映画『チェイサー』の感想!切なさと悲しさ

2008年に韓国で公開された映画『チェイサー』は、実在の連続殺人事件『ソウル20人連続殺人事件(レインコートキラー)』を題材に、韓国社会が抱える構造的矛盾と人間の業を赤裸々に描いた犯罪サスペンスである。本作は、娯楽的な追跡劇や推理要素に重きを置くのではなく、警察の無能や制度の腐敗、性産業に従事する女性の脆弱な立場、都市の片隅に生きる者たちの孤独と絶望といった現実的な社会の矛盾を露出させる。

ナ・ホンジン監督の演出は、徹底した現場主義的視点を貫き、主演キム・ユンソクとハ・ジョンウによる演技は、正義と悪の境界が曖昧な現代的リアリズムを体現する。韓国映画ならではの暴力描写と切迫したカメラワーク、そして最下層の人々の生に潜む切なさと暴力性が融合し、『チェイサー』は単なるスリラーを超えた社会批評的作品としての地位を確立した。

本記事では、事件の実像と映画の描写を比較しつつ、作品に宿る社会的メッセージ、都市の風景、人物描写のリアリズム、そして登場人物たちの変化とその象徴的意味について分析する。『チェイサー』は、なぜこれほどまでに人々の記憶に残り続けるのか――その核心を掘り下げていく。

★ご注意:この記事には、映画『チェイサー』のネタバレが含まれています。なお映画『チェイサー』は、韓国でR18作品、日本でR15作品に指定されています。

映画『チェイサー』概要:ソウル連続殺人事件と韓国社会の暗部

2003年9月から2004年7月にかけて、韓国ソウル特別市において20名が猟奇的な手口で殺害されるという凶悪な連続殺人事件が発生した。犯人ユ・ヨンチョル(1970年4月18日生)は、手製の大型ハンマー(持ち運びを容易にするため柄を短縮したもの)を凶器として用い、主に撲殺という手段で犠牲者を増やしていった。

当初の標的は、旧基洞(クギドン)などに居住する富裕層の高齢者であった。しかし、2004年に防犯カメラの映像が公開されると、ユ・ヨンチョルは警察の動向を察知し、標的を風俗業に従事する女性へと変更する。

被害者を装いデリバリーヘルス店に電話をかけ、派遣された女性を殺害するという手口は、捜査機関にとって特定を困難にする要素であり、事件の捜査は長期にわたり難航した。

この事件を基に製作されたのが、2008年2月に韓国で公開され(日本公開は2009年5月)、観客と批評家の双方に衝撃を与えた映画『チェイサー』である。本作は、ユ・ヨンチョル事件(通称「ソウル20人連続殺人事件」または「レインコートキラー事件」)を土台に、社会の構造的な脆弱性と制度の限界を映し出している。

監督は、本邦でもカルト的な人気を誇るホラー映画『哭声/コクソン』(2016年)などで知られるナ・ホンジン(1974年生)。主人公オム・ジュンホを演じるのは、映画監督としても活躍する実力派俳優キム・ユンソク(1968年生)、連続殺人犯チ・ヨンミン役にはハ・ジョンウ(1979年生)が起用されている。

事件の概要:ソウル20人連続殺人事件(レインコートキラー)とは

2003年から2004年にかけて、ソウル市内で発生した一連の猟奇殺人事件は、主に高齢の富裕層および風俗産業に従事する女性を対象としていた。犯人は凶器として改造ハンマーを用い、残忍な手口で次々と命を奪っていった。

なお、同事件を扱ったNetflix配信のドキュメンタリー『レインコートキラー:ソウル20人連続殺人事件』では、捜査機関の内部事情、情報操作、警察の腐敗や判断ミスについても言及されており、韓国社会の構造的問題が赤裸々に描かれている。(外部リンク:NetflixのHP「レインコートキラー: ソウル20人連続殺人事件」紹介記事 )

映画『チェイサー』あらすじ:女性失踪事件に潜む猟奇的連続殺人の真相

韓国ソウル特別市地方警察庁(機動捜査隊)を辞職し、現在は風俗業の事業主として生計を立てている元刑事オム・ジュンホは、いわゆる「上納金」への支払いに追われ、資金繰りに苦しんでいた。背景には、自らの店舗に在籍していた2人の女性が突如として音信不通となったことがある。彼は、彼女たちが無断で姿を消し、顧客からの手付金を持ち逃げしたと疑っていた。

ある日、客からの電話注文が入る。オムは、夏風邪で寝込んでいた在籍女性キム・ミジン(演:ソ・ヨンヒ)に無理やり出勤を命じ、客の元へ向かわせる。ミジンには7歳の娘ユ・ウンジ(演:キム・ユジョン)がいたが、彼女は幼い娘を残して仕事に出ることを強いられた。

オム・ジュンホは、失踪した2人の女性が最後に連絡を取った客の電話番号の末尾が「4885」であることに着目し、今回の依頼も同一人物である可能性があると推測する。彼はミジンに、到着次第住所をSMSで送信するように指示する。

ミジンが到着した先は、陰鬱な雰囲気を湛えた一軒家だった。家の構造に違和感を覚えた彼女は、バスルームから住所を送信しようとするが、電波は圏外。窓は外側からレンガで塞がれており、脱出も不可能。浴槽には血痕と人間の皮膚、毛髪の塊が……。

こうして、シングルマザーと幼い娘を襲う悪夢のような事件の幕が開ける。

『チェイサー』に見る韓国犯罪映画の特異性とリアリズム

映画『チェイサー』は、「追う者(元刑事オム・ジュンホ)」と「追われる者(殺人犯チ・ヨンミン)」との対峙を描いた作品であるが、アメリカや日本のクライム・サスペンスにありがちな派手なカーチェイスや銃撃戦、格闘シーンは排除されている。

代わりに描かれるのは、泥臭く、暴力的で、時に不条理なまでに現実的な警察活動と、その中に生きる個人の苦悩である。舞台となるソウル特別市麻浦区望遠洞(マンウォンドン)の住宅街では、狭い路地、違法駐車の車、傍観する住民など、都市の混沌が容赦なく観客の眼前に展開される。

殺人犯チ・ヨンミンを追い詰め、路地で蹴り、頭突きし、平手打ちするオム・ジュンホ。正義も倫理も超越した暴力が、怒りと絶望の果てに爆発する。警察官は煙草をくゆらせ、暴力を振るい、無能であり、汚職まみれである。公権力への信頼は失われており、その代替として提示されるのは、元警官でありながら風俗業を営むオム・ジュンホという曖昧な存在である。

地図は、国ソウル特別市麻浦区望遠洞(マンウォンドン)

彼の人間性は、事件を通じて変化していく。風俗で働く女性の失踪、残された娘の涙、そしてその娘の手を握るオム・ジュンホの姿に、韓国社会の弱者への共感と、それに報いきれない大人たちの罪が凝縮されている。

『チェイサー』は、猟奇的犯罪を扱った作品であると同時に、腐敗と分断が進む現代韓国の縮図であり、制度による救済が機能しない中で、人がどこまで他者のために走れるのかを問う映画でもある。

韓国映画『チェイサー』に描かれる懐旧的風景と暴力のリアリズム

映画『チェイサー』に描かれた2000年代初頭のソウル特別市の風景は、かつての日本にも存在した「昭和的風景」の記憶を想起させる。たとえば、道路にずらりと並ぶ違法駐車の車両、フロントガラスに差し込まれた風俗店のチラシ、無秩序な都市計画のもとに広がる細い路地や、防犯灯はあっても暗がりの多い街並みは、昭和後期の東京や大阪の下町にも通底する空気を持っている。

また、人物描写においても共通点が見られる。元汚職警官でありながら風俗業を営むオム・ジュンホの暴力性、警察内部における階級的上下関係、組織が未知の犯罪に対処できず戸惑う様子――これらは、日本における「刑事ドラマ」や「昭和ノワール」にも頻出する構図である。

韓国映画は、社会の闇を容赦なく描き出すことによって、鑑賞者に現実の鋭利な輪郭を突きつける。『チェイサー』におけるリアリズムの徹底は、日本の観客にとって「懐かしさ」と「痛み」を同時に喚起させるものであり、それこそが韓国映画の国際的評価と熱烈なファンダムを支える要因の一つなのかもしれない。

映画『チェイサー』の切なさと悲しさに宿る情感と希望の余韻

『チェイサー』には、終始張り詰めた緊張感と暴力の影がつきまとうが、それ以上に印象深いのは、登場人物の孤独と救済の不在、そしてわずかに残された希望の兆しである。

夜を生きるシングルマザーのキム・ミジン、元刑事で風俗業の主となったオム・ジュンホ、そして犯人チ・ヨンミン。彼らはいずれも社会の周縁に生き、断絶された孤独と絶望をそれぞれの形で抱えている。

とりわけ象徴的なのは、ジュンホの自宅に家族の存在が描かれないことだ。彼の行動の背後には、かつての腐敗と罪悪感、あるいは社会からの切断という感情が見え隠れする。ミジンの娘ユ・ウンジに対しても、当初は冷淡な態度を見せるジュンホだが、事件が深まるにつれて彼の態度は次第に変化していく。

その変化が最も顕著に表れるのが、ミジンの失踪後、ウンジとともに車内にいるシーンである。雨のなか、ミジンを探しながら走る車中、号泣するウンジの姿と、誰かに怒りをぶつけるように電話するジュンホの沈黙の演出。この場面では音声が遮断され、映像だけが映し出されるが、そこには絶望と後悔、そして守れなかった命への慟哭が凝縮されている。

ラスト、事故に遭ったウンジを病院に運び込んだジュンホは、保護者欄に自分の名前を書き込む。眠るウンジの手を握るジュンホの姿、そして彼の背後に広がるソウルの夜景は、まさにこの物語における唯一の「希望の予感」である。

また、本作は『パラサイト 半地下の家族』で象徴化された「半地下の暮らし」や貧困層の閉塞感とも接続しており、韓国社会が抱える構造的格差や福祉の不備にも通底している。ミジンが電話に残した言葉――「怒らないで聞いて。この仕事辞めるわ。これ以上できない。すごく怖くてもう耐えられない」――この一言が象徴するのは、夜の街で生きる女性の切実な恐怖と孤独である。

『チェイサー』は、暴力と犯罪の映画であると同時に、孤独な魂が他者と関係を築こうとする一筋の希望の物語でもある。その切なさと哀しみのなかに、私たちはまだ失われていない人間性の一端を見ることができる。


独自視点の日本名作映画・海外名作映画 考察

独自視点のホラー・サスペンス映画 考察

実際の事件をモチーフにしたドラマ・映画考察


Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste Roquentinは、Albert Camusの『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartreの『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場する主人公の名を組み合わせたペンネームです。メディア業界での豊富な経験を基盤に、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルチャーなど多岐にわたる分野を横断的に分析しています。特に、未解決事件や各種事件の考察・分析に注力し、国内外の時事問題や社会動向を独立した視点から批判的かつ客観的に考察しています。情報の精査と検証を重視し、多様な人脈と経験を活かして幅広い情報源をもとに独自の調査・分析を行っています。また、小さな法人を経営しながら、社会的な問題解決を目的とするNPO法人の活動にも関与し、調査・研究・情報発信を通じて公共的な課題に取り組んでいます。本メディア『Clairvoyant Report』では、経験・専門性・権威性・信頼性(E-E-A-T)を重視し、確かな情報と独自の視点で社会の本質を深く掘り下げることを目的としています。

この著者の最新の記事

関連記事

おすすめ記事

  1. 記事千葉市若葉区夫婦失踪事件心理操作と謎の中年男Xの正体そして隠れた動機を追うアイキャッチ画像
    ※本記事は、千葉市で発生した『夫婦失踪事件』について、公開されている報道資料・警察発表・社…
  2. 記事交換殺人の構造と未解決事件の可能性動機を持たない殺人者アイキャッチ画像
    交換とは、人間の社会性を象徴する、最も古く根源的な行為である。人類は太古の昔から、物と物を…
  3. 記事首なしライダーの原点か水元公園バイク少年転倒死事件アイキャッチ画像
    1984年5月、東京都葛飾区の都立水元公園において、夜間にオートバイで走行中の17歳の定時…
  4. 記事アニメ東京ゴッドファーザーズ考察感想それぞれ違う家族の形アイキャッチ画像
    アニメ映画はおもしろい。大人向けから子供向け、もしくはその両方に向けたものまで、質の良い作…
  5. 記事未解決事件考察函館駅5000万円窃盗事件国鉄職員に偽装した犯人の完璧な手口アイキャッチ画像
    1981年――北海道函館市において発生した『函館駅5000万円窃盗事件』は、国鉄職員に巧妙…

AIのJOIの曲など

note:社会問題を中心にしたエッセイ

NOTE

NOTE

スポンサーリンク

ページ上部へ戻る