
要約(クリックで開く)
本稿は、「グリコ・森永事件」で目撃された人物や脅迫テープの声を手がかりに、犯人グループの人数と構成を再検討するものである。従来の「7人説」に対し、女児や複数の男児の存在、40歳前後の女性、ハウス食品脅迫事件で目撃された複数の男たちを整理すると、犯行グループは最小8人、最大10人規模であった可能性が浮かぶ。年代・性別が入り混じる異質な集団像と、滋賀県との接点にも注目し、その輪郭を探る。
公開日:2021年11月17日 / 最終更新日:2026年3月7日
『グリコ・森永事件』の犯人グループは、いったい何人だったのか。
この事件では、脅迫状を書いた人物、キツネ目の男、現場実行犯、40歳前後の女性、脅迫テープに登場する子どもたち、さらには「ビデオの男」など、複数の人物が断片的に目撃され、記録されてきた。これらを一つ一つ整理していくと、犯人像は単純な数人の実行部隊では収まらない。むしろ、年代も性別もばらばらな、異質な集団の輪郭が浮かび上がってくる。
成人男性だけではない。中年女性がいる。中学生くらいの女児がいる。さらに複数の男児の声まである。もしこれらが同一グループに属していたとすれば、それは一般に想定される犯罪集団像とはかなり異なる構成である。
本稿では、過去の報道、証言、関連資料をもとに、目撃された者たちを整理し直し、犯人グループの人数と構成を再検討する。そこから見えてくるのは、未解決事件の闇というよりも、むしろ、なお輪郭を失わない一つの集団の気配である。
犯行グループは何人だったのか「7人説」と「9人説」の再検討
警察庁広域重要指定114号事件(グリコ・森永事件)」は、複数の人物が関与した事件であるとみられている。これまで本事件を扱った書籍、小説、報道、テレビ番組、映画などにおいては、犯人像、犯人グループの人数、そのプロファイリングについて、さまざまな検証・考察・推理が行われてきた。
本稿では、この世紀の未解決事件である「グリコ・森永事件」において目撃された犯人と思しき人物たちを中心に、犯行グループの人数とその構成について検証するものである。
これまでの主流的な見方によれば、犯行グループは計7人程度であったと考えられてきた。整理すると、以下のとおりである。
① 脅迫状を書いた人物
(「昭和53年テープの男」と同一人物である可能性も指摘されている)
② キツネ目の男
③ 江崎グリコ社長宅襲撃・社長拉致、さらに淀川河川敷における男女襲撃を実行した3人
④ 脅迫テープに登場する中年女性
⑤ 脅迫テープに登場する男児1人
ところが、その後の『未解決事件 グリコ・森永事件 捜査員300人の証言』(NHKスペシャル取材班著、新潮文庫、2018年)や、2011年7月30日放送のNHKスペシャル『未解決事件 File.01 グリコ・森永事件「消えた“かい人21面相”」「目撃者たちの告白」』を踏まえると、この「7人説」には修正の余地がある。
前述の「脅迫テープの中年女性」については、実際には中年女性ではなく、小学校6年生から中学生くらいの女児であった可能性が指摘されている。また、同一人物とみられていた男児の声についても、実際には別の小学生2人である可能性が示されている。さらに、同書には、「言語障害があるように聞こえる声」、あるいは幼い子ども、もしくは口に何かを挟んで話した子どもとも考えられる、4人目の子どもの声を含む脅迫テープの存在にも言及がある。もっとも、このテープについては真偽不明である(出典:『未解決事件 グリコ・森永事件 捜査員300人の証言』432頁、444頁)。
これらの情報がすべて正しいと仮定するならば、犯行グループの構成は以下のように整理できる。
① 脅迫状を書いた人物(「昭和53年テープの男」と同一人物である可能性がある)
② キツネ目の男
③ 江崎グリコ社長宅襲撃・拉致および淀川河川敷襲撃を実行した3人
④ 脅迫テープに登場する中学生くらいの女児
⑤ 脅迫テープに登場する男児3人
以上を合計すると、犯行グループは計9人に達することになる。すなわち、従来の7人説は再検討を要し、犯行グループは9人規模の集団であった可能性も、十分に検討対象となるのである。
グリコ・森永事件:二度、目撃された40代女性
では、過去の報道記事に基づき、目撃された犯人と思しき人物たちを整理してみよう。以下は、過去の報道をもとに作成した、目撃人物の人数と構成に関する図表である。
この図表のなかで特に注目すべきは、1984年12月26日と1985年2月12日に、名古屋市内の郵便局付近で目撃された40歳前後の女性である。前述した「脅迫テープの中年女性」という理解は、あるいはこの目撃情報を一つの根拠として形成された可能性もある。
報道によれば、この女性は、1984年12月26日に中部読売新聞社などに宛てた挑戦状が投函された現場付近で目撃され、さらに1985年2月12日には、青酸入り菓子関連郵便物が投函されたとみられる名古屋市千種区のポスト付近でも、同一人物とみられる女性が確認されている。捜査本部はこの女性を重要視し、複数の目撃証言をもとにモンタージュ写真を作成して捜査を進めていたと報じられた。
この女性の特徴としては、40歳前後、身長160~165センチ程度、肩までのセミロングでパーマ、濃い眉、鼻筋の通った色白の女性であったとされる。この女性の存在は、犯行グループに成人女性が含まれていた可能性を示す数少ない目撃情報の一つとして位置づけることができる。(出典:読売新聞 1986年9月16日付)
ハウス食品脅迫事件で目撃された複数の男たち
1984年11月14日のハウス食品工業脅迫事件の際に目撃された人物として重要なのは、次の3者である。
A 「キツネ目の男」
B 現金受け渡しの最終指定地点付近の一般道に停車していたライトバンの男
C 同所付近で見張り役とみられ、後に警察官から職務質問を受けた、緑色の婦人用盗難自転車に乗った眼鏡の男
Aの「キツネ目の男」については、『未解決事件 グリコ・森永事件 捜査員300人の証言』(NHKスペシャル取材班著、新潮文庫、2018年、240~260頁)に詳しいが、本節で特に注目すべきは、BおよびCの存在である。
報道によれば、1984年11月14日夜、滋賀県栗東町・草津市周辺の現金受け渡し指定地点付近では、ライトバンの男がパトカーの職務質問を受けて逃走したのみならず、その直後、付近で緑色の婦人用自転車に乗った男が二度にわたり職務質問されていた。この自転車の男について、合同捜査本部は後に犯人グループの一人と断定したとされる。
さらに、その後の報道では、同じ現場付近の県道上に白っぽい車が停車し、2、3人の男が乗っており、そのうち1人が県道沿いの山林内に入っていくのを目撃した証言も報じられている。捜査本部は、この人物を見張り役とみていた。
自転車の男は、35~40歳、中肉、長髪で、青または水色のVネックセーターを着用し、黒ぶち眼鏡をかけていたとされ、似顔絵も作成・配布された。これらの報道を踏まえるなら、ハウス食品脅迫事件の現場には、単独犯ではなく、複数の人物が役割分担のもとに配置されていた可能性が高いのである。(出典:読売新聞 1987年11月14日付、読売新聞 1987年12月24日付、中日新聞 1990年11月14日付)
犯人グループと滋賀県の接点
上記報道の真偽は不明である。ただし、これまでに確認されている情報を前提にすれば、犯人グループの構成員は最大10人、最小8人であった可能性がある。
その内訳は、以下のように整理できる。
1.最大10人
2.最小8人
最小8人という想定は、次のような仮定に立つものである。現場実行犯3人のうち1人が「脅迫文を書いた人物(昭和53年テープの男)」、もう1人が「キツネ目の男」である
もっとも、「昭和53年テープの男」について推測される年齢を踏まえれば、現場実行犯であった可能性は低いとも考えられるが、ここでは先入観を排して整理している。
また、グループの年齢構成を大まかに整理すると、以下のとおりである。
① 「脅迫文を書いた人物(昭和53年テープの男)」:当時50代~70代
② キツネ目の男:当時35~45歳前後
(出所:『未解決事件 グリコ・森永事件捜査員300人の証言』NHKスペシャル取材班著、新潮文庫、2018年、168~170頁)
③ 40歳前後の女性
④ 脅迫テープに登場する中学生くらいの女児
⑤ 脅迫テープに登場する男児3人
⑥ ビデオの男:20代~30代、身長約170センチ前後
性別・年齢の幅は大きく、均質な集団として捉えることは難しい。
では、最大10人、最小8人という、性別も年齢も雑多なこの集団は、いかなるグループであったのか。考えられる仮説としては、たとえば以下がある。
1.血縁を中心とした集団
2.地縁によって結ばれた集団
3.思想的・組織的な結びつきを持つ集団
4.特定の職業的背景を共有する集団
しかし、事件は迷宮の闇のなかにある。確定的に言えることはできないだろう。
滋賀県の4人
1984年11月14日、ハウス食品工業脅迫事件における現金受け取りに失敗した犯人グループは、盗難車を乗り捨て、自転車を盗み、現場から逃走した。その後も脅迫は続いたが、現場で目撃された人物は、男性3人の実行部隊やキツネ目の男、あるいはビデオの男ではなかった。
目撃されたのは、40歳前後の女性である。もし脅迫テープの子どもたちがこの女性の実子、あるいはこの女性の監護下にある子どもであったと仮定するならば、この女性が自宅から遠方へ赴いて脅迫状や関連物を投函することには、時間的・物理的な制約があった可能性もある。しかも、彼女が目撃された場所はいずれも名古屋市内であった。
さらに、このグループに関係する可能性のある男女4人について、注目すべき報道が存在する。1993年の報道によれば、1984年11月のハウス食品工業恐喝未遂事件で滋賀県草津市内に乗り捨てられた盗難車内に残されていたバッグや帽子と酷似した製品を持つ男女4人組が、事件直前まで滋賀県大津市内のマンションに頻繁に出入りしていたという。
その4人組の構成は、以下のとおりである。
A.中年男性2人
B.20代男性1人
C.45歳くらいの女性1人
報道によれば、この4人組のうちの1人は、江崎グリコ社長誘拐事件で目撃された車両とよく似たワインレッドのハッチバック車を使用していた。また、このマンションの近くには、江崎社長宅や草津事件の盗難車内から見つかったアルミ片を扱う工場もあったとされる。さらに、この4人組は、その後まもなくマンションから姿を消したという。
この4人が実際にその部屋の契約者であったのか、それとも別人契約の部屋に出入りしていたにすぎないのかは不明である。しかし、報道の末尾に置かれた「転出」という語は看過できない。
通常、「転出」は行政実務上、住民票を他自治体へ異動させる場合に用いられる表現である。したがって、報道がこの語を用いている以上、この4人のうち少なくとも誰かが、当該マンションを単なる集合場所ではなく、生活拠点としていた可能性が浮上する。さらに、仮に住民票または当時の外国人登録が同所に置かれていたのであれば、その異動記録は警察による追跡可能性とも結びつく。
結語
もっとも、同部屋に出入りしていたとされる4人について、警察による逮捕発表は確認できない。では、この点をどのように考えればよいのか。考えられるのは、主に以下の四つである。
第一に、そもそも4人組が犯人グループそのものではなかった場合である。
遺留品や車両の類似、マンションへの出入りは、警察にとって有力な端緒ではあっても、直ちに犯行参加を立証する証拠にはならない。周辺者、協力者、あるいは単なる類似事例にとどまった可能性は残る。
第二に、有力容疑者ではあっても、逮捕に足る証拠が揃わなかった場合である。
未解決事件では、これが最も現実的である。捜査機関が内偵や追跡を続けていても、物証、供述、裏付けのいずれかが欠ければ、逮捕には踏み切れない。とくに複数犯で役割分担がある事件では、「出入りしていた」「似た物を持っていた」だけでは弱い。
第三に、警察は人物を把握していても、公表しなかった場合である。
これも捜査実務上あり得る。逮捕に至らない段階で氏名や存在を積極的に公表すれば、証拠隠滅や逃走を招くおそれがある。したがって、捜査本部内部では重視されていても、表には出なかった可能性がある。
第四に、追跡はしたが、その先で捜査が途切れた場合である。
仮に「転出」が住民票や外国人登録の異動を含意していたとしても、その先が国内の別自治体なのか、海外なのか、あるいは名義貸し・偽名・第三者契約なのかによって、追跡可能性は大きく異なる。公的記録が途切れてると追跡困難性が高まる。
以上のように、逮捕発表がないことは、直ちに4人の無関係を意味するものではない。他方で、少なくとも捜査機関が逮捕に足る決定的証拠を得られなかった可能性を示している。むしろ重要なのは、この「逮捕発表の不在」それ自体であり、そこには、警察が一定の線まで人物像を絞り込みながら、最終的な立証の壁を越えられなかった未解決事件特有の限界が表れているのである。
いずれにせよ、1984年11月14日のハウス食品工業脅迫事件の失敗、草津・栗東周辺での逃走、さらに大津市内マンションへの出入りという一連の情報を踏まえるならば、犯人グループと滋賀県との間には、事件の発端であった可能性が残る「昭和53年テープ」から末端の逃走経路に至るまで、一定の関係性が存在したと想定することができる。
(5「滋賀県から海外へ」につづく)
◆参考資料
読売新聞『不審女性の“似顔”作成 挑戦状投入目撃された』1986年9月16日付
読売新聞『自転車の男を一味と断定』1987年11月14日付
読売新聞『グリコ・森永事件関連のハウス食品脅迫メガネ男の似顔絵を配布合同捜査本部』1987年12月24日付
中日新聞『グリコ事件 見張り役の車いた滋賀の現金取引未遂名神近くの県道上』1990年11月14日付
朝日新聞『男女4人組を追う遺留品や車が似るグリコ・森永事件』1993年12月21日付
NHKスペシャル取材班『未解決事件グリコ・森永事件捜査員300人の証言』2012年5月
映像:『NHKスペシャル 未解決事件File01 グリコ・森永事件』
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◆関連性が指摘される事件





























