名張毒ぶどう酒事件:1961年3月28日の葛尾及び裁判の経過

名張毒ぶどう酒事件:1961年3月28日の葛尾及び裁判の経過

1961年3月28日20時頃、三重県名張市葛尾の公民館において、生活改善クラブ「三奈の会」の総会に続く懇親会が開かれた。女性出席者20人のうち17人がぶどう酒を飲用し、乾杯の数分後に中毒症状を呈した。奥西チヱ子、北浦ヤス子、奥西フミ子、中嶋登代子及び新矢好の5人が死亡し、他の12人が有機燐中毒症による傷害を負った。〔J1・罪となるべき事実/J3・2~3頁/L1・89頁〕

当夜の会合を構成したのは、三重・奈良両県の県境に連なる葛尾の住民であった。会長宅での炊事、公民館での会場準備、酒と食事の調達、家族の見送り、農協からの帰宅が、同じ午後の生活圏の中で進行していた。酒は酒店から会長宅へ届けられ、奥西勝によって公民館へ運ばれた。事件後には、瓶、栓及び封緘紙の発見場所と、これらの物品に関する供述が、当日の行動を検証するうえで重要な資料となった。〔J1・第一(三)(五)(六)(十)(十一)、第二〕

刑事手続は、津地方裁判所の無罪判決、名古屋高等裁判所の逆転死刑判決、最高裁判所の上告棄却を経た。再審請求では、栓の傷、毒物の成分、封緘紙及び自白の評価が争われ、2005年の再審開始決定は異議審で取り消された。奥西は再審請求中の2015年に死亡し、その後は妹の岡美代子を請求人とする死後再審が申し立てられた。〔J1/J2/J3/J4/J5/C1〕

本稿では、場所・人物・時刻・酒の受渡しを軸に、事件の経過と基礎資料を整理する。加えて、通常審・再審における裁判所の認定と弁護側の主張、裁判・支援活動の経過も取り上げる。

ただし、有罪・冤罪について独自の判断は示さない。また、登場人物の氏名は匿名化せず、原則として控訴審判決の表記に従う。

事件概要

1961年3月28日、三重県名張市葛尾の公民館で開かれた三奈の会の懇親会で、女性出席者に供されたぶどう酒により有機燐中毒が発生した。5人が死亡し、12人が傷害を負った。刑事手続では、一審無罪、控訴審死刑、上告棄却を経て死刑判決が確定し、その後も再審請求が続いている。

表 名張毒ぶどう酒事件の概要

項目内容
事件名名張毒ぶどう酒事件
発生日時1961年3月28日、20時頃
発生場所三重県名張市葛尾76番地・薦原地区公民館葛尾分館
会合生活改善クラブ「三奈の会」の総会に続く懇親会
被害女性出席者20人のうち17人がぶどう酒を飲用。5人が死亡し、12人が有機燐中毒症による傷害を負った。
原因となった飲料三線ポートワイン(ぶどう酒)
検出された毒物TEPP(有機燐系殺虫成分)
通常審1964年:津地方裁判所で無罪判決。1969年:名古屋高等裁判所で逆転死刑判決。1972年:最高裁判所が上告棄却。
再審の経過2005年に再審開始決定。翌2006年の異議審で取り消され、その後も再審請求が重ねられた。
近年の申立て奥西勝は2015年に死亡。妹の岡美代子を請求人とする死後再審が申し立てられ、2026年1月22日に第11次再審請求。

出典:〔J1/J3/J5/L1/C1/C8〕(本文の参考資料番号)

事件直後の『伊勢新聞』と主要三大紙報道の流れ

事件直後の『伊勢新聞』及び朝日・読売・毎日の主要三紙には、捜査対象者、供述の変化、送検及び起訴に至る経過が報じられた。『伊勢新聞』3月31日付は奥西楢雄、奥西勝、石原利一の3人を重要参考人とし、楢雄を三奈の会の「前会長」、勝をその親戚に当たる「元会長」、石原を20歳の会員と紹介した。控訴審判決では事件当日の楢雄が会長、勝は当時の役員ではない会員とされている。〔B5・3月31日/J1・第一(一)(6)〕

表 事件直後の『伊勢新聞』報道の推移(1961年)

掲載日報道内容
1961年3月31日奥西楢雄、奥西勝、石原利一の3人を重要参考人と記載。楢雄を「前会長」、その親戚の勝を「元会長」、石原を20歳の会員と紹介。
4月2日楢雄と勝が4月1日朝から任意出頭したと報道。事件当日の夕方、チヱ子が夫から「飲むな」と告げられたと話したとの情報を伝え、集落の婚姻・姻戚関係なども記述。
4月3日チヱ子がぶどう酒に乳状物を入れるのを目撃したという勝の供述と、妻の単独犯とする捜査本部の判断を報道。4月2日16時50分からの勝宅捜索及び1.8リットル瓶の押収を伝えるが、捜索に係る被疑者は明記されていない。
4月4日勝自身が犯行を認めたとし、「三角関係の清算」を動機として報道。前日付の妻の犯行とする報道から、犯行主体と供述内容が変化。
4月5日4日夕方に名張署が勝を殺人・殺人未遂容疑で書類送検し、5日に身柄送検したと報道。犯行を裏付ける物証の不足にも言及。
4月25日4月24日21時55分の津地検による起訴を報道。塩田検事正が警察と地元住民の協力に謝意を表明したこと、物証の不足を記載。
4月28日起訴後も物証がないまま公判に進む旨を報道。

資料:『伊勢新聞』各日付の記事〔B5〕。報道中の「千恵子」は、本文では控訴審判決の氏名表記「奥西チヱ子」に従った。

表 主要三紙による事件直後の報道(1961年)

掲載紙掲載日報道内容
朝日新聞4月1日朝刊「王冠に歯型」と報じ、栓に関する捜査情報を掲載。後の控訴審判決は、四つ足替栓の傷について歯痕鑑定を取り上げた。
朝日新聞4月2日夕刊「妻が毒を入れた」とする勝の供述を報道。「単独犯行」説も伝え、妻に向けられた嫌疑を記事の中心に置いた。
読売新聞4月3日朝刊「犯人は元会長だった」「妻の犯行は崩れる」と報道。犯人と報じられた人物がチヱ子から勝へ移り、妻と交際相手をめぐる動機に言及した。
毎日新聞4月2日朝刊妻による毒物混入を見たとする勝の供述を報道。奥武則による同紙記事の引用に基づく。

各紙の報道では、妻・チヱ子による混入を述べたとする勝の供述が取り上げられ、その後、勝自身の犯行を報じる内容へと移った。『読売新聞』は4月3日付でこの転換を明示しており、『伊勢新聞』が4日付で報じた経過と、掲載日の違いがある。事件直後の報道で犯行主体とされた人物が変化したことは、各紙の記事を時系列に置くことで明確になる。〔B1・6~7頁/B5・4月3・4日/B6・4月2日/B7・4月3日〕

4月2日付では、楢雄と勝の任意出頭や、事件当日の夕方にチヱ子が夫からぶどう酒を飲まないよう告げられたと話したとの情報を報じた。同日付の記事では、集落内の婚姻・姻戚関係や住民同士の人間関係にも言及した。続く3日付は、チヱ子が乳状のものをぶどう酒に入れるのを見たという勝の供述を紹介し、捜査本部が妻の単独犯と断定したと伝えた。ところが4日付では、勝自身が犯行を認め、妻と交際相手との「三角関係の清算」が動機だったと報じられた。犯人とされた人物だけでなく、報じられた供述内容も変化した。〔B5・4月2~4日〕

2日付の集落描写と4日付の動機報道は、集落内の濃密な人間関係や姻戚関係という共通の背景を持つ。2日付の記事で取り上げられた住民同士の婚姻・親族関係は、後に報じられた「三角関係の清算」という犯行説明の伏線とも読める。〔B5・4月2・4日〕

また、3日付は、前日の4月2日16時50分から奥西勝宅で家宅捜索が行われ、毒物の容器とみられる1.8リットル瓶が押収されたと報じた。記事には捜索に係る被疑者の氏名がなく、勝、チヱ子、両名のいずれが被疑者であったのか、あるいは被疑者不詳であったのかは判別できない。控訴審判決には4月3日付の捜索差押許可状に基づく勝宅捜索が記されており、新聞が伝えた捜索の日付とは相違する。〔B5・4月3日/J1・第三・二〕

4月5日付以降には、勝の送検と起訴に加え、犯行を裏付ける物証がない旨の記述が続く。記事には「裏付けの瓶」という表現が繰り返し現れる。控訴審判決が引用する勝の自白は、100cc入りのニッカリンT瓶を名張川へ投棄したとするもので、警察が川を捜索しても瓶は発見されなかった。2024年の最高裁決定に付された宇賀克也裁判官の反対意見も、この瓶の不発見を自白の信用性に関わる事情として取り上げている。新聞が押収を報じた1.8リットル瓶と、川に投棄されたとする100cc入りの農薬瓶は異なる物品である。〔B5・4月3・5・25・28日/J1・第三・二/J4・宇賀反対意見17頁〕

裁判所の記録には、ぶどう酒瓶の内栓・外栓が3月29日に、封緘紙片が30日及び31日に発見された経過が記されている。『伊勢新聞』の当該記事には栓の傷や封緘紙の記述が見当たらないが、『朝日新聞』4月1日付は「王冠に歯型」と報じている。控訴審判決が歯痕鑑定を論じた対象は四つ足替栓であり、朝日新聞の「王冠」が具体的にどの栓を指すかは記事の表記から特定できない。事件直後の報道で取り上げられた物証には、紙面ごとの差があった。〔B5/B6・4月1日/J1・第一(十)(十一)/J4・2~3頁〕

4月25日付は、前日の起訴を受けた記者会見で、塩田検事正が「警察、地元の人たちが非常に真実発見に協力してくれたことを感謝している」と述べたことを報じた。この発言から、検察当局が地元住民の協力を事件捜査における重要な要素として受け止めていたことがうかがえる。記事には、協力した住民の範囲や具体的な行為までは記されていない。〔B5・4月25日〕

第1 葛尾集落の地理的構成及び生活基盤

葛尾の生活圏は、名張市側と奈良県山添村側にまたがっていた。行政上の所属を異にする家々は、生活改善組織である三奈の会を共同で構成し、同一の公民館に集まった。〔J1・第一(一)/R2〕

三重県立図書館が紹介する1960~1961年刊行の『名張の歴史』は、葛尾をもと一村とし、近世初頭には南葛尾・北葛尾に分かれていたと記す。2005年の奥武則の研究論文は、「三奈」の名称を三重と奈良に由来するものと説明する。〔R2/B1・4頁/J1・第一(一)(6)〕

名張市・山添村全域の人口と世帯数は国勢調査や自治体資料に、三奈の会の構成は控訴審判決に、葛尾の人口は当時の新聞記事や後年の研究・報道に基づく。各数値を出典とともに表1に示す。〔T1・第13表/T2・印刷2頁/J1・第一(一)(6)/B1/B2〕

1961年4月2日付『伊勢新聞』は、葛尾を19戸の集落とし、1戸当たりの田の所有面積を平均0.5ヘクタールと報じた。同紙は住民の婚姻・親族関係や人間関係にも言及している。控訴審判決にある名張側18戸・山添村側7戸は三奈の会の構成戸数であり、同紙の19戸とは集計の対象が異なる。〔B5・4月2日/J1・第一(一)(6)〕

表1 葛尾及び周辺地域の規模と三奈の会の構成

地域及び対象時点及び指標数値記載主体出典
名張側葛尾1961年・三奈の会の構成18戸控訴審判決J1・第一(一)(6)
山添村側葛尾1961年・三奈の会の構成7戸控訴審判決J1・第一(一)(6)
両側の葛尾1961年・三奈の会の基盤25戸控訴審判決J1・第一(一)(6)
三奈の会1961年・会員数男性12人・女性24人、計36人控訴審判決J1・第一(一)(6)
当夜の女性出席者1961年3月28日20人。飲用17人・非飲用3人裁判所の認定J1/J3・2頁
当夜の男女出席者1961年3月28日男性12人・女性20人、計32人後年の研究による整理B1・3頁等
名張市全域(1960年境域)1955年・組替人口31,487人1960年国勢調査表の組替値T1・印刷123頁
名張市全域1960年10月1日人口30,904人国勢調査T1・印刷123頁
山添村全域1960年10月1日人口6,807人・1,364世帯国勢調査及び自治体の遡及掲載T1・印刷134頁/T2・印刷2頁
山添村全域1960年・第1次産業就業人口比84.6%自治体の遡及掲載T2・印刷2頁
葛尾地区2021年特集による事件当時の説明人口110人東海テレビの報道B2
両葛尾1961年4月2日夕刊25戸・人口130人朝日新聞記事の引用B1・11頁
両葛尾2005年の研究論文による説明18戸+7戸・人口約140人研究論文B1・4頁

生活改善活動と地域組織

三奈の会は、住民の生活設備の改善に関わる団体であった。成城大学が2023年に刊行した研究資料集は、新生活運動協会『新生活通信』1958年2月号を出典として、同会が例会で前年の活動を振り返り、簡易水道、台所及び風呂場の改善を進めたと記録する。同欄では、改善の進捗を全戸の8割としている。〔B4・印刷1139頁〕

3月26日には準備役員会が開かれ、28日の年次総会では役員改選が行われた。役職には文化部長があり、控訴審判決には盆行事についての話も記されている。〔J1・第一(一)(6)(7)、(八)(5)、第二〕

就労及び交通の構成

控訴審判決によると、勝、チヱ子及びヤス子は波多野街道沿いの石切場へ働きに行っていた。酒と折詰の調達には農協職員の石原利一、酒と飼料の運送には薪炭商の神田赳が関わった。勝は農業と日稼ぎにも従事していた。〔J1・第一(一)(三)(八)、第二〕

同紙4月2日付は、奥西勝の家を集落の旧家とし、田と茶畑を所有しており、集落では中流以上の経済状況にあったと記している。〔B5・4月2日〕

山添村の沿革には、1956年の合併、1958年の有線放送電話施設完成、1965年の名阪国道開通及び1998年の県道奈良名張線片平・葛尾間の開通が記録されている。事件当日の移動には、貨物自動車、自転車、スクーター、バス、徒歩及び牛を伴うリヤカーが用いられていた。〔T3/J1・第二〕

第2 三奈の会の構成員及び関係者

三奈の会の会員同士には、夫婦、親子、兄妹、婚姻による親族、共同就労及び会の準備を通じた関わりがあった。会長宅では炊事と酒の受取りが、公民館では酒の搬入と会場準備が行われ、同じ人物が複数の場面に登場する。〔J1・第一(一)(五)(六)(八)、第二〕

会長宅は稲森民の実家でもあり、当日は稲森民が出産のため帰省しており、姑のゆうも訪れていた。ゆうの帰宅時に見送りへ出たのは、フミ子、民、久雄及び哲也である。〔J1・第一(五)、第二〕

図1 家族関係及び三奈の会における役割(クリックで拡大)

図1 家族関係及び三奈の会における役割

実線は家族関係又は会の構成を、破線は控訴審判決が認定した勝とヤス子の交際関係を表す。就労、炊事及び会場準備の分担は同判決の記載による。〔J1・第一(一)(五)(六)(八)〕

表2 会員及び当日の行動に関わる人物

氏名地域及び会における位置行動及び関係出典
奥西勝会員。事件当時35歳。事件当時の役員には該当しない。葛尾171番地に居住。農業と日稼ぎ。チヱ子の夫、政信・タツノの子、美代子の兄、勝久・久子の父。J1・第一(一)ほか
奥西楢雄三奈の会会長。葛尾159番地に居住。フミ子の夫、稲森民の兄。自宅が食事準備と酒の受取りの拠点となった。J1・第一(五)、第二/J3・3頁
石原利一会員、薦原農協職員。薦原農協に勤務。酒及び折詰の調達を担当し、楢雄と農協で接点を有する。J1・第一(三)、第二
神田赳薪炭商、貨物自動車の運転者。酒と鶏の飼料を同じ小型貨物自動車で運送した。J1・第一(三)、第二
稲森民(民子)楢雄の妹。楢雄宅が実家。ゆうは夫の母。J1・第一(五)、第二
稲森ゆう稲森民の姑。名張市比奈知に居住。J1・第一(五)、第二
奥西久雄・奥西哲也見送りに同行した子ども。帰路の哲也の行動は第3・表3に記載。J1・第二
神谷逸夫帰路の一行と出会った住民。牛及び藁を積んだリヤカーを伴う帰路に、見送りの一行と会話した。J1・第二
神谷花子路上で坂峰と会話した住民。共同倉庫前で坂峰を呼び止め、立ち話をした。J1・第二
林周子・副野清枝林酒店の関係者。酒店は薦生352番地。清枝が石原へ酒を販売。清枝は周子の弟の妻。J1・第一(三)
広島よし子東田原・広島屋の女主人。楢雄から依頼された折詰を石原へ渡し、その時刻を証言した。J1・第二
武田優行医師。スクーターで山添村広瀬方面へ往診中、見送りの帰路の一行と会話した。J1・第二
平井藤太郎・平井美子平井亭及び交際に関する供述に登場。平井亭は葛尾14番地、バス停付近の店。美子とヤス子の口論を控訴審判決が記載する。J1・第一(一)、第二
南田定一飼料の荷下ろし先の家の住民。自宅横の共同倉庫前で鶏の飼料13袋が荷下ろしされた。J1・第二
岡美代子勝の妹。事件当日に勝宅を訪問。2015年以降、死後再審の請求人となった。J1・第一(八)/J4・2頁
奥西政信・奥西タツノ、勝久・久子勝の父母及び勝とチヱ子の子。政信とタツノは勝の父母、勝久と久子は勝とチヱ子の子。家族の日常と当日の状況について供述した。J1・第一(一)(八)
岡村登会場準備に関する供述者。坂峰の準備行動に関する認定の証拠標目に供述が掲げられる。J1・第一(六)
北浦英夫・北浦モトエヤス子に関する記載及び証拠標目に登場。英夫はヤス子の夫。1959年7月1日頃に死亡したと控訴審判決が認定。モトエは証拠標目に登場する。J1・第一(一)

控訴審判決は、ヤス子と勝の交際、ヤス子と平井美子及び神谷すず子との口論、交際をめぐる噂と非難にも言及する。事件後の聴取では、会長宅の炊事、家族の見送り、立ち話及び飼料の荷下ろしをめぐる記憶が、酒の到着時刻を判断する供述となった。〔J1・第一(一)(八)、第二/B1・4頁〕

第3 3月28日の準備及び集落内の移動

当日の午後は、酒と折詰の調達、会長宅での炊事、親族の見送り及び公民館の準備が並行して進んだ。裁判では、それぞれの行動の前後関係を、時計、バス時刻、サイレン、日没及び後日の現場検証の結果と照合した。〔J1・第一(三)(五)(六)、第二〕

会長宅での保管時間

一審は、酒が会長宅へ届いたのはフミ子らがゆうの見送りに出る前の16時以前と認定し、公民館へ運ばれるまでの約1時間にも混入の機会があったとした。控訴審は受取りを見送りからの帰宅後と認め、16時45分頃~17時3、4分頃と推定した。検察官が主張した17時10分頃は、控訴審の推定時刻とは異なる。〔J1・理由冒頭、第二〕

時刻と移動に関する供述

夕刻の行動に関する供述は、会長宅の柱時計、岩屋公民館のサイレン及びバスの発時刻を基準としていた。控訴審は道路上の移動時間の検証と津地方気象台の日没証明も用い、各供述の前後関係を判断した。〔J1・第二〕

控訴審は、見送りの一行と武田医師との会話時刻に、買い物を経て会長宅へ戻るまでの所要時間を加え、酒の到着時刻の下限を求めた。一方、上限の推定には、酒を届けた車が共同倉庫前で飼料13袋を荷下ろしした後、坂峰と神谷花子が同所で会話したという順序を用いた。一審は荷下ろしの一行と坂峰らが互いに相手を見ていない点を検察官の時刻説と整合しないとみたが、控訴審は検証による移動・荷下ろしの所要時間から、坂峰の到着前に車は立ち去っていたと判断した。〔J1・第二(4)及びその後の検討〕

折詰について、一審は広島よし子の17時10分頃という受渡し証言を採用し、石原が同じ頃に会長宅へ酒を届けることはできないとした。控訴審は、事件から約8か月後の尋問における時刻の記憶と控訴審段階の供述を吟味し、その時刻の証言を信用しなかった。日没と農協からの自転車による帰宅時の明るさについても、広島の証言を採用すべき根拠とはならないと判断した。〔J1・第二末段〕

酒の公民館搬入に至る行動について、控訴審の罪となるべき事実は、17時20分頃に勝が会長宅へ立ち寄り、その後3本を公民館へ運んだとする。同判決の自白を検討する部分には17時15分頃とする記述もあるが、これは会長宅へ行った旨の勝の自白を、一審の判断理由として引用した箇所である。両記載は会長宅への立寄りを記しているが、前者は控訴審の認定、後者は自白をめぐる一審判断の引用である。〔J1・罪となるべき事実、第三・三/J3・1~2頁〕

表3 準備役員会から事件当夜の物品確保まで

日付及び時刻場所人物行為及び出来事資料及び出典
3月26日
準備役員会
公民館三奈の会役員・チヱ子総会の準備役員会。女子用ぶどう酒を出すかどうかは予算の関係で会長の奥西楢雄に一任。控訴審認定。〔J1・第一(一)(7)〕
3月28日
午後、14時頃/14時30分~15時頃という初期供述
林酒店石原利一、店側の関係者清酒2本とぶどう酒1本を購入した時刻について早い時刻の供述が存在。供述の存在を反対意見が記述。〔J4・反対意見15~16頁〕
3月28日
15時45分頃
奥西楢雄宅稲森ゆう帰宅しようとして玄関上り口小縁の柱時計を見た時刻。控訴審認定。〔J1・第二(1)〕
3月28日
15時45分頃以後~16時台
会長宅→平井亭前→家野方面フミ子、稲森民、稲森ゆう、久雄、哲也稲森ゆうを見送る。16時2分発名張行バスは停留所到着時に既に通過していたとされた。控訴審認定。〔J1・第二(2)~(4)〕
3月28日
16時以前
会長宅前石原利一、神田赳、フミ子酒3本を届けた時刻についての一審の認定。一審認定の引用。〔J1・第二冒頭(原判決の引用)〕
3月28日
16時30分頃~遅くとも16時45分頃
魚商山下芳男宅の西70~80m付近武田優行医師、フミ子、稲森民ら往診途中の医師と出会い立ち話をしたとされた。控訴審認定。〔J1・第二(4)及びその直後〕
3月28日
見送りの帰路
山下宅・平井亭・波多野橋フミ子、稲森民、久雄、哲也、神谷逸夫魚の缶詰・油揚げ、菓子を購入。橋付近で牛をつないだリヤカーを伴う神谷逸夫に会い、哲也が乗せてもらったとされた。控訴審認定。〔J1・第二(4)〕
3月28日
16時45分頃~17時3、4分頃
会長宅前石原利一、神田赳、フミ子小型貨物自動車の助手席窓から、石原がフミ子に酒3本を手渡したとする控訴審の到着時刻の幅。控訴審の詳細な推定。〔J1・第二末段〕
3月28日
酒の受取り後
会長宅フミ子、井岡百合子、チヱ子酒は玄関上り口小縁の西端付近へ。フミ子は土間続きの炊事場で食事の準備に加わったとされた。控訴審認定。〔J1・第一(五)〕
3月28日
17時のサイレン直後
坂峰宅→北浦宅付近→共同倉庫前坂峰冨子、北浦ヤス子、神谷花子役員の坂峰が自宅を出て会場方面へ。途中でヤス子、続いて花子と会話したとされた。控訴審認定。〔J1・第二・坂峰の行動(1)~(3)〕
3月28日
17時6分頃以後という控訴審の計算
共同倉庫前坂峰冨子、神谷花子自宅から約6分を要したという検証から、坂峰の到着は早くとも17時6分頃と推定。検証に基づく控訴審推定。〔J1・第二〕
3月28日
17時10分頃という検察官の主張
会長宅前石原利一・神田赳・フミ子酒3本が会長宅へ届いた時刻について、検察官が主張した時刻。検察官の主張。〔J1・第二末段〕
3月28日
17時10分頃という証言
東田原・広島屋広島よし子、石原利一広島が石原へ折詰を渡したとする一審証言。証言/採否に対立。〔J1・第二冒頭と末段〕
3月28日
17時20分頃に会長宅へ立寄り、その後搬入
会長宅→公民館奥西勝、フミ子、坂峰冨子勝が酒3本を運び、囲炉裏の間の流し前の板敷きに置いた。坂峰は一足遅れて来たとされた。控訴審認定/後の決定も要約。〔J1・罪となるべき事実、J3・1~2頁〕
3月28日
酒搬入後~17時30分頃より前という認定
公民館↔会長宅坂峰冨子、勝、石原房子坂峰が机を並べ、雑巾を取りに会長宅へ往復。戻る途中に房子と出会い一緒に来館。控訴審・再審決定の認定。〔J1・第一(一)(8)、(六)、J2・7~8頁、J3・3~4頁〕
3月28日
17時30分頃以降
囲炉裏の間・奥の会場会員ら会員が集まり始め、囲炉裏周辺などで総会を待つ。坂峰は机拭き、房子は掃除、勝は火を焚いて湯を沸かしたとされた。裁判所認定。〔J1・第一(六)、J3・3頁〕
3月28日
17時50分頃
奥西勝宅チヱ子、岡美代子妹の美代子が訪ね、チヱ子に会ったとされた。チヱ子は出発前に翌日の弁当のおかずを用意。控訴審認定。〔J1・第一(八)(2)~(4)〕
3月28日
18時12分
気象上の日没時刻—津地方気象台の証明による日没時刻が時間評価に用いられた。公的証明を判決が引用。〔J1・第二末段〕
3月28日
夕方
薦原農協→葛尾石原利一、奥西楢雄両人はそれぞれ自転車で帰宅。農協から公民館まで約2,720m、後日の検証で石原の走行は約25分。控訴審認定・後日の検証。〔J1・第二末段〕
3月28日
19時頃
公民館・会場の間三奈の会会員役員改選のための年次総会を開催。裁判所認定。〔J3・3頁、J1・第一(一)〕
3月28日
総会中
会場の間↔囲炉裏の間チヱ子、遅れて来た会員らチヱ子が遅れて来た者に挨拶するため囲炉裏の間へ出たとの認定。遅参者は囲炉裏の間を通る。再審決定の認定。〔J2・6~7頁〕
3月28日
20時頃、懇親会の準備
囲炉裏の間会長、会長の妻、包み紙を取った人物包み紙が取られ囲炉裏へ。妻から頼まれた会長が内栓を手でねじって抜いたとされた。再審決定の認定。〔J3・3頁、J4・7頁〕
3月28日
20時頃以後
懇親会の席女性会員20人、男性会員ら女子用ぶどう酒を湯呑茶碗に分ける。女性17人が飲用、3人は飲まなかった。男性側は清酒。裁判所認定/当時の検査報告。〔J1・罪となるべき事実、J3・2頁、L1・89頁〕
3月28日
乾杯から数分後
公民館飲用した女性17人中毒が発生し、5人が死亡、12人が傷害を負った。当時の検査報告/裁判所認定。〔L1・89頁、J3・2頁〕
3月28日
21時40分頃
公民館濱秋蔵巡査部長、長谷川嗣郎巡査来場し、三線ポートワインの空瓶を領置した。当夜の報告書・領置調書を判決が引用。〔J1・第一(十一)〕

第4 ぶどう酒の製造及び受渡し

事件で供されたぶどう酒は、製造所、卸売店、酒店、会長宅及び公民館を順に経由した。清酒2本とともに購入された1本のぶどう酒について、各段階の取扱者と保管場所が、判決と検査担当者の報告に残されている。〔J1・第一(三)(五)(六)/L1〕検査担当者の報告は、本件の酒を白ぶどう酒と記載している。〔L1・89頁〕

銘柄は容量1.8リットルの三線ポートワインである。控訴審判決によれば、大阪の西川洋酒醸造所の西川善次郎が1960年12月17日に仕込み、1961年1月16日に瓶詰めしている。名張市中町の梅田英吉商店を経て、1月20日頃、薦生の林酒店へ卸された30本のうちの1本であった。〔J1・第一(三)(1)〕一審判決の転載では1960年12月7日を製造日としており、控訴審が示す仕込日とは日付と工程の表現が異なる。〔J7・製造及び流通に関する認定部分〕

3月28日午後、石原利一は林酒店で、副野清枝から清酒2本とぶどう酒1本を購入した。神田赳が運転する小型四輪貨物自動車の助手席に乗り、酒3本を膝の上に抱えて会長宅へ向かった。林酒店から会長宅までの道のりは約2.6キロメートルと一審判決に、所要時間は約7分と控訴審判決に記されている。石原は助手席の窓からフミ子へ酒を渡し、フミ子は玄関上り口の小縁の西端付近に置いた。〔J7・製造及び流通に関する認定部分/J1・第一(三)(五)〕

会長宅の炊事場にはフミ子、チヱ子及び井岡百合子がいた。フミ子は酒の運搬を勝に依頼し、勝は3本を公民館の囲炉裏の間へ運んだ。控訴審は、会長宅での受取りから勝による搬出までの他者の接触を否定し、公民館で勝が一人となった約10分間を混入機会と認定した。〔J1・第一(五)(六)、第二/J2・5~8頁〕

図2 酒の運搬及び当日の生活圏(クリックで拡大)

図2 酒の運搬及び当日の生活圏

酒店から会長宅への酒の運搬、会長宅と公民館の間の受渡し、親族の見送り及び農協からの帰宅経路。距離及び時間は、判決が採用した供述と検証の記載による。〔J1・第一(三)、第二〕

表4 製造から飲用及び検査までの受渡し

段階場所及び経路物品の移動及び状態取扱者及び同席者出典
製造及び瓶詰め大阪・西川洋酒醸造所三線ポートワイン1.8リットル。製造者・西川善次郎。J1・第一(三)(1)
卸売名張市中町・梅田英吉商店から薦生・林酒店へ林酒店へ卸された30本中の1本。製造者、卸売者及び酒店を経由。J1・第一(三)(1)
購入林酒店清酒2本とぶどう酒1本を販売。売渡し・副野清枝。受取り・石原利一。林周子は店主側の関係者。J1・第一(三)/J4・反対意見15~16頁
車両による運搬林酒店前から楢雄宅前へ酒3本を助手席で保持。神田赳が運転。石原は助手席で酒3本を膝上に抱えた。J1・第一(三)、第二
受取り及び保管会長宅前の道路から玄関上り口小縁西端へ車上から手渡し、玄関小縁で保管。受取り及び配置・フミ子。炊事場にフミ子、井岡百合子及びチヱ子。J1・第一(五)、第二
公民館への搬入会長宅から公民館・囲炉裏の間へ酒3本を流し前の板敷きに配置。依頼・フミ子。運搬・勝。坂峰冨子が後続。J1・第一(五)(六)、罪となるべき事実
館内での保管囲炉裏の間・流し前の板敷き総会前から懇親会の準備まで保管。1997年決定は持出しの形跡を否定。勝、坂峰及び房子が準備。その後、会員が順次来館。J1・第一(六)/J2・5~7頁
包装の除去及び開栓囲炉裏の間開宴頃に包み紙が外され、囲炉裏に入れられた。会長が妻の依頼で内栓を手でねじって抜いた。開栓・楢雄。包装担当者はJ3ではF、J4ではAの匿名表記。J3・3頁/J4・7頁
配膳囲炉裏の間から懇親会の各席へ女性会員用のぶどう酒が湯呑茶碗に分けられた。女性出席者20人の席へ供された。J1・罪となるべき事実/J3・2頁
飲用及び残液懇親会女性17人が飲用し、3人は飲用しなかった。飲み残り180ミリリットルが検査に供された。飲用者及び非飲用者の氏名は女性参加者一覧に記載。J1・罪となるべき事実/L1・89頁
確保及び検査公民館、警察、三重県衛生研究所28日21時40分頃に瓶を領置。飲み残り、患者の吐物・尿、折詰及び同一ロットの対照酒を検査。警察官・濱秋蔵、長谷川嗣郎。衛生研究所の検査担当者。J1・第一(十一)/L1・89~92頁

第5 公民館内の配置及び開宴

会場は名張市葛尾76番地の薦原地区公民館葛尾分館であった。総会の会場となる奥の間と、酒を置いた囲炉裏の間が障子で仕切られ、囲炉裏の間の西隣には四畳半の間があった。〔J1・第一(一)(六)(十)/J3・1~3頁〕

図3 公民館各室の位置関係及び証拠物の発見箇所(クリックで拡大)

図3 公民館各室の位置関係及び証拠物の発見箇所

室相互の位置関係、酒の保管場所及び開口部は判決の記載による。内栓と外栓は3月29日、大きい封緘紙片は30日、小さい封緘紙片は31日の発見記録に対応する。〔J1・第一(六)(十)/J3・3頁〕

1997年最高裁決定は、坂峰が最初の来館の際に勝の後から入った旨を述べた一方、勝は概ね坂峰の二回目の来館に同行した旨を述べたと記す。同決定は前者を採用し、坂峰が会長宅へ往復した間、勝が約10分間一人で在館したとの認定を維持した。〔J2・7~8頁〕

会場と囲炉裏の間は障子で仕切られ、会場東南隅の囲炉裏寄りに約1枚分の開口があったと認定されている。1997年最高裁決定は、総会中に遅参者が囲炉裏の間を通り、チヱ子が挨拶のため中座したことを、会場からの見通し及び混入機会の検討に用いた。〔J1・第一(六)(2)/J2・6~7頁/J3・3頁〕

判決にいう四つ足替栓は内栓、耳付冠頭は外栓であり、封緘紙及び包み紙はそれぞれ別の物品である。開宴時には包み紙が外されて囲炉裏へ入れられ、楢雄が妻の依頼により内栓を手でねじって抜いた。2010年及び2024年の最高裁決定の多数意見は、その時点で瓶口に外栓と封緘紙がなかったと認定する。2024年の宇賀反対意見は、事件後早い段階に、封緘紙が巻かれていたと思う旨を述べた者が3人いたと指摘した。〔J1・第一(十)/J3・3頁/J4・7頁、反対意見15頁〕

表5 公民館の室及び設備

場所判決及び決定の記載出典
公民館の所在地名張市葛尾76番地、薦原地区公民館葛尾分館J1・第一(一)(6)、J3・1~2頁
囲炉裏の間囲炉裏、流し、流し前の板敷き。酒3本は板敷きに置かれたとされた。J1・第一(一)(9)、(六)
奥/会場の間総会の会場。机を並べて準備し、19時頃から総会、20時頃から懇親会。J1・第一(六)、J3・3頁
会場と囲炉裏の間の境障子で仕切られ、総会中は会場の東南隅の囲炉裏寄りに約1枚分の開口があったとの認定。J1・第一(六)(2)、J3・3頁
西隣の四畳半囲炉裏の間の西隣。火鉢の灰から内栓を発見したとされた。J1・第一(十)(1)
東北隅の押入れ囲炉裏の間の東北隅、片開き戸のある押入れ下段奥から外栓を発見したとされた。J1・第一(十)(2)
裏側の軒下囲炉裏の間の裏側、屋外から小さい封緘紙片を発見したとされた。J1・第一(十)(4)
玄関・便所1997年決定は、遅参者が囲炉裏の間を通ること及び便所に関する行動を記載。2024年反対意見は、玄関へ掃き出したという供述を記載する。J2・6~7頁、J4・反対意見18頁

第6 飲用後の発症及び被害

懇親会では男性側に清酒、女性側にぶどう酒が供された。女性出席者20人中17人がぶどう酒を飲用し、3人は飲用しなかった。中毒は飲用した17人に発生し、そのうち5人が死亡した。控訴審判決は5人が公民館で死亡したと認定し、飲用者、非飲用者及び死亡者の氏名を列挙している。〔J1・罪となるべき事実/J3・2頁/L1・89頁〕

表6 女性参加者20人の飲用・被害及び人物情報

氏名飲用及び結果役割及び人物関係判決が掲げる医療資料等出典
奥西チヱ子
34歳
飲用・死亡勝の妻。会員で、準備役員会に出席。会長宅で料理の準備をし、総会当夜に文化部長へ選ばれたとされた。控訴審が死亡を認定。J1・第一(二)、罪となるべき事実
北浦ヤス子
36歳
飲用・死亡会員。勝・チヱ子と同じ石切場へ働きに行っていたとされた。夫英夫は1959年に死亡。勝との関係は判決による認定。舟木治の解剖鑑定を判決が引用J1・第一(二)、罪となるべき事実
奥西フミ子
30歳
飲用・死亡会長楢雄の妻。会長宅で酒を受け取り、食事を準備。勝へ酒の運搬を依頼したとされた。舟木治の解剖鑑定及び桝田敏明の検案書を判決が引用J1・第一(二)、罪となるべき事実
中嶋登代子
36歳
飲用・死亡会員。会場準備の後、他の会員とともに来館したとの記載がある。桝田敏明の死体検案書を判決が引用J1・第一(二)、罪となるべき事実
新矢好
25歳
飲用・死亡会員として懇親会に出席。桝田敏明の死体検案書を判決が引用J1・第一(二)、罪となるべき事実
福岡二三子飲用・中毒・生存会員として懇親会に出席。診断書作成者:桝田敏明J1・第一(二)、罪となるべき事実
坂峰冨子飲用・中毒・生存役員。机を並べ、会長宅へ雑巾を取りに往復した。診断書作成者:上久保康夫J1・第一(二)、罪となるべき事実
井岡百合子飲用・中毒・生存会長宅の炊事場で食事を準備した。診断書作成者:桝田敏明J1・第一(二)、罪となるべき事実
伊東美年子飲用・中毒・生存会員として懇親会に出席。診断書作成者:上久保康夫J1・第一(二)、罪となるべき事実
植田民子飲用・中毒・生存会員として懇親会に出席。診断書作成者:桝田敏明J1・第一(二)、罪となるべき事実
神谷すず子飲用・中毒・生存ヤス子との口論を控訴審が認定。診断書作成者:上久保康夫J1・第一(二)、罪となるべき事実
広岡操飲用・中毒・生存会員として懇親会に出席。診断書作成者:上久保康夫J1・第一(二)、罪となるべき事実
中井文枝飲用・中毒・生存会員として懇親会に出席。診断書作成者:上久保康夫J1・第一(二)、罪となるべき事実
石原房子飲用・中毒・生存坂峰の帰路に出会い同行。囲炉裏の間を掃除し、勝・坂峰と話した。診断書作成者:桝田敏明J1・第一(二)、罪となるべき事実
高橋一己飲用・中毒・生存会員として懇親会に出席。診断書作成者:上久保康夫J1・第一(二)、罪となるべき事実
今井艶子飲用・中毒・生存朝日新聞初報では、山添村葛尾に居住する農業従事者として記載。〔B1・3頁〕診断書作成者:桝田敏明J1・第一(二)、罪となるべき事実
浜田能子飲用・中毒・生存会員として懇親会に出席。診断書作成者:野村和男J1・第一(二)、罪となるべき事実
岡村清子非飲用・中毒なし会員として出席し、ぶどう酒を飲用しなかった。非飲用・中毒なし。J1・第一(二)、罪となるべき事実
南田栄子非飲用・中毒なし会員として出席し、ぶどう酒を飲用しなかった。非飲用・中毒なし。J1・第一(二)、罪となるべき事実
中井やゑ非飲用・中毒なし会員として出席し、ぶどう酒を飲用しなかった。非飲用・中毒なし。J1・第一(二)、罪となるべき事実

死亡者の年齢は、判決記載の生年月日に基づく1961年3月28日時点の満年齢である。〔J1・罪となるべき事実〕

判決冒頭が引用する公訴事実は、福岡二三子について全治まで1か月以上を要する瀕死の重態、他の11人について入院加療数日から1か月程度の重軽症と述べている。これに対し、控訴審は、生存者12人に早急な治療が加えられ、約10~20日の加療を要する有機燐中毒症を負ったと認定した。〔J1・理由冒頭、罪となるべき事実〕

判決及び公訴事実の氏名表記には、中嶋登代子と中島登代子、坂峰冨子と坂峰富子、高橋一己と高橋一巳、中井やゑと中井八重という異同がある。人物表の表記は、控訴審の最終的な認定部分による。〔J1/B2〕

第7 証拠物の収集及び捜査の推移

事件当夜、警察は公民館でぶどう酒瓶を確保し、翌日以降、栓及び封緘紙の探索、会員の聴取、酒と患者由来の検体の検査を進めた。〔J1・第一(十)(十一)、第三/L1/B1〕

公民館内外の探索

瓶の領置に続き、警察は囲炉裏の灰、便所の肥つぼ、火鉢、押入れ、壁際及び軒下を探索した。内栓、外栓及び二つの封緘紙片は、別の日又は別の場所で発見されたと控訴審判決は記している。これらの発見場所は、後の再審で自白の信用性をめぐる争点にもなった。〔J1・第一(十)~(十二)〕

検体の分析及び嫌疑の形成

三重県衛生研究所は、衛生部及び上野保健所から毒物検索の依頼を受け、飲み残りのぶどう酒180ミリリットル、患者の吐物及び尿、折詰、同一ロットの対照酒を調べた。検査担当者が1962年に公表した報告は、検体を淡黄色透明、異臭及び沈殿物なしと記述する。対照酒との比較、毒性試験、ペーパークロマトグラフ及び赤外線吸収スペクトルによる分析を経て、有機燐系殺虫成分TEPPを検出した。〔L1・89~92頁〕

表7 事件直後の物品確保及び捜査

日時場所担当者及び関係者発見及び調査内容記載主体及び出典
3月29日公民館内外名張署・県警鑑識課・捜査第一課現場の証拠物収集。囲炉裏の灰、便所の肥つぼまで捜索したと判決は記述。裁判所認定。〔J1・第一(十二)〕
3月29日11時30分頃囲炉裏の間西隣の四畳半、火鉢の灰西井辻博巡査四つ足替栓を発見したとされた。裁判所認定。〔J1・第一(十)(1)〕
3月29日16時頃囲炉裏の間東北隅、押入れ下段奥菊地武巡査部長耳付冠頭を発見したとされた。裁判所認定。〔J1・第一(十)(2)〕
事件後の検査三重県衛生研究所ほか衛生部・上野保健所・検査担当者衛生部・上野保健所の依頼により、残酒、患者由来の検体、食品及び対照酒を検査した。当時の検査担当者の報告。〔L1・89~92頁〕
3月29日夕刻の聴取として30日朝刊が報道名張署会長ほか会員十数人参考人として呼び事情を聴いたと毎日が報じた。当時報道の引用経由。〔B1・4頁(毎日3月30日朝刊の引用)〕
3月30日12時30分頃囲炉裏の間、片開き戸取付部から約56cm東南の壁際中北正一巡査部長ほか1人大きい封緘紙片を発見したとされた。裁判所認定。〔J1・第一(十)(3)〕
3月31日14時15分頃囲炉裏の間裏側の軒下川合長生巡査部長(一審の「川谷」表記を控訴審が訂正)小さい封緘紙片を発見したとされた。裁判所認定。〔J1・第一(十)(4)〕
3月31日朝刊新聞紙上捜査本部・新聞社朝日はテップ剤検出を、毎日は愛情関係に関する捜査の見方を報じた。当時報道の紹介経由。〔B1・5~6頁〕
4月1日夜の供述として4月2日朝刊が報道名張署/新聞紙上勝・捜査関係者毎日は妻による混入を見たという勝の供述を報道。4月2日夕刊の朝日は、その供述の裏付けが得られていない面を伝えた。当時報道の引用経由。〔B1・6~7頁〕
4月2日奥西勝宅岡田徳夫ら捜索差押許可状による家宅捜索。保管場所とされた農薬類の箱からニッカリンT瓶は発見できなかったとされた。裁判所認定。〔J1・第一(七)〕
4月2日頃以後取調べ勝・取調官勝が自己の犯行とする供述を始めたと判決は記述。供述経過を裁判所が記述。〔J1・第三冒頭〕
4月3日名張署ほか勝・警察逮捕。警察官立会いの記者会見・謝罪文朗読も裁判所の検討対象となった。逮捕日は後年説明/会見の存在は裁判所記述。〔B3、J1・第三冒頭〕
4月21日~24日検察の取調べ勝・検察官一部否認、再度の自白、全面否認という経過を控訴審は記述。4月24日付否認調書の存在は最高裁も記載。供述経過の記述。〔J1・第三冒頭、J2・6頁〕
4月24日津地裁への起訴検察官・勝殺人・殺人未遂で起訴されたと後年の事件説明が記載。後年の説明。〔B3〕

4月3日付『伊勢新聞』は、前日16時50分からの勝宅捜索で1.8リットル瓶が押収されたと報じた。被疑者の氏名は記事に記されていない。控訴審判決には4月3日付の捜索差押許可状に基づく勝宅捜索が記されており、両資料の捜索日時には相違がある。勝の自白に現れる、名張川へ投棄したとする100cc入りニッカリンT瓶は捜索でも発見されなかった。この農薬瓶は、事件当夜に公民館で確保されたぶどう酒瓶や、翌日以降に発見された栓・封緘紙片とは別の物品である。〔B5・4月3・5・25・28日/J1・第一(七)(十)(十一)、第三・二〕

初報の人数と時刻について、奥武則が引用する朝日新聞記事は、18時頃、参加31人、女性19人と報じていた。その後の裁判所資料は、19時頃の総会、20時頃の懇親会及び女性20人を認定している。〔B1・3頁/J3・3頁〕

第8 通常審における認定の変遷

通常審では、酒の到着時刻、混入場所、栓の傷及び自白をめぐる証拠評価が、一審と控訴審で分かれた。津地裁の無罪判決は名古屋高裁で破棄され、控訴審の死刑判決は最高裁の上告棄却によって確定した。〔J1/J5〕

一審は、会長宅での保管中を含む酒への接触機会、栓の鑑定及び自白の信用性について、検察側の立証を採用しなかった。動機に関する自白については、夫婦間の贈答、手紙及び関係者の供述等に照らし、妻とヤス子の両人を殺害するほど追い詰められていたとは認めなかった。〔J1・原判決理由の引用、第三・一/R1〕

控訴審は、妻チヱ子と交際相手ヤス子との関係の処理に窮し、両人を殺害して清算しようとしたと認定した。前夜に農薬を竹筒へ移し、当日、公民館で一人になった間に所持していたニッカリンTを混入したとした。一審が動機の評価に用いた夫婦間の贈答にも言及したが、関係の悪化を重視した。〔J1・罪となるべき事実、第三・一、二/J3・1~2頁〕

控訴審が採用した有罪認定の根拠は、混入場所と機会に関する情況証拠、四つ足替栓の傷に関する歯痕鑑定及び自白であった。勝の農薬所持と供述は、使用製品をニッカリンTと特定する根拠とされた。〔J1・第一(四)(七)、第三/J2・2~3頁〕

「怪文書」の提出と控訴審での証拠採用報道

1969年3月31日付『毎日新聞』は、名張毒ぶどう酒事件の控訴審をめぐり、「八年ぶり『怪文書』を新証拠に 奥西被告の有罪立証か」と報じた。問題となったのは、事件当日の1961年3月28日付とされ、奥西フミ子に農薬の見本を渡したとする内容を含む手紙である。同紙によれば、この手紙は一審で弁護側から証拠提出の申出がなされたものの、その後取り下げられていた。〔B8・3月31日〕

同紙は、検察側が手紙を再調査し、奥西勝による偽装工作を示す証拠として取り上げたと伝えた。翌4月1日付には「問題の手紙を採用」との見出しがあり、控訴審における証拠採用が報じられている。一度は弁護側が提出を求め、取り下げた文書を、後に検察側が別の立証目的から提出した経過である。〔B8・3月31日・4月1日〕

同年9月10日、名古屋高等裁判所は、混入機会に関する情況証拠、栓の傷及び自白を主要な根拠として有罪を認定し、一審の無罪判決を破棄して奥西勝に死刑を言い渡した。〔J1・第三〕

第9 再審請求における毒物・物証及び自白の評価

再審請求では、事件当日の人物配置と酒の取扱いをめぐり、新たな鑑定や供述が提出された。争点は、TEPPの検出と使用製品の特定、栓の傷と個人識別、封緘紙と開栓場所、さらに自白と物品の発見状況が一致するかという点に及んだ。〔J2/J3/J4/J6〕

TEPPの検出とニッカリンTの特定

TEPPは殺虫成分の名称であり、ニッカリンTはTEPP等を含む農薬の製品名である。事件当時の検体分析ではTEPPが検出され、確定判決は農薬の所持状況と勝の自白を踏まえて使用製品をニッカリンTと認定した。〔L1/J1・第一(二)(七)/J3・1~2頁〕

第7次再審請求で弁護側が提出した鑑定は、ニッカリンTを添加した対照検体のペーパークロマトグラフに現れるRf値0.58のスポットをTriEPP、すなわちトリエチルピロホスフェートに対応するものとし、事件検体でこれが検出されなかったことを重視した。弁護側は、この検出差から、混入されたものが別のテップ製剤であるとの疑いを主張した。また、赤色着色料フクシンを含む製剤であれば酒が赤くなるはずであるとの実験も提出した。〔J3・8~13頁〕

2010年4月5日、最高裁は、2006年異議審が示した抽出効率や希釈についての解釈では、検出差を合理的に説明できないとして、追加の科学的検討を求め、異議審決定を取り消して差し戻した。着色に関する新実験については条件相違等を挙げ、証拠価値を認めなかった。〔J3・8~15頁〕

差戻し後には、TriEPPはエーテル抽出されず、その前駆物質PETP、すなわちペンタエチルトリホスフェートは抽出され得るという見解が採用された。事件検体と対照検体とで分解の進行等が異なり、対照側では抽出後にTriEPPが生じたとするものである。2013年の最高裁はこの説明を合理的と認めた。2024年の多数意見もこれを支持し、弁護側の再現試験については結果に影響する条件が一致していない等と判断した。弁護側は塩析等の条件も争った。〔J6・2~4頁/J4・9~10頁〕

衛生研究所の報告は、採取後の検体に異臭がなかったとする。一方、奥武則が引用する朝日新聞初報には、今井艶子が飲用時に石油臭を感じたとする談話がある。2024年の宇賀反対意見も、少なくとも6人の石油臭の供述と三共テップの臭気に言及した。〔B1・3頁/L1・89頁/J4・反対意見19~20頁〕

栓の傷及び封緘紙

第5次再審請求では、栓の傷を勝の歯に結び付ける鑑定が争われた。1997年1月28日の最高裁決定は、個人を特定する証明力が大幅に減殺されたと認めた。同決定は、人歯痕である可能性等も踏まえ、混入場所及び機会に関する情況証拠と自白を総合して有罪認定を維持し、特別抗告を棄却した。第7次では栓の足の折れ曲がりが歯によるものかも争点となった。〔J2・2~3頁/J3・5~7頁〕

弁護側は、同形の瓶と栓等を用い、封緘紙を破らずに開栓し、別の場所で混入した後に再び閉栓できるとの実験を提出した。2010年最高裁は、実験は抽象的な開栓の可能性を示すにとどまると判断し、開宴時の瓶口の状態、外栓及び封緘紙の破断状態等から、公民館での事前開栓及び混入という認定を維持した。〔J3・2~5頁〕

第10次では、製造時に用いられたCMC糊のほかPVA糊が封緘紙に付着しているとする鑑定が提出された。弁護側は、開栓及び混入の後に封緘紙が貼り直されたと主張した。2024年の多数意見はPVAの識別根拠等に疑問を示し、再審開始を認めなかった。宇賀反対意見は鑑定に高い信用性を認め、公民館における混入機会の限定及び自白の信用性に合理的な疑いが生じるとした。〔J4・3~8頁、反対意見11~17頁〕

自白と物品の対応

確定判決は、勝の自白が具体的で他の証拠と符合するとして信用した。自白には、100cc入りニッカリンT瓶を事件当日の朝に名張川へ投棄したことや、農薬を移した竹筒を囲炉裏で焼却したことが含まれていた。警察は川を捜索したが、瓶は発見されなかった。一審はこうした不発見を自白への疑問として挙げ、控訴審は河川の水流、岩石、濁りなどから不発見だけでは自白を否定できないと判断した。2024年の宇賀反対意見は、10日間、延べ200人以上の捜索でも瓶が発見されなかったことを改めて指摘した。弁護側は、供述の変遷、農薬瓶及び竹筒の不発見、灰等の検査結果及び心理的圧迫を根拠として、任意性と信用性を争った。第10次では心理学的観点からの鑑定書等も提出した。2024年の多数意見は自白の信用性を認め、宇賀反対意見は不発見、不検出及び発見場所等との不整合を指摘した。〔J1・第三・二、三/J2・8~10頁/J4・3、10~11頁、反対意見17~20頁〕

計画の予測可能性についても評価は分かれた。控訴審は、準備役員会の事情を知るチヱ子が、ぶどう酒の提供を予想して勝に伝えたと推定した。2024年の宇賀反対意見は、提供の決定は当日であり、勝が運搬の依頼及び単独在館の時間をあらかじめ予測できたとは考え難いとして、自白を疑問視した。〔J1・第一(一)(7)、第三・二/J4・反対意見18~19頁〕

酒の所在・物証及び自白の結合

2024年決定の多数意見は、歯痕による個人特定の証明力低下を踏まえ、混入機会に関する情況証拠と自白を有罪認定の主な根拠とした。他方、宇賀反対意見は、封緘紙の糊に関する鑑定や酒の到着時刻の初期供述等を挙げ、公民館内での混入機会を限定できるか疑問を呈した。〔J4・2~3頁、反対意見11頁以後〕

図4 酒の所在・物証及び自白の認定上の関係(クリックで拡大)

図4 酒の所在・物証及び自白の認定上の関係

上段は確定判決及び2024年多数意見が示す認定の関係、下段は弁護側の主張と再審での判断を表す。TriEPPの検出差は、弁護側が製品特定を争った根拠である。〔L1/J1/J2・2~3頁/J3・9~15頁/J6・2~4頁/J4・2~3、9~11頁、反対意見11~20頁〕

表8 確定判決の認定と弁護側の主張

争点確定判決の認定弁護側の主張及び証拠一審及び再審における判断出典
動機妻と交際相手を殺害して関係を清算しようとしたと認定。夫婦関係の悪化等を重視。通常審で犯行を否認し、動機の立証及び自白の信用性を争った。一審は、夫婦の贈答、手紙及び関係者の供述等から、両人を殺害するほど追い詰められたとは認めず、動機の自白を信用しなかった。J1・第三・一
毒物の製品名所持農薬と自白等からニッカリンTを認定。第7次:対照検体で検出されたTriEPPが事件検体では検出されず、別のテップ製剤の疑いがあるとする鑑定を提出。第10次でも再現試験等により製品特定を争った。2010年は科学的検討を尽くしていないとして差戻し。2013年は抽出・分解過程による説明を合理的と認めた。2024年多数意見も支持し、再現試験の条件相違等を指摘。J3・9~15頁/J6・2~4頁/J4・9~10頁
酒の色及び臭い使用毒物をニッカリンTと認定。第7次:フクシンを含む製剤なら酒が赤くなるとする実験等を提出。第10次異議審以後は、石油臭の供述及び別製品との臭気の違いも根拠とした。2010年は着色実験の条件相違等から証拠価値を認めなかった。2024年宇賀反対意見は、少なくとも6人の石油臭供述と三共テップの臭気の説明を自白への疑問として挙げた。J3・8~9頁/J4・反対意見19~20頁
保管時間及び機会会長宅での保管等を検討し、混入機会を公民館で勝が単独在館した約10分間に限定。会長宅に置かれた時間帯にも機会があると争った。再審では初期供述、関係者の行動及び瓶口の状態等から、場所・機会の限定を争った。一審は会長宅での保管中にも機会を認めた。1997年・2010年は確定判決の機会認定を維持。2024年宇賀反対意見は早い購入・到着時刻の初期供述等を再検討。J1・第二/J2・5~8頁/J3・3~5頁/J4・反対意見15~17頁
封緘紙を破断しない開栓公民館で封緘紙を破断して開栓し、その際に混入したと認定。第7次:同形の瓶と栓等を使う実験から、別の場所で封緘紙を破らずに開栓・混入し、再び閉栓できた可能性を主張。2010年は、実験は抽象的な可能性を示すにとどまるとし、開宴時の瓶口、外栓及び封緘紙の状態等から、公民館での事前開栓・混入の認定を維持。J3・2~5頁
糊及び貼り直し封緘紙の発見状況等から、公民館内での開栓・混入を認定。第10次:製造時のCMC糊とは別のPVA糊の付着を示す鑑定を提出し、混入後に封緘紙を貼り直した可能性を主張。第7次の開栓実験とは別の証拠・説明。2024年多数意見はPVAの識別根拠等に疑問を示した。宇賀反対意見は鑑定に高い信用性を認め、場所・機会の限定と自白の信用性に合理的な疑いが生じるとした。J4・3~8頁、反対意見11~17頁
栓の傷四つ足替栓の傷を勝の歯によるとする鑑定等を、有罪認定に使用。第5次以後:傷の比較鑑定等により、勝個人への結び付けを争った。第7次では栓の足の折れ曲がりが歯によるものかも争った。1997年は個人特定の証明力の大幅な減殺を認めた上で、機会と自白等から有罪認定を維持。2024年多数意見は、主な根拠を機会に関する情況証拠と自白に整理。J2・2~3頁/J3・5~7頁/J4・2~3、10頁
自白及び物品具体性と他の証拠との符合から自白を信用。農薬瓶の廃棄、竹筒の焼却等も自白に含まれる。供述の変遷、農薬瓶・竹筒の不発見、灰等の検査結果及び心理的圧迫等から任意性・信用性を争った。第10次では心理学的観点の鑑定書等を提出。一審は動機・準備・実行の自白を信用せず。1997年・2024年多数意見は信用性を維持。2024年宇賀反対意見は不発見・不検出及び発見場所等との不整合を指摘。J1・第三/J2・8~10頁/J4・3、10~11頁、反対意見17~20頁
準備及び事前予測女子会員用飲料への混入を計画し、前夜に農薬を竹筒へ移したと認定。妻からの役員会の情報伝達を推定。自白の準備・実行の整合性を争う過程で、酒の提供決定、運搬依頼及び一人になる時間を事前に予測できたかを問題とした。2024年宇賀反対意見は、提供は当日決定であり、運搬や単独在館を予測できたとは考え難いとして、自白を疑問視。J1・第一(一)(7)、第三・二/J4・反対意見18~19頁

第10 再審手続の推移及び関係者の経過

通常審の上告棄却後、奥西勝は再審請求を重ねた。2015年に本人が死亡した後は、妹の岡美代子が請求人となり、第10次、第11次を申し立てた。〔J3/J4/J6/C1/C8〕

2005年から2013年までの再審開始、取消し、差戻し及び特別抗告棄却は、同一の第7次再審請求における手続であった。検察官の異議により2006年に取り消された対象は2005年の再審開始・死刑執行停止決定であり、2010年に最高裁が取り消した対象は2006年の異議審決定であった。差戻し後の2012年には2005年決定が改めて取り消され、再審請求が棄却された。2013年の最高裁による特別抗告棄却で2012年の判断が維持され、第7次の手続は終了した。2002年4月の申立てから約11年半に及び、この間、再審公判は開かれなかった。〔C4/J3/J6/C1〕

表9 通常審及び再審請求の経過

年月日手続判断及び出来事出典
1964年12月23日通常審・第1審/津地裁無罪判決。裁判長・小川潤。J1の原判決引用、R1、C1
1969年9月10日通常審・控訴審/名古屋高裁一審判決を破棄し、死刑。裁判長・上田孝造。J1、J5、J2・2~3頁
1972年6月15日通常審・上告審/最高裁第一小法廷上告棄却判決。控訴審の死刑判決が確定に至る。J5、C1
1973~1976年第1~4次再審請求/名古屋高裁奥西本人が請求を重ね、いずれも棄却されたと後年の事典は記す。C14「第一次~第六次再審請求」
1977年5月18日第5次再審請求/名古屋高裁請求申立て。日弁連の支援を受ける。C14、C1、C5
1988年12月14日第5次・請求審/名古屋高裁再審請求を棄却。C14
1993年3月31日第5次・異議審/名古屋高裁異議申立てを棄却。C14
1997年1月28日第5次・特別抗告審/最高裁第三小法廷特別抗告を棄却。J2・3頁以後
1997~2002年第6次再審請求1997年1月30日申立て。1998年に請求棄却、1999年に異議棄却、2002年4月8日に最高裁で特別抗告棄却とされる。 当時の警察署長のノートに記された供述等が争点となった。C14
2002年4月10日第7次再審請求/名古屋高裁請求申立て。C14、J3、C2
2005年4月5日第7次・請求審/名古屋高裁刑事第1部再審開始と死刑執行停止を決定。裁判長・小出錞一。 検察官が異議を申し立てた。C1、C4、C10、裁判長名はC14
2006年12月26日第7次・異議審/同高裁刑事第2部検察官の異議を認め、2005年の再審開始・死刑執行停止決定を取り消し、請求を棄却。裁判長・門野博。C4、C1、裁判長名はC14
2010年4月5日第7次・第1回特別抗告審/最高裁第三小法廷2006年の異議審決定を取り消し、使用毒物に関する新証拠の科学的検討を求め、名古屋高裁へ差戻し。J3・主文及び毒物に関する判断、J6・2頁
2012年5月25日第7次・差戻し後の異議審/名古屋高裁刑事第2部差戻し後の鑑定結果等を踏まえ、2005年の再審開始・死刑執行停止決定を改めて取り消し、再審請求を棄却。裁判長・下山保男。C1、J6・2~3頁、裁判長名はC14
2013年10月16日第7次・第2回特別抗告審/最高裁第一小法廷2012年の差戻し後異議審決定に対する特別抗告を棄却。第7次の手続が終了。J6
2013年11月5日第8次再審請求/名古屋高裁請求申立て。C1
2014年5月28日第8次・請求審/名古屋高裁刑事第1部請求棄却。C1
2015年1月9日第8次・異議審/同高裁刑事第2部異議申立て棄却。C1
2015年5月15日第8次の取下げ/第9次再審請求特別抗告を取り下げ、同日、第9次を申し立てた。 日弁連は本人の体調を考慮したと説明する。C1
2015年10月4日第9次再審請求中奥西勝が八王子医療刑務所で死亡。89歳。 死因は当時の報道で肺炎とされた。死亡日はJ4・2頁、場所・年齢・係属中の請求はC7、死因はC13
2015年10月15日第9次/名古屋高裁本人死亡に伴う手続終了決定。C1
2015年11月6日第10次再審請求/名古屋高裁妹の岡美代子を請求人として死後再審を申し立てる。C1、請求人の続柄はJ4・2頁
2017年12月8日第10次・請求審/名古屋高裁刑事第1部請求棄却。C1、J4
2022年3月3日第10次・異議審/同高裁刑事第2部異議申立て棄却。裁判長・鹿野伸二。C5、C1
2024年1月29日第10次・特別抗告審/最高裁第三小法廷特別抗告棄却。宇賀克也裁判官は再審開始を求める反対意見。J4
2026年1月22日第11次再審請求/名古屋高裁岡美代子を請求人として申立て。鈴木泉が弁護団長として会見。C1、C8

裁判担当者の関与及び後年の発言

一審裁判長の小川潤について、国立国会図書館の文献調査は、官報に基づく退官及び公証人任免の情報、門脇康郎の2013年のインタビュー記事、東海テレビ取材班の同年の書籍を挙げている。〔C11〕

2005年の再審開始決定に関与した元裁判官の伊藤納は、2026年2月7日の講演で、審理当時の先行判断及び証拠開示の難しさを回顧したと報道された。伊藤の関与は再審請求審である。〔C12〕

第11 事件後の支援活動及び地域社会

事件後も、長期の弁護活動、本人との面会及び文通、署名活動並びに妹の岡美代子による死後再審請求が続いた。葛尾では、生存被害者及び事件後の世代が、被害の記憶と出身地に対する社会の視線を、それぞれの言葉で述べている。〔C2/C6/J4/B2〕

弁護団及び支援者の活動

愛知県弁護士会の2023年11月号において、鈴木泉は、面会や文通、新証拠・意見書・鑑定を協議する会議を続けていると述べた。日弁連による実費等の支援も、その活動を支えていた。〔C2〕

表10 支援及び弁護活動の経過

時期主体及び活動記録された内容出典
1973年日弁連の調査・組織埼玉弁護士会の2005年声明は、日弁連人権擁護委員会に名張事件委員会を設置したと記載。C10
1977年・第5次請求から日弁連・地元弁護士会日弁連が再審支援を決定。愛知県弁護士会会員が多数参加し、同会も支援。C1、C5
2015年6~9月/9月24日提出署名活動と特別面会人アムネスティ日本が署名を集め、稲生昌三とともに名古屋高検へ3,267筆提出したと活動報告。 稲生は同年10月4日の共同通信報道にも談話を寄せた。C6/C7
2023年11月号の取材時点継続的な弁護実務鈴木は月1回の会議、面会と文通、意見書・新証拠の検討を説明。選任届上37人、会議参加約20人と報告。C2

生存被害者及び地区住民の回想

2021年、東海テレビの取材に応じた高橋一己は94歳で、1961年の女性飲用者一覧に名前のある生存被害者だった。ぶどう酒の飲用量は多くなかったが命を落としかけたという趣旨で、当夜の被害を回想した。〔B2/J1・罪となるべき事実〕

同特集で取材された葛尾区長の南田耕一は64歳で、事件当時は4歳であった。南田は当時の記憶を持たなかったが、葛尾出身と述べにくい思いと、子や孫へ事件を引き継がず、自分たちの世代で区切りを付けたいとの考えを語った。奥武則が引用する1961年4月2日付朝日新聞夕刊及び4日付同紙朝刊は、親族関係及び土地との結び付きによって集落を説明していた。〔B2/B1・11頁〕

弁護団長の死

鈴木泉は1983年に弁護団へ加入し、2002年の第7次再審請求から団長を務めた。2026年1月22日の第11次申立てでも弁護団長として会見した。同年8月3日、79歳で死亡し、所属事務所は8月7日付で訃報を公表した。加入から43年、団長就任から24年を経た時点であった。〔C2/C8/C3/C9〕

死刑囚の死

 1969年、名古屋高等裁判所は奥西勝に死刑を言い渡した。1972年、最高裁判所が上告を棄却し、死刑判決が確定した。

それから43年――。

奥西は再審を求め続けた。2005年には再審開始が決定されたものの、その決定は取り消された。幾度となく繰り返された再審請求のなかで、男は年老い、病に冒された。

2015年10月4日、奥西勝は八王子医療刑務所で死亡した。89歳だった。死因は肺炎と報じられた。第9次再審請求の審理中だった。

本人の死によって、その再審手続は終了した。しかし、同年11月、妹の岡美代子が死後再審を申し立てた。

司法は死刑を確定させたが、男はその判断を問い続けた。死後は家族が、その問いを引き継いでいる。その歳月を通じ、日本の司法制度が抱える矛盾もまた、問われ続けてきた。

男は、死刑囚のまま、医療刑務所で死んだ。だが、男の問いは今も生き続けている。

参考資料

本文及び図表の出典は、裁判所の判決・決定、検査担当者の報告、公的統計、自治体資料、活動主体の記録、研究論文及び報道である。各資料の種別と参照先は、以下のとおりである。

J1 1969年9月10日・名古屋高裁判決、昭和40年(う)78号↩ 本文へ

一次資料本文の非公式転載。名古屋高裁判決本文。事件当日の行動、人物、物品の受渡し、原判決の理由及び供述の記載。

参照先 https://minorusan.net/l/名古屋高等裁判所 昭和40年(う)78号 判決

J2 1997年1月28日・最高裁第三小法廷決定、平成5年(し)40号↩ 本文へ

裁判所公開の一次資料。最高裁第三小法廷決定。栓の鑑定、公民館内の行動及び自白の信用性。

参照先 https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-50148.pdf

J3 2010年4月5日・最高裁第三小法廷決定、平成19年(し)23号↩ 本文へ

裁判所公開の一次資料。最高裁第三小法廷決定。第7次再審請求、開栓方法、毒物及び差戻しの理由。

参照先 https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-80086.pdf

J4 2024年1月29日・最高裁第三小法廷決定、令和4年(し)206号↩ 本文へ

裁判所公開の一次資料。最高裁第三小法廷決定。第10次再審請求、多数意見及び宇賀克也裁判官の反対意見。

参照先 https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-92687.pdf

J5 1972年6月15日・最高裁第一小法廷判決、昭和44年(あ)2560号↩ 本文へ

裁判所公開の一次資料。最高裁第一小法廷判決。通常審の上告棄却。

参照先 https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-59449.pdf

J6 2013年10月16日・最高裁第一小法廷決定、平成24年(し)268号↩ 本文へ

裁判所公開の一次資料。最高裁第一小法廷決定。第7次再審請求の差戻し後の鑑定及び特別抗告棄却。

参照先 https://www.courts.go.jp/assets/hanrei/hanrei-pdf-83659.pdf

J7 1964年12月23日・津地裁判決の非公式転載↩ 本文へ

一次資料本文の非公式転載。ネットワーク自警団掲載「小川潤裁判長名判決 名張毒ぶどう酒事件 津地裁昭和39年-2」。製造日付及び林酒店から会長宅までの運搬距離に関する一審判決の記載。

参照先 https://blog.livedoor.jp/ok_law-jikei/archives/1078556958.html

L1 渥美三千里ほか「ブドウ酒中のTEPPの検出ならびに分解について」↩ 本文へ

当時の検査担当者による一次報告。三重県衛生研究所。食品衛生学雑誌3巻1号、1962年、89~92頁。1961年11月30日受付。DOI 10.3358/shokueishi.3.89。

参照先 https://www.jstage.jst.go.jp/article/shokueishi1960/3/1/3_1_89/_article/-char/ja

T1 総理府統計局・昭和35年国勢調査報告、第1巻・第13表↩ 本文へ

1960年国勢調査の原表。昭和35年国勢調査報告第1巻第13表。名張市は印刷123頁、山添村は印刷134頁。

参照先 https://www.e-stat.go.jp/en/stat-search/file-download?fileKind=2&statInfId=000007914892

T2 山添村過疎地域自立促進計画(2014年公開ファイル)↩ 本文へ

自治体による国勢調査の遡及掲載。1960年の山添村人口、世帯数及び第1次産業就業人口比を遡及掲載。印刷2頁。

参照先 https://www.vill.yamazoe.nara.jp/life/wp-content/uploads/2014/07/kaso26.pdf

T3 山添村「沿革」↩ 本文へ

自治体による沿革資料。山添村の成立、有線放送電話施設及び道路開通の沿革。

参照先 https://www.vill.yamazoe.nara.jp/life/about/enkaku

R1 島根県立図書館「名張毒ぶどう酒事件の一審判決が見たい。」↩ 本文へ

公的な原資料所在案内。津地裁1964年12月23日判決の掲載先を案内。判例時報401号、1965年4月1日、6~35頁。

参照先 https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000097422&page=ref_view

R2 三重県立図書館「葛尾集落が名張と山添にまたがった顛末」↩ 本文へ

公的な地域史の文献調査。『名張の歴史』上巻1960年323~324頁、下巻1961年34頁を紹介。南葛尾・北葛尾の来歴。

参照先 https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000323720&page=ref_view

B1 奥武則「推定有罪―『犯罪報道』のアポリア」↩ 本文へ

2005年の研究論文・新聞記事の引用を含む。社会志林52巻3号、2005年、1~32頁。1961年当時の新聞記事を引用し、初報及び地域の報道を分析。DOI 10.15002/00021019。

参照先 https://hosei.ecats-library.jp/da/repository/00021026/52-3oku.pdf

B2 東海テレビ「新たに出てきた供述調書…『名張毒ぶどう酒事件』から60年」↩ 本文へ

後年の取材報道。東海テレビ2021年5月14日掲載の特集。高橋一己及び南田耕一への取材。

参照先 https://www.tokai-tv.com/newsone/corner/20210506nabaridokujiken.html

B3 再審えん罪事件全国連絡会「三重・名張毒ぶどう酒事件」↩ 本文へ

支援団体による後年の説明。事件の経過、逮捕日及び起訴日に関する支援団体の記録。

参照先 https://www.saishin-enzai.net/incident/011.html

B4 小島孝夫研究代表「生活改善諸活動データベース」研究成果報告書↩ 本文へ

2023年の研究資料集・1958年刊行物の記録を採録。成城大学、2023年3月31日刊行の研究資料集。『新生活通信』1958年2月号に基づく三奈の会の記録を印刷1139頁に収録。

参照先 https://www.seijo.ac.jp/research/institution/publications/jtmo420000015oo6-att/kakenhoukokusho20230331.pdf

B5 『伊勢新聞』1961年3月31日、4月2~5日、4月25日及び4月28日付↩ 本文へ

事件直後の同紙による報道記録。重要参考人、供述及び犯人報道の変化、集落の婚姻・人間関係に関する描写、勝宅捜索、「裏付けの瓶」と物証不足、送検・起訴、検事正の会見を扱う。参照した各記事には栓の傷・封緘紙に関する記述がない。

B6 『朝日新聞』1961年4月1日朝刊・4月2日夕刊↩ 本文へ

同紙の紙面複写。4月1日付の「王冠に歯型」と、4月2日付の勝が妻による混入を述べたとする供述の報道。

B7 『読売新聞』1961年4月3日朝刊↩ 本文へ

同紙の紙面複写。「犯人は元会長だった」「妻の犯行は崩れる」とした初期報道。

B8 『毎日新聞』1969年3月31日・4月1日朝刊↩ 本文へ

同紙の紙面複写。控訴審における「怪文書」の提出と、問題の手紙の証拠採用に関する報道。

C1 日本弁護士連合会「名張毒ぶどう酒事件」↩ 本文へ

支援主体自身の事件経過・活動説明。日弁連による名張事件の再審支援及び手続経過の記録。

参照先 https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/deathpenalty/q12/enzainabari.html

C2 愛知県弁護士会「私の弁護士人生と名張毒ぶどう酒事件~鈴木泉会員~」↩ 本文へ

本人へのインタビュー・会報2023年11月号。愛知県弁護士会会報2023年11月号。鈴木泉への取材による加入、団長就任及び弁護活動の記録。

参照先 https://www.aiben.jp/about/library/kaihou202311-08.html

C3 鈴木泉法律事務所「【訃報】鈴木泉弁護士 逝去のお知らせ」↩ 本文へ

所属事務所による一次的な訃報。所属法律事務所による2026年8月7日付訃報。鈴木泉の死亡日を同月3日と記載。

参照先 https://www.suzuki-izumi.com/topics/news/675/

C4 札幌弁護士会「名張毒ぶどう酒事件に関する再審請求棄却決定についての会長声明」↩ 本文へ

同時期の弁護士会声明・2006年12月28日。2006年12月28日付声明。2005年再審開始決定及び2006年取消しの経過。

参照先 https://satsuben.or.jp/info/statement/2006/06.html

C5 愛知県弁護士会「名張毒ぶどう酒事件第10次再審請求異議審申立棄却決定に対する会長声明」↩ 本文へ

関与する弁護士会自身の声明・2022年3月3日。2022年3月3日付声明。再審支援の経過及び第10次異議棄却。

参照先 https://www.aiben.jp/opinion-statement/news/2022/03/post-67.html

C6 アムネスティ日本「奥西勝さんへのご支援・ご協力をありがとうございました」↩ 本文へ

実施団体自身の活動報告・2015年10月14日。2015年10月14日付活動報告。同年9月24日の署名3,267筆の提出及び稲生昌三の同行。

参照先 https://www.amnesty.or.jp/hrc/2015/1014_5627.html

C7 共同通信「名張事件の奥西死刑囚が死亡」琉球新報掲載↩ 本文へ

死亡当日の報道・2015年10月4日17時29分。共同通信、2015年10月4日配信。奥西勝の死亡場所、年齢及び稲生昌三の談話。

参照先 https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-249960.html

C8 東海テレビ「奥西元死刑囚の弁護団が11回目の再審請求申し立て」FNN掲載↩ 本文へ

申立て直後の取材報道・2026年1月23日。東海テレビ、2026年1月23日配信。前日の第11次再審請求及び鈴木泉の会見。

参照先 https://www.fnn.jp/articles/-/991449

C9 メ~テレ「名張毒ぶどう酒事件の弁護団長・鈴木泉弁護士(79)が死去」↩ 本文へ

所属事務所への取材報道・2026年8月4日。メ~テレ、2026年8月4日配信。鈴木泉の死亡及び年齢。

参照先 https://www.nagoyatv.com/news/index_amp.html?id=036635

C10 埼玉弁護士会「名張再審決定会長声明」↩ 本文へ

同時期の弁護士会声明・2005年4月7日。2005年4月7日付声明。日弁連の委員会設置及び再審開始決定。

参照先 https://www.saiben.or.jp/proclamation/000173.html

C11 国立国会図書館「一審を担当した小川潤という人物について」↩ 本文へ

公的な文献所在調査・2016年6月18日作成。国立国会図書館の2016年6月18日付レファレンス。門脇康郎『放送レポート』244号、2013年9月、2~6頁及び東海テレビ取材班の2013年の書籍85~89頁を紹介。

参照先 https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000199797&page=ref_view

C12 小石勝朗「元裁判官の伊藤納弁護士が講演」刑事弁護オアシス↩ 本文へ

2026年2月7日の講演を取材した報道・2月13日公開。小石勝朗、刑事弁護オアシス、2026年2月13日掲載。伊藤納の同月7日の講演を報道。

参照先 https://www.keiben-oasis.com/38548

C13 弁護士ドットコム「死亡した奥西死刑囚は一審無罪」ライブドアニュース配信↩ 本文へ

死亡後の取材報道・2015年10月16日。弁護士ドットコム、2015年10月16日配信。奥西勝の死因を肺炎とする報道。

参照先 https://news.livedoor.com/article/detail/10714837/

C14 江川紹子「名張毒ぶどう酒事件」日本大百科全書・コトバンク掲載↩ 本文へ

後年の事典解説・2018年4月18日等。江川紹子による事典解説。通常審及び初期の再審請求の経過。

参照先 https://kotobank.jp/word/名張毒ぶどう酒事件-1718865


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Jean-Baptiste Roquentinは、Albert Camusの『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartreの『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場する主人公の名を組み合わせたペンネームです。メディア業界での豊富な経験を基盤に、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルチャーなど多岐にわたる分野を横断的に分析しています。特に、未解決事件や各種事件の考察・分析に注力し、国内外の時事問題や社会動向を独立した視点から批判的かつ客観的に考察しています。情報の精査と検証を重視し、多様な人脈と経験を活かして幅広い情報源をもとに独自の調査・分析を行っています。また、小さな法人を経営しながら、社会的な問題解決を目的とするNPO法人の活動にも関与し、調査・研究・情報発信を通じて公共的な課題に取り組んでいます。本メディア『Clairvoyant Report』では、経験・専門性・権威性・信頼性(E-E-A-T)を重視し、確かな情報と独自の視点で社会の本質を深く掘り下げることを目的としています。

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note:社会問題を中心にしたエッセイ

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