『松本サリン事件に関する一考察』を考察!

松本サリン事件 怪文書 『松本サリン事件に関する一考察』

サリン事件は、オウムである

『松本サリン事件に関する一考察』

この衝撃的な一文から始まる『松本サリン事件に関する一考察』は、その後の裁判で「オウム真理教」の犯行と認定された一連のテロ事件のうち、最初に実行された化学兵器サリンを用いた「松本サリン事件」(1994年6月27日)の実行者を名指しで指摘した所謂「怪文書」である。

この『松本サリン事件に関する一考察』は、「HtoH&T.K」を名乗る者(集団)により書かれ、文末には、この怪文書が書かれた時期と思しき――「1994年9月某日」の表記がある。

『松本サリン事件に関する一考察』は、1994年の秋頃から同年の年末または翌年1995年の初め頃までの間に日本の各マスコミに送付されたらしい。

世界初の化学兵器サリンを用いたテロ「松本サリン事件」は、死者8名、負傷者150名以上の被害者をだした前代未聞の大事件である。当初、捜査を担当した長野県警や同警察からのリークなどを得て記事を書く大手新聞社、TVメディアなどは、「松本サリン事件」の第一通報者A氏を被疑者のごとく扱い、A氏に重大な冤罪報道の被害を与えた。世界初の科学兵器サリンの捜査は難航し、メディアの伝える情報は錯綜し、不気味な憶測や想像が世紀末の日本社会の体感治安を悪化させた。(平成7年「警察白書」には次の言葉が記載されている。平成6年から7年にかけて、銃器犯罪が相次いだほか、サリンという猛毒を使用した殺人事件、阪神・淡路大震災が発生し、我が国の治安の根幹を揺るがした。リンク先:平成7年 警察白書 サリン・銃・大震災に対峙した警察

そのような時期――「サリン事件は、オウムである」の有名な冒頭から始まり、「この文書は『怪文書』です。したがって、『このような物』が世間に出回っていて、それを『紹介』すると言う形式を取れば、オウムの弁護士さんの手を煩わせることもないでしょう。なにしろ実際に『怪文書』なんですから。この文書を何らかの形でご使用なさるもなさらないも編集者の自由意思です。なにぶん、『怪文書』ですから。」と書かれた『松本サリン事件に関する一考察』は、怪文書としてメディア側に送りつけられたといわれている。

『松本サリン事件に関する一考察』を紹介しながら、「オウム真理教」が実行した残酷非道な事件、「オウム真理教」と時代、『松本サリン事件に関する一考察』の筆者などについて考察していこう。

松本サリン事件 地下鉄サリン事件 オウム真理教VS.警察

資本主義と社会主義をつぶして、宗教的な国を作ることだ

麻原元死刑囚の説法 参考:NHK Nスペ 未解決事件File.02-3 オウム真理教

「救済のためなら殺人も許される」という「ヴァジラヤーナ(金剛乗)」の思想に基づき前代未聞のテロや殺人など多くの犯罪を起こした「オウム真理教」は、ヨガサークル「オウムの会」から始まり「オウム神仙の会」へ名称変更などを行い1987年には宗教団体「オウム真理教」となる。1984年5月、麻原元死刑囚を代表取締役とする「株式会社オウム」を設立、同社の役員欄には古参の女性幹部の氏名が記されている。その後の1986年の5月頃には、麻原元死刑囚が「最終解脱」を宣言、1989年8月、東京都からの宗教法人認可を受け宗教法人「オウム真理教」となる。なお、「オウム(AUM)」は、「阿吽」と同じ意味を持つ。

「オウム真理教」に代表される「新・新宗教」や「オウム真理教」自体に関しては同時代を生きた多くの識者、社会学者などの学者、文化人、ジャーナリスト、著述家などがそれぞれの視点から分析などを行っている。60年代の米国のヒッピーカルチャーからニューエイジ、水瓶座の時代、精神世界ブーム、占いブーム、自己啓発、終末論、ノストラダムスの予言、カウンターカルチャー、サブカルチャーなどの影響を受けた80年代の後半から90年代の初めの頃の「空気」が彼らを後押ししたのかもしれない。「オウム真理教」は「絶対に壊れない」「徹底的に修行する」など「絶対」「徹底的」という言葉を用いて信者を集めた。そして、その「絶対的」な言葉を使い、様々な悩みなどに答えをくれる麻原元死刑囚の思想を――信者たちは――絶対化してしまったのかもしれない。

動画は警視庁公式チャンネル『オウム真理教に騙されないで!今も教団名を隠して勧誘を行っています。』

前述のとおり、麻原元死刑囚を代表取締役とする「株式会社オウム」の設立は、1984年5月である。その後、1993年4月には、サリン製造の原料を調達する目的の「SK社(本店:東京都千代田区)」「Hケミカル社(本店:東京都新宿区)」が設立され、同年8月、同じ目的で「B・E社(本店:静岡県静岡市)」を設立、1994年3月には、これも同じ目的で「B社(山梨県田富町)」が設立されている。

この上記4社を中心にサリンの原材料となる化学薬品が調達されサリンが製造された。そして、1994年6月27日に発生した「松本サリン事件」の後の1994年8月には、山梨県警、神奈川県警および警察庁は、この4社の動向などを把握しており、「松本サリン事件」と「オウム真理教」の関係性を――状況証拠的だが――認識していたともいわれている(参考:NHK Nスペ 未解決事件File.02-3 オウム真理教)

以下は、「オウム真理教」と警察の動向を時系列で表した図である。

年月日オウム真理教側の動向警察側の動向
1990年教団武装化拠点建設を目的に「熊本県旧波野村(現,阿蘇市)」の15ha土地取得
1990年10月22日オウム真理教国土利用計画法違反事件 強制捜査
1993年5月警察庁警備局 全国の警察にオウム監視強化を指示
1993年8月元死刑囚Tがサリンの合成(20g)に成功
1994年1-2月30キロサリン完成(致死量300万人)
1994年3月教団発行の機関紙などにおいて、麻原元教祖がサリンに関して言及
1994年6月27日松本サリン事件(死者8人、負傷者150人超)
1994年松本サリン事件以後 長野県警によるオウム真理教関連会社の捜査 サリン原料購入者の内偵捜査(東京都世田谷区赤堤のオウム真理教関連施設)
1994年8月長野県警 オウム真理教信者が役員に就任する薬品会社からサリン原料が教団施設に移動を確認
1994年8月神奈川県警 全国の教団施設を特定 教団の取引業者を特定 オウム真理教信者が役員に就任する薬品会社のサリン原料を購入を確認
1994年9月警察庁 オウム専従班 結成
1994年10月旧山梨県上九一色村教団施設から異臭、その後、周辺土壌からサリンの残留物検出
1994年12月麻原元死刑囚 幹部部下に1995(平成7)年初め頃に宗教戦争の前哨戦宣戦布告を語る
1995年1月1日読売新聞報道 第7サティアンのサリンプラント隠蔽
1995年2月公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
1995年3月警視庁を中心とする教団施設への強制捜査の予定が3月22日に決定
1995年3月20日麻原元死刑囚の予言成就などを目的とする地下鉄サリン事件(死者13人、負傷者6300人超)
(「NHK Nスペ 未解決事件File.02-3 オウム真理教」などを参考に作成)

上記のとおり、警察は「松本サリン事件」の約1-2か月後から「オウム真理教」とサリンとの関係性に着眼していたのだろう。だが、サリンを実際に散布した証拠は掴めていない。その間も「松本サリン事件」の第一通報者A氏への過剰な冤罪報道は続いていた。

そのような状況の1994年9月某日、「HtoH&T.K」を名乗る者(集団)により『松本サリン事件に関する一考察』は書かれ、大手新聞社、出版社などの報道機関に送付された。

『松本サリン事件に関する一考察』には、次のような文章がある。「さて、被害者であり、第一通報者。更には、建前上警察は否定するだろうが、容疑者リストの筆頭に上げられている気の毒な会社員氏」

また、第一通報者A氏に関する記述が合計4回確認される。

気の毒な会社員氏2回
会社員氏は気の毒なことに1回
不幸な会社員氏1回
合計4回

『松本サリン事件に関する一考察』は、マスコミ報道の流れを変え、その報道を利用し、「オウム真理教」に対する強制捜査(家宅捜索)の即時着手への世論誘導を意図した可能性が考えられるともいえそうだ。

次ページは:『松本サリン事件に関する一考察』 誰が書いたのか?など

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