に向けた重要な道筋となるであろう。
2-1着衣、遺留品
まず、被害者の遺留品である服装には、詳細不明の高級ブランドの下着を含む紺色のダブルのブレザー(サイズA型7号、ボタンに「MARINE SPORTSMAN CLUB」の文字)や薄い灰色系のワイシャツ、灰色系ズボン(ウエストサイズ79cm、タグに「山本」、「トナリ」と読める書き込み)、「ALAIN DELON」ブランドのネクタイ(2024年現在、同ブランドのネクタイは中古品で2500円前後)、「Christian Dior」のハンカチ(金額の詳細不明)などが確認されている。
また、被害者がMサイズの高級下着を着用していたとの情報が散見されるが、具体的なブランド名については不明である。被害者の服装は、ある程度の経済的余裕を示唆しているものの、靴を履いていないことや、金額の目安となり場合によっては資産的価値を持つ財布や時計を所持していなかったことから、収入や資産状況に関する具体的な情報は得られていない。
さらにタグに記された手書きの文字から、被害者がクリーニング店を利用する生活習慣を持っていた可能性も考慮すべきである。このような服装や生活習慣の特徴から、被害者がどのような生活環境にいたのか、あるいは特定の地域や職業(営業職、事務職など)に関連していたのかを推測することができる。ここで重要な着眼点は、被害者がブレザーにネクタイを着用していたことである。
特徴県警情報 出典・引用:栃木県警察HP殺人事件などの捜査にご協力を!
ブレザーはビジネスシーン以外でも使用される上着であるが、ネクタイを着用していたという事実は、被害者が事件に巻き込まれた際に「仕事中」であった可能性を高めるものと推察される。
被害者が「仕事中」に事件に巻き込まれたと仮定するならば、名刺や名刺入れ、身分証明書などを所持していた可能性が考えられる。一方、名刺等を所持していなかったと仮定するならば、「仕事」の相手は既に顔見知りの関係であったと推測できる。
ビジネスシーンにおいて、やや柔らかな印象を与えるブレザーと、中高年に人気のあるブランド品のネクタイやハンカチを着用していた被害者の職業は何であったのだろうか。都心部に所在する大手企業の会社員の姿よりも、中小企業で働く営業職、不動産業の経営者、あるいは小規模ビジネスの個人事業主の姿が思い浮かぶ。
ただし、会社員であった場合、会社の上司や同僚が警察に捜索願を提出している可能性が高く、その捜索願が全国の警察に届けられていることで、被害者の身元特定に繋がるとも推測できる。 このことから、経営者、あるいは小規模ビジネスの個人事業主であった被害者が、旧知の取引先相手と「仕事」を理由に面会し、その際に事件に巻き込まれた可能性はないだろうか。
2-2虫歯、歯槽膿漏の放置
次に、被害者の口腔内および歯の状態が特異であることも、重要な手掛かりである。被害者は虫歯や歯槽膿漏が放置された状態で発見されており、これは被害者が十分な医療ケアを受けていなかった可能性を示唆している。
遺体の歯科記録との照合が有効である場合、被害者が特定の地域や社会的背景を持っていたかどうかを解明する手がかりとなるが、被害者が歯科医療を受けていなかったことが、結果として身元特定を困難にしているともいえるだろう。
公表されている被害者の口腔状態の特徴は、進行した歯槽膿漏、前歯の隙間、健全歯12本、欠如9本、死後脱落3本、残根状態1本、詰め物の欠落3本、神経まで到達する虫歯C3が1本である。
被害者の歯の状態が悪かった理由として、いくつかの要因が考えられる。まず、経済的困窮により歯科治療を受ける余裕がなかった可能性が考えられる。虫歯や歯槽膿漏などの問題は放置すれば悪化するが、治療には費用がかかるため、経済的に余裕がない場合、治療を先延ばしにすることが多い。また、被害者が健康保険に加入していなかった可能性も考えられ、これがさらに治療を受けるハードルを高くした可能性がある。
さらに、被害者が社会的に孤立していたため、医療や支援を受ける機会がなかった可能性もある。家族や友人がいない場合、健康管理が怠られがちで、特に歯の健康は後回しにされることが多い。社会的に孤立している場合、医療機関へのアクセスも制限されることがあり、この点も歯の状態の悪化に寄与したと考えられる。
被害者が精神的なストレスや身体的な疾患を抱えていたことも一因となり得る。精神的な問題や慢性的な病気があると、自己管理能力が低下し、歯の健康が軽視されることがある。これにより、歯科治療を受ける余裕や意欲が欠如していた可能性がある。
また、被害者が不規則な生活を送り、歯のケアを怠っていた可能性も考えられる。アルコールや薬物依存、または食生活の乱れなどが、歯の状態の悪化に繋がる要因となり得る。こうした生活習慣が原因で、歯の健康が著しく悪化していた可能性が高い。
上記のほか、長期間にわたり、歯のケアが無関心や無知によって放置されていた可能性がある。適切な治療を受ける機会がなかった場合、歯の状態が悪化することは避けられない。また、被害者が監禁や虐待の被害に遭い、長期間にわたって不自由な生活を強いられていたために、歯の治療が受けられなかった可能性も考えられる。これは、被害者が比較的痩せていたことからも推測できる。
これらの要因が複合的に絡み合っていた可能性もあり、被害者の歯の状態が悪いという事実は、彼の生活環境や背景を解明する上で重要な手がかりとなるであろう。
ただし、上記の仮説のうち、経済的困窮、社会的孤立、自己管理能力の低下とケアの欠如、無知と無関心、長期間の虐待や監禁は、2-1で考察したお洒落を意識する経営者や事業主の被害者像からは、やや乖離している。残る他の可能性について、さらに考察する。
2-3公的健康保険に未加入の可能性
公的健康保険には、政府管掌保険(社会保険)、組合健保、国民健康保険などがある。このうち、「国民健康保険」は主に自営業者やフリーランス、無職の人が加入するものであり、企業に雇用されている人々は通常、勤務先の企業または経営先が提供する社会保険や組合健保に加入する。したがって、被害者が公的健康保険に未加入、または保険料の未納などにより使用できない状態であったと仮定する場合、国民健康保険が該当する可能性が高い。
被害者が公的健康保険に加入していなかった理由として、まず考えられるのは経済的困窮である。保険料の負担が重く、支払う余裕がなかった可能性がある。日本では国民健康保険や社会保険に加入する義務があるが、保険料の未納が続くと、保険証の取り上げや資格喪失の可能性があり、結果として健康保険を利用できない状況に陥ることがある。しかし一方で、被害者が着用していた遺留品が比較的高級品であったことは、この経済的困窮説と必ずしも一致しない点がある。
また、被害者が社会的に孤立していたため、健康保険の加入手続きを適切に行わなかった、あるいは行えなかった可能性もある。家族や支援者がいない場合、健康保険の手続きが後回しにされることが多く、結果として未加入の状態が続くことが考えられる。しかし一方で、被害者がなぜ高級な服を所有していたのかという点には、疑問が残る。これには、被害者が以前は裕福であったが、孤立や困窮に陥った結果、健康保険の手続きが行われなかった可能性などが考えられる。
さらに、被害者が非正規雇用や無職であった場合、企業の社会保険に加入していなかった可能性がある。特に、安定した職に就いていない場合、健康保険への加入が難しくなる。また、自営業やフリーランスであった場合、国民健康保険に加入する必要があるが、その手続きが行われていなかった可能性も考えられる。しかし、この場合も、高級品の所有が不自然に感じられる点が指摘でき、2-2の考察とも矛盾する。この矛盾を解消するためには、被害者が過去に裕福であった可能性や、贈り物として高級品を受け取った可能性などを考慮する必要がある。
被害者が在日外国人、外国人労働者や無国籍者であった場合も、公的健康保険に加入していなかった可能性がある。特に、合法的な居住者でない場合、健康保険に加入する権利がなく、医療を受けることが困難であったと推測される。外国人であれば、質の高い服を入手する背景も含め、異なる社会経済的背景が考えられるかもしれない。
さらに、被害者が犯罪行為や違法活動に関与していたため、社会的な隠れ生活を送っていた可能性もある。この場合、健康保険への加入を避けていたか、社会的な身分を隠していたために未加入であった可能性があるが、それでも高級品を所有していたことは、何らかの理由で特別な財を持つ状況にあった可能性を示唆する。 これらの理由が単独または複合的に絡み合い、被害者が公的健康保険に加入していなかった可能性が考えられる。このことが、歯科治療を受けられなかった理由の一つである可能性が高い。しかし、その一方で、高級な服の所有という点や2-2の考察との矛盾が存在し、被害者の背景をさらに複雑にしている。
2-4山本/トナリと外国人説
ズボンのタグから、被害者が「山本」という苗字を持っていた可能性がある。「山本」という姓は、日本では一般的であるが、在日韓国人・朝鮮人の間でも使用されることが多い。そのため、被害者が在日韓国人・朝鮮人であった可能性が考えられる。これが健康保険に加入していなかった理由の一つとして考えられる。また、被害者が日本において不安定な地位にあった可能性があり、そのために高級品を所有しながらも医療を受けられなかったという、より複雑な事情が絡んでいた可能性がある。
また、「トナリ」はカタカナで表記された文字だと考えられているが、これを漢字に置き換えて解釈する場合、「卜(ボク、ホク、うら)」と「刈」という文字として理解することもできる。
この仮定に基づき、「山本」を姓、「卜刈」を地域、地名などと考えることも出来る。
警察が被害者と関係性のある地域として注目する千葉県内の印西市と市原市には、共通して「刈」という字を含む地名が存在することが注目される。具体的には、印西市には「刈込」という地名があり、市原市には「刈谷」という地名が存在する。また、市原市には「山本」という地名もある。
被害者がこれらの地域に何らかの繋がりを持っていた可能性を考慮するならば、特に、「刈」という字が使われている地域に住んでいた、あるいはそこで働いていた、もしくはその地域に関与する活動を行っていた可能性が考えられる。この地名が被害者の居住地や活動範囲を示している可能性があり、捜査を絞り込むための重要な手がかりとなるかもしれない。
さらに、在日韓国人・朝鮮人コミュニティとの関連性を考慮する必要もある。千葉市や市原市周辺における在日韓国・朝鮮人の人口に関する具体的なデータは、以下の通りである。 2018年時点で、千葉県全体における在日韓国・朝鮮人の人口は約16,735人であり、これは日本全国で13位の人数であり、人口100人の人口に対して約0.27%を占めし、この数値は千葉県が他の都道府県に比べ、比較的多くの在日韓国・朝鮮人が居住している地域であることを示している。(出典:外部リンク「都道府県別統計とランキングで見る県民性」)
2-5千葉県に繋がる遺品
被害者が千葉県出身である可能性は、いくつかの要因から示唆されている。
第一に、ズボンのタグに記された「山本」「トナリ」の手書き文字である。この文字は、千葉県内の二つのクリーニング店で扱われたものであるとの情報が警察に寄せられている。このことから、被害者が千葉県内で生活していた、あるいは頻繁に訪れていた可能性が高いと推測される。
第二に、栃木県警が事件発生から21年後に、千葉県内でも広報活動を実施した点である。特に、千葉市若葉区と市原市で情報提供を呼びかける活動が行われたことから、警察は被害者が千葉県に何らかの繋がりがあると認識し、千葉県内での居住歴や関連情報を持つ人物からの情報提供を期待していたと考えられる。
第三に、クリーニング店からの証言である。ズボンのタグに関する証言が千葉県内のクリーニング店から得られたことで、被害者が少なくとも千葉県内でクリーニングサービスを利用していた可能性が高いことが示唆されている。これにより、被害者が千葉県内に居住していた、またはそこで働いていた可能性が一層強まる。
具体的なクリーニング店の所在地は千葉市若葉区と市原市にある。これらの店は、被害者のズボンを扱った可能性があることから、重要な手がかりとなっている。また、千葉県内の印西市と市原市には、2-4で述べたように、共通して「刈」という字を含む地名が存在しており、これも注目すべき点である。
2-6遺体遺棄現場
犯人が遺体を発見されやすい場所に無造作に遺棄したことから推察できる点はいくつかある。まず、犯行が計画的ではなく、衝動的に行われた可能性が高い可能性である。遺体を隠すための時間や手間をかけずに遺棄したという事実は、犯行後に冷静さを欠いていた、あるいは犯行自体が予期せぬ出来事であったことを示唆する。
計画的な犯行であれば、通常は発見されにくい場所を選ぶが、発見されやすい場所に遺棄されたということは、犯人が急いでいたか、冷静さを失っていた可能性が高い。
さらに、犯人が遺体を目立つ場所に遺棄することで、特定のメッセージを伝えようとした可能性も考えられる。遺体の発見を通じて何かを主張し、あるいは恐怖を煽る意図があったかもしれない。例えば、被害者の身元や関係者に対して警告を発する目的で、わざと見つかりやすい場所に遺棄された可能性がある。
一方、犯人がその地域に不慣れであったため、発見されにくい場所を選べなかった可能性もある。この場合、隠すべき場所の選択肢がなかった、あるいは時間がなく思い当たらなかった可能性も考えられる。また、犯人が遺体の発見後の結果に無関心であった、あるいは発見されても構わないと考えていた可能性も考慮すべきである。これは、犯行後に自己を守る必要がないと考えた場合や、既に何らかの覚悟を決めていた場合に見られる行動である。
これらの点を総合的に考慮すると、犯人が衝動的に行動した、あるいは発見を意図していた可能性が推察される。また、犯人がその地域に精通していなかったため、適切な遺棄場所を選ぶことができなかった可能性も否定できない。
特に、遺体が比較的発見されやすい場所に遺棄され、発見が意図されていた可能性があるにもかかわらず、遺体の身元が長期間不明であることは、犯人の意図と結果に矛盾が生じている点に注目すべきである。この矛盾を踏まえ、次章では被害者の身元不明の理由の考察を展開する。
これらの推察は、事件の背景や犯人像を探る上で重要な手がかりとなるだろう。
3・身元不明の理由を考察
本章では、被害者の身元が判明しない理由についての考察を展開する。ここでは、これまでの情報に基づく仮説や考察をさらに掘り下げ、大胆な仮説を立てて、思考実験的なアプローチを試みる。
3-1指紋
遺体から指紋の検出に関する情報がない点は注目に値する。通常、殺人事件の被害者の指紋が検出されれば身元特定のために警察のデータベースで照合が行われる。しかし、仮に指紋が検出されたもののデータベースに該当者がいなかった場合、被害者が前科・前歴のない人物、または不法入国の外国人であった可能性が考えられる。
2000年まで実施されていた外国人指紋押捺制度では、日本国内に1年以上居住する16歳以上の外国人には指紋押印が義務付けられていたため、被害者が在日外国人であった場合、不法入国者である可能性が残る。これは、事件や被害者の社会的背景および身元をさらに複雑にする要因となり得る。
また、捜査の初期段階で栃木県警管轄や千葉県警管轄の行方不明届の確認が行われたと考えられるが、該当者がいないことも重要なポイントである。これは、被害者が管轄地域外の住民であった、あるいは行方不明として認識されていなかった可能性を示唆する。
さらに、被害者には行方不明届を提出する家族や近親者がいなかった可能性も考えられる。なお、会社の同僚など家族以外の者が行方不明届の提出が可能となったのは、本事件(1996年4月)以降である。
3-2行方不明届と失踪宣告
独自調査として1998年8月1日から2008年8月1日までの間に栃木県、千葉県、東京都、神奈川県、茨城県、福島県、埼玉県、群馬県、宮城県、岩手県、新潟県の家庭裁判所が決定した『山本』姓の失踪宣告決定者を調査した結果、34人の該当者が確認されたが、年齢が一致しない人物が多く、これも身元特定には結びつかなかった。
このことから、被害者が失踪宣告を受けていない、あるいは別の氏名で生活していた可能性、さらには失踪審判の申立てを行う家族がいなかった可能性が考えられる。
これらの点を総合すると、被害者には家族や近親者がいない、あるいは社会的に孤立していた可能性があり、それが行方不明届や失踪宣告が行われなかった一因となっている可能性がある。これが、被害者の身元特定が難航している理由の一つとして考えられる。
4・北朝鮮工作員の可能性
前述3-1で記したとおり、被害者が不法入国の外国人の可能性が考えれる。また、2-4で記したとおり、被害者が朝鮮半島に所縁にある人物の可能性も否定できない。
上記の仮説から思い浮かぶのは北朝鮮工作員説である。
4-1『背乗り』の可能性
被害者が北朝鮮工作員であった可能性について考察する場合、いくつかの要素を考慮する必要がある。まず、北朝鮮の工作活動に関連する事例や特徴を踏まえ、被害者の背景や状況と照らし合わせることが重要である。
北朝鮮の工作員は、通常、『背乗り』と呼ばれる手法を用いて、実在する日本人の戸籍を不正に取得し、その上で旅券やその他の身分証明書を申請し、偽名や複数の身分を使い分けながら活動することが一般的である。また、国外での活動においても、工作員は自己の身元を隠すために極めて慎重に行動するため、被害者の身元が長期間不明であることは、これらの特徴と一致する可能性が高い。
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また、『背乗り』は実在する日本人に偽装する目的で行われるため、戸籍、住民票、旅券、運転免許証などの身分証明書は取得するが、基本的に国民の義務である納税や公的健康保険の加入、同保険料の支払いを行わないケースが考えられる。この点は、2-3の推論に合致するといえるだろう。
ただし、2022年3月に発覚した中国人密入国者による公的保険証の不正利用事件では、30年以上前に密入国した男が、不正発給された旅券を使用して出入国を繰り返し、2018年2月17日に旅券法違反容疑で逮捕された。
その後、この男は歯科医院で40代の日本人男性名義の健康保険証を不正使用していたことが明らかになった。このケースは男の密入国時期と国籍から1990年代後半頃に活発化した「蛇頭」等の密入国斡旋組織に関係する可能性が考えられる。「蛇頭」等の密入国斡旋組織は、主に中国の福建省から生活に困窮した中国人を日本などに密入国させる組織である。
また、逮捕された中国人の男が40代の日本人男性名義の健康保険証をどのように入手したのかは不明であり、単に借りて使用した可能性が高いと推測され、『背乗り』の事例とは手口が異なると思われる。
4-2遺棄された遺体のメッセージ性
次に、遺体が発見されやすい場所に無造作に遺棄されていたことは、工作員としての使命を終えた後、あるいは任務が完了したために処分された可能性を示唆していると考えられる。
発見を意図しつつも身元が不明であることは、北朝鮮の工作活動において、秘密裏に行動する一方で、特定のメッセージや警告を伝達する意図があった可能性も否定できない。
4-3指紋不検出と北朝鮮工作員
仮に指紋が検出されていたが、警察のデータベースに該当がなかった場合、被害者が一般の市民ではなく、国家機密に関わる工作員であった可能性がある。工作員の身元情報は通常、データベースに登録されないか、偽装されていることが多いため、指紋照合が行われても特定に至らなかった可能性がある。
また、工作員であった場合、家族や近親者が行方不明届を出さない、または出せない状況にあることが考えられる。これは、北朝鮮の工作員がその存在自体を秘匿されているためであり、家族が関与していない、または北朝鮮からの指示で報告を避けている可能性がある。
日本における北朝鮮工作活動の歴史を考慮すると、北朝鮮は過去に拉致やスパイ活動を行ってきた実例がある。特に、冷戦時代やそれ以降、北朝鮮工作員が日本国内で活動していた事例は多数報告されており、これまでの考察から被害者が何らかの工作活動に従事していた可能性も考えることが可能だろう。
さらに、北朝鮮の工作員が任務に失敗した場合や、組織の命令に背いた場合、処分されることがある。その際、処分された工作員が他国で発見される場合もあるが、身元が特定されないよう細工が施されている。このような状況で遺体が発見されることも考えられる。 加えて、北朝鮮工作員やその支援者である土台人は、貿易会社などを経営していることが多い。
1973年に発覚した『2児拉致事件』では、東京都品川区西五反田に所在する貿易会社U・T社が、朝鮮総連や北朝鮮の工作機関によって設立されたとされる。この点は、被害者の遺留品である比較的高価な服装を考察する際の重要な着眼点となる。
5・結論
公開されている遺留品、着衣、遺体遺棄現場、捜査の進捗状況から、被害者は個人事業主または中小法人の経営者であった可能性が考えた。また、比較的ラフな服装でありながらネクタイを着用していることから、『仕事中』に事件に巻き込まれた可能性が高いと推測した。さらに、『山本』という姓から朝鮮半島に所縁のある人物であったことや、歯の治療が疎かにされていたことから、公的健康保険に未加入であった、もしくは保険料の未払いであった可能性が考えた。
これらの状況を総合して、大胆な仮説である北朝鮮工作員説も検討に値すると判断した。
被害者が北朝鮮工作員であった可能性についての検討は、いくつかの状況証拠や事例と一致する点が多いものの、依然として確定には至らない。身元が長期間不明であることや、遺体の遺棄方法、そして高価な遺留品など、これらの要素がこの仮説を裏付けている。
しかし、この仮説を裏付けるためには、さらなる具体的な証拠や情報が必要である。今後、新たな証拠や情報が発見されれば、この仮説がより明確な形で検証される可能性がある。 現時点では、他の可能性と併せて慎重に分析し、この事件の全容解明に向けてさらなる捜査が求められる。
◆参考資料
読売新聞『布団袋にくるまれた男性の死体発見』1996年4月22日付
Livedoorニュース『腐乱死体で見つかった身元不明の中年男性、高級下着を穿き大量の虫歯が見つかる不可解な点が』2020年11月14日19時0分
読売新聞『市貝の未解決事件茂木署情報提供求む』2015年11月22日付
朝日新聞『県警、情報提供呼びかけ市貝の死体遺棄事件から21年』2017年5月31日付
千葉日報『殺害男性の情報求む21年経過千葉県内に居住痕跡捜査進展へ最後の望み栃木県警未解決事件』2017年6月15日付
中日新聞『市貝の男性殺人・死体遺棄事件21年間未解決県警、千葉で情報提供呼びかけ』2017年6月26日付
埼玉新聞『日本人に成り済ましていた男逮捕別人の保険証で診療、不正発給の旅券で出入国密入国は30年以上前』2022年3月11日00:00配信
栃木県警察:外部リンク同HP
◆平成の未解決殺人事件