2024年3月28日、経済安全保障上の重要情報へのアクセスを、政府が信頼性を検証した個人に限定する「セキュリティ・クリアランス」制度の設立を目指した法律案について、衆議院内閣委員会で参考人による質疑が行われた。この制度では、日本の安全に重大な影響を与える恐れがある情報を「経済安全保障上の重要情報」として指定し、その情報へのアクセスを政府が事前に信頼性を検証した民間企業の従業員を含む限られた人々に制限する内容が提案されている。
セキュリティ・クリアランス制度
日本では以前から、国家の安全保障に不可欠な情報を保護する目的で、セキュリティ・クリアランス制度が検討されている。この制度は、特定の情報にアクセスする必要がある政府職員や民間事業者の従業員に対して、その人物の信頼性を政府が調査し、情報へのアクセスを許可するものである。これにより、情報漏洩のリスクに対処し、国の技術的優位性を維持することが目指されている。
セキュリティ・クリアランス制度の導入は、経済安全保障観点からも重要である。現在の安全保障環境では、保護対象を軍事技術だけでなく経済・技術分野まで拡大する必要があると考えられている。これは、経済・技術の進展が国家安全保障に直接影響を及ぼすためである。
我が国には、既に「特定秘密保護法」が存在するが、経済安全保障に関する情報をさらに包括的に保護するための新たな制度の検討が進められ、この新たな制度(セキュリティ・クリアランス制度)では、政府が保有する情報のうち経済安全保障上重要な情報を特に保護対象とし、これにアクセスするためにはセキュリティ・クリアランスが必要となるが、個人のプライバシーや労働法制との兼ね合い、不利益取扱いの防止、漏洩に対する罰則など、さまざまな側面からの検討が必要とされている。
ただし、企業からは、国際共同開発プロジェクトへの参加や海外政府との契約獲得など、セキュリティ・クリアランスがあればビジネスの機会が拡大するというニーズがある。このように、セキュリティ・クリアランス制度は、信頼性の高い情報保全体制を築き、国際的に競争力を持つための重要なステップだとも考えられている。 この制度を成功させるためには、政府と民間双方の協力と理解が不可欠である。政府は制度の詳細や必要性を国民に分かりやすく説明する必要があり、民間事業者は適切な情報保全措置を講じることが求められる。また、情報保全を適切に実施するための国内外との連携や支援の体制も整備する必要があるだろう。
セキュリティ・クリアランスと特定秘密保護法の関係性
2014年12月に施行された「特定秘密保護法(特定秘密の保護に関する法律)」(以下、特定秘密保護法と記す)の目的は、国際情勢の複雑化やデジタル社会の発展に伴い増大する情報漏洩のリスクに対応し、国及び国民の安全の確保に関連する情報の重要性が増大していることに鑑み、安全保障に関する情報の中で特に秘匿する必要があるものを適切に保護する体制を確立することである。
この法律により、特定秘密の指定、保護措置、提供、取扱者の制限に関する規定が設けられており、特定秘密の管理において適切な手続きの実施と保護措置の講じることが義務付けられている。また、特定秘密を取り扱う者に対する適性評価の実施や、違反行為に対する罰則も含まれている。これらの措置により、特定秘密の厳重な管理と保護が図られることが期待されている。
セキュリティ・クリアランス制度と「特定秘密保護法」は、ともに国家の安全保障を目的とした制度であり、国及び国民の安全を守るために重要な情報の管理と保護を強化する点で共通している。しかし、それぞれのアプローチには違いがある。
セキュリティ・クリアランス制度は、特定の機密情報にアクセスすることが許可される個人の適格性を評価し、認定するプロセスである。この制度は、情報にアクセスする権限を持つ個人が信頼できるかどうかを事前に審査し、安全保障に関わる情報の漏洩リスクを最小限に抑えることを目的とし、個人の背景調査、適性評価、そして必要に応じて定期的な再評価を通じて、機密情報を取り扱うことができる人物を限定する。
一方、特定秘密保護法は、国の安全保障に関わる情報の中から特に秘匿すべき情報を「特定秘密」として指定し、その保護・管理に関する厳格な基準と手続きを定める法律である。この法律は、特定秘密の指定、管理、アクセス制御、違反に対する罰則などを規定し、情報の漏洩防止を法的に担保する。特定秘密保護法に基づく管理体制は、特定秘密を取り扱う組織や個人に対して適用され、情報の安全な保持と適切な取扱いを義務付ける。
両制度の関係性は、セキュリティ・クリアランスが特定秘密保護法の下で特定秘密を取り扱う個人の適格性を審査するメカニズムとして機能することにある。つまり、セキュリティ・クリアランス制度は特定秘密保護法の実施を支える手段の一つと考えられる。
特定秘密保護法によって設定された基準と手続きの中で、セキュリティ・クリアランス制度は、特定秘密にアクセスする資格がある個人を識別し、これらの情報が厳重に保護されることを保証する役割を果たすだろう。
セキュリティ・クリアランスとスパイ防止法の関係性
2013年、第2次安倍政権下の第185回国会で、国家の機密情報を守るための「特定秘密保護法案」が提案され、同年12月6日に法律として成立、2014年に施行された。この法律は、情報が外部に漏れるリスクを事前に抑えるために特定の情報を「特定秘密」として指定することで保護を図るものである。しかし、情報が「特定秘密」として指定されていない状態で盗み出された場合、この法律の適用外となる問題があり、その点で以前から議論されていているスパイ防止法との違いがある。さらに、罰則が最高で10年以下の懲役にとどまることは、死刑や無期懲役を科す国々と比較しても、その罰則が軽いという批判がある。
セキュリティ・クリアランスとスパイ防止法は、国家安全保障のために相互に補完し合う重要な役割を担っていると考えることができるだろう。セキュリティ・クリアランスは、特定の機密情報へのアクセスを制限し、個人や組織の信頼性の評価と認証の仕組みである。これにより、情報の不正な漏洩を防ぐことが期待できる。
一方、スパイ防止法は、国家に対するスパイ活動を直接的に取り締まり、罰することで、外部からの脅威に対処している。両者は国家の安全を守るために互いに補完する関係にあり、セキュリティ・クリアランスが内部からの情報保護を、スパイ防止法が外部からの脅威に対する防御をそれぞれ担っている。
このように、セキュリティ・クリアランスと特定秘密保護法およびスパイ防止法は互いに補完し合う関係にあるため、今後、スパイ防止法の議論が再開する可能性が考えられるだろう。
次の項目では、スパイ防止法の要約、歴史、賛成派と反対派の意見をまとめておく。
スパイ防止法
日本におけるスパイ防止法の検討は1957年、岸信介首相とアメリカ政府との間での要求から始まった。しかし、法案が国会に提出されたのは1985年で、自由民主党議員による議員立法としてであった。
1985年に自民党議員が提出したスパイ行為を処罰する法案は、外交・防衛上の国家機密の漏洩防止を目的としており、未遂行為や過失による漏洩も罰する内容で、最高刑は死刑または無期懲役であった。
同法案は公務員の守秘義務強化とスパイ行為の未遂や過失による漏洩を含む罰則規定を設けていたが、審議未了に終わり、法案は成立しなかった。その後もスパイ防止法に関する議論は続いているが、2024年3月時点で明確な法制化には至っていない。
同法の賛成派は、国の安全を守るためにスパイ行為を厳しく処罰する法律が必要だと主張している。特に冷戦期や国際情勢の緊張が高まる中、国家機密の保護は重要であるとされる。
一方で、反対派は、スパイ防止法が国民の権利を制限し、言論の自由を侵害する可能性があると警戒している。特に報道の自由に関する懸念は大きく、民主主義社会において許容されるべきではないとする意見が強い。
米中間の新冷戦、中国の覇権主義と諜報活動、ロシアによる米国大統領選への介入、英国のEU離脱国民投票へのロシアの関与疑惑など、21世紀も国際情勢の緊張は続いている。国家機密の保護は、今後も日本にとって重要な論点の一つであろう。
有名なスパイ事件
人類文明の歴史は戦争の歴史であると言っても過言ではない。歴史上の多くの戦争や紛争は、情報収集とその利用、敵対する側の計画を妨害するスパイ活動に大きく依存している。情報の優位性は戦略的な決定を導き、戦争の結果を左右することがある。たとえば、第二次世界大戦におけるエニグマ暗号の解読は、連合国に軍事的な意味で大きな利益をもたらした。冷戦期には、両陣営が情報を収集し合い、スパイを送り込むことで優位を確保しようとした。
このように、情報戦とスパイ活動は、戦争だけでなく平和時における国家の安全保障政策や外交政策にも深く関わっている。それらは歴史を通じて、人類文明の発展に重要な役割を果たしてきた。 多くの注目すべきスパイ事件が発生した第一次世界大戦から冷戦時代のスパイ事件は、国際関係において顕著な影響を及ぼし、時には歴史の流れ自体を変えるほどの力を持っていた。
たとえば、日本の治安維持法および国防保安法違反で逮捕、起訴、有罪判決を受けたロシア人スパイ(日本のドイツ領事館に出入りし極秘情報を得ていた)のリヒャルト・ゾルゲ(1895年10月4日生まれ、1944年11月7日処刑)がソビエト連邦に提供した情報は、独ソ戦の展開に大きな影響を与えた。彼が伝えたナチス・ドイツによるソビエト連邦への侵攻計画(バルバロッサ作戦)の情報は、ソビエト連邦が防衛準備を整えるのに役立った。
また、日本が短期間でソビエト連邦に対して大規模な攻撃を行う計画がないことをソ連に伝えたことも重要であった。この情報により、ソビエト連邦は極東の軍を欧州戦線、特にモスクワ防衛に集中させることが可能となり、1941年のモスクワ前面でのナチス・ドイツ軍の進攻を阻止する上で決定的な役割を果たした。
このように、リヒャルト・ゾルゲからの情報は、第二次世界大戦における欧州戦線の状況に多大な影響を与え、ソビエト連邦の戦略的有利性を確保するのに貢献した。ゾルゲのスパイ活動は、戦争の歴史において重要なターニングポイントの一つと評価されている。
マンハッタン計画における重要な科学者の一人であるクラウス・フックス(1911年12月29日-1988年1月28日)は、プルトニウム型原子爆弾の設計に貢献した。しかし、彼は1942年から1946年にかけて、核兵器開発に関する機密情報をソビエト連邦の情報機関に提供し続け、フックスの情報提供により、ソビエト連邦は核兵器を開発するための重要な技術情報を入手することができた。
1950年、彼のスパイ活動は発覚し、イギリスで逮捕され、その後、懲役14年の判決を受けるが、実際には9年間服役した後に釈放された。
フックス以外にも、原爆関連情報をソビエトに提供したとされるスパイは複数存在した。ローゼンバーグ事件のジュリアス・ローゼンバーグと妻エセル・ローゼンバーグは、原爆関連情報をソビエトに渡したとして有罪判決を受け、1953年に電気椅子で処刑された。彼らの事件は、冷戦期のアメリカにおけるスパイ恐怖と政治的緊張を象徴するものとして、今日まで広く知られている。
これらのスパイ活動は、冷戦期初頭の国際政治において、核兵器開発競争を激化させる一因となった。 リヒャルト・ゾルゲやクラウス・フックスは、敵国に対して重要な情報を提供し、戦争の進行に直接的な影響を与えた。これらの事件は、国家間の情報戦の重要性を浮き彫りにし、現代の情報保全の基礎を築く上での重要な教訓となっている。
スパイの動機と手法
スパイたちは様々な動機で活動していた。例えば、イデオロギーへの信念、金銭的利益、あるいは単純な冒険心などが挙げられる。彼らは暗号化された通信、偽造文書、隠しカメラなど、当時としては先進的な技術や手法を駆使して情報を収集し、提供していた。これらのスパイたちの活動は、情報技術の発展にも影響を与え、現代のサイバーセキュリティの原点とも言える。
ゾルゲの動機は、共産主義への深い信念と、ファシズムへの反対に根ざしていた。一方、クラウス・フックスもまた共産主義への深い信念を持っており、核兵器の情報をソビエト連邦に提供することで、力の均衡を保ち、一国だけが核兵器を持つことの危険性を減らそうと考えていた。フックスは、核戦争の脅威を抑え、平和を維持するためには、核兵器の情報がアメリカだけでなくソビエト連邦にも知られるべきだという信条に基づいて行動した。
また、旧ソ連のKGB、ロシアのロシアの対外情報局(SVR)、北朝鮮の工作員、日本国内の協力者が日本国内で行うスパイ活動に「背乗り」がある。「背乗り」とは、犯罪者や工作員が他人の身分や戸籍を不正に使用して自分の正体を隠す行為であり、特に旧ソ連や北朝鮮の工作機関によって利用されてきた。
背乗りには、失踪や死亡した人物の戸籍を盗用することから、拉致や殺害によって身分証明書を奪うケースまでが含まれる。例えば、1985年、韓国で逮捕された、静岡県生まれの在日朝鮮人「辛光洙」事件(辛光洙は、1980年6月、宮崎県宮崎市の青島海岸で日本人の原敕晁氏を拉致し、同氏の戸籍、パスポートなどを利用し日本や韓国で工作・諜報活動を行った)では、北朝鮮の工作員が日本人の身分を利用して海外で活動した。
2008年8月、警視庁公安部は、1965年、福島県で「山に出掛けてくる」と言い残し背広姿で失踪した当時34歳の日本人K氏に成り済ましたアジア系ロシア人の氏名不詳の男を旅券法違反で書類送検した。この男は1997年に国際手配され、ロシアのスパイである疑いが強い。
男は日本から出国後、海外で旅券を更新していたが、昨年期限切れになり再入国の可能性が低いため書類送検された。男は1992年にオーストリアの日本大使館で不正に旅券を取得し、日本に出入国していた。
警視庁公安部が、この男の自宅を家宅捜索したところ、高性能短波ラジオと乱数表などが見つかった。この男はラジオを用いてモールス信号で送られる数字を受信し、乱数表を使って指示に従って行動し、知り得た情報をマイクロフィルムにし、空き缶に隠して世田谷区内の神社や公園に置く「デッド・ドロップ・コンタクト」方式でロシア側に情報を渡していた。
また、この事件には、在日ロシア大使館の書記官が関係した可能性が高いと推認され、男が海外にいる間、同書記官が彼の妻を監視などしていた。なお、書記官は公安部の事情聴取要請後に日本を離れた。
男は自己に関する話を避け、アジア系の顔立ちと流暢な日本語で約30年間妻からスパイであると疑われることはなかったという。警視庁は男がかつてサハリンに住んでいた可能性を示唆している。日本では、過去に北朝鮮工作員による背乗り事件が発生しているが、旧ソ連に起源を持つこの手法は長い歴史を持つ。警察は、諜報活動の目的は政策や技術、軍事情報の収集にあるとしており、背乗りは依然として警戒すべき戦術であると警告している。
まとめ
第一次世界大戦から冷戦時などのスパイ活動は、今日の情報戦やサイバーセキュリティに直接的な教訓を提供している。 歴史上のスパイ事件を通じて、情報の重要性や、それを守るための措置が如何に重要であるかが明らかになっている。
また、スパイ防止法やセキュリティ・クリアランスの必要性は、現代でも変わらず、国家の安全保障を守る上で不可欠な要素であるだろう。
◆参考資料
「戸籍乗っ取る工作員」読売新聞2002年9月20日付
「北朝鮮・拉致関連4件、共通支援者工作員組織に資金提供」毎日新聞2003年1月9日付
「北朝鮮・拉致事件金世鎬容疑者に逮捕状」毎日新聞2003年1月9日付
「拉致実行犯2人、闇のエリート「愛国闘士」は大物工作員」産経新聞2005年12月31日付
「ロシア人スパイ送検へ警視庁旅券法違反の疑い」北海道新聞2008年8月13日付
「ロシア人スパイ:旅券法違反容疑で書類送検」毎日新聞2008年8月14日付
「露スパイ書類送検、日本人成りすまし旅券法違反容疑」産経新聞2008年8月14日付
「セキュリティークリアランス」法案 運用状況は公表の方針」NHKNEWS2024年3月8日 21時10分配信
リヒャルト・ゾルゲの「外国通信員身分証明票」1941年7月4日「情報局第三部」出典:『昭和30年史』毎日新聞社1955年,P106
「経済安全保障分野におけるセキュリティ・クリアランス制度等に関する有識者会議」外部リンク(内閣官房)
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