グリコ・森永事件の原点 グリコを脅す者たち
本邦の犯罪史上、最も有名な未解決事件「警察庁広域重要指定114号事件(「グリコ・森永事件」)」の犯人像などについて公開情報(新聞、雑誌、書籍、報道番組、ネット情報、その他の公開された情報)などを分析、考察しながら個人的見解を述べていきたい。
「警察庁広域重要指定114号事件(「グリコ・森永事件」)」は、1984(昭和59)年3月18日(日曜日)21時頃、3人組と思しき男達が「江崎グリコ株式会社」社長宅に侵入、同社社長を誘拐、その後、同社および他の食品製造・販売会社などを脅迫などしながら1985(昭和60)年8月7日(水曜日)の「犯人側の一方的な事件終結宣言」まで続いた事件である。
そして、「怪人21面相」を名乗るグループが関係したと疑われる一連の事件は、2000年(平成12年)2月13日、全ての事件の公訴時効の成立により未解決事件となり、それから約20年以上の歳月が流れるが事件の真相、犯人は未だに不明である。
グリコ・森永事件 怪人21面相 昭和53年テープの男 黄巾族
「江崎グリコ株式会社」は、1922年(大正11年)に創業者「江崎利一」が大阪で創業(1922年(大正11年)2月11日は「江崎グリコ創立記念日」)、1929年(昭和4年)株式会社に組織変更され、社名変更など行いながら現在に至る。
各種の報道などによると、この長い社歴のなかで、同社は同事件以前から複数回の脅迫を受けていたことが確認できる。
報道などで確認できる同社への脅迫(未遂)事件は、1978年(昭和53年)8月17日(木曜日)、当時の同社役員宅に届けられた「昭和53年テープ」による脅迫とその2年前の1976年(昭和51年)頃から同社常務宅(この常務と「昭和53年テープ」を受け取った当時の同社役員が同一人物かは不明)に「黄巾族」を名乗る者(性別不明)から複数回の脅迫(未遂)事件が認められる。
「昭和53年テープ」に関する報道は以下のとおりである。
<報道>
グリコ・森永事件 脅迫テープに近江鉄道の通過音 沿線にアジトか 兵庫、大阪など府県警のグリコ・森永事件捜査本部は十五日までの調べで、事件発生六年前の昭和五十三年八月、大阪府豊中市の江崎グリコ役員宅に郵送された脅迫テープに、滋賀県内の近江鉄道の通過音が入っていることをつかんだ。郵送したのは同事件の「かい人21面相」グループとみられ、五十九年十一月のハウス食品脅迫事件の舞台も同県内だったことなどから、同本部は一味が同鉄道沿線にアジトを持っていたと判断、改めて琵琶湖東岸一帯を中心に聞き込み捜査を進めることになった。 脅迫テープでは、団体役員を名乗る六十歳前後の男の声で「過激派学生三人が、グリコから三億円奪取のため江崎勝久副社長(当時)の誘拐、製品への青酸ソーダ混入などを計画しているが、一億七千五百万円で中止させる。金を白色ライトバンで大阪空港へ運べ」などと脅していた。 同本部はこのテープを警察庁科学警察研究所で鑑定、音響分析したところ、背景音に電車の短時間の通過音と加速時のモーター音が録音されており、短い二両編成の電車の通過音と坂などを登る際のモーター音とわかった。このため、五十三年当時に二両編成の電車が走っていた全国の四十一路線で通過音などを録音、比較鑑定した結果、滋賀県の琵琶湖東岸地域を走る近江鉄道の電車音と一致した。近江鉄道は当時、本線(米原-貴生川)、八日市線(八日市-近江八幡)、多賀線(高宮-多賀)の全線二両編成で、犯人グループが沿線周辺でテープに声を吹き込んだ際、背景に電車音が入ったとみられる。
読売新聞1989.07.16
グリコ・森永事件と甲子革命
グリコ森永事件 6年前の脅迫テープを初めて公開 兵庫県警 一連のグリコ森永事件の発端となった昭和五十九年の江崎グリコ社長誘拐事件は、来年三月に時効を迎えますが、兵庫県警察本部はきょう、この事件の六年前の昭和五十三年、大阪豊中市の江崎グリコの当時の役員の自宅に届けられた脅迫テープを初めて公開しました。 このカセットテープは、十五年前の昭和五十三年八月、当時大阪豊中市に住んでいた江崎グリコの役員の自宅に、大阪天王寺局の消印付きの封筒に入れられて郵送されたものです。テープはおよそ一時間の長さですが、きょうはこのうち一分半に編集されたものが公開されました。 テープでは五十歳から七十歳ぐらいの関西なまりがある男性の声で「私はある会をつくりまして会長を務めておるものでございます。どうかお察しください。我々は人のお世話をさしてもらって得をされた方から金額の一割か一割五分の謝礼をもらって生計をたてております」などと言っています。 また、公開されていない部分には「資金がいるのでグリコに一億七千五百万円カンパしてほしい。警察に言えば、グリコ製品に毒物を入れ、十二の都府県のスーパーなどにばらまく。要求をのむなら八月二十四日付の新聞に広告を出せ。金は車に積んで大阪空港に持って来い」と江崎グリコを脅迫する内容もあるということです。 テープが届いた時期は、江崎グリコ社長の誘拐など、一連の事件が起こる六年前ですが、兵庫県警察本部で捜査の見直しを進めた結果、▽食品に毒物を入れるとする点▽十二都府県と行動範囲が広い点▽新聞広告を出せと報道機関を利用している点で、一連の事件と関係が深く、テープの声の男も、犯人グループの一員である可能性が強いとみて、きょう初めて公開に踏み切ったものです。
NHKニュース1993.12.25
上記の報道から「昭和53年テープ」の送り主は、「滋賀県の琵琶湖東岸地域を走る近江鉄道の電車音」の入る地域に土地鑑を持つ、当時50歳代から70歳代の関西弁の日本語を話す男性だと断定できるが背景、人物像などについての詳細分析は後述(次回)することとする。
グリコ・森永事件 怪人21面相と1984年
なお、1976年(昭和51年)頃から「黄巾族」を名乗りグリコ常務宅に複数回の脅迫をした人物像などに関する当時の報道などを見つけることはできなかったが、名前や名称は命名者の価値観や思想、信条、理念、教育レベル、人生経験、生育環境、背景などに深く関係するとも思われるため「黄巾族」という名称についての考察をおこないながらその犯人像を推理してみよう。
「黄巾族(賊)」は、漢王朝末期(三国志時代の前)の184年(甲子革命の年)、太平道の信者達が教祖の張角を指導者として起こした組織的な「農民反乱」であり、スローガンに中国の五行思想に影響を受けた「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子(天下大吉漢王朝はすでに死んでいる 我ら太平道が今こそ立ち上がるべきだ 今年は甲子の年であるから 天下は平安に治まるだろう)」を掲げていたといわれる。なお、中国の革命思想は、近代西洋の革命(フランス革命、米国独立戦争など)とは異なり、「徳を備えた人に天命が下される」の思想である。
また、「黄巾族(賊)」のスローガン「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子」にもあるが、「黄巾の乱」の起こった「184年」は、動乱、革命などの政変が多いといわれる「甲子」の年であり、奇しくも「警察庁広域重要指定114号事件(「グリコ・森永事件」)」が実行された1984(昭和59)も「甲子」の年である。
「黄巾族(賊)」は、その反乱の為に長い年月をかけ準備を行ったといわれている。「黄巾族」と「昭和53年テープ」の男と「怪人21面相」(のメンバー)が同じ人物だと仮定するなら、「黄巾族」を名乗る者(集団)にはどのような価値観や思想、信条、理念、教育レベル、人生経験、生育環境、背景などがある(あった)のだろうか。
「革命」「農民の反乱」「徳を備えた人(自認)」の言葉から感じる「左翼的」な雰囲気…これは「昭和53年テープ」の男や本件事件の多数の脅迫文からも微かに、だが強烈に、感じる共通点だともいえる。
以上のようにグリコは同事件の前から複数回の脅迫を受け、報道が正しいと仮定かつ「昭和53年テープ」の声の主(当時50歳代から70歳代の男性)や「黄巾族」を名乗る者が一連の事件に関与する「怪人21面相」(のメンバーにいる)なら…歴史的な未解決事件「グリコ・森永事件」は、「滋賀県の琵琶湖東岸地域」の部屋(家)から始まったといえる。
★引用文献
グリコ・森永事件 脅迫テープに近江鉄道の通過音 沿線にアジトか…読売新聞 1989年7月16日付
グリコ森永事件 6年前の脅迫テープを初めて公開 兵庫県警…NHKニュース 1993年12.月25日付
★参考文献
・書籍
『キツネ目 グリコ森永事件全真相 岩瀬達哉 2021年3月 講談社』
『未解決事件 グリコ・森永事件捜査員300人の証言 NHKスペシャル取材班 2012年5月 新潮社』
・映像
『NHKスペシャル 未解決事件File.01 グリコ・森永事件』 そのた、新聞記事、個人ブログ、個人SNSなどを参照しました。
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