
要約
映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』(2017)は、スティーブン・キング原作のホラーであり、子どもたちが恐怖を象徴する怪物ペニーワイズに立ち向かう物語である。
本作の恐怖は、音や暗転による驚かしではなく、日常から非日常へと静かに移行していく演出によって観客の心理を侵食していく。
本記事では、ペニーワイズを「母性の負の側面」として捉える。地母神や鬼子母神に通じる“生と死の両義性”を持つ存在として、子を喰らう母、再生と破壊を司る象徴と解釈し、恐怖と母性、そして人間の根源的な不安を結びつける独自の考察である。
子どものころ、無性に恐ろしく感じていたものはないだろうか。あまり使われることのない、薄暗い部屋や押し入れの角。どこかに潜んでいそうな怪物に、いつなるとも分からない病気。そしてピエロ。
日本人にとって、ピエロはあまり馴染みのあるものではない(某ファストフード店のキャラクターは別として)。しかし、ピエロとホラーがイメージの中で結びついている人は多いことだろう。
今回取り上げる作品は、ピエロ姿の怪物が印象的な『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』である。ピエロとホラーを強く結びつけるきっかけとなった本作を、じっくり考察していきたい。
『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』の作品概要
『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』は2017年に公開されたホラー映画である。原作は「ホラーの帝王」スティーブン・キング原作の『IT』。1990年のドラマ版に続いて2回目の映像化にあたる。
主人公のビル・デンブロウを演じたのはジェイデン・マーテル。キーパーソン的なペニーワイズをビル・スカルスガルドが演じている。
本作は、デリーという町に古くから巣くう強大で邪悪な悪意と闘う子供たちの物語だ。ホラーではあるものの子供の成長にも焦点が当てられており、同じ原作者の作品である『スタンド・バイ・ミー』と共通する部分も多い。ホラーが極端に苦手な人でなければ、一度は見てみて欲しい作品だ。
あらすじ
アメリカの田舎町・デリー。大雨の中、ジョージーは兄のビルに作ってもらった船で遊んでいた。しかし、彼は側溝の中に潜むピエロ(ペニーワイズ)によって腕を食いちぎられ、そのまま闇の中に引きずり込まれてしまった。
翌年になっても、ビルはジョージーの死を受け入れることができない。そのため彼は、父に叱られ諭されながらも、リッチーやスタン、エディと共にジョージーを捜索していた。そんなビルの元に、ベンやベバリー、マイクといった仲間たちが集まり、「ルーザーズ(負け犬)クラブ」が結成されることになる。
出典:ワーナー ブラザース 公式チャンネル
郷土史に詳しいベンを仲間に加え、ビルの調査は一気に進展することになった。デリーの犯罪率の高さ、27年ごとに起こる子供たちの大失踪。恐ろしいなにかがデリーに巣くっていることが分かったのである。
ルーザーズクラブのメンバーたちは、自分の恐怖心と向き合いながら、恐ろしい怪物・ペニーワイズと対峙することになる。
誰もが持つ「恐怖心」を揺さぶる作品
人は誰でも、恐怖心を持っている。どれだけ勇敢な人であっても、心の奥底に何かしらに対する恐怖心を抱いているはずだ。対象は幽霊や動物、概念としての死などなんでもよいが、「何も恐れない」人間はいないと筆者は勝手に考えている。
本作の顔でもあるペニーワイズは、そんな恐怖心を糧とする怪物だ。だからこそ、ペニーワイズは子供たちに恐怖を振りまく。心を読み、相手が一番恐れているものの幻を見せるのだ。
ビル率いるルーザーズクラブのメンバーもまた、ペニーワイズによってトラウマを直視されられることになる。ビルはペニーワイズに殺された弟の幻を、マイクは焼け焦げた多数の手を、ベバリーは排水溝から噴き出す大量の血といった形である。ベバリーの恐怖の対象は少し分かりにくいが、「女性であることそのもの」への恐怖と考えてよいだろう。
本作で描かれる恐怖シーンの多くは、ペニーワイズがルーザーズクラブの面々に見せたものだ。音で驚かせようというジャンプスケアも少なく、丁寧に恐ろしく、長すぎない形で描かれている。
また、本作は日常から非日常へと切り替わっていく描写が素晴らしい作品だ。ペニーワイズが登場する前兆として現れる赤い風船が分かりやすい例だろう。本作で描かれた風船は日常の中にそぐわない程べったりと赤く、異質な動きをする。明らかに不気味で、ゆっくりと非日常(ペニーワイズの世界)へと誘われていることが分かるのだ。この表現は、息遣いが荒くなったり、急に暗転したりするよりも効果的だといえるだろう。
ゆっくりと非日常に移行するからこそ、見ている側も映画の世界に入る余裕が生まれる。観客が本作の世界に入ったらどうなるか。「自分の前にペニーワイズが現れたらどんな幻を見せられるのだろうか」と、考えてしまうのだ。ちなみに、筆者が想像したのはとんでもなく大きな蝶だった。
そう考えてしまったら最後、いろいろな「怖いもの」が頭の中に浮かんでくる。浮かんで来て止まらない。そして、ルーザーズクラブの面々のように、自分もペニーワイズに立ちむかえるのだろうかと思ってしまう。しかし、立ち向かう図を想像するのは難しい。想像の中でさえ、出会いたくない存在はいるものだ。
赤い風船を見るたび、何だか心がざわつく。その裏に、少し暗い所に、ペニーワイズがいるかもしれないと考えてしまうからだ。そう思わせる程、見る人の恐怖心を揺さぶる作品なのである。
ペニーワイズとは何だったのか
ホラーの敵役として、ペニーワイズはどうしようもなく魅力的だ。人間とは全く違う、強大な恐怖の象徴。対策法はあるにしても、人間にはどうしたって敵わないと思わせてくる。
ここからは、ペニーワイズという存在そのものについて考えていこう。
インターネット上には、ペニーワイズについて考察した様々な記事を読むことができる。モデルとなった連続殺人犯の話を始め、スティーブン・キング自身がピエロ恐怖症である話は非常に有名だ。しかし、今回は少し変わった視点で見ていきたいと思う。
スティーブン・キングは他の作品で、ペニーワイズの正体について触れている。まとめると、「ペニーワイズは宇宙から太古の昔に地球にやってきた邪悪な生物で、蜘蛛に似た姿をしているとされる(次作『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』でも確認可能)。また、妊娠した姿をしているとも言われている。つまり、ペニーワイズには女性的/母親的側面があると考えられるのだ。
「母親的」という言葉を使うと、優し気なイメージが浮かぶ人も多いだろう。しかし、残酷な母親像は、古来より多く描かれてきた。例えば、ヘンゼルとグレーテルを山に捨てたのは実の母親だったという説があるし、白雪姫も同様だ。そして、鬼子母神は自分の子こそ大切にしたものの、大勢の人間の子を食べた。「母親=優しい」とは限らないのである。
次に、ペニーワイズが住処としている場所も合わせて考えてみよう。
ペニーワイズは下水道の中に住んでいる。下水道は地下を流れているものだ。そして、地下には死者の世界があると考える神話は少なくない。また、地下は大地と通じる場所でもある。大地は生と死の両方を司る場所なのだ。
地母神という言葉がある。大地の神を女性として捉える事例は多く、ガイアやデーメーテールが代表だ。イザナミも、見方によれば地母神といえるだろう。また、イザナミは先に挙げた残酷な母親像にも当てはまる。
これらを合わせて考えると、母親の負の一面を強調した存在こそ、ペニーワイズなのではないか思えてくる。それこそ鬼子母神のように、お腹の子を育てるために子供を食べていると考えることもできるだろう。さらに言えば、出産周期が27年なのかもしれない。
ここで書いたのはあくまで筆者が考えた私見だが、意外と「アリ」なのではないかと思っている。
まとめ
一度見ると頭から離れなくなるものがある。映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』は正にそんな作品だ。ホラー好きでなくても見たくなるような、魅力がたっぷり詰まっている。
本作だけでも十分おもしろいが、次作を合わせて鑑賞するともっと楽しめる。贅沢を言うならば、スティーブン・キングの『ダーク・タワー』なども合わせて読んで欲しい。より深みにはまってしまうはずだ。
本作の世界観を味わいつくした後、排水溝に目を向けてみよう。その遥か下の方に、ペニーワイズがいるかもしれない。
◆独自視点のサスペンス・ホラー映画解説と考察




































