『ルーシー・イン・ザ・スカイ』考察:船尾の光、あるいは救いの後遺症

記事ルーシーインザスカイ考察船尾の光あるいは救いの後遺症のアイチャッチ画像。

船尾を洗う光。大気圏突入の際、窓を容赦なくピンクに染め上げるあの輝き。剥き出しの太陽の光線。光の記憶は、帰還後の彼女の視界に、祝祭の花火としても反復される。宇宙で見てしまった光景は、一過性の感動として消えるのではない。それは網膜に焼き付き、彼女の知覚そのものに居座りつづける「永続する現在」となる。

ジャカルタ、香港、北京、そして、かつて愛着を抱いていたはずの自分の街。宇宙の暗い奥から見れば、それらはすべて、一枚の薄い膜の上に散った燐光にすぎない。そこでは国境も、物理的な隔たりも意味を失い、日々の営みを支えていた尺度は崩れていく。彼女が地上へ降り立ったとき、かつての暮らしや人間関係を以前と同じ手触りで受け止められなくなるのは、当然の帰結だろう。彼女のうちは、すでに重力圏の外側で変質してしまったのだ。

映画概要

『ルーシー・イン・ザ・スカイ』は2019年のアメリカ映画で、監督はノア・ホーリー、主演はナタリー・ポートマンである。

宇宙飛行士の帰還後を主題に据えた作品は多くない。本作が見ているのは、輝かしい英雄譚でも、手に汗握る職業ドラマでもない。宇宙に飛び立った人類の偉大さを称える映画でもない。

本作が見つめるのは、あまりに巨大なものに触れてしまったひとりの人間が、日常という檻のなかで何を擦り減らし、何に縛られていくのかという、その後の生である。題材は一歩まちがえれば、卑俗なスキャンダル映画になったはずだ。だがホーリーは、宇宙の神々しい美しさと、地上の息苦しい狭さ、その落差を執拗に描いていく。英雄譚の外で、帰還後の喪失を見つめる映画なのである。

あらすじ

宇宙ミッションを終え、地球へ帰還したルーシー・コーラ。拍手と称賛に包まれても、彼女の意識だけは、まだあの高度に置き去りにされている。家族との穏やかな時間も、日常の些細な会話も、以前のような実感をともなわない。宇宙で触れた絶対的な静けさと無限の広がりが、地上のあらゆるものを、どこかよそよそしく、遠いものに変えてしまうからだ。

やがて彼女の焦燥は、「次の宇宙飛行」への執着へと姿を変える。同僚マーク・グッドウィンとの情動的な関係、過酷な訓練への没入、選抜から外されることへの生理的な恐怖。それらは複雑に絡み合い、彼女のうちにあった綻びを、やがて破綻として外へ噴き出させる。

映画は、その破滅を見世物として差し出すのではない。彼女がなぜ、あれほどまでに「次」を渇望したのか。その理由だけを、静かに追っていく。

下敷きとなったリサ・ノワック事件

本作は、2007年に大きく報じられたNASA宇宙飛行士リサ・ノワック事件にゆるやかに着想を得ている。『TIME』も、本作はノワック事件をそのまま再演するのではなく、宇宙飛行後の心理的な揺れへ重心を移していると整理している。

映画は、事実の輪郭だけを借り、その内側で起きていたかもしれないことへ向かっている。すなわち、宇宙で「ダイヤモンドと万華鏡」を見てしまった人間が、ふたたび人間として地を這うことの困難である。

問われているのは、彼女が誰を愛し、誰を傷つけたかという表層ではない。映画はこの事件を、タブロイド紙やワイドショーが好む覗き見の題材として扱わない。見つめているのは、彼女のうちで何が変わってしまったのかである。

ルーシーという名の迷子

ルーシーの傍らには、信仰心に厚く穏やかな夫がいる。姪とともに暮らす家庭は、本来なら「帰るべき場所」として完成されているはずだ。しかし映画は、器としての「家」があることと、そこに自分の居場所があることは、まったく別だと突きつける。

劇中では、サナギから蝶が羽化するモチーフが繰り返される。メタファーとしては直截だが、それゆえに痛切でもある。ルーシーはもはや、以前の「殻」に収まることができない。宇宙という、人間を顧みない場所を知ってしまったことで、彼女は不可逆の変化を受けている。

しかもその変化は、成長や成熟といった穏当な言葉を拒む。殻を破るということは、同時に、それまで彼女を守っていた秩序を壊すことでもあるからだ。羽化はここで、祝福ではなく、それまでの生の形を脱ぐことに近い。

母の死もまた、彼女を地上からさらに遠ざける。病室へ向かう場面で流れる『Lucy in the Sky with Diamonds』のカバーは、単なる劇中歌ではない。彼女の固有名を呼び返しながら、「ダイヤモンドと万華鏡」を見てしまった人間の悲哀を、静かに照らす挽歌として響く。

海軍出身で、規律と能力によって選ばれてきた彼女にとって、宇宙は職業上の到達点ではない。彼女が宇宙を「人生の目的」と語るとき、それは野心の表明ではなく、ほとんど信仰告白のように響く。地上の安定を守ることではなく、もう一度あの「絶対」に触れること。それだけが、彼女の生の軸になっている。

マーク・グッドウィンとの関係もまた、この軸の上で捉えるべきだろう。彼は単なる愛欲の対象ではない。ルーシーが彼をスズメバチに例えるのは、彼が「飛翔」を支える側ではなく、彼女の翼を刺し、墜落させる側に立つからではないか。彼は、彼女を地上へ繋ぎ止める重力として現れ、彼女の渇望を傷つける存在となる。恋愛のもつれに見えるものの底で、彼女は飛翔そのものを阻まれている。

コリンズとの対照、あるいは孤独の質

カウンセラーが持ち出すのは、月へ行った者が語った宇宙の孤独である。だがルーシーは、それを「感じなかった」と言う。この乖離は、彼女の精神の故障を物語るものではない。宇宙は、人によってまったく別の顔を見せる。

ここで引かれるのは、マイケル・コリンズが自著『Carrying the Fire』に記した言葉だ。コリンズは、月の裏側に入った自分を “I am alone now, truly alone”――「私はいまひとりだ。本当に、ひとりぼっちだ」と書いた。

さらに、『NASA』の「Apollo 11 Log」には、彼の四十七分間について “Not since Adam has any human known such solitude”――「アダム以来、これほどの孤独を知った人間はいない」とある。

宇宙はコリンズに、人間存在の小ささを突きつける冷たい暗がりとして現れた。だが、ルーシーにとって、それは救いだった。彼女はそこに怯えるどころか、あの光のなかで、自己がほどけていくような安息を見出した。

彼女の苦悩は、「宇宙で救われてしまった」ことへの後遺症なのだ。

低軌道に取り残された存在

本作のルーシーをいっそう切実にしているのは、宇宙の「光」がまだ彼女の身体から抜けていないことだ。彼女は訓練を重ね、手順を反復し、その言葉を独りで繰り返す。それは単なる努力の描写ではない。なお飛び立とうとする意志が、地上で崩れないために、かろうじて自分を縛っているように見える。

彼女は、まだ来ていない「次」のほうを見ている。だが、その向き方は穏やかではない。手順を口に出し続ける姿は、前へ進む準備というより、その未来を見失えば自分も保てなくなることの表れに近い。家族も、健康も、社会的地位も、彼女にとって価値を失ったのではない。ただ、あの光を知ったあとの彼女には、それらが以前と同じ大きさでは立ち現れないのである。

彼女は言う。

――自分を壊さないと飛び立てないのか――。

この問いは、野心の代償を嘆く言葉ではない。飛び立つためには、蛹を壊し抜け出さないといけない。彼女は自らを「低軌道に取り残された存在」と言う。帰還もできず、かといって再び飛び立つこともできない。落下することも、着陸することも許されない。永遠の宙吊り。蛹のまま取り残した自分。その中途半端な周回軌道こそが、彼女の煉獄である。

養蜂場の沈黙、脱がれたヘルメット

物語の終わり――事件から3年後――彼女は養蜂場で働いている。かつての宇宙服は、無骨な養蜂防護服へと姿を変えた。宇宙服が限界を超えて外へ出るための殻だとするなら、養蜂服は、地上の小さな痛みと共存するための衣である。道具の質も目的も変わった。

最後に彼女は、自分の手でヘルメットを脱ぐ。真空の宇宙では死を意味するその行為を、地上という酸素に満ちた場所で、自らの意志として行う。ようやく彼女が「ヘルメットを外せる場所」へ辿り着いた。蛹から抜け出したのだ。

そして、この場面で彼女を包む光は、宇宙で見たあの強烈な光とは違う。船尾を洗った光でも、太陽の剥き出しの輝きでもない。もっと淡く、もっとやわらかい、地上の光である。彼女はもう、あの眩しさのただなかにはいない。けれど、光そのものを失ったわけでもない。

宇宙は、彼女にとって、ヘルメット越しにしか触れられない「絶対」の場所だった。その拒絶の境界が、ここで静かにほどける。

彼女はあの場所で、ダイヤモンドの輝きを、自分の生に取り込めたのか。それとも、あの静けさは死への予行演習にすぎなかったのか。映画は答えない。ただ最後に残るのは、宇宙の烈しい光ではなく、淡い地上の明るさである。

結び

『ルーシー・イン・ザ・スカイ』は、事実の痕跡を拾い集める映画ではない。宇宙を知ってしまったひとりの人間が、いかにして地上の色彩を失っていくのかを描いた、きわめて私的で、残酷なまでに美しい映画である。

ルーシーは壊れたのではない。ただ、あの方角に「慰め」があることを知ってしまった。その認識が、彼女の住む世界の輪郭を変えてしまったのだ。愛も仕事も、価値が消えたのではない。ただ、あの光の強烈な残像の前では、すべてが等しく淡く、頼りないものに見えてしまったのである。

作品が投げかけるのは、空の上で拾い上げた美しい光と沈黙を、人は重力のある場所で、汚さずに持ち運びつづけられるのか、という問いだ。

ルーシーは、たしかに空にいた。彼女の中の蛹は、あの光のなかにあった。

公式映像資料(YouTube)

本記事で取り上げた作品の公式映像資料。本稿の論点を映像として補助的に参照されたい。

文章だけでは伝わらない空気を、映像として確認するための資料として掲載する。

🎥参考映像(出典: FOX Searchlight)映画『LUCY IN THE SKY』予告編


◆参考資料
映画の基本情報と映像(外部リンクAmazon『ルーシー・イン・ザ・スカイ (字幕版)』)
リサ・ノワック事件との関係整理は『TIME』2019年10月4日付
Michael Collins, Carrying the Fire: An Astronaut’s Journeys
NASA, Apollo 11 Log


◆ナタリー・ポートマン主演映画

◆宇宙とSF映画シリーズ


Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste Roquentinは、Albert Camusの『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartreの『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場する主人公の名を組み合わせたペンネームです。メディア業界での豊富な経験を基盤に、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルチャーなど多岐にわたる分野を横断的に分析しています。特に、未解決事件や各種事件の考察・分析に注力し、国内外の時事問題や社会動向を独立した視点から批判的かつ客観的に考察しています。情報の精査と検証を重視し、多様な人脈と経験を活かして幅広い情報源をもとに独自の調査・分析を行っています。また、小さな法人を経営しながら、社会的な問題解決を目的とするNPO法人の活動にも関与し、調査・研究・情報発信を通じて公共的な課題に取り組んでいます。本メディア『Clairvoyant Report』では、経験・専門性・権威性・信頼性(E-E-A-T)を重視し、確かな情報と独自の視点で社会の本質を深く掘り下げることを目的としています。

この著者の最新の記事

関連記事

おすすめ記事

  1. 記事ルーシーインザスカイ考察船尾の光あるいは救いの後遺症のアイチャッチ画像。
    要約(クリックで開く) 『ルーシー・イン・ザ・スカイ』は、実話の外側だけをなぞる映画ではな…
  2. 子どもの行方不明は増えていないだが問題は消えていない│構成変化と略取誘拐の増加を分けて読むアイキャッチ画像日本列島の背景、行方不明捜索チラシのイメージ画と折れ線グラフのイメージ画
    京都府南丹市の小6男児Aさん行方不明事案や、新潟県十日町市の中学生Hさん行方不明事案のよう…
  3. 吉川友梨さん事件を考察|熊取町女児行方不明と白い車の証言から犯人像を読むアイキャッチ画像路地に停車する白い車
    要約(クリックで開く) 2003年5月20日、大阪府熊取町で小学4年生の吉川友梨さんが下校…
  4. エイリアン2考察│母であり戦う女性リプリーと不自然な生物エイリアンの描き方イメージ画像。宇宙船、母性を象徴。
    要約(クリックで開く) 『エイリアン2』を、母であり戦う女性としてのリプリー像と、繁殖だけ…
  5. 記事「プロメテウス考察│創造主人間デヴィッドエイリアンの連鎖」イメージ画像
    要約(クリックで開きます) 『プロメテウス』は『エイリアン』の前日譚では終わらない。人間は…

AIのJOIの曲など

note:社会問題を中心にしたエッセイ

NOTE

NOTE

未解決事件・冤罪・歴史的事件:一覧

昭和平成令和の未解決事件冤罪歴史的事件

昭和平成令和の未解決事件冤罪歴史的事件

映画考察・解説まとめ|60年代〜現代の名作を年代・ジャンル・テーマ別に一挙紹介

映画考察レビュー記事まとめ年代ジャンルテーマ別アイキャッチ画像

映画考察レビュー記事まとめ年代ジャンルテーマ別アイキャッチ画像

スポンサーリンク

ページ上部へ戻る