岡山県倉敷市中学生失踪事件(梶谷恭暉さん行方不明事件)

記事岡山県倉敷市中学生失踪事件梶谷恭暉さん行方不明事件アイキャッチ画像

岡山県倉敷市で、ひとりの中学生が突然姿を消した。行方不明となったのは、中学3年生の男児。進路に悩む多感な時期にあった彼は、その日「塾に行く」と家族に告げて自宅を出た。しかし、戻ることはなかった。

その後、彼の手がかりとなる遺留品が広島県の離島・生口島で発見され、事件は大きな転機を迎える。この小さな島にどのような理由で、そしてどのような経路で彼がたどり着いたのか。残された品々は、偶然なのか、計画の一部なのか。警察の公開捜査や家族の必死の捜索にもかかわらず、手がかりは途絶えたままだ。

本記事では、梶谷恭暉さん失踪事件の詳細を追い、彼が向かった先に何が待ち受けていたのかを考察する。失踪に至る背景や「協力者」の存在をはじめ、SNSを介した接触の可能性、そして日本社会に広がる「闇バイト」の問題までを多角的に分析する。彼の身に何が起こったのか――その真相に迫る。

事件概要

2022年11月13日(日曜日)――。

コロナウイルス感染症による自粛ムードも次第に解かれ、岡山県の県庁所在地である岡山市では、一万人を超えるランナーが集う一大イベント「おかやまマラソン2022」が3年ぶりに開催されていた。

岡山市に隣接する岡山県倉敷市に住む中学3年生、梶谷恭暉(かじたに・みつき)さん(当時14歳・以降、恭暉さん)は、午後2時半から3時の間に自宅を出た。

その日は、時折小雨がぱらつく空模様であり、彼はよほど気に入っていたのか、柄が折れても使い続けていた黒い傘を自宅から持ち出したという。

恭暉さんの母親と妹は、その時刻前後に連れ立って買い物に出掛けており、一人自宅に残った彼が自宅を後にした正確な時分は判明していないが、母親は彼が一緒に買い物に出掛けない理由として「塾に行く予定があるから」と話していたことを覚えている。

高校受験を控え、恭暉さんは進路に悩んだ時期もあったが、学習塾での努力の結果、模試での成績は向上しつつあったという。しかし前日12日夜、志望校について彼と電話で話し合った父親は、その声に元気が無かった事を回想している。

当日午後には、学習塾で授業があったとも、自習室を使うつもりであったとも言われているが、いずれにせよ恭暉さんが塾を訪れる事はなかった。普段テキスト等を入れて塾へ持ち運んでいたリュックも自宅に残されたままであった。

後日には母親も、外出前の恭暉さんの様子がいつもと少し違っていた事を思い出している。

彼は家族と共に買い物に出るのを断った後、二人がいつ家を出るのかとしきりに気にしている様子であった。

「自宅で誰かと会う約束があったのではないか?」

と、母親は訝しんでいる。

母親らが買い物を終えて帰宅したのは、それから約30分が経過した午後3時頃のことで、その時には愛用の自転車と共に、恭暉さんの姿も自宅には無かった。

行き先の予定を事前に告げられていた為に、不在を疑問に思う事もなかった母親のスマートフォンに、午後5時23分、LINEアプリのメッセージが送信されてきた。

――6時頃帰る――

それは恭暉さんの所有するアカウントからだった。

しかし、その時間になっても彼が自宅に戻る気配は無く、焦れた母親は「まだですか」と、返信のメッセージを送信したが、既読がつく事は無かった。

そのまま深夜になっても恭暉さんは帰宅せず、心配した彼女は塾や近隣の商業施設、公園等、彼が訪れそうな場所を未明まで探し回ったが、息子の姿はどこにも無かった。

日付が変わって14日の午前3時頃、家族は倉敷警察署に、恭暉さんの行方不明者届(旧捜索願)を提出。同日受理された。

警察はその日のうちに、手がかりを得ることになる。

広島県に属し、瀬戸内海に浮かぶ島の一つである生口(いくち)島。邪馬台国の女王卑弥呼が、歴代の中華帝国の一つである魏の王朝に献上する奴隷(生口)を集めたという伝承が残るこの離島で、恭暉さんの所持品が見つかったのである。

出典:GoogleMap生口島とその周辺

正確な場所は公表されていないが、路上で見つかったスマートフォンと二冊の本が、島内に3カ所ある交番あるいは駐在所のいずれかに拾得物として届けられた。

スマートフォンの電源は切られておらず、バッテリーも半分以上充電された状態であったが位置情報サービスが切られていた。本は人気少年漫画「ONE PIECE」の単行本と、VOCALOIDの楽曲を題材とした「ボカロ小説」と呼ばれるジャンルの書籍であったという。

その知らせを受けた倉敷署が家族に照会したところ、これらは恭暉さんの所有物、愛読書であることが発覚した。

離島とは言っても、生口島は本土から瀬戸内しまなみ海道を利用して、路線バスや自転車で到達することも可能な有人島でありアクセスは良好である。

恭暉さんの自宅のある市に隣接する、広島県三原市内の2カ所の港を起点して生口島へ向かうフェリーや旅客船もまた、合わせて1日に往復20便を超える便数を誇る。

人や貨物の盛んな往来がこの場合は災いしたのか、近隣住民や港湾職員、船員や生口島の島民から恭暉さんの確実な目撃情報は上がっていないようであるが、警察は駅や街角の防犯カメラ映像の中から、恭暉さんと思しき人物を見つけ出した。同行者の姿は無く終始単独で行動しているようであったという。

恭暉さんと思われる人物の姿が捉えられたのはまずJR三原駅、次に生口島行きの旅客船が出発する三原港付近であった。

後に彼の自転車が、JR倉敷駅北口の商業施設の敷地内で発見された事も併せると、午後2時半以降に自宅を出、最寄り駅であるJR倉敷駅を自転車で訪れた彼は、午後3時台に倉敷駅を出発するJR山陽本線の普通列車でJR三原駅まで移動。

そして三原駅から徒歩5分程度の位置にある三原港から17時ちょうどに出発する、生口島・瀬戸田港行きの旅客船シーホーク第8便に乗り込んだものと考えられている。

その便が生口島へと到着する予定時刻は17時28分。

――6時に帰る――のLINEメッセージを打ち込んだのが恭暉さん本人であるとすると、彼はその時既に船上の人であり、終点である生口島への到着も目前であった。

母親によると、彼は船酔いしやすい体質であったと言われている。

尤も、旅程は所要時間30分程であり、よほど重度で無い限り、やり過ごすことは可能であっただろう。

そして、彼が帰宅時間とした午後6時には既に生口島へ上陸済みであり、島内での行動を開始していたものと思われる。

日没時刻はゆうに過ぎているとはいっても、午後6時台であれば、生口島から本土の三原港へ戻る旅客船の最終便(午後8時10分発)までにも時間的余裕があり、中学生が一人でいたとしても咎められるような事はないであろう。

自宅で一人になるのを待ちわびていた理由も、恭暉さんが遅くともこの便には乗りたいと考えていたのだとすれば、ある程度の説明が可能である。怪しまれずに済む時間帯のうちに島内での行動を開始できる上、家族が心配し始め、塾や知人に連絡、自宅周辺が騒がしくなる頃には、身を隠す事ができる場所に到着しているという目算があったのかもしれない。

失踪のためにある程度の資金を用意できる成人であれば、新幹線や航空機といった移動手段で発覚までの距離と時間を稼ぐのかもしれないが、まだアルバイトもままならない中学生にその交通費を調達するのは困難である。

しかし、上記経路で自宅から生口島へ向かった場合の交通費は2500円にも満たない金額であり、お小遣いから十分に捻出可能であろう。

そして、その目論見通りなのか否か、彼の足跡はここで途絶えた。

彼は課外学習のサイクリングで生口島を訪れた経験があったが、その際の滞在は短時間で、恭暉さんは話好きで人当たりがよく、近所の子供達の面倒をみる等一定以上の社交性があったと言われているが、島内の土地勘を身につけ、いざという時に泊めてもらえるほどの人脈を作る余裕までは無かったとみられている。

生口島からの出口は、瀬戸内しまなみ海道を北上して広島県尾道市方面へ向かうルート。南下して愛媛県今治市方面に抜けるルート。フェリーか旅客船で広島県三原市へと戻る3つのルートが大まかには考えられる。

失踪から約1ヶ月後に始まった公開捜査によって、その後1年間に寄せられた情報を精査した倉敷警察署の生活安全課課長K氏の言を借りれば、青森県から沖縄県まで160件を超える目撃情報が寄せられたものの、

「島を出た後に向かった先での目撃情報がない」のだという。

尤も、恭暉さんがその姿を捉えられたのは、三原港付近の防犯カメラが最後であり、スマートフォンを操作し、愛読書と共に路上に残したのは品物を託された協力者であって本人は生口島を訪れていない可能性も皆無とまでは言えないのかもしれない。

警察は付近の海上も捜索しているが、恭暉さんの発見には至っていない。

生口島は、多島海である瀬戸内海上にあって、有人島だけでも50、無人島も含めれば大小数百を数える芸予諸島に属し、海流が妨げられ易い事を考慮すると、万が一彼が海に転落していたとしても、周辺のどこかの陸地に漂着する可能性が高い。

しかし、その日恭暉さんが持っていた財布、イヤホン、柄の折れた黒い傘といった愛用品はもちろん、身につけていた眼鏡や当日の着衣の一部でさえ、未だ発見されてはいない。

家族は、SNSで恭暉さんの情報を拡散すると共に、父親が作成したチラシを広島市内や大阪の繁華街、愛媛県の温泉地等各所で配布。近県の報道機関も彼の失踪について記事を紙面に掲載、あるいは放送した。

その成果として目撃情報が全国から寄せられてはいるものの、依然として生口島以降の確実な消息は掴めていない。

警察に寄せられる目撃情報も次第に鎮静化しつつある中、両親は、もはや静かに恭暉さんの帰りを待つべきなのではないかと迷いを滲ませながらも、失踪から2年が経過した2024年11月現在も、情報提供の呼びかけを続けている。

手がかりとその検討

恭暉さんの失踪事件は、生口島で発見された遺留品を中心に展開された捜査を通じ、少しずつ全容が見え始めている。しかし、見つかったスマートフォンや書籍といった品々は、彼がそこに到達した確証を示すものなのか、それとも誰かが意図的に残したものなのか、未だに議論が分かれている。

本章では、発見された手がかりや目撃情報を詳細に整理し、それらが示唆する彼の行動や状況について考察する。また、彼が自発的に行動を起こした可能性と、第三者の介在を想定する視点の双方から、手がかりをどのように解釈できるのかを検討する。消えた彼の足跡の先にある真実を追求するため、手がかりが意味するものを探る。

恭暉さんについて

前述の通り、恭暉さんは失踪当時中学3年生(14歳)の男性で、身長は約170cm、体重約65kgの中肉体型。成長期であり、当時既に成人男性の平均的な身長に達していた事を考慮すると、撮影から2年以上が経過した2024年11月現在、公表されている画像からは別人のように変貌している事も考えられる。

顔は肉付きがよく丸顔で、色白。黒縁眼鏡をかけていた。頭髪は黒髪短髪で若干の癖があり、髪質は硬めであったという。

その日の服装は、黒色フリースの上着、白の長ズボン、靴下の上にカーキ色のサンダルという軽装で、バッグは持っておらず手荷物は柄が折れた傘のみ。

財布やスマートフォン、書籍は着衣のポケットに入れていたと考えられている。

失踪から2年後の現在はともかく、公表されている画像や、誕生日のお祝い動画、曽祖母あてのビデオレターを見る限り、失踪当時は年齢相応の風貌や話し方、立ち居振る舞いであり、多少頭髪を変えてマスクをつけ、あるいはヒゲを生やして口元を隠したとしても、年齢をごまかしてすぐに一般的な職業に就くのは少々困難であるように思われる。

家族は両親と少なくとも妹がいる家庭で、島根県松江市には父母方両方の祖父母が住んでいたが、失踪後に連絡をとった形跡はないという。

警察に寄せられた目撃情報は、三原港のある広島県でのものが多いとされるが、それは必ずしも彼がそこに滞在していた(いる)という理由からではなく、情報拡散の偏りに起因するものである可能性もある。

部活はバスケットボール部に所属しており、直近では進路についての悩みもあったとは言え、基本的には約3年の間学業と両立させていた。趣味は漫画やボカロMV等の動画鑑賞、オンラインゲームと年齢相応のものであるが、持ち出した漫画や動画再生、ゲームに必須と思われるスマートフォンは早々に手放してしまっている。

仮に彼が日常生活に耐えがたい程に消耗しており、直近に迫った高校受験等のイベントからの逃避を図ったのだとすると、慰めになる愛用の品はなかなか捨てられないであろうし、あまり馴染みのない土地へ船酔いを押してまで旅行しようとも考えられない様に思われる。

むしろ、これまでの自分の嗜好や人間関係を捨て、別人に生まれ変わろうという決意やリセット願望(あるいは、何者かが彼にそうさせようという意思)が、生口島の遺留品には表れているように感じられる。

年齢的に一人旅の経験はまだ無いと思われるが、行動的な性格であり、一人で行動することにもあまり躊躇は無いタイプであったという。とは言え、スマートフォン無しの状態では職探しや目的地への経路を調べることも容易では無く、やはり代わりとなるものを提供するか、仕事や宿泊場所を紹介してくれる「協力者」の存在を想定する事が自然であろう。

「協力者」について

恭暉さんが若くして人生のリセットを図ろうと思い、それが実現できると考えるに至ったのだとすると、そのメンター(指導者)となる人物との出会いがあった可能性が高い。そして、その人物とは、当時直近までのコロナウイルス感染症蔓延防止措置により学生にもリモート授業等が推奨され、人と人との接触が忌避されていたという世相からも、SNS等のインターネット上で出会った可能性が高い。

失踪当日、家族が買い物に出た後で、恭暉さんの自宅を何者かが訪れたのではないかと母親は考えているが、その人物が直接迎えに来た可能性は低い。その場合であればスマートフォンを捨てるのを生口島まで待つ必要性は乏しいだろう。

恭暉さんが、家族の外出まで出発を遅らせたのは、出発に際して、忌々しく思っていた勉強のための道具を、どうしても自宅に置いて(捨てて)出たかった。「塾に行く」と言った以上は、その姿を家族に見られる訳にはいかなかったという理由からであるのかもしれない。

生口島で恭暉さんと合流したその人物は、彼のスマートフォンを確認して自身との交流の情報が残されていないことを確認、彼が所持していた書籍と共に、路上に遺棄させたものと考えられる。

この人物は、外出等して姿を人前に見せることなく働く事が可能な在宅ワークに必要な人員を集めるリクルーター、しかも、労働可能ではない年齢の人物を勧誘することにも躊躇がない、非合法な仕事(いわゆる闇バイト)の世界に属していたのではないだろうか。

バブル崩壊以降、長期の不景気に起因する人件費削減の為、人件費や地代の安価な地域の離島には、廃業したホテル等の建物を改装したコールセンターが置かれる事があり、社員寮を完備した上で、地元での就業や離島生活を望む働き手を集めてきた。

勿論それらの施設は合法なものであるが、その業態にヒントを得た違法版(例えば違法なセールスや、特殊詐欺のためのコールセンター)が瀬戸内海の離島のいずれかにひっそりと設置されており、本土からの交通機関が充実した生口島には、その窓口となる人物が配置されていたのかもしれない。

真相考察

恭暉さんは、進路への悩みにつけ込まれ、違法な「在宅ワーク」に勧誘された可能性がある。当時コロナ下にあって、学校でのリアルな人間関係を奪われた子供たちは、判断力を養うための経験や、同年代の子供たちとのつきあいからも分断された状態で、インターネット上の人間関係に曝露される事になった。

彼は独立心旺盛で、子供にもお年寄りにも好かれる性格であったといわれている。その事から、自分のコミュニケーション力や生活力にも自信があったのかもしれないが、その為に、インターネット上の「悪い大人」の目にとまり、誘い出されてしまったのであろうか。

現在、彼は同じ学年の子供たちと一緒に高校受験に挑む機会を失い、その為に、人生の進路変更を考えられないまま違法な仕事に従事させられている可能性がある。下手に自分で決めた道であるという信念を持ってしまったが為に、軌道修正ができずにいるか、違法な仕事をしているという罪悪感から、現在の居場所から逃げ出せなくなっている事も考えられる。

尤も、彼は2024年11月現在も尚未成年であり、まだ少年法等の保護が受けられる年齢である。

現在、闇バイト等に世間からの関心が集中し、経験不足の若年者を毒牙にかけるその手法に対する危機感が醸成されている中、闇のネットワークが摘発され、末端の構成員として労働力を搾取されているであろう彼らが救出される可能性もまた高まりつつあるのかもしれない。


★参考資料
読売新聞 2022年12月16日付大阪朝刊 岡山版
読売新聞 2023年1月24日付大阪朝刊 愛媛版
読売新聞 2023年11月15日付大阪朝刊 岡山版
読売新聞 2024年11月20日付大阪朝刊 岡山版
毎日新聞 2024年11月20日付 岡山版
産経新聞 2023年1月21日 大阪夕刊 第1社会面
産経新聞 2023年11月14日 大阪夕刊 国際面
梶谷恭暉さんに関すること・岡山県警ホームページ
RSK山陽放送ホームページ
山陰中央新報デジタルホームページ
OHK岡山放送ホームページ
産経新聞ホームページ
瀬戸内しまなみ海道・ひろしま公式観光サイト
旅客船:瀬戸田・沢(鷲)・三原 土生商船グループホームページ・定期航路


◆子どもの行方不明事件(事案)考察

◆関連記事


Tokume-WriterWebライター

投稿者プロフィール

兼業webライターです。ミニレッキス&ビセイインコと暮らすフルタイム事務員。得意分野は未解決事件、歴史、オカルト等。クラウドワークスID 4559565 DMでもご依頼可能です。

この著者の最新の記事

関連記事

おすすめ記事

  1. 記事事件考察富田林市堺市北区の児童行方不明事件アイキャッチ画像
    大阪府富田林市および大阪府堺市北区で発生した二人の男児(富田林の男児はA、堺市の男児はBと…
  2. 記事話題を呼んだ都市伝説エイズの世界へようこそとはアイキャッチ画像
    1980年代に広がった都市伝説『エイズの世界へようこそ』は、未知の感染症に対する恐怖と社会…
  3. 記事真夜中のカーボーイ考察アメリカンドリームと1960年代末の社会変革アイキャッチ画像
    映画『真夜中のカーボーイ』は、アメリカ社会の構造的変容を鋭く映し出した作品である。この映画…
  4. 記事岡山県倉敷市中学生失踪事件梶谷恭暉さん行方不明事件アイキャッチ画像
    岡山県倉敷市で、ひとりの中学生が突然姿を消した。行方不明となったのは、中学3年生の男児。進…
  5. 記事石岡市消防幹部の偽札事件過去の類似事件から見る現代社会の課題アイキャッチ画像
    2024年12月4日(水曜日)、茨城県警は、茨城県石岡市消防本部総務課長である須崎隆史容疑…

スポンサーリンク

ページ上部へ戻る