春分の日 ククルカン・ケツァルコアトル マヤの暦
日本時間の2021年3月21日は春分の日だ。春分は昼と夜の長さがほぼ同じになる日だといわれ、この日を境に夜よりも昼が長くなる。季節は春、梅雨、初夏と進み収穫の秋から冬へ。大地、水、風、火、農耕と共に生きてきた人類にとって地球、太陽、月、惑星、宇宙、星々の動きを知ることは非常に大切なことだ。
古代から人々は、それらを観察、観測し、そのために必要な巨大な遺跡を作り出し、そこに集まり、儀式を行い、ある者は陶酔し、ある者は予言を行い、ある者は予言に従い――共同体を守りながら生きてきたのだろう。
メソアメリカで独自に繫栄したマヤ文明(BC1000年頃~AC1524年。なお、アステカの文明は1428年頃~1521年まで)を築いた人々も、それらを観察、観測していた。そして、他の文明を凌駕するともいわれる暦をつくりだした。
チチェン・イッツァ(※メキシコのユカタン半島に所在、1998年世界遺産登録)のククルカンのピラミッドには春分の日(日本では2022年は3月21日)と秋分の日(同、9月23日)にマヤの最高神の一人ククルカン(アステカのナワトル語では「ケツァルコアトル」と呼ばれる)が降臨する。※蛇足だが、ユカタン半島の北部には約6600万年前の恐竜などの大量絶命(K-Pg境界)の原因の一つといわれる小惑星(隕石)の衝突でできたクレーター「チクシュルーブ・クレーター」がある。また、ククルカンは農耕の神でもあるため「羽毛のある蛇」を意味し――恐竜には羽毛が――非科学的な想像の世界を楽しむこともできる。
マヤには用途に応じた様々な暦があったといわれる。農耕のために使われたといわれる365日暦のハアブ。儀式や宗教的儀礼のための使用を目的とする260日暦のツォルキン。「ハアブ(365日暦)」と「ツォルキン(260日暦)」を組み合わせた約52年周期のカレンダーラウンドがあったらしい。
そして、マヤには「終末の予言」で注目され、一躍有名となった「長期暦(約5125年の周期)」もある。
一般的にマヤの暦の始まり(暦元)は、紀元前3114年8月11日(ユリウス暦の紀元前3113年の9月6日)といわれ、2012年12月21日に一巡を迎え、新たな長期暦に入る。マヤの長期暦は循環するため2012年12月21日はキリスト教的な「終末の日」「審判の日」ではなく、一つの長期暦の「大晦日」のような日だともいわれている。
春分の日と秋分の日にククルカンが降臨するチチェン・イッツァのカスティーヨ(ククルカンが祀られるピラミッド神殿)の四面には、91段の階段が作られている。その四面の階段の合計段数は91段×4面=364段となり364日を現すといわれ、最上段に建てられた部屋(神殿)と合わせると365段になる。つまり、農耕のために使われたといわれる365日暦のハアブとなる。マヤの人々はチチェン・イッツァのククルカンのピラミッドをカレンダーとして使い、春分と秋分には最高神ククルカンの降臨に狂喜したのかもしれない。
ククルカン・ケツァルコアトル マヤ アステカ 神話
ククルカン(アステカではケツァルコアトル)は、文明の神で、人類に知恵や技術を与えた。これは、ギリシャ神話のプロメテウス(トリックスター)や人類に知恵の樹の実を食べるよう唆した「蛇(堕天使サタン)」に似ている。また、農耕の神でもあり、火、水、風、土を司るともいわれているようだ。
ククルカン(アステカではケツァルコアトル)は、「羽毛のある蛇」とも呼ばれ、ヘビに似た姿で描かれていることが多いが、人の姿でも描かれ、白い男性の姿とも考えられていたようだ。
ククルカン(アステカではケツァルコアトル)の「白い男性の姿」は、メソアメリカの文明崩壊の原因であるコンキスタドールの侵略を容易にさせたともいわれている。それは、偶然にもアステカの予言(歴史は256年毎に繰り返すという思想が根底にあるよようだ)にあるククルカン再来の予言の年がエルナン・コルテス(ピサロ)のメキシコ上陸の年である1519年だったためだ。
そして、他の大陸の文明とは違う独自の文明を築いていたマヤ、アステカなどのメソアメリカの文明は、コンキスタドールの徹底した侵略と搾取で消えてしまった。メソアメリカに残る多数のピラミッドや神殿、計画された見事な都市、街、町を残して――
マヤのピラミッド マヤの人々と星々
メキシコの首都メキシコシティーから北東方向へ約50キロメートルの場所には、1987年に世界遺産となった古代都市テオティワカン(テオティワカンの文明はBC200年頃~AC650年頃)がある。この古代都市には太陽のピラミッド、月のピラミッド、死者の大通り、ケツァルコアトル(ククルカン)の神殿などがある。
このケツァルコアトル(ククルカン)の神殿、太陽のピラミッド、月のピラミッドの位置を上空から見ると――オリオン座の三つ星(オリオン座のベルトの位置)の配置と重なるとの説もあるが――
なお、上記のオリオン座の三つ星とピラミッドの配置に関しては、エジプトギザの3大ピラミッドでも語られることがある(参考:グラハム・ハンコック『神々の指紋』,1995)が――どうやら――無関係のようだ。
ただし、マヤの人々は前述のとおり、観測技術と高度な天文学や数学的知識を有し、他の文明を凌駕するともいわれる暦をつくりだした。他の古代文明のような大河川の恩恵を受けることもできず、水の確保さえ難しい農耕に不向きな痩せた土地の文明(水確保のための技術は進んでいたようだ)は、地球、太陽、月、星々の動きを観測、観察することにより繁栄したのかもしれない。
原住民は文字も知らぬ野蛮人ではありましたが、後で 述べますように、年月週日など時間の計算と祭日に関しては非常に正確な知識を持っていました。彼らの書物にはこれと同じく武功をはじめ戦争のたびごとの勝敗、歴代のおもな首長名、大嵐および空に現われた大変事の兆、国全体を襲った伝染病なども書き記され、これらがいつ、そして誰の治世の間に起きたかも書かれていました
参考:征服後の1524年に派遣されたフランシス会の神父であるモトリニーア神父の言葉
※なお、マヤの人々は文字を持っていた。ただし、文字は王族、貴族などが独占していたともいわれる。
そして、地球、太陽、月、星々の動きを観測、観察は、約5000年前に建造されたアイルランドのニューグレンジ(冬至の日に光が差込む)、1986年に世界文化遺産の登録を受けた英国のストーンヘンジなど、数多くの古代からの遺産が世界中に建てられているといっても過言ではないだろう。
人類は宇宙、地球、太陽、月、星々と共に生き、これからも生きるだろう。
ククルカン・ケツァルコアトル ピラミッド ストリートビュー
最後にククルカン・ケツァルコアトルのピラミッドをストリートビューで見てみよう。
蛇の姿のククルカン――春分の日と秋分の日の降臨(再来)と旅立ちに――古代の人々は熱狂したのだろう。
そして、われわれ現代人も熱狂する。
★参考文献
八杉佳穂著,繰り返される時間と流れゆく時間――マヤの暦とその世界観 (特集・暦の記号学) 1991年
モトリニーア著,小林一宏 訳・注 『ヌエバ・エスパーニャ布教史』岩波書店 1993年12月
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