栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件)

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一人の男性が消えた。彼は働きながら正看護師を目指す23歳の准看護師だった。失踪の前、彼は携帯電話で誰かと話をしていたとも言われ、彼の失踪後、自宅に町役場の職員を名乗る者からの電話があったという。

栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件)は、北朝鮮の工作員による拉致事件の可能性も否定できないといわれる謎の多い失踪・行方不明事案(事件)である。

栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件)概要

2002(平成14)年4月30日(火)19時頃以降、栃木県下都賀郡K町(当時・現在は合併により栃木県下野市)在住の看護師であった永島康浩(ながしま やすひろ)さん(当時23歳、以下康浩さん)は、「レンタルビデオ店にビデオを返しに行ってくる」と母親に言い残し自宅を出た。そして、そのまま消息を絶った。

康浩さんは短期大学を卒業し准看護師の免許を受けた後、K町に隣接する栃木県小山市内の病院で勤務した。働きながら正看護師を目指していたという。 自宅では両親と暮らしており、その時母親は食卓に食事の準備を整えていたが、彼は外出の目的の他に「夕飯は帰ってから食べる」と告げて自宅を出た。

前述の「ビデオ返却」が用事であれば、食事を摂ってからでも良いのではと、後片付けをする立場の者であれば意見したくなりそうであるが、この時母親は許容したようだ。映画鑑賞は康浩さんの趣味の一つであったそうで、比較的安価な貸出当日返却を頻繁に利用する等、短時間の外出は日常茶飯事であったのかもしれない。

家を出た際、康浩さんに特に変わった様子は無かったという。

しかし、彼には日頃から仕事に関する不満や悩みがあり、前日29日の夕方には、自宅で求人情報の広告を眺めながら「職場を変わりたい」と漏らしていたという。

それは、看護師という職業自体に嫌気が差していたというよりは、仕事場の環境に起因するのではないかというのが、家族から見た印象であった。

母親による、この30日19時頃の外出時の証言が、確実な最後の目撃情報とされることもあるが、同日20時頃、自宅で康浩さんの隣の部屋に居た父親が、壁越しに「今すぐ行く」と携帯電話で話す明るい調子の声を聞いたとの情報もある。

これは文字通りに、康浩さんが19時台にレンタル店での用事を済ませて帰宅、夕食を終えた後、改めて20時頃に何者かの誘いを受けて再び家を出たという時系列であるのか、それとも出来事とその発生時間に関する両親の記憶に齟齬があり、康浩さんが母親に対し、呼び出しがあった事実を隠し、ビデオの返却を口実にして出かけたのではないかという疑問が生じる余地があるものの、正確なところは不明である。

尚、その際(30日20時頃)の通話相手についての情報や、康浩さんが発言通りに、レンタルビデオ店に実際に訪れて返却の手続きをしているのかといった点については、明らかにされていない。

特に通話の相手は、時間帯や言葉遣いから、ある程度親しい関係にある事が推測されるにも関わらず、康浩さんを捜索する家族らに対して、その人物が名乗り出て情報提供をしたという事実は無いようである。恐らくは特定されていないものと考えられる。

康浩さんは運転免許を所持していたが、失踪者情報に車両、または自転車等についての項目はなく、徒歩で外出した可能性が高い。従って「今すぐ行く」と彼が応じた呼び出し相手は、車等で近くまで迎えに来ていたと考えるのが自然であろう。

康浩さんは成人男性であり、誘拐など事件や犯罪性を示唆する状況証拠もなく、少なくとも2023年7月現在では栃木県警のホームページでの情報公開はされていない。即ち警察の見立てでは、彼の失踪は家出であり、踏み込んだ捜査はしておらず、最後の通話相手の素性についても、注意深く隠蔽されていて特定できなかったというより、詳細を調べてもいなかったのではという疑いが拭えない。

失踪の翌日である5月1日(水)には、康浩さんの携帯電話から「03-5300-XXXX」という番号への発信履歴があった事が判明しているが、2002年当時のプライバシーについての考え方から見て、警察でなければ分からない情報であると確信を持って言う事はできない(後述するT V番組のスタッフによる調査の成果であるかもしれない)。件の番号のXXXX部分についても判明している可能性が高いが、恐らくは該当の番号の契約先に家族や番組スタッフが問い合わせても、康浩さんの行方については手がかりが得られなかったのだろう。

家族が栃木県警に康浩さんの捜索願を提出したのは5月7日(火)であったという。

時期的にはゴールデンウィークの休暇明けであり、その期間の終わり位まで帰宅を待っていたという事なのかもしれないが、看護師という職業柄カレンダー通りの勤務であることは考えにくく、単純に一週間程度を区切りとした可能性もある。

一方で、康浩さんが働いていたという病院の院長や上司、同僚が、T Vの取材や捜査機関、家族に向けて何らかの証言をしたという情報も見つける事ができない。その為、彼は職場で軋轢を抱えていた、あるいは既に退職していたのではないかと見る向きもある。

5月15日(土)の深夜には康浩さんの自宅に無言電話があったとの情報もあるが、当初、「職場に不満を漏らしていた若者が、ゴールデンウィーク中にふらりと姿を消した」という、五月の連休辺りにはありがちな家出(自発的失踪)事案として処理されていた節のある、康浩さんの行方不明事件が特異性を帯びるに至ったのは、発生から約五ヶ月後の事であった。

10月4日(金)の夕方、康浩さんの自宅に一本の電話があった。自宅があるK町の町役場の者と名乗るその人物は、電話に出た康浩さんの姉に、「康浩さんと思われる人物が病院に搬送されたようだ」と告げ、搬送先の病院のものという電話番号を伝えたという。

2023年7月現在では、病院から連絡を受けた役場等が住民のデータベースから個人を特定し、家族に伝言するような事は「個人情報の目的外利用」に該当する可能性があり、仮に実在する病院の者と名乗って、患者家族の連絡先の照会や伝言の依頼があったとしても、役場がこれを受け付けることはなく、警察や救急センターへの相談を誘導すると考えられるが、2002年当時では町役場のサービスの一環として、または職員の親切心から個人的に伝言を引き受ける事もまだあり得たのかもしれない。しかし、この件についても、K町役場からのコメントは残されていない。

康浩さんの姉が、伝えられた電話番号に電話をかけて事情を話すと、電話を受けた病院の職員と思しき人物は「確認して折り返す」と告げて通話は一旦終了した。彼女はその後、病院からの折り返しの電話を30分程待っていたが連絡は無く、痺れを切らして再度先程の番号に電話をかけた所、流れたのは自動音声によるアナウンスであった。

「この電話番号は、現在使われておりません」

当然、自分の番号間違いを疑った彼女はメモした番号を見ながら掛け直したが、自動音声が流れるばかりで病院に繋がる事は二度と無かったという。そして、恐らくは病院から役場に連絡が入る事も二度と無かった。

翌年2003年には康裕さんの運転免許が有効期限を迎えたが、更新手続きは取られず、失効している。

2004年2月には、公開捜査番組であるT V朝日系『奇跡の扉・T Vのチカラ』において、康浩さんの失踪事件が五回にわたって取り上げられた。

スタッフは康浩さんの交友関係を調べ、失踪当夜に彼を呼び出した人物の候補として、短大時代の友人S氏に辿り着いたものの、(あくまでもS氏本人の発言を根拠とするものではあったが)彼はその時の電話相手ではなく、それどころか失踪の一年半も前から康浩さんとは没交渉であったことが判明し、結局、調査は振り出しに戻ってしまった。

しかし、視聴者からは500件を超える康浩さんの目撃情報が寄せられ、その目撃場所は埼玉県大宮市に集中した。大宮市は、彼の職場があった栃木県小山市の駅から電車一本で移動が可能で、所用時間も一時間程度の「現実的な」場所であった為、番組内で、家族の元への帰還もしくは生存報告が叶うという、T V的にも最高の形で解決するのではとの期待感が一時醸成されたが、発見には至らず、司会者の呼びかけに応えて、本人から番組へ連絡が入る事も無かった。

根拠やその始期は不明であるが、長年囁かれ続けている噂がある。

「北朝鮮の拉致による失踪事件では、残された家族宛てに不審な電話がかかってくる」

例の一部を挙げれば、『特定失踪者問題調査会』の失踪者リストにおいて「拉致の疑いが濃厚」とされる、安達俊之さんの行方不明事件(1981年)――「俊之つかまっているよ」という、女児の声による不審電話。

同じく「拉致の疑いが濃厚」とされる、西安義行さんの行方不明事件(1987年)――女児の声で、童謡「ひなまつり」を歌う不審電話。

これらの様な事件が知られているが、実際に北朝鮮が拉致を認めた事件の中にも、不審電話についての情報が無いものもあり、また、不幸なことがあった家の電話番号を調べ(当時、固定電話の加入者であれば、地域の個人名電話帳の入手は容易であり、大きな図書館へ行けば他の地域のものも閲覧可能であった)、無言電話やいたずら電話をかける(酷い場合には自分の子供を使ってかけさせる)事を娯楽とする人間が、今も昔も一定数存在するのが現実であり、その噂の信憑性について、判断は困難である。

康浩さんの事件もこの不審電話が根拠の一部を担っているのか不明はであるが(看護という特殊技能がある事や、痕跡を残さず姿を消している事、明確な理由が見当たらない突然の失踪である事等が根拠のウェイトとしては大きいのかもしれない)、彼の失踪についての情報は、『特定失踪者問題調査会』の「特定失踪者リスト」の0番台リスト(北朝鮮による拉致の疑いを完全には排除できない失踪者であって、家族が失踪者の情報公開を依頼した人のリスト)に掲載されている。

康浩さんの情報が公開されたのは2004年5月(0番台リスト第8次公開)であった。

そして、2023年7月現在も、依然として特定失踪者の一人として掲載され続けている。

永島康浩さんについて

失踪した康浩さんは1978年(昭和58年)7月26日生まれで失踪当時は23歳。スキー、テニス、バレーボールといったスポーツの他、映画鑑賞、写真、絵画と多くの趣味を持ち、書道は三段の腕前であった。

見た目は、身長167cm。体重67kgのほぼ中肉中背。顔の左側に、眉毛から口にかけ6カ所にホクロが有り、歩き方は少し気取った感じ、また、鼻炎持ちでよく鼻をかんでいたという。これらは一見しただけでも捉えやすい特徴であり、目撃情報の多さも頷ける。

視力が悪く、眼鏡等の矯正器具は欠かせなかったが、これは失踪当時から既に医師の処方箋なしで入手する手段が存在し、その施設も豊富に存在した為、そこから本人にたどり着くのは困難であろう。

留年せず短大を出、ブランク無しで看護師として働いていたとして、そのキャリアは約3年。待遇に満足しているか否かを問わず、環境を変えてもやっていける実力がついたのか試したい。

あるいは、自分がもっと能力を発揮できる場所は他にあるのではないかと考え始める時期ではないだろうか。また、看護師は離職率の高さ(新人、経験者を問わず毎年10人に一人が離職するという)で知られている。とは言え、それが家族に何も告げずに姿を消す理由になるとは常識的には考えられない。

しかし、当時の康浩さんの両親世代では「何も考えず、新卒で入った所で5年は働け」「最初の職場で長く続かない奴はどこに行ってもダメ」といった価値観がまだ支配的であり、当然ながら仕事を辞めたい(または、もう辞めてしまった)と言い出せる雰囲気ではなく、実家は次の職探しのサポートをしてくれる環境ではなかった(少なくとも康浩さんはそう思っていた)という事はあり得る。

実際には看護師自体を辞めたいと考えていたのであれば尚更の事である。 公開されている情報は少なく、「職場を変わりたい」と発言した康浩さんに対する家族の反応は明らかでない。叱責した、あるいは口論になったという情報もないが、何の前兆も痕跡もなく家族が姿を消したという時には、まずは誘拐や暴力沙汰等の犯罪に巻き込まれた可能性に気を取られ、そのような前後の出来事は(幾ばくかの罪悪感からも)些細な事として記憶の底に追いやられてしまう事もあるだろう。

拉致の可能性について

一方で、北朝鮮による拉致事件との関連を思わせる物証、証言、状況証拠が存在するのかと言われると、それは見当たらない。

一時、脱北者や、北朝鮮からの亡命者で元工作員であったという人物から「北朝鮮でこの人(失踪者)を見た」等の証言が続出していた時期があり、帰国した拉致被害者、別の亡命者、逮捕された北の協力者等からの証言による裏付けを得て、ある程度拉致の事実について確実性が増した特定失踪者も存在するが、康浩さんについては、北朝鮮での目撃情報も無い。

しかも、康浩さんの失踪年は2002年であり、2002年といえば9月の歴史的な日朝首脳会談を経て、北朝鮮最高指導者が公式に日本人拉致を認め謝罪、5人の拉致被害者が「一時帰国」した年でもある。

医療関係者が一人でも欲しいという終戦・停戦直後ならともかく、このような政治的に細心の注意を要求される時期に、恐らくは韓国語が話せるわけでもない、まだ新人の部類に入る看護師を拉致するのはリスクに見合うのかという疑問が残る。

北朝鮮工作員の中に自称「真の愛国者」がおり、最高指導者の意思に反して抗日(拉致)活動を継続していた等、もっともらしい理屈を述べる事も出来そうではあるが、2004年には、二度目の日朝首脳会談も行われ、この頃は北朝鮮が日朝関係改善のポーズを示す価値を対外的に見出していた期間に相当する。

よって、統制が取れた組織であれば、「(少なくとも、この時期だけは)拉致計画を停止せよ」という指示を出し、厳守させていると思われる。そして、主義主張や内政の問題はさておき、日本における北朝鮮工作員らの統制が取れているかと問われれば、既知の工作員や不審船の動向を見た範囲では、答えはイエスと言わざるを得ない。

不審電話について

町役場からの連絡に端を発する、「一度通話したはずの、康浩さんを収容したという病院への電話が繋がらなくなってしまい折り返しの電話も無かった」という不可思議な一件であるが、まず、30分程度で回線を解約し「使われていない番号」にしてしまう手段が存在するとは考えにくい(仮に即座に解約の連絡をしたとしても、回線の停止が30分以内に行われるとは思われない)。

仮に何らかの事情(例えば、目を覚ます等して動けるようになった康浩さんが、家族に連絡しないよう懇願し電話線を抜く、または病院の電話機に着信拒否設定をするという手段を取ったとしても)「お客様のご都合により・・・」といったアナウンスになると思われる。

しかし、K町役場という、少なくとも警察が捜査に乗り出した場合であれば、通話記録を含めて検証が可能な相手を持ち出している所から考えて、病院を名乗る者から、「康浩さんが搬送された事を知らせる電話」が町役場に入ったという話は信用性が高いように思う。

そうなると、考えられるのは、病院-役場-康浩さんの姉の間のどこかで、電話番号の伝達、またはメモを取る段階でミスが起きたという可能性である。

康浩さんの姉による初回の電話では、確かに病院に繋がったという。確かに、「確認して折り返す」という冷静な対応からみて、この段階で既に病院以外の場所へと間違い電話をかけていた可能性は低い。

折り返しの電話が無かった事については康浩さんの意向であると考えれば説明がつくが、やはり問題は「使われていない番号」である旨の自動アナウンスであろう。

ところで、康浩さんが搬送されたという病院の名称は何だったのだろうか。その情報は無い。『特定失踪者問題調査会』の失踪状況欄にも「その病院と思われる番号に何度か電話するうち、繋がらなくなった」とあるだけである。少なくとも病院名が判明していれば、市外局番や市内局番からローラー作戦で搬送先を特定することが可能であったと思われる(康浩さんが家族との連絡を望んでいる事が前提ではあるが)。

病院名すら明確ではないという事は、康浩さんの姉は家族の危機に直面して無理もない状況はいえ、相当に動揺しており、その精神状態が記憶力やメモした電話番号にも表れ、それは折り返し電話を待っている間に、自分で書いた字を汗で滲ませてしまう、または二度目には自らの字を読み間違えてしまう程であったと考えるのが自然ではないだろうか。

これらは結局のところ考察というより憶測の域を出ないものであるが、少なくとも、「こんなおかしな事は、北朝鮮の工作員の仕業に違いない」と、ブラックボックスに放り込んでしまうよりは、まだ誠実であると思う。

こういった場合、北に限らず諜報員の介在を印象づけたい場合には「警察、家族の動向を探るため不審電話をかけて様子を探っているのだ」と理由が付けられる事が多い。

確かに失踪後すぐに電話をかけてその背景音を聞けば、捜査員が待機しているか、逆探知がされていないか、盗聴されていないか等といった情報を収集することもできるだろうが、失踪から五ヶ月経った段階ではそれも無意味である。それどころか五ヶ月の間にターゲットを日本の捜査機関や家族の手の届く所から遠ざけられていない事を白状しているようなものであり、諜報機関として手際が悪すぎる。また、町役場を通す理由も不明である。

勿論、警察が捜査に乗り出しており、この時の発信記録を調べるか、契約者(家族)が発信番号の照会を行えば「病院と思われる番号」も判明し、このような都市伝説めいた失踪状況にはなっていなかったと思われる。しかし、家出説をとっていた警察がその手段を取ることはなく、家族がその手続きに思い至った頃には、通話記録の保管期間が切れてしまっていたという事なのだろう。

真相考察

康浩さんの事件は、前後の状況から考えて、自発的失踪であること以外の可能性が考えにくい。彼はストレスの多い職業に就いており、仕事場を変えたいという意思も表明していた。

家族との関係について明言はされていないが、親に学費を出してもらった記憶もまだ新しいうちに、就いて三年程度の看護師を辞めてしまいたい等、本心を吐露するのは難しかったのかもしれない。

一方、多様な趣味から、家族の把握できない人間関係を築いていたことが推測できる康浩さんには、家出先の調達は難しくなかったものと思われる。

一旦は看護師の道を諦めて肉体労働等の仕事に就く事になったかもしれないが、知人宅を転々とするうちに、例えば住み込みの看護人など、医師との上下関係、看護師同士の諍いに巻き込まれる事が少ない上、身分証明も不要な看護職に就くことができているかもしれない。

特定失踪者

康浩さんが何故「特定失踪者」に数えられているのか、明確な理由は示されていない。

「北朝鮮による拉致の疑いを完全には排除できない」0番台リストの失踪者という扱いではあるが、逆に言えば、疑いを「完全に排除」できる失踪者が、国内の全失踪者の中にどれほどいるというのだろうか。他の失踪者がリスト入りしていない理由は何なのか。リストの更新は2003年の失踪者で停止しているが、そこで区切る根拠は何かあるのだろうか。

二十年を超える時を経て、北朝鮮による日本人拉致問題が長期化し、やがて「歴史上の出来事」として次第に風化して行くにつれ、「特定失踪者」に数えられてしまったことにより、失踪者かもしれない人物を国内で見かけたとしても「あの人は北朝鮮にいるはずだから……」と情報提供を控えてしまうような弊害の方が大きくなりつつあるのではないだろうか。

また「特定失踪者」とされている自分が実は家出人であった事が明らかになれば、それが北朝鮮に日本政府や日本人を攻撃させる口実となり、家族や自分が世間から後ろ指を差されるのではないかと思い詰め、失踪者本人が帰還を躊躇してしまう事態もあり得ないとまでは言いきれない。

それでも、ある失踪者の家族は言う。

(失踪が長期間になり、誘拐であればもはや生存の見込みが薄くなってしまっていても)「拉致であれば、生きているのではないかと希望を持ち続けることができる」

失踪の真相に辿り着くことができないのであれば、せめてその日が訪れるまで、ブラックボックスの奥深くに、大切に隠しておくこともまた、誠実な態度であるのかもしれない。


◆参考資料
『特定失踪者問題調査会』HP失踪者リスト永島康浩さん
『特定失踪者問題調査会』HP調査会ニュース 「調査会ニュース3023」(R01.7.5)内〈特定失踪者データ〉
TV朝日系『奇跡の扉TVのチカラ』HP「SOS-058栃木青年看護師が謎の失踪」デジタルアーカブ2007年5月20日時点


◆独自視点の行方不明・失踪事件(事案)考察シリーズ


Tokume-WriterWebライター

投稿者プロフィール

兼業webライターです。ミニレッキス&ビセイインコと暮らすフルタイム事務員。得意分野は未解決事件、歴史、オカルト等。クラウドワークスID 4559565 DMでもご依頼可能です。

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