
記事要約
2002年6月、岡山県津山市で医師夫人の高橋妙子さんが行方不明となり、夫名義の口座から現金約700万円が引き出された。監視カメラ映像から「チューリップハットの女」吉田好江と元タクシー運転手の男が浮上。好江は多額の借金を抱え、事件後に姿を消し、自殺とみられる遺体で発見された。元運転手も自殺し、車から妙子さんの血痕が検出されたが、遺体や現金の行方は不明。第三の犯人や黒幕説も取り沙汰され、事件は迷宮入りしたまま現在も捜査が続いている。
2002年6月、昼下がりの住宅街に、静かな断絶が訪れた。食卓には湯気を失った昼食、浴槽には注ぎ続ける水、点け放しのテレビ。その日、高橋妙子さんは「すぐ戻る」と告げて姿を消した。
白い帽子の女、引き出された七百万円、そして二人の容疑者の不可解な死。残されたのは、声の余韻と、行方も真相も呑み込む深い闇である。
事件概要
この章では、2002年6月に岡山県津山市で発生した「医師夫人連れ去り事件」の経過を、時系列に沿って整理する。
正午前の不可解な訪問者との接触(「真昼の訪問者」)、同日夕方に届いた謎の電話と現金引き出しの動き(「医師夫人連れ去り事件」)、監視カメラ映像を手がかりとした公開捜査(「公開捜査」)、浮上する二人の容疑者とその背景(「二人の容疑者」)、そして相次ぐ死と真相解明の行き詰まり(「幕切れ」)までを追う。
真昼の訪問者
2002年6月3日(月曜日)正午過ぎ、JR津山駅(岡山県)から北東に2.5kmの距離にある閑静な住宅街、岡山県津山市弥生町の自宅から、主婦の高橋妙子さん(当時54歳・以降妙子さん)が姿を消した。
失踪時、市内の病院で心療内科部長として勤務する夫の幸夫さん(当時59歳)は出勤しており、3人の子供たちが既に巣立った自宅に一人で居たと思われる、妙子さんの食卓にはほとんど手つかずの、一人分の昼食が並べられていた。テレビは点いたまま、浴槽に注ぐ水道の蛇口も開かれた状態であったという。
失踪直前にあたる正午前、自宅前の坂道で自転車を押して上る妙子さんの姿を見たと、近所の主婦が証言している。これは2025年7月現在、彼女の確実な最後の目撃情報となっている。
その時間帯、妙子さんは市内にある実親の家に、自宅から電話をかけていた。その内容は、先刻、年配男性(50歳代)と若い女性(20〜30歳代)の二人連れの訪問者があった事。彼らに、「以前、妙子さんのお父様(彼女の父親も医師であった)の世話になり、直接そのお礼を言いたい」と請われ、その住居を教えたというものであった。
岡山県津山市弥生町 GoogleMapストリートビュー(2013年2月撮影)
その頃の高橋家周辺で、外部からの来訪者についての目撃情報、悲鳴や不審な物音を聞いたという情報は出ていない。そして当日、教えられた住所へと何者かが訪れることも無かった。当時、犯罪といえば「数年前に車上荒らしがあった程度」という治安の良い地域であったという
医師夫人連れ去り事件
午後5時30分頃、幸夫さんが帰宅した。自宅に妻の姿は無く、家の中は前述の通り、彼女が急な外出を強いられた事実を示していた。帰宅後間もない午後5時40分頃には、公衆電話から妙子さん自身の声で連絡が入る。
――心配いりません、6時頃までには帰ります――
幸夫さんが即座に警察への通報や相談をしなかった所から見て、自宅には荒らされた形跡等、犯罪性を確信する為の材料は乏しかったものと思われる。しかし、家中の様子が普通ではなかった事もまた事実であり、幸夫さんは妻の居場所を独自に探し始めた。
その過程で、恐らくは義親から、午前中の訪問者についても聞き取ったと考えられる。義両親にも幸夫さんにも、件の二人連れについて心当たりは無かった。
帰宅時間とされた午後6時を過ぎ、午後7時を過ぎても、妙子さんの行方は掴めなかった。そんな中、午後7時20分頃、妙子さんのものと思われる声で、自宅の留守番電話にメッセージが吹き込まれている事(3回にわたって吹き込まれていたとも)に幸夫さんは気がついた。
やはり公衆電話からであるというその内容は、「車で連れまわされている。どこにいるのかわからない、岡山かもしれない。警察には言わないで」という不穏なものであった。
単純に警察への発覚を遅らせたかったのか、誰かが受話器を取れば何らかの交渉をさせるつもりがあったのか、そのメッセージの意図は不明であるが、これを最後に、妙子さんの消息は2025年7月現在まで完全に途絶えたままである。
メッセージを確認した幸夫さんは、津山警察署へ妙子さんの行方不明を届け出た。
警察は前後の状況と、妙子さんが自発的失踪に至る理由が乏しい事、自宅から幸夫さん名義のキャッシュカードが無くなっていた事が判明した事を受けて、金銭目的による連れ去りと判断、津山署内に捜査本部を設置すると共に、妙子さんの身の安全を考慮し秘密裏に捜査を開始した。
後日、津山署の捜査によって、このキャッシュカードの使用履歴から、妙子さんの失踪に関与したと思われる、所謂「チューリップハットの女」の、失踪当日である3日と翌4日朝までの行動がある程度解明されている。
6月3日の午後1時30分頃、弥生町から4kmほど離れた津山市内のATMで幸夫さん名義のキャッシュカードが使用され、50万円が引き出されていた。このATMは市内の青果・卸売市場の敷地内であって一見の者には分かりにくい場所にあり、犯人には、この地域について一定以上の土地勘があるものと思われた。
また、ATMの防犯カメラの映像からは、カードの使用者が白のトレーナー姿、頭には白い帽子(チューリップハット)を被った、20歳〜30歳代の若い女であったことが判明している。
幸夫さんが帰宅した午後5時30分頃には、卸売市場から車で1時間以上の距離のあるJR岡山駅前のATMから、やはり「チューリップハットの女」によって現金が引き出されていた。
女はオドオドと落ち着かない様子であったが、顔を隠しておらず午後1時半頃の女と同一人物であることが確認された。せめてもの変装のつもりなのか黒い服に着替えていた事が、やはり防犯カメラの映像から分かっている。
午後5時40分頃には前述の通り、妙子さんからの電話が自宅にかけられた。その後、妙子さんが留守番電話に「連れ回されている」旨のメッセージを吹き込んでいた時間帯、女はJR津山駅からJR岡山駅まで、公共交通機関を使って移動していた事が駅の監視カメラから判明している。
単独の犯人が現金引き出しとほぼ同時進行で、妙子さんを連れ回し、公衆電話での通話を強制する事が可能であるとは考えにくく、「チューリップハットの女」の年齢から見ても、正午前の訪問者二人が道案内と偽って彼女を連れ出し、役割分担をしていると考えるのが自然であった。
しかし、リアルタイムで二人の動きを捕捉する事は出来ず、3日の夜までには、JR岡山駅周辺の地方銀行の支店や都銀のATMから合計10回に渡って、幸夫さんがその口座に預けていたお金のほぼ全額である約700万円が既に引き出されてしまっていた。その現金の行方もまた、2025年7月現在に至るまで判明していない。
翌朝4日午前8時頃には、口座の貸付枠を狙ったのか、JR岡山駅地下街のATMから、「チューリップハット」姿ではないものの、赤い服に着替えた同じ女によって、更なる現金引き落としが試みられた形跡があった。
しかし、既に金融機関への盗難届が出ていた幸夫さんのキャッシュカードはATMに強制回収。カードからは夫妻以外の第三者の指紋が検出されている。
その後女の姿は、JR岡山駅で乗車券を購入したところまでが監視カメラによって捉えられている。乗車券は沿線の駅で回収され、付着した指紋はキャッシュカードの指紋と同一人物のものと分かったが、下車以降の足取りは掴めず、妙子さんからの更なる連絡や、犯人からの接触も無かった。
公開捜査
追跡の糸口を失った捜査本部は、8日夕方、「チューリップハットの女」の監視カメラ画像を含む個人情報を掲示し、公開捜査に踏み切った。
同時に新聞や週刊誌、TVといったマスメディアによる、『医師夫人連れ去り事件』の取材、報道攻勢が開始された。自宅周辺には報道カメラマンが連日市を成し、玄関先のインターホンには早朝から深夜まで、妻を連れ去られた夫のコメントを求める記者が群がった。
「チューリップハットの女」のカメラ画像は十分に捜査の役に立つ解像度があり、13日までには彼女についての情報(似た女を知っている。見た事がある等)がかなりの割合を占める118件の情報提供が齎された。
しかし、この時点ではまだ女の身元に繋がる手がかりは無く、津山署は市内で一万枚のチラシを配布。女が出入りしたATMのある津山市やJR岡山駅周辺を中心に情報提供を求める立て看板を設置した。幸夫さんの所属する医師会も、市内の病院にチラシを貼る等の協力体制を敷いている。
二人の容疑者
その成果が現れたのは6月22日。「チューリップハットの女」に酷似する鳥取県智頭市に住民票を置く女、吉田好江(当時33歳・以降、好江と記す)に、幸夫さんの口座から現金を窃盗した容疑による逮捕状を発行、彼女は全国に指名手配された。
好江は、数年前まで岡山県美作市の会社員男性のもとに嫁いでおり、おとなしく真面目、結婚後もフルタイムで工場に務める等、堅実な人物であると周囲や婚家からも評価されていたが、パチンコや競艇等のギャンブルによるとされる借金が発覚、それを理由に離縁された過去があった。
好江の借金のうち当人に自覚のあったおよそ500万円は、婚家と実家が折半して返済したが、その後も返済の督促が止むことは無かった。多重債務者の常ではあるが、もはや彼女自身にも借金の全容は把握できていなかったものと思われる。
働いていたとは言え高給取りであるとは思われない好江が負った負債は総額2千万円に達したといわれている。容易に想像できるように、その借金は安全な貸し主からのものばかりではなかったようである。
離婚後、好江は鳥取県智頭市の実家に戻っていたが、間もなく出奔した。当時の彼女は、数年前の父親の死去もあって精神の安定を失い、人生を悲観していた。万一の事態を案じた母親によって、事件の半年ほど前には警察に捜索願が出されている。
好江は事件が公開捜査となった翌日の6月9日、当時居住していた津山市内のアパートを引き払い、再び姿を消していた。その際には入居契約書や、大家へ入居時に提出していた運転免許証のコピーといった、筆跡や顔写真の分かる書類を回収している。
また、彼女の交友関係からは、ギャンブル仲間とされる元タクシー運転手の男性(当時52歳・以降、元運転手と記す)が浮上していた。
高校卒業以来約30年間、陸上自衛官として勤務したという元運転手もまた、自身の借金返済を巡って同僚の隊員に暴力をふるい除隊。その後故郷である岡山に戻り、津山市にあるタクシー会社に再就職していた。
しかし事件の1年ほど前には、「給料が安い」としてその会社も退職しており、当時は運転代行等の仕事を単発で引き受けていたようである。
元運転手は好江と共に津山市のパチンコ店で遊興する姿が何度も目撃されていた。それらの店舗の一つは、最初にATMから現金が引き落とされた青果・卸売市場に隣接する地域にも存在した。
事件が公開捜査となって1週間ほど経過した16日、彼は自宅で任意の事情聴取を受け、事件への関与一切を否定している。
元運転手は好江への逮捕状発行と同じ6月22日、自ら津山署に出頭して再度身の潔白を訴えた。しかし、同じ日に携帯電話で話した知人は、彼が妙子さんの失踪した6月3日のアリバイについて警察で聞かれた際、うまく説明が出来なかった事を打ち明けられている。また、好江との関係については、次のように話していたという。
パチンコ店で出会った『素性の知れない男』に紹介されただけ
出典:サンデー毎日2002年8月4日号
当時のパチンコ店には、サラ金(現在の消費者金融。当時は法整備が追いついておらず、強引な取り立てや高い利息で悪名高かった)や闇金融(無届業者、違法金利業者など)がたむろしていた。
この『素性の知れない男』の実在性はさておき、個人向け金融業者がギャンブル沼に堕ちた主婦や多重債務者に対し、パチンコ屋で実際に声をかけていた事が彼の発言の下敷きとしてあった事は確かであろう。
しかしながら、好江を「紹介された『だけ』」という発言は事実に反していた。家出した彼女を、知人を介してアパートの大家と引き合わせたのはこの元運転手であった。また、彼は好江の所有する車を売却する際の価格交渉も引き受けている。
定職に就く事が難しく、懐に余裕があったとはとても思われない好江が、元運転手から物心両面の支援を受けていた事は想像に難くないものの、その関係の詳細が明らかになる事は無かった。
幕切れ
6月24日朝。津山市山下にある鶴山公園(津山城)内で、木に掛けたロープで首を吊り、死亡している元運転手が発見された。その日の早朝、彼は家族に「仕事に行く」と言い残して外出していた。
彼が残した遺書は、自らの潔白を訴え、妙子さんとは面識が無いと主張するものであったが、タクシー会社勤務時代、妙子さんの父親を、勤務先の病院から自宅へと送迎した事がある事を認める文言が含まれていた。しかし後日、その所有する軽自動車の後部座席からは微量の血液が検出され、DNA鑑定の結果、それは妙子さんのものであることが判明する。
また、この車のナンバーは警察によって既にNシステム(自動車ナンバー読み取り装置)で照合されていたが、事件直後の6月4日、5日、この車両が、妙子さんの自宅がある津山市弥生町付近を通る中国自動車道、岡山県北部の新見市を通る国道180号を通行していた事が分かっていた。
岡山県新見市周辺(GoogleMap)北部には中国山地へと至る広大な山林が広がっている。
しかしながら、これらの物証と状況証拠だけでは事件の真相解明には程遠く、捜査は壁に突き当たった。
何より、妙子さんの行方について何一つ手がかりが得られないまま、彼女の運命を知る可能性がある数少ない人物の一人から、証言を得る機会が永遠に失われた。(後日、元運転手は、被疑者死亡のまま窃盗の容疑で書類送検。その後、やはり被疑者死亡による不起訴処分となっている)
好江と元運転手のペアは、6月3日午前に高橋家を訪問した二人連れとして年齢的に矛盾がなく、彼の所有する車の後部座席に妙子さんが乗せられた事実は間違いないとしても、Nシステムは車の運転者や同乗者、目的地まで特定できるものではない。
走行距離やタイヤ、車両内外の付着物から地域を特定しようという試みも頓挫し、市民による情報提供からも有用な情報は得られない中、もはや事件解決の望みは逃亡中の好江の身柄確保にかかっていた。
二人が分かれて行動していた時間帯がある以上、全面的な解明は望めないとしても、事件の発端は好江の負った借金である可能性があり、彼女は自らが事件について知っている事を証言する義務があると思われた。
好江は9日か翌10日、津山市のアパートを退去した後、手紙を投函していた。1通目はアパートの大家に宛てて部屋の鍵と電気代を同封したもの、2通目は実家の母親に宛てたもので、全文は公開されていないが、母親に心配をかけている事を詫びる言葉の他に、次の文言が含まれていたという。
男性へのお金のことで困っています。もうだめです
出典:2002年6月25日読売新聞
手紙には6月10日の消印が押され、6月11日か12日にはそれぞれの宛先に届けられたと思われる。
「男性へのお金」が単純に借金の返済を指すのか、元運転手との間に分け前で諍いが起きている事を意味するのか、あるいは彼が言う「素性の知れない男」に金銭を要求されているという事を示しているのか、それとも他の人間関係に纏わるものであるのかは不明である。
一方で、二人が捜査撹乱のために架空の第三者を創造し口裏を合わせている可能性も捨てきれない。好江がその後知人に連絡を試みたという不確かな情報も出たものの、彼女の消息もまた、6月9日以降ぷっつりと途絶えていた。
捜査本部は好江の追跡と並行して、Nシステムで元運転者の所有する車の通行が確認されていた岡山県新見市周辺の山林に妙子さんの「監禁場所」があると見て、捜査員と、特別鋭い嗅覚を持つ警察犬を派遣していた。同地域の千屋ダム、高瀬川ダムの湖底にはダイバーを投入したが、成果が得られる事は無かった。
懸命の捜索が続く中、事件の謎に永遠の幕が下りる日は非情にも目前に迫っていた。9月23日、岡山空港の北西部に広がる標高300m程の丘陵地帯、岡山市北区日応寺の山中で女性の白骨遺体が発見されたのである。発見者はキノコを採りに山へ入った地元の住民であった。
捜査員の聞き込みによって、地元住民が6月のある日、山へ入っていく「白い帽子の女」を目撃していた事が判明した。女は長袖シャツにズボン姿、リュックを背負った山歩き風の出立ちであった。
日応寺周辺は、自然公園等の観光地として整備された部分も多いが、彼女が目撃された一帯は限られた時期以外に、地元民以外、まして女性が1人で立ち入る事は稀であった為に住民の記憶に残ったようであった。公開捜査開始後、住民が県警に(恐らくは「チューリップハットの女」として)情報提供をしていたという話もある。
白骨はロープの結ばれた木の傍らで発見され、その死が首吊りによるものである事を示唆していた。周囲には白のチューリップハットやリュックも残されていた。
リュックの中身には財布や「生きることに疲れました」という遺書めいたメモが含まれており、1カ月かけて行われた歯型やDNAの鑑定から、遺体が好江のものである事が裏付けられた。所持金はたった数円を残すのみで、幸夫さんの口座から盗まれた現金等、事件に関連する手がかりは見つからなかった。
夏期の山中に置かれた為もあるだろうが、遺体は当初死後1年から3年と判断された程に分解が進行しており、それは彼女が6月9日のアパートの退去から、そう長くは生きていなかった事実を示しているように思われた。(彼女もまた被疑者死亡のまま窃盗の容疑で書類送検。その後、被疑者死亡による不起訴処分となった)
迷宮入り
好江の死によって、警察は彼女が今も妙子さんを生きたまま監禁しているのではという僅かな希望と共に、事件に幕を引く術もまた失った。
その後、捜査本部は情報収集先を県外(特に好江の実家があり、元運転手も趣味のゴルフ等でよく訪れたという鳥取県)や、猟犬と共に山林に踏み入れる地元や隣県のハンターにも広げ、毎年、津山市内でチラシ等を配布、情報提供を呼びかけ続けている。
警察も得られた情報に応じて、あるいは死亡した元運転手に土地勘があったと思われる、出身地である岡山県奈義町や、自衛隊演習地等の山林での捜索を度々実施しているものの、やはり妙子さんへの手がかりは見つかっていない。
妙子さんの夫である幸夫さんは、元運転手が捜査線上に浮上した際、彼へマスコミの取材が殺到した事で、自殺へと追い込んで真相解明を困難にしたのではないかという疑念を抱いていた。
幸夫さんのマスメディアへの不信は、元運転手の自殺だけではなく、プライバシー侵害を厭わない取材手法、度重なる誤報(事件直前、幸夫さんの勤務先を訪れた元運転手と思われる男に、病院スタッフが幸夫さん宅の住所を漏洩したと根拠なく報じた読売新聞の記事と、妙子さんと好江がパチンコ仲間であると虚偽を報じた京都新聞の記事)にも起因していた。
彼は事件から2年近くが経過した2004年3月11日、初の記者会見を開き、彼らに向けて憤りを表明すると同時に、妙子さんの発見のため、その強大な力を貸して欲しいと頭を下げた。
事件から7年、幸夫さんは僅かな望みに縋り、保険料の支払い等で妙子さんの社会的な居場所を維持してきたが、2009年の春、妻の失踪宣告審判を申し立て、同年確定した。彼はこの手続きについて以下のように発言している。
――(大意)妻は法的には死亡した。でも、事件の真相が分からなければ、居なくなったことを本心から受け入れる事はできない――
2012年4月。事件解決の見通しが立たないまま、妙子さんの失踪から10年となる日を目前にした幸夫さんは、「虚無的な10年だった」「将来の展望を持って生きていくことも自殺することもできない」「いつも孤独感と無力感に襲われている」と、その苦しい心の内を吐露する一方で、決意もまた表明している。
――10年経とうと、20年経とうと、僕の手で妻を弔ってやりたい――
2025年7月現在も、津山署の捜査本部は妙子さんの発見を目指し、捜査を続けている。(外部リンク:岡山県警ホームページ 津山市主婦行方不明事件)
手がかりとその検討
この章では、事件の捜査過程で浮かび上がった人物像や物証、そしてその解釈について整理する。
まず、被害者である高橋妙子さんの人物像と生活環境(「妙子さんについて」)を確認し、報道や証言の真偽を検討する。次に、二人の容疑者の背後に第三の関与者が存在した可能性(「第三の犯人について」)を考察し、犯行計画や金銭の行方に関する推測を提示する。
これらの手がかりを基に、事件全体を俯瞰し、未解明部分の輪郭を探る。
妙子さんについて
連れ去られた妙子さんについて分かっている事は多くはないが、父親も夫も医師であるという家庭環境以外は同世代の一般的な女性の大半と変わりなく、長年、多忙な医師の職務に専念する夫を支え、家事と育児を一手に引き受ける専業主婦であったようである。
一方で、近年は体調を崩す事が多く活動を控えていたが、市内の女声合唱サークル「水曜会」の主要メンバーの一人でもあり、決して家庭と近所付き合いの外に自分の世界を持たない人物ではなかった。
医師という職業は当時「聖職」として、本人のみならず、その家族にも一定の品格や社交性、親切心が求められる傾向が現在よりも強かった。
その妻がパチンコ屋に出入りするなどは界隈で恰好のゴシップ対象となっていた筈で、妙子さんと好江に、同好の士としての面識があったとする京都新聞の記事は誤りである可能性が高い。
そして、その収入や貯蓄に対しての幻想も存在した。勿論医師が高収入職の代表格である事は言うまでもないが、世の中はバブル景気の余熱から完全に抜け出せたとは言えない00年代であり、医師の銀行口座には億単位のお金が埋蔵されているという期待を抱いた何者かが忍び寄る危険性は常にあった。
しかし、2002年4月にはペイオフ制度が解禁され、預金の保護は1つの金融機関につき元本1千万円となっていた。この事は当時のTVニュース等で大きく取り上げられ、犯人も、リスク分散の為に預金がその範囲の金額に既に分割されている可能性について考えておくべきであっただろう。
第三の犯人について
尤も、この事件には二人の容疑者の他に黒幕がおり、彼(彼女)が回収したい金額は1千万円程度でも十分であった可能性がある。
黒幕存在説には一定以上の説得力がある。ATMから現金を引き出す役目を引き受けた好江には全く顔を隠す様子がなく、本人に自覚があったか否かはさておき、警察やマスコミの注目を引き付ける囮役であったことは明らかである。
そして、元運転手を首謀者とするにも腑に落ちない部分がある。彼は好江の交友関係から簡単に洗い出され、その経歴にも借金がらみの犯罪歴がある等「自分は潔白」の一点張りで警察の追及を逃れられるような身の上ではない。
何より、捜査線上に浮上するまでに事件発生から2週間程度はあったにも関わらず、車の処分や売却を試みた様子もない。
警察は彼と好江の事件後の金遣いの変化については徹底的に捜査したと思われるが、盗まれた700万円の行方については結局分からないままであった。
好江は元々気弱で真面目な性質であり、彼女を知る人々は誰もが、好江がこのような犯罪に加担するどころか、ギャンブルで2千万円の借金を作ったという事実すら信じ難いと口々にコメントしている。離婚前に相当額の返済を強いられた、婚家の元姑や元夫でさえも同様であった。
これは恐らく、当時はまだ借金の利息(特に複利)についての知識が一般市民には乏しかった為の誤謬であると思われるが、好江はこのような自らの無知と、ギャンブル中毒による転落人生を恥じており、残していく母親に督促が行かぬよう身を清め、この世から消えてしまいたいという破滅的な願望を抱いたとしても不思議ではない。
一方で、元運転手については家庭もあり、特に定職に就かずとも、時にはギャンブルやゴルフに興じ、好江にも生活資金を援助する程の経済的基盤があったようである。上手く行けば億単位の金が手に入るという誘惑があったとしても、極刑もあり得る犯罪に手を染める程追い詰められていたようには思われない。
真相考察
以下は、複数の仮定を積み重ねた筆者個人の独自解釈である。その点をご了承のうえ、お読みいただきたい。
医師夫人連れ去り計画
黒幕として、この計画に関与したその人物は好江に金を貸していた。既に彼女は安全な借金が出来るような立場には無く、何時ものようにあっという間に利息が膨れ上がっていった。
若い女性であれば然るべき所に送り込んで稼がせるというのが、こういった場合のお決まりのパターンなのだろうが、恋愛感情からか、それとも父性からか好江に肩入れしていた元運転手は、その代案として医師夫人の連れ去りを提案する。
元運転手はタクシー運転手時代に高橋家の家族構成や親戚関係についての知識を得ていた。病院スタッフが関与を否定し、根拠が無いとされた高橋さん宅の個人情報漏洩も、案外誤報では無かったのかも知れない。
好江は生きる気力を既に失っており、夜の街で元気に働けるような精神状態ではない。計画に実現性を見出した彼(彼女)は、いかにして安全圏から最大の利益を引き出すかについて考え始めた。
二人が、道案内と偽って連れ出した妙子さんから暗証番号を聞き出し、好江がATMからの現金引き出しの為に単独行動を開始した後、元運転手が熟練のドライバーであったとしても、ハンドルを握りながら後部座席の成人女性を長時間監視し続けるのは至難の業であっただろう。
借金返済という動機付けのみならず、実行難易度の点からも、後部座席に同乗して監視が可能な第三の犯人の存在を想定した方が無理がない。妙子さんから自宅への連絡に公衆電話が使用された事を考慮すれば尚更である。
妙子さんの「監禁場所」について
現在のところ、Nシステムの照会結果と、元運転手に土地勘があったとみられる点から、新見市近郊の山林のどこかに妙子さんが眠っている可能性が高いとされているが、第三の犯人の存在を考慮すれば、また別の見方が可能となる。
好江が自らの終焉の地として選んだ岡山市北区日応寺周辺の山林は、地域住民以外には知る者が少ない地域であり、鳥取県出身であり隣接する岡山県美作市に嫁いでいた彼女が、それまでの人生で土地勘を得たとは考えにくい。長年、県外で自衛官としてのキャリアを積んできた元運転手にしても同様であろう。
元運転手が、自らが潔白であると押し通せば警察の追求から逃れられると考えたのも、妙子さんの眠る場所は未だ警察の捜査線上に上がっておらず、仮に発見されたとしても、自分とは決して紐づかない場所である事を知っていたからではないだろうか。
数年程度とは言え、元タクシー運転手であった彼にNシステムについての知識が無かったとは思われない。システムに捕捉される前提で国道180号線に乗り、新見市に向かった元運転手は、約束通り近郊で落ち合った彼(彼女)の車に妙子さんを移動させた。
6月4日、彼(彼女)にATMから引き出したおよそ700万円を手渡した好江は、最期を迎えるに相応しい静かな場所の心当たりを尋ね、車で日応寺周辺の案内を受けた。好江はその場所を気に入った。妙子さんの埋葬もその際に同じ地域で行われた可能性がある。彼(彼女)はその日のうちに現金と共に姿を消した。
犯罪に手を染める程に好意を寄せていた好江はアパートを引き払って姿を消し、闇金の男(女)は現金を独り占めしたまま音信不通となった。表舞台に一人残されて警察からの疑いの目とマスコミの注目を一身に浴びる事になった元運転手の憤懣と失望は想像に余りある。
岡山県北区日応寺周辺(GoogleMap)
事件から暫くの間は、彼女らが結託して現金と共に逃亡を図ったのではないか、ほとぼりが冷めれば姿を現すのではないかという逡巡があったかもしれないが、もしかすると、6月11日か12日には、彼に永遠の別れを告げる、好江からの「3通目の手紙」が届いていたのかも知れない。
■参考資料
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朝日新聞「岡山主婦不明、防犯ビデオに白帽子の女性 預金引き出しか」2002年6月12日付
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読売新聞「津山・医師夫人不明2週間 有力手掛かり」なし ビデオの女、行方追う=岡山」2002年6月18日付
朝日新聞「鳥取の女性に窃盗容疑で逮捕状 岡山・津山の主婦不明事件 2002年6月22日付
読売新聞「岡山医師夫人失踪事件 52歳元タクシー運転手浮上 現金引き出し女と行動共に」2002年6月23日付
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読売新聞「岡山の医師夫人失踪事件33歳無職女を手配 県警「元運転手もかかわり」2002年6月28日付
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朝日新聞「きょう警察犬投入 新見の山林を捜索 津山の主婦不明事件/岡山」2002年8月20日付
朝日新聞「ダム2ヶ所を捜索 津山主婦失踪事件/岡山」2002年9月4日付
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読売新聞「津山の主婦不明1年 一緒に歌える日信じて 合唱仲間、9月に音楽祭出演」2003年6月3日付
読売新聞「津山の失踪事件 車内に医師夫人の血痕 自殺元運転手が所有/岡山県警」2003年6月3日付
読売新聞「津山の医師妻不明事件 陸自演習場で捜索 県警捜査本部=岡山」2003年5月28日付
朝日新聞「『助けてもらいたい』夫、胸中語る 津山主婦行方不明 大阪」2004年3月12日付
読売新聞「津山の主婦不明事件 津山署、鳥取県警に情報提供を呼びかけ=岡山」2005年6月4日付
朝日新聞「全力捜査、再確認 津山の主婦行方、不明から10年 夫、捜査幹部に心情吐露/岡山県」2012年4月24日付
週刊新潮「『岡山医師夫人不明』のウラに主婦売春とパチンコ借金地獄」2002年7月11日号
週刊朝日「自殺前元運転手が漏らしたナゾの一言 岡山・医師夫人行方不明事件 『防犯ビデオの女』点と線」2002年7月12日号
実話GON!ナックルズ「聞け!犯罪被害者の叫び 妻は、いま、どこに 岡山医師夫人拉致強盗事件 被害者の夫が初めて語る、苦渋の585日」2003年11月号
サンデー毎日「総力取材ワイド 以上事件のその後 岡山 医師夫人行方不明で浮上する『第3の男』」2002年8月4日号
◆平成の未解決事件