グレー/緑色系ジャンバーに黒系色ズボンを着用した男性と思われる人物(以下、犯人X)が「さくら銀行大阪北支店:現・三井住友銀行」を訪れたのは1993年4月12日(月曜日)午前11時15分頃だといわれる。
身長160センチ位の小柄な男性と思われる犯人Xは英国ブランドの帽子を被り、白マスクとメガネ(サングラスとの説もある)で顔を隠し、手には茶系のセカンドバックを持っていた。Xの年齢は50代から60代位だと考えられている。。
犯人Xは5枚のニセ1万円札を両替機に入れ、券と両替した。要した時間は数分だろう。
騙された機械/機械を欺け!
ニセ札を真券に両替することに成功したXは、JR「大阪」駅から半径500メートルに所在する6銀行9支店(三和銀行堂島支店、さくら銀行大阪駅前支店、三菱銀行大阪支店、東海銀行梅田支店等)に向かい、同日14時35分頃までに478枚(1支店の最高使用枚数は177枚)のニセ札を使用した。
警察はXが使用したニセ1万円札に「和D-53号(「和D」は福沢諭吉肖像の1万円札D券昭和59年11月1日から発行された日本銀行券1万円、5千円及び千円)を指し、「53」は認知された53番目の偽造・変造事件を意味する)」と名付け捜査を開始する。
その後、大阪府、京都府、滋賀県、奈良県の2府2県で両替機(機械)を騙す「和D-53号」は 発見されるが、2003年4月12日午前0時公訴時効(偽造通貨行使罪の10年時効)が成立し未解決事件となった。
機械(両替機)を欺き騙す「和D-53号事件」は、社会に大きな動揺をもたらし、防犯カメラの性能向上や紙幣の偽造防止対策を加速させた。
事件概要
1993年4月13日(火曜日)、新聞等のメディアが大阪府・京都府・滋賀県内の銀行・JRの駅券売機等からニセの一万円札が大量に発見されたと報じた。
当時の報道によれば、発見されたニセ一万円札は280枚(両替機で227枚が換金された)におよび、前年(1992年4月)に大阪府内、兵庫県内の店舗(スーパーマーケット等)で発生した「和D-52号事件」(香港警察により中国系の犯人グループが検挙された事件)の58枚を大きく上回るとある。(参考:「ニセ1万円札大量発見」読売新聞1993年4月13日付)
機械の「目」をすり抜けた大量のニセ札の発見に警察は威信をかけた捜査を開始し、発見されたニセ1万円札を「和D-53号」と指定した。
1993年4月12日(月曜日)午前11時15分頃から14時35分頃の間にJR「大阪」駅から半径500メートルの6銀行9支店で478枚のニセ1万円札が発見されたことに着目する報道が多かった。
しかし、1993年4月14日(水曜日)には、京都市内にある「住友銀行京都支店」と滋賀県大津市内の電器販売店「Mデンキ」、「M鮮魚店」、日用雑貨店「I商店」及び「大津錦織郵便局」と「大津市役所内郵便局」からも発見されることになった。
滋賀県大津市で発見された「和D-53号」の流通ルートにはいくつかの説がある。
一つは電器販売店「Mデンキ」関係者の証言「1993年4月11日(日曜日)14時30分頃に来店した年齢50-60歳の男性(身長160センチ台、服装グレーコート着用、ひさし付きソフト帽子と手提げかばん所持)が、 20本の乾電池(約1500円)を購入した際に使ったとの説」と、「M鮮魚店」関係者の「1993年3月26日(金曜日)に滋賀銀行本店ATMで引き出した20万円のなかの1枚」という説である。
上記「M鮮魚店」関係者の証言が正しいとするならば、「和D-53号」は1993年3月26日以前に 滋賀県内の銀行で使われ、銀行の「目」をすり抜け市内に流通したことになる。
「和D-53号」が「大津錦織郵便局」と「大津市役所内郵便局」から発見されたことを考えれば、やはり1993年3月26日以前に既に滋賀県内の銀行で使われ、「滋賀銀行本店」を経由し、郵便局や県民に流通した可能性が高いだろう。
また、事件当時の「滋賀銀行本店」には4台のATMが設置されていた。基本的に4台のATMには日本銀行から引き出した現金を毎朝補充 する仕組みだったことから、 「和D-53号」は民間銀行を経て日本銀行に渡り、再度、日本銀行から民間銀行を経て国民に流通した可能性も考えられる。
実際1993年4月13日(火曜日)に、「住友銀行京都支店」から日本銀行に持ち込まれた紙幣から「和D-53号」が発見されている(このとき日銀に持ち込まれた「和D-53号」は発見された。しかし未発見の「和D-53号」が再度、民間銀行に流通したことは想定できるだろう)。
「和D-53号」が民間銀行等の機械(両替機、ATM、自動券売機等)を騙し、日本銀行の「目(自動選別機械)」をもすり抜けるのなら、国家の信用に基づき使用される紙幣は無価値な「紙」に成り下がってしまう。
犯人像
ここから犯人像について考察していこう。犯人像を考察するうえでの着眼点はいくつかある。着眼点について整理してみよう。
- 複数犯か単独犯か?
- 他のニセ札事件との関係性は?
- 日本人か外国人(外国政府の工作活動含む)か?
- グリコ・森永事件との関係性は?
- マニア向け雑誌との関係性は?
複数犯か単独犯か
最初の謎――それは単独犯か複数犯か?だろう。「三和銀行堂島支店」「東海銀行梅田支店」等の複数の銀行の防犯カメラに録画された犯人と思しき人物は、警察により全て前述のXだと認定されている。
また、1993年4月11日(日曜日)14時30分頃滋賀県大津市内の電器販売店「Mデンキ」に来店し20本の乾電池を購入した人物も年齢・身体特徴がXに似ている。
当時の報道によれば、「現場の換金役」「見張り役」「両替機等の自動選別機械によるチェック(光学センサーと磁気センサー)をすり抜けるための知識(磁気インクと調色等の知識)と原版を作成し(オフセット)印刷を行う技能、修正技能を持つ者」の3人組以上のグループが関与しているのではないとの推測が散見される。
上記の3つの役割を3人以上の人物で担当したか否かは不明だが、Xが現場の換金役だったのは間違いないだろう。
「和D-53号」は506枚発見されている。一度に 使用されたニセ札事件としては最大規模の事件だが、犯人Xまたはその仲間が手にした金は約500万(換金出来なかった「和D-53号」もある)だろう。
複数の人間が時間と手間をかけた事件にしては実入りが少ないともいえる。本記事の筆者は「和D-53号」はXの単独犯だと推察する。そして、仮にXに共犯者がいたとしてもXの親族等の可能性を指摘しておこう。なぜなら、時間と手間をかけ「和D-53号」をつくり、平日昼間に換金したXは自営業(会社経営)者だと推察され、経営先の規模は小さく家族経営的な規模ではないかと思われるからだ。
威信をかけた警察は徹底的にニセ札に使用された紙の販売ルートの捜査、磁気インク関連の捜査、製版とオフセット印刷の経験者及び設備を有する者、銀行等に設置していた自動選別機械の識別システムの開発等を担当するO社(他2社)等の関係者から事情を聞いたと思われる。
では、なぜ、Xは逮捕されなかったのか?いくつもの仮説が成り立つが、その一つに「和D-53号」の製作場所が海外にあった可能性だろう。 Xは海外で「和D-53号」をつくり、事件(1993年4月12日発生)直後に出国した可能性も考えられる。
他のニセ札事件との関係性
「和D-53号事件」が発生した1993年の前年(1992年)4月、大阪府と兵庫県神戸市内のスーパーマーケット、露天、洋菓子店等でニセ1万円札58枚が見つかる「和D-52号事件」がおきた。
「和D-52号」を使ったのは東南アジア系の外国人だった。彼らは香港のニセ札工場でつくられた「和D-52号」を使ったと認定され、香港のニセ札工場は現地警察により摘発されている。(参考:「ニセ1万円札事件透かし部分白インクで印刷和D-52号と類似」:産経新聞1993年4月15日付)
香港の捜査当局に摘発されたニセ札偽造グループは、ドイツ製のオフセット印刷機を使い約3万枚のニセ札を偽造したといわれる。これら2つのニセ札(「和D-52号」と「和D-53号」)は透かしに白色インクを使用した点に類似性を認めることはできたが、香港捜査当局に検挙された「和D-52号」の中国人犯人グループの「和D-53号」への関与は確認できなったようだ。
また、「和D-52号」事件の以前には、ニセ1万円札3600枚 を偽造(「和D-33号事件」)したグループがフィリピンで検挙さている。
国外の偽造グループは経済大国の残り香漂う日本(バブル崩壊は1991年3月以降)の円(紙幣)を狙っていたと思われる。
さらに、1992年12月14日、大阪府内のパチンコ店で奇妙な変造1万円札が発見された。
変造一万円札数十枚発見 大阪 両替機をテスト?
大阪府内のパチンコ店などの一万円札両替機で大量の変造一万円札が使用されていることが、大阪府警捜査二課の十四日までの調べで分かった。これまでに数十枚を発見、押収している。一万円札の一部を切り取り、別の紙幣や紙を張り合わせたもので、捜査二課は切り取り部分がそれぞれ異なっていることから、どの部分で両替機が真券と判別するかをテスト、本格的に変造札を使用する可能性が強いと判断、通貨偽造事件として捜査している。 調べでは、今年八月末、大阪府堺市内のパチンコ店で両替機に残った札を回収したところ、一部が長方形に切り取られ、切り取り部分にハトロン紙ようのものを張り付けて真券と同じ大きさにした一万円札を二十四枚発見。さらに翌九月初めにも同店で十一枚が見つかった。
その後も大阪市内、大阪府南部のパチンコ店の両替機や、パチンコ店と取引のある銀行などで相次いで同様の変造札を発見した。
変造札は、真券を縦二-三センチ、横三-四センチの長方形に、カッターなどの鋭利な刃物で切断、その部分に千円札などの低額紙幣や同じ厚さの紙を両面テープなどで張りつけてあった。
業界関係者によると、両替機内にある紙幣選別装置は、紙質や印刷の濃淡を感知する光センサーなどで真偽を判別する。センサーは紙幣の全面に作動することはなく、メーカーや機種によって作動する個所が違うため、今回のような変造札でもパスすることがあるという。 捜査二課は、一万円札の切り取り部分が全体の約十分の一で、変造札を両替しても十万円分で一万円しかもうからないため、犯人が紙幣のどの部分が選別装置に感知されるかテストしたと見て警戒を強めている。
変造札は、一九九〇年十一月、阪神間で本物より幅を二ミリ短くしたミニ一万円札約四十枚がパチンコ店の両替機や銀行の窓口で見つかったが、犯人は検挙されていない。また、東京都、埼玉県内では、八六年に今回と同様の切り張り一万円札が出回り、台湾人二人が警視庁に通貨偽造、同行使容疑で逮捕された。
毎日新聞1992年12月15日付
上記報道の「視覚障碍者用の識別部位」「透かし」等が切り取れられた変造1万円札は、「自動紙幣識別機械」の光センサー反応箇所を確かめるための変造ニセ札だと考えられる。
翌年(1993年)、2府2県(大阪府、京都府、滋賀県、奈良県)内で発生した「和D-53号事件」との類似性が考えられる事件だ。
さらに、上記報道にある2人の香港人による変造紙幣使用事件からもわかるとおり、やはり――1990年前後――日本の円(紙幣)は外国人に狙われていたといえそうだ。
他国の関与と外国人の関与の有無
国家の信用を担保とする紙幣や硬貨は、敵対する相手国家や仮想敵国の経済を混乱に導く工作活動を目的に「国」主導でつくられることがある。
「和D-53号事件」に日本を敵視する国の陰謀があるのか?この問いに対する答えは「和D-53号事件」が使用された期間が短いことや換金された金額(被害額)が少ないことを考慮すれば「否」というのが正解だといえそうだ。
そう、外国の諜報機関等が日本経済や日本政府の国際的な信用を失墜させることを目的に「和D-53号事件」をつくったとするのならば、もっと執拗にニセ札を使っただろう。「和D-53号事」が製造工場でつくられ、ニセ札を使ったXをアジア系外国人だと仮定したとしても、外国の諜報機関等の関与は無いと推察できる。
犯人Xは「金(マネー)」が欲しかっただけだろう。Xが日本国内の会社経営者だとすれば会社の決算は3月だろうか?バブル景気崩壊の波が押し寄せるなか年度末と年度初めの資金繰り(現金が無ければ倒産する)が悪化し――Xは「和D-53号事」をつくり機械を騙したのではないだろうか。
グリコ・森永事件との関係性の有無
「和D-53号事件」の犯人Xは用意周到かつ慎重な知能犯だ。「和D-53号」が使われ発見されたのは大阪府、京都府、滋賀県、奈良県だ。
この2つの特徴から多くの人が昭和を代表する未解決事件「グリコ・森永事件」との関係性を想像するだろう。
グリコ・森永事件は滋賀県から始まり滋賀県で終わった。同事件に関係する昭和53年テープの男は奈良県に親和性のある人物だといわれている。
グリコ・森永事件考察:「昭和53年テープの男」「脅迫指示の男児・女(児)の声)」
本記事筆者はグリコ・森永事件犯人グループと朝鮮半島の関係性を考えている。また、仮に「和D-53号事件」の犯人Xが外国人(外国籍や在日アジア人など出自を外国に持つ者)だとするならば、Xは日本の鉄道、銀行、地理を理解し漢字の読み書きができる(日本で生活する)朝鮮半島や中国文化圏に関係する者ではないか?と考えている。
そして犯人Xと「かい人21面相」には「無線マニア雑誌の愛好者」という共通点もありそうだ。
マニア向け雑誌との関係性
小学館週刊ポスト1993年4月30日号(記事タイトル:偽1万円札を予告(?)していた『ラジオライフ(マニア誌)』の「凄い中身」)』及び日刊スポーツ1993年4月15日付(記事見出し:大阪偽1万円札事件雑誌で偽造講座、マニアの犯行!?史上空前の規模に)に株式会社三才ブックス発行のアマチュア無線、流行機器の裏技、アナログ式警察無線盗聴方法等を紹介する『ラジオライフ』(1980年創刊)と「和D-53号事件」の関係性を指摘するような記事が掲載されている。
『ラジオライフ』は1992年3月号で紙幣識別装置(自動選別機械)の分解を行い装置に組み込まれている光センサーや磁気センサー、データを保存するCPUについて触れている。
たしかに、Xは、「自動紙幣識別機械」の構造を理解するため『ラジオライフ1992年3月号』を参考にしたとも考えられる。
また仲間との意思疎通に無線を使い、警察の動きを察知するためアナログ警察無線を傍受していたと認定される「かい人21面相」も『ラジオライフ』の愛読者ではないかといわれている。
朝鮮半島に親和性を持つと思われる「かい人21面相」。漢字文化圏の外国(籍)人の可能性も考えられる「和D-53号事件」の犯人X。
2つの未解決事件の犯人が同一か否かは定かではないが「用意周到かつ慎重な知能犯」、「大阪府、京都府、滋賀県、奈良県との関係」、『ラジオライフ』の愛読者という共通点があるのかもしれない。
未解決事件へ
警察は「和D-53号事件」解決のため地道な捜査を続けたはずだ。ニセ紙幣に使われた用紙の製造元や販売ルート、磁気インクの分析や金融機関関係者、印刷業者、「自動紙幣識別機械」製造元関係者への参考人聴取、Xの目撃情報の洗い出し等を徹底的に実施したと思われる。
しかし、Xは捜査の網をすり抜け、暗闇のなかに消えてしまった。Xが手にした金は約500万円だ。Xが「和D-53号事件」の作製に要した時間、労力、投資額がどの程度だったのかは誰にもわからない。手にした500万円との釣り合いは測れたのだろうか。
Xは金に困っていたのだろう。1993年4月の下旬頃までに数百万の金が必要だったのだろう。研究熱心なXは手にした約500万円の真券を抱えいつもの日常に戻ったのかもしれない。
約500万円の真券(現金)は、Xの人生にも大きな変化と影響を与えたのだろう。その後、「和D-53号」が使用される事件はおこっていない。
2003年4月12日午前0時「和D-53号」の公訴時効が成立した。事件当時のXの年齢は50代(目撃情報は50-60代)といわれている。時効成立時のXは60-70代かもしれないし事件の真相を秘めたまま黄泉の国に旅立ってしまったかもしれない。
X単独の犯行でXが他界したと考えるならば「和D-53号事件」の真相も――Xとともに埋葬されてしまったのだろう。
社会に与えた影響
機械を騙す「和D-53号」の登場は社会に衝撃を与えた。「和D-53号事件」は、(リンク先:国会会議録検索システム「平成5年5月25日の第126回国会衆議院大蔵委員会第11号」)でも取り上げられた。
「和D-53号事件」発生から約8ヶ月後の1993年12月、日本銀行は新たな偽造防止対策を施されたD券(肖像は福沢諭吉のまま変更なし)を発行する(この新D券発行は「和D-53号事件」発生以前から公表されていた)。
人間を騙すニセ札から機械を騙すニセ札へ。ニセ札対策の技術が進歩、進化してもニセ札つくりの執念は止まることがないだろう。
2024年、新紙幣(渋沢栄一肖像)の発行が予定されている。人間がつくりだす物には必ず欠点がある筈だ。
職業的犯罪者は人間と人間がつくりだす物やシステムの欠点を探すために時間と労力と金をかける。人間にはそういう一面があるのだろう。
文責:Jean-Baptiste Roquentin
校正:オオノギガリ
◆参考資料
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「1万円札偽造事件電池買った男性が使う大津の電器店」読売新聞1993年4月14日付
「偽一万円札事件和D-53号事件に指定警察庁」NHKニュース1993年4月14日付
「ニセ1万円札5000円札補充後に再来店さくら銀両替の男近くで待機か」読売新聞1993年4月15日付
「偽造1万円札事件、調色・修整技術者が存在3人以上のグループ犯行か大阪府警」毎日新聞1993年4月15日付
「ニセ1万円札の和D‐53号、「死角」の両替機狙う警察の動きも事前調査?」毎日新聞1993年4月15日付
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「ニセ1万円札事件透かし部分、白インクで印刷、「D‐52号」と類似」産経新聞1993年4月15日付
「ニセ1万円札、大津で新たに1枚先月末ごろ犯人が使用」産経新聞1993年4月16日付
「店のATMからニセ1万円札発覚前の3月下旬知らずに主婦使用」読売新聞1993年4月16日付
「ニセ1万円札ニセ札の3月未使用?大津の商店で反応探る、約2週間、発覚せず」産経新聞1993年4月16日付
「ニセ一万円札和D-53号事件不審者の写真新たに公開大阪府警」読売新聞1993年4月16日付
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「偽1万円札透かしは片面印刷白色インク使用大阪府警鑑定」中日新聞1993年4月16日付
「和D-33号」事件のニセ1万円札1枚、滋賀銀行の回収分にフィリピンルート」毎日新聞1993年4月17日付
「ニセ1万円札、数カ所に磁性インキ両替機に精通、同じ位置に和D‐53号事件」」毎日新聞1993年4月17日付
「ニセ1万円札和D‐53号事件本格使用1時間前に、まず5枚をテスト両替」毎日新聞1993年4月18日付
「1万円札偽造事件帽子はうちのブランドメーカー社員が確信の証言」読売新聞1993年4月18日付
「ニセ1万円札和D‐53号事件、原版は手書きとコピー併用」毎日新聞1993年4月20日付
「1万円札偽造事件ニセ札、原版複数か記番号別に固有のキズ」読売新聞1993年4月22日付
「和D‐53号事件のニセ札用紙神戸の卸会社専用製品と判明」読売新聞1993年10月7日付
「ニセ1万円札事件磁性粉2社ほぼ特定独と日本、販売先調査」読売新聞1993年10月9日付
「市販インキに磁性粉大阪の偽1万円札事件で府警調べ」朝日新聞1994年4月6日付
「和D‐53号偽札事件が時効へ識別装置初めて欺いた」朝日新聞2003年4月11日付
「ニセ1万円札大量発見」読売新聞1993年4月13日付
「ニセ1万円札事件透かし部分白インクで印刷和D-52号と類似」:産経新聞1993年4月15日付
「週刊ポスト1993年4月30日号記事タイトル:偽1万円札を予告(?)していた『ラジオライフ(マニア誌)』の「凄い中身」)」小学館
「大阪偽1万円札事件雑誌で偽造講座、マニアの犯行!?史上空前の規模に」日刊スポーツ1993年4月15日付
『ラジオライフ』は1992年3月号
平成5年5月25日の第126回国会衆議院大蔵委員会第11号
◆グリコ・森永事件及び関連性が指摘される事件・ニセ札事件
◆関西を舞台にした事件