「大人」と言える年になるまで生きている以上、誰でも辛い記憶の1つや2つはあるはずだ。しかし、そんな大人の中には、過去の辛い記憶に現在でも苦しめられている人もいる。
映画『ウーナ』は、子供の頃に受けた大きすぎる傷を引きずる女性を主人公にした物語だ。今回は、主人公のウーナの人物像と、「子供の頃の記憶」の2つにフォーカスを当て、解説していきたい。
本作の性質上、性的及び社会的にデリケートな部分に触れることがある。読む場合には注意していただきたい。
映画『ウーナ』の作品概要
『ウーナ』は2016年に公開された映画作品だ。『キャロル』のルーニー・マーラと『キャプテン・マーベル』のベン・メンデルスソーンが主役を務めている。
日本で発売されたDVDには「13歳の欲動」という副題が付いているが、作品の内容的にあまりふさわしくないように思えるため、この記事では『ウーナ』で統一していきたい。
本作で描かれるのは、中年男性と少女の間で起こった禁断の恋の顛末だ。男は罪に問われたものの新しい人生を歩むことに成功し、反対に少女は、13歳の記憶に捉われたまま大人になっていく。
ルーニー・マーラの動きの少ない大きな目が、ウーナの不安定さを見事に表現しきっている。見ていて辛くなるような、心の奥底にトゲを残す作品だ。
あらすじ
ウーナは過去を思い出していた。彼女は子供の頃、わずか13歳のときに、父親の友人である中年男性・レイと恋に落ちたのだった。その恋の顛末は、大人になった現在でも彼女の心に染みついている。
行きずりの男性とセックスをしても、ウーナの心は癒されない。偶然見つけたと思しきレイの写真を見つめ、彼が勤めているであろう工場の訪問を決意する。
かつて13歳のウーナと関係を持ち罪に問われたレイは、ピーター(ピート)と名前を変えて真面目に働き、工場の管理職にまで出世していた。そんな所にウーナが現れたのだから、レイは目を白黒させながら、現状を否定しようとする。
しかし、その努力は無駄だった。目の前にいるウーナはかつて関係を持った少女であり、名前を変えたとしても、レイはレイなのだった。
出典:DIGITAL SCREEN YouTubechannel
ウーナはレイに愛憎入り混じる感情を抱いていた。2人で駆け落ちする直前、なぜレイは自分を捨てたのだろう。愛し合っていると感じていたが、実の所、レイは「少女である自分」に興味があったのではないだろうか。
2人の問答から、過去に2人の間で何が起こったのが徐々に明かされていく。
ウーナという女性について
本作は扱いにくいタブーを描いた作品であり、ストーリー自体は単純なものの、解釈が非常に難しい。その難しさは、おそらくウーナという女性の人物像に由来するものだ。だからこそ、この項で彼女についてしっかり考えていきたい。
ウーナは過去、父親ほど年の離れた男性・レイと恋愛関係にあった。ウーナはかなり本気でレイを愛していたし、レイもまた、ウーナに真剣な思いを向けていた。
この段階で、ウーナに、そして本作そのものに拒否感を抱く女性は少なくないことだろう。同世代同士での恋愛が当たり前な人にとって、年の差が大きい恋愛は理解しがたいからである。お互いが同意の上であるはずの年の差結婚が騒ぎを呼び、賛否両論となるのもこの表れだろう。
ウーナとレイの距離が近づき、2人はやがて性的な関係を持つまでになった。レイはウーナとの将来を考え、駆け落ちをしようとする。しかし、幸せは長くは続かない。ウーナはレイが買い物に出かけたきりホテルに帰ってこないため、捨てられたと思い込んでしまった。その結果、レイとウーナの関係が周囲にばれ、レイは逮捕されてしまったのだ。
法廷で、ウーナのビデオが流される。それは、真剣な表情でレイに愛を告げる彼女の姿だった。
これ以降、(当たり前だが)レイとウーナの関係は閉ざされ、それぞれ置かれた環境も大きく異なるものとなる。
レイは刑務所内で激しい侮蔑の目にさらされたものの、出所してからは新しい人生を送ることに成功した。ピーター(作中ではピートと呼ばれる)に名前を変え、仕事場で出世し、結婚もしている。リストラの名簿を作るくらいなので、それなりの地位にいると考えられるはずだ。
しかしウーナは違う。彼女の時間は13歳から動いていないのだ。昔と同じ家に住み、周囲の環境にも大きな変化はない。そのため、彼女は周囲から奇異の目を向けられながら成長してきた。
ウーナに向けられた周囲の目。「おじさんと恋をして、駆け落ちまでしようとした変わった女の子だ」。もしくは、「中年男にレイプされた可哀そうな女の子だ」というのもあったかもしれない。
この辺りは作中で明言されていないため、筆者の想像が含まれる。とはいえ、大きな違いはないだろう。性的な事件は人々の興味を掻き立てるし、大人と未成年とのいわゆる「淫行」は、どれだけ本人たちが真剣であったとしても、そのままの姿で捉える人はほとんどいないのだ。とにかく、ウーナは針の筵の中で成長してきた。
こんな環境で生きてきて、ウーナが歪まないわけがない。彼女の心は空虚で、目は「今」も「未来」も見据えることができない。レイとの過去を思いきり憎み、「酷い男」だと思えればまだましだろうが、13歳の記憶が生々しく残る彼女にとっては、それもまた難しい。
それに何より、ウーナはレイに「捨てられた」と思うことが辛いのだ。この絶望感は、今のウーナを形作る大きな要因の1つとなっている。
作中で、レイがウーナに「君は病気だ」と言い放つシーンがある。それはレイが言って良い言葉ではない。ウーナをその様な状況に追い込んだのは、紛れもなくレイ本人なのだ。レイは当時から大人だったのだから、自分の気持ちと折り合いを付けなければならなかった。
大人になったウーナは、なぜレイの元を訪れたのだろう。また、レイの部下をだましてまで、レイの自宅へ押しかけたのはなぜだろう。
本作をざっと見ただけでは、ウーナの本心は掴みにくい。「会いたかったから」・「なぜ自分を捨てたのかを問いただす」・「レイがロリコンだったのかを確かめる」などが目的として挙げられるが、どれもが正解であり、どれもが間違いでもあるだろう。おそらく、ウーナ本人ですら、自分の心をはっきりと理解できていないのではないだろうか。
自分を捨てたレイは憎い。でも会いたい。過去に直面するのは辛いが、目を向けずにはおられない。自分が本当に愛されていたと信じたくて、それでもどこかに疑念が残る。
ウーナの心の中は混沌としている。その状態は、ウーナをさらに不安定にさせていく。
レイは、自身の自宅に押し掛けたウーナを宥めるように話しかける。「愛した少女はウーナだけ」、「家にいる少女とは関係を持っていない」。ウーナはレイ宅を立ち去るが、おそらく彼女はその言葉を信じていない。信じることさえできれば、少しばかりでも精神的に変わっていくはずにも関わらず。 ウーナの不安定さは、これからも増していくだろう。そして、レイもまたこれまで通りの生活は送れない。2人とも、崩れかけた橋の上を歩いて行くように、これからの人生を送っていくのだろう。
根強く残る、子供の頃の記憶:性的な事象について
子供の頃に体験した強烈な記憶というものは、その後の人生を形作る要因になる。自動車事故で子供の頃に死にかけた経験があれば、車が恐怖の対象になるだろう。また、大勢の前で笑われた経験があれば、怖くて人前に出られなくなることもあり得る。
性的な事象もまた、記憶に残りやすいものの1つだ。特に、レイプや痴漢といった性的な記憶は、一生消せない傷になる。
ウーナもまた、そんな傷を背負ってしまった。彼女はおそらく自分自身に価値を感じられないでいる。行きずりのセックスはその表れだろう。愛し合う人とだけ関係を持つ。それが彼女にはできないのだ。なぜならば、本気で愛した人は自分を捨て、会える場所にいない。
ウーナとレイは、お互いが同意の上で性的な関係を持っている。最初の内、ウーナは大人の男性と親密な関係を持ったことを得意に感じていたかもしれない。13歳という思春期の少女にとって、セックスは興味深く、また「大人」の象徴でもあるからだ。同世代と幼い(そう思える)恋愛をしている友達などに比べ、2歩も3歩も先に進んでいるような認識もあったのかもしれない。
しかし結局の所、レイとの関係はウーナの一生の傷になってしまった。大人の男性に恋をしただけならば、幼い恋の記憶として、ほろ苦い気持ちと共に残しておける。しかし、セックスにまで至ってしまうと、「ほろ苦い」思い出などではなくなるのだ。
引き離されてしばらくの間は、ウーナはレイを求めただろう。「レイと自分は愛し合っていたのだから間違いなどではない」と思い込める。しかし、周囲の目にさらされながら成長していくうちに、疑問が湧き上がってくる。「子供に対し性的欲求を抱くのはどうなのだろう」と。だからこそ、ウーナはレイがロリコンではないかと考えたのだ。
大人の男性に恋心を抱く少女はそれなりにいる。少女の目線から見て、大人の男性はスマートだ。同世代の男の子のように、くだらない話題で騒ぎ立てることなどない(ように思える)。
この気持ち自体は自然なものであり、否定されるべき事柄ではない。しかし、それ以上先に進むのは、当たり前ではあるが辞めた方がよい。
少女たちがこの記事を読むとは思っていない(読むことを前提には書いていない)。それでも筆者は、性被害のニュースが続く最近の世の中を見て、子供たちに体と心を大切にして欲しいと強く訴えたいと考えている。
何度も言うが、子供の頃の記憶は後に大きく影響する。薄っぺらい言葉に聞こえるかもしれないが、筆者もまた、過去のトラウマに苦しめられている1人なのだ。
まとめ
映画『ウーナ』は、大人と少女の許されざる恋愛関係を描いた物語だ。とにかく、そう表現されることが多い。しかし、実際に見てみると少し違った印象を受ける。これは、恋愛などという美しいものではないのだ。
本作は見ているのが辛くなる作品である。ウーナを演じるルーニー・マーラの演技は、ウーナの心の現状を見事に表現しきっている。過去の記憶に捉われ、どうしようもない閉塞感を味わう女性の姿だ。
多くの人に勧められる作品ではない。しかし女性であれば、ウーナの気持ちのどこかしらに共感できるものがあるはずだ。拒否感がないならば、かつて少女だった女性に見て欲しい作品である。
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◆成人男性と少女が関係する実際の事件
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