
要約(クリックで開きます)
本稿は、『サリン事件は、オウムである』という衝撃的な一文で始まる怪文書『松本サリン事件に関する一考察』を手がかりに、その内容、筆者像、送付意図を検討するものである。文書は『オウム真理教』の教義、麻原彰晃の言動、信者の認識、警察捜査や報道のあり方にまで踏み込み、松本サリン事件を別の角度から描き出している。怪文書という異様な形式そのものが、1990年代半ばの不穏な時代空気を映している。
1994年6月27日に発生した『松本サリン事件』は、当初から真相が見えていた事件ではない。現場周辺にサリンが拡散し、多数の被害者を出しながら、報道と捜査の矛先は長く第一通報者A氏へと向けられた。その混乱のただなかで、各報道機関へ送りつけられたとされる一通の文書がある。『サリン事件は、オウムである』という挑発的な一文で始まる『松本サリン事件に関する一考察』である。
この文書は、単なる匿名の告発文ではない。『オウム真理教』の教義、麻原彰晃の言動、信者の認識、過去の関連事件、さらには警察捜査と報道のあり方にまで踏み込みながら、事件の輪郭を別の角度から描き直そうとしている。そこには、教団内部を知る者の視線にも、外部から教団を執拗に観察してきた者の視線にも見えるものがある。
本稿では、この『松本サリン事件に関する一考察』を手がかりとして、文書の内容、筆者像、送付の意図、そして当時の社会と報道の空気を検討する。怪文書はしばしば事実を歪める。だが、ときに怪文書は、社会のどこに亀裂が走っていたのかを、公式記録以上に生々しく示すことがある。
松本サリン事件 怪文書 『松本サリン事件に関する一考察』
サリン事件は、オウムである
『松本サリン事件に関する一考察』
この衝撃的な一文で始まる『松本サリン事件に関する一考察』は、後の裁判で『オウム真理教』による犯行と認定された一連のテロ事件のうち、化学兵器サリンが初めて使用された『松本サリン事件』(1994年6月27日)について、その実行者を名指しで指摘した、いわゆる『怪文書』である。
この文書は、『HtoH&T.K』を名乗る者、または集団によって作成されたものであり、文末には、作成時期を示すものとみられる『1994年9月某日』との記載がある。
『松本サリン事件に関する一考察』は、1994年秋頃から同年末、あるいは翌1995年初頭頃までの間に、日本の各報道機関へ送付されたものとみられる。
世界初の化学兵器サリンを用いたテロ「松本サリン事件」は、死者8名、負傷者150名以上の被害者をだした前代未聞の大事件である。当初、捜査を担当した長野県警や同警察からのリークなどを得て記事を書く大手新聞社、TVメディアなどは、『松本サリン事件』の第一通報者A氏を被疑者のごとく扱い、A氏に重大な冤罪報道の被害を与えた。世界初の科学兵器サリンの捜査は難航し、メディアの伝える情報は錯綜し、不気味な憶測や想像が世紀末の日本社会の体感治安を悪化させた。(平成7年「警察白書」には次の言葉が記載されている。平成6年から7年にかけて、銃器犯罪が相次いだほか、サリンという猛毒を使用した殺人事件、阪神・淡路大震災が発生し、我が国の治安の根幹を揺るがした。リンク先:平成7年 警察白書 サリン・銃・大震災に対峙した警察)
――サリン事件は、オウムである――で書き出され、末尾に『この文書は「怪文書」です。したがって、「このような物」が世間に出回っていて、それを「紹介」するという形式を取れば、オウムの弁護士さんの手を煩わせることもないでしょう。なにしろ実際に「怪文書」なんですから。この文書を何らかの形でご使用なさるもなさらないも編集者の自由意思です。なにぶん、「怪文書」ですから。』との一節を置く『松本サリン事件に関する一考察』は、怪文書として各報道機関に送付されたとされる。
本稿では、『松本サリン事件に関する一考察』を手がかりとして、『オウム真理教』が実行した凄惨な事件群、その時代状況、そして同文書の筆者ないし作成主体について考察していく。
松本サリン事件 地下鉄サリン事件 オウム真理教VS.警察
資本主義と社会主義をつぶして、宗教的な国を作ることだ
麻原元死刑囚の説法 参考:NHK Nスペ 未解決事件File.02-3 オウム真理教
『救済のためなら殺人も許される』という『ヴァジラヤーナ(金剛乗)』の思想を掲げ、前代未聞のテロと殺人を含む数多くの犯罪を実行した『オウム真理教』は、ヨガサークル『オウムの会』を出発点とし、『オウム神仙の会』への改称を経て、1987年に宗教団体『オウム真理教』となった。
1984年5月には、麻原元死刑囚を代表取締役とする『株式会社オウム』が設立され、同社の役員欄には古参女性幹部の氏名が記載されている。
1986年5月頃、麻原元死刑囚は『最終解脱』を宣言。1989年8月には東京都の宗教法人認可を受け、宗教法人『オウム真理教』となる。
『オウム真理教』に代表される『新・新宗教』、そして『オウム真理教』そのものについては、同時代を生きた識者、社会学者、ジャーナリスト、著述家、文化人らが、それぞれの視点から分析を重ねてきた。
1960年代アメリカのヒッピーカルチャーに端を発するニューエイジ、水瓶座の時代、精神世界ブーム、占いブーム、自己啓発、終末論、ノストラダムスの予言、カウンターカルチャー、サブカルチャー。これらの潮流は、1980年代後半から1990年代初頭にかけての時代の空気を形成し、『オウム真理教』の伸長を後押しした。『オウム真理教』は、『絶対に壊れない』『徹底的に修行する』といった文言を用いて信者を集めた。麻原元死刑囚の思想は、その『絶対』という語とともに、信者内部で絶対化されていった。
前述のとおり、麻原元死刑囚を代表取締役とする『株式会社オウム』は、1984年5月に設立された。
その後、1993年4月には、サリン製造の原料調達を目的として『SK社』(本店・東京都千代田区)と『Hケミカル社』(本店・東京都新宿区)が設立されている。
さらに同年8月には『B・E社』(本店・静岡県静岡市)が、1994年3月には『B社』(本店・山梨県田富町)が、いずれも同目的で設立された。
サリンの原材料となる化学薬品は、これら4社を中核として調達され、製造に供された。
1994年6月27日の『松本サリン事件』後、同年8月の時点で、山梨県警、神奈川県警、警察庁は、これら4社の動向を把握していたとされる。あわせて、『松本サリン事件』と『オウム真理教』との関係についても、状況証拠の蓄積として認識していたといわれている(参考:NHKスペシャル『未解決事件 File.02-3 オウム真理教』)。
| 年月日 | オウム真理教側の動向 | 警察側の動向 |
| 1990年 | 教団武装化拠点建設を目的に「熊本県旧波野村(現,阿蘇市)」の15ha土地取得 | |
| 1990年10月22日 | オウム真理教国土利用計画法違反事件 強制捜査 | |
| 1993年5月 | 警察庁警備局 全国の警察にオウム監視強化を指示 | |
| 1993年8月 | 元死刑囚Tがサリンの合成(20g)に成功 | |
| 1994年1-2月 | 30キロサリン完成(致死量300万人) | |
| 1994年3月 | 教団発行の機関紙などにおいて、麻原元教祖がサリンに関して言及 | |
| 1994年6月27日 | 松本サリン事件(死者8人、負傷者150人超) | |
| 1994年 | 松本サリン事件以後 長野県警によるオウム真理教関連会社の捜査 サリン原料購入者の内偵捜査(東京都世田谷区赤堤のオウム真理教関連施設) | |
| 1994年8月 | 長野県警 オウム真理教信者が役員に就任する薬品会社からサリン原料が教団施設に移動を確認 | |
| 1994年8月 | 神奈川県警 全国の教団施設を特定 教団の取引業者を特定 オウム真理教信者が役員に就任する薬品会社のサリン原料購入を確認 | |
| 1994年9月 | 警察庁 オウム専従班 結成 | |
| 1994年10月 | 旧山梨県上九一色村教団施設から異臭、その後、周辺土壌からサリンの残留物検出 | |
| 1994年12月 | 麻原元死刑囚 幹部部下に1995(平成7)年初め頃に宗教戦争の前哨戦宣戦布告を語る | |
| 1995年1月1日 | 読売新聞報道 第7サティアンのサリンプラント隠蔽 | |
| 1995年2月 | 公証人役場事務長逮捕監禁致死事件 | |
| 1995年3月 | 警視庁を中心とする教団施設への強制捜査の予定が3月22日に決定 | |
| 1995年3月20日 | 麻原元死刑囚の予言成就などを目的とする地下鉄サリン事件(死者13人、負傷者6300人超) |
上記のとおり、警察は『松本サリン事件』の約1-2か月後から『オウム真理教』とサリンとの関係性に着眼していたのだろう。だが、サリンを実際に散布した証拠は掴めていない。その間も『松本サリン事件』の第一通報者A氏への過剰な冤罪報道は続いていた。
上記のとおり、警察は『松本サリン事件』発生から約1、2か月後の段階で、すでに『オウム真理教』とサリンとの関係に着眼していたとみられる。だが、サリンを実際に散布したことを裏づける証拠までは掴めていなかった。その間も、『松本サリン事件』の第一通報者A氏に対する過剰な冤罪報道は続いていた。
そのような状況のなか、1994年9月某日、『HtoH&T.K』を名乗る者、あるいは集団によって『松本サリン事件に関する一考察』が書かれ、大手新聞社や出版社などの報道機関に送付された。
『松本サリン事件に関する一考察』には、次のような一文がある。
――さて、被害者であり、第一通報者。更には、建前上警察は否定するだろうが、容疑者リストの筆頭に上げられている気の毒な会社員氏――
また、第一通報者A氏に関する記述が合計4回確認される。
| 気の毒な会社員氏 | 2回 |
| 会社員氏は気の毒なことに | 1回 |
| 不幸な会社員氏 | 1回 |
| 合計 | 4回 |
『松本サリン事件に関する一考察』は、マスコミ報道の流れを変え、その報道を利用しながら、『オウム真理教』に対する強制捜査(家宅捜索)の即時着手へ世論を誘導する意図を有していた可能性がある。
『松本サリン事件に関する一考察』誰が書いたのか?
『松本サリン事件に関する一考察』は、誰が書いたのか。いかなる属性の人物が書いたのか。単独か、複数か。この文書の筆者をめぐっては、いくつかの説がある。
- 脱会した「オウム真理教」の幹部説
- 反「オウム真理教」の弁護士説
- 警察関係者説
『松本サリン事件に関する一考察』に記された内容を検証してみよう。
同文書のうち、『オウム真理教』とサリンとの関係を指摘するために用いられているのは、たとえば「オウム教信者、父親誘拐事件」「外は毒ガスが一杯で出られない(中略)またこれは、オウム信者のあいだでは広く信じられていることだ。それは、後で述べる麻原教祖自身の言動に起因する」「(前略)今回誘拐の手段として、ガス状と思われる薬物を用い、目撃者も無く、事をなし遂げている点。これこそは,懸案の『坂本弁護士一家失踪事件』の鍵を握るものではないか?そして、『松本サリン事件』に細い糸口を導いているのではないだろうか?」「何故なら、オウムの信者は、4月からサリンの名を知っていたわけだから」「信者にとって、毒ガスサリンの名は何の不思議もなく、むしろ、教祖の予言が的中したと受け取られたわけだ」「オウムにとって予言が実現されることに、意味があるのだ」「『予言の具現化』」といった記述である。
これらの記述からは、文書の筆者が、『オウム真理教』の教義や麻原元死刑囚の思想・発言を踏まえつつ、『オウム真理教』と麻原元死刑囚、さらに信者との関係を相当に踏み込んで分析していることがうかがえる。
ただし、『松本サリン事件に関する一考察』が『松本サリン事件』におけるサリン散布方法について、後の裁判で事実認定された手口とは異なる『ドライ・アイスによる簡易式「時限爆弾」』である、『好きな場所に好きな時間に何箇所でも、時限式サリン爆弾を設置することが可能だ』と記している点を見るかぎり、少なくとも『松本サリン事件』の実行犯に近い位置にいた存在とは考えにくい。
また、『松本サリン事件に関する一考察』には、『オウム真理教』を揶揄する表現として、『同じような、白の上下に、男女の別なく短髪の彼女らは』『「麻原彰晃の歌」と言うものもあった。しかし、そのメロディは、どう聞いても「汽車ポッポッ」にしか聞こえないのだが…』『実にシュール・リアリステックな逆説主張である』『それとも裁判制度はお好きだが、司法警察はお嫌いとでも言うのだろうか?』『(前略)モスクワに寄ると良い。ホテルに着いたらテレビのオスタンキノ放送をお勧めしたい。画面に登場する麻原氏に郷愁をそそられる事でしょう』『内容が内容だけに訴訟好きのオウムの弁護士さんを狂喜させる』などの文言が見られる。
その一方で、『松本サリン事件』の第一通報者A氏への捜査を続ける警察に対しては、『彼がこのケースに係わっているとする警察側のシナリオは、彼が何らかの過失によってサリンを発生させたというものである。確かにこの会社員がその学歴や多数の資格からもサリンを作りうる知識を持っていると推定でき、十数種類の薬品類を保有していたことからも疑惑の念を払いきれない。しかしながら彼の自宅から押収された薬品類では、サリンの合成は不可能である。更に翌日、当該地域がゴミの収拾日であるにも係わらず、それらの押収を怠った点からも本件に対する警察の見通しの甘さが伺える。近代捜査とは、まず、彼が犯人ではない証拠を洗い出すことから始まり、その後に証拠固めをするものだ。そうでなければ裁判で公判を維持することが困難になってくる。にもかかわらず、今回の件に関しては警察の見込み捜査的判断が伺える。つまり、会社員の自白によって本件の立件が可能であるとの判断がこの事件の捜査そのものを困難なものにしている』と記している。
これらを踏まえるかぎり、少なくとも文体や視線の置き方から受ける印象としては、脱会した『オウム真理教』幹部による文書とはやや考えにくい。
自身の救済か、社会の救済か
また、オウム真理教を含む新・新宗教の流行と同根にある、1980年代以降の少女や女性の『占い/おまじない』文化を分析した橋迫瑞穂著『占いをまとう少女たち 雑誌「マイバースデイ」とスピリチュアリティ』には、『ただし、教団の外側の世界を「救済」しようとしていたのは一部の信者だけであり、信者の大多数は、もっぱら自分自身を「救済」することに関心があった』(195頁)、『オウム真理教でも、特に女性信者たちはおおむね世界の救済といった事柄に関心が薄かったが、もっぱら自分の位置づけに強い関心を持っていた特徴は、「占い/おまじない」の少女たちとオウム真理教の女性信者たちの両者に共通して見いだされることである』(同195頁)との指摘がある。
仮に『松本サリン事件に関する一考察』が脱会した古参幹部によって書かれ、マスコミに送付されたものであるなら、その筆者像として直ちに想定されるのは、麻原元死刑囚や超側近の理系幹部ではない。彼らは『外側の世界の救済』を掲げ、麻原元死刑囚の脳波や血液まで用いて、信者を短期間で成就させようとしていた。そこには、人間や社会を機械のように扱い、機械的かつ容易に『上書き』できるものとみなす発想すらうかがえる。
むしろ想定しやすいのは、『自分自身の救済』を主たる目的として入信し、過酷な修行を続けていた、超側近の理系幹部ではない古参信者上がりの幹部である。もともと多くの信者は自己救済を求めて入信したとみられる。だが、社会や他者の救済が自己の救済にもつながるとする論理に取り込まれ、その救済のためなら殺人、大量殺人、社会の破壊すら許されるという教義を盲信し、実践へ踏み込んでいった。その先端にいたのが、理系エリート幹部信者であった。
反オウム真理教弁護士説
では、反『オウム真理教』の弁護士説はどうか。たしかに『松本サリン事件に関する一考察』は『坂本弁護士一家失踪(殺害)事件』に言及している。だが、反『オウム真理教』の弁護士の一部には左翼政党に近い者もいた。そうであるなら、左翼政党の機関紙編集部にも同文書は送付されていたのか。看過できない論点である。
警察関係者説
最後に、『警察関係者説』はどうか。前述のとおり、警察庁、神奈川県警、山梨県警などは、『松本サリン事件』発生から比較的早い段階で、『オウム真理教』とサリンとの関係の一端を掴んでいたようにみえる。
また、『宗教法人』である『オウム真理教』に対する強制捜査の着手には、世論の後押しが必要だった可能性もある。『松本サリン事件』の第一通報者A氏が被疑者視されるなか、一部の警察関係者は、捜査着手を正当化するための世論形成を必要としていたのではないか。
『松本サリン事件に関する一考察』には、『北ベトナムのキャンプ・フェイス捕虜収容所』や『帝銀事件』(参考記事:『帝銀事件とは何か|犯行手口と未遂事件から読む「詐欺師の犯罪」』)といった語も見える。これらの語の選択からすれば、『松本サリン事件に関する一考察』の筆者は、1994年当時、少なくとも40歳代以上であった可能性がある。
結語
以上を踏まえるなら、『松本サリン事件に関する一考察』の主筆は警察関係者であった可能性が最も高い。教団周辺からの情報提供者や、元信者的知識を持つ協力者の存在は考えられる。だが、文書全体の筆致、報道への視線、世論誘導の意図を総合すれば、中心にいたのは警察側の人間だったとみるべきである。
もっとも、その成立を単独の筆者だけで説明するのは難しい。教団周辺からの情報提供者、あるいは元信者的な知識を持つ者が、その背後にいた可能性は高い。元信者説は情報源としては成り立つが、主筆像としてはやや弱い。反『オウム真理教』弁護士説も、助言者ないし協力者としては考え得るが、文書全体の筆致を担った中核とは考えにくい。そう考えるなら、最も自然に浮かび上がるのは、捜査実務と世論操作の勘所を知る外部者という筆者像である。
結局のところ、『松本サリン事件に関する一考察』の筆者を断定することはできない。だが、その不確定性こそが、この文書の異様さを支えている。そして、そこには、真実の告発だけではなく、世論の流れそのものを静かに作り替えようとする手つきも感じられる。いわば、世紀末日本に現れた、名を秘した『ディープ・スロート』のような気配である。
筆者も意図も確定しないまま、この怪文書は、1990年代半ばの社会に漂っていた猜疑、報道の過熱、制度への不信を封じ込め、現在にまで影を落としている。
イメージ(YouTube)動画
動画は、故・村井秀夫元幹部の言葉から着想を得たイメージである。
右翼を名乗る者に刺殺された村井秀夫元幹部(享年36、1958年12月5日―1995年4月24日)は、教団ナンバー2ともいわれた人物である。村井元幹部は、米国の作家リチャード・バック(Richard Bach)著『かもめのジョナサン』を愛読していたとされ、出家の際にも同書を引き合いに出したといわれる。
『かもめのジョナサン』は、ヒッピー文化やニューエイジ思想の影響下で生まれた作品であり、物質主義や享楽ではなく、精神的充足をより高次の欲望として描く。そして、その欲望を成就するため、『徹底的に修行』する一羽のカモメ――ジョナサン・リヴィングストンの姿を描いた作品である。
▶動画『松本サリン事件に関する一考察』
※参考文献
オウム真理教“オウム隠し”巧妙な手法 多数のダミー会社駆使 産経新聞 1995年4月6日付
オウム真理教 ダミー会社で薬品購入 3社、サリン原料も 「地下鉄」溶剤含む 北海道新聞 1995年3月25日付
関連企業群の設立、最近3年に集中 目的は?捜査当局も関心 オウム真理教 毎日新聞 1995年4月6日
怪文書『松本サリン事件に関する一考察』「オウム真理教=サリン事件怪文書」別冊宝島 1995年8月など
未解決事件 オウム真理教秘録 NHKスペシャル取材班 文藝春秋 2013年5月29日
オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義 大田俊寛,著 春秋社 2011年3月1日
占いをまとう少女たち 雑誌「マイバースデイ」とスピリチュアリティ 橋迫瑞穂,著 青弓社 2019年02月26日
※映像
「NHK Nスペ 未解決事件File.02-3 オウム真理教」
※画像
地下鉄サリン事件1995年3月20日
解説:English: From 2-38: “In terms of the response, police, fire, and emergency medical personnel were very quickly on the scene in force. It is also worth noting that the Japan Defense Force (JDF) Chemical troops were there within a couple of hours of being notified that they were needed (visual 23, page 2-67).” From 2-66: “JDF CHEMICAL TROOPS ARRIVE BY MID-DAY”.
Visual 23 from ‘Proceedings of the Seminar on Responding to the Consequences of Chemical and Biological Terrorism’
日付:20 March 1995
原典:https://biotech.law.lsu.edu/blaw/FEMA/Proceedings.pdf
作者:United States Public Health Service
松本サリン事件サリン噴霧車
解説:English: Description of Aum Shinrikyo sarin truck. From Proceedings of the Seminar on Responding to the Consequences of Chemical and Biological Terrorism
日付:1996年
原典:https://biotech.law.lsu.edu/blaw/FEMA/Proceedings.pdf
作者:United States Public Health Service.
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