
「ワゴン車で連れてこられた。殺される」――。2008年4月6日、山梨県警の通信司令室に寄せられた110番通報は、呂律の回らない女性の声だった。「いしだかなこ」と名乗るその声は、車に乗せられ、見知らぬ男と共にいること、そして薬物を「打たれた」と訴えた。その後、電話は途絶え、佳奈子さんの行方は今も知れない。
19歳の彼女は、東京都江戸川区に暮らしていた。経済的には恵まれた環境にありながら、転校、無職、違法薬物――彼女の生活にはどこか不安定な影が差していた。そんな彼女が、出会い系サイトで知り合った男と会うために外出したのは、失踪の前夜だった。
翌朝、彼女が山中から発信した悲痛なSOSは届かず、数日後、逮捕された男の車内からは覚せい剤、血痕、そして複数の女性の「誓約書」が発見された。
事件から17年――。彼女の行方を示す手がかりは一切見つかっていない。本記事では、佳奈子さんの失踪事件を検証し、真相を考察する。
事件概要
佳奈子さんの失踪事件の経緯を整理し、事件の背景や警察の捜索状況を記述する。覚せい剤、出会い系、そして不可解な失踪――彼女を待ち受けていたものは何だったのか。以下、事件の概要について解説する。
出会い系
2008年4月5日(土曜日)夜。東京都江戸川区在住の石田佳奈子さん(当時19歳・以降佳奈子さん)は前夜宿泊した友人女性の家を出て、共にJR亀戸駅へと向かった。その間「駅で人と会う」「その人は初めて会う人」と友人に言い残している。しかし同時に「全く知らない人ではない」「色々なクスリを持っている」と仄めかしたという。
佳奈子さんは生きる上で何らかの問題を抱えていたと思われる。親は銀行役員と、少なくとも経済的には恵まれた環境であったと考えられるが、彼女は高校2年次に通信制の高校へ転校、失踪当時は無職であった。同級生からの評価は「おとなしい人」というものであったが、それは彼女の元々の性格というよりは、単に学校生活に馴染めていなかっただけという可能性も高い。
後日、佳奈子さんの自室からは大麻が発見されており、失踪前から違法薬物への関心と使用歴があったであろう事が判明した。家族はその事について「薄々気づいていたが、止めることは出来なかった」と話している。
覚せい剤の使用歴については不明であるが、近所の住民は、失踪数日前に彼女を見かけた際「すごく痩せた感じがした」と話しており、それが覚せい剤の副作用とされる食欲不振の影響である可能性は否定できない。
当初の待ち合わせ場所は池袋であったが、直前で亀戸駅駅北口のパチンコ店の前に変更されたという。
変更の理由については分かっていないが、単純に互いに土地勘があり、現在地からも都合が良かったという事であったのかもしれない。少なくとも加奈子さんの友人には直前の変更が知られてしまっており、待ち合わせ場所を隠す策としては機能していない。待ち合わせの相手は、携帯電話のWEBサイト(いわゆる出会い系サイト)で知り合った、東京都青梅市在住の無職男性S(当時26歳)であった。
Sに暴力団関係者と交友関係があり、違法薬物の入手経路もその辺りであると考えられているが、彼自身はクスリの売買以上に、女性との交遊に執着する「恋愛体質」であり、日々駅前でのナンパに精を出す傍ら、出会い系サイトでも「一緒に冷たいのを決めない?」等の誘い文句を掲示板に書き込み女性を物色しており、佳奈子さんもその誘いに乗ったようだ。「冷たいの」とは覚せい剤の隠語の一つである。
インターネットの普及と成熟によって、大麻は当時から日本の学生の間でも流通する程には敷居の低い違法薬物であったが、非合法組織が売買を独占する事も多い覚せい剤についてはその限りでは無く、入手には危険を冒すこともやむを得ないと佳奈子さんは考えたのかもしれない。出会い系サイトで知り合った相手に危害を加えられるという事件は断続的に発生しており、既に社会問題として広く認知されていた。
友人女性と途中で別れた佳奈子さんは、一人で待ち合わせ場所へと向かった。Sと落ち合ったのは4月5日の23時頃。彼は自ら運転するワゴン車に彼女を乗せ、深夜のドライブへと走らせた。
Sによると、道中にはカレーショップに立ち寄り二人で食事を摂るという一コマもあったとされるが、どのような会話があったのか、初対面の年上男性との長時間のドライブや車中泊について、佳奈子さんがどう考えていたのかについては定かではない。覚せい剤の為と、ひたすら我慢していたのかそれとも……。
最終的にドライブは翌日6日の昼頃まで続いた。都心から高速道路に入り、埼玉県入間市、東京都あきる野市を経由して一般道に下りたワゴン車は、未明から空き地に駐車した車の中で一泊。翌朝以降は国道411号線に乗り、6日の昼前には山梨県の山中(甲州市に属する柳沢峠付近)にまでたどり着いていた。
Sには(女性を誘い出す手段の一つに過ぎないとしても)アウトドア趣味があり、この周辺にも土地勘があったという。峠にも駐車場や飲食店等休憩のための施設は整えられていたが、彼は佳奈子さんを乗せたワゴン車で、更に国道から伸びる林道のうちの一つへと進入した。
『柳沢峠』出典:googleMap
一帯は水源地として東京都水道局の管理下にあり、林道といえども一部舗装がされ、大型車も進入できる最低限の幅員があった。また、林道の脇には施設建設やその資材置き場とする為か、所々に山林を切り開いた空き地があった。
空き地の一つからは資材の盗難も発生しており、4月11日には一帯が通行止めになっている。公的機関の管理地であったとしても常時監視されている場所ばかりではなく、車を停めて人目を避けるにはうってつけの場所も存在したものと思われる。
110番通報
4月6日正午頃、山梨県警の通信司令室は1件の110番通報を受電した。携帯電話から掛けられたその電話は受話器の向こうから、全力疾走を思わせる荒い息遣いを伝えるものであったが、意味のある言葉を聞き取ることは出来ず接続が途切れた。目の前のディスプレイには電話番号と、通報者の位置を示す「国中」が表示されていたという。
その後担当者は、表示された番号宛に十数分に渡って電話をかけ続け、その後繋がった合計三回の通話の中で、声の主の名前や状況を部分的にではあるが聞き出すことに成功している。
「いしだかなこ」と名乗った若い女性は、酒酔いのように呂律の回らない様子で、自分が「ワゴン車で連れてこられた」事、自分が「どこにいるかわからない」事、「うたれた」事、「一緒にいる知らない男」に「殺される」といった事を錯乱した様子で断片的に担当者に訴えたという。
最後の通話の後も、担当者は翌7日朝の勤務交代時間まで同じ番号に架電を続けたが、女性の携帯電話には二度と繋がる事は無かった。
2025年現在では全国の警察に、GPS衛星や電波の受信基地を利用した測位法が導入され、通報の発信地点をかなりの精度で絞り込む事が可能であるが、2008年当時の山梨県警が運用していた通報受信システムは旧式のもので、携帯電話による通報の発信地点は県内の(山岳地帯も含む)9市7町が属する地域である「国中」と、県内のその他の地域である「郡内」のどちらからのものであるかという大雑把な判別以外は不可能であった。
しかも、7日朝に担当者からの報告を受けた上司は、通報内容について、生活安全部には共有したものの刑事部には伝達しなかった。その事は後日になって問題化する事になるが、捜査部門に共有したところで、通報の発信地点が特定できていないのも同然の状況では、捜査員にも打つ手が無かったのではと擁護する向きもある。
通報を受けた担当者としては、せめて悪戯であって欲しいと祈るような気持ちであっただろう。実際に、必死に助けを求める風を装った虚偽の通報も皆無ではないのだという。
しかし、恐らくその日の内には、佳奈子さんの携帯電話から、警察に110番する一方で、母親や友人にも、助けを求める電話がかけられていた事が警視庁経由で発覚する。佳奈子さんからの電話を受けた、都内江戸川区在住の家族は警視庁小松川署に通報、その内容を重く見た警視庁捜査一課が捜査に乗り出していた。
彼らが佳奈子さんの携帯電話の通話記録を調べる過程で山梨県での110番通報が確認され、山梨県警にこの事を問い合わせた際に、両者の持つ情報も統合されたものと思われる。
母親や、母親から連絡を受けた友人が佳奈子さんの携帯電話にかけ続けた間に得られた情報は、やはり断片的なものであったが山梨県警の持つものとは微妙に異なっており、「二人組の男にホテルに連れ込まれそうになった」「知らない男に連れ回されている、助けて」「覚せい剤を打たれた」「殺される」といった内容が含まれていたという。
Sの逮捕
Sの身辺に捜査の手が迫るのは時間の問題であった。彼が佳奈子さんと出会い系サイトで知り合った頃から、掲示板へのアクセスや彼女との連絡に使用していた携帯電話は他人名義のものであったが、事件後も特に警戒する事無く使用を続けていた。
その携帯電話の微弱電波が示す位置情報と紐づけられたワゴン車が、東京都青梅市の駐車場に停められている事を突き止めた捜査員は現地に急行。4月11日午前、ドアを開け放った車内でひとり無防備に仮眠をとっていたSを、佳奈子さんに対する監禁容疑で逮捕した。
その際、彼が隠し持っていた覚せい剤入りの小袋数点が押収されており、翌12日には覚せい剤取締法違反(所持)でも逮捕されている。車両の下部とSの着衣のズボンが泥で汚れている事にも捜査員は気づいていた。
6日午後1時頃以降からは、佳奈子さんの携帯電話は繋がらなくなっていた。家族や捜査員は、今も連れ回されているか、既に安全な場所で解放されている事に佳奈子さん保護の希望を繋いでいたものと思われるが、Sの証言を取り、身辺の捜査を進めるにつれ、ことは最悪の想定もするべき事件である事が次第に明らかになり始めた。
Sは、6日昼頃の出来事について捜査員に以下のように語った。
・山梨県の林道脇に停めた車内で、二人で覚せい剤を打った。
・この辺りの山林には、(静かな場所で)覚せい剤を打つためによく立ち寄っている。
・佳奈子さんは注射に慣れていなかったので、自分が打ってあげた。
・佳奈子さんが突然暴れ出し、車から飛び出していった。
・周囲を探したが見つからなかった。
・佳奈子さんとはずっと一対一だった(=単独犯である)
彼の証言を信じるのであれば、佳奈子さんは4月上旬で未だ雪が残る山梨県の、標高は1500mに達する山間部に一人で置き去りにされた可能性が高い。Sが逮捕された4月11日の時点でも、遭難等で彼女らしき人物を発見、または保護したという報告はあがっておらず、最悪の場合、氷点下の外気に五日間に渡って晒されているという事になる。
失踪当時の佳奈子さんの服装は青色のフード付き長袖フリースの上着に白のミニスカート、茶色のブーツという軽装で、当然ながら登山や野営への備えはなかった。前日が外泊という事を考えると、替えの衣類や下着、寝間着がわりのスウェット上下程度を持っていた可能性はある。
Sの証言に基づいて、警視庁と山梨県警は捜査員と警察犬を動員。Sが証言した林道の周辺の捜索を開始したが佳奈子さんや彼女の遺留品、足跡等の発見には至らず、4月13日には公開捜査に踏み切った。
遺留品発見
4月14日――Sが彼女の失踪地点として示した場所からも近い、林道笠取線沿いの山中から、ブーツ、ショルダーバッグ、現金の残された財布が入ったままのハンドバッグが発見された。後にそれらは家族によって、佳奈子さんの所持品である事が確認されている。その中に携帯電話は無かった。
特筆すべき点はブーツの靴底で、土や泥の汚れがほとんど付着しておらず、それは持ち主が身につけた状態で山中を歩いていないという事実を示していた。Sの証言通りであれば、佳奈子さんは携帯電話だけを手に、靴も履かずにワゴン車から山中へと飛び出したという事になる。
これらの遺留品はまとまって発見され、持ち主が身軽になる為に自ら捨てていったものではなく、Sが佳奈子さんとの接点を隠滅するために、その場に遺棄したのではないかと捜査員は推理した。そうなると、所持品が発見された場所は佳奈子さんの居場所とは無関係である可能性も出てくる。
初期の報道では、佳奈子さんを乗せたワゴン車に並走する車があったという情報が公表されており、彼女が6日の電話で家族に訴えた「二人組の男」件とも併せて、当初警察は、複数犯による誘拐事件であるものと考えていたようである。Sが佳奈子さんの所持品とブーツを奪い、彼女自身の身柄は共犯者等が拘束、未だ何処かに監禁している可能性も排除する事は出来なかった。
Sが乗り回していた親族名義のワゴン車の助手席からは尿痕、車内からは注射器と血液のついたタオルやティッシュ、複数の女性の名義のクレジットカード、大量の誓約書が発見された。誓約書もまた複数の女性の手による自筆のもので、その内容は、
「自分はこれから覚せい剤を打つ。行方不明になっても責任は問わない」
といった趣旨のものであったという。佳奈子さんの名義のカードや、直筆による誓約書があったか否かについての情報は公表されていないが、あったとしても彼女の身の回り品を遺棄する前に、Sによって処分されている可能性が高い。
Sは中学卒業後、定職に就いた事が無く、事件当時も無職の身でありながら末端価格で10万円相当の覚せい剤を所持。自ら(違法薬物の)「ブローカー」を名乗っており、その資金源は出会い系サイトで女性を誘い金品を騙し取る、盗んだカードの不正利用を行うといった違法な「ビジネス」である可能性や、その背後には暴力団等の組織的な関与がある可能性までもが浮上した。
ワゴン車から発見されたタオルの血痕は佳奈子さんのもの、ティッシュの血痕はSのものであった事が後に判明した。それらは覚せい剤を注射した際の出血か、佳奈子さんが逃げ出そうと暴れた際に車内で飛び散った血液を拭き取った際に付着したものと考えられている。
佳奈子さん失踪事件が公開捜査となり、全国に報道され始めた4月14日頃には、事件現場周辺の工事関係者男性からの情報提供があった。4月8日、男性は佳奈子さんの所持品が見つかった林道の周辺で、ぬかるみにタイヤを取られて立ち往生しているワゴン車を発見。ワゴンの運転手はスコップでタイヤ回りの泥をかき出している最中であったという。
彼は自分の車とワゴン車をロープで繋ぎ、脱出を手伝った。その間、何故こんな所にいるのかと理由を尋ねると、運転手は「2年前死んだ飼い猫を埋めた場所を探しに来た」と答えたという。後日佳奈子さんの失踪を知った男性は、「猫を埋めた」という発言の不穏さと、運転手がスコップを持ち合わせていた事を不審に思い、山梨県警日下部署に通報したと話している。
男性が遭遇したワゴン車の運転手がSであることは間違いないものと見做されており、4月11日に彼が逮捕された際に認められた車両下部やSのズボンの泥汚れは、この日に付着したものと考えられた。5月9日には、Sのワゴン車の後部座席から、泥のついたスコップが既に発見されていた事も公表されている。
山中の捜索
警視庁と山梨県警は、この林道周辺に更なる重要な物的証拠が隠されている可能性が高いと判断。4月11日以降連日行っていた佳奈子さんの捜索に加え、4月23日には捜査員を約70人に増員、重機や車両も動員して大規模な捜索を行い、その後も警視庁と山梨県警は1ヶ月間に渡って範囲を広げながら周辺の捜索を続けたが、新たな遺留品や手がかり及び佳奈子さんの発見には至らなかった。
その間、警視庁では5月2日、Sを覚せい剤取締法違反(使用)等の容疑で再々逮捕、後に起訴する事になるが、当初の逮捕理由であった佳奈子さんに対する監禁容疑は処分保留となり、起訴には至っていない。
佳奈子さんは自分の意志で車に乗り込んだとは言え、彼女に土地勘のない山中に連れ込んだ時点で既に監禁罪の構成要件に該当している可能性は高いものの、肝心の佳奈子さんが発見されておらず証言が得られない状態では、公判の維持が難しいと判断したのだろう。
Sは逮捕当初、覚せい剤の中毒症状を呈し、上申書の署名も難しい状態であったとされるが、皮肉にも長期の勾留の間に回復。同年7月から開かれた自らの裁判(覚せい剤取締法違反(使用)等)の被告人質問では、
「監禁事件に巻き込まれたというか、話がでかくなってしまったが、それがきっかけでクスリを怖いと思えるようになった」
と、違法薬物の使用について改悛の情を述べている。 報道された限り、彼の発言からは佳奈子さんの失踪に対する罪の意識や当事者意識というものが欠落しているように思われるが、その責任を問う術は無く、車内から発見されたクレジットカードや誓約書に関係した女性たちからも、覚せい剤の使用に関する証言が得られた程度であるようで、共犯者の有無、余罪、違法薬物の入手経路等について明らかにされる事はなかった。
佳奈子さん失踪事件の現況
Sが知らない、あるいはは語ろうとしない以上、2025年1月現在、佳奈子さんの所在はおろか生死についてさえ解明への糸口は見えていない。警視庁や山梨県警は、佳奈子さんの生存の可能性も踏まえ、周辺の旅館や飲食店等から佳奈子さんの目撃情報の収集を行っているが、有力な情報は得られなかったようである。
失踪から17年近くが経過し、警視庁のホームページ上で所在不明者として公表されている彼女の似顔絵は、年齢を重ねた姿を想定して描かれているが、現在のところ、その姿の正しさが証明される気配はない。
手がかりとその検討
石田佳奈子さんの失踪から17年が経過した今も、彼女の行方は不明のままである。発見されたのはわずかな遺留品のみであり、事件の真相は依然として闇に包まれている。以下、佳奈子さんの失踪に関する既知の手がかりを整理し、それらが示唆する可能性について検討する。
佳奈子さんについて
前述のとおり佳奈子さんは通信制高校に転校後、失踪当時は在籍中であったか、学業に取り組んでいたか否かといった情報は無いが、パートやアルバイト、習い事に打ち込んでいたという情報も無く、違法薬物への強い関心の他に具体的な人物像を描くのは困難である。
自宅に宿泊させてくれる程の友人がいたのは確かであるが、彼女もまた、佳奈子さんが一人で「クスリを持っている」男性に会いに行くと口にしても、止めた様子もなければ、相手の姿や人となりを確かめようともせず別れており、強い結びつきを感じる事は出来ない。
しかし、危急の際には警察や母親に助けを求め、違法薬物についても躊躇なく打ち明けている所から見て、学生生活の中断や無職といった理由から、フラストレーションや意見の相違はあったにせよ、社会や家族に対し一定の信頼は置いていたように思われる。
仮に、彼女が自力で山中から林道や国道に復帰し生還していたとして、違法薬物の使用による社会的制裁や家族からの非難を恐れ、完全に関係を絶ち17年にもわたる失踪者としての生活を選ぶとは考えにくい。
事前に「行方不明になっても……」の誓約書等によって、Sやその背後にいると思われる組織への恐怖を植え付けられたのだとしても、それは却って、警察の保護下に入りたいという考えを強くさせる可能性が高いように思う。
失踪当日、彼女は何度か覚せい剤を打たれ、大量使用により急性中毒を発症、幻覚や被害妄想に襲われてその場から逃げ出したと考えられている。
中毒症状とはいっても覚せい剤によるものの場合、意識ははっきりしたままである事が知られている。彼女による通報の内容は、幻覚や妄想が含まれているとしてもある程度は要領を得ており、通報時の携帯電話の場所さえ特定できていれば無事保護、最悪の場合でも発見は可能であったと思われる。
車両で追跡できるはずのSが晴天の白昼時に行方を見失っているところから見て、彼女は林道沿いに逃走したのではなく、妄想による恐怖と覚せい剤のもたらす高揚感に任せて、平時では踏み込もうとはとても思われない、雪深い山林へと飛び込んでいった可能性が高い。
Sについて
Sは中学入学早々、部活での人間関係を拗らせて不登校となり、高校にも進学していないという。周囲には異端児として知られていたが、口がうまく、性格もどこか憎めないところがあったようである。
週刊朝日の記事によると、Sの母親はそんなSを溺愛、Sの父親の名義で事件の場ともなったワゴン車を買い与えていたという。Sは少なくとも4月6日以降、逮捕される11日まで実家に帰る事はなく車上生活を続けていたが、これは母親を巻き込む事を恐れての事であったとも考えられる。
一方で、親交のあったという暴力団関係者は、彼の犯罪を揉み消したり、匿ったりといった保護を与えてくれるような存在ではなかった事も推測が可能である。彼は違法薬物を求める女性たちの心証を良くする為に「ブローカー」を名乗っていただけであり、実際には末端のユーザーであった可能性が高いのではないだろうか。
無職の身で10万円相当の覚せい剤等を所持しているのは不自然であると見る向きもあるが、彼の「恋愛体質」を考慮すると、彼にとって何よりも重要な「モテ」を実現するアイテムである違法薬物の入手のためには、あらゆるリソースを注ぎ込む事が出来たに過ぎないのではないかと思われる。
彼は実家住みであり、恐らくは家に金を入れる事もせず、携帯電話の使用料や車の維持費も自身では支払っていなかったと思われる。事件当時は無職であったが日雇いの仕事やホストをしていた時期もあったといい、それらの稼ぎのほとんどをクスリに換えて、実家に甘えたナンパ三昧の生活を送る事は可能であっただろう。
尤も、誘いに応じて覚せい剤を打たれ、前後不覚に陥った女性たちから、クレジットカードを盗んで不正な利益を得、それは暴力団関係者の入れ知恵であった可能性は否定できない。その利益もまた、組織への上納金等にではなく、女性を誘うためのクスリ代に消えていったであろう事は想像に難くないのではあるが……。
彼が裁判において放った、
「監禁事件に巻き込まれたというか、話がでかくなってしまったが、それがきっかけでクスリを怖いと思えるようになった」
という発言は佳奈子さんの行く末について歯牙にも掛けておらずサイコパス性を見出す事も可能ではあるが、これは彼が幼少期より学生生活や人生経験といった面倒事から逃げ続け、目先の快楽だけを追い求めた結果、26歳という年齢に見合った精神性や教養を身につけられなかった為と解釈するのが妥当であるように思われる。
彼の性格や行動原理を考慮すると、背後にブレーンがついており、その手先として身代金誘拐等の実行犯として選ばれた可能性は低いように思う。誘拐のように細心の注意や、忍耐を要する局面が予想される大事を単独で任せられる人物とは程遠いからである。
監禁事件に「巻き込まれた」「話がでかくなった」というのは彼の偽らざる本心であり、少なくとも彼にとっては、出会い系サイトで女の子と知り合って、山梨県までドライブしたというだけの話に過ぎなかったという事が窺われる。
失踪地点周辺について
事件の舞台となった柳沢峠周辺は、晴れた日には富士山を眺める事もできる青梅街道の最高地点であり、奥秩父の山々の登山口ともなっている。峠自体も標高が1500m近くあり、基本的には国道や林道以外に整備された道路は存在しない。
追手を恐れて国道や林道を避けたとして、高芝山、鞍掛山、鶏冠山といった山々への登山道は開かれているものの、未だ雪が残る山中から、地図やコンパスといった装備も無しで辿り着くのは困難である。しかも佳奈子さんの持ち物は携帯電話一つであり、服装はミニスカートで靴も履いていない可能性が高い。気温は氷点下であり、一昼夜を無事に過ごす事さえ難しいと思われる。
また、峠から伸びる林道も一本ではなく、Sが佳奈子さんの遺留品を遺棄した場所と、佳奈子さんが逃げ出した一帯と離れた場所であった場合には、一時、工事関係者によるスコップを携えたSの目撃情報から、佳奈子さんが付近に埋められている可能性について警察がまず念頭に置き、重機等を用いた捜索に人員と労力を割いている間に、雪解け水に流される等して谷底へと運ばれ、発見の機会が失われてしまったという事も考えられる。

失踪地点周辺(国土地理院地図から筆者が作成)
峠付近から伸びる2本の林道のうち、佳奈子さんの遺留品が見つかったのは●の笠取林道から入った一帯であるが、実際の失踪地点は、より利用者の少ない◾️の竹森林道一帯である可能性もある。
真相考察
未成年者に蔓延する違法薬物、何ら忌避感もなくデートドラッグとして使われる覚せい剤、出会い系サイトで飛び交う隠語、県警による旧型の通報受信システムの漫然とした運用等、当時の日本社会の悪弊が一挙に噴出した感のある佳奈子さんの失踪事件であるが、手がかりを一つ一つ検討した結果、結局は単純な出会い系サイト絡みの事件であり、佳奈子さんは山中へと逃走の末、覚せい剤の影響と低体温症により前後不覚に陥り遭難したという結論に至った。
失踪者が当時未成年であった事、靴も履かずに山中に踏み込んだにも関わらず、1か月を超える捜索でも、Sが遺棄したとされる遺留品以外には何一つ手がかりが見つからなかった事はやや特異的である。
しかし、山岳遭難として考察すれば、登山道を僅かでも見失えば、地図やコンパスの助け無しでは元の道に戻る事さえ困難になり、4月といえども標高1500m地帯では、防寒対策が不十分であれば1時間も保たずに低体温症を発症し得るのが現実である。そして、全ての遭難者に対して十分な捜索が行えるわけでもない。特に佳奈子さんの事件では、捜索よりも事件としての捜査が優先された節もある。
世情もまた厳しく、佳奈子さんの行方についても、当時から濫用され始めた自己責任論の中へと放り出され、顧みられる事も少なかったように思われる。事件の際に、助けを求める悲痛な叫びを聞いたであろう彼女の母親も、捜索の強化を訴えたり、広く情報を求めるという活動は出来ずにいるようである。
しかしながら、佳奈子さんが犯罪の被害に遭った可能性が高いのもまた事実であり、当時は19歳の未成年者として保護や導きを必要としていたのも間違いない。違法薬物の使用は確かに犯罪であるが、命で償うべきものではなく、たとえそれまでの人生が薬物に救いを求める程の苦痛が伴うものであったとしても、やり直す為のまだ長い時間が、彼女には残されている筈であった。
警視庁のホームページ上の公開捜査一覧から、彼女の事件が消える日がいずれは来るのかも知れないが、それは諦めや単なる時代の移り変わりによるものではなく、何らかの奇跡的な出来事からである事を祈らずにはいられない。
◆参考資料
読売新聞 2008年4月15日、19日、24日付
毎日新聞 2008年4月14日、15日、16日、19日、5月9日、21日付
産経新聞 2008年4月14日、15日、16日、17日、18日、19日、5月10日、14日付
朝日新聞 2008年4月14日、15日、16日、17日、19日、24日、5月3日、7月7日付
週刊朝日 2008年5月2日、30日付
外部リンク:警視庁HP(車両利用による女性監禁事件)
◆未成年女性の失踪事件(事案)
◆成人女性の失踪事件(事案)